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おはようございます、ずっきーです。
今日の朝は、ローソンでホットカフェオレを飲んで、朝散歩しながらスタイフの収録をしています。
今日お話しするのは、司馬江漢さんという方で、江戸のダヴィンチとも言われるような方の本を、
一冊読み終わったのか、一冊読み中なんですけど、一冊読み終わったので、ちょっと面白かったところをですね、いくつかご紹介していきたいと思います。
まず、司馬江漢さん、どんな方かというと、1740年代生まれぐらいですね。
私のだいたい250歳くらい年上なので、ずいぶん年上ですね。
年を測るものさしとしては、私今まで一番年上は、福沢諭吉さんか、あの方がだいたい私の150歳くらい上だったんですけど、
さらに100年昔の方ですね。司馬江漢さんって出てきたので、ものさしが伸びたなーって感じの方ですね。
江戸のダヴィンチっていう名称、なんでこんなついてるかというと、なんかいろいろやってるんですよね。
多分日本で初めてコーヒーミル、コーヒー豆を砕くやつ作ったり、温度計を作ったり、
あと、いわゆる銅版画っていう海外の絵を描く手法ですね。日本で初めて持ってきてトライして、
それを銅版画を作って、結構有名にはなったんですけど、
なんかね、司馬江漢さんは独り占めしちゃってね、誰にも教えずに一試創伝というか、
自分のものだけにしちゃって、ちょっと嫌われちゃったみたいなのがあるんですけど、
違う人が、自分で江漢さんに教わらずに銅版画作って、
それは当時の江戸の偉い人に飯抱えられて、司馬江漢さんは拗ねちゃうみたいなエピソードとかあるんですけど、
なんか面白い方ですね、司馬江漢さん。
この方、好きな方がドナルド・キーンさんっていう日本語の言語ワーク者みたいな方いらっしゃるんですけど、
この方、1920年代生まれなので、私の60歳くらいはバーチャン世代の方ですけど、
この方が読みから生き返らせるなら、司馬江漢さんぜひ話してみたいという方で、
それで興味を持って読んでいる方ですね。
司馬江漢さんのお話で面白かったのは、いろんなお話です。
天動説から地動説に入れ替わったお話をすごい書いてるというか、
普及してたっていうのが面白いですね。
江戸時代って当然地動説、地球が太陽の周りを回ってるってやつですね。
全然知られてないのかなと思ってたんですけど、意外と知られてたんですね。
基本的に普及はされてないので、基本的に江戸の人というか江戸時代の人は天動説ですね。
地球が地球の中心にあって、太陽とか他の惑星が地球の周りを回るよみたいな天動説あったんですけど、
司馬江漢さん今日早めに知りましたね。
40歳ぐらいの時に絵を学ぶために江戸から長崎の方まで旅行して、
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その過程かなぐらいでいろいろ知ってたみたいなんですけど、
いろいろ面白い描写が残ってますね、地動説を知った話で。
文章から持ってくると、肉眼によって見えるものに対して、
五星の名がつけているだけで、土星の外には数十の惑星があるかもしれず、
みたいな文章が池内亮さんの司馬江漢さんの方にあって、
そっかそっか、土星の外に惑星があるって考え方わかってらっしゃるんだなというか、
今の人で当たり前ですけど、土星の外に水金地下、天王星、海洋星か、
海洋星は純惑星になっちゃいましたが、そういう考え方、
250年前の人持ってたんだな、ちょっと驚きましたね。
もう一個持ってくると、星がこの宇宙にてんてんと散らばっている様子を文章に書いているのとしては、
けし、けしを空中にさんじたるごとしっていう文章があって、
けしってアンパンの上に乗っているけしの実ですね。
宇宙にぶわーって巻いた感じが宇宙だよみたいなお話をしていて、
そっか250年前の日本人でもこういうことを知っている人いたんだなというのが嬉しかったですね。
私も天文が好きなので、星が好きなので、どうしても天動説から地動説に入れ替わるとなると、
ガリレオさんとかコペルニクスとか、あれはヨーロッパのイメージだったんですけど、
先に知った方、知って普及した方と知り合えたっていうのはすごい嬉しいですね。
なんかこの柴幸寛さん投げ入ったのは、この地動説って考え方はもっと1600年代、
ガリレオさんが知って広めてって昔から日本には伝わってたけど、
誰もその価値を認めようとせずに何十年間眠ってしまっていた、残念だみたいな話があって、
柴幸寛さんが知って普及というか広める前から日本には伝わってたけど、
価値は別に知られてなかったんだなとかね、そういうのが知れて楽しかったですね。
柴幸寛さん、地動説を知って普及するというお話と、
2つ目はオランダ語界隈で嫌われるって話か、ちょっと変な話かもしれない。
柴幸寛さん、オランダ語ですね。
その頃、250年前に日本は鎖国をしていて、外国との貿易を禁じるってことをしていました。
これはキリスト教のせいというか、詳しい経緯は分からないですが、
マクサの乱とかかな、江戸時代、キリスト教の信者の人が乱、一揆を起こして、
そういうのがあったから江戸幕府が、キリスト教とか海外の文化危ないよね、
もう日本に入れません。基本的に長崎の出島のところでしかやりません。
しかもオランダ人とだけというのをやっていて、皆さんご存知かと思いますが、
オランダ語を学ばなくちゃ外国人と交流はできないっていうので、
柴幸寛さんもオランダ語、乱語、結構できていたみたいですね。
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40歳ぐらいの時に長崎旅行するんですけど、そこでオランダ語でオランダ人と交流して、
マーディから一目を置かれたみたいなエピソードとか、本の中で書いたりしてるんですけど、
けれど、この方はやりすぎちゃう嫌いがあるのかな。
オランダ語って海外の言葉でエリート思考、一部の当時の江戸の地位がある人とか、
派閥とかあるみたいですね。すでに感覚になっちゃうんですけど、
ここの家が、ここが名家だとか、江戸の人が海外のことを知りたいとなったら、
オランダ語の通訳、通知っていうみたいな、そこの人を通してしか知れないので、
なんか結構カッチリした学抜的なものがあるのかなって思うんですけど、
柴幸寛さんはオランダ語、師匠に習って教わったりするんですけど、絵のこともやりますし、
あとは最初言ったようなものづくりも結構しますし、いろいろあっちゃこっちゃやってるんですよね。
で、その上、なんか口が滑るというか、よく喋るみたいなので、
ひどいのは、めくらのヘビみたいな文章を柴幸寛さんの仲間の誰かが書いて、
あれは幸寛何が死というのは目がつぶれたヘビであるみたいな、
よそよそ動きもあるけどみたいなすごい文章を書かれてしまって、
柴幸寛がへこみまくるみたいなエピソードもありますね。
ちょっとやりすぎな嫌いがある方は、私そこも共感はできるんですけど、
ちょっとお話飛ぶと、死ぬ時に偽死みたいなことを手紙を出してるんですね。
60いくつぐらいの時に自分の年齢を9歳、サパ読んでプラスして70ぐらいと偽って、
柴幸寛はもう死にましたみたいな文章を手紙を書いて江戸や京都とかに配って、
ちょっと騒ぎになるらしいんですけど、他の人の文室とかに柴幸寛さん疑似騒ぎみたいな、
けどその2、3年後ぐらいにまたひょっこり現れて登場してるみたいな、
60になってもお茶目な人だなみたいな感じの方が柴幸寛さんですね。
はい、ちょっと楽しかった、楽しいですねこの方。
この方の交換左右日記か、ドナルドキンさんが手放しで誉めてる本、
ちょっと読み中なんでまた進めていこうかなと思います。
まとめますと今日は柴幸寛さんですね。
今から300年前ぐらいの人か、江戸のダビンチと言われる方についてご紹介しました。
面白かったこととしては、地道説を知ってすごい普及したって方ですね。
江戸の天文館みたいなのを買って楽しかったです。
2つ目は、オランダ語の界隈で結構嫌われてたって感じです。
いろいろあっちゃこちゃ手つけるんで、なんかちょっと嫌われたみたいですね。
3点目は偽詩事件か、自分の死んだの偽って手紙はいてけどまた現れてみたいな、
なんかお茶目な方だなーって感じで好きですね。
今日はちょっと長くなりましたが、お聞きいただいた方いらっしゃったらありがとうございます。
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今日も良い一日を。