2025-07-05 14:20

スポーツと数学と語学で育成させる / 子育て世帯の負担を減らす話 他

今回のテーマ:
スポーツと数学と語学で育成させる / 子育て世帯の負担を減らす話 / 教育は既得権益

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=B7Ud9cn2mwQ

サマリー

スポーツ、数学、語学を通じて子供たちの成長を促す重要性が論じられています。特に、早期の運動や音声認識トレーニングが子供の能力発達に寄与し、非認知能力の育成が社会での成功に繋がるとされています。このエピソードでは、子育てにおける教育の課題とそれに伴う負担を軽減する方法について語られています。また、母国語を含む多様な教科が子どもの将来にどのように影響を与えるのかが考察されています。

子供の成長における重要な要素
ちょうど小学校教員になってます。ひろゆきさん、今の学校に行くに否定的だと過去の話から感じました。
今の学校に私はどんな子供たちに育成するべきだと思いますか? 無能文化商品ってことは気になさらずに。
スポーツと数学と語学をさせるというのになるんじゃないかなと思うんですけど、
まずスポーツが、大体、例えばテニスとかサッカーとかっていうので、
テクニックがある選手にしようとすると、やっぱり10歳くらいまでの間に、
球を触らせてないとテクニックがあまり伸びないんですよね。
リフティング100回やってくださいとかっていうのを、
年取った人にいきなりやらせようとしてもできないんですけど、
小学生の低学年とかにやらせようとすると、練習してできるようになっちゃったりするんですよね。
あと、LとRの音の聞き分けが日本人はできないっていうのがあるんですけど、
これも子供のうちにLとRの音の聞き分けっていうのをやっておくと、
ちゃんと聞き分けられる耳と脳の構造になるんですよね。
なので、そこら辺の音楽的なものだったり、音声的なものだったりとか、運動だったりっていう、
そこら辺の能力というのは、10歳くらいまでの間に使っておかないと、
どんどん使わない能力として閉じられてしまうんですよ。
なので、そこら辺は割とやっておいたほうがいいんじゃないかなと思うんですけど、
あと、結局日本人って英語の能力、実は高いんですよ。
実は、日本の大学に入るときに、ちゃんと勉強した大学に行った人だと、
ある程度の英語の長文読めるし、知ってる単語の量でいくと全然多いんですよ。
でも、英語を喋れないと思い込んでいるんですよ。
東南アジアとかで商売やってる人って、別に英語の長文読めないし、
ボキャブラリーも全然ないんだけど、あ、俺が喋れるよ、みたいになったりするんですよ。
そんなもんなんですよ。
別にアメリカ人とかイギリス人とか、英語ネイティブの人たちは別にして、
基本的にはアメリカ人も3億人しかいないし、イギリス人も1億人?
いないくらいじゃなかったっけ?いたっけ?
そんなもんで、英語ネイティブな人たちというよりも、
むしろ第二言語として英語を使える人たちの方が世の中には多いんですよ。
なので、英語が得意なんだよね、英語が喋れるんだよねというふうに、
誤解をさせるというのが大事なんですよね。
なので、あと数学をやった方がいいよねというので、
英語と算数と音楽と運動というのをやらせておいた方が、
その時にしかできないので。
逆に暗記問題とかは大人になっても詰め込めはできるんで、
掛け算とかも別に年寸はできるようになるので、
なので年寸はできるようになるやつは置いておいて、
その時にしかできないものっていうのをやらせた方がいいんじゃないかな
というふうに僕は思ってます。
教育システムの課題と必要性
あと教育機関としてできることかどうかは別なんですけど、
非認知能力を伸ばした方がいいよねというふうに結構最近言われていて、
今言ったような強化的な点数が取れるようなテストで測れるようなものじゃなくて、
我慢強さとか根気強さとか同じことを続けられる集中力だったりとか、
嫌なことがあっても大らかに許せる力であるとか、
全然知らない人とかでも仲良くなれる能力とかみたいな、
試験で点数化することができない非認知能力っていうものがあった方が、
実は社会で成功するというふうに結構言われているんですよ。
幸せになるとね。
ただこれの問題は非認知能力を教えて、
その教え方が正しかったかどうかという確認が取れないってやつなんですよ。
要するに非認知能力を育てましょうっていうのを小学校でやったとして、
その小学校の教員がいろんなやり方で教えたとして、
その教え方が正しかったのかどうかがわからなくて、
結果としてその小学校の先生が言っていることに従っているやつはいい点数になるっていう、
単なるイエスマンを作る装置になりがちなんですよ。
なので非認知能力を育てた方がいいよねと思うんですけど、
ただそれがその小学校という教育システムの中で、
全ての先生が教え方をマスターして教えるということが可能なのかと言われると、
ちょっとそこが僕は疑問心なので、
そこは家庭とか友達関係とか、
近所のおっさんおばさんとかっていう環境で作るしかないのかなと思います。
塾と受験教育の考察
非認知能力に関しては定量的には育て方ができないんですよね。
掛け算句句を覚えさせましょうとかだったら、
ひたすら2×2が4、2×3が6とかっていうのを暗記させてテストをやって、
間違ってたら2の段解けてないから2の段覚えてきてみたいな感じで積み重ねることができるんですけど、
この人が優しいかどうかというのをテストで試すことできないじゃないですか。
例えばいきなりぶん殴って殴り返さない子供が正しいのか優しいのかっていうと、
それは単に怖がっていて殴り返してこないだけで、
別に優しいわけではないみたいな人もいるわけじゃないですか。
なのでテストで確認することができない能力を育てるってことになるので、
結果としてどういう教え方が正しいかというのもわからないことになっちゃうんですよね。
新地校検討します。
どのハウスメーカーも自分の著書の話ばかりデメリティックな方が見てきません。
良いハウスメーカーを選ぶことや独自の候補とのデメリティックな候補へ質問することはありませんか。
前にヨナヨナでハウスメーカー出身の人と話をしたんですけど、
結局どのハウスメーカーでも大して変わらない。
ただ安いところは安いなりに悪い。
高いところは高いなりに良い。
なのでこだわりの部分というのがあるのであれば、
そのこだわりの部分をちゃんとやってくれる高いところに頼めばいいし、
そうじゃないところであれば別にそこがこだわりのないんだったら、
それなりに安いところでいいんじゃないのっていうので、
何にこだわるのかというのを自分で考えるというのが正解だと思うんですよね。
見た目が良いというのにこだわるのか、柱とか構造がしっかりしているというのにこだわるのか、
配信にこだわるのかとか、窓が広いということにこだわるのかというので、
その人のこだわりの問題だと思うんですよね。
一応公募店は宣伝とかCMとかにあまりお金を使わないので、
結果としてその部分のコストが他の会社より低いので良いというのもあるんですけど、
別にトヨタホームでも、公募機はそれなりに使ってますけど、
でもちゃんとしたものを作るというのをやったりするので、
なので一概にどれが正解というわけではないんじゃないかなというのが、
僕が聞いた限りの感想でさえ。
9職1,2,3職出しても消化。公立も消化。塾に行かせる時間に任意勉強部分消化すればOK。
子育て世帯の負担を減らすという話なんですけど、
ちょっとややこしい長い話をするかもしれないですけど、
塾に行かせるというのは僕は反対なんですよ。
もちろん良い塾もあると思うんですけど、
大学に受かるための受験をする学校に予備校というのに行かせて、
予備校的な勉強をしたテクニックのある人たちが、
偏差値の高い大学に受かるというあの構造を維持することに、
果たして日本にとってプラスのメリットはありますかという話なんですよ。
予備校で、例えば京王大学に行きたいです。
共通テストを受けますというので、
そこで古典漢文とか日本史とか世界史とかを覚えるので、
その人の人生にとってその後どんなプラスになりますかという話なんですよ。
例えばその共通テストが、
英語とドイツ語とフランス語と数学とプログラムと法律と、
その感じの覚えた後に社会に出ても役に立つ学問を共通テストでやりますと。
なのでその法律を僕は選びますと言って、
法律の勉強をして共通テスト法律で80点取りましたと言って、
京王大学を借りましたと言っても、
その法律に関しての知識というのはその後社会に出ても役に立つんですよ。
契約書を読むとか、
例えば会社に入った時に法務的な問題を見た時も、
それ知ってるよとか、
民法だと何条に超えないよねとかってのがあったりとか、
あとプログラムのテストを受けますとかで、
その後プログラマーになりますとなったりするので、
なのでその後の社会に出た時に、
役に立つものを共通テストの課題にすべきだと僕は思ってるんですよ。
もちろん日本史も役に立つんだって言ってる頭の弱い人たちがいるんですけど、
分かった分かった。
分かった分かった。
じゃあ日本史で金稼いでる奴が日本人のうち何人いるかって話なんですよ。
日本史で金を稼いでる人が多分1万人ぐらいいるでしょうと。
教育の課題と負担
したら残り99万人の大学生にとっては日本史いらないよねって話なんですよ。
日本の歴史を知るべきである。
僕はそれは否定しないです。
音楽とかを知るべきであるとか、
世界史を知るべきである、古典を知るべきである、
それは知ってもいいよと。
ただ金を払って予備校で勉強して切磋琢磨するものではなく、
教養というのはある程度教えて興味があるんだったら、
それは自分で深掘りしてねというだけの話で、
それをめちゃくちゃ深掘りしても、
残念ながら社会で役には立たないんですよ。
別に石油が出てきて、
別に日本人は一生懸命切磋琢磨して勉強して、
金稼がなくても全然暮らせるよねっていう国だったらいいんですけど、
残念ながらそうではなくて、
海外の人たちよりも優秀になって、
結果を出して金を稼がないと、
日本という国が先進国として維持できないんですよね。
なので、給食を出せばいいよねって話じゃなくて、
そもそも大学に入るというところで、
みんながこれを勉強しなきゃいけないよねって考えるものが、
ずれてるって感じ。
だから道徳の授業も僕は必要だと思うんですけど、
ただ道徳の授業は必要ですけど、
道徳のテストをやって、
道徳のテストで100点を取るべきかっていう世界は、
僕は違うと思うんですよ。
なんか、
俺道徳のテストのためにめちゃくちゃ頑張って暗記して、
100点取りましたって言っても、
うん、それでってなるじゃないですか。
だから別に道徳をやって、
ジャンバルジャンの話とか読んだりとか、
ベンサムの弁償論とか見て、
こういう考えとかあるんだとかっていうのを知るのは全然いいと思うんですよ。
でもそれを知るということと、
それで100点を取ろうとするということはちょっと違うよねという話でさえ。
だから保健体育も受験科目にするのはいかがなものかなって言ったらいいですね。
だからサッカーのルールとか野球のルールとかに、
大学生100万人が異常に詳しくなってもしょうがないじゃないですか。
だからオフサイドとか別に知らなくても、
人生ほとんど困らないんですよ。
もちろんサッカー関係の仕事をしたいんだったら、
それは勉強してオフサイドを調べてくださいって話なんですけど、
なので本当に社会に出たときに役に立つかどうかっていうところで、
僕は共通テストの科目を決めるべきなんじゃないかなというふうに思ってるんですけど、
ただそうすると今の雇われている教員たちがほぼクビになるので、
今雇われているたちって古典漢文を教えることで金をもらうっていうので、
最後まで生きていこうとしているたちなのでめちゃくちゃ反対されるんですよ。
文科省的なところも反対するので、なのでそうはならない。
なのでそこらへんは日本は積んでいるけどしょうがないよねって話です。
多様な教科の影響
リアックを使いました。これ昨日のやつかな。
リアックで石丸さんが言っていた心の不才の話に共感できました。
また国に何かをしてもらうのではなく国に何をするのか。
ヒロクさんどう思いますか。
私は常々そんな気持ちで聞きたいのでそんとしました。
さすがに僕がいなくなった後の話は聞いてなかったのでわかりません。
石丸出身、確かに教育って既得権益なんですよね。
古典漢文の先生の仕事というのをなくさないという既得権益になっていて、
例えばプログラムとか新しい授業が増えるじゃないですか。
新しい授業が増えたときにこの授業はいらないよねってリストラをしないんですよ。
既存の授業をやりながらプログラムの授業もさらに増やします。
なのでほとんどの子どもたちにとっては古典漢文が社会に出たときに役に立つことはないんですけど、
既得権益として教えなければならないことになって、
損失なしの給料はずっと払い続けるっていうところなので、
こういうことを言うと嫌われるんですけどね。
石丸新党再生の道記者会見の日、雨プラス曜日に専用であった石丸さんが、
土日晴らしになり会見について幕見屋で完全黙殺された理由をご存知か知りません。
グッドモーニングの変更報道に苦言を呈されたので、
普通に寺坂の圧力に区区が損得された。
平田さん各さんは納得されているのでしょうか。
納得してるからそうしたんじゃないの知らんけど。
納得しないからやめるわってなるかもしれないですけどね。
ひろゆきのおかげでもらわら旦那と離婚年収倍の人と再婚予定。
おめでとうお疲れ屋ちゃんと言ってほしいよ。
メルモって名前じゃないんだ。
お疲れ様ですおめでとうございます。
幸せになれたのは、
要は自分が間違ってるかもしれないものをずっとそのままやり続けるというので、
離婚しないで生きていく人もいるんですけど、
こいつはやべえやっていう時に離婚をして、
その結果もっといいものを手に入れるっていうのもあったりするので、
なのである種の安定環境を手放すということで、
それによって幸せになるっていうのもあるんじゃないかなと思うんですけど。
あれこれ読んでないですか。
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