山口県出身の、昭和を代表する洋画家がいます。
香月泰男(かづき・やすお)。
生誕110年を迎える今年、記念展が全国を巡回しています。
宮城、新潟、神奈川、東京、そして現在は栃木県・足利市立美術館。
戦後の日本美術界に多大な影響を与えた作家の足跡を、年代順に辿ることができます。
香月の代表作といえば、自身の戦争や抑留体験を描いた、「シベリア・シリーズ」。
全57点のキャンバスに彼が刻んだのは、戦争の残忍さや、日常が破壊され、生死の境を生き惑う人間の哀しさ、怒り、死者への鎮魂、そして平和への祈りです。
黒い画面に、まるで骸骨のように白く浮かび上がる人々の顔、顔、顔。
およそ2年の厳しいシベリア抑留から引き揚げてきた香月は、しばらく、日常の絵しか画けませんでした。
親子の情愛、台所の風景、ふるさとの植物たち。
シベリアでの体験は、決して家族に語ることはなかったそうです。
ただ、あるとき、息子が学校の工作でグライダーを作ろうとしたとき、静かにこう言って止めました。
「おまえたちがそんなものを作るから、また戦争になる」。
香月は、その生涯のほとんどを、ふるさと、三隅町、現在の山口県長門市で過ごしました。
「ここが、私の地球だ」と語り、三隅の自然や人々を愛したのです。
三隅にある「香月泰男美術館」には、彼が戦時中も決して手放さなかった絵具箱が展示されています。
彼はどんな時も、絵具箱を抱え、いつでも絵が画けるように、対象を見つめ続けました。
その眼差しは、常に優しく、一方で、常に冷静。
人物や植物の奥底にある「心」を映し出そうとしたのです。
彼の妻が書いた珠玉のエッセイ『夫の右手 ~画家・香月泰男に寄り添って』には、長年連れ添った妻だからこそ知りえる、香月の素顔が綴られています。
香月は、よくこう言っていたそうです。
「わしは いらん者じゃった」
自分はこの世にいらないもの、そんな孤独と絶望が、彼の視線を研ぎ澄まし、日常の中のささやかな愛を見つけ出していったのです。
62年の生涯を全て絵に捧げたレジェンド・香月泰男が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
香月泰男(かづき・やすお)。
生誕110年を迎える今年、記念展が全国を巡回しています。
宮城、新潟、神奈川、東京、そして現在は栃木県・足利市立美術館。
戦後の日本美術界に多大な影響を与えた作家の足跡を、年代順に辿ることができます。
香月の代表作といえば、自身の戦争や抑留体験を描いた、「シベリア・シリーズ」。
全57点のキャンバスに彼が刻んだのは、戦争の残忍さや、日常が破壊され、生死の境を生き惑う人間の哀しさ、怒り、死者への鎮魂、そして平和への祈りです。
黒い画面に、まるで骸骨のように白く浮かび上がる人々の顔、顔、顔。
およそ2年の厳しいシベリア抑留から引き揚げてきた香月は、しばらく、日常の絵しか画けませんでした。
親子の情愛、台所の風景、ふるさとの植物たち。
シベリアでの体験は、決して家族に語ることはなかったそうです。
ただ、あるとき、息子が学校の工作でグライダーを作ろうとしたとき、静かにこう言って止めました。
「おまえたちがそんなものを作るから、また戦争になる」。
香月は、その生涯のほとんどを、ふるさと、三隅町、現在の山口県長門市で過ごしました。
「ここが、私の地球だ」と語り、三隅の自然や人々を愛したのです。
三隅にある「香月泰男美術館」には、彼が戦時中も決して手放さなかった絵具箱が展示されています。
彼はどんな時も、絵具箱を抱え、いつでも絵が画けるように、対象を見つめ続けました。
その眼差しは、常に優しく、一方で、常に冷静。
人物や植物の奥底にある「心」を映し出そうとしたのです。
彼の妻が書いた珠玉のエッセイ『夫の右手 ~画家・香月泰男に寄り添って』には、長年連れ添った妻だからこそ知りえる、香月の素顔が綴られています。
香月は、よくこう言っていたそうです。
「わしは いらん者じゃった」
自分はこの世にいらないもの、そんな孤独と絶望が、彼の視線を研ぎ澄まし、日常の中のささやかな愛を見つけ出していったのです。
62年の生涯を全て絵に捧げたレジェンド・香月泰男が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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