1. 康太郎雑技団チャンネル
  2. vol.009「ぼくたち、わたした..
2023-07-09 40:54

vol.009「ぼくたち、わたしたちの目指す家族の カタチとは?」 康太郎雑技団チャンネル

今回は前回につづき、あまのっちさん、えりさんと家族のお話。ぼくらが目指す家族のカタチを語らいました。

サマリー

このチャンネルでは、家族の形を考える話をしています。助け合いや1人の存在、そしてコミュニティのようなお付き合いが家族の形を作り出すポイントとなっています。私たちが集まったコミュニティを家族にしようとすると上手くいかないことがあります。家族という存在は偶然性の繋がりがあるものであり、お互いの多様性が重なり合った結果作り出される感覚が大切だと思います。近しい人が集まってきている私たちの会社の価値観を築くことや贈り物のお返しについての考え方について話し合っています。

家族の形を考える
平泉達也
はい、みなさんこんにちは。このチャンネルは、あの前に、康太郎雑技団チャンネルです。みなさんこんにちは。
このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間が、それぞれが持つ発行させた技を、対話を通してさらに次の創造を実現する番組です。
今日もよろしくお願いします。今日のゲストは、前回は家族についてお話をしたんですけれども、前回に続きまして、天内さんと衛里さんです。よろしくお願いします。
天内さん、お願いします。
天内です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。衛里さん。
えり
はい、よろしくお願いします。
平泉達也
よろしくお願いします。この3人でお話をするのは3回目ということで、前回家族のお話をさせていただきましたが、最初のきっかけはですね、僕が我が家の奥様との夫婦喧嘩についてからスタートして、
そこからエイリーさんの家族が増えるというようなお話であったりとか、親としての責任とか、そこは価値観の押し付けだったり、そこには呪いがあったりするよねというような話があったりしたかなというふうに思います。
それぞれのお家の、それぞれのエピソードがあってまた盛り上がったかなというふうには思うんですけれど、そんな中ですね、今日はですね、家族の形を考えてみようというようなことで話をしていきたいなというふうに思うんですけれども、
家族の形っていうといろんな考え方があると思うんですけどね、このあたりどうですかね、小野寺さん。
あまのっち
そうですね、一般的には助け合って生きるみたいな感じで、一人よりも二人の方が、昔で言ったら一方が稼いで、一方が家で、家を守るみたいなことで、その延長線上で夫婦二人だったら両方が稼ぐの方が、
平泉達也
一緒に暮らす方が効率的だし、子供が生まれたら子育ても一緒にやってみたいな、助け合いっていうのは一つの家族の形なんだけれども、なんかどうもそれが最近はしっくりきてないのかなみたいなところなのかなみたいなところは感じてますけどね。
助け合いみたいなところはキーワードですかね。
あまのっち
うーん、一つ。なんかでもそれってこう、ケアじゃないけど、なんか言葉にできない、簡単に分けられないところだから、例えば喧嘩みたいなことが発生するとか、言わなくてもやってよみたいな。
お前でもそんなことやってくれなんて言わなかったじゃないかみたいな。よくありがちな感じかな。なんかそこから抜け出す新しい形みたいなのがあったら面白いかなみたいな。
平泉達也
近いからこそみたいなところありますからね。
えりさんはどうですか。
えり
私も家族に抱くイメージはそういう助け合いとかなんですけど、前編、前回のお三人の話の中で、薄めるとか弱めるとか。
結構重要な気づきというか、そういうのあったと思うんですけど、近いからこそ分かってもらいたいとか、何も言わなくても伝わってほしいっていうのが多分、いざこざの原因になったり、家族間の不安の出どころになってきたりすることが多いっていうのは私も思っていて、経験あるし。
あまのっち
そのあたりとかもポイントなんだろうなって思ってますね、今。
平泉達也
近いからこそっていうところでいくと、親がいる時とパートナーがいる時とって、ちょっと同じなのかもしれないけど違うような気がしていて、
あまのっち
パートナーは近いんだけど、やっぱりパートナーで他人からの家族になった人だから、そのあたりって少し気を使ってるような気がするんですけど、
親の時ってもう生まれた時からそこに所属するじゃないですか。
えり
ちょっと違うような気がするんですけどね。
あまのっち
生まれてみればそうだね。
平泉達也
そこって甘えもあるんだけど、ちょっと違う形みたいな気がしちゃいますよね。
あまのっち
うん、違うかも。
平泉達也
で、その中で助け合いっていう表現したいからいいか、僕もちょっと分からなくなってきちゃった。
なんて言ったらいいのかな。
1人の存在と助け合い
平泉達也
助け合うだから、お互いが本来はちょっとずつ手を差し伸べればいいんだけど、差し伸べてなくて自我が出て、分かってよみたいな感じになっちゃうところですれ違いが出てたりするんですよね。
あまのっち
やっぱりこう、分かって当たり前っていうところが、やっぱり距離が近すぎるっていうところが一つあって、
その時それをエイさんが言った薄めるとか、関係性がちょっと強すぎる部分を弱めるっていうのは、
それによってこう、分かって当たり前が、
平泉達也
まあ、そうは言っても一人の人間だから分かり合えないのが当たり前っていう方向に気づきに、
あまのっち
何かしらがあればそこでそういう風な方向になれるんじゃないかっていうのは思っていて、
なかなかでもそれに気づけない家族が多いんじゃないかな。
平泉達也
分かって当たり前から抜け出せない。
それをこう、分からなくて当たり前の方にこう、行くにはどういう風にしたらいいのかみたいなことはちょっと多い。
あまのっち
そうか。
え、分かって当たり前から分からないで当たり前でしたっけ?
平泉達也
まあ、あの、我らがドミニクチェーンさんじゃないけど、
分からなさから始まるというコミュニケーションのあり方は、
家族でもやっぱり当てはめるんじゃないかっていう。
あまのっち
そうですよね。
そうですね。
それは大きい。
えり
なんか前回のトークを終えた後に、
ツイッターでやり取りだったと思うんですけど、
基本的な構成単位を1。
自分とか相手とか誰かとかっていう1にして、
その1同士が集まってきて、
平泉達也
家族なら家族を作ってるっていう感じに思うと、
いいのかなってちょっと思ってたんですけど。
えり
本当それは。
家族で1ってしちゃうと、やっぱりなんだろう、
自分と家族の構成位の誰かの境界線が、
自分と重なりすぎちゃうと濃いんだと思うんですよ。
濃くなっちゃう。
でも関わってる以上、別に家族じゃなくても、
友達とか同僚とかでも、
何かを共有してる場合、
重なりはあると思うんですよ。
ちょっとでも。
多分無かったらもう本当に、
ちょっと没交渉みたいな感じの関係性になると思うんですけど、
コミュニティのお付き合い
えり
そこの良い塩梅、
重なりが良い塩梅だと、
家族もうまくいくんじゃないかなっていう感じもします。
あまのっち
そうですね。
重なりか。
良いね、重なり。
平泉達也
本当1人単位1っていうのはすごく思ってて、
別のところである言葉に出会ったんだけど、
1人でいられるっていう覚悟が、
あまのっち
家族になるための土台になるんじゃないかっていう、
平泉達也
一見矛盾するようなことなんだけど、
1人でも生きられるっていう覚悟というか、
自信みたいなものがあって、
家族になれれば、
あまのっち
うまいこといくのかな。
1人ではいられないから家族で助け合いましょうってなると、
やっぱり依存みたいな感じになったりして、
どっかでうまくいかなくなるのかなって。
えり
その単位1っていうのはすごく大事なことかなと。
前回、子どもに対する責任みたいな話も最初の方出ましたけど、
その責任っていうのはなんだろう、
赤ちゃんとかの時、何歳くらいまでかわかんないですけど、
自分でもの考えられるようになるまでは、
責任がある、どうしたってあるし、
責任なかったらちょっとどうなっちゃうかわかんないので、
あったほうがいいと思うんですけど、
やっぱりあるところから小田さんがおっしゃってたみたいに、
子どもは社会からの預かりものみたいなセリフもありましたけど、
大石春さんの言葉があったって紹介してくださりましたけど、
やっぱりどっかのタイミングでそういう風にして、
子どもも構成単位1にちゃんとして、
あまのっち
それで家族が成り立っていくっていう風にすると良さそう。
確かに。
ある瞬間から子ども自身も1になってるんですよね。
平泉達也
生まれた時は0点いくつって親が勝手に思ってるんだけど、
気がついたら、本人が私は1ですみたいな風に主張をしてくるんですけど、
親はまだ0.7ぐらいじゃね?とか8ぐらいじゃね?みたいな感じはあるんでしょうね。
あまのっち
そこでまたちょっと違うコミュニケーションというか、
平泉達也
ズレが出てくるかもしれないですね。
えり
子離れとかいう言葉ありますからね。
平泉達也
ああ、親離れ子離れ的な。
えり
そこの見極めっていうか、
絶対1にどっかでなるんだっていう意識がないと、
いつまでも30代40代になっても、
いまだに親が家保護みたいな状況になっちゃって、
あまのっち
おかしなことになっちゃってみたいになりそうですよね。
平泉達也
天の地さんとえりさんは自分が小さい頃、
私は1になったと思った時はどんな時でしたか?
あまのっち
いや、でも明確に参考した時があって、
小学校5年生、6年生ぐらいの時に、
町内の会合みたいな、
平泉達也
集まりみたいなのが定期的にあって、
それに必ず家族で参加するんだ、
あまのっち
みたいな感じで参加させられてた時があって、
ある時からそれはすごく嫌になって、
その時にちょうどどうしても見たいテレビ番組があって、
アメリカ王団ウルトラクイズっていう。
懐かしい。
どうしてもそれが見たいと。
僕は一人で家でこれを見るんだって、
平泉達也
すごくはっきりと自己主張した瞬間、
その時に僕は家族と一心同体じゃなくて、
あまのっち
一人の人間なんだみたいな主張だったような気がする。
平泉達也
そこから親も少し、
あ、なんか主張してるなみたいな。
尊重してあげないといかんのかな、
切り替わった瞬間だったような。
あまのっち
エリさんは気づいたら1になっていて、
平泉達也
中学校自体はすでに1だったとか。
えり
どうですかね。ちょっと分かんないんですよね。
完全に社会人になって、
大学まではやっぱり親に支援されてたので、
そこを卒業した後は完全に1だなっていうのはあるんですけど、
でも多分それより前に今の青野知さんみたいに、
思ったのはもっと早かったんじゃないかとは思うんですよ。
あまのっち
ただそれがいつだったのかっていうのがちょっと分かんない。
平泉達也
その話でいくと僕は確かに自分自己主張して、
この学校に行きたいとか、この塾で習いたみたいになって、
さっきの青野知さんと同じようにこのテレビが見たいものは当然あったんですけど、
1っていうところで完全に1って思ったのは、
父親と喧嘩をして言いまかしたときがあったんですよね。
えり
おーすごい。
平泉達也
それが高校ぐらいのときでバトルはしてないんだけど、
言い争いの中であれって思っちゃって、
それまで父親って話をして言いまかされそうになると、
バコーンってある意味ちょっとアウザですけど、
叩いたりとか頭を殴ってきたりとかっていう感じだったんですけど、
でも対等で話をしてたときに、
そのときはあれ反抗し、反応殴られちゃったなみたいなときがあって、
そのときはありましたよね。
だから母親に対してというよりは、
父親に対してのときのインパクトが強かったかもしれないですね。
じゃあちょっと家族の形っていうところに戻しましょうか。
えり
そうですね。
平泉達也
そうですね、家族の形っていうと、
あまのっち
今日はせっかくなんでザック・バランに理想とする家族とか、
平泉達也
僕は新しい家族とかっていうのも、
さっきもちょっと話しましたけど、
この前深井さんが超相対性理論で、
いつもコミュニティを作りたいみたいな、
コミュニティってそもそも家族の誓いみたいなところがあるような気がしていて、
他人でもない中で新しい、
簡単に言うと、
あまのっち
商店街的なお付き合いができるのが面白いなと思ったりするんですけれど、
平泉達也
どういうつながりがあったりしますかね。
あまのっち
例えば、
阿波犬が家族だとしたら、
面白い。
家族作りの試み
平泉達也
どうなんだろうか。
だから深井さんが言ってるのもそれに近いような気がしていて、
あまのっち
例えばエリさん、子供が生まれて、
どうしても預けたいってなった時に、
もし阿波犬のメンバーがみんな近くに住んでたとしたら、
平泉達也
誰かちょっと預かってみたいなことを言えそうな気がする。
近くにいたら言えるかもしれない。
平泉達也
言えるし、受け入れられると思う。
受ける自信がある。
あまのっち
そうなんだよね。
手が空いてさえすれば、いいよって簡単に言いそうな気がしていて、
そこって何なんだろうっていう。
平泉達也
深井さんの自信も多分こういうことなんだろうなって。
えり
そうですよね。深井さんも、
見ず知らずの人に預けようっていうことは多分全然思ってないじゃないですか。
自分の出雲っていうコミュニティの中で知り合いがいて、
何かを経営されてる方とかもいらっしゃるみたいなお話だったと思うんですけど、
そういう友達知人関係が、
家族をちょっと広げてるみたいな、
そういうイメージなのかなと思って、
なんか私この間ですね、
NHKのクローズアップ現代をたまたまつけてて、
何だったかなと思ってさっき調べたんですけど、
その番組のタイトルが、
家でも学校でもない第三の居場所。
ヒントは昭和の長屋文化っていうタイトルだったんですよ。
そこで紹介されてたのが、
一個は駄菓子屋さんで、
その駄菓子屋さんが、
そういえば比喩だったかな。
別に儲けようと思ってるわけじゃなくて場を用意して、
よく学童保育とかあるじゃないですか、小学生とかの。
あんなイメージで、
学校が終わった後に、
その駄菓子屋さんに集まってきて子供たちが、
そこで遊んでみたいな、
そういう場を作ってるみたいな話と、
もう一つは、
渋谷にあるビルのワンフロアが、
あまのっち
シェアマンションみたくなっていて、
えり
そこに、シェアマンションって別に、
住人同士仲良くなってもなんなくても、
どっちのパターンもあり得ると思うんですけど、
そこは家族、血縁関係ないんだけど、
みんな住んでる人は家族っていう意識でやりましょう、
みたいな、
そういう社会実験をしてますよっていうのの紹介だったんですね。
そこを学長家族って名付けて、
実験をしてるみたいなんですけど、
そういうことなのかな、
それだけじゃないと思うけど。
今、天口さんが、
阿波県がもし近くに住んでたらみたいな話で、
あまのっち
私も思い出したんですけど、
えり
友達同士で、マンション、
全員友達みたいな、
状況だったらいいよねみたいな話を、
あまのっち
結構してた時があって、
えり
みんなバラバラに住んでるからなかなか会えないけど、
一つの場所に住んでたら、
あまのっち
ちょっと会えるねみたいな、
えり
そんな話もしたことがあるので、
いいなぁと思いますけどね、近くに。
やっぱり助け合えるとか、
一緒に時間過ごせるみたいなのがあったらいいなと思います。
平泉達也
リタの話になっちゃうかもしれないですけど、
いつぞ山口さんとも話したかもしれないですけど、
思いかけずリタみたいな本があったりしたりするじゃないですか。
リタって助け合いで、
思いかけずっていうところが実はポイントで、
助け合わねばならぬから、
だから助け合いしましょうだと、
それはちょっとリタのようで、
実はリコみたいな話になっていて。
その話で考えると、
阿波県で集合した時には、
多分思いかけずリタの集合体のような気がしていて、
誰かがリーダーシップでワイワイやってる、
やってないんだろうな、
お互いがお互いの、
お互い様って言葉があるような感じで、
みんながハッピーになるといいよって言って、
少しずつ添えるというか、
出していくみたいなところの関係地が
すごく心地よくて、
それがいつか巡り巡ってまた自分の元に戻ってくる、
みたいな感覚だと思うんですよね。
確かに阿波県が、
みんな物理的に近くにいたら、
それは面白いよなぁ、
みたいなところはすごい思いますね。
えり
この間のアトリエデイの2回目の時に、
阿波県でやりたいことありますかみたいな、
みんなでちょっと発表し合うみたいな。
私そこに子どもが来れるような、
子どもが来れるような、
催し、集まり、なんだろう、
ちょっとわかんないですけど、
そういう企画あったら楽しそう、
みたいなことを書いたんですけど、
それも阿波県だからできそうだなって思ったんですよね。
大人同士の、
大人っぽい話だけじゃなくて、
これで作るとかいう話もあるから、
しかも子どもの時の感覚を思い出そうよ、
みたいなのも一部あった気がするんですよね。
子どもの時はもう、
何も考えずに作ってたじゃん、みたいな。
だけど、誰かと比べたりとかし始めると、
自分の下手さとかが、
恥ずかしくなっちゃって、
次第に作ることをやめていく、みたいな話が、
太郎さんの講義の中でもあったと思うんですけど、
そういう話を踏まえて、
子どもがいて一緒に作れば、
みたいなところがあったら、
多様性と共通項
えり
すごい楽しそうって思ったから、
そう書いたんですよ。
だから大人だけの集まりは、
もちろん楽しいんですけど、
それだけじゃなくて、
小さい子でも、中学生でも高校生でも、
いいと思うんですけど、
いろんな年代の人が関われる場は、
作れそうだな、みたいなことを、
あわけんだったらできるなって思ってるんですよ。
確かに。
あまのっち
確かに、ハセロの作品がめっちゃ羨ましいなって、
平泉達也
思ったけど、
あまのっち
エリさんの子さんを観察できたら、
平泉達也
それができるかもしれない。
観察したいですよね。
えり
観察したいのにまとまったよね。
平泉達也
連れて行けるようになったら、
えり
連れて行きたいなとか思ってるんですよね。
あまのっち
そういうアトリエでとかに。
悪い男になっちゃう。
えり
お母ちゃんも生まれたって。
ツイッターに書いてたから。
あまのっち
同級生。
えり
だから、子どもを、
例えば、自分の夫とか親とかに預けて、
大人の集まりに行くとかって、
みんなやってるじゃないですか。
連れて行けたらいいなって思いますよね。
平泉達也
うちは行きたいって言ってますよ。
あまのっち
すっごい行きたいって。
えり
活躍してますからね。
娘さんの作品、私たち見てますし。
絵とか、写真も見せてもらいましたもんね。
会いたい。
平泉達也
昨日も、
私はサラリーマンには絶対ならないっていう風に
言ってみて、
でも、パパは違うぞって言ってくれたのは、
多分、阿波県に参加させてもらってるから、
ちょっと違うっていうところがあったと思うんですけど、
うまく表現できないけど、
お互いがお互いの家族を、
あまのっち
みたいなところで、
平泉達也
じゃあそれだけで、みんな一緒に作っちゃおうか、
みたいな感じの、
活動というか、
あれできればいいかなって思ったりしますよね。
えり
子どもが大人に教えてくれるみたいな、
そういう企画があっても面白そうだし。
平泉達也
そうそう。
子どもが大人に教えるやつでしょ。
家族の偶然性
平泉達也
天才○○君みたいなのありますもんね。
そういう意味だと、
りなさんのお子さんとか絶対来てほしい。
あまのっち
うん。
えり
りなさんのお子さん、絶対センスあるもん。
平泉達也
センスある。
間近で会いたい、サインもらいたいぐらいの感じ。
あまのっち
そうか。
平泉達也
あわけんで実現できるかもしれないってことですよね。
あまのっち
あー。
平泉達也
だってないもん。
そもそもあわけんっていう、
こういう感覚がまずない中で、
あまのっち
そこに家族っていうエッセンスが入ってくると、
平泉達也
全然違う世界があったりするな。
えり
私がさっき話してたのは、
友達関係の中で、
友達が一緒に住んだら面白そうっていうのはありましたけど、
あわけんは別に、
今や友達っぽいかもしれないけど、
もともと別に違うじゃないですか。
友達になろうと思って集まったわけじゃないじゃないですか。
講座を受けるために集まったら、
たまたまこういう人たちだったっていうことだから、
しかも、
友達は多分似通ってる気がするんですけど、
あわけんはちょっと多様性がすごすぎるっていうのもあって、
いろんなワークグラウンドの人が来てるし、
年齢・性別様々だし、
職業様々だしみたいな。
やっぱり自分と似てない人と、
これだけ交流がうまくいってっていうのは、
結構奇跡的な気がするんですよね。
あんまり他のコミュニティに参加してないっていう
性もあるかもしれないですけど、
すごい奇跡的なものを感じていて。
平泉達也
それは僕も奇跡的なところをめっちゃ感じてます。
えり
でもあわけん以外にも、
うまく作れるんですかね。
あまのっち
なんだろう。
えり
まぐれかもしれないじゃないですか。
平泉達也
この感じが。
制度のベースは多分、
あまのっち
用意できるとは思うんだけど、
平泉達也
発生するかどうかはわからないみたいなことでしょう。
あまのっち
多分。
平泉達也
こうたろうさんみたいなアイコンがいて、
あまのっち
作るっていうのも多分、
えり
一つすごくキーワードで。
ちょっと忘れてた。こうたろうさんの元に私たちは集まったんですもんね。
そうそうそうそう。
あまのっち
忘れてた。
えり
すっかり忘れてた。
忘れてはいけないことを。
平泉達也
ベースの価値観みたいなところが、
僕らは共通項としてあって。
えり
そうだそうだ。
平泉達也
多様だけの上に共通項があるんだ。
そうそうそうそう。
多様なエッセンスというかブロックが重なっているような気がして、
ダイブすると、やっぱり手握るよねみたいな。
握手するよねみたいな。
こんな感じの世界なんだろうな。
あまのっち
そうだそうだ。
平泉達也
家族作るっていうよりは、
できるみたいな。
感覚なのかもしれないな。
何か作ろうと思って作るんじゃなくて、
あまのっち
何か出来上がってしまったコミュニケーション。
平泉達也
何か出来上がってしまったコミュニティを、
まとめて家族にしちゃうみたいなことの順番が、
そっちの方が上手くいくのかもしれないよね。
あまのっち
うん、そこは確かに間違いないかもしれない。
えり
家族になろうよみたいな感じで集まると、
ちょっと上手くいかないそうですよね。
あまのっち
上手くいくイメージがあまり湧かない?
平泉達也
家族、リアルの家族も、
偶然性の繋がりみたいなのがありますもんね。
えり
ありますね。
ちなみにお二人の、
結婚のきっかけ、出会いのきっかけ、
どういう人と結婚したんですか?お二人。
顔が今、
ちなみに私は、
同じ会社の人と結婚したんですよ。
だから、やっぱり同じ会社に入るってことは、
どっかしら、
私たちの会社の価値観
えり
根元は近い人たちの集まりだと思うんですよ。
一つの会社に入るってことは。
ここで働こうって、
何かしら理由があって入った人たちだから、
やっぱり喋ってて、
話が合う人が多いっていうのは多いんですけど、
遊びに行ったりとかもあるんですよ。
そんなに規模が大きすぎないっていう
せいもあるかもしれないんですけど。
私たちの会社の場合は、
近しい人が集まってきてる感がなんとなくあって、
同期とか見てても。
全然性格とかはそれぞれ違いますけどね。
ただ婚程で近いのかなと思って、
だから社内結婚とか多くて、
私も例に漏れずで結婚したんですけど、
という繋がりで。
平泉達也
僕も前職が一緒でしたね。
今の会社は転職なんですけど、
前職が一緒で、僕が先輩で、
彼女が後輩、一個下の後輩で。
あるある先輩ちょっとカッコつけてます。
ちょっとできる風みたいな。
えり
年近いし仲良くなるってやつですね。
平泉達也
なるで、ちょっとね、みたいな。
結構、やっぱり一緒に時間を過ごすと、
それなりに分かってくるじゃないですか。
仕事をずっと結構ヘビーで、
2時、3時くらいまでよくやる会社で、
会社だったんで、
辛いも一緒に、
酸いも甘いもじゃないけど、そういう風な世界だったんで。
それで、ですかねーって言うと、
お前他にも同じような奴いたのになんであの子なの?
みたいなこと言われるんですけど。
なんでなんですか?
なんかね、美人さんでしたね。
あまのっち
みたいなそんな感じでしたね。
平泉達也
そうそうそうそう。
これ以上話をさせるとちょっとずれてっちゃうので、
ちょっと今抑えようとしてます。
そこはちょっとグッとこれ、また別の回で。
えり
別の回でね。
人はなぜ惚れるのか?くらいのテーマでいいかもしれない。
平泉達也
恋愛の話なんかね、やったら面白そう。
このおじさんはどうなんですか?
大学の時の初の先輩後輩。
へー。
それはそれでまたちょっと偶然の出会いですかね。
あまのっち
結婚の時は。
平泉達也
偶然の出会い、タイミング。
最近、結婚する前に、
価値観のすり合わせしましょうとか、
あまのっち
徹底的に話し合ってからにしましょう、
平泉達也
みたいなことが結構言われてるって聞いたことがあるんだけど。
へー。
意外となんか付き合ってる時って、
あまのっち
本当の自分出してない。
今思うと僕は全然本当の自分出してなかったし、
平泉達也
だからそもそも分かってなかった。
自分で自分の本当はってことですかね。
えり
そうそうそうそう。
その状態のまま結婚してるから、
平泉達也
結婚した後にいろいろとやっぱりすり合わせが必要になってきて、
やっぱり20年以上経ってやっと分かり合えたみたいなところがあるので、
なんかその点アワケンって、
そもそもそのベースの価値観が近かったとか、
作るっていうことによって、
なんかこう、
それこそなんか自分一人での
あまのっち
アワケンっていうか、
アワケンを作るっていうか、
平泉達也
それこそなんか自分一人でやっていけるんだとか、
やっぱり一人なんだみたいなことを分かった上で、
みんなが集まってるような気がするので、
あまのっち
なんかそこってちょっとこう、
平泉達也
普通にこうお付き合いをして結婚しますっていうのとは、
関係性が全然違うような気がする。
確かに。
あまのっち
この2つの違いは何なんですかね。
贈り物とお返し
平泉達也
アワケンのメンバーが近所にみんなが住んでいたら、
あまのっち
楽しいというか、それは楽しいし、
平泉達也
お互いおせっかいやってそうで、
今日ちょっと作りすぎちゃったから、
カレー作りすぎちゃったから食べてとか、
さっきの最初にえりさんが言ってた、
妹さんがズカズカって入ってきたっていうのは、
他人の中でも成立しそうな感じがする。
ただその時に、
あの時作ってくれたから、
あの時作ってくれたから、
今度返さなきゃみたいなことは、
あまのっち
あんまり思わない気がして。
えり
ごめんなさい、どうぞ。
例えばもらったとすると、
もらってくれてありがとうって思うのが、
アワケンな気がします。
あげたのにみたいなことを思う人いなそう。
そこ結構重要で、
あまのっち
不細論みたいな話じゃないけど、
効果交換じゃないけど、
平泉達也
もらったら同じだけ変えたらなきゃいけないみたいな、
風になってしまうと、
あまのっち
やっぱり関係性がぎくしゃくするような気がするんだけど、
平泉達也
本当にたまたま作りすぎちゃったんだろうなって思うし、
そういうのがあって、
もらったものは別のところで、
あまのっち
変えればいいなみたいな、
そういう風になぜか思われてしまうっていうのは、
平泉達也
ちょっと不思議なところだな。
また深井さんの話になっちゃうんですけど、
最近深井さんのツイートで見かけたのが、
あまのっち
贈り物をされて、お返しをされて、
えり
そのおかげで、
そのおかげで、
贈り物をされて、お返しをするっていうのが、
ちょっと苦手みたいなツイートをされていて、
今度その相手、
自分に贈り物してくれた相手が困ってるときに、
助けるでいいじゃんみたいに書いてたのが、
すごいわかるって思って、
なんだろう、
してくれたことを忘れちゃダメだと思うんですけど、
してもらったことをしっかり覚えていて、
適切なタイミングで、
こちらから何かをするとか、
そういうのはいいのにな、
本当は自分はみたいに思うけど、
でもやっぱりお返しが来ないと、
もやもやする人は多そうで、
あまのっち
人間関係むずいなと思って、
えり
そのツイートを見たんですよね。
あまのっち
さっきの、
平泉達也
お返しせねばならぬみたいなところが発生しますよね。
リタじゃなくてリコっていうか、
心からありがとうって、
なかなか表現でむずみたいな感じなのかな、
ということです。
そろそろ10時になってしまいますけれども。
そうですね、なかなか難しい。
えり
なかなか難しいですね、結論のない。
話を閉じるのが難しい。
話を閉じるのが難しいですよ。
平泉達也
次回をやるかどうか、また別のミーティングしましょうか。
そのまま継続しても全然いけますし。
了解です。
ありがとうございました。
40:54

コメント

スクロール