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木工に出会ったきっかけっていうのは、たぶん、人間って、これがきっかけって言うたら、あるかもしれないですけど、
そもそも人類って、木と石と火でずっと生きてきたじゃないですか。
だから、なんか、出会うとか出会えへんとかっていうのは、なかったんやと思うんだけど、
でも、たぶん、小学校の時の彫刻と思って、あんなんとかなんやと思うんですよ。
だけど、工作っていうか、図工の時間とか、なんか自分たちで秘密基地作ってとかっていうときに、
なんか木で、あのノコギリ曲げたりして親に怒られたりとか、釘うまく打てないけどなんか打ってみたりとか、
たぶん、そういうことなんやと思うんですよね。木工と出会ったきっかけっていう。
だから、なんか、僕らの世代だったら、なんかやっぱりまだ物を作るっていうことが身近にあった。
工作、お菓子のパッケージで工作したりとか、自然になんとなく、
おもちゃを買うんじゃなくて、おもちゃをまだ作るが残ってたんかなって思うんですよね。
だからなんか、そんな中で、まあ、紙より木の方が難しいから、実はすっごい苦手やったんですよね。
最初の頃は。
最初っていうか、子供とか中学校とか、あの結構工作少年、プラモデル少年であったんですけど、
意外にその仕事として木工を始めるまでは、あんまり木で物を作るっていうのを逆にしてこなかった。
だから木工と出会ったきっかけとかってなってきたら、多分そういう幼少の頃の記憶みたいなとか、
人間がそもそも持ってるだろうことなんやなって最近思うんですよね。
だからそれと、お仕事にしようと思ったきっかけはまた別なんやなって思うんですよ。
それが多分イコールにならない。
よく、絵が描くの好きやから絵描きになりましたみたいなのがあるかもしれない。
木工が好きやから木工がお仕事にしてますわ、ちょっと僕の場合違うんですよね。
ただ木工はもっと当たり前の行為やから。
作るものとか色々変わってきたと思うんですけど、最初どういうものを作られていたんですか?
最初はどの辺にしましょうか、木工の仕事始めた頃に。
仕事で木工を始めたのは、30のぐらいの時で、その前って20代の時ってデザインとかを仕事にしてたりとか、
おもちゃのデザインとかやけど、手を動かすの好きやったんですよね。
だけどデザインの仕事ってあまり手を動かさないんですよね。
だからそういう仕事をしながら手を動かしたいなってなった時に、分かりやすい素材として木工になったっていうだけで。
そこから今度技術を身に付けなくちゃいけないんで、職業技術校っていうところに行って、
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仕事にする用の技術を身に付けに1年間行って、そこでやるのは家具だから、自ずと家具を作り始めることになるんですよね。
最初の頃は本当に家具、テーブルとか椅子とかを無垢の木で木組みして作るみたいな、ちょっとモダンな感じみたいなのを
スタートラインの時はオーダー家具工房でやってましたけど。
そこからどう変化していくかというと、オーダー家具を作るのにしても
自分でインターネットで注文を取って、設計、デザイン、設計、それをネットやからメールだけでやる。
最終的に作って納品してお金をもらうという循環。
これを全部一人でやりたかったんです。
要は人に任せるができないし、人に任せる余裕もないし、まず全部自分でやってみたかったから、スタートラインとしては全部一人でやってたんです。
それで一応回転はしだすんだけど、やっぱりやってるボリュームが大きすぎて、
自己完結をしたいけど、自己完結しすぎていて、行き詰まるんですよ、経営としては。
経営として行き詰まってきて、仕事あるのに借金膨れるみたいなことになったりしていて、
事業体、家具工房という事業、ビジネスとしては、もうこれ飽きませんわって、自転車操業みたいになって、もうくぐらなあかんわみたいな感じにまでなるんですよね。
でも次のフェーズってあって、家具屋さん、家具工房みたいなのを、本当はこれを自ビジネスとして展開したかったら人を雇ってやるとかってあんねんけど、やっぱり全部自分で自己完結したいからのと、
俺別に家具屋になりたくない。今にして思ったら家具作ってたけど、別に俺家具屋がやりたいわけじゃない。
だから持ってきて道具を作りたいっていう仕事をしたいなってなったときに、もうこの家具工房みたいな、これは誰が考えたかって、前の誰かが考えたシステム。
こういう仕事のシステム。だからこれは別に、誰かこの人のためのもんで、俺のための仕事のシステムじゃない。
だからこれはやめようって言って、ちょっとリセットじゃないけど、もうここだけど、違う働き方を探そうみたいなことになる。
そんな今、簡単に喋ってますけど、そこへたどり着くまでもまあまあいろいろあるんだけど、そのままずっと今に至ってる。実は。
えー。
働き方を。だから大変大変。超大変。
何を聞いてるかわからないくらい大変。
超大変。
なんかこういうの作るって楽しいとか。
あそこにね、あのスツールありますでしょ。
あれは杉の抜き板って企画材の板を、ノコギリで切って釘で打ってっていう、初めてノコギリと道具を持った人でもあのスツールが作れるっていうシステムを考えた。
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あるとき思いついたんですよ。
だから作るってむっちゃ、ほんとは楽しいとか楽しくないの前に、生きるっていう人が生きる行為なんですよ。
だからこれはでも別に作るのは楽しくないっていうか、作ってるときは楽しいシーンもあるんだけど、何個も同じもの作るの作られへん。
作業になりますよね。
作業としての目標が合ってる人もいるんですよ間違いなく。
それは仕事だから。
僕の場合はそれをしてる間に次のことがしたくなったりとか、あれがしたくなったりするんで、もう1時間同じ作業をしたらもうダメですっていう。
だから作るも好きやけど、作りばっかりしててもしんどい。
これプロトタイピングって言うんですけど、実験、こういうの思いついたからちょっと実験してみようって。
その作るはすごい楽しい。
それを今度、4脚注文きましたってなったときに、もう4脚作りたくない。
それはもう誰かお願いしたいって。
信頼のおける人に。
常に常に新しいことを、とか実験実験の作るをしてたくて、それは楽しい。
それが楽しい。
なんかクリエイティブですよね。
木はやっぱり、木の種類って多様だし、それぞれの個性があるんで、
生き物としての個性というよりは樹種としての個性があるから、
なんかあればあるだけ覚えなあかんことが多い。
僕らはそれをコントロールするのが仕事だからそれやりますけど、
DIYでも、行き過ぎた趣味の人はそっちへ行くんですけど、
それやったらもっとそこに生えてる杉とヒノキをもうちょい身軽に使えるようにした方がいいんじゃないか。
通売本の材料の代わりに最近売ってるとこも増えましたけど、
そこをもうちょい買いやすくした方がいいんじゃないかとは思う。
マイブーム。
マイブーム。
もうね、毎日生きて、
何世何世プロタイピングしながらですね、
時代時代で自分のフェーズが変わってるんで、
それをやってるのが楽しい。何世何世も。
毎日生きてるのが楽しい。
しんどいことは同じくらいありますけどね。
しんどいのないと楽しいのを感じられないよね。
でもね、しんどいことがしんどすぎるんですよ。
なんつうんかな。
貧すればどんするで、
金がないっていうのが一番あれで、
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本当に貧するかどんするで、
こんだけのことをやってこうやろうやろうって言ってたけど、
結局なんか明日飯食われへんみたいなことになる。
生きてるも減ったくるもあれへんがなみたいな。
それが一番怖いですね。
貧すればどんするが一番嫌ってほんま気を付けながら。
なんか大きくざっくり2つに分けると、
台本が欲しいタイプと、台本ないほうが楽しいタイプ。
台本ないほうが好きなタイプ。
台本は自分で書きたいです。
せめて、だからなんか台本は自分で書きたいです。
仕事のスケジュールは、
この時って無駄がないように進めたいなって思う方ではありますけど、
人の都合じゃなくて、俺の都合でみたいな。
でもそんなこと言うたってどうせ人の都合で、
何をどうしようが自分の都合でやれることって1割もないと思う。
シナリオ書きたいって言うてますやん。
いや書きますよ。
次のこれはこういうふうなことはしたい、
次はこういうことをしたいってなるけど、
書くけど、書いたとて1割やもんね。
あとの9割は絶対社会とか自然って自分のもんじゃないから、
それはそこで抗った瞬間から、
その1割すら手に入れられへんから、
手に入れようが入れへんから、
それすら100っていう自然というか、
物の流れの中に含まれてるから、
それですら叶えへんかったってしょうがないな、
それはたぶんこの循環のタイミングが悪かったりとか、
たぶん俺が咳止めてるのを受け流した瞬間から、
俺も乗って流れていくんやなみたいな。
やなーって最近思ったりする。
書こうが書こまいが、
うまくいくときはうまくいくし、
うまくいかへんときはうまくいかへんし、
うまくいくほうが逆におかしいんじゃないの。
そんな自分が、
明日のことすら、1秒先は全部未来でしょ。
1秒先のことはすべて予測できない。
俺明日こんだけのことしたいって計画立てようが、
フラーっと歩いて、フラフラって転けて、
瞬間車バーンって打ったぐらいで、
死ぬ程度のもんなんですよ、人の一生なんて。
なのにそこに意味を見出しすぎるのが、
今最近よくないなと思って。
意味はあるよ。
だけどそれぞれ1人1人の命にも意味があるし、
あれもあるけど、
だけどそれに意味を見出しすぎてると思う。
だからコントロールできへんっていうのが大前提な上で、
そこを楽しめへんかったら、
そこに夢を持つのも、
そういうものの中でのことだろうし、
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やなーみたいなことすっきゃ思う。
明日に。ありがとうございます。
動物は外的進化を、
人間は一応手に入れた。
内的進化は終了したら、今度は外的進化。
ここではなく、社会を構築しながら、
こういう社会を作って進化していく生き物になった。
そう考えたら、分断しすぎるっていうのは、
今はこの近年、近代外交分断し、
無駄な個人主義みたいな。特に最近。
これはもう一回見直していかないと、
人間っていう社会の状況、社会的生き物が存続するには、
相当にハードル上げるよ。
みんな急に屋台言い出したっていうのは、
やっぱりコミュニティだ。社会的生き物。
いろんな人が来て、ここで喋るみたいなのが、
これが人間なの。
だから群れは作るけど、群れは別に命を持続するためじゃん。
社会を作るために群れにはなってないし、
道具を使う動物はいるけど、道具を作って、
その道具をまた使って、新しい道具を作って、
こういう社会みたいなシステムを作るみたいなのは、
人間だけなの。
だから人間が道具を作るのをやめた瞬間から、
要はもう享受されるっていうものになった瞬間から、
これもう人間の進化は止まってるわけよ。
だから自分で屋台作って、こうやって自分の店やって、
クリエイティブじゃない。
ここでまた社会が生まれるじゃない。
これが人間やと思う。
多分、シュリンクしていく日本は、
もう一回こういうことを、
紡ぎ直すっていうことを、
自ずとやり始めてるんやと思う。
こういうことを見ながら。
取り戻してるんですね。
こういうのを取り戻さないと、
多分きっと今シュリンクしていく日本が、
世界の中で社会を継続していくのは難しいんじゃないですか。
だからあえて今屋台の本が、
今屋台の本出してるけど、
その前から我々杉だらけクラブ、
日本全国杉だらけクラブで杉を使っていこうっていう人たちがいて、
そのコンテンツとしては屋台なのよ。
やっぱりコミュニティと屋台ってすごい密接で、
特にそれをやって、
文脈をアカデミックに生きもといてっていうのが本になってるけど、
そもそもこういうふうに一つの、
固定みたいな大きなお店みたいなのがなかった時代にも、
こうやってそば売ったり寿司売ったりみたいなことはし続けてきたわけ。
人の営みとして一番最小単位のお店。
こうやった瞬間から最小単位の飽きないが始まるわけ。
それを改めて紐解いたんやって、今回。