2024-08-21 35:33

#2「文脈で人は人を理解する」(株式会社ニイラ 和賀未青②) 

内容:家族の影響について/文脈で人に伝わる感覚/変化していく関係について/一人の人として付き合ってみる感覚/視点や見方が変わる体験/過去にこだわるとは/敵対することは手段かもしれない/自分を映す鏡/人を雑に扱わない/自分を大事にすると人を大事にできる/家族が一番自分を映し出す/弱っているときの判断/心の共同作業

ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の孤へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠https://niila.info/index.html⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

HP:⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠


X [Twitter] :⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠

*ご感想は 「#点描の孤」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

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Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

サマリー

このエピソードでは、家族関係が人々の理解や期待に与える影響について探求されています。和賀さんは、ポジティブよりも悲劇的な文脈が強調される文化において、それがどのように受け取られているかを語ります。また、家族との関係が個人の心に及ぼす影響や自己理解の重要性についても話されています。特に、親子関係や主語意識、自己優先の必要性が議論され、コミュニケーションを通じて自己を見つめ直すことが推奨されています。家族の関係性の複雑さや距離感の中で、様々な感情が交錯しながら議論が展開され、家族に関する問題に直面した際の心のケアの重要性も強調されています。

家族の影響と文脈の重要性
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の孤~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の孤~、新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
本日のご来店者は、前回に引き続き株式会社ニイラの和賀さんです。
じゃあ、和賀さんについて話していきましょうか。
なんか家族について話したいみたいなのをちょっと言ってましたけど、確かに家族ってそもそも何なんですかね?
ね。だから、私が今仕事してるのもすごい家族の影響があって、
で、なんていうのかな、そういう話をすると、ある意味ではポジティブな文脈っていうよりは、ネガティブな文脈の方が、
ウケる。ウケるっていうのは、笑うじゃなくて、世の中的に良いイメージを、良いイメージじゃないなんてうまく言えないんですけど、
なんか悲しい悲劇文脈の方が、より伝わりやすかったりしませんか?
確かに確かに。
まあニュース見ててもそうだけど、ポジティブなニュースなんて流れないじゃないですか。
そうですね。
不思議なぐらい。
たまになんか上野動物園で、動物の赤ちゃんが生まれましたとか。
そうそうそう、そういうのはまあ稀にあるけど、毎日事故や事件や、まあもしくは戦争の話が当たり前で、悲しい文脈がすべて。
確かに。
私自身も、私の原点は母の病気でって言った時に、普通に聞いている側の人たちの表情が、ああってなるんですよ。
ああは何が壊れてるんですか?
ああ、かわいそうっていう感じ?
悲劇文脈に入っちゃうんですね。
入っちゃうんです、スイッチ入っちゃうんですよ。
ところがですよ、私は全然そういう感覚がないんですよね。
今で言えば、ヤングケアラーという言葉があるけど、そういう言葉も全くないし。
だから、ごめん、期待させてるかもしれないけど、そういう話にはいかないよって思いながら話すんです。
で、まあ文化的に、自分の不幸な話は比較的受け入れてもらえるけど、そうじゃないポジティブな話って、ちょっともう何でも自慢になっちゃう。
確かに。逆にそういうのを言うのをはばかられるみたいなポジティブな話が。
例えば、家族が仲いいんですよとか、あとは、そうは言っても私は全然苦労しなかったんですよねとか、じゃあいいじゃんみたいな、なんかそれ以上興味を持ってもらえなかったりとかするっていうのが、やっぱり悲劇文脈じゃないと注目されなかったりとか、
悲劇文脈と家族の期待
悲劇文脈じゃないとっていう、なんか割と見えない縛りがあるような気がしてて、それは私がちょっとエソ曲がりなのかもしれないんですけど、
元〇〇、元〇〇っていうことの当事者性っていうのはすごく大事だと思うんだけど、全然当事者性がない人がやってもいいんじゃないって思ってる。
当事者性っていうのは?
例えば、元ヤングゲアラーでしたとか、あとは元依存症患者でしたとか、それはその人のアイデンティティだからってするつもりはないんだけど、
そこだけで話が進むよりは、もっといろんな立ち位置の人が混ざり合うほうが、私はいいんじゃないかな、健全なんじゃないかなって。
全てが悲劇文脈はちょっと違う。
そのいろんな人が混ざってるほうが、どんな状態になるって感じてますか?
やっぱり、物事って解釈じゃないかなと思ってて、受け止め方とか、考え方とか、感情とか。
一つの物事でも、10人いれば10人違う観点があって解釈があるから、もっと自由でいいんじゃないかなと思うんだけど、
悲劇テーマだと、そこに縛られちゃうみたいな。同調圧力っていうか。
悲劇文脈じゃないことが起きたときに、何かが起きちゃうみたいな。
なんか、共感圧みたいな。そういうことって結構こう、理由が。
人間だからね、やっぱり自分が安全だからこそ、そうじゃない人の話も聞けるんだろうし、それどころじゃなければ、そんな話耳に入ってもこないと思うけど、
でも、だからこそ、分けちゃうことの怖さみたいなのはあるなって。
なるほど。
だって、分かんないじゃないですか。自分がどうなるかなんて。
確かに。その中の文脈ってやっぱり強く出ちゃうというか、だから家族っていうのも、家族って仲いいもんだよねとか、そうあらねばならないとか。
ありますよね、やっぱりね。私もあります。
その中で、悲劇文脈なのか、楽しい文脈なのか、そこに縛られていきちゃうみたいな。
けどもっと家族っていうのも、自由でいいんじゃないみたいな。
そう。自分が子育てしてて思うのは、やっぱり今2人が19と21なんですよね。
そうすると、0歳から小学校上がるまでと、小学校上がってから高学年とか、やっぱりその年数ごとで舞台が変わっていくっていうか、
子供のサイズも如実に大きくなっていくわけって、そうすると関係性も変化するし。
だけどどっちかっていうと、親子感っていうのは不動のものだったり、どっちかいうと所有物みたいになっちゃったりする親子関係とかもあったり、
やっぱり相談者のお話聞いてるとたくさんあって、変化していかない関係ってちょっと窮屈だなあって、親子だからこそ。
家族の関係性すら固定されるみたいな。
そうそうそうそう。親だから子だから、例えば介護の話で言うと、親側が子供に見てもらうのが当たり前とか、
でもそのお子さんはシングルだったりして、じゃあそのお子さん、例えば50代60代だって、親の介護を終えた後、この人はどうなるのとか、
なんかそういう、ちょっと目を離してみたら、違う側面っていろんなふうにあるんだけど、家族ってすごく限定的になっちゃうなあ。
家族の形にも今言ったみたいに、全然住人通路というか全然違う形があるのに、くぐり方としては家族みたいな。
そう、血がつながってるとかつながってないとか、それは事実なんですけど、それ全然全部否定するつもりはないんだけど、どこかでも窮屈感はある。
そうですね。
私自身は別に家族に何か問題が、問題がっつったら変ですけど、自分のこれまで生まれて生きてきた中で家族で困らされたって経験はないけど、
でも家族相談とかやってますって言うと、なんか家族に問題あったのって言われるんですよね。
相談やってる側もそういう文脈に見られちゃうんですね。
そう、だから悲劇テーマが必要なんだって。
ごめん、そこもないわみたいな。
勝手にそこがワンセットになってるんですね。
そうなんですよね。福祉とか医療とかってやっぱりそうやって見られてるんだなって。
確かに確かに。でもそういう文脈で確かにおっしゃってる方多いですよね。
家族の変化と周囲のサポート
そのご家族でこういうのがあってとか、それ自体は悪いことではないと思うんですけど。
それは事実じゃないですか。事実になんか悲劇をやたらに載せる気がする。
それはあなたの解釈だよね、みたいな。
当人は実はそう思ってないみたいな。
ただ、こともあったりするかもしれないし、そう、なんかその違和感はすごく。
もっと上手くいかなくて当然っていうスタンスが生まれたら楽になる人多いなーとか。
皆さんそれぞれの家族とはっていうのがあるはずですけど、ある程度固定化された見方っていうのがある?
ある。すごくある。それで苦しんでる人も多い。
あと、まあ比較?比較してますよね、常に。
例えば、うちは上手くいってないけど、あの人は上手くいってていいなーとか。
あとは、夫婦間で揉め事のひとつになる義理の両親との付き合い方とかも。
でも、うちはとか、義理親はみたいな、分ける。
まあ分けるのも分かるし、私もそう思うところもあるけど、でも一人の人として付き合ってみるっていう感覚よりは、家族っていうまとまりなのかなーとか。
似てることを喜んだり喜ばなかったり、不思議な関係性だなーとか。
確かに。不思議ですね。
うん、不思議。
何でみんな思ってそう行動するんですかね、家族。
家族は大事だし、素敵なこと、素敵なもの存在、愛おしいとか、もちろんありますよね。
すごいあるんだけど、どこか冷静な目を持ってたりとかもいいんじゃないかなーとか。
でも、それだけで本人が見ようとしても、やっぱり何かことが起きたときに、さっき和田さんも自分自身だって見れなかったときみたいなのがあるから、
みんないろんな目を持って支えてくれる人が周りにいるっていうのはすごいありがたいんだろうなーって聞いてて思いますね。
友達とか、職場の人だったりするかもしれないし、あとは意外と年齢違った方が全然違う考え方してたりとか。
私なんか今、10歳ぐらい離れてる年下の人と付き合いすることがなんか多いんですよね。
あとは大学生の人と話したりする時間があったりすると、やっぱり若いからいい、年だからダメっていうことではなく、
全然全然ジェネレーションが違うって、こんなに違うんだなーって。
一個一個が新しかったりとか。
新鮮な感じだね。
そうそうそうそう。そういう感覚って大事だなーって。
なんか視点とか見方が変わるみたいな。
そうそうそう。アハ体験が自然にできる。
確かにね。
それはやっぱりどっちかっていうと、自分が専門職でやってるから私に相談してくださいっていうのが正解なんだろうけど、
そうじゃなくて身近な人からのサポートの方が意外と大切だったりするっていうのは思いますよね。
そうですね。身近な方からのサポートありがたいですよね。
うん。やっぱりいつもそばにいて、自分が安心できる間に話せるのが一番いい。
それでもどうしても周りにいなければちょっと我がさんいるよ。
とかあとなんか、例えば制度を利用するとか、福祉制度とか、どこの病院どんな風にかかったらいいかとか、
そういう時はね、利用してもらえたらいいけど、本当に一期一会っていうか、そういう場面だけ登場すればいいんじゃないかな。
専門職の仕事をしてる人間としては。
もちろん友人知人とはまた違うけど。
家族。家族ってなんなんでしょうね。改めてよくわかんなくなってきましたけど。
でもなんか認識なんだろうなみたいなのも。
その人自身も。
あと期待しているものとか。
そっか、期待するものでもあるんですね。
うん。与えてくれるものだったりもするだろうし。
なんかどんな期待を持ってる人が多いなとか感じますか?
親子関係においてとか、夫婦間とかも、仲良くしていたいすごいイメージは高いところにあるとしたらイメージとして、
その手前にある日々の関係性にはあんまり目を向けない。
はいはい。
だから夫婦仲良くしたいのに全然仲良くない状況があって、
でも本当は夫婦仲良くしたいのに日々LINEでしか会話しないとか。
それは目と目を見て話そうよみたいな。
確かに。
同じ家に住んでLINE飲むんですか?
とか、業務連絡みたいなLINEになってるとか。
承知しました。
そういう普段のコミュニケーションの先に理想の形が立ち現れるんだろうけど、
日々の努力はないままに仲良くなりたいとか、それは無理だよねみたいな。
あと親子関係でも過去のことを、
例えば私は今51歳ですけど、
親子関係と自己理解
この年齢の人でもやっぱり親子関係に問題を抱えてるっておっしゃる人の多くは、
そうやって一つにしちゃうのよくないけど、
でも過去のことにすごくこだわってたりするし、
してもらえなかったこと。
なるほど。
してもらえなかったことが年々増強してってるような感じもするんですよね。
だからある程度も、どの年齢でっていうのはないけど、
自分の中にあるわだかまりをどっかで置いてこないと苦しいんじゃないかなって。
置いてくるって感じですか?
置いてくるとか流すとか。
もう無かったことにするみたいな?
うん、もう水に流すとか。
あるんだけど、ちょっと離したみたいな。
よく手放すとかって言いますけど、
具体的にやっぱりそこから自分が離れないと、
ずっと抱え込んだまま苦しいんじゃないかなって。
なんかでも、執着したくて執着してるっていうよりかは、
気がついたらそうなっちゃってるみたいな人が結構多いと思うんですけど。
多いですね、多いですね。
なんかそういうのを手放せた瞬間の人ってどういう人が多かったりするんですか?
きれいにスパンって流せたみたいな。
でも、さっきの荷物の例えじゃないですけど、
手放したくないのかもしれないって思って見てます。
自分が自分じゃなくなっちゃうっていうか、
すごく冷めた言い方すると、
そういう対象を持たないと生きていけないっていうか、
誰かを責めることで立ってられるのかもしれない。
自分の実はちゃんと生きるための糧になってたみたいな。
ところもあるかもしれない。
でも、それはなかなか認めづらい。
そうそうそうそう。
普通の事実かもしれないですね。
特に本人から言うのは。
だから、私がよく例えるのがパンドラの箱みたいな。
大事にしてる、いいものも悪いものも含めて、
その人の核となるものになってたりするから、
そこを開けていいかどうかは、
本当にその人の状態を見て私も判断するし、
話を聞いていくし、
分かってても開けないし、
その人が話したいかどうかで、
話したいというのは手放したいもあるし、
スピークの方の喋りもあるし、
そこも含めてタイミングなので、見計らって。
開けたい人のタイミングの時は一緒に開けようね、みたいな。
そうそう、開きますね、みたいな。
それも本人の中ではタイミングがあるんでしょうね。
そうそうそうそう。そうなんですよね。
だから、それを私を使ってもらうのはもちろんいいし、
でもそれを多分選んできてくれてる人もいるのかなとか、
という気がします。
なんかやっぱ、感覚的な話で言うと、
すごい勇気が要りそうな、
そうですよね。
そういう箱はあることすら不都合だし、
そうじゃなくて、見たくないものは見たくないですしね。
しかし家族っていうのはその手段で、
そうですね。
別のところで何かを、それを使って豚に使ってるだけなのかも。
かもしれないという仮説は成り立つかもしれない。
断定できないですけど。
わかんないですね。
断定はできないし。
家族じゃなかったら、別の気にこない人だったり、
別の政治の話だったり。
自己を主語にすること
敵対?仮想敵が必要なのかも。
知れない。
分かりやすい。
多抜、だから多抜的になるか、
自抜、自責的になるかっていったら、
多抜の方が選択しやすい。
楽ですね。
どっちもしないって、なかなか、
なんていうか、煩悩がない状態。
仏様ですね。
でも本来そっちが健康ですよね。
それが手放すってことですかね。
かなーと思ったり。
でも執着があるのも人間ですもんね。
そうですよね。
執着してるよなーと思いながら、
やめられないことっていっぱいありますよね。
無駄にポテチ食べたり。
早く仕事しなきゃいけないのに、
カンドラみたいとかするもので、
本能まみれですよね、人は。
そうですね。
でもそれが人間だなーと思って。
人間してますね。
そんなこと全部コントロールできて…
でもそれが人間だなーと思って。
人間してますね。
そんなこと全部コントロールできて
してる人って逆にいないかもしれないですね。
そうなんですよね。
だからコントロールしようと思った時点で、
もうやめたほうがいい。
でもなぜか理想を持ってしまいますよね。
家族とはとか、男性とは、女性とは、みたいな。
でも理想があるから頑張れるっていうのもあるしね。
確かに。
なんか使いどころって言ったらあれですけどね。
本当ですね。答えがないんでしょうね。
どう生きるか。
それで結構話してきましたけど、
わがさんにとって家族ってどんなものですか?
いろいろ言ってますけど、
結構やっぱり大事な存在だと思うし、
時には厄介だったりも正直するし、
でもすごく応援者だったりもするし、
全部が詰まってる感じがしますよね。
すいもも、甘いも。
甘いも、喜怒哀楽も全部。
だから生かされてるって感じがする。
生かされてる?
そういう人たちに。
そういう中で生きてるっていうか、
家族の別に仲がいいことを重きは置いてないと言いつつも、
家族が仲良ければニコニコするし、
悪ければイライラしてるし、
だから結局私もその中で右往左往してるという、
自分の鏡みたいなところがあるかな。
なんか自分を映してるみたいな感じ?
そうそうそうそう。
自分の状態とか。
イライラだったらイライラか書いてきてるなとか。
ありますよね。やっぱり伝わりますしね。
確かに確かに。
いい姿鏡か私。
そうですね。
だから言葉とか雑にしちゃいけないんだろうなとは思ってます。
一番身近な人に行ったからこそ雑に扱ってはならない。
もちろん自分もそうですよ。
自分自身のことも雑に扱わないし、
家族のことも雑に扱わないし、
雑に扱ったら自分に帰ってくるし。
なるほどね。
帰ってきてるだけかもしれないですね。
もしかしたら何か。
いろんなところで家族生まれとかいかないとかってあると思うんですけど、
そういう人たちが最初にやったほうがいいよみたいな、それぞれだと思うんですけど、
どんなことで皆さん一歩を踏み出すっていうのは多いとかありますか?今までの相談。
だから主語がご自身じゃない人がめちゃくちゃ多いんですよ。
例えば親子関係で言うと、母は何とかで、母はこう言ったんです。
母はって、私30分ぐらいずっと黙って聞いてて、
今まで一度も主語が私だったことがないですねってお伝えすると、
えーってなるんですよ。
ずっとお母さんが主語でしたよって言うと、
はってなるんですよね。
母の話だけしてましたよね。
そうですね。
じゃあここで一旦ご自身の気持ちに切り替えましょうかとかって言うと、
そこでいかに自分が主語になってなかったかって気づいてもらえたり、
もしくはなぜその主語がそうだったかわかります?
どんなふうに思ってます?とかって言うと、
自分を主語にしたことなんてなかったかもって。
だからそっからもしかしたらスタートするのも一つ。
自分を主語で。
だから日本語って、
今日天気良いですねって言ったときに、
ねえって言われたら同意を求められてると思うし、
あと、今日なんか頭痛いんですよって言ったら、
私今日頭痛いんですって聞こえますよね、ちゃんと。
だけど私って言わなくても聞こえるじゃない。
だから主語がいらないことが結構多いから、
私たちはなのか、私はなのか、あなたなのか、
またまた母なのか、父なのか、
あの人なのか、この人なのか、みたいな。
主語を明確にしないまま話せるから便利なんだけど、
別に私という主張をしないほうが割とうまくいくから、
私を主張することがすごく少ない上に、私を忘れる。
すごい、そういう文脈の中で僕らは生きてるんですね。
家族との関係性
そんな気がする。だから子っていうのが大事にされないんじゃなくて、
子が子を見てない。
そこが持ってなったまま。
持ってなったまま、人を大事にしましょうとか言われても、
自分大事にしてない人は人を大事にすることなのかできないと思うのでね、
私は答えとかではなくて、
なんだけど、ことはじめはご自分を大切に見ることから。
自分を見る、見るですか?
見る、いろんな見るを。
お試しあれっていう感じ。
でもそれにちょっと勇気がいる場合があったりとか、
何かしていいかみたいな。
だとしたら、今日何食べたいかなってカラーに聞くとか。
なるほど。答えやすいことから自分に聞いていくみたいな。
本当はハーゲンダッツ食べたいんだけど、他の名前出したら悪いか。
他のアイスで我慢しちゃったとか。
確かに確かに。
毎日ハーゲンダッツ食べれないけど、3回に1回はハーゲンダッツにしてみるとか。
自分の要求を自分が実行するとか、
食べたいものを食べるとか、見たいものを見るとか、
やりたいことをやるとか。
大きいことでも小さいことでも。
はい。
いいのかな。
ちょっとした自分の心の要求に従ってみる。
ハーゲンダッツから。
ハーゲンダッツから。
決して案件ではありませんから。
決定はありません。
たとえです。
たとえです。
確かに忙しいとなんか、自分眠かったんだとかって、
後からパタッて倒れて寝て気づくみたいな。
そういう時もありますよね。
自分に優しくするって言うとわがままになっちゃうんで、
わがままとは違う。
それに従うことが周りを大事にすることにもなるってことですよね。
たぶん自分を優先していった先に、最後まで自分でしかないわけではなくて、
余裕が生まれるので、
あの人大丈夫かなとか、あの人元気かなとか言って電話かけてみると、
元気じゃなかったりとかして、
そういうことって自分に余裕がないと、
誰かを思うばかりみたいなことはできないのではないか。
そうですね。まず余裕があって遅いですね。
その辺がたぶん一番出やすいのが家族かもしれないですね。
鏡として。
そう。
余裕ないとバーって出ちゃうっていう。
し、雑に対応しちゃう。
言葉も強くなっちゃいますね。
家族は鏡。
うーん、かな。
身近な人の関係性ってやっぱり大事じゃないかなって。
絶対そばにいてくれるって思い込んでる人とかもいるけど。
確かに。家族だからそばにいるっていう文脈があって。
あって。
家族の関係性と距離感
離れちゃうとなんで家族なのねってなっちゃう。
それはなっちゃうよっていう。雑にしていれば。
面白いですね。でもいろんな人いますもんね。
家族とそばにいたくない人もいれば、いてっていう人もいれば。
いろいろだけど、それはいいと思うんですよ。それで。
距離感も。私も息子とも距離感ないとたぶんもう無理だなと思う。
なんていうか、もう大きくなってるから、物理的距離はお互い必要だよねっていう感じ。
そういう話もできるんですね。
そうですね。
すごい。
いい家族関係って言ったらあれですけど、これもちょっと文学的すぎるけど。
男だっていう前提があるのかもしれない。
親子だからとかではなくて。
やっぱり一個人の集まりというか。
そうそうそうそう。血のつながりとかはありながらも、男。
男。
どっちが上とか下とかではないかな。年齢でもない。
なるほど。一人の人間として何か集い、何か起きてる場面。
うんうんうんうん。
じゃあ、わがさん今日は家族について話してみていましたけど。
はい。
難しいですね、家族って。
ねえ。
何なのかついぞ分かりませんでしたけど。
本当ですね。永遠の謎。
謎。
謎。謎であり、すごく近い存在であり、遠い存在でもあるし。
でも結構生活を占めてますね。
心のケアの重要性
そうですね。
あと感情も占めてたり。
それもいろんな感情ですね。
うん。そうですね。
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり。
揺さぶられたり。
家族間でも嫉妬や妬みも大きいだろうし。
そうですよね。
なんか兄弟感で比べちゃうとか。
抜き差しならないことにももちろんなるだろうし。
でもだから発砲塞がれになってる人は本当にこれは宣伝です。
はい。ようやくアンケートが。
アンケートしてぜひご賞をくださいって思います。
一回お話し聞かせてもらえればモードチェンジできるんじゃないかなと。
なるほど。
一番気をつけてもらいたいのが自分のサービスを際立たせたいために言うんではないんですが、
家族の問題でよく先祖がとかスピリチャル系的なものにハマってしまう人も多かったりするし、
あとは何回もお話を聞かせてもらえれば治りますよとかいう人も中にはね、
それがけっこう高額だったりするとか不安や恐れをあおるようなことを言う人には注意したほうがいいかなって。
ここで私になんとかしないとよくないことが起きるよとか、
すごく口がうまいっていうか、それこそ壺をかわされるじゃないけど、
ね、某宗教みたいなこととかも起きやすくなるし弱ってるときは弱り目にたたり目っていうぐらい、やっぱり判断がいつもとは違くなっちゃうので、
その辺は気をつけたほうがいいかなとは思います。
私はそういうことはしませんので。
なるほど。
みなさんならばね、もうぴょって終わっていくわ。
そう、一回でちゃんとね、お話し聞かせてもらえればとは思うし、
もちろん、だからといってそれ以外受けないわけじゃなくて、何回かっていう方もいらっしゃいます。
なるほど。
1年後にとか。
そういう定期的なのもあるし、ある程度開けてからもあるし。
だからご自身のタイミングが一番。
なるほど。
自分が用意できたときに初めて話をする。
自分の気持ち次第ですね。
そう。
じゃあちょっと話してみようっていう。
ちょっと箱開けようか、開け前かぐらいのタイミングでどうしようかなと思ったりとか、
そうじゃなくてもとりあえず話してみようかと。
その人の気持ちが整ったときの若さ。
そう。
これはご自身で決めたほうが絶対いい。
そうですね。
家族だけじゃないかもしれないですけどね。
いろんなことで何かあるかと思いますけどね。
もし5人1人で抱えられなくなったら、誰かにとりあえず聞いてもらうっていうのは別に若さじゃなくても。
そうそう。
やったほうがいいことなのかもですね。
話したほうがいい。
それを私のサービスでは話すことは体から話すことっていう。
スピークの話すと、話すはリバースの話ですね。
リリースしてくださる。
そうです、体からね。
話をすれば体から出るじゃないですか。
目に見えないけど。
なるほど。
でもバッてこう流しちゃう。
なるほど。
話しちゃう。
洗濯屋さんみたいなこともやってるんですね。
お掃除屋さんみたいな。
そうですね。一緒にね。
共同作業的なところもありますね。
なるほど。
でもご自身のタイミングでっていうか。
そうです、そうです。一番は。
だからまずご自身のケアを第一。
いければなと思いますかね。
はい。
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回カフェに立ち寄ってくれたのは株式会社ニーラの若さんでした。
事業内容について興味のある方はぜひ概要欄からご確認ください。
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それではまたのご来店お待ちしています。
ソーシャルハイブウェイティングカフェ天秒の子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
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