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平泉達也
皆さん、こんばんは。こんにちは。康太郎雑技団チャンネルです。このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ、発行させた技を対話を通して、さらに次の作るを実現する番組です。
皆さん、こんばんは。康太でございます。よろしくお願いします。今日は、前回ですかね、家族について、天内さんとエリさんと話しましたけども、その続きを話をしていきたいなというふうに思っています。
では、天内さん、今日もよろしくお願いします。
あまのっち
よろしくお願いします。
平泉達也
はい、ありがとうございます。エリさん、今日もよろしくお願いします。
えり
よろしくお願いします。
平泉達也
はい、ありがとうございます。前回、僕たちが作りたい、理想とする家族ってなんだろうね、みたいなところを色々と話をしていって、最後の方はですね、我々の阿波県のところに落ち着いたという感じだったと思うんですけれど、
やっぱり阿波県のメンバーで近くに住んで、お互い色々やりながら作るというテーマを元に子どもも参加しながらワイワイするっていう、そういう形が新しい家族像でもいいよね、みたいなふうな話を続いたと思うんですけれど、今回はまたちょっと最初に立ち戻ってですね、家族の在り方みたいなところについて話をしてですね、深めていきたいなというふうに思いますので、よろしくお願いします。
まずちょっと今回ですね、天内さんの方からちょっとしたエピソードというか、お話があるというところで、ご紹介お願いします。
夫婦の関係性の考え方
平泉達也
はい、そうですね、僕ツイッターでフォローしている方で、山中さんぽさんっていう方がいらっしゃって、さんぽは散歩するの散歩なんですけど、その方が結構家族についてのツイートをいつもしていて、結構共感するところが多いんですが、
あまのっち
昨日だったか今日だったかのツイートで、夫婦の関係性のところで、ゼロサムっていうのとポジティブサムっていう考え方が書いてあって、ゼロサムっていうのは二人がちょっと依存し合ってるみたいな感じで、
何かこう妥協しあったりなんかして、どちらかというと二人で一人みたいな関係性、そうするとどうしてもこう、何かやりたいことがあっても我慢するとかってなってきて、二人で一人、二人で一になってるっていう感じで、その一から抜け出せないような可能性が縮まっていくみたいな関係性のこと。
ポジティブサムっていうのは、夫婦二人が一人一人独立していて、お互いにちゃんと考えを持って行動していて、その上で助け合ったりとかしてるっていうことで、そうすると結構可能性が広がっていって、1たつ1が2以上になっていくみたいな関係性のことっていう。
なんかどっちかっていうとポジティブサムな関係性を築いていく夫婦っていうのは良い関係なんじゃないかみたいなのが書いてあって。
なるほど。
すごく共感はして、前回か前々回か、一人でいられる覚悟があるっていうことが夫婦の関係性を良くするみたいなことを言ったんだけど、多分それとも繋がってる話で。
そうですね。
それを考えたときに逆にちょっと疑問が湧いてきて、一人一人がしっかりしていて、一緒に生きていくっていう中で。
でもなんかそれって別に家族っていう形態である必要があるんだろうかっていう。
平泉達也
なるほど。
あまのっち
別にそういう関係性って仕事のバディみたいなところでもあるだろうし、必ずしも夫婦でいるっていう必要性ってあるんだろうかみたいな疑問が湧いてきたっていう。
なるほど。
平泉達也
それとさらに子供が絡んでくるとまた違うことがあるのかなみたいな。
あまのっち
そもそも家族って何だろうかとか、ポジティブサームに子供が絡んでくるとどうなるんだろうかみたいな疑問が湧いてきてるっていう感じですかね。
平泉達也
なるほど。ありがとうございます。前回の話の中でも一人をちゃんと一という風に認めようみたいな話もあって、子供も本来一なんじゃないかっていう風なところから、でも親からすると実は一に見えてなくて、0点いくつかに見てしまってみたいな話もあったりとかしましたもんね。
では今の話聞いてエリさん思うところとか感じるところとかあればぜひお願いします。
えり
そうですね。私たちの前回の話だとやっぱりポジティブサムよりの感性をこの3人は持ってるのは間違いないと思うんですけど、
私もその家族っていう言葉自体がなんか何だろう、制度感がすごく強く感じて、っていうのは多分私がいろいろ読む本とか昔の、例えばですけど大正時代の小説とか読んでると、
女性が主人公だったりするとやっぱりその家族、昔の家族に押し込められたやっぱり存在、そこからやっぱり文学とかだとそこから解放されていく女性を描くものとかって結構その時代あると思うんですけど、
現代は現代でまた別の形でそういったのが発露してる小説とかたくさんあると思うんですけど、なんかそういうものを読んでると明治時代っぽい家族っていう言葉の印象が強くて、
なんかこう、すごくこう、昔自分が子供の立場だった時には家族っていうことを全く疑問視してなかったけれども、なんか今のやっぱりそういう時代とかっていうのもあって、なんかもやっとするところはあるんですよね。
平泉達也
うーん。
えり
でも天口さんがさっき言ってたみたいに、その家族、じゃあ家族って何なんだっけっていうのはやっぱりちょっと深深と考えてみたいなっていうタイミングでもちょうどあったので、
平泉達也
今日なんかそういう話できたら嬉しいなって思ってます。
家族の形態と物語の関係
平泉達也
確かにそうですね。
あまのっち
いやー今日あの、ドラマのラストマン。
えり
ほうほうほう。
あまのっち
エリさんがあの最終回見て、あのね親子の話だったんだみたいな。
ちょっともし聞いてる人で、これから見ようとしてる人がいるとあれなんであんまり深くは言わないんだけど。
うん。
いや、家族って何のためにあるのかって、人間が物語を作るためにあるんじゃないかって思っちゃったんだよね。
えり
人間の物語。
あまのっち
家族っていう形があるから物語ができるじゃん。
平泉達也
良きにしろ悪きにしろ。
あまのっち
そうですね。
いろんな物語が作れる。
それに僕らは感動したり激動ったりする。
なんかそれを消費するために家族ってあるんじゃないかとすら思ってしまったっていう。
えり
あのドラマ。
あまのっち
あのドラマを見て。
平泉達也
なるほど。
あまのっち
ドラマはドラマに限らず文学でもやっぱり家族っていういろんな形の家族があるからこそ物語が生まれるっていう。
えり
家族っていう言葉に惑わされているかもしれないなって思いながらも一方でもし家族がなかったらいろんな物語は生まれてないかもしれないなってちょっと思ってしまった。
平泉達也
人間が物語を作るためにあるし消費されていると感じてしまう場合がある。
えり
うん。
あれなんか感動したんですけど私は。
あまのっち
麗さん感動しました?
えり
いや、でもなんかこういう終わり方か。
なるほどねっていう感じかな。
ドラマ自体は面白かった。結構面白くて楽しんで見てましたけどね。
でもなんかそう言われてみると確かにな。
あの涙とかね。
家族テーマにしたドラマってすっごいいっぱいありますもんね。
てかむしろそれが一番多いかな。
あまのっち
一番多いし一番感情移入できる気がするんだよね。
えり
そうですね。確かにな。
なんてことを思ったけどこれは多分これで終わっちゃうので。深めなくてもいいかもしれないけど。
あまのっち
ちょっとかぶせてみたくなったので。
平泉達也
僕さっき、えりさが制度って話あったじゃないですか。制度でっていうのはちょっと実は引っかかるところがあって。
結婚されて残念ながらお別れをしてっていう風な方って最近僕の周りで多くて。
結婚は結婚でハッピーだし。
昔のイメージだと別れたっていうのってなんかこう悪じゃないですけどなんかこう罪みたいな感じに思っていた時期が僕もこれは申し訳ないんですけど。
その人たちに申し訳ないんですけど思ってたんだけど最近は逆というかフーンて流せるようになったというか。
離婚、別れたことによってその人の人格がなんか今までは勝手にかわいそうだなって思ったりしてたんだけど。
実際僕の周りでその別れた人を見ると全然そんな人格なんて悪くもないしめっちゃいいやつだしもうすごい最高の奴がすっごいたくさんあるんだけど。
やっぱり初犯の事情によってそういう風になったっていうことによってあの謎の罰位置という言葉が出てきてしまうっていうのをすごい違和感を感じていて。
であるならばそういう制度がなくってそのさっき話にあった別に婚姻届け出さなくても一緒にいるっていう形態もありだよなって思ったりとか。
自実婚と家族の多様性
平泉達也
その制度があることによって傷ついてしまう人とかなんかこうしょってしまう人みたいなところがいるっていうのはなんかちょっと違和感あるしおかしいしっていうのはちょっと今全体の話をずっと聞いてと思ったりしましたね。
なんか離婚の形もいろいろこう事情とかパターンとかいろんなのがあると思うんですけどハッピーな離婚ありますからねお互いに。
そういうのありますよね。
えり
あるししかも離婚した後も元夫と元妻とそんなに関係もこじれてないみたいな。
それが何パーセントぐらいなのかちょっとわかんないですけど。
なんか必ずしもこう悪いこととも限らないっていうかむしろ一緒にいて一緒にいられないって思ってるのに無理矢理一緒にいる方がよっぽど幸せじゃないっていうか。
平泉達也
そうそうそうだからそういう意味でも最初のそういう家族のあり方もあるのかなって。
自実婚とかもね。
自実婚とかね。
えり
あるし増えてきてますからね。
平泉達也
そういうのもちゃんと受け入れられる土壌が環境的にも一人一人の心の中にもあるともっとハッピーになるのかなって思ったりとかして。
なんかそういう様々な形態を受け入れてあげるって大切なんじゃないかなってちょっとこれまでの二人のお話を聞いてて思ってました。
えり
自分も別にこの先離婚する可能性だってあるって思いながら日々過ごしてるんですよね。
あまのっち
そうなんだ。
えり
今のところ全くそういう兆しないんですけど。
でもなんかもしお互いになんだろう例えば他に好きな人できちゃったとかそういうちょっとレベルの低いというか低次元の話じゃなくて。
なんかこう人生の選択とかもっと大切なことで何か理由としてお互いに納得できるようなことがあるんだったら。
子供の存在による関係性の変化
えり
まああり得なくはないかなっていうかそれはなんか結婚する時に言ったかな。
あまのっち
それこそまさに一人でいられる覚悟だね。
平泉達也
確かに。
えり
なんか人生長いじゃないですか今。
だからやっぱりこう自分の人生だし。
やっぱり自分の人生と自分の選択に責任持っていたいなみたいなその誰かに委ねてしまうのではなくて。
委ねられる安心感とかなんかその心地よさとかもあると思うんですけど言って。
平泉達也
でもなんかそれを完全に手放してしまうとなんかブレるな自分みたいなことも思ったりとか。
あまのっち
いやーだからそうかもしれない。
だからそういうふうに多分考え方がどんどん変わっていくのが普通なのかもしれないんだけど。
そう思った時にやっぱり考えたいのが子供なんだよね。
やっぱり今のえりさんの生き方はすごくいいと思うんだけど。
子供がいなければ本当にじゃあお互い頑張ろうねって思われるんだけど。
子供がいる時にそれをどうするのかということはどうなんだろうか。
平泉達也
どうなんでしょう。
なんかでも前回の話でその子供を1と見るか0.いくつで見るかによってちょっとこう変わってくるような気が今僕の中ではしていて。
結局その子供が年齢はね影響はあるにせよ例えば仮に10歳になったらもう一人の大人として捉えた場合はやっぱりそれぞれがそれぞれの人生を楽しむべしみたいな話がなんかしっかりできればちょっとまた違うと思うし
それが逆に1として見ずに0.いくつみたいな形で捉えていくとまたちょっと違う見方をしていくんじゃないかなというふうに思っていて。
これは言っちゃいけないとわかっていながら心の中で思っているのは子供がいるから○○できないみたいな話って時々あるじゃないですか。
えり
多いような気がします。
平泉達也
そうですよね。それって言いたくはないけど本心はそういうとこがあったりとかっていうのはあるような気がする中でちょっと戻ると子供も1なんだからって一人の大人なんだからって捉えた時にちょっと判断が変わってくるかなって。
今まで僕そんなこと思ったことないですよ。
ここの話を聞いてちょっと視野が変わったなって思ったりしたんですよね。
えり
確かに。
平泉達也
でも実際どう思うかわかんないですよ。その場に迫られないと。いやいやいやって。
えり
その子がどれくらい理解できるかっていうのって何歳って決まってないじゃないですか絶対。
平泉達也
決まってないですね。
えり
だからやっぱりその子が例えばですけどこうどうしたいみたいなあなたはどうしたい私たちは今こういう話をしてるけどその場合あなたが一人には今はなれないよねみたいなどうしたいとかなんかそういう話し合いができるという状態が1なんだったとしたらなんかありえそうな気がします。
でももしなんかその両親離婚した場合でもこじれちゃってると真剣どっちみたいなので揉めたり裁判したりするじゃないですか。
依存先の広がり
えり
そうなっちゃうとすごい不幸ですよね子供すごい引き裂かれるしなんか例えばあの私と夫の子がいたとして私と夫が離婚して真剣は私が持ちましたってなってもうもうこの子には会わないでくださいとかってなっちゃうと
その子が本当は会いたいのに会えないとかそれを親がコントロールしちゃってるとかなんかそういうのはすごく不幸だしすごく子供にとっても良くないことだと思うんですけどなんかそうじゃないような形の離婚とかだったらなんかこう
あまのっち
結婚してる夫婦ではないけどその子供を交えたそれぞれの関係性っていうのはキープされていくと思うんですよね
同じことを言っちゃうかもしれないんだけどそうするとやっぱり子供が親に対する依存を薄めることが重要なのかもしれない
お父さんかお母さんしか依存する先がない愛されている実感がないとやっぱり子供ってどっちについていくって言われたらどっちかについていくしかなくなるしお父さんと例えば離婚してついていったとしてもお母さんにも会いたいってなる
そうなるからやっぱり親も離れたくないってなるしどうしようってなったときに例えば親が10人いたとしたら親的なものが最初から
そうしたら別にみんなに会いたいって多分ならなくて別に誰かに会ってればいいやみたいな
えり
なるほどねー
それ新しいですね
あまのっち
なんかそれが何か手放すってことにも何か繋がる
えり
はいはいはい
あまのっち
なんか新しい家族の感じ
確かに
子供側から見た目線って何か必要だったのかもしれないな
平泉達也
それは思いますねやっぱり
やっぱりその真剣どっちにするのみたいな話になると大体親同士の話が大体私が僕がみたいな話になるじゃないですか
子供に選択権ってないのが多分多いと思うんですよね
それはこうあくまでも親の思い込みで生活していく能力がこの子にはないから親が決めるんだみたいなシナリオだと思うんですけど
一歩ちょっと引いて考えるとそれよりも前に本人の意思を確認するっていうのがすごく大切だなっていうのを思いましたね
あまのっち
私その選択肢がたくさんあった方がいいんじゃないかっていう
平泉達也
なるほど
あまのっち
だから親が自由になる
親が自由にいるみたいな
現実的じゃないかもしれないけどちょっとSF的に考えてみるっていうことで言うと
えり
なるほど
あまのっち
これでいくとゼロサムとポジティブサブのところで今の社会的にはやっぱりゼロサムが多い感じなんですかね
多いとは言えないかもしれないけどこじれるパターンって大体それなんだろうなって
えり
不満がすごい噴出したりっていうのはそっちのパターンっぽいですよね
あまのっち
そうするとポジティブサブが本当にいいんだろうか
えり
このゼロサムとポジティブサムの話っていうのは子供は絡んでない関係性のカップルの話でしたっけ
あまのっち
その先は読めてるっていうか見えてないんだけどもしかしたらあるかもしれないけど
平泉達也
ツイートを見る限りはそうね
あまのっち
2人の関係性
家族の外の関係性の重要性
えり
2人の関係性だったらね割とシンプルに見れますけどね
平泉達也
それが3人とか4人とかになってきた時の結構見えないっていうか
あまのっち
考える余地がすごくあるっていうか
平泉達也
ちょっと話とれちゃうかもしれないですけど
ポジティブサブの方って一人一人が独立してるっていうような話があったじゃないですか
独立してるっていうのはちょっと正解はないかもしれないですけど
どちらかというとそれぞれ主体性を持ってたりとかやりたいことが明確であったりとかっていう人が
一対一で成立する世界であるのであるならば
ゼロサムの方はお互いこう
委ね合っていてっていうところを考えると今の社会的になんかそういう風に
独立できない人もまあまあいるような気がするんですよね
怖い人って言ったらちょっと性格じゃなくてなんかこう
なんか独立したいんだけどできないみたいな人も当然いて
そういう人たちが一緒に家族を形成するっていうのも当然あってみたいな
それによってこう起きるその
あまのっち
なんか
平泉達也
コジラ性みたいなのもあるような気がしてるんですけど
なんか
自分が独立できるんだったらみんないいかなと思う反面一方でそうそうやりたくてもできない人も確かにいるかもしれないなと思ってたりとか
ちょっと思ったりもしましたね
えり
それはいますよね
あまのっち
最終的に独立って言う言葉がいるのかあれだけど
独立していけるっていう方向を目指して
平泉達也
今は助け合いっていう形ならいいのかもしれないんだけど
あまのっち
なんか
とにかく弱い私たちだから一緒に生きていきましょう
だと
なんか
なんとなく先が暗い感じが
どうしてもしてしまうというか
平泉達也
そうですね
えり
なんか連帯って言葉あるじゃないですか
でなんだろうなその独立したいけどできない人って
ちょっと私の
考えというか
引き出しだとあの経済的なものとかしかちょっと出てこない出てこないんですけど
あとメンタルとかなのかな
いろいろあると思うんですけどなんかそういう人をこう
周りの人が
独立できるような方向に持っていけるように
助け合うっていう
2回目の話の中で助け合うって言葉が出てきましたけど
なんかねそういう関係性っていうのも広げていけると
その
一人だと独立できないんだけど誰かに手伝ってもらったりとかすれば
その可能性が広がっていく人もいるかもしれない
あまのっち
なんかパッと思いついたんですけど
平泉達也
家族のあり方を深めるっていう話ですけど
なんか家族の中だけにこだわる必要はないかもしれないと思っていて
その家族っていう
その
なんか周りにいる人たちに
応援してもらったり手伝ってもらってもいいのかなっていう風に思ったんですよね
家族の中だけだとお互いがこう
委ね合っちゃってややこしくこじれちゃうかもしれないんですけど
それをなんか
正々堂々ちょっと助けてっていうことも大切なのかなって思ったりとかして
そういうなんか世の中だったらなんか
家族も成立するし
独立できてなかったとしてもその人たちもなんか少しずつ独立に向けて
歩んでいけるような気が今ちょっとしたりもしましたね
えり
なんかその最初の制度っていう話をしましたけど
近代以降の政治ってやっぱりその家族を一単位として
見てるっていうか何でもかんでもそうで
例えばですけど息子娘が生活保護を申請したいんだけどみたいな場合に
親は援助できますかとか
それで親がいれば生活保護の対象にならないとか
そういう例とかいくらでも見つかると思うし
結婚、自立婚が最近では色々自治体によって認められたりとか
あと同性婚とかそういうのも徐々に遅いですけど日本は
広がってきたと思うけどでも1年前2年前だったら
もうなんかダメですみたいな感じだったじゃないですか
ダメですっていうのはやっぱりその家族としてあるよっていう
そういうメッセージじゃないですか
言葉の影響と家族の枠
えり
だからそこに結構やっぱり日本で暮らしてると
思考を縛られるというかその枠に枠内でしか物が考えられなくなるっていうか
だからあんまり飛躍っていうか広げて自由に考えることが
その家族っていうことがなかなかやりにくいんだと思うんですよ今までって
だからなんか私も話しててもなんか色々言っても
それって結局今まで通りの家族の枠ははみ出たようなことを
言ってないなっていうのをこれだけ時間かけて話してても
だからすごくこう思考が固められて凝り固まらされてるなって
すごく思ったっていうのをこの3回この3人で話させてもらって
すごい感じた感想ですけど
あまのっち
そういう意味では言葉ってすごく重要で
日本語って例えば色とかでもいろんな言葉があるから
言葉がいろいろあるからこそ色の見え方が違うみたいに
家族っていうのもなんかいろんな家族の言葉があれば
なんか思考が広まったりするのかもしれないって思うと
なんかやっぱり僕ら世代で言ったらなんか分かんないけど
やっぱり家族っていうとなんかまず結婚するのが当たり前で
子供を産むのも当たり前で
結婚したら最後まで添い遂げるのが当たり前でっていう
それがやっぱり前提にあって
っていうところから抜け出せてなくて
やっぱり言葉が縛り付けてるっていうところがすごく大きいなって
思うんだけど
でもなんか今聞いてて思ったのは
やっぱりその2人の関係性
夫婦2人の関係性は多分急速に変わっていく気がしていて
やっぱり世界も変わっていってるから
日本も多分遅ればせながら多分追いついていくんじゃないかと
だけどやっぱり子供が絡んでくると
やっぱりそううまくはいかないなと思って
で、思ったのが
家族会議の重要性
あまのっち
15歳、子供が15歳になったら
えり
一旦考える変化法律を
家族会議をすればならないという
あまのっち
はい、15歳になりましたね
子供、あなたどうしたいですか
夫婦、あなたこのままこの家に行きますかって
聞かなければならないっていう
平泉達也
いいかもしんない、それ
えり
家族会議をせねばならない、いいかもしんないですね
平泉達也
15歳か
ちょうどいいかもしんないですね
えり
そうですね、確かに15歳ってね
平泉達也
いいかも
あまのっち
なんとか一人でも生きていけるし
平泉達也
生きていけるし
子供もそういうのを求めそうだし
親としてもそういう機会があるとありがたいかもしんないですよね
線を引いて期限を設けてるから
そこに向けて考えていくじゃないですか
我々って
あまのっち
そっかーって
えり
それいいかも、やろう
締め切り大事説
平泉達也
確かに
そこに向けて家族のあり方をね
もう一回ちゃんと考えるでしょうしね
えり
反省もしますよね
これまでの家族の運営どうだったかなみたいな
平泉達也
そうそうそうそう
いいですね、それ面白い
えり
いいですね
いいこと聞いた
平泉達也
やっぱりこう、そう考えると
子供がどう大人になっていくか
みたいなところのタイミングってやっぱあるってことだし
それを分かった時に
親は親で認めないといけないってことですよね
あまのっち
やっぱり人間って
生まれた時には
動物の中でもたぶん
一番成長するのに時間かかる
独り立ちするのに時間かかるんだろうなって
10年とか15年
一人じゃ生きていけないなんて
えり
普通はもう殺されるじゃん
確率になって
あまのっち
そうですね、間違いなく
やっぱり
平泉達也
その時点で不自然なんだよなと思って
無理があるってね
15歳になったら
家族会を開くっていうことで
この家族についても一旦
一区切りつけますか
あまのっち
それでいいでしょうか
平泉達也
お時間も
でもアイデア的にめちゃくちゃいいなって
えり
僕は思ったんですけど、えりさんどうですか
すごい良いと思いました
15歳で義務教育も終わる年だし
平泉達也
ちょうどいい
えり
子供の進路の話はするけど
確かに家族全体の話をする機会が
あるといいですね
平泉達也
家族会議を開きますみたいな
えり
めっちゃいい
あまのっち
いいですね
平泉達也
3回シリーズどうもありがとうございました
えり
またよろしくお願いします
ありがとうございました