1. 雑記噺
  2. 『漢字と日本人』 前編
2024-10-30 22:32

『漢字と日本人』 前編

サマリー

漢字が日本に伝来してからの日本人の言語適応の過程や、明治維新以降の変化について議論されています。特に、日本語の特殊性や漢字の役割が強調され、視覚的な言語としての日本語独自の特性も言及されています。このエピソードでは、日本語と漢字の関係、特に日本文化における文字の持つ意味とその影響について論じられています。また、日本の近代化と歴史観の変化が言語に与える影響についても触れられています。

00:01
はい、雑記噺です。 今回は、ちょうど今日読み終わった本のことについて話そうと思います。
えっと、多分、長くなりそうなので、前半と後半で分けようかなと思っていますので、
よろしければお付き合いいただけると嬉しいです。 本題に行く前に、この本を読み終わるのに、
だいたい1ヶ月ぐらいかかったんですけど、
ちょっと前に、働き始めると、なぜ人は本を読まなくなるのか、みたいな本が話題になったと思うんですけど、
僕も結構、その本を実際に読んでいないんで、内容はわからないとしても、とりあえずタイトルをだけ
見た感想としては、まあわかるなぁと思って。 そうですね、僕の場合だと結構、
興味のある本とかが、僕は文学部で日本文学専攻なんですけど、それ以外の本とかを読むってなると、なかなか難しかったりして、
その時間を取れても、 今だと
昼食べ終わって、 参議院が始まる間、いわゆる昼休みの時間、
30分あるかないかを使って、ちょっとずつ本を読み進めていって、みたいな感じで 進めているんですけども
なかなか自分の興味のある本をじっくり読もうって思うと、確かに難しいよなぁなんて 思ったりしますが、結構
他の人というか、
僕がSNSとかでつながっている人とかは、結構忙しいだろうなっていう人でも、
意外とって言ったら失礼かもしれないですけど、 本を読んで、何冊も何冊も読んでたりして、すごいなぁって
思ったりしています。 今はもうその
天使書籍もあれば、あとオーディブルとか、そういう音声でその本の内容を
読むというか、聞く形で知識を得るとか、そういうこともできると思うんですけど、 僕の場合はなかなか
そういうオーディブルとかで、本の内容を聞くっていうのが結構苦手と言いますか、 なかなか聞くだけでは理解できない
ことが多くてですね。 なのでなるべく
本を読むというか、 まあでしかもその紙の本で読むっていうのが個人的には
頭に入りやすいなぁと思っているんで だからなおさら
時間が限られたりとか、そのスピードも まあ読むスピードを速くすればっていうのもあるんですけど
なかなか難しかったりみたいな感じで、そうですね 本が
読みたくても読めないっていうのがちょっと 悩みの種ではあったりします
が、そんな話にちょっとつながる本を 今日は
紹介というか 読んだ感想を話していこうと思います
漢字の伝来と日本語の適応
タイトルがですね、漢字と日本人っていう タイトルでして
文芸春秋の文春新書から出ている本で 高島敏夫先生という方が書かれた本です
この本を手に取ったきっかけとしては
あの 物語志向っていう本を書かれたケンスーさん
が その
ご自身のエックスで その本を
ポストされてまして で
そこをきっかけにっていう風だったんですけど まああの最初に言ったように僕も一応
日本文学を勉強している日でもあるので そこにつながる何かがあればいいなぁと思って
そこから興味を持ってこの本を手に取った次第でございます えっとざっくり言いますと
その漢字っていうものが日本に伝来してから
日本人がどうやってその自分たちの言語 日本語に
適応させて でまぁ今につながるかっていうのがざっくりした感じなんですけど
日本語の音韻の特殊性
まあいかんせんその言ってしまえば その伝来してきた当時としては
まあ外国語 なのでその外国語を自分たちの
話す言語に 適応させる
上での
なんていうか ちょっとした問題点じゃないですけど
そういうのが あったりとか
あとその 特に明治維新以降その西洋に近づくとか
そういう近代化を進めていった上での その日本人と漢字の
向き合い方 みたいなところでもまた大きな変化があったりして
で それが今に至って
日本語は まあ結論から言うとその英語とか
そういう他の国の言語に比べると 結構特殊な
言語になったよねっていう話ではあります でそうですね
一応前半ということで 本は
一応
終わりの章 終章も含めると全部で5章の 構成になってはいるんですけども
あんまりその 本に沿った話ではなく ちょっといろいろ
あっちこっちに飛んでったりとかして 自分なりにまとめて話をしていこうかななんて思っています
でまぁえっと 最初に言ったように
日本に漢字が 伝来してきてからその当時の人が
どういうふうに 自分たちの
言葉に 漢字を適用させたかっていう話なんですけど
そもそも そもそも
日本語って 同意義語が
多いじゃないですか 同じ
読み方をして 違う漢字が当てはめられたりとか
っていう 例えば
構成っていう 偽変の構えるに成り立つ
成立のせいで構成だし 学校の校に正しいで構成とか
そういういろいろな 読み方は一緒だけど漢字が違うっていうのが
日本語にはいくつもいくつも 違う読み方でもたくさんあると思うんですけど
でそういうのがなぜ起きたかみたいなことで
で そもそも日本って
例えば中国語とか英語とかに比べると
発音の種類がすごい少ないんですよね
もうちょっと細かく言うと 日本だと
IUEOから始まって和音で終わると思うんですけど
全部ローマ字表記すると
例えばかだったら k と a が
合わさってかっていう発音になったりとかっていう
音節とかって呼んだりするんですけど
全部母音で IUEOの
音の形で終わるものがほとんど
なのに対して
中国語とか英語とかだと それが
全部子音で終わる単語もあれば 同じく母音で終わる
単語もあったりとかっていうふうで 発音の種類が全然違うんですよね
僕も英語はずっと 小中高 義務教育とか
高校大学でもやってきてるし 一応今ジオリン語で
中国語もちょっとやってたりはするんですけど 発音がやっぱり
聞き馴染みのないものが 特に中国語とかだと多かったり
するんですよね そこが
たとえ聞き取れたとしても 自分たちの
が使っている言語の中で 使い分けができないから
それを 似たような発音はもう全部一緒にしちゃって
することで 自分たちの使いやすい
漢字を
日本語として 外国語としての漢字から日本語としての漢字に
移り変えたというか そういう
日本語の視覚的特性
成り立ちが
あります もうちょっと他にもいろいろあるんですけど そこはちょっと後編で
話そうかなとは思いますが 結局
日本語って文字があることで成立しているよね っていうことになるんですよね
これは他の本で読んだことなんですけど
日本語は 映像的な言語
なんですよね 例えば英語とかだと
聞いただけでその 単語が何を意味するのかがわかるんですけど
日本語だと 視覚的に
その単語を捉えて 意味を
理解するっていう 例えば
紅葉っていう単語があった時にそれがその 秋の
もみじとしての紅葉なのか 気分が上がったりする方の意味の紅葉なのかとか
日本語と漢字の関係
そういうのが 音で判断するんじゃなくて
その 映像とかを想像してとか
前後の文脈を想像して そこからその正しい方を決めるとかっていうその
そういう
他の言語にはない特徴を持っている言語っていう 説明を他の本で
されていたのを覚えているんですけど そもそも西洋の
における言語学だと
言語は音声だけでその文字は その影に過ぎないっていう
言い方がこの漢字と日本人っていう 本の中では書かれてたんですけど
そもそもその文字を持つ言語は少ないよねっていう 逆に文字を持たない言語の方が多数を占めている中で
こういう文字を持つ言語は珍しい
マイノリティの方に入るっていうことで その考え方を
その取り入れたことによって 日本語がまたちょっと
良くも悪くも変化していくんですけど そういうことが書かれておりました
近代化と歴史観の変化
でそうですね 個人的に一番
印象的だったのが 他の考え方とかこういう
文字とかそういうことに限らず 他の分野とか学問の領域とかでも考えられることだと思うんですけど
その日本が近代化 明治維新とかで近代化を始めた時に
その 進化とかそういう歴史っていうものを初めて
そういう概念が入ってきたっていうのが結構印象的で どっちかっていうとその歴史の概念が入ってきたっていうのが
結構印象的だったんですけど
西洋の進化論ってその
ダーウィンの進化論とかっていうのがあったりすると思うんですけど 基本的にその
一本道があって その一本道を
みんなが走ってるか歩いてるかみたいな感じで っていう考え方みたいで
一本道なんで その
みんなが横に並んで歩くことは難しいというか 先の方を
進んでる 集団というか集団もあればちょっと後ろの方を
進んでる ちょっと遅れを取って歩いてる
集団もあったりとかっていう風でそういう 考え方みたいなんですね
で それって日本には
江戸時代までの日本にはその考え方がなかったっていう風で それが
結構印象的だったり あとその歴史の方だと
歴史の詩っていう感じがあると思うんですけど そのうちは結構
昔から文献とか作品のタイトルとかで 使われてたりはするんですけど
その意味が全然違って 西洋の考え方が入るまでのその意味としては
時間の記録 そうですね時間の記録とか
時間の経過を追っての記録っていうことで 単純に記録としてしか捉えていなかった
みたいな なんかそうですね積み重ねとか
そういう それも多分その進歩とかそういう進化っていう西洋の考え方が入ってきて
そこから成り立つ考え方だと思うんですけど この今の我々の歴史っていう言葉の捉え方みたいなのは
そこの違いもまた 個人的には結構衝撃だったなっていうのがあります
特に進化とかっていうのに関しては
別の授業で今 ジェンダーに関する講義を1個取ってるんですけど
そこだと その授業だと 結構民族学的な観点を絡んで話してもらうことがあって
世界中の民族にあるジェンダーの考え方とか そういう伝統的な考え方みたいなのがあるんですけど
個人的にはやっぱりそれを その考え方が進んでいるのか 遅れているのかみたいな
そういう指標で考えたりすることがやっぱりあったりして 本来はそういう考え方で考えるべきじゃないというか
また違う考え方をする必要があるんだけど でも進歩しているかどうかっていう基準で考えることが
現代の 少なくとも自分にとっては普通になっちゃってるよねっていう感覚があったりしますね
そこの根本的な考え方みたいなのも 改めてそういう観点から教えてもらったような感覚をしております
さあということで現時点でだいぶ長くなっておりますので ひとまずはここまでにしようかなと思っております
後編は後編でまたちょっと長くなりそうなので またお付き合いしていただければ嬉しいなぁと思います
では前編はここまででまた後編でお会いしましょう それでは
22:32

コメント

スクロール