昨年の4月6日、放送ジャーナリストの草分けとして活躍し、ラジオ番組のパーソナリティを45年に渡って続けた評論家が亡くなりました。
彼女の名は、秋山ちえ子。
大正6年に仙台に生まれた彼女は、99歳で亡くなる最期までラジオを愛し、ラジオでつながったひとたちを大切にしました。
スタジオには、愛用のストップウォッチを必ず持参。
時間どおりにキチンと終わるように気を使いつつ、もちろん、ひとことひとことに、思いを、魂を込めました。
番組の最後には、必ずこの言葉。
「それではみなさん、ごきげんよう」。
秋山は、ラジオの放送をこう表現しました。
「私は、毎日毎日、一粒の種をまくつもりでやっています。毎日まくことが、何より大事。毎日まけば、一粒が、やがて二粒になり、三粒になり、やがて芽を出して、美しい花が咲くでしょう」。
その言葉どおり、彼女が毎年夏に放送し続けた朗読『かわいそうなぞう』は、多くのひとの心を打ちました。
彼女のまいた種は、海外まで届いたのです。
シンディ・ローパーが、秋山の思いに共感して、英語版を朗読してCDにしたのです。
シンディ・ローパーは、こうメッセージをしるしました。
「『かわいそうなぞう』を読んだとき、私は、戦争にはたくさんの哀しみがあるのだということを、とてもとても感じました。戦争は、ほんとうに多くの哀しみに満ちているのです。この本が、世代を超え、若い人にも読み継がれることで、平和のありがたさを忘れないことを願っています」。
秋山ちえ子の願いは、毎年、そして毎日続けることで、たくさんの花を咲かせていったのです。
そんな彼女が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
彼女の名は、秋山ちえ子。
大正6年に仙台に生まれた彼女は、99歳で亡くなる最期までラジオを愛し、ラジオでつながったひとたちを大切にしました。
スタジオには、愛用のストップウォッチを必ず持参。
時間どおりにキチンと終わるように気を使いつつ、もちろん、ひとことひとことに、思いを、魂を込めました。
番組の最後には、必ずこの言葉。
「それではみなさん、ごきげんよう」。
秋山は、ラジオの放送をこう表現しました。
「私は、毎日毎日、一粒の種をまくつもりでやっています。毎日まくことが、何より大事。毎日まけば、一粒が、やがて二粒になり、三粒になり、やがて芽を出して、美しい花が咲くでしょう」。
その言葉どおり、彼女が毎年夏に放送し続けた朗読『かわいそうなぞう』は、多くのひとの心を打ちました。
彼女のまいた種は、海外まで届いたのです。
シンディ・ローパーが、秋山の思いに共感して、英語版を朗読してCDにしたのです。
シンディ・ローパーは、こうメッセージをしるしました。
「『かわいそうなぞう』を読んだとき、私は、戦争にはたくさんの哀しみがあるのだということを、とてもとても感じました。戦争は、ほんとうに多くの哀しみに満ちているのです。この本が、世代を超え、若い人にも読み継がれることで、平和のありがたさを忘れないことを願っています」。
秋山ちえ子の願いは、毎年、そして毎日続けることで、たくさんの花を咲かせていったのです。
そんな彼女が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
12:27
コメント
スクロール