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こんにちは、たけのむです。今日は朝からバタバタしてまして、午前中は町女の予防接種に行ってまして、
予防接種が朝から並ぶというか予約制じゃなくて、朝の8時に診療所に並び始めて、8時半にオープンして、
そこで予約が取れて、9時から予約した順に注射を打ってもらうみたいな形で、ネット予約が完全にできればいいんですけど、そこの診療所はそういう形態をとってやってます。
なので朝8時から診療所に並んで、8時半に無事予約が取れて、9時からは妻とバトンタッチして注射を打つという感じでした。
妻とバトンタッチしてすぐに町男を保育園に送って、町男は発熱があって、今は家で療養という形をとってます。
今日はもう37度とかなんで、厳密に言えばもう発熱扱いではないんですけど、昨日か一昨日の晩とか38度ぐらいあったんで、大臣を見て家にいるという感じですね。
今日はリクエストがちょっとありまして、ちょっとタイトルにもつけましたけど、阪神淡路大震災の話を思い出話というか、振り返ってというところでいきたいと思います。
今日の朝はテレビとか、テレビあんまり見ないんですけど、テレビ見てなくてネットニュースなんかも見てなくて、正直阪神淡路大震災の日だったっていうことを言われるまで忘れてましたというところで、
私当時ですね、30年前は11歳なので小学校5年生ですかね。当時私実家が兵庫県なもんですから、もろですね、阪神淡路大震災の被害があったという感じですね。
ただ一番正直厳しかったのが多分神戸とかその辺なんですけど、私神戸とかではなくて兵庫県の山の方なんですけど、どれぐらい揺れたのかな、震度5か6かぐらいは揺れたと思うんですけど、
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あれは朝方ですよね。今時間を見てるんですけど、時間で言うと5時46分ですね。私、小学校5年生だったんですけども、当日は寝てまして、ぐらぐらぐらっと揺れて、揺れたから起きたのか、うちの父親が飛び込んできたから起きたのかはっきり覚えてないんですけど、
起きた瞬間、すごいぐらぐらしてるなっていうのはちょっと記憶になりますね。私は子供部屋で2段ベッドで寝てて、上が私で下が弟だったんですけど、勉強机、いわゆる学習机があったんですけど、学習机がぐしゃーんとひっくり返ってですね。
それ以外はあまり私の部屋は実害がなくて、父親と母親の寝室には当時何歳かな、3歳か4歳の一番下の弟がいたんですけど、タンスが倒れかけたので確か父親が支えたとかだったかな。
当時そんな大きな地震というのを経験しなかったんですけど、あの日タンスが狂気になるっていうことを思ったっていう記憶がありますね。
阪神大震災あった日は、近隣の家とかは潰れたりはしなかったんで、確か普通に小学校だったんですけど行きましたね。
朝学校行って先生からいろいろ被害状況というか確認とかあって、クラスの多分8割9割は普通に学校行ってましたね。その日授業あったかな、ちょっと覚えてないんですけど。
インパクトとしてはガスがしばらく止まったんですよ、確か。水道と電気は確か動いてたと思うんですけど、ガスが止まるとどうなるかというとお風呂が沸かせないというかお湯が出ないですよね。
一番しんどかった人たちは本当に電気、水道、そもそも家屋が倒壊してとか、あとインパクト、絵面的にあったのは高速道路かな、高架道路がガシャンと横倒れしてた印象強いですよね。
その時はそんなに意識してなかったんですけど、当然地震で亡くなったかと思いますし、やっぱりあれですよね、地震があって家屋が倒壊して、当時はそこまで発想が至らなかったんでしょうけど、確かガス缶とかも破れたり、破れたりというかガスが出たりしてる中、
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電気を変に復旧させてしまうことによって火事が起きてしまったんですよね。
また不幸の連鎖というか、当時村山政権だったと思うんですけど、これはっきりとした情報を確証を取ってるわけじゃないですけど、
当時の村山首相が自衛隊の出動が遅れてしまった。そこに医療ロギー的なものがあったんじゃないかという話もあると思うんですけど、
自衛隊がすぐに動けなくて、火事とかそういうところがなかなかすぐに手当てできなくて、正直火事でお亡くなりになった方っていうのは相当すいたはずですね。
自衛隊って単独ではもちろん動けないですよね。いくら目の前で困っている人たちがいるってなっても、官邸から出動要請とかそういうのがない限り、今ちょっと変わってるんですかね。ちょっと正直わかってないんですけど、
それでだいぶお亡くなりになった方っていうのもいましたね。
そうですね、私の周りでどうだったかっていうと、親族ではないんですけど、知り合いの、うちの母親の友人の、さらにその知り合いは確かおじいちゃんとかおばあちゃんとか家倒壊して亡くなってたとかっていうのを確か聞いた記憶がありますね。
その友人は神戸だったんですけど、やっぱり神戸は当時すごい状況で、自分の想像する範疇をさらに超える被害があったっていうのは聞いてましたね。
当時、小学校だったんで、そこからの復興とかっていうのをはっきり目の前で見てきたわけじゃないんですけど、やっぱり神戸ですね、一番被害が多かった。ルミナリエなんかはその後できましたけど、そこから復興っていうところにどんどんパワーをかけて、建物も当時だいぶというかほとんどなくなったって感じですかね。
そこから復興が進んでいって、もう30年ですよね。今では復興が終わったと言ってもいいんじゃないかっていうぐらい、町中も綺麗になって復興ができてるっていう感じなんですけれども、そこで比較されるのは今の野党ですよね。
野党は地震もあって水害もあって、正直まだまだもう瓦礫状態のところたくさんあるんですよね。
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私、今回タイトルにつけた捨てられる故郷っていうところで書いたんですけども、野党はなぜ復興が進まないかっていうところでいくと、単純にちょっと極端な言い方しますけど、復興させた後の未来が描かれてないからだと思うんですよね。
いわゆる奥のとって言うんですかね。本当にのとの奥の方っていうのは正直若い人もいないですし、そもそも人口がかなり少ないっていうのと、インフラを復活させるコストと見合わないっていう判断を正直されてるんだと思うんですよね。
今日はちょっと震災の話をしてますが、野党はなかなか復興が進まないっていうのは正直官邸としてもパワーをかけてまでの復興っていうのを正直そこまで考えてないというか、
ちょっと復興で正直水道管とか破裂してるところもあると思うんですけど、水道管もちゃんと引くだけでもすごいお金がかかるわけですよね。
やっぱりねそこに住む人たちっていうのはもちろんいらっしゃるんですけど、これはね誰かがその嫌われ役というか正直言わないといけないと思うんですけども、
そこを復興させるだけの財源とかっていうのが正直ないですと。ないことはないんですけど、優先順位っていう言い方をしちゃいますけど、そこにお金をかけることができないので、
引っ越してくださいっていう言い方が適切なのかどうなるかあれですけど、どんどんどんどん日本ってね、人口がねシュリンクしていく少子化っていう問題もありますし、
高齢化っていうところもありますし、
誰もなかなかそこまで突っ込んでものが言えないっていうところがあると思うんですけど、
今こういう状態にどっちつかずの状態になっていると思うんですけど、
なのでノトがね、見捨てられてしまうというか、
まぁ日本ってね、どんどん都市の財源を引っ越していって、
やっぱりリソース、人もお金も物もですよね、限られてますし、やっぱり誰かが言ってあげないとというか、判断して導いてあげないといけないと思うんですよね。
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それはね、やっぱり政治の役割だと思いますし、
首相が言うのか知事が言うのか、いろいろあると思うんですけど、奥野党じゃなくてね、もうちょっと手前のというか金沢とか、あっちの方に行くと全然インフラとかその辺は整ってるわけですよね。
なので、いわゆる壁地っていうところをどこまで救えるのか、バランスっていうところはすごい求められるのかなというところですね。
半信は時代震災で被害を、一番大きな被害になった神戸なんかはやっぱりパイプなわけですよね。人口も多くて物流的なところで考えてもハブというか、拠点になるような地域なので、復興がこれだけ進んだっていうところはあるんですけど、
奥野党っていうのはね、人口も少ないですし、やっぱり産業っていうところでもね、他の地域と比べるとかなり少ないというか、規模が小さいというところで、今の扱いになっているわけですよね。
やっぱりね、その年齢っておじいちゃんおばあちゃんになって住み慣れた故郷から離れて暮らしてくれっていうのはね、なかなか難しいと思うんですよね。
なので、今の最低限のって言ったらあれですけど、ライフラインだけ整えてあげて、引っ越しまで考えられない人はそこに住んでもらうっていうのが、
なので正直、元の状態に戻してあげられるかというと、なかなか難しい。自分がね、そこに住んでいる立場からすると、
やっぱり国から見捨てられているという感覚もあるでしょうし、
瓦礫の山っていうのはね、見た目的にもすごい大きな瓦礫の山なんですけど、
まあ津波の影響で宮城とかね、あっちのほう、かなり大きな瓦礫の山になってしまったんですけど、
そこに住んでもらうというのは、やっぱりね、そこに住んでいる立場から見捨てられるという感覚もあると思うんですよね。
寂しい風景だと思うんですよね。
津波の影響で宮城とかね、あっちのほう、かなり当時は瓦礫しかなかったという感じもあると思うんですけど、
当事者の気持ちとね、あとは国の立場というか、財政とか考えてそこまでできないというのもあるでしょうし、
ここはね、日本全体でバランス見て考えないといけない。
ただ唯一言えるのは、全部を救うっていうのは、理想的にも難しいっていうのはあると思います。
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なので、ちょっと阪神淡路大震災と比較してっていうところではないんですけど、
やっぱりね、誰かがそこをジャッジして、救えるところは救う。
ただ、どうしても撤退しないといけないところは撤退しないといけないっていうのをちゃんと伝えてあげるっていうところね。
それが政治の役割かなっていうのをちょっと思いますね。
ねるこさんいうようにね、東北の方たちはご先祖様の土地、そうですよね。
代々暮らしている土地っていうところで離れるってね、なかなか厳しいと思うんですよね。
特に田舎ってなると、やっぱり理由を持って住んでる方もいらっしゃると思うんですよね。
ご先祖様の土地を守りたいというのはもちろんあると思うんですけど、やっぱりね、それに見合うコスト、リソースっていうのはどうしてもかかってきてしまうので、
そこはね、日本人全員が考えないといけない問題。これからの情勢考えると、
少子化?そこにね、のとに住む若者が増えるっていう見込みはね、なかなか難しいと思うので。
ちょっとね、ここは政治のね、なかなかね、これみんな言いたくないんですよね、正直。
それを言って票が増えるわけでもなく、これをできるのはやっぱり使命感を持ってやれる人。
役割としてはね、どうしてもやっぱりそこはもう行政政治の役割だと思うんですけど、
なかなかこういうお題にしてはいいづらい問題でしょうね。
なのでね、ちょっと今の現状がどう改善していくのか、のとの話ですね。
なかなか阪神淡路大震災からの復興みたいな形で復興が進むっていうのは難しいんじゃないかなというのが、
私の見立てですね。
ちょっとね、のとは、また地震じゃないですけど、水害みたいなのも立て続けになったんで、
余計にダブルパンチっていうところもあったと思うんですけど、
私の住んでた地域については復興というか、阪神淡路大震災からはそこまで影響がなかったんですけども、
ちょっとね、日本全体災害何が起こってもおかしくないと思うので、
今日はね、私の考えたところで、震災について復興について話をしてみました。
おじいさん言うようにね、地方はどこも同じというところで、
地区はね、当時に危機があったのが今は無人ですというところで、そうですよね。
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どんどんシュリンクするところはね、いたしかたないかなっていうところはあります。
ちょっとまとまりになるんですけども、本日は私の考える復興を増やせられる故郷ですね。
阪神淡路大震災についても語ってみました。
お聞きいただいた方ありがとうございました。