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2025-12-03 33:54

スーツさんと箕輪さんと村上さんの意味論 / 人は月に2,000万円以上は使えない 他

今回のテーマ:
スーツさんと箕輪さんと村上さんの意味論 / 人は月に2,000万円以上は使えない / 芸術とは何ぞや~アンディウォーホル / 人に感情を呼び起こすのは難しい / 芸術が何故 文字ではないのか / 数学ではない世界のほうが大きい

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=mt4EmRgLZOg

サマリー

スーツさん、箕輪さん、村上さんの対話では、家族や社会的責任がもたらす心理的恐怖感や現代の価値観について探求しています。また、お金の使い方や人生の目的についての思索も織り交ぜられています。このエピソードでは、スーツさん、村上さん、ロバート秋山さんが月に2000万円以上使うことの難しさや芸術の意義について語ります。特に、芸術が論理的でない価値観を持つことの重要性や現代アートの影響を探ります。村上さんとスーツさんが、芸術や意味についての議論を通じて人間の感情の複雑さを探求し、特に芸術における解釈の多様性や意味の相対性について深く掘り下げます。このエピソードでは、スーツさんと三沢さん、村上さんが人間の複雑性と宗教の必要性について議論し、資本主義社会におけるお金の価値観やベーシックインカムについて考察します。

社会的価値観と恐怖感
スーツさんのサンライズも船で青島が好きでした。 今後貴重な一人旅は減ってしまうのでしょうか?
いやでも続けるんじゃないですかね。 スーツさんと箕輪さんと村上さんの意味論っていうタイトルにしたんですけど
聞いている限り、スーツさんってその意味なんかないよねって言ってる部分と でも実社会の価値観に合わせないと不具合が起こるかもしれないという
恐怖感の両方があるんですよね。 で実社会の価値観を壊しても大丈夫だよねというので割とやってるんですけど
とはいえ、例えば村上さん村上隆さんが喋ってる時は口を挟まないとか、言われた場合はそれをうなずいて聞くとか
やっぱりその年上に敬意を払うとか あとその、じゃああの箕輪さんがトイレに行ったり自分もトイレに行ったりする。村上さん一人になってしまうから
それは悪いなと思って自分はちゃんとそこの現場に残るとか なんだかんだやっぱその社会性をきちんと発揮してるんですよね
なのでそのなんかお金があるから何やったっていいんだって言っているものの本当にその社会から切り離されてしまったら
ひょっとしたら予想してないリスクが発生するかもしれないという恐怖感というのがあると思うんですけど
でこの恐怖感というのが多分家族がいることによる恐怖感なんだと思うんですね
あの家族だったり会社のあの社員の人がいたりとか 多分本当に一人だと知ったこっちゃねーやと
もうあの自分が守るべき人というのはいないので好き勝手やってもいいよねになるんですけど
言うてもやっぱり家族は守りたいよねとか会社のスタッフ守りたいよねとか 気を遣ってる部分があるのでそういう意味ではなんか普通に
旅動画は今後も上げ続けるんじゃないかなと思います
なので気遣いが元々気遣いができる人なんですよ
でタイトル回収に近い話をしちゃいますけど
スーツさんがなんで今回話したかというと別に常識を守らなくても困らないということに気づいてしまったという話なんだと思うんですよね
で常識を守らないとじゃあ仕事の発注が止まってしまうかもしれないとか じゃあそうお金が入らないかもしれないなんだけど
まああのあの放送で言ってる限り多分えっと2億で株価が上がってとかでまた分 倍ぐらいだとすると2億から4億
まあ多分よくからあの sp 500で増えだしたから多分3億から4億ぐらいの多分 いつでも使える現金が入ってしまいましたと
でお子さんいらっしゃらないって言ってるのでなので多分4個ぐらいあるとまあまあ普通に 暮らしてたらまあ絶対使い切れないよねと
別に sp 500置いとけばそれなりに増えていくしなのでなんか年間に1000万円ぐらい使ったとしても まあまあ大丈夫だよねっていう状況になってしまったので
なので一生懸命仕事をしなくてもいいよねで何のために俺仕事してるんだろう なぜお金を稼がなければいけないんだろう
っていうところに多分落ち着いてしまってで別に何か好き勝手やってもいいじゃん でお金稼ぎがならなければいけないという思い込みってあれ思い込みだよねこれっていう
のに気づいてしまったっていうところだと思うんですけど でこれねあのなんかミドルエイジクライシスっていう話とかが最近あのまああのあるんです
ちょっと前からミドルエイジクライシスって言って まあそうミッドライフクライシスと思うんですけど
ある程度その人生のゴールが見えてしまった人があの今までの俺の人生って何だったんだろう っていうことになったりするんですよね
あのね欲に勝ったわけじゃなくて欲のゴールに行き着いてしまったの形ですね なんでそのような多くの普通の人っていうのはなんかお金の不安を持っているんですよ
そういうなんか老後に2000万円貯まってないと大変なことになるよねって言われてるとか じゃあお金がなくなって家中払えなくなったらホームレスになるホームレスは嫌だよね
言ってなので65歳引退までの間に一生懸命お金を貯めようっていう そのお金を貯めないと不安だよねっていうのがあってで人によってそのある程度の金額を
貯めるとこれ以上使わないよねというラインになるんですよ まあその4億じゃ足りないって人でもじゃあ20億だったら足りるかもしれないし
でこれ100億でも足りるかもしれないし1,000億でも足りるかもしれないしでまあ人によって その額の安心感を持つ額っていうのは違うと思うんだけど
なんか家族がじゃあその5人いるから家だったら100億必要だねっていう人もいるかもしれないけど とはいえそこの額に行ってしまうとあとは運用でなんとかなるよねっていうことになってしまって
そもそもそのお金を稼ぐというのでずっとがむしゃらにできたんだけど このがむしゃらにやっていることを続ける必要ってあるのっていうことになっちゃうんですよ
その社会的なつながり例えば一生懸命仕事をすることによって社会の人に評価されて でそこでじゃあまた新しいこうなんかのコネクションがつながって新しい仕事をもらえたりとか
じゃあなんかプロジェクトに行こうなんか一緒にやりましょうって言われて一緒にやったりとかっていうのはなんですけど そもそももう金いらないよねとかそもそも論他人に認まれるとかいらないよね
人生の目的とアイデンティティ
だって俺お金の不安ないもんってなっちゃうと人に好かれるとか金を稼ぐというのを なんで俺の人生を削り続けてやらなきゃいけないのっていうことに気づいちゃうんですよ
その人間日本人だと平均した80歳ぐらいで死ぬんですけど そうするとじゃあ40歳を過ぎるとだいたい人生半分過ぎたなってなるんですけど
人生半分過ぎてあれ俺これもうお金稼ぐ必要ないのにひたすらなんか金を稼ぐとか人に喜んでもらいたいとかって
ずっと人生の時間と体力とを使い続けてこれ何のためにやってるんだろうっていうのになっちゃうんですよ
でこれねその40代で金とか社会的地位がある人が結構なりがちなんですけど これがね20歳のあのスーツさんがなったというのがちょっと面白いっていう
でこれがね生きる意味を探してもいいってね まあメンタリスト第5さんちょっとその傾向ありますね
あのなんかお金を稼ぐということをやる必要がないのになんかお金を稼ぐという効率を求め 続けることでやることに意味を感じたがるみたいな
いう感じで なんかそういうレベル90キロのドラッグ近いかもしれませんね
まあのね経験値をいくら増やしたとしてもレベルが上がらないんですよ でゴールでも6号3号になってるから何でも買えるんですよ
何でも買えますよ経験値ももうこれ以上稼いでも意味ないですよっての時にあれじゃあ俺は明日から 何をすればいいんだろう
でもまあ頼まれて仕事があるからじゃあやろうかなと思った時にこれ俺なんで頑張ら なきゃいけないの
なんで早起きしてなんかこういちいち子仕事してなんかあの動画撮ってなんか一生懸命しゃべってって やらなきゃいけないのっていうのがこれやる意味が
あそ強くてニューゲームできないんですよ ニューゲームができないのでであの引退してもやることがないんですよ
うちらなんかじゃあ引退すればいいじゃんみたいなのがあるけど 引退してもやることがないって
なのでもう別じゃあので2さんの多分ねちょっとかわいそうなところは 趣味であった旅行仕事にしてしまったのでその旅行自体がまあよくあることで面白い
ことで仕事だか趣味だか分からないことになってしまうので じゃあ旅行をする動画を上げるというのをやめた後に趣味ですって言って旅行に行くと
もう意味がわかんないんですよそれ仕事にすればいいじゃんみたいな なのでその仕事と趣味が同化してしまったが結果その仕事をやらなかった時に何をしていいか
わからん俺って何なんだろうじゃあ 自分の本当にやりたことは何だろうでもこれがその金を稼がなきゃいけない家族を守ら
なきゃいけない 会社の人たちの給料払わなきゃいけないっていういろんな縛りを外してみたらどうなるんだろうっていう
のを恐る恐るやってるように見えるんですよね あのもうそれに意味ないっていうのがわかったんですよっていうのをスーツさん言ってるんだけど
でもね外してないんですよその奥さんをじゃあ幸せにするというのをやってみようとか 会社の仕事は続けてみようとか
結局その自分自身はそのまあの何どうなってもいいんですよなんだけど やっぱり周りの人たちの幸せというのは追求するというのをやり続けているので
まあそれがなくなると本当社会不適合者なので まああのそういう意味だけどねアーティストとよりまああのアーティストにも多いんですけど
あの40代で一定以上のお金を稼いでしまってでお金を稼ぐことにもともとそこまで執着 してない人が落ちるわけですね
あの助長企業を作りたいとかっていう人とかじゃあなんか俺は楽天に勝ちたいんだっていう のでずっとやってる人とか
もしかするの俺は色マスクに貸したいんだっていうのずっとやってる人とかは ライバルがいるからまだお金を稼ぐことに意味が見出せるんですけど
別にあのそんなに欲しいものないよねとか別にフェラーリいらないよねっていう人で一定 以上お金を稼いでしまうと
やることなくなっちゃうんですよね あの昔あのドワンゴの社長であのドアとエイベックスのあの役員でもあった
荒木さんが言ってたんですけどあのまあそのエイベックスっていう会社がいろんなマネージ あの芸能人とかアーティストのすごいお金持ちの人のマネージだったんですけど
やっぱ人は月に2000万円以上は使えないよねって話をしてて あのどんなに高いレストラン行ってもあの一人一食10万いかないんですよ
あの高いワインとかまあねあの1本100万円のワインとか入れてなんかを上げることができるんですけど 言うてもね食事はねどんな頑張っても一食5万なんですよ
でこの一食5万を毎日食い続けたらあの気持ち悪くなるんですよ ずっとなんか油っこいコテコテのものとかになるから
でそうするともうなんかあのたまにはさっぱりしたものとか食べたくなって とても毎日5万円のザカフランス料理とかイタリア料理とか
スキー寿司とかやっぱ毎日食えないんですよ でじゃあ知り合い呼んで食わそうとなるとなんかじゃあいいワインとか言うんだけど
毎日酒飲んでたらもうあの2日呼んだりし体調悪くなって気持ち悪くなるんですよ なのでどう頑張っても
月の支出と生活の意味
聞けばのまあ1週間に1回ぐらいはなんか大勢の知り合い呼んでパーティーだいえいって言って なんかロマネコンティ200万円とかってやるんだけど
言ってもねやっぱり1週間に1回ぐらいしかできないんですよ これ頑張って3日に1回はやっぱ体力を持たない
なので2000万使い切るのって相当難しいよね そうあのねもう今日はお茶漬けでいいっすとか本当にマクドナルドで十分ですとか
なっちゃうんですよもう冷やし中華だけでいいっすみたいな なのであのお金というのがそのこれ以上あってもしょうがないよねという状況になってしまう
とその生きる意味とかいうものを考え出すよねって言うと学校スーツさんの段階で でこのスーツさんの段階っていうのに対してその村上さんが村上8ハルキさんじゃ
ね村上隆さんがロバートあきやまさんのね あの芸術家にようこそって言い方をしたんですよ
でまぁのその動画を見て僕はのリハックの前田さんにあの村上さんのスーツさん 話したら面白いんじゃないですかって送ったらあの足話することになってますみたいな
あさすがと思ったんですけどまあとはいえその 芸術とは何ぞやっていう話に今度はつながっていくんですけど
あの芸術というのは論理的ではないことに対して意味を感じる人たちの価値観の話 なんですよね
その現代アートというのを見てをこれすごいよねって100人が100人言ったら それは芸術ではないんですよ
むしろただの工芸品だったりするんですよね 例えばそのめちゃくちゃよく切れる日本刀です
なんか紙乗せたらスパッと切れますをすごいよね これだいたいあの100人中99人ぐらいすごいって分かっちゃうのでこれでアートじゃなくて普通に
工芸品なんですスペックになっちゃうんですよ フェラーリすごいよねだって早いも
モテるよねとかだからもうみんな価値がわかっちゃうからそうするとこれはスペックで価格が ついちゃうんですよ
アートはわかる人はすげーってなるけどわかんない人はマジでわかんない だから価値があるんですよ
あのアンディオフォールっていう人があのえっと アメリカとかヨーロッパでもなんですけどキャンベルっていう
あのスーパーのたまにどこにでも売ってるスープってのがあるんですよ あのコーンスキャンベルのコーンスープとかミネストローネとかなんかこうあの野菜が入ってる
スープとか なんかあのそのなんかいろんなシーフードのスープとかキノコのスープとか
あの赤いあのラベルでキャンベルって書いてあるから大量に売ってるんですけど でその缶詰がひたすら並んでる絵っていうのをその芸術家であるアンディオフォールさん
っていうのが書いたんですよ いやそのスーパーに行ったらどこにでも見えるようなキャンベルのスープを並べる
ということの絵ということが新しいよね シルクスクリーンだから正確な絵じゃないんですけど
っていうのがこれが確かに新しいねって思う人と こんな誰でも作れるし何がおもろいかわからんっていう人に分かれるんですよ
そのあの芸術というのは他の人が思いつくないものとか でもその写実的であるものすごくその写真似たような
絵とかってわかりやすいじゃないですか 写真家絵画かわからない絵を描いてる人みたいのをXとかであげてる人いて
写真家と思ったら実は絵でしたみたいなおすごいみたいな これで多くの人がわかるんですよ
でもそのわからないけど要はその何かの技術がすごいとかじゃなくて みんながみんなこれを見かけてるけど
これの価値ブランド価値要は その世界で一番おいしい料理はマクドナルドのハンバーガーであるって説があるんですけど
世界中の人が食ってるんだからこれはおいしいの共通見解だよね やっぱり味噌汁おいしいと思う人は世界中少ないんですよ
次はそこそこ多いんですけど っていう感じでじゃあキャンベルのあの見慣れた絵柄のそのその缶詰というのは
世界中の人に影響を与えているわけだから これを並べるというのは確かには価値としては理解できるよね
でこれを一番最初に現代芸術家としてやったアンディオンフォールってすごいよねっていう皮肉も含むんですよ
あそれやっていいんだとかそういうのってありなのねみたいので これで2人目何にも見ないんですよ
キャンベルでこれいけるんだって言って じゃあケロンクっていうコーンフレーク有名になるんですけど
じゃあそのケロンクのコーンフレークの箱をいっぱい並べて さあどうぞって言って売れるかっていうとアンディオンフォールほどの価値はないんですよ
でもこれをね有名人がやるとちょっと値段つくんですよ 例えばアンディオンフォールがそれを出した後に
じゃあそのなんか有名なアーティストで スパルタンXじゃなくてなんとかマルコムXさん
芸術家じゃないなまあいいやマルコムXさんとかが そのじゃああのケロンクの絵をバーッと並べてその絵を描きましたって言ったら
これ多分ねそれでの価格はついちゃうんですよ あのまあそれはあくまで2番戦時ではあるんだけど
とはいえ名のある人がやったよねっていうその名前のある人がやったよね価値 っていうどこでも価値はつくんですけど
これをじゃあ全然名前のない人がやったらもう意味ないよねっていうね キースヘーリングとかがあれですよねマルコムXじゃなかったりすいません
っていう感じでその多くの人は理解できるんだけど この人たちだけだったら理解できるよねっていう
芸術と感情の影響
ある種その理解できる人たちだけでこれは他の人にはわからないけど俺はすげーわかるよ っていうそこに対する同意共感っていうところに割と芸術というのは価値があったりして
なのであの村上さん狩り100個のかであのモネの印象派のモネの人のスイレン見たときするかな なんかモネの絵見た時にあの子刺さるものがあったみたいな言い方をしてその人によってこれ
すげーって刺さるものがあるんですよ それはそのまあどのものね見たわからないですけどオルセイ美術館の下にある
あの部屋にも地下を降りて両面にずっとこうあのスイレンの絵があって そのスイレンの花畑の真ん中に入ったような
気分になるようなあのあの遠景になってるんですよあのホール自体でそこにこう ずっとこスイレンの絵があって
っていう感じでそこに入った瞬間に自分がこう受け止めた感情っていうのが おたらのスイレンの絵じゃんではなくて自分はそこのスイレンがあるような空間に入れた
で自分はそこの自然の中にいるような気がしてしまったっていう その感情を与えられるというのがそれがアートが与えられるものなんですよ
だってそこにあるただの絵だからね 絵じゃん不運だったらおかわりなんだけどそこにこう何を受け止めるかっていう
あの美術の教科書でゲルニカっていうあのピカソが書いた絵で あのまあその小学生の頃から技術のなんかの美術の参考書とかで見る
なんかの抽象家でこう牛とかおばちゃんとかいろいろ書いてて なんかこれ落書きみたいのこれなんなんっていうふうにみんなスルーとしてると思うんですけど
あれがパブローピカソさんっていう人があのパリのグランオキスタン通りにあるところの あのアトリエで書いてやつで今のスペインのマドリッドにあるソフィア美術館かな
やるんですけどであれめちゃくちゃでかいんですよね サイズで言うとね映画のスクリーンぐらいありますね
映画館のスクリーンぐらいアホみたいにでかいんですよ あのゲルニカって他の国にあんまり持っていかない理由がでかすぎて運び方わからないっていうのが
んですけど であれをその現実に見た時にまああれはその戦争だったりで死んでいく殺されて
いく動物とか人間とかの悲しみと悲哀というものを表現しようとしてるんですけど でそれを言わなかったとしてもあの絵の前に行った時に
その何か恐怖感とか不安とかインパクトを感じてしまう人が多いんですよ なんかすごいみたいなこのなんかすごいっていう人の感情を動かすっていうのが
これは芸術以外でやるのすごく難しいんですよ であの
まあ漫画とか映画とかっていうのも人の感情を動かすんですよね その鬼滅の刃を見てやっぱ俺長男でよかったとか
なんかそう鬼になっちゃいけないんだとかやっぱり人って努力すべきだよねっていうのって 思い込めるんですけどでもこれってストーリーなんですよ
人間てストーリーがあるとそのストーリーによって感情移入して例えば自分が根塚だと思う人もいれ ば自分が鴨の炭治郎と思う人もし自分が鬼だと思ってストーリーを見たりするんですけど
なんでそのストーリーで感情移入をして心が動くというのは簡単に起こるんですよ なのでこれは芸術としては一応アートではあるんだけど言うてもあの多数には結構
ついてしまうのでやっぱりそのみんながみんなそれはわかりやすいよねって話になって しますねで音楽っていうのも例えばその
なんかあの米東弁の大工とか見るとなんか総合のイメージがするとか その中の声と四季誰だっけ誰かもしれないけどあのバルザックじゃなくなりますけどまぁあの春の曲流れると
なんかちょっとほんわかした気分になるとか そんなかドラえもんに流れてくるあのスネ夫が何かを発明する時のテーマの曲とか流れてると
なんかのしょうもない感じがするとかアビバルディ正解はい っていう感じで割とその音楽っていうのもそのメロディーが流れることによって人の感情を動かす
っていうのがあるんですよ これ宗教もだいたい音楽を使うんですけどっていう感じで割と人間の感情を動かすことでよくある
ことなんですけど その彫刻とか絵画というのは人に感情を呼び起こすのはすごく難しいんですよ
要はそのストーリーまたでもじゃあアニメですとかそのじゃあ映画ですとか 音楽ですっていうのは時間の経過によって音の変化があってその時間の経過と音の変化に
合わせて人間というのは刺激がこう作られてしまうので 小さい音でドドドドドドってなっていきなり大きなとかドーンってなるとやっぱりそこで心臓の
鼓動が大きくなったりとかをあの驚いたりとかっていうその感情をコントロールし やすいんですよねタイムラインを使うと
でもその絵画とか彫刻というのはそのタイムラインを使えないんですよ 漫画はの自分の速度で読むのでまぁ多少違いますけど
芸術とその解釈の多様性
いうのがあってそこで絵画はむしろ難易度が高いんですけど 逆に絵画でしか伝わらないものというのもあるんですよね
あとその昔そのじゃあの中ヨーロッパ人たちがなんでやたらにこう絵を描いたのかっていうと あの文字がみんな読めるわけじゃないし
言葉も理解できるわけでもないのでなのでその キリストが生まれましたみたいな絵に書くとき
天使がここにいてマリア様ここにいて キリストが生まれていて庶民がここにいてでもここに闇があってみたいなその話そうと
伝えようとすることというのをものすごくいろんな情報を入れて そのこの絵1枚の中でいろいろな情報を入れようとしてるんですよ
なのでここで何かリンゴを落としている人がいますとか でこうなんかリンゴを食わせようとしている人がいてそれが実はこっち側なのでこっちが
イブなんですよみたいなのを説明されるとあそういうことで見たので結構絵画ってあるんですけど それがその全然わかんなかったとしてもなんとなくそれを認識してしまうっていうのがあるんですよ
なのでその中の天使氷みたいのか例えば者さんのぼっちチャリがいうあの子 開学を開いているところからビーナスが出てくる絵っていうのを書いてるんですけど
あのアドビのイラストレーターのアイコンっていうとわかりやすいんですけど あれはやっぱりその美というのはこのように生まれるんででそこにこう天使がいてとかっていうので
やっぱりその中のこれを見た瞬間に何かその神の神々しいもの美というのはこうやって生まれるんだよね とかっていうなんかそこの印象っていうのを受けたりするんですよすいませんそれじゃ全然読んでなくてはい
円満僕絵書かない最善全敗 そうだからねあの図工の授業っていうのである程度その絵の見方とかを教えてはもらえるんですよ
そのあの人間の視点というのはその中のまあ平面を立体化のように誤解させるので なのであのミラノにある最後の晩餐っていうあれ書いたのダビンチだっけ
あのまあその13人のキリストのあの最後の飯食う時でこの後俺裏切るものとしてあの殺さに行くわ という時に中心にキリストの人がいてで横にあの女性がいて
であの金の袋を持っている人っていうのがいてそれはまあユダでこいつが裏切ったんだとなってるんだけど これが横のテーブルでこうあの縦の音線が入っていて
それは奥行きがあるように人間が誤解をさせるように書いてあって その中心地にキリストがいてあの視点がキリストに寄るように作っているっていうのがあったりするんですよ
でその視点がどう見てるかでその牛田はキリストの方見ないで視線を反らしているとか っていうのでパッと見ただけでもいろんな情報量があるみたいのがあったりする
これをあの説明しなくてもわかる人もいるんですよ 要するにあのえっていろんな細かいとこ見てなんでこの人はこっちを向いてるんだろうか
なんでこの人の前にはそのかパンとかワインとかあってなんでこの人前はお金が落ちてるんだろうとか
っていうその中の自分自身で感じることというのは正解なんですよ こっからややこしい話しますよ
ありまではね誰でも話できる話なんだけどその芸術がなぜ文字ではないのかっていうのは その感じることはすべて正しいんですよ
そういうそのえっと村上隆さんっていう人がそのスーパーフラットって言ってちょっと可愛い感じの キャラを作っていてでその可愛い感じのキャラを見た時に気持ち悪さ恐怖を感じる人も
いるんですよ 最近あの中国の人形で流行ったらラビーだっけなんだっけなんかあの日本でもなんかあのヤフ
そういや僕じゃねーやあのなんかえっとオークションサイトとかですごいたかくなったあの なんか10万円ぐらいで売れたりする
ラブ世界であれもやっぱりそのねちょっとした恐怖感気持ち悪さを感じるんですよ で別に感じない人も正解だしその川
純粋に可愛いって感じるの正解だし そんなか何か心がザワザワするっていうのを感じる人も正解だし
要は芸術というのを何を感じたとしても正解であって 作者の意図と違っていたとしても正解なんですよ
別にその人の感情を犯すというものででその青い色を見た時に感動する人もいれば 赤い色を見た時に感動する人もいると
で夕焼けを見た時に綺麗っていう人もいれば夕焼けを見ることで 恐怖感を感じる人もいるんですよね
その戦争の時の空白の時の赤いその風景を思い出すから 夕焼けというのは怖いっていう人もいるんですよ
で芸術家においてそれは別に感動してほしくて美しい風景だよねと思って書いてるけど 人によってはめっちゃ怖くなってもこれ正解なんです
その芸術というのは作者ですら正解を決めないものなので いろんな人によっていろんな感じ方をしていいですと
なのでそこの解釈が許されるという意味でいくと 逆に言うと自分の感情が肯定してもらえるんですよ
その漫画とか小説とかその文字で書かれているものというのは 文字の解釈というのは基本決まっているので
なので間違った読み方というのが存在しちゃうんですよ 今の書いてないことを勝手に言ったらそれは間違いだよねって言われちゃうんですよ
普通の芸術としては別に行間を勝手に読んで勝手に感じの好きにすればなんだけど そう言われがちなんですよ
感情の複雑さ
神様論争みたいな
エヴァンゲリオンの最終回というのは みんなが溶けてスープになってしまったというのは
いやいやあれはあくまでメタファーでみんな溶けてないんだよとか 溶けて一体になることでみんなが幸せなんだろうとああだこうだ言うみたいなのは
あれは受け止め方が特定されていない どちらでとってもいいですよっていうので終わらせているので あれはある種芸術なんですよね
なので昔 桜井幸子さんと 真田博之さんで 高校生が主人公のテレビドラマがあって
駆け落ちみたいな終わり方をして 電車の中で2人が眠ってるかのように見えるっていうのと
ただ握ってた手が離れてボロッと落ちるっていうのがあって 高校教師
でこれは死んだのではないかっていう説と ただ寝ただけだよねっていう説に分かれるんですけど
これはどっちでもいいんですよどっちでも正解なんですよ 要するにその確定をさせないことによってどちらの感じ方でも正しいですよっていうのを
受け入れるっていうのがあって 絵画とかの方が彫刻の方がより解釈の幅が広がるのでより受け入れやすいんですよ
でちょっとわかりづらいかもしれないんですけど 例えばすごい黒い絵の中に子供のように見える子供の胎児のような絵が描いてあったとして
でもその胎児が笑ってるように見えたとしましょうと それは真っ黒の中に子供の胎児のようなものが笑ってるってめちゃくちゃ怖いじゃんっていう感じる人もいれば
子供を忠実したことある人にとってみたら それでもその子が幸せになってくれたと思いたいので
そうやって幸せに人はなれるんだっていうふうに考えることで 自分が救われたと感じる人もいるんですよ
これはどちらでもいいんですよ どう感じるかの問題なのね
でスーツさんとみなもさんと村岡学生の異論の端に戻るんですけど
意味というのは何なのか 意味っていうのは誰かが決めたことに従っているだけで 本当は意味なんかないんじゃないかっていうのをスーツさんが言っていて
村上さんは意味というのは相対的なもので 自分が語っているものが正しいかもしれないしそうじゃないかもしれないし
人類において正しいというものが正しいということを証明できた数学の世界と
でも数学ではない世界どちらが多いのですかっていうと 数学ではない世界の方が大きいんですよ
例えばじゃあ人が人を好きになるっていうのって この人好きだよねっていうところに
そこに数学はありますかっていう この人は何点だから好きになろう
この人は平均点以下だから好きになるのをやめよう でもないんですよ
単純に彼氏彼女がいない状態で酔っ払って目の前にいたら なんとなく好きになっちゃったみたいな
人間というのはいろいろな感情というのが複雑に絡まったまま生活してるんですよね
なので一つの脳とか人間は複雑に物事を考えるって言い方をしてるんですけど
正確に言うとこれも僕の解釈なんですけど 人間は一つの人格で統一されているという考え方自体が誤解なんですよ
新生児のお医者さんとかに聞いていただければ分かると思うんですけど
赤ちゃんって寝たいっていうのと 寝たいとお腹が空いたが同居してて
めちゃくちゃ寝たいから寝たいよって泣くんだけど でもお腹が減ってるも同居してて
お腹が減ったって騒ぎながら寝たいって騒ぐとか あとめちゃくちゃ寝たいから泣くんだけど
泣いてるせいで寝れない 寝れないから余計泣くみたいな
意味の分からない欲望が複数あってそれが同居してるんですよ
遊びたい お腹減ってるみたいなのが お腹減ってて食べたいんだけどでも遊びたいね
若者以外じゃなくて人間の構造っていうのはそういうものなんですよ
本能として睡眠欲がありますとか食欲がありますとか性欲がありますとか
安心を得たいだったりっていう 複数の欲望とか感情というのが
すべて同居してるんですけど そこが一つの人格があるというふうに思い込みたいんですよ
それによってコントロールできているというふうに 思いたがる人がいるんですよね
すいません 今日の話は英雄しくて
人間の心理構造
実際人間というのは複数あるよねとか 一つの脳二つの脳っていう
俺たちは一つの脳二つの脳に分かれることが 理解できたっていう言い方をしてたんですけど
そもそも人間というのはそういうものなんですよ
その複数のいろいろな感情 複雑な感情
例えば奥さんも好きだし浮気相手も好きなんですよ
でも奥さんを守りたいもそうですよ 奥さんを不幸にしたくない
奥さん大好きです でもこの浮気相手も大好き
この浮気相手も守りたい これ両方とも心の中に存在する
どっちも嘘じゃないんですよ 人間なんだからどちらかになるはずである
違うんですよ 両方とも本気でそう思ってるんですよ
これの分かりやすい例が 昔山に狩人だった役者の方が
記者会見でその質問されたときに どちらを取るんですかって言われて
迷ってる顔とか見てるだけで分かると思うんですけど
っていう感じで人間というのは 実は多面体で統一性はないんですよ
誰の話は言わないですけどね
なのでこれは要は浮気をしてるんだから 奥さんを軽んじている
だから奥さんのことを大事に思ってないんじゃないかって考えるんですけど
そういう人もいるでしょう
でも奥さんも大好きだけど浮気相手も大好きっていうのは両立するんですよ
人間ってそういうものなんですよ
っていうところを理解していくと
割と人の複雑性で統一感のなさっていうのも 当然起こり得るよねみたいな意味論の話を
要はスーツさんと三沢さんと村上さんがずっと話してて
僕は面白いなと思って聞いてたんですけど
ちょっと出かけてた途中からしか聞いてないんですけど
ただこれが面白いなと思う人はあんまりいないのかなっていう
だからもうちょっと奥の人見てもいいんじゃないかなと思ったんですけどね
っていう感じで
資本主義とベーシックインカム
結局最終的には人は宗教が必要であるって話になったと思うんですけど
お金を稼ぐのが正しいよねという価値観にいった結果
お金を稼ぎ終わった人はそこでなぜ生きるのかわからなくなると
もう一つのパターンがお金を稼ぐのは正しいよねとなったけれども
一生懸命働いていてもお金が稼げない人は
じゃあ俺の人生私の人生に意味はなかったのですかっていうことになっちゃうんですよ
日本はわりともう資本主義教お金教に結構みんな騙されてるので
なのでお金が稼げない人間は価値がないのであるっていうふうなことにして
みんなを何とか働かせようとするっていうのをやるんですけど
それに乗っかれない人が増えてしまったよねっていう状況なので
なのでベーシックインカムでだらだら暮らせる社会にすればいいんじゃねえの
っていうのを結構前から言ってるんですけど
これをですねすいません
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