1. 詩吟日本一による「声を鍛えるラジオ」
  2. 【詩吟ch】「マイクがあれば声..
2022-08-23 13:41

【詩吟ch】「マイクがあれば声量は不要」が間違ってる3つの理由<城東の荘に宴す>

城東の荘に宴す / 崔敏童
一年始めて 一年の春有り
百歳曽て 百歳の人無し
能く花前に向いて 幾回か酔わん
十千 酒を沽って 貧を辞する莫かれ

#詩吟 #漢詩
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f18a737907968e29d7a6b68
00:02
詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、わかりやすくザックバランにお話ししていくチャンネルです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は昨日なんとか社長との出張を乗り越えて頑張ったなと思います。今日はですね、何をお話ししていこうかというところなんですが
マイクがあるから声量なんて小さくても大丈夫、そう勘違いしている人はいませんかと、そういうような内容でお話ししたいと思います。
詩吟をやっていても、カラオケでも別にそうですね、口に出している人はさすがにいないかもしれないんですけれど、僕は思っていたことがあります。
マイクがあるんだから、わざわざそんな声量を鍛えなくても別にいいんじゃないのという話ですね。特にこと詩吟においてはですね、声をもっと鍛えなさい、声をもっと出しなさいと言われることは初心者のうちはもうたくさんがあるかと思います。
そういうふうにこんなことを思ったんじゃないかなと思うので、今日はですね、それに対する、いやいややっぱり声量を鍛えないといけないんだよという3つの理由でお話ししていきたいと思います。
今回はですね、分かりやすく結論からお話ししていきましょう。まず一つ目ですね、一つ目
声量がアップするのはですね、マイクで声量が大きくなるのはあなただけじゃないよということ。そして2つ目、2つ目はどうしようかな
声の貫通力、貫通力というのはマイクがある方がさらに素晴らしくなるということ。そして3つ目は、3つ目は声量があるのにあえて抑えている人というのはより素晴らしいという話ですね。
なんか今日全然うまく端的な言葉にまとめられていないんですけれども、順にお話ししていきます。まず一つ目ですね、まあこれはさらっと言いますけれども
マイクがあるから自分は声量を鍛えなくていい。 つまり、まあそういうことなんですけれども、他の人もですね別にマイクを使えば同じように声が大きくなるんですよ。
大きな声が出る人はさらに大きな声が出るので、マイクがあるからサボっていいという理由には決してならないんですね。
何の差別化にもならないということです。 まあそれはそんな難しい話じゃないんでいいと思うんですけれども、2つ目ですね、2つ目
声の貫通力ですね。声を遠くに飛ばす力。 これはですねマイクを通した方がよりそれが拡張されていくんですよ。
03:03
何と言いますか、もう引っ込んだ声というのか、 5センチ10センチぐらいしか届かないような、よく聞き換えされるような声。
それはいくらマイクを通したところで聞きづらさ、聞こえづらさっていうのは大して変わらないんですよ。
一方でですね、声を遠くに飛ばす力のある人はですね、それがもともと10メートル先に飛ばす力がある人はマイクを使えば100メートル先に飛ばすことだってできるんですよ。
勢いが違うんですね。 時速何キロかわからないですけど、高校球児とかプロ野球とか150キロで球投げますけど、そういうような
高速球を投げられる人はもうものすごい速度で遠くまで投げることができるんですね。 まあマイクという加速装置を使えばさらにさらに遠くに飛ばせるんです。
一方で、時速30キロか知らないですけど、もうフニャフニャの球を投げる人はいくら加速装置でやったところでですね、全然大した距離までボールは届かないんですよ。
それと同じことで本当にこの声を遠くに飛ばす力、貫通力っていうのはマイクを通すとさらにこの力の差が広がってしまうんですね。
だから本当に声量を鍛えた方がいい、声として遠くに飛ばす力を鍛えた方がいいということになります。
マイクがあるから鍛えなくていいなんて理由にはもう決してならないんですね。 そして3つ目です。
3つ目はですね、声量が大きな人が抑えた場合と、もともと声量小さな人が必死にその声量を出した場合はですね、もう声のゆとりが段違いなんですよ。
私余裕ですけれど何かみたいな、そういうような人の、別に余裕ぶっている方がいいというわけじゃないんですけれども、この余裕はですね、表現力の方に意識が裂かれるんですね。
つまり声量プラス表現力、この両方を兼ね備えることができるんですけれど、声を出すことに必死な人はですね、この表現力の方に全然もう意識を裂くことができないんですよ。
これは自分ができるできないという話もありますし、聞いている人にとってもそういうふうに感じるんですよ。
声がこの人もっともっと出そうなのに、あえて抑えているなっていうのは聞いている人からしてもやっぱりわかるんですね。
あえて抑えてそういうような表現をしているというふうに捉えられるのか、一方でこの人を必死に吟じてるなというふうに思われるのかですね。
聞いている側としては全然違うんですよ。
のびのびと朗々とふくよかに、こんな感じに吟じている吟と、必死にでも声は出ていなくてっていうような吟じはですね、やっぱ段違いなんですよね。
そんな感じで、今日はちょっと短めの内容にはなりますけれども、マイクがあるからといって声量を鍛えなくていいよと、そういうのは全部勘違いです。
06:08
なぜなら3つの理由がありまして、1つ目は他の人のマイクを使えば同じように声が大きくなりますよということ。
2つ目はですね、声の貫通力、遠くに飛ばす力はマイクを使えばさらにこの力の差が歴然となってくると。
そして3つ目はですね、声量がある人が抑えた声っていうのは、最初からその声量を抑えたレベルの声量の人と表現力が段違いだという話です。
なのでやはりですね、声量はなかなか自力になってくるので大変かと思うんですけれども、たくさん息を吸って遠くまで声を飛ばすということ、これを普段から鍛えるようにしてみてはいかがでしょうかというお話です。
今日はなんか気温は高くないんですけれど、やっぱり車の中でやるとだんだんと蒸してくるんで、危ないですね。
よし、今日は後半はですね、一応このシギンチャンネルで初めてやりますかね。
蔡斌道、中国の詩人による上等の僧に縁すという漢詩になります。
これ、いやなかなかいい内容だなと思って、僕の今の心にすごく響くので、これを吟じていきます。
先に詩文から言いますね。
これどういう意味かというとですね、
一年終わればまた次の年が、次の春がやってくると。
人は100歳の寿命があると言うけれどもですね、実際に100歳の人はいないのである。
これどういうことかという話ですね。
花をめでようと、酒に酔って楽しもうということもですね、一生に一体何回あるだろうかということです。
それならば高い酒に何万もお金を費やそうとも、これでお金がなくなってしまって怖いなんて、そんな気持ちを捨ててですね、今を一番楽しめることにもっと価値を置いた方が良いと。
そういうような話ですね。
ついつい人は過去のこととか未来のことばっかり見てしまうんですよ。
僕の場合は未来のことばっかり見ますね。
もう10年先20年先、年を取った時により安心して暮らせるように、今のうちにいろんなことを全力でやらないといけないということ。
まあその姿勢自体はそんな悪くないんじゃないかなと思うんですけれども、最悪なのは今頑張ってるからその今楽しむべきこととか、今の奥さんとの生活とかをないがしろにしてですね、さらに奥さんに辛く当たるとか、そんなことはもう最悪なんですよ。
09:07
今を大切にもせずに将来を大切にするために頑張るっていうのはやはりあのなんか間違ってるんですね。
人生というのは過去でもなく未来でもなく今しか楽しむことができないので、この今を本当に大切にしようということ。
それを大切にしなければですね、100歳の人が別に100歳100回素晴らしい1年を100回過ごしたかというとそうじゃないんだよという話かなと思いました。
なのでこちら厳じていきたいと思います。
ちょっと初めてやるんでアクセント怪しいところもあるかもしれませんがご了承ください。
上等の僧に縁す
才、貧道
一年はじめて
一年もあり
100歳
かつて
100歳の
人なし
よく
風において
幾回か
弱ん
実践
酒を買って
貧道
実践
なかれ
まあこれ気持ちの表現の仕方は結構難しいですね。どんな気持ちで吟じたらいいのか。
よく風において幾回か弱ん。このあたりをですねもう楽しく味わいながら人生楽しんでるんだぞみたいなそんな感じで吟じた方がいいんじゃないかな。
12:04
100歳かつて100歳の人なし。
ここはもうあの淡々と力強く多分主張したいところはやっぱここなんだなと思います。
実践酒を買って貧を実するなかれ結局のところはもうここはもう締めですね締めくくりピッとしっかりと言い切ると教訓みたいな感じですからね。
そんな感じで言うんかなと思います。
なかなか難しいですけれどもただあの詩の内容としてはだいぶダントツに好きですね。
本当に100歳かつて100歳の人なしそうなんですよね1年は本当春を迎えれば次の年は来るでも来るけれども本当にその分だけですね1年分ちゃんと人生を味わっているのかということですね。
本当に悩まされるところでありますけれども皆さんもいかがでしょうか。
僕は今34歳かなちゃんと34歳の人生を歩めているだろうか。
それを考えながら行きたいなと思います。
では今日はこんなところですね。
いつもあのyoutubeであったりスタンドヘルメであったりコメントくださる方本当にありがとうございます。
本当に嬉しいんですよ。
嬉しくて嬉しくていつも保存してますけれど。
では引き続きコメントなりメッセージなりこんなこと聞いていいのかなとかそんなこと一切ないんで気楽にください。
それでは詩吟のミルクを発信する詩吟チャンネル今日は以上ですどうもありがとうございましたバイバイ
13:41

コメント

スクロール