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くらぬきです。
中山です。
ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながらゆるくおしゃべりしていくポッドキャストです。
8月のゲストは、近畿大学の山縣正幸さんです。
今日で第3回となります。よろしくお願いします。
すみません。よろしくお願いします。
はい、ということで、前回盛り上がったのは、最初に遊びを入れないと、遊びじゃないか、面白いと思わないと熟達にはいかないんじゃないか。
肩を身につけるとか、ハードな厳しさがある前に、遊びとか面白さを知ることによって、人は頑張れるんじゃないか、みたいな話をしてまして。
最初に面白さを知るって、すごい大事だなと思いつつ、面白さを知るのは、それこそ面白がれって言えないじゃないですか。
そうですね。
どうやって面白さを感じてもらうように、エコロジカルアプローチならどう環境を作るのか。
それとも、これはもう浪走的に言うと無為自然に、子供なのか若者なのかが面白いと思うのは、大人が導くものではなく、本人たちが勝手に見つけるものだとするのか。
この辺の最初の僕はきっかけってどうするのが良いのかなっていうのは、今すごい興味がありますね。
というのは、僕の背景で言うなら、僕らの会社でエンジニアとかプログラマーを育てるみたいな話で、やっぱりプログラミングの面白さ、面白いって思って、
いろいろやっていって、のめり込んだ後、僕らの会社に入って、肩を身につけていくってすると、やっぱりすごい伸びるんですよね。
だけど、どこまで面白さって提供し得るものなのか、もしくは提供した方がいいのか、そうではない、そもそも以前の問題なのかみたいなところで、
僕らまだ答えもないなと思って、どうなのかなと思って知りたいところなんですよね。
私もそこら辺りの理論の専門家ではないので、経験的な話でしかないんですけど、
ただ、偶然性もありますし、やってる側っていうんですかね、大人の側っていうのか。
新しく入ってきた人を、子供と仮に言った場合、別に年は関係ないと思うんですけど、
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やってる本人が面白そうでないと、まず興味を持ちにくいかなっていうのは、
一つ、前提ってほどじゃないけど、ありそうかなっていうのと、
もう一つ、意外に入門者向けというよりも、本物を見せた方が、本物に触れる機会があった方が、
意外に難しいけど、なんかよくわからんけど面白いってなることってあるような気はするんですよね。
なるほど。
前回の最後のとこでちょっとゼヤ見の話しましたけど、私、表の仕事は経学者なんですけど、
実は文章を書いてる量は、脳の方が多くて、
国立農学堂っていうのが千田谷にあるんですけど、
毎月月に3,4回講演があって、そこの解説パンフレットっていうのがあるんですね。
そこの解説、複数の人で書いてるんですけど、私も毎月書いてるんですよ。
どちらかというと、経学の文章よりも脳の文章を書いてるほうが、
ここ数年の文章送料としては多いので。
研究者とは自分では良い言いませんけども。
ただ脳なんかでも、脳って何言ってるかわからないじゃないですか、普通。
まず全然知らない世界ですね。
言葉も古いし、リズムも全然現代的じゃないので、
物語自体は実は聞けばそんなに複雑な物語じゃないので、
分かれば意外に簡単。
結構決まってるとこもあるんで、パターンが分かると分かりやすいんですけど、
パターンに入り込めないんで、そもそも。
まず興味持ってもらえないので。
よく入門者向けの舞台とかあって、それはそれですごく意義はあるんだけど、
普通1回見に行っても、次行くことってそうない人のほうがほぼだと思うんですよね。
誘われて、あるいは高校とか学校で行ったとしても。
でもやっぱすごくいい舞台なんかを見ちゃうと、
もう沼のようにハマってしまう。
これは別に脳に限られたことではないと思うんですけど。
だからそういう意味で、スポーツにしても、あるいは他の何にしても、何でもいいと思うんですけど、
意外とその、ガチなものって怒られますけど、本物というか。
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一流をね。
っていうのに触れると、関心がいきやすいというか。
最初のうちは別に下手くそでも何でもいいというか、
最初から物の見方にしても、いきなりすごくわかるわけじゃない。
そこは見ていくうちにブラッシュアップというか、磨かれていくだろうなと、
やるにしても見るにしてもあると思うんですけど、
やっぱりそういう意味では、単に入門者向けのっていうのよりも、
がっつりというか濃い目のもの。
いきなりカルピスの原液飲ませたら、それはもうのどやけしますけれど、
あんまり薄めすぎないというか、
っていうのは、結構大事じゃないかなみたいなことは思います。
サッカーでいったらメッシのプレー見て、すげーってなって、
練習し始めるみたいなやつなんですよね。
今の話を聞きながら、
サッカーにしてもその掃除系っていう話、
前回言ってた。
サッカーも、例えば、基礎練からいきなりやるんじゃなくて、
とにかく子供のうちとかもひたすらゲームにチーム分かれて、
試合、ずっと試合してるみたいな。
のがやっぱり一番サッカー楽しいなって思える機会が多いんだろうし、
あとは商売とかも、
価値創造って、自分が設計したデザインをした価値を自分で作って、
自分でお客さん探して届けて、
目の前で使ってもらって、フィードバックもらうっていうのが一番面白いですよね。
そこでもらったフィードバックを元にまたチューニングをしてやってみたら、
また違うフィードバックが返ってきたりとか、
自分の予想通りのやつが返ってきたり、
全然予想もしないやつが返ってきて面白いみたいなことがあると思うんですけど、
やっぱりその全体性みたいなところが、
子供向けにしないとか入門向けにしないみたいなところなんだろうなって思いました。
それこそこれさっきの、文業の話とかともつながってきそうな気がするんだけど、
その部分だけ入門者だからっていうのでやっても、
全然何やってるのかわからないんで、
一つも面白さがわからないんだけど、
とりあえず投資でやってみた方が、
ようわからんけど、なんかおもろかったっていうのは、
やっぱりあるかなと思いますよね。
なんかそのアメリカとかだと、
家の前でレモネード売ってみろみたいな、
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いつも結構ありますよね。
子供にレモネード売らせるみたいな、
レモネード売った経験で商売を知るみたいなのは、
なんかあるのと似たような話だなと思って。
あと、くらのきさんの新しい本のどこにちょっと戻っちゃう、
戻っちゃうって変な言い方ですけど、
これの中でコードレビューの話が出て、
結構おもしろいなと私思ったんですね。
なんていうかな、とりあえず全体をやってみて、
それに対してコメントをするっていうイメージですよね。
これ多分うまく動くかどうかとかも、
見た目の美しさとかも含めて。
これもどう誤解されるかわからないんで、
今までにツイッターによく書かないんだけども、
批評っていうのかな、クリティック。
日本って批評ってすごいネガティブなイメージで捉えられがちなんですけど、
このコードレビューってまさにクリエイティブな批評っていうのかな、
想像を生み出していくための批評やなという気が呼んでてして、
なんかおメモで想像のための批評って、
昨日メモしてたんですけど。
まさしくそうですね。
例えば、私はサッカーとか球技は全然ダメなんであれですけども、
なんかこうやってみて、
やった上で面白かったっていうのを前提にして、
こうしたらなおより面白くなるみたいな、
そういう意味で単にケチをつけるっていうのではない、
クリティック、批評っていうのが、
もっとあってもいいのにな。
意外に日本ってそこを避けちゃうというのか、
良かったねで終わっちゃうところが、
頭ごなしでこんなもんはみたいな、
昔はそんなんで終わる、どっちかしかないみたいな、
何がどう良くて何がどうダメだったのかっていうのを、
もちろん自分で内省して考えりゃいいとも言えるんだけど、
このコードレビューの話を読みながら、
こういう何かを生み出していくための批評って、
もうちょっとポジティブに、
もっとやっていってもいいのになっていうのも、
今の話の流れでちょっと思い出しました。
プログラミングの場合は、
本当に手順書があるわけではないし、
一回作ったものをもう一度作るってこともないので、
毎回新しいものを作ってるので、
やり方、こういう手順で作りなさいって全然教えられないし、
チェックリスト全部クリアしたさいみたいなことも教えられないので、
やっぱりやってみて上達するには、
批評しなきゃいけないっていうか、
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しかも熟練の人から見て、
こっちは良いし、こっちは良くないねっていうのは、
言ってもらわないと良し悪しの判断がつかないっていうか、
神秘感が磨かれないので、
その神秘感を磨くために熟練者がレビューをしていくっていうことをやって、
育てるっていうかね、
本人が育つためにフィードバックを与えていくみたいなことはやってはいますね。
単純に本当にいいものを作りたいっていうのがあるので、
いいものを作るためにコードレビューするときに、
僕らの会社で言うと、自分のことは棚にあげるって言って、
自分のこと棚にあげないと批評できないので、
なので自分のことはもう宇宙の片隅に棚にあげて、
絶対的に相手というか、相手じゃなく作ったものですね。
これも絶対的に相手の批評はしないっていうか、
作った人の批評をするんじゃなくて、
作ったものの批評をするっていうレビューをするということでやってますね。
本とか書くときもそうですけどね、編集の方からレビューが入るので、
カチンとはきますけど、いいものにするためには、
なるほどなって直していくしかないという。
そういう意味で学生のプロジェクトとかを見るときの、
このコメントの仕方はやっぱり結構気をつけるというか、
意識はしますね。
批評中意識までやってるわけじゃないんですけど、
全体としてどこを行きたいのかっていうのとか、
みんながこれ何やりたかったみたいなところとかっていうのを聞きながら、
そこに、若干のずれは当然出てくるんでいいんですけども、
はみ出しちゃいすぎてないか。
川筋からもう完全に違うとこ行っちゃってないかとかっていうのを意識して、
コメントするっていうのはかなり意識はしますね。
そうでないと学生もむしろ、
山形の入店年みたいな話になってくるんで、
そこは結構意識しながらコメントはしてるかもしれないですね。
ちなみに、ゼヤミの考え方の中から、
山形さんがこれはもう使えるからって言って、
もうすっかり普段使いをしているものとかってありますか?
そういう学生さんと接するとか、育成みたいなものを考えるとき。
今パッと思い浮かんだのは、
上手は下手の手本、下手は上手の手本っていうのがあって、
上手な人はもちろんまだ未熟な人の手本になるのは当然なんだけど、
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そうじゃない人を見て、上手な人っていうのは、
ここで間違えるのかとかっていうのを手本にするというのがあって、
ゼヤミってすごいキャッチコピーの明治みたいなところがあるんで、
もう一つ、稽古は強かれ。
常識って常の式じゃなくて、感情の上に知識の式で、
思い込みって意味なんですけど、常識はなかれ。
稽古を何回もトレーニングするというか、
考えながらブラッシュアップしていくっていうのは、何回も何回もやれと。
ただ思い込みはできるだけ排除せっていうようなことを言ってたり。
あと有名な初心忘るべからずっていうのも、
最初の気持ちじゃなくて、自分が初心者だっていう意識なんであれは。
だから老後の初心っていう言葉が、
年取ってからの、今この状況に立って何ができてないかみたいな、
っていうのがある。
常に自分っていうのが未熟というか、
完成状態じゃないっていうのをすごく言うんですよね。
それはやっぱり助けになるというか、支えにもなるし、
緩みそうになった時に追っていくにもなりますね。
時々の初心みたいな言葉もありますもんね。
初心忘るべからずはゼヤミの言葉だったんだ。知らなかったな。
ゼヤミを知らなくてもノーア楽しめるんですけど、
どっちかというとゼヤミの本の方がある意味で読みやすい。
古文なんですけど、シンプルな文章なんで、
別にそう翻訳がなくてもなんとなくわかるとこはあるので、
私は結構、実は中学校時代からゼヤミの
ああいう考え方は好きでしたね。
中学校。
だから変わってたんだと思いますけど。
本当、ゼヤミの育成哲学みたいなのはめっちゃ参考になるなって思いますよね。
それこそさっきの声変わりする頃は一番やる気なくなったりとかするみたいな、
折れたりとかするんで、
要するに小っちゃい時はただ動いてるだけでみんなにチヤホヤ、
かわいいかわいいとかってチヤホヤされてやる気になってやっていって、
まだ声変わりする前の高い声が出るみたいなパフォーマンスで
かわいさを極めていくわけですけど、
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そこで上手くなったと思ったのに、
声変わりして今までのパフォーマンスができなくなって、
どうする?ってなるっていうことですよね。
なので、時々のベストパフォーマンスってのがちゃんと
それぞれ違ってあるものだみたいなことを考え方がちゃんと身についてないと、
もう俺ダメだみたいになっちゃうだろうし、
例えばアスリートとか、僕ら働いてる人でもそうかもしれないですけど、
20代の時のあのパフォーマンスは体力があったからできたみたいなのがいっぱいありますよね。
もうなんか50くらいになってくると本もなんか目がかすんできて、
読むスピードがみたいになるのかなって。
なので、その時々のベストパフォーマンスみたいなのを
ちゃんと考えながらチューニングをしていくってまさに
自分アジアイルっていうかなんかそんな感じもしますよね。
自分のソフトウェアを更新をしていく感じですよね。
セルフマネジメントですね、それは。
年取ってきたら体が動かなくなるから、そこでどうやって
より良くというか見る側に感銘っていうか
持ってもらえるようにするかっていうのをやっぱり手立てを考えるっていうのを
言いますしね。
さらに40代とか50代の、それこそ稽古は強かれて
常識がだんだん強くなっていくそうです。思い込みが
過去の経験による思い込みが強くなっていくから。
そうなんですよ、やっぱりこれを読むとね、ついつい我々でも
今までの蓄積が増えてきちゃうとそれに凝り固まっちゃいかねないし、
特に今の育成の話でいくと学生も
そもそも毎年変わるし、年が変わるだけじゃなくて
個人自体が違うんで、思い込んじゃうほど恐ろしい。
恐ろしいっていうのは危険なんですよね。
こっちの物の見方で、ある程度の見立てはするにしても、
決めつけちゃうととんでもないことが起こりうるっていうか、いわゆる大学なんかで
ハラスメントってよくしばしば出てきちゃうので、
たぶんそこもひとつの単なる悪意という以上に、
教員側というのか、力持ってるわけなんで、基本的に。
それのまさにゼヤミが言うところの常識でやっちゃうと、
事故になりやすいっていうのは、結構気をつけるように。
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それでもやっぱり出ちゃいそうになることってあるので、人間なんで。
そこをできるだけ抑えるようにするっていうのは、
そういう意味では、育成の方針なんてそんなに考えてるわけじゃないんですけど、
結構私にとっては染み付いてるところはあるかもしれないですね。
それも変化を包容せよっていうことですよね。
目の前に学生が同じだと思うなみたいな。
やっぱり決めつけって怖いんで、
特に先生と呼ばれる職業はそこ気をつけないとっていうのは、
私自身はすごい意識はしてますね。
正解ないなあ。正解はないってことですよね。
その時々だし、その時その時の人その人によって違ってるので。
そういう意味では、相手そのものって完璧にはわかんないんで、
こういうちょっと普通の表現になってしまうかもしれないですけど、
関係性というのか、どういうふうに間合いをとっていくというか、
関係を折り上げていくっていうのかが、
そういう感覚はありますよね。
まさに今ザソーラジオに出させてもらってること自体、
少なくとも10年前の私は絶対に想像できなかった話なんですよね。
僕もです。
なので、その時々の状況で、
人と人との関係性もそうですし、
ものとの関係性っていうのも変わってくるんで、
どんな関係性が、まさに折り上げられてる途中なんかなあ、
みたいなことは意識ということではないんですけど、
考え方のベースにはなってるかもしれないですね。
だからそれが学生の育成というのか、
いずれ卒業して社会に出ていくわけなんで、
その4年ぐらいの途中までの、
折り紋を保てる途中のある一定の幅の部分だけになるんで、
そこに私が接した学生が入り込むって形になる。
それが私の糸で、その折り紋ぐじゃぐじゃになったら困るんで、
ただ入り方とかね、糸の素材も一人一人違うんで、
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どんな付き合い方かなっていうのは、
育成してるのかって言われると、
言葉の上ではそうですが、
あんまり育成なんて、ちょっと容易いませんというか、
ここでできた関係性が、その人にとって悪いものにならずに、
他のところに繋がっていってくれるんやったら、
いいかなというようなところはあるかもですね。
いや、もしかしたら今聞いてくださっている方が、
マネージャーの人とか、人を見る立場の人だとしたら、
多分それ、今の学生さんへの接し方とかって、
今の会社の中でもあまり変わらないんだろうなって感じはしますけどね。
っていう風になってる気がするけど、
でも一方で、確率的に社員を扱おうみたいな、
俗人性はいらないみたいな考え方もあるので、
別にどっちが正解ってわけじゃないんだけど、
まあでも一人一人違うなって言って、
接しなきゃいけない仕事が増えてる感じはしてるっていう感じはしますかね。
ぜやみの話、もうちょっと聞きたかったな。
もうちょっと聞きましょうよ。
学長的に引っかかった、ぜやみの話。
いや、なんだろう、なんとなくさらっとは、
本などを読んでみたこともあるので。
あります?僕そんな全然知らなかった。
山形さんが、ぜやみの面白さを人に伝えようとした時には、
どのあたりを伝えるのかっていうのが興味があります。
実はその人の関心にもよるんですけど、
まさに育成の話っていうのかな、
人がどういう風に人生のステップというか、
プロセス的にどう変わっていくのかとか、
育っていくのかみたいな話をするときは、
例の風刺家伝なんかの最初の方かな、
何歳でとかっていうところなんかはすごく興味深いですし、
あと結構マーケティングの方でも、
ぜやみ、ジャパネット高田の会長さんかな、
高田明さんがぜやみを読んでいらして、
本も書いていらしたんですけど、
結構ガッツリ読んでいらして、
すげえなって失礼な話だけど、
思ったのはすごく覚えてて、
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どのタイミングでいくと、
例えばお客さんというか、
見てる側がどんな状況だったら、
こっちはどういう風にやっていけばいいかみたいな、
総合作用的に、
ぜやみって花っていう言葉すごく好きですけど、
まさに上手くいってる状態とかが、
有言っていうのもよく出てきますけど、
あれもよくわからん言葉ですけど、
結構かっこいいとかぐらいの意味で使ってる言葉あって、
奥深いっていうよりも、
いいなっていう状態を有言って言ってみたり、
花って言ってみたりしてる感じがあるんですけど、
それって実は作り手だけっていうか、
演じ手だけの話じゃなくて、
今だとこういう形あんまりしてはよくないんだけど、
都でやるのと田舎でやるのっていうのはやっぱり、
やり方っていうのはちょっと変える必要があるだろうと。
むしろ田舎でちゃんと評判を取り続けてたら、
都での流行でちょっと流行から外れちゃって、
受けなくなっても生きていけるよっていうような、
要は流行だけじゃなくて、
ちゃんとベースという言い方がいいのか、
ついてくれるお客さん。
っていうのが、ちゃんと分かってたら、
劇団経営論みたいなとこがあるんで、
劇団として生き残っていくみたいな。
なので、結構マーケティングだけじゃなくて、
経営に近い、それこそ、今ちょっと思い出した、
受福増長っていう言葉があるんですけど、
受福の十はことぶき。
福は福笑いの福ですね。幸福の福。
増長はマスに長いですね。
受福増長って言うんですけど、
これいろんな、なんていうかな、
舞台、劇団として座として上手くいってるっていう風な意味もあるし、
一方で、要は収益上げれてるっていう意味もあるんですよ。
受福増長は結果としてはすごく大事なんだけど、
それを目的にしちゃうと、芸がダメになるよって話するんですよ。
だから、どなたかが、
なんかのいいテレだったかの番組で紹介してらしたような気がするんだけど、
まさにこれ、ドラッガーの利益の考え方とすごく近いんですよ。
もちろんドラッガーはゼヤメなんか呼んでないと思います。
日本好きだったと聞いてますけど、そこまで呼んでたら逆にびっくりしますけど。
でも、ドラッガーも利益っていうのは必要だと。
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絶対に必要だと。将来新しいこと、イノベーションですよねっていうのを
生み出していくためには絶対必要なんだけど、それが目的ではない
言い方をするんですよね。
そこのところと、言葉の表面だけ見て一緒だっていうのもちょっとあれなんだけど、
でも考え方としてかなり近いものがあったりする。
そういう意味で、あんまりこれを
ゼヤメの計画なんて言っちゃうと、かえって面白くないというか、
どうだろうって思ってしまうとこがあって、そういうのはあんまり書いてないんだけど、
例えば上手くいってる状態、上手って言うんですけども、
それもどんなちっちゃい場合でも序端級っていう、
準備と盛り上がるところと、最後のところがあるっていうようなプロセスで考えてみたりとか、
っていうあたりなんかは、非常に今でも結構使えるとこあるなっていうのがあって、
その意味で、非常に現代的な論理性とは違うんだけど、
結構合理的な、理にかなった発想をする人っていうのは、
書いてるものを読んでるとすごく思いますね。
面白いな。脳の話もそうだし、
前山自身が脳の一家みたいな、劇団みたいなのを運営というか経営してたというか、
若い人を育てて、それで舞台をやり、それで事業にし、
その結果、利益はさっきの話で結果として出て、
それまた若い人に投資をし、みたいなことをしてたのかなっていう。
ソニック側で。
いや、なんか聞いたことある。
今なんかちょっと共感、勝手に共感しましたけど。
いやー、なので今僕は現在山には興味が出ましたね。
本当に全然知らなかった。
それで言うとあれですよ、
家にあらず、都合を持って家とす。
ちょっとね、今忘れちゃった。
子供の考え方も、いわゆる実施というよりも、
考え方とか技芸というのかの技というか、それを継いでいくっていうことをすごく重視して、
血縁そのものがすごく重要、それが第一だっていう言い方をしてない文章が、
どっかにあったと思うんですよね。
っていうふうに考えると、まさに前ちょっと話題になってたソースの話、ソース理論。
ソース自体が受け継がれるかどうかって非常に難しいんだけど、
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そっくりそのまま受け継ぐかどうかをともかくとしても、
そこの会社であれば、企業であれば企業だし、
会社としてはそうじゃなくても、事業として受け継がれていくっていうのでもいいのかもしれないし、
もちろんずやみの場合だったら劇団とかザーですよね。
そういうのが受け継がれるときに、何が受け継がれるかみたいなところまでは言ってなかった気がしますけども、
やっぱり受け継ぐ人があってのっていうようなところ。
受け継ぎ方はまたそのときの状況によって変わるから、そこは固定させないっていうあたりなんかは、
よく言う自立型組織っていう言い方がいいのかどうか、
あれですけども、姿を変えながらというか、
存続っていうか、まさに発展っていうのかな。
規模がでかくなるっていうよりも、まさに変化っていうのを前提にしながら、
大事なとこをベースにして生き残っていくっていう意味でも、
発展、それを発展ってもし言っていいのであれば、
そこの論理っていうか、ひとつのロジックみたいなのは結構ヒントがたくさん詰まってるなと思いますね。
それあれですよね、一番最初の話だった山形さんが僕の本を読んで書いてくれた、
変化を応用せよっていうのは、量的拡大としての成長より、
質的展開としての発展と重なり合うっていう話の発展ってことですよね。
これ発展というのかなるほど。
英語だったらデベロップメントですけど、
での後ろのところってあれ多分あれ、
封筒ってエンベロープって言うじゃないですか。
それの反対なんで、包まれてるものが開かれて、
なるほど。
ドイツ語ではエントビッケルかな、
これもやっぱり開かれていくっていう意味が結構強いので、
開発って訳すことももちろんあるんだけど、開発よりも展開の点。
点っていうところが実は結構大事かなと。
その状況の推移に応じて、まさに開かれて動いていくっていう意味合いで考えると、
そういう意味で成長は結果としてあって全然いいと思うんだけど、
成長がゴールというよりも、より良く生存していくっていうことを考えると、
発展とか展開っていう表現の方がよりしっくりくるかな。
すごいそこも分かるな、分かるし、そうなんですよね。
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拡大じゃなくて展開っていうのが、
僕一番今すごい、フェイスブックの文面読んでは全然伝わらなかったけど、
今めちゃくちゃ伝わりましたね。
良かったです。
今聞いてて思ったんですけど、
開発と展開と発展って同じ文字。
組み合わせですね。
どういうことどういうこと。
開発は開くに発するでしょ。
展開は点に開く。
発展は発するに展開の点だから。
本当だ。
繋がってるんですよね、いろいろと。
開発っていう言葉がどうしてもゼロ状態のところを新たに切り開く。
改革に近いイメージがすごく強いし、
いわゆる不動産。
もちろん不動産で開発していくのは全部で終わるわけじゃないんだけど、
そっちのイメージがすごく開発に色が付いちゃったところはあるかもしれない。
建物を建てるみたいな感じというかね。
もの作るっていう方にイメージが行っちゃってるけど、
デベロップメントってそこ全部それなんだ。
開発も発展も展開もデベロップメントなのか。
そうすると僕らがいつもデベロップメントしてると思ってるのは、
そっちに繋がったんだな、展開に繋がったんだな。
開発者の会社ですとか言っていいじゃん。
展開の会社。
もちろん広く見るとね、展開していくってこと。
僕らも経済的な成長ももちろん結果としてもあるし、
資本主義できていく限りはそこも大事にしつつ、
文化を広げるみたいなところをずっと会社で言ってたのは、
文化を広げるって展開とか発展ってことなんだなって、
なんか思いましたね。
そういう意味で開くっていうのと、もう一つ開けるっていうじゃないですか、
景色というか見え方が動いていくと見え方が変わっていくときに、
開けるって、もちろん会でもいいんだけど、
展開の点のイメージがすごく強いので、
まさに企業でもどの組織でもいいんですけども、
個人でもいいんですけど、動いていっている中で、
あるいは止まって景色の見え方変わることもあるんで、
立ち止まってもいいと思うんですけども、
動くなり止まるなりしているときに、
物の見え方が開けていくというか、変わっていく。
ここらへんなんかは捉えていくときに、
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どうしてもゴールを意識しすぎちゃうことが多いと思うんですけど、
もちろんゴールは大事なんで、それはそれでいいんだけども、
そのときにどんな風景っていうか景色が見えてるか開けてるかで、
ちょっと動くことによって景色がどう変わるのかみたいなところっていうのは、
個人的にすごく関心があるとこですね。
これあれじゃないですか、
税網で、さっきおっしゃってた経営って言っちゃうとあれだっていう話あるけど、
山津先生、この税網と経営つなげて本を書けるんじゃないですか。
なんかだいぶ前にそんな話誰かにされた気が、
思い出してすっかり忘れてたなっていうのを今思い出しました。
いやー、今話聞いててめちゃくちゃ面白かったなと思って。
授業受けたいですね。
聞いたことないですけどね。
これ実は繋がる、重なるんじゃないですかね、
その表の顔と裏の顔が。
すごく僕そこは聞いてみたいし、
少なくともちょっと僕税網は本に読もうかなって今思ったんですけど。
倉抜さんが何から読んだらいいですか。
おすすめの、ほんと初心者がまず読むとしたら、
どこから行くといいですか。
そうですね。でもやっぱり一番手にも入りやすいし、
風刺家伝っていうやつの、
まさに何歳のときに何するみたいなのが一番最初にあるんですね。
年来傾向っていう言い方してるんですけど、
これで34、5歳で成功してなかったら、
その後は下り坂だって書いてあって、
30前後のときめちゃめちゃビビってたっていう。
どうしようみたいなのはすごく思ってましたけど。
そこら辺なんかは最初に読む上では、
読みやすいし、逆に年取って初めて読むと焦りますけど、
読みやすいとこですよね。
この現代語訳風刺家伝っていうのが、
2005年に出た本が、これはカテゴリ演劇史でもまだベスト1位になってる本なので、
これが読みやすそうな感じがしましたね。
そうですね。これも今は中古でしか手に入らないんですけど、
何年か前亡くなった山崎正和っていう、
大阪大学の先生も知ってた人かな。
劇も書いてたし、いろんな評論もしてた人なんですけど、
山崎正和っていう人の、今は中央討論審査なんで、かなり古いと思うんですけども。
これは昭和58年なのでだいぶ前の本ですけど、
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これは現代語訳で全部書いてるんですけど、
結構私はこれ読みやすいし、
磯網の大概の著作をこの一冊に収めてくれてるので、
前の解説も含めて私は好きな本ですね。
山崎正和さんの、まさしく磯網というタイトルですね。
慎重者。
いやちょっとその辺から入ってみて、
あれですね、テーマトークやるかもしれない。
学長でもあれですね。
磯網ちょっとはかじってる。
ちょっとだけ。
そうなんだ。僕全然知らなかったので、
すごい面白いネタをいただいた感じでございます。
と言ってるうちに延長戦、
磯網で延長戦してしまったので、
お時間が来てしまいました。
ということで、あっという間の全3回でしたが、
山崎さん的にはいかがだったでしょうか。
すごく面白かったですし、
ちょうど本を読んだとこだったので、
改めてというか、こうやってお話しさせてもらいながらだと、
なおさらイメージが湧いてきやすくなるので、
そこも面白かったし、
皆さんそれぞれやってらっしゃる場というか、
シチュエーションが違うんで、
そこの中での共通点とかがすごい感じられるっていうのは、
めちゃくちゃ面白かったです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
それぞれのところの範囲で好きなことを喋るという、
雑魚ラジオらしい感じだったのと、
最後、ゼヤ見の話はめちゃくちゃ僕も面白かったです。
ということで、今回8月のゲストは山形雅之さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
3回に来て、
後ろになればなるほど盛り上がりました。
ゼヤ見がね。
ゼヤ見の脳の話が出てくるとは、
最初もう全然思ってなかったですよ。
事前情報なしすぎて、
これ雑魚ラジオっぽいですね。
最初どんな話になるのかなってわからないまま、
話が始まり、
実は脳が好きでみたいな。
でもあれですね、ゲストの方の、
いつも言ってる楽屋で喋るじゃないけど、
表で喋らない裏の顔が出てきた時が面白い。
そうですね。
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好きなこと出てきたら、
だんだんみんな饒舌になるっていうのが、
これ最高ですね。
なので毎回後ろの方が伸びちゃうっていうのは、
あるある。
僕今回最初の回だったっけな、
理論。
理論だけでも、
実践とちゃんと合わせてやることに価値があってというか、
みたいな話が出てきたときに、
先月、老僧思想テーマでやったじゃないですか、
高校の倫理の授業とかで、
孔子、孟子とか老子とか、
習ったはずなんだけど、
その時は全く興味がわからなかったけど、
いろいろ体験が積み重なってきてから、
ああいうのに触れるとめちゃくちゃ腹落ちするっていうのは、
体感的にめっちゃわかるなって思ったのが印象に残りましたね。
ぜやみ、ぜやみも今、接するとめっちゃ腹落ちするって。
いやー、そうね。
その、僕ぜやみのことをね、
いや言葉、言葉というか名前をね、もちろん知ってはいたんですけど、
脳っていう世界があるということを知ってたんだけど、
いやーこれ本当、全く自分とは関係ない話というか、
違う世界だなと思ったけど、
ね、脳の話聞いて、ぜやみの話聞いて、
喋りながら手元でググったりとかしていったら、
これもしかしたら面白いやつではっていう。
めっちゃ面白いやつですね、たぶん。
いやー、なんかもう50でもあれですよ、昔の本だから、
50歳ぐらいではもう老年に入ってるって書いてます。
いやいやもう僕らもう完全に老年に入ってるけど、
そこはあの、文法が100年時代になってるから、
ちょっとチューニングを変えたほうがいいかもしれないけど。
そうですそうです。
初心忘るべからずもね、よく使ってますよ。
それこそ若い頃とかは、自分のこう、
なんていうの、座右の銘、初心忘るべからず、
みたいなことを言ってたときもあったけど、
全然その言葉の意味わかってなかったな。
改めて初心忘るべからずな感じはするし、
なんかこう、脳の世界、たぶんゼアミーの話だと、
稽古ごとなんでしょうね、その芸と稽古みたいな世界、
ちょっと全然わからずに、その想像でしゃべりますけど、
っていうところの話と、
僕らの会社のエンジニア育成とか育つみたいな話と、
なんかやっぱりたぶんそこの、さっきの一気通貫でみたいな話とか、
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分業せずにみたいな、仕事の種類がちょっと違うとかっていうのが、
結構たぶんリンクしそうな、なんとなく予感がしてきているという、
その予感をもとに読んでみたいなという気持ちでございますね。
あと、それこそ利権の権みたいな言葉、
メタ認知大臣みたいな話だったりとかするし、
客席から見てる自分の姿みたいなのをイメージするみたいなことなんですけど。
じゃあ、くらなきさんがゼアミーをインプットした後のタイミングで、
テーマトーク、ゼアミーの回。
いや、やれるかな。やれるぐらい僕は学べるかな。
詳しい人が来てくれる。
まあね。
面白かったです。
はい、面白かった。
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ということで、8月のゲストは山形雅之さんでした。
終わりとなります。ありがとうございました。
ありがとうございました。
また来週。