今年は、日本映画を牽引した名匠・小津安二郎監督の、生誕115年、没後55年にあたります。
日本人のささやかで優しい心を丁寧に描いた映画は、いつの時代にも古びてしまうことがなく、むしろ日本人の原点を気づかせてくれます。
小津は、映画監督になる前、1年だけ代用教員をしていました。
場所は、三重県松阪市。父は、伊勢商人「小津三家」のひとつの6代目でした。
映画監督になりたいという息子の目を覚まさせようと、実家に住まわせ、実業に興味を向かわせようとしたのです。
松阪の飯高町の宮前尋常高等小学校。
子どもたちは、「オーヅ先生!」と慕いました。
小津は、よく生徒たちを連れて、野山を歩き、好きな映画の話を聞かせたといいます。
たった1年でしたが、子どもたちの心に、その姿や教えは鮮明に残りました。
教え子やその家族が発足した「飯高オーヅ会」は、毎年、小津安二郎を偲ぶ催しを続け、昨年23回を数えました。
先生をしながら、やはり思いは映画監督に向かっていきました。
父の思惑とは反対に、伊勢で観た風景、ひとびとの暮らしぶり、子どもたちの笑顔は、小津に創作の原点を教えてくれたのです。
「そうだ、オレは日常が撮りたいんだ。ひとが生まれて死んでいくまでに厖大に繰り返す日常の中にひそむ、ドラマを切り取りたいんだ」
のちに小津は言いました。
「きりっとした簡潔な絵をつくって、洗いあげた完成美を作り出したい、それだけなのにさ、どうかすると、たまには違ったものを作ったらどうだいと言う輩がいるんだ。そんなときは、こう言ってやるのさ。オレは、豆腐屋さ、カレーだの、とんかつだのは作れない。いいかい、豆腐屋は、豆腐しか作れないんだよ」
日本人の原点を照らし出す映画監督、小津安二郎が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
日本人のささやかで優しい心を丁寧に描いた映画は、いつの時代にも古びてしまうことがなく、むしろ日本人の原点を気づかせてくれます。
小津は、映画監督になる前、1年だけ代用教員をしていました。
場所は、三重県松阪市。父は、伊勢商人「小津三家」のひとつの6代目でした。
映画監督になりたいという息子の目を覚まさせようと、実家に住まわせ、実業に興味を向かわせようとしたのです。
松阪の飯高町の宮前尋常高等小学校。
子どもたちは、「オーヅ先生!」と慕いました。
小津は、よく生徒たちを連れて、野山を歩き、好きな映画の話を聞かせたといいます。
たった1年でしたが、子どもたちの心に、その姿や教えは鮮明に残りました。
教え子やその家族が発足した「飯高オーヅ会」は、毎年、小津安二郎を偲ぶ催しを続け、昨年23回を数えました。
先生をしながら、やはり思いは映画監督に向かっていきました。
父の思惑とは反対に、伊勢で観た風景、ひとびとの暮らしぶり、子どもたちの笑顔は、小津に創作の原点を教えてくれたのです。
「そうだ、オレは日常が撮りたいんだ。ひとが生まれて死んでいくまでに厖大に繰り返す日常の中にひそむ、ドラマを切り取りたいんだ」
のちに小津は言いました。
「きりっとした簡潔な絵をつくって、洗いあげた完成美を作り出したい、それだけなのにさ、どうかすると、たまには違ったものを作ったらどうだいと言う輩がいるんだ。そんなときは、こう言ってやるのさ。オレは、豆腐屋さ、カレーだの、とんかつだのは作れない。いいかい、豆腐屋は、豆腐しか作れないんだよ」
日本人の原点を照らし出す映画監督、小津安二郎が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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