第三百九十四話『「どのように」ではなく「なぜ」を大切にする』-【福島篇】東京帝国大学総長 山川健次郎-
2023-03-18 11:59

第三百九十四話『「どのように」ではなく「なぜ」を大切にする』-【福島篇】東京帝国大学総長 山川健次郎-

会津藩の白虎隊士から、のちに帝国大学の総長になった偉人がいます。
山川健次郎(やまかわ・けんじろう)。
今年は、戊辰戦争の最後とも言われる会津戦争の終結から115年にあたります。
戊辰戦争とは、薩摩・長州・土佐を中心とした新政府軍と、徳川率いる旧幕府軍との戦いの総称です。
日本が文明開化の明治政府へと向かう、節目の戦い。
その壮烈な最期の場所が、会津だったのです。
会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊、白虎隊は、当初、城下を警備するだけの役目でしたが、板垣退助が会津に攻め入るや、戦いの前線に駆り出されました。
1868年8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名は、戦闘の末、たどり着いた飯盛山で、鶴ヶ城付近から上がる煙を見て、城が陥落したと思い込み、鶴ヶ城の方角を向き、自らの命を絶ったのです。
その悲劇は、のちに伝えられ、飯盛山には、亡くなった19名の墓や、白虎隊の記念館があります。
山川健次郎は、そのとき15歳。
白虎隊入隊が決まりますが、15歳組は、重い鉄砲を担ぐことができず、全員除隊。
白虎隊は、16歳以上に設定されたのです。
しかし、厳しい戦局で少年兵も動員することになり、健次郎も刀を持ち参戦しましたが、籠城虚しく、降伏。
そこから健次郎の苦難の道が始まるのです。
屈辱と悔しさの中、会津人としての誇りを失わず、新しい日本のために教育の大切さを説いた健次郎は、アメリカ留学を経て、物理学の教授となり、さらに九州帝国大学、京都帝国大学、そして、東京帝国大学の総長に就任。
後進の育成に生涯を捧げました。
健次郎が、学生たちに向けて説いた、こんな言葉があります。
「日本の学生は、ハウ、どのようにということには深く注意するが、ホワイ、なぜなのかという言葉を発さない」
激動の幕末から日本の夜明けを駆け抜けた賢人・山川健次郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

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