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なんとなく覚えてるのでは、まだ幼稚園にも通ってなかったと思うんですよ。
3歳ぐらいの頃に、お母さんの背中に背負われたまま、母が何か仕事に、僕を背負ったまま仕事に行ってたんですよ。
それで、どっか母が仕事をしてるのを背中越しに見てたっていう記憶がちょっと、皿洗いとかしてたような気がするんですよ。
なんか、どっか裏に入って仕事をしてたのかなという。
背負われてたってことと、ちょっと薄暗いところ、たぶん仕事の裏、バックルームとかそういったところで、
背負われたまま、何か食器を洗ってたんだろうなって感じの、背中越しでこう。
自分はですね、5歳ぐらいだと思うんですけど、自分は保育所だったんですけど、保育所に行って、父親が来るっていうことで、
保育所の縁側の板張りのところ、板間のところみたいなところに座って待ってたら、うちの父親が来て、
自分の子供を、自分と目は合ってるはずなんですけど、自分の子供と思わずに中に入っていって、
幼稚園の先生に、自分の子供どこにいるって聞いたと。
結構はっきりして覚えてらっしゃいますね。
それはちょっと印象が。
えーみたいな感じですか?
あれーっていう感じ。
ここにいる。
その映像だけ覚えてて、後で物心がしっかりついた時に、実は間違えたことがあるっていう。
それはちょっとショックだったから覚えてたとか、そういった。
多分そうだと思います。
ちょっと心に残るものが。
何人か子供並んでたんですけど、縁側でもうそろそろ来るだろうなっていうことで。
待ってたんですよ。
大阪でオチのある話は叩き込まれたんで。
じゃあ次の質問は、今日千住に降り立って、町の第一印象みたいなもので。
僕は住んでるのが足立の御堂のところで、北千住は結構訪れてるんです。
最初来た時、最初来た時はこの辺りを歩いた時は、東京に来たのかなって感じはしましたね。
自分東京にいるのかなって。あまり東京っぽくない感じがします。最初に。
東京っぽいってイメージはビルとかそういうあれなんですか?
そういうイメージ。
都会っていうイメージなんですか?
上京してきたんですけど、それで東京のイメージっていうのがこうだろうなって思ってきて、
いざ足立区に来てみると、あれ、自分本当に東京に住んでるのかなみたいな感じがします。
東京は相当ビル内の危ないイメージだったり。
そういうイメージで上京してきて。
自分第一印象は、大阪のですね、大阪ちょっと並んでたので、大阪の天賀茶屋っていうところがあるけど、
そこにすごく雰囲気っていうのが似ていて、あれ、ここ東京だよねって。
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下町っていうか、天賀茶屋っていうところは結構、なんですかね、人懐っこいんだけど、ちょっと危ない地域でもあったりするところなので、
その空気感はすごく似てるなというのがありました。
下町の共通したなんかある?
大阪はもっと面白いところはありますけど、そこまでは行かなかったです。
最近あった面白かったこと、面白い。
すぐに出てこない、何か出てきます。
自分は大阪にちょっと帰ってたんですよ。
大阪に知り合いの人たちが新年会するということで行ってきたんですけど、
こちらに来るときにバイクを持って帰ろうとしたんですよね。
で、大阪で雨が止んだから乗ったんですけど、今度は郊外側の山を越えるときに雪と雨にやられて、記憶が飛びました。
で、そのまま畑に突っ込みました。
事故ですね。
事故、一応止めてからバタン倒れた感じなんですけど、
で、もう体が停滞紋章みたいな感じになって、そこから慌てて大阪帰って、
バイクを置いて、そのまま寝込んで、何時間か寝込んでから今度は夜行バスのほうでこちらに戻ってきました。
ああ、人間無理しちゃダメだなと思いました。
命の危機があったわけですね、それは。
天気予報はもう晴れますよっていう形だったんですよ。
だから大丈夫だと思って行ったら雪と雨に。
バイクで東京まで来ようって、朝出て、夜着くぐらいになって。
そうです、そんな感じで。
から翌日着くぐらいで。
そうした朝出たら、山の峠を越えるときに雪と雨が。
まあ生きて帰れたから、今生きているから、まだ笑い話で住んでるんですけど。
去年から趣味で絵を描き始めて、絵って言ってもアニメとか漫画寄りの、
それが遊びというか、自分の自己表現のひとつとして、
ストレスの発散にもなっているしリフレッシュにもなっているなというのを、
何かこう、自己表現で何か作りたいなとか、
そういう創作の意欲が湧いてきて。
楽しいんですね。
自分は木材加工が得意な関係で、
その辺りに落ちている木とか、使われなくなった枯れた木とかを使って、
いろんなものを作ったりしているんです。
それで今度は、今作っているのはだいたい杖が作りやすいので、杖を作ったりとか。
この前は、女の子が護身用の体守れるやつが欲しいということだったので、
板でナイフの形をした、拳を守る部分もあるようなやつを作って渡したりとかした。
それで女の子と知り合いになったりとか、
いろんなところに行って、いろんな人とご飯を食べたりとかして、
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そういうのが楽しいなと思います。
どちらかというと趣味ですね。
仕事は介護福祉士を持っているので、
介護の仕事を先月20日までやって、今次の仕事に就いてください。
楽しい。遊びが仕事になったらいいですね。
そうですね。だからどうやって打っていこうか、今考えていると。
楽しいことで、お金もある程度入ってくるようになると。
いいですよね。理想ですよね。
なかなかうまくいかないですけどね。
外から東京にやってきて、そのなんかさ、やっぱり来てみてどうだったと。
先ほどの東京はこういうイメージだったけど、来てみたらこんなところもあるんだみたいな。
そういうギャップで面白そうな話。
東京にも限らず。
こういうところ、ここでは、この田舎ではこんなことなんだよみたいな。
でもこっちの人は全然こんなことは知らないよ。
電車でいうとやっぱり2,3分とか1,2分おきに電車が来るっていうのはすごいびっくり。
時刻表をこっちに来て見なくなりましたね。
僕は広島から来たんですけど、
広島だとちゃんとこの時間に電車が来るっていうのを調べた上で、
この駅に何時に着こうっていうのを考えていくんです。
でも東京だともうそんなの全然考えずに、
駅に行けばもう電車来てるだろうとかすぐ来る。
それはもう驚きますね。さすが東京だって感じな。
自分は実は去年1年間、5月に東京の震災が起きて、
その後に三重県に行って、
そこでアルバイトしながらいろんな人に話を聞く。
それで東京に辿り着いたんです。
東京のイメージとしては、みんなが言うにはすごく冷たいところっていうのがあったんですけど、
全然そういうのがなかった。
大阪にもうトータルで7,8年くらい住んでるんですけど、
大阪よりかは相性が合ってるなっていう。
どんな町が一番、自分が住んだり生活するとしたら、
どんな町であったらこういう部分がこういう町であってほしいなとか、
こういう町だったらもう理想的な町の姿。
僕は昭和が好きなんですよ。
昭和らしさが残ってる町に。
三丁目の家みたいな。
将来的にはそういったところに住みたいなっていうのはありますね。
だからこの辺りもすごく好きですね。
昔ながらというか昔のちょっと面影が残ってるような。
だから商店街がシャッター通りになるとか、
そういうのを聞くとすごいショックだなって。
残っててほしいなっていう思いが。
自分の場合は安全に生活できればいいかなっていう。
地震とかそういう災害があったときに、
ある程度みんなが安全が確保できてる町だったらっていうのがあれば。
女子の子もいろんなところ知ってるので、
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いろんな荒れてる部分とかがあったら。
まずは安全であって子みたいに子どもが遊んでたりは
受け入れできるっていうのがすごくいいところだなと。
子どもが遊んでるってことは治安もある程度いいっていうことなのか。
そうですね。
安心して遊べるっていうのは。
防災の観点でいくと昔の昭和の町は火事になったら燃えるし、
肉がないしみたいな感じで、昔ながらの弱点でもあります。
少し前の新宿でしたっけ、お店が一気に全部燃えちゃったっていうのも
あれも昔の作りだったから。
そうですね。木造ミッション。
本当に理想的な町なんて人によっても違うし、求めてるものが。
特に真っさらに例えばなったら町がバーッと高くなって、
じゃあ新しい理想的なものを作ろうみたいな感じになった。
やっぱり理想的なのはなんだとかってなりますよね。
だからそういう速攻打ちとかってどうなってるのかなと思って。
実は9月に気仙沼行ってきてるんですよ。
津波気仙沼市長がされたと。
あそこが自分がいたときに地盤ができ上がってたところなんで。
今から上のビルなんですけど。
住んでる住民からすると今の状況は津波があって何もなくなってどうしようか
っていう状況からするとすごくいいことだから
とりあえず建物が建ってまた人が戻ってくれればいいっていう感じにはなってるみたいな。
また人が集まってくれたらいいなっていうぐらいで今思ってるっていうかな。
熊本の方はまだそこまでなってない時期だったんであればいいですけど。
で、あと木造の方が実は壊れた後に利用価値がすごくあるので
焚物にしたりとか。
コンクリートだと崩れてしまったらもう入り場所が無くなったりとか。
木材の方だとは剥がして入れるんで。
してました、あの向こうの熊本の震災。