人生の変化のきっかけ
おはようございます。詩吟ユーチューバーのheyheyです。本日3本目の内容になるんですが、ちょっとよく喋るなぁと思うんですが、これも今のうちに話しておいた方がいいのかなというところで、過去を振り返ってみて、いつ大きく人生に変化が訪れたかですね、というテーマで話していこうと思います。
最近はやっぱりちょっと停滞感を感じているんですよ。停滞感?いや別に成長していないわけではないんですけれども、やっている、継続している割には、収入が大きく増えていないとか、人生のステージがあんまり変わっていないような感じがしていてですね、その気持ちがちょっとモヤモヤと残っているんですよ。
僕は2020年の5月から副業活動を始めたんですね。コロナ禍のステイホーム習慣を使って、このタイミングで人生変えられないならもう変わんねえだろうっていうちょっと切迫感があって、チャレンジしたというところで、そこで池早さんとか周平さんを知ってですね、今に至っていくっていう流れになるんですけれども。
それから5年間活動してですね、当時だったら5年ぐらい経ってたら月20万30万ぐらいはもう稼げてるだろうみたいな、多分そんな雰囲気でやっていたんですよね。蓋を開けてみると今はまだその10分の1ぐらいしか稼げていないっていうのが実情なんですよね。
その間に子供が生まれたっていうところもあるので、いろいろ状況は変わっていってはいるんですけれども、一方で自分が今37歳で40歳が本当に現実的に見えてきていてですね、体の衰え、最近僕細、痩せ方なんですけど、いよいよちょっと太ってきてですね、いろんなところで焦りを感じております。
だからですね、やっぱりちゃんと人生変えていかなきゃなと。今の延長線上じゃあかんなというのは常々思っていて、それが僕のずっと動力源になっているんですが、変えていかなきゃいけない。この延長線上から何か方向を変わるような活動をしていかないといけないなと思っているんですよ。
じゃあですね、じゃあ今まで自分の37年間でどういうところでこのもともとあった延長線上のラインから人生が変わったかなっていうのを一回振り返ってみることに価値はあるかなと思うんですよね。
ということで、ちょっと自分を思い返しながら、完全に自分語りの話なんですけれども、お付き合いいただければと思います。
そうですね、何が変わったかなというところ。一つあるのは子供の頃に10歳の頃に、僕が母親から資金と空手をやりなさいと。
それは何かアメリカに3ヶ月、僕、行かざるを得ない時があってですね、母親に無理やり連れて行かれて行かざるを得ない時があって、その前に日本的なことをやっとけっていうのがあって、それで10歳のタイミングで資金と空手をやりました。
空手は継続できなかったんですけれども、武道に対する気の持ちよっていうのは学べたかな。それで資金やっているので、それは間違いなく今の自分らしい活動につながっているんで、そこも一つの大きな変化なのかなと思います。
習い事、小さい頃の習い事、そして人とは違った習い事ですね。かつアメリカに3ヶ月行ったっていうのも、ちょっと自分の中では多少の変化にはなったのかな。
学生時代の影響
海外に対する考え方がちょっとは広まった。でも今の人生に対してどれだけ大きく変わったかっていうと、今のところまだわかりやすい変化としては目に見えていないんで、なんだかんだで言うと習い始めたっていうのは一つの変化なのかなと思います。
それで小学校が10歳、小学3年生なんですよ、10歳。それから中学校の時に何か変わったかというと、別にあんまりなくてですね、あんまりないんですよね。
新聞配達始めたかな、それで自分で使えるお金が増えて、使えるお金が増えたものでそれで何をやったかというと、結局僕カードゲームにめちゃくちゃ費やしたんですよね。
中学生のくせにトータルで何か10万ぐらいカードゲームに費やしたような、まあ稼いだお金だからいいんですけれど、でもそれをもう少し何かいろいろやりたいよなーっていうところもまあまああります。
だからお金をやっぱりがっつり稼げたっていうのは、変化させる大きな兆しにはなるんですよね。収入を増やせるっていうのは、やっぱりそこにはどう使うかにはよるんですけれども、大きな選択肢を増やせるかなと感じているんですよね。
当時、月5,600円しかおかず買いもらえなかった自分が、月5,000円とか1万円、最終的に月1万5,000円ぐらいもらえるようになったんですよね。っていうのも本当に大きかったんですね。
そこから大きなポイントとしては、高校じゃなくて高専に入ったことですね。
通常であれば偏差値に沿ったところで、新学校のこのレベルならこの高校よね、みたいなのがあったんですけれども、自分の興味関心とたまたまの先生の提案があって、高専に行くことになったと。
高専に行ったことで、わけわからん友人とかができたりとかですね、本当に頭の賢さとか関係ないんだとかですね、この共同生活に対する資金の低さとか、だいたいそういったところでコミュニケーション能力が培われていって、そこら辺も自分の価値観には大きく影響を及ぼしてくれたように思います。
人前でガンガン喋っていったりとか、物落ちせず出て行ったりとか、高専でいっぱい資金やったりとかですね、独学で始めたピアノ披露したりとか、やりたい放題やった気がするんですけれども、そこら辺は全部高専の頃が自分の中に大きなアイデンティティ質として残っていると。
大学に行ったんですが、大学のところでもですね、これは今度は資金ではなくてゴスペルですね。ゴスペルをやったと。ただこれは他の習い事だったらもっと何か変わっていたかというと、そんな感じもしないんですよね。
ゴスペルに出会ったっていうのはやっぱり大きなところ。振り返ってみると自分の中で歌うっていうのがやっぱりすごく楽しくて、心が震えるほど楽しい。そしてそれは聞く側じゃなくてですね、歌う側、表現する側として心震える体験っていうのが自分の人生の中において大きな価値があるっていう風に優先順位がガガガッと上がっていったんですね。
だから僕が死ぬまでにやりたいこととしてですね、実際にプロのゴスペルクワイヤーに混ざりたいとか、プロのゴスペルを聞いてみたいとか、アメリカに行って聞いてみたいとかそういうのもあったりするんですけれども、資金で人の心を震わせてみたいとか、そういうのもゴスペルから来ている感じになるのかなと思っています。
転職と副業の意義
それが大学、そして社会人になっていって、そこから社会人になっていってからの変化が若干乏しいような感じがしています。
唯一言えるとしたらですね、転職を2回したっていうところですね、それなりの大手メーカーから超大企業の方に、一桁人口が違うような大きい企業に転職して、それが自分に合わないことを知ってですね、そこから千分の一ぐらいの小さな小さな今の会社に至ったっていう、転職活動自体はやはりそれなりに人生を変えてくれるのかなと思っています。
とはいえですね、会社員であるという人生ルートからは未だに全然抜け出せていないし、そう本当にそう思いながら結局24歳から37歳だから13年、13年気がついたらそう会社員としての形でいったというところですよね。
ただ、1社目から2社目に行くときにちょっと自立神経を壊して、給食を半年から1年ぐらい、半年か1年ぐらいかな、給食期間があったのは、これは本当に良かったなと思います。こういう時間が持てるんだとか、こういう人生ってあるんだみたいな、そういう気づきを得られたっていうのは大きいのかなというところですね。
そして副業を始めたっていうところがあるんですけれども、そうですね、やっぱりなんだかんだ小さい頃の経験というものは大きく変えてくれるし、大きくなってからの変化というものはなんだかんだもうルートがそれなりに太くてですね、そんなに大きく変わっていないようなマイナーチェンジばかりやっているような印象を受けます。
唯一転職活動、転職ですね、転職がそれなりに大きな変化ですけれども、やはり人生を変えてくれるほどの変化かと言われるとですね、なかなか違うなっていうところがあって、そこから抜け出すために今自分は副業活動をやっているというところになります。
さらに副業活動の中でセミナーに参加したり、他のコミュニティメンバーと会ったりとか活動したりとか、商品を作ったりとかいろいろあると思うんですけれども、そこら辺も小さな小さな変化を今積み重ねているんですね。
その小さな変化にちょっと僕が飽きてしまって、これからもっと何か大きな変革をここあと1、2年でちゃんと起こさないとっていう感じているところになります。
さて、長々と振り返ってみたわけなんですけれども、一体何がわかってきたんでしょうか。これから何が活かせるんでしょうかですよね。
大きな変化を残すためには、収入が増えたらそりゃいいなところはあります。
もっと心を震える体験をするっていうのもありなのかなと思いますし、普段とは全然違う生活サイクルを味わってみる。
休職期間とかですね、っていうところも価値はあるのかな。もっと引き出せそうな気がするんですけれども、このあたりは書き起こし音声をAIに分析させて何かいい提案を出してくれたらいいんじゃないかなとは思っております。
皆さんどうですかね。この人生が変わったと言えるタイミングって何があるんでしょうかね。そのあたりはもうちょっと今は真剣に感じているところであります。
では長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。バイバイ。