今年5月に亡くなった、東京生まれの偉大な作曲家がいます。
小林亜星(こばやし・あせい)。
生涯に作った曲は、8000曲を越えると言われています。
『ワンサカ娘』や『この木なんの木』などのCM曲、都はるみの大ヒット曲『北の宿から』などの歌謡曲、『科学忍者隊ガッチャマン』『ひみつのアッコちゃん』などのアニメソング。
さらにはレコード売り上げが200万枚を超す大ヒットとなった『ピンポンパン体操』など、その作品のジャンルは多岐にわたり、枚挙にいとまがありません。
作曲家・作詞家以外にも、『寺内貫太郎一家』で俳優デビュー。
マルチタレントとして、多くのひとに愛されました。
亜星は、父の希望を受け、慶応大学医学部に入りますが、そもそも医者になる気はなく、大好きな音楽を続けるため、親に内緒で経済学部に転部。
以来、自身が「あまのじゃく」だと認めるように、反発、反骨精神のもと、自分がほんとうに「溺れられる」世界で生きようとしました。
作曲の師である服部正(はっとり・ただし)から、「芸術家なんて、誰かに言われるもので、ゆめゆめ自分から名乗ってはいけない。まずは最高の職人になれ!」と教えられ、身なりもキチンとして、時間に遅れたり、破天荒な態度をとることはありませんでした。
誰に対しても公平に接し、ひととのつながりを大切にしました。
ただ、好きな音楽には、とことんのめりこむ。
常に海外の音楽を聴き込み、映画をたくさん見て、さまざまな分野のひとに積極的に会う労力を惜しみませんでした。
作曲では、自分なりの方程式を構築。
「せ~の、ハイ!」で始まる曲は、ヒットしない。
息継ぎ直前の音程に、「ド」「レ」「ソ」は使わない。
いちばん高い音程を出すのは、1か所だけ。
そんな方程式の根底にあるのは、彼が目指した、誰もが口ずさめるシンプルで優しいメロディでした。
水中で必死に足を動かし、水上では優雅に泳ぐ白鳥のように、88年の人生を生き抜いたレジェンド・小林亜星が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
小林亜星(こばやし・あせい)。
生涯に作った曲は、8000曲を越えると言われています。
『ワンサカ娘』や『この木なんの木』などのCM曲、都はるみの大ヒット曲『北の宿から』などの歌謡曲、『科学忍者隊ガッチャマン』『ひみつのアッコちゃん』などのアニメソング。
さらにはレコード売り上げが200万枚を超す大ヒットとなった『ピンポンパン体操』など、その作品のジャンルは多岐にわたり、枚挙にいとまがありません。
作曲家・作詞家以外にも、『寺内貫太郎一家』で俳優デビュー。
マルチタレントとして、多くのひとに愛されました。
亜星は、父の希望を受け、慶応大学医学部に入りますが、そもそも医者になる気はなく、大好きな音楽を続けるため、親に内緒で経済学部に転部。
以来、自身が「あまのじゃく」だと認めるように、反発、反骨精神のもと、自分がほんとうに「溺れられる」世界で生きようとしました。
作曲の師である服部正(はっとり・ただし)から、「芸術家なんて、誰かに言われるもので、ゆめゆめ自分から名乗ってはいけない。まずは最高の職人になれ!」と教えられ、身なりもキチンとして、時間に遅れたり、破天荒な態度をとることはありませんでした。
誰に対しても公平に接し、ひととのつながりを大切にしました。
ただ、好きな音楽には、とことんのめりこむ。
常に海外の音楽を聴き込み、映画をたくさん見て、さまざまな分野のひとに積極的に会う労力を惜しみませんでした。
作曲では、自分なりの方程式を構築。
「せ~の、ハイ!」で始まる曲は、ヒットしない。
息継ぎ直前の音程に、「ド」「レ」「ソ」は使わない。
いちばん高い音程を出すのは、1か所だけ。
そんな方程式の根底にあるのは、彼が目指した、誰もが口ずさめるシンプルで優しいメロディでした。
水中で必死に足を動かし、水上では優雅に泳ぐ白鳥のように、88年の人生を生き抜いたレジェンド・小林亜星が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
12:50
コメント
スクロール