第百四十九話『人生を笑う』-【鎌倉篇】作家 直木三十五-
2018-07-07 13:13

第百四十九話『人生を笑う』-【鎌倉篇】作家 直木三十五-

第159回 芥川賞と直木賞の選考会が、7月18日に行われる予定です。
芥川賞の名前の由来は、芥川龍之介。
そして直木賞は、直木三十五(なおき・さんじゅうご)という作家の名前によるものです。
直木の没後、昭和10年に、友人だった菊池寛が彼の名前を文学賞につけたのです。
直木は晩年、作家仲間でいち早く鎌倉に住んでいた里見弴(さとみ・とん)に誘われて、稲村ヶ崎に住みました。
映画製作にのめり込み、里見とともに大船の撮影所にも通っていましたが、やがてつくった映画が赤字に終わり、映画製作から手を引くことになります。
砂浜に腰を下ろし、水平線を眺めながら、大衆小説家として生きていく決心をしたのでしょうか。
彼は突然、旺盛な創作欲で小説を書き、たとえば『黄門廻国記(こうもんかいこくき)』は、映画『水戸黄門』の原作となり、大ヒットを飛ばすことになるのです。
直木三十五というのは、ペンネーム。
本名の植村の植えるという字を分解して、苗字を直木、として、文章の連載が始まったころ、31歳だったので、まずは、直木三十一。
そこからスタートして、歳をとるごとに、直木三十二、直木三十三と変えていきました。
次は三十四。でも三十四は、惨く死す、ザンシということで縁起が悪いと思い、しばらく直木三十三のまま、小説を書いていました。
しかし、一向に貧乏から抜け出すことができません。
姓名判断でも、最悪ですと言われる始末。
思い切って、四を抜いて、直木三十五でやっていこうと決めた、そんな名前なのです。
直木の43年間の人生は、失敗や挫折の連続でした。
早稲田に入るが、学費が払えず除籍。出版社を興せば、つぶれる。映画製作はうまくいかない。
いつも貧乏神が傍らにいるような人生でした。
おまけに稼げば使う浪費癖。
でも彼はいつも周囲を笑いで包み込んでいました。底抜けに明るい彼の心の秘密はどこにあったのでしょうか?
作家・直木三十五がその短い生涯でつかんだ、明日へのyes!とは?

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