奈良県に移り住み、『新しき村』という理想郷を広めようとした文豪がいます。
武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ)。
白樺派の同志、志賀直哉から奈良に住まないかと誘われた彼は、40歳のとき、東大寺大仏殿の西の一角、白壁のたたずまいが美しい水門町にやってきます。
志賀はこんな手紙を書きました。
「大体こんな家だ、手入れはきれいにしてある、とに角ここにきめては如何か」。
奈良に住んだ武者小路は、さっそく『新しき村』の友人に、『奈良通信』と題して、文章をしたためました。
「一言でいうと奈良は気に入っている。
実際散歩の好きな自分には奈良はいい処だ。
川も海もないが、なんとなく落ち着いている。
奈良でいいのは、なんといっても古美術であろう。
くわしいことはわからないが、東洋的な内面的な沈黙的な深さでは、之以上ゆくのはむづかしいと思う」。
自然と社会の共存。
みんながお互いを尊敬し、尊重するユートピア『新しき村』の実現に奔走していた彼にとって奈良は、豊かな自然と芸術性に優れた、理想の地だったのでしょう。
彼は『新しき村』奈良支部を創設。
若き文学青年を集め、激論をかわしたり、画家や詩人を自宅に招き、発表の場を作ったり、地域に文化を根付かせるための活動に、寸暇を惜しみませんでした。
ゲーテ祭、トルストイのお祭り、講演会や展覧会や朗読会を積極的に開催。
1年ほどの奈良での生活で、若者たちに多大な影響を与えたのです。
武者小路が掲げた思想は、「自他共生」。
自分があり、他人があって、共に成長し生きることで社会は発展していく、という考えです。
彼は常々、言っていました。
「人間は自分のために生きていると考えるのはつまらない」。
『友情』『真理先生』『お目出たき人』で知られる作家・武者小路実篤が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ)。
白樺派の同志、志賀直哉から奈良に住まないかと誘われた彼は、40歳のとき、東大寺大仏殿の西の一角、白壁のたたずまいが美しい水門町にやってきます。
志賀はこんな手紙を書きました。
「大体こんな家だ、手入れはきれいにしてある、とに角ここにきめては如何か」。
奈良に住んだ武者小路は、さっそく『新しき村』の友人に、『奈良通信』と題して、文章をしたためました。
「一言でいうと奈良は気に入っている。
実際散歩の好きな自分には奈良はいい処だ。
川も海もないが、なんとなく落ち着いている。
奈良でいいのは、なんといっても古美術であろう。
くわしいことはわからないが、東洋的な内面的な沈黙的な深さでは、之以上ゆくのはむづかしいと思う」。
自然と社会の共存。
みんながお互いを尊敬し、尊重するユートピア『新しき村』の実現に奔走していた彼にとって奈良は、豊かな自然と芸術性に優れた、理想の地だったのでしょう。
彼は『新しき村』奈良支部を創設。
若き文学青年を集め、激論をかわしたり、画家や詩人を自宅に招き、発表の場を作ったり、地域に文化を根付かせるための活動に、寸暇を惜しみませんでした。
ゲーテ祭、トルストイのお祭り、講演会や展覧会や朗読会を積極的に開催。
1年ほどの奈良での生活で、若者たちに多大な影響を与えたのです。
武者小路が掲げた思想は、「自他共生」。
自分があり、他人があって、共に成長し生きることで社会は発展していく、という考えです。
彼は常々、言っていました。
「人間は自分のために生きていると考えるのはつまらない」。
『友情』『真理先生』『お目出たき人』で知られる作家・武者小路実篤が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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