デジタルアーキテクトで芝浩大の学長、伊藤穰一ことJoyさんが、今一番興味のある分野を深掘りしていくJoy Ito's Podcast。
今週は、6月30日に行われたニューコンテクストカンファレンスからその一部をお届けします。
まずは、Joyさんによる貴重講演の模様をお聞きください。
Joy Ito's Podcast
Joy、よろしくお願いします。
おはようございます。こんにちは。
今日、カンファレンスのタイトルが全AIってついてて、いまいちわかりづらいかなと思って、これも含めて少しお話をさせていただきたいと思いますが、
30周年なので、ちょっと振り返りから始めると、
村井先生いるのかな。あ、いた。
2018年に、村井先生のもとで、KOで博士を取りました。
そのときの論文が、英語ではPractice of Changeで、
村井先生が一緒に考えて作っていただいた名前が変革論っていう論文を書いたんですけれども、
これは今まで自分がやってきたことと、社会変革をどうやって起こすか、それに関わってデジタルアーキテクチャーってどうなんだろうっていう論文なんだけれども、
早川書房がこれを本にしたいっていうので、これの見直しと書き直しをちょうどやっている最中なんで、
それも含めて、特にAIも含めて、今のテクノロジーで世の中どうやって変わっていくかっていう話なんですけれども、
ちょっともっと前に振り返ると、そのトツロにも入っているんですけれども、
2003年に、ブログとかが最初出てくる頃に、
創発性民主主義、Emergent Democracyっていう論文を書いて、
その時は、2003年なんかもう22年前か、みんなに声を与えて、ボイスを与えて、そして接続すれば、
創発的に民主主義が生まれてきて、世の中平和になるだろうって、結構楽観的なアイディアで、
もちろんボイスを与えることによって、民主主義がいろいろ変わっていくっていうのはあったんだけども、
振り返ってみると、思ったよりもネガティブなものがたくさん出てきて、
やっぱりディスインフォメーションとか、創発性民主主義からトランプが生まれてきたり、
思ったほどうまくはいかなかったんだけども、ただいろんな学びがあって、いろんな要素があって、
結論に近づくんだけども、やっぱりテクノロジーっていろいろパワーアップはできるんだけども、
社会が向いている方向に加速しちゃうので、悪い方向に向かっていると悪い方向に行っちゃうので、
村井先生とかが最初にインターネット作ってた頃でも、
とにかくオープンでアーキテクチャーがちゃんとしていれば、もういい方向にしか行かないんじゃないかなっていう、
結構楽観的主義からだんだんリアルな世界に近づいてきていて、それで振り返ってちょっといろいろ見ていきたいんですけども、
これ最近のツール、AIのツールを少し紹介します。Cursorっていうソフトウェアで、
これはMITの卒業生が作ったソフトウェアで、これ右側でプロンとガンガン書くとコードがガンガン変身される。
だから自分が知らないGitHubのリポジトリに行って、これってどういうコードなんだ、こうしたい、ああしたいって言って、
ノーコードじゃなくて本当のソフトウェアのコードをプロンとどんどんいじるようなことができるソフトウェアが出てきて、
あとはこれはMITのCenter for Bits and Atomsで、これロボットが動いていろんなパーツを勝手に組み立てて、
これで車作ったり飛行機作ったりビル作れるんですけども、これ編集可能な建物ができて、
再生可能な部品と再生可能なエネルギーで、今例えばブータンで、
ブータンのエネルギーを取ってブータンのその辺の木のクズをパッキングして建物を作れるんじゃないかなっていうような検討もして、
これはAIだけではなくてロボット技術でいろんなことができるんじゃないかなっていうことも検討しているので、
だからそういう意味で今までできなかったことだとか、プログラマーの生産性がすごくアップするようなことがAIでできてきてるよねと。
ただそういうAIで生産性は上がるんだけれども、一部の人はいらなくなっちゃうと。
IBMがこの間8000人人事部の人をもう切っちゃって、完全にAIでリプレイスするっていう話も出てるし、
どんどんこれアメリカの方がやっぱりバサバサ人切るので、今テク企業はAIだけではないんですけども、
結構たくさんAIでできちゃうものの最適化によって人間が減っていって、
これ噂で聞いたのも一部、切られてエンジニアたちがローンの返済ができなくて、
今なんかいろいろパニックが起きてるぐらいアメリカはもうショックになっていて、
日本は今たぶん人材が足りない、エンジニア計算省の2030年から80万人エンジニアが足りないって言ってるような社会には、
ロボットだとかAIで少しジョブが減ってもいいんじゃないかなっていうちょっと楽観的な要素あるかと思うんだけども、
ただ今私も千葉高大の学省をやってて1万人の学生を教育してるんだけども、
やっぱり今の教育の仕方と今学んでいくことはかなり変わらなきゃいけないし、
アメリカではもうバサバサ切って、日本はなかなかルール上切らないので、
たぶんこの生産性やっぱりもうちょっと時間がかかると思うんだけども、
ただ今切られていってる人たちを見てると、下の人が切られてるんだよね。
だから例えばさっきのコードのエージェントのソフトウェアコードのやつ見てると、
もうエージェントにこれ書いてこい、あれ書いてこい、あれ書いてこいって書いてきたやつをまた組み合わせて、
直したり編集したりアーキテクチャ作る人はすごく生産性アップなんだけど、
今まで現場で手を動かしてるような人たち、このソフトウェアの使い方を覚える人とか、
ガリガリ書く人たちはいらなくなっていて、
ただトップに乗っかってる人たちってどうやってそのスキルがあったかっていうと、
多分経験なんだよね。だから今まで日本のやり方っていうのは、
ある程度きちっと言われたことをこなすようなツールを使えるようなエンジニアを大学から出して、
その人たちが会社に入って一生懸命経験を積んで、それでマネージャーになる。
だけどマネージャーだけ残ると、この現場に入って上がるカリアパースがなくなっちゃうと、
どこで学習するんだろうなと。
それをそういうプロジェクト型でちゃんと大学で学ぶのか、
それか修士とか博士でプロジェクト型にするのかわからないけども、
今までの学びの道が結構切られちゃって、
トップの人たちだけが必要になってくるので、
そういうような世の中、それもどんどん変身していくと思うんで、
そういう世の中の中でどういう教育が必要なのかっていうのも考えなきゃいけないかなと思ってます。
ちょっとここで皆さんとも話したいんですけど、
僕は90年代はものすごい楽観的で、2000年代はまあまあ楽観的で、
今ちょっと微妙になってきたんだけど、ちょっと皆さんにパーティシペーションしてほしいんですけれども、
みんな自分の感覚で今テクノロジーも含めて世の中が良くなっていってる。
50%ぐらいでこれ悪くなっているっていうのを指を挙げて出してください。
どっちですか。こうなのかこうなのか。ちょっと出してみて。
なるほど。
平均的に横だね。上もいれば下もいれば横向いて。
多分デジタルガレージのこのカンファレンス30年前でやったらほぼみんなこれだったと思うんだよね。
だから結構今危険な状況になっていて、これはみんな世の中を感じてると思うんですよね。
空気があって今の世の中の空気って多分こんな感じなんだと思うんですよね。
このカンファレンスの一つのポイントは日本なんですけど、
これ必ずしも日本人はこうだって言ってるわけではないんだけども、
日本の強みとしてこういうことも考えることができるんじゃないかなと。
西洋の一神教のこともあるんだけども、神様がいて人間がいて、
人間の下にテクノロジーだとか奴隷がいて、それをコントロールするっていうのが一つ西洋の考え方としてあって、
やっぱり東洋的にはもう少し道具と一緒に生活するっていうことがあるので、
道具を支配するっていうよりも道具と一緒に暮らすっていうのは、
これは僕はテクノロジーと付き合うのにはいい視線なんじゃないかなっていうのと、
あとは社会全体に対して何かやると。
日本人っていうのはうまくいってるときはリソースの分配とフェアネスで、
アメリカの格闘技のようなコンペティションっていうのは、
これベンチャー作るのにはすごくいいかもしれないけども、
テクノロジーですごく加速してるときにどうやってバランスするかっていうのは、
もうちょっとフェアネスの方が必要かなと。
もちろん経済は拡大することによってキャピタリズムが動くんだけども、
アメリカのベンチャーなんかだと拡大してない、成長してないものは死ぬ。
2016年にウィプラッシュっていう本を出して、それが日本語版が2017年に出たんだけども、
これメディアラボの時にいろんなプリンシップルを作って、それを説明した本なんですけども、
最近今の環境、AIだとか環境問題のことを考えて、この9つに少し追加して、
さっきの拡大よりも自立的にサステイナブルにするとか、
このパブリックとインディビジュアル、これ、この間村井先生ともパネルディスカッションやったときに思ったんだけれども、
日本人ってマスクするときって基本的に自分の風邪から人を守るときにやってて、
アメリカ人って基本的に人から自分を守るためで、個人をベースにするのとパブリックをベースにする、
全然ソサイティは違うんだけども、その割に日本は個人情報を俺のものにして、
その個人情報を使って医療のAIを作ったり、そういうのはうまくできてないので、
そこを少しシフトしなきゃいけないけども、原則しては日本は個人よりも公共的なところもあるし、
あとこのモジュラーとモノリティって結構重要で、モノリティっていうのは昔の電話会社、
モジュラーっていうのはインターネットだとか、使い回しするAPIだとか、
APIとモジュラーっていうのは、経済でいうと福利かな、福利っていうのはコンパウンディングインテリストレート、
だから経済にとってその福利があるからどんどんどんどん伸びていくわけで、ソフトウェアもモジュラーでAPIがあると、
同じものをみんな作らなくてもいいからどんどんどんどん大きくなるんです。
昔のソフトウェアっていうのは毎回ゼロから変えてたから、福利がない経済みたいなもので、
こういうプリンシップルっていうのがインターネットのプリンシップルだとか非中央集権型のプリンシップルを今の時代に持ってこれるんじゃないかなと。
ここでちょっと前に切り替えたいんですけども、石田喜太郎っていう京都哲学を作った先生、
80何年前かな、彼うちの千葉高大の創業のメンバーの人なんですけども、
後で出てくる天禅っていう仏教のお坊さんと一緒に、気づきの原則という授業を僕10年以上MITと千葉高大で教えてるんですけども、
この彼の話の中で結構重要なのが、この純粋経験、pure experienceっていうのがすごく重要で、
これは何かっていうと、自分が瞑想したりするときって、ここに皆さん座っててもそうなんだけども、
人間だとか椅子だっていう、この理解する前にこの匂いとか光とかを体験してるんですよね。
人間っていうのは体験をしていて、そしてその純粋経験があるのを、
今度それをシンボルとか理解とか言葉に変身して、それがこう頭脳とか知能とかこうシンボルになっていくんですよね。
AIっていうのはシンボルの世界なんですね。
体もないし、ロボットが出てくるかもしれないけども、この匂いとか感覚とか、このchemistryとかbiologyがないわけですよね。
で、ちょっとみんなやってもらいたいんです。目つぶって深呼吸してください。
で、自分が今ここの環境にいて、匂いを感じて、今朝から今に流れて、英語だってbe here now。
今自分がここにいるっていう気持ちを感じて、本当に純粋経験みたいなのに使い付いてほしいんですけども、
今自分がいるのはコンピューターの中のシミュレーションで、感じているものは全部ただの情報だっていうことを信じることができるのか、
自分は今ここにいて、それはまた他の人間と全部違う経験をしているっていうことを信じるか、ちょっと考えてほしいですね。
で、これって結構このAIの世界で、もう目開けていいです。
これは結構AIの世界でいうと、イーロン・マスクとかたくさんのAIの研究者は、シミュレーションに生きているかもしれないって言ってるんですよね。
彼らは純粋経験はないと。純粋経験はただのイリュージョンで、みんなはその外の情報はただのビットで、その体っていうのは必要ないと。
で、そうすると何が起きるかっていうと、AIが人間の代わりになるっていうことを想像することができますね。
だから純粋経験はできて、一人一人の人間がこの環境を感じて、そこから自分の価値観だとか、自分の違いを感じることができるのが人間だっていうと、これはそのシミュレーション主義者ではないわけですよね。
で、これは本当に宗教みたいなものです。人間は生きてるっていう気持ちと、生きてるのはあんまり意味ないっていうのが、ここ結構西洋と東洋で分けるだけではなくて、多分そのシミュレーショニストじゃない人と分けられるんですね。
で、今最近僕、お茶にハマってるんですけども、山上聡人さんが言ってるのが、一期一会っていうのがあって、同じお道具で、同じお茶で、同じ人とやってても、毎回経験が違うっていう言葉があるんですよね。
で、そこの中でリキューっていう、たぶん一番有名な茶人なんですけど、彼が和気静寂っていう言葉を使って、英語だとたぶんハーモニー、ヒュミリティ、ピュアリティ、トランクウィリティ、日本人はたぶんわかると思うんですけども。
で、これがさっき言ってたこの東洋のコンペティションだとか、リキューっていうのも利権とか、利からキューをするっていう意味で彼はリキューっていう名前をもらってるんですけども、だからそのプロフィットを追っかけないっていうのも結構お茶のコアの。
これは室町時代に禅がお茶に入って、この見せびらかすピカピカのお茶から和びさびのお茶に入って、そしてこういうような哲学がお茶に入って、お茶を通じて日本の社会にこういう禅の哲学が流れていくんですけども。
これ結構面白いなと思ったのは、この間ある精密機器の講演のためにトヨタのことを調べてたら、トヨタの改善にはこの3つのMってあるんですね。無駄と無駄と無理をなくす。で、これがトヨタの生産性アップのコアで、これ結構和形静寂に近いんですよね。
無駄をなくして、そして、だからこれ最適化とちょっと違うんだよね。これ本当に和っぽい最適化で、限りなく無駄をなくして、お茶のこの作動っていうのもできるだけ無駄がない、無理がない、そしてそのムラがないようなものがお茶の作動っていうのもすごく近いんじゃないかなと思って。
これがすごく重要な和の美学で。で、トヨタの歴史を見てると、このトップダウンとボトムアップなんですよね。トヨタの幹部からなぜ何をするかっていうのを決めると。で、今度現場の方は同じルールで他の工場でやっても動かないんですよね。で、工場長っていうのは現場に一日中いて、みんな動きを見て、そして無駄だとか無理だとか、この工場だとこうだよね。
1行1位じゃないけど、一つ一つの現場っていうのは、実はそこにいて一日中体験してると初めて見える存在感から出てくるものがあると。人間は、トヨタはだからボトムアップのリアルの現場の体系を上に上げて、上から方向性を下げて、そして真ん中のシステムでこの無駄と無駄と無理をなくすっていうので、トヨタって動いてたんですね。
で、これ結構僕、今でもこのAIをただの最適化じゃなくて、無駄と無駄と無理をなくすためのAIっていうのは僕、結構ちゃんと作れるんじゃないかな。でも何をするか。この価値観、今日暑いよね。高齢化問題って大事だよね。今日こうだよね。
この美学の感覚っていうのは、我々がリアルワールドを体験して、その体験のもとに価値観を作って、その価値観を表現するから方向性ができて、ここは最適化じゃダメなんですね。これコンピューターにやらせちゃうと、できるだけお金儲けする会社だとか、そういう最適化になっちゃった。
で、このボトムは体験してないんですよね、AIは。だから今現場で何が起きているかわからないので、それも人間しかわからないと思うんです。だからその現場を感じている人間と世の中を感じている価値観の間にAIが入ると、人間サンドウィッチですごくいいんじゃないかなっていうのは僕、このアーキテクチャじゃないかなと思ってるんですね。
で、最後はこのリキューの僕がやっぱり一番重要かなと思うのは、美学がすごいんですね。彼デザイナーなんですね。で、このお茶っていうのは、リキューのちょっと前村手塾行ぐらいから禅が入って和美茶になるんだけども、その前っていうのは茶色とかはアイボリーだったり、ブロンズの花入れだったり、結構見せびらかすような中国から来る美学なんだよね。でもその当時の禅の美学に合わないんですよ。
ただ、リキューの目利きってそうなんです。いいものをずっと見ていると、だんだんこれっていいよね、これやだよね。美学っていうのは言葉でなかなか表現できなくて、これはいい、これはやだ、これは美しい、これ美しくない。で、それって世の中のサイクルに響くんですよね。だからよくこれもこの間論文見てたんですけども、Aっていう音楽の音ありますよね。これ歴史で実際のフリクエンスって上がったり下がったりするんですよね。
で、どの時代がAがどこにあるかっていうのが、なぜそうなんだろうっていうリサーチがあるぐらい、空気を読んでそのアートっていうのはついてくるんです。で、リキュー何したかっていうと、まず50年間、どっちかっていうとあんまり激しいことしないんですよね。
でも50歳越えてから突然、この竹、竹っていうのは外で花を運ぶとき使ったけど、竹なんかお茶室の中で使わないんですよ。消耗品だし、でも突然竹をポンって花入れとしてリキュー入れるんですよね。で、すごいなと思ったのは入ったらみんな、あ、だよねってなるんだよね。
だからそのものすごい変革なんですよ。リキューが450年前、竹花入れて、彼が作った花入れ、今でもみんなすごいなと思っていて、その変革っていうのは今の世の中の空気を読んで、今の全部起きてるシステムを理解して、よく型を知らないと型破りできないってよく言ってるので、だから今が何がハプニングで世の中どうなろうとしていて、そこにエボルーションとして動くためには何をチョップする。
だからパンクロックなんだよね。結構バーンってやるんだけども、ただ今のパンクを聞いて嫌だなと思う人たくさんいると思うんだけども、そのリキューがすごかったのはパンクのことをやるんだけどみんなだよねってそこでわかるっていうことなので、だから今多分いろんなこう最適化だとかいろんな社会変革ってあると思うんだけども、やっぱり我々がやらなきゃいけないのは、今世の中どう変わっていて、今の若い子たちのヴァイブがどうなっていて、
社会をぶち壊してるのは簡単なんだ。アラブスプリングみたいにただ壊すっていうのは簡単なんだけど、本当の変革っていうのは、こういう社会があるけどこういうふうにグリッとやると、みんなもうだよねってなるし、それによって今までできなかった表現ができて、自然なもの、自然なふうになる。こういうようなのは僕は日本のケイパビリティだとかデザイナーはできるんじゃないかなっていうふうに思っていますので、
ぜひなんかそういう感覚で、今日出てくる人たちみんなこういう社会変革をいろいろやろうとしている人たちだと思いますので、こういうちょっと歴史的背景だから、450年前のリキューのこの竹を持ってきたタイミングと、今AIとかインターネットが入ってきてどういうふうに社会を変えなきゃいけないかって、これ多分似たような感覚だと思うんで、ということでよろしくお願いします。