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2024-12-10 22:01

#43 ニューロダイバーシティを文系・理系、アメリカ・日本の視点から考える| Mimi Ito × 石戸奈々子 × 伊藤穰一

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今週も先週に引き続き、Joiさんの妹で文化人類学者のMimi Itoさん、そして慶應大学大学院 メディアデザイン研究科教授の石戸奈々子さんのお二人をお迎えしています。テクノロジーをフィールドにメディア、文化人類学、宇宙など異なる分野からアプローチする3人。現在は、ニューロダイバーシティについて取り組んでいるようです。それぞれの視点から見た脳と神経の多様性、少しづつ異なるようなんですが、この違いから融合へと続く道のりを考えました。


【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2024/12/10/006024.html


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サマリー

このエピソードでは、Joi Itoさんとゲストたちが、ニューロダイバーシティについて日本とアメリカの視点の違いや文系と理系の融合を考察しています。また、テクノロジーと社会、文化の関係性や、教育現場における多様な経験の重要性についても話し合っています。特に、マイノリティやギフテッドの支援の重要性が強調されており、文化や環境調整の必要性、技術の活用についても議論が交わされています。より寛容な社会を築くためのアプローチが提案されています。

文系と理系の融合
Joi Ito's Podcast、今週も先週に引き続き、慶應大学大学院メディア・デザイン研究科教授の石戸奈々子さん、そしてJoiさんの妹で文化人類学者のMimi Itoさんのお二人をお迎えしています。
僕もメディアラボやってた時に、メディアラボって結構やっぱり物を作るエンジニアが多いので、ガンガン作る人と、あとうちの妹みたいなソーシャルサイエンティスト、文系の人たちって結構、なかなか仲良くやれなかったよね。やっぱり批判する側と作る側っていうのがあって。
だけど、ヒマニティとかソーシャルサイエンティストの人たちが、もっと物を作る人たちとコミュニケーションとったり、物を作る人たちもそういう人たちの話を聞いて進める方向に一生懸命やってたんだけど、なかなか難しかったと思うんだけども、でもなんか二人ともエンジニアから来た人とソーシャルサイエンティストから来た人が、なんとなくたどり着いてるスペースが似てると思うんだけども、その溝って今どういうふうに感じてるのかと。
今、たぶんヌーディバーシティのことでも、結構今そういう社会系の人たちと話をしてると思うんだけども、どんなふうに向かって良くなっているのかという意見があれば。
今日はテクノロジーの世界で理系文系の分断と融合についてのお話みたい。3人の話に耳を傾けてみましょう。
常に難しいですね、その境目が。文化とか社会側の人たちはどっちかというと批判的な人が多くて、テクノロジーとか作り手側の方がどっちかというとパワーがあって、社会的地位でお金とかも集まって、外から批判してるっていうポジションが多いと思うんですよ。
で、それはこっちのチームから見ると、なかなか仲間に入れてくれないっていう気持ちはあるんですけど、でもそれで批判的な立場は、なかなかじゃあ一緒に作ろうっていう方向に持っていくのが難しくって、大学の枠組みっていうのがちょっと問題であって、批判するって割に簡単に論文とか本とか書けて、
ステータスも上がるんですよ、大学とかアカデミックの中で。逆に大きな企業とかテクノロジーを作ってる側と一緒にやろうってなんとなく汚れちゃうみたいなところも時々あるんですよ。
私の場合はちょっと珍しくて、そういうテクノロジーとかの研究をしてて、どっちかというとポジティブに批判的じゃなくて、若い人たちはこういういいことをしてるんだっていう研究を進めてたんですよ。
日本の携帯文化でも、ゲーミングでも、オンラインコミュニティとか、若い人たち全員じゃないんですけど、少数の若い人たちがこういう素晴らしいことをして学んでるっていう、私のずっと研究テーマなんですけど、社会とか文化側であなたはポジティブすぎるで、なんでこのマイノリティのいいことをあげてるのかって言われて、
でも研究を進めてるうちに、私はこの80%の文化の研究をしてないで、あなたたちみんなそれ頑張って批判的なことを見て、実際の文化、社会、いろいろ問題あるのは私も自覚してるけど、私のレーンはちょっと違って、こういういいことがあって、
テクノロジー作る側も石戸さんとかミッチュ・レズニックとか、そのいいこと側の人たちもいっぱいいるから、それも重要じゃないかっていうのをだんだん語れるようになったんですけど、それはもう20年間くらいかけて、いろいろボコボコにされてからたどり着いた立場で。
でも本当に日本は文系理系っていう言葉で結構そこの断絶っていうのはあったし、日本の大学でも文理融合が言われて久しいですけど、どのぐらいきちんと融合しているのかっていうのはどこも苦労しているという印象を持っています。
アメリカと日本の違い
で、最近確かにミミさんおっしゃった通り、わる日本でいう文系の方々の方が今まで何となく稼いでいたっていう印象もあって、でも一方で最近だとそれこそ私プログラミング教育を必修化してくれっていう話をしたときに、産業界もIT人材が不足してるっていうふうに言ってて、だったらきちんとものを作るIT系の人の待遇を良くしてくれないとそうならないよねみたいな話をしていたんですけど、
そういうのは改善されつつあるとはいえ、まだ何となく断絶あるのかなと思うんですけど、やっぱりこれからの時代ってオープンディスカッションは本当に大事じゃないですか。
で、いろんな多様性のある専門家たちがいかに連携できる環境を作るか、本当に世界の課題っていうのが複雑か多様化している中で、どこかしらの専門家だけが解けるものではほとんどの課題がない中で、どうやって多くの人たちが自分たちの専門を超えてきちんとお互いの方針っていうのを理解しあいて、新しいソリューション提起できるかってことが大事じゃないかなっていうふうに思うし、
それこそ幼少期から多様な考え方の人とディスカッションを通じて新しい価値を作るっていう体験をどれだけ積み重ねていったかってことっていうのが大人になった時の行動にすごく変容をもたらすような気がしていて、それももしかしたら学びの場のこれから先すごく大事な役割の一つなんじゃないかなっていう気もします。
なるほどね。僕も今、工業大学の学長として考えると、エンジニア、特に手を動かす人たちの社会的地位って日本低いんだよね。で、これ面白いのは歴史たどっていくとギリシャでも結局市民たちはリベラルアーツを学んで、奴隷たちはメカニカルアーツっていうのを学んで、手を動かしてもの作る人たちって昔から地位が低いんだよね。
で、確かルネサンス時代ぐらいに建築ってやっとエリートになるんだけども、で、もともとのMITなんかも結構二流で手を動かす役に立つことを学ぶ学校だったんだよね。で、多分第二次大戦の時にマンハータンプロジェクトでやっぱりエンジニアって大事だよねっていうのと、あと物を作った人たちがお金持ちになって、アメリカやっぱお金持ち偉いんで、だんだん偉くなっていって、ただ社会的地位っていうのは文系が強かったけど、アメリカもだいぶ一緒になったけど、
日本って組み立てたなきゃいけない時、戦争の後とか、例えば明治維新で鉄道作るとかって時は多少技術者は出てくるけれども、落ち着くとやっぱり空気が止める文系の人たちが全部上に乗っかって、やっぱりリーダーになりたい人たちもやっぱりそっちに行って、で、エンジニアたちってどうしても地位が低い。
ただお金はやっぱり技術のところに今集まってきてるので、ミミィが言うように研究費は今理系の人たちがいっぱい持ってて、で、この溝があるからあんまり効かないっていうのも多少あるよね。で、この間の一緒に参加したこのNeurodiversityのイベント、石戸さん理系が強いので、すごい面白いなと思ったのはやっぱり企業とか学生とかリサーチがすごいいっぱい出てきてたよね。
実は先日、石戸さんが所長を務める研究所が主催するNeurodiversityのイベント、みんなの脳世界が行われました。
ジョイさんが所長を務める千葉高大の変革センターと、ミミィさんが代表を務めるコネクテッドラーニングのメンバーも参加したんですよ。
このイベントに参加して、ジョイさん、ミミィさんは日本とアメリカのニューロダイバーシティ運動の違いに気づいたみたい。一体どんな違いなんでしょうか。
たぶんアメリカでニューロダイバーシティとか言っても、あんなに物作れる人って集まってないんだよね。だからその物作って集まって人たちに、今度石戸さんがいろんなビジョンとか方向性を持っていって、すごく面白い実験かなと思って。
アメリカよりも素直にお互い聞いてるような感じがするんだけども、ちょっとこの辺の話、ミミィも見たと思うんだけど。
いや、そのムードは全然違う感じですね。アメリカのそういうロボットとかテクノロジーの文化的背景が違うって私も感じました。
ニューロダイバーシティもどうなんだろうって思うんですよ。やっぱりアメリカの場合結構お互いぶつけ合ったり、文化側とテクノロジー側でもなかなかそういうハッピーに一緒に楽しく集まっている場っていうのがなくて、それは私も感じました。
今回集まってた研究者たちっていうのは全員が全員、もともとニューロダイバーシティっていうのをすごく意識して研究していた方々ではなくて、ただニューロダイバーシティ社会を実現しようと思ったときに、この技術すごい使えるよねとか、この技術こういう使い方したらすごいニューロダイバーシティ的にハッピーなんだけどみたいな研究者たちをちょっと声をかけた側面もあるので、
もともとみんながニューロダイバーシティってことっていうのをメインの研究主題に掲げてるわけではないんですね。ただ昨年のときにジョイさんにもシンポジウムにも登壇していただいて、そのときにもディスカッションになったんですけど、なんかすごく面白いなって思うのっていうのが、例えば当事者の困っている方々の何かサポートになる技術ってことがあるんですけど、でもそれの技術が導入されていくにしたがって、あれ?私たちも、他の人みんな?
ちょっとこの言葉が私あんまり適切と思わないですけど、いわゆる日本でいう普通とか健常とかって言われてる人たちにとっても、この技術があった方が実はすごい生きやすいよねとか、すごい自分の可能性が広がるよね。
今まで自分たちが当たり前って捉えてた常識の方が当たり前にしとくのにはちょっとおかしかったんじゃないの?こっちの技術を導入した新しい世界の方がこれからの当たり前として、すべての人にとってより生きやすい環境になるんじゃないの?っていう気づきがあって、結果としては私たちはニューロダイバーシティ定義がいろいろで、もともとはニューロダイバージェントの当事者の権利運動として始まったものかと思うんですけど、
最近だと抗議の定義では、脳や神経の多様性っていうのはすべての人にとって適用されるものであり、すべての人の社会運動だっていうふうに捉える抗議の捉え方もあると思うんですけど、私たちはその抗議の捉え方をしていて、そういうのっていうのはきっかけはどこであれ、なんとなく表面化してなくても心のどこかで生きづらさを感じていたり、どこかしらでそれってメンタルヘルスの崩壊につながる可能性を秘めた人たちにとっても、とても役に立つ
っていうか便利な社会なのかなって、そこを目指しているってところですね。
それは誰でも感じることで、ディサビリティーでもみんな年取るわけじゃないですか、サポートが必要になる。本当にニーズが高い人たちのためにデザインすると全員がサポートできるっていうのはすごい重要で、イベントでもロボットとか、アメリカではどっちかっていうとなんか戦争に使われて、なんか怖いイメージがアメリカがすごい多いんですけど、一緒に来てたアメリカとイギリスからビジネスでいたら、
空気が違う、もっとサポートのためにロボットがいて、かわいく楽しくロボットと接してみんなが楽しめるコンパニョンっていう、鉄腕アトムじゃないですけど、日本のそういうもっと多くの人が楽しめるっていうイメージがすごく文化的に違いが感じられたみたいですよ。
多様性のある社会の必要性
やっぱり日本人のテクノロジーとの関係性ってもうちょっとやっぱり神道っぽくて、お道具を大事にするとかっていう、西洋ってちょっとこれはステレオタイプかもしれないけども、やっぱり自然とか道具を奴隷にしようとするんだよね。日本人はもうちょっとこうイーコールになるので、ロボットに違和感がないので、それが多分雰囲気で出てると思うんだよね。
ただ1個僕もちょっと理解間違ってるかもしれないので耳にも相談したいんだけども、さっき言ってたジェイミーも講演してもらって、できるだけみんなが感じることでサポートしようって言うんだけども、ちょっと僕心配するのが、障害とか特徴によってはその人しか、やっぱりマイノリティの人しか感じないものもあって、
ネオダイバーシティをインクルーシブにするのは僕基本的にいいと思うんだけど、ちょっと僕の中で腑に落ちてないのは、よくブラックライブズマッターって言って、やっぱり黒人はずっと圧迫されてきてるから、黒人の権利を上げなきゃいけないっていうのはアメリカのムーブメントがあって、白人の間にオールライブズマッターとか言って、なんかブラックライブズマッター言ってると、白人はどうでもいいって聞こえるから、オールライブズマッターにしようよって言うんだよね。
オールライブズマッターのムーブメントっていうのは結局結論に落ちちゃうと、黒人も白人も大事だから、特に黒人を一生懸命手伝う必要はないよねと。黒人からすると何百年も僕らは圧迫されたから、黒人だけアップしないとフェアじゃないよねってこういう議論があって、例えば学校作っててもやっぱりすごい強い自閉症の子をインクルーシブにしようとすると、結構その子に手厚くしないとできなくて、
でもそれをみんなのためにやるっていうとちょっとアンフェアだっていうふうに捉えるかもしれないし、その子だけのサポート、例えば車椅子のランプは誰にでも役に立つっていう、だからそれは入れるよね。でも1人とか2人の子しか必要ないものもやっぱりこうやらなきゃいけないよねとか、だからちょっとそこら辺のバランスも大事なんじゃないかな。
で、結構これって歴史的にも摩擦あるんだよね。アメリカのCivil Rightsのムーブメントも黒人と女性両方とも権利って大事だよねって最初一緒にやってるんだけども、最後やっぱり女性の権利が先に取っちゃって黒人は待たなきゃいけなくなったりするので、これ別に良い悪いって言ってるんじゃないんだけども、やっぱりこの能の多様性の中でもいろんなタイプがいるので、だからちょっと全体を引っ張りながら、
やっぱり個別にムーブメント作ってちょっとアライアンスをするとか、その辺のちょっと細かいことも必要なんじゃないかなっていうのもちょっと思うんだけどね。
能の多様性の場合、人種関係ともつながってるんですけど、やっぱり一般社会とか組織を変えないで、ただ変わり物をそこに入れるっていうのはすごく間違ってるっていうか、個人がすごくスティグマを持ってて、社会文化組織の中に、じゃあ例えばビッグテック会社にアメリカの場合はラティン系と黒人を増やそうって、
組織を変えないで、文化を変えないでスタッフを増やしても、結局出ていっちゃうんですよ。メインストリームの文化を変えないと。だから能の多様性の場合もそれがあって、やっぱり新しい文化仕組みをマイノリティ中心に考えて作り直さないと、
メインストリームの文化を変えないと、それは新しい社会を作り上げられないので、そこら辺が難しくって、やっぱりユニバーサルデザインってその言葉自体もちょっとインクルーシブの方向に持ってかれそうで、よくわかるんですけど、ユニバーサルデザインはやっぱりメインストリームのためのデザインじゃないかっていう考えに持ってかれると問題あると思うんですよ。
最初から一番サポートが必要の人たちとか圧迫された人たちを中心にデザインするっていうのが、ちょっとユニバーサルっていう言葉が当たらなさそうなんだけど、そういう考えだと思うんですよ。
私も全く本当にそう思ってて、先ほどの元々そのマイノリティのために考えたことであったことが結果としてはマジョリティにとっても良かったっていうことってたくさんあると思っていて、例えばロボットでそれこそじゃあ学校に通える、通勤できるみたいなことっていうのってのも、元々はずっと病院で寝たきりの方のために作ったものだけど、え、でも別に通学するとか通勤するってリアルでいくことだったっけっていう。
今の当たり前の概念をもう一回考え捉え直してアップデートしていく。そういうふうに社会全体のこれまでの当たり前っていうのを一度再考して社会全体をアップデートしていって、いろいろな人に対して寛容な社会をどう作っていくかってことっていうのは一つ当然大事かなというふうに思うんですね。
一方でジョーシーさんおっしゃった通り、それっていわゆる平等化公平化っていうものかなというふうに思いますけど、やっぱりそうは言ってもサポートが必要なところっていうのは当然のことながら、それはまた別議論としてしっかりと対応するべきなのか、それをまさに一緒くたに議論するとなかなか進みにくい部分もあるのかなっていう気はします。
確かにそれってこうちょっと文脈違うけれども、ギフテッドとか多分ほとんどの天才は自閉症だけどほとんどの自閉症は天才じゃないっていうのにちょっと近いのはやっぱり、でもまず天才のためにやると一番分かりやすいよねっていうのでそこを先にやるのはいいと思うんですよ。ギフテッドのプログラム、MITみたいな学校ってほぼ自閉症なんだけども、このギフテッドじゃない子たちを置いていっちゃダメだよねっていうので多分ちょっと分けて考えてほうがいいよね。
ユニバーサルデザインみたいなところのほうが一番最初に簡単に入れてみんなが結果がわかるっていうところで、あとは他の人たちをどうやってサポートしていくかっていうのはちょっと違う文脈でやったほうがいいんだろうね。
そうですね。ニューロダイバーシティのいろんなことを考えるときにおっしゃる通り、一つは日本で言うとギフテッドな子たちも潰されてきたじゃないですか。それって本人にとってもとても不幸なことだけど、日本全体にとっても非常に損失の大きいことで、そういうギフテッドの子たちのある突出した才能をどうやって潰さないで花開かしてあげられるような環境を作るかってことが一つ大事だなって思うし、
いろいろ言われてるような色マスクさんとかみたいなギフテッドまではいかないけれども、凸凹があって、今まで日本はこの凹の部分、へこんでる部分をどう直すかみたいなことに注力されすぎてたがゆえに、例えば不登校になってしまったり引きこもりになってしまっていた。
だけど、凹に目をつぶって凸のところをより注目してあげると、働けるような人たち、外に出れるような人たちにどういう環境をするかってことも大事だし、あと三つ目が先ほど言ったような、今まで別に一般的には困ってるとはされてなかった人たちにとってもより豊かな環境を作るすべてもあるし、もう一個としてそうは言っても切れ事では片付けられない、いろんな困難さを抱えた方々に対してどういう支援をするかっていう、
技術と助け合いの社会
まあ四つくらい私はレイヤーがあるんじゃないかなって思ってます。
それ多分おっしゃる通り、例えばすっごいアンロックすると天才だっていう強みがある人にはお金と技術買って弱みを補うよね、ホーキンズの椅子みたいなの。
でもその技術はまさに本当に障害しか持ってない人にも役に立つので、やっぱりこの技術のレイヤーはすごく似てるよね。
さっき言ってデフィシットベースとアセットベースと本当に強みばっかりやるといろんな面白い人たちが出てきて、その人たちの弱みにかけるお金がちゃんとペイするから多分国とか企業って投資すると思うんだよね。
ランプなんかそうだよね、やっぱり車椅子で天才いっぱいいるのに入れないっていうのはやっぱり社会的に損だけども、そのランプで天才じゃない人も入ってこれるわけでもね。
私たちが取り組んでるのって一つは技術によってどうやってそれぞれの身体を拡張して、メガネみたいにメガネをかけると視力が悪い人も今となっては障害ではないようにテクノロジーを使ってどうやって身体を拡張するかってことと、もう一個が環境調整で、それこそ視覚障害の人は信号機の色の区別つきにくいけれども、じゃあ信号機の色が別の色だったり形が違ったりすればもしかしたら困らないかもしれない。
ある感覚過敏で制服着るのが辛い子、でも制服を着るっていうルールがなければ全く問題なく通えるかもしれない。そういう人口物であったり、制度的なことであったり監修であったりを見直すっていう環境調整の両面からアプローチしてるんですけど、環境調整の一つにやっぱりコミュニケーション、人と人との関係もあると思っていて、なんか全部が全部制度とか技術で対応しなくてもそのいろいろな感覚を持った人がいるっていうことをみんなが理解をしていたら、
お互いに助け合うっていう人と人の助け合いの中で乗り越えられる部分もあるんじゃないかなと当然思いますし、そこの部分がより増えていくと、なんかもっと優しい社会になるんじゃないかなってそこも大事にしたいなと思います。
ジョイさん、ミミさん、そして石戸さんのトークは来週も続きます。続きが気になる方はお聞きのプラットフォームで番組登録お願いします。また、オリジナルNFTを無料でプレゼントしています。ご希望の方は特設サイトにて次の問題の答えを入力してください。
今回石戸さんが開催したイベントのテーマにもなっている、脳神経系の多様性を指す言葉を英語で何というでしょうか。
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ニューコンテクストデザイナー デジタルガレージ
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