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2024-06-05 17:32

第2回 自己肯定感向上委員会① 〜自己肯定感とその高め方〜

今回は自己肯定感とその高め方について。

生きづらさの根源にあったり、幸せな恋愛の鍵になったり、重要だとは認識しつつも多くの人が悩みを抱えているはず。

もともと自己肯定感の低さに悩んでいた2人が克服していった考え方や方法についても話し合いました。



【目次】

() 自己を肯定するってなんなんですかね?

() ミユの自己肯定感の変遷

() 自己肯定感が低い人は他の人を肯定できているのか

() 自分を不幸たらしめているのは自分

() 自己肯定感を高めるためには(トシ)

() 自己肯定感を高めるためには(ミユ)

() 目標に向かって努力することは自己を否定すること?

() 自己肯定感とは、自分に真摯に向き合うこと


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こんにちは、トシです。ミユです。ゆる天守閣ラジオ2回目の今回は、自己肯定感向上委員会ということで、私たちが結構大切にしている
自己肯定感についてをやっていきたいとおもいます。
なおこの会は、この向上委員会は、数回に及ぶ予定でありますので、皆様ご覚悟の上ご視聴をよろしくお願い致します。
まあ、初回なんであれなんですけど、まず、自己を肯定するって、何なんですかね。
そうね。 自己を肯定するって何なんだろうね。
なんかまあ、自己肯定感って簡単に言うとさ、なんか自分のことを認めてあげる気持ちみたいなのがあるじゃない?
で、まあ私にとって、まあ自己肯定感は大事だって3年くらい前に気づいて、少しずついろんなことをトライして、ちょっとずつ自己肯定感を高めてはいたんだけど、
同時に、なんか自分のこう人生において、なんかまあ仕事がうまく思ったように働けなくなっちゃったり、
で、なんかシフト減らしたんだけど、それでもうまくいかなくなっちゃったりという感じで、
なんか手に持ってるものがどんどん減っていっちゃった時期と重なっちゃったんだよね。
だから、なんかこれでもいいかって自分のことを認めてあげられるようには少しずつなったんだけど、でもそれと同時に自分が持ってるものもどんどん減っていっちゃったの。
だから、なんかそれまでずっとこう、下がっていくものを認めてあげられなくて、結構悩んでたりしたのですよ。
今は?
今は、まあ比較的、今そのままにフォーカスするっていうこと?
今が楽しいかなっていうところにフォーカスができているとは思う。
まあ前よりはね、ただ完璧っていうかまあ100点ではないと思う。
まだ自分も、やれることはあるなぁ、これもうちょっと何とかしたいなぁって思うところはあるね。
なるほどね。
自己肯定感を語るときって、要は自分対自分っていう話をよくすると思うんだけど、
いわゆる自己肯定感が低い人っていうのは、他の人は肯定できている前提なんだろうかっていつも思うんだよね。
私の場合は、他の人をなんか羨むことをやめられなかったし、
あと理想の自分と比べて、今なんでこんな場所でこんなことをしてるんだろう、みたいなところもやめられなかった。
なるほどね。
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じゃあ自己肯定感が低い高いっていうのは、言い換えると、そもそも自分とか問わず人を認める、人を愛する、人をこう、
いわゆる肯定するっていうこと自体、全般の話にも近い話なのかもしれないね。
うん。
としはどう思う?
としもさ、自分のニックネームにさ、自己肯定感めっちゃ低いのを由来にして、自分のニックネームつけてたぐらいだったわけじゃん。
だからとしはどう思う?
当時はいろんなものを恨んでたよ、やっぱり。
それは、僕もバックグラウンドでいろいろあったっていうのは、みゆには話していると思うけど、
なんか、なんで自分がこんな目に合わないといけないんだろうって思っていたし、
逆にそういう目に合ってない人たちは、なんで自分はこんなに辛い思いをしているのに、この人たちはこんな楽しそうにしているんだろうっていつも思ってたね。
だからすごい、あの、兄とかをコンプレックスに思ってたよ、僕は。
でも私もそう思う点があった。
あるから、なんか本当に幸せそうに生きてる人とか、なんか自分みたいに、いわゆる私の基準で思う普通の人を恨んでたんだよね。
うん。
だからそういう気持ちは僕はすごいわかるよ。
まあだからそこからの話なんだけど、でもじゃあ現時点で今僕はそうしているかっていうと、正直僕は全くそうしていない。
その差が何かっていうのを考えたときに、
そうだな、僕が決定的にやっぱり変わったこと、
で、まあその気づいたことっていうのは、結局自分をそうやって不幸をたらしめているのは何なのかっていうのを考えたときに、
その正体が自分だっていうことをどっかのタイミングで悟ったんだよね。
そのもちろん、周りの人と比べたときの相対的なハンディキャップとかはあったりした。
その中で結構辛い思いをしたりとか頑張らないといけないタイミングもあった。
でもそれって、要はさ、世の中にはマジョリティの人はもちろんいるけど、
絶対的な正解というものは存在しないはずなのに、僕はそっちの方が良くて、自分は良くないっていう優劣をやっぱり自分の中につけてしまっていたんだよね。
で、その優劣をつけているのは紛れもなく自分だった。
自分の思考はマジョリティによっているのに、自分の体とか現状はマイノリティ側によってしまっているっていうその現状に客観的に、
お前は不幸だって自分にレッテルを貼ってしまってたなって気づいたの。どっかのタイミングでね。
で、僕はそれをやめようと思ってやめて、まあだいぶ気が楽になって、今はヘラヘラ生きているっていう感じかな。
まあこれから先どうなるかわかんないけど、少なくとも今は楽しいし、この楽しさっていうのは別に他の人と比べて楽しいとか、他の人に比べて何かが優れているから楽しいわけではなくて、
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シンプルに僕の心、いわゆる魂が楽しいと思っているなら、もうそれでいいやって思うようになった。
これをもし自己肯定感というなら、僕は自己肯定感が高いのかもしれない。
うーん、なんかさ、そこまで持っていくためにはどうしたらいいのかなって思っちゃったな。
僕はそれで言うと、自分っていうものは結局何なんだっていうのをずっと考えた。自分っていうのは何なんだっていうのは、
結局さ、脳科学とかを勉強するとさ、脳ってただの臓器でしかない。意識っていうものは未だ解明されてないんだよね。
でもさ、確実に自分はここにいるわけじゃない。
僕の体で得られる五感っていうのは僕しか感じることができないってことは、僕の中に何かがいるっていうことだと思うのね。
僕はその正体は、正体が自分だって思うようにしたんだよね。だから逆に言うと、自分が感じる感情とか考えることとか想像っていうのはただの臓器の反応でしかない。
そのもっと先に本当の自分の核っていうものが存在しているっていうのを僕は信じている。信じているというか、そういう思考がシフトしたんだよね。
自分の体は自分のものであって、もう自分しか感じることはできないんだけど、自分のものではない感覚というか、
ある意味で自分自身も愛するべき他者として接するっていう感覚に変わったっていう。
他の人のもちろん互換とかを感じることはできないけど、感じることはできないし、逆に自分の互換を感じることができるから、他の人よりも圧倒的に自分の方が影響はされやすい。
自分の感情とか起こったこと、見たもの、聞いたものにその気持ち自体、気持ちというかその自分の魂自体はすごい揺さぶられやすいけど、
自分の魂は別に僕自身とは切り離されている。自分の体とかとは切り離されているものだっていう感覚に近い状態になったんだよね。
それがなんでそうなったのかすごい表現しづらいんだけど、いろんなものを考えて、読んで、いろんな人の話を聞いて、自分自身で自分に向き合ってっていうのをやってくる中でそうなったという感じかな。
なんか個人的には私、そのやり方がかなり再現性が低いと思うのね。
誰しもがそのやり方でうまくいくかっていうと、きっとうまくいかないと思うの。
だからなんか私も付き合い立ての時はその都市の考え方、その考え方に至れれば幸福かもしれないけど、私はそこにいないっていうことにすごくなんか逆に劣等感を覚えてしまったりしたし。
だから、もっと実践的な方法っていうのが見つかればいいんだけど、
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例えば、私のままでやってきた方法ももちろん不完全ではあるんだけど、もっとその女性として感情的な生き物で、私の持っている疾患も結構感情的な疾患なので、
なんかそうやって理想的に、理性的にはしていけないようなものではあるんだけど、
なんか自分がやってきたこととしては、例えば、いろんな人と話すことだよね。
私は結構、勉強も頑張ってた方だったから、普通に大学に入ってちょっといい会社に入りたいみたいなところをずっと考えていて、
そこから外れた自分はダメだ、みたいなふうに多分思い込んじゃっていたんだよね。
だから、いろんなところでいろんな人の話を聞いて、本当に日本中いろんなところに行って、
で、こんな生き方してる人がいる、こんなに楽しそうにしている、なんか自分が肯定されていたその理想とされて思ってた生き方っていうのが、
なんか実は全然それはまあ一つの形でしかなくて、他にはもう何万通り、何千通り、何億通りがあるっていうことを知った。
っていうことがまず一つと、あとはメンターみたいな存在がいるなって思ったんだよね。
っていうのは、やっぱり自分でそういう本とかも読んだんだけど、なかなか自分の状態に適応できるっていうのはなんか限界があると思うの。
かといって、急に都市みたいにある日突然自己肯定感の高いやつが現れて、じゃあその人をメンターにすると多分ね、ひがむんですよ。
本当にこの人のことを嫌いになると思うの。だからもっと同じ目線に立ってくれる人がいいと思うんだよね。
都市が同じ目線に立ってないというわけではないけど、なんか私にとってはまあ一個上の女の友達がいて、その友達も同じようにこう病んで大学に行けなくなったっていう過去があって、
彼女のその変異な言葉とか、本当に私のことを思ってくれる言葉に、なんか心がこう響くというか、
なんかその当時は結構水をはじくみたいに言葉をうまく受け入れられなかったけど、長い年月をかけてその彼女の言葉がなんか染み入ってくるようになった。
っていうことがあって、なんかそういうこととか、ちょっとずつ小さい出来事の積み重ねであったなぁと私は思うんだよね。
その急にシフトが起きたわけではなくて。だからなんだろうね、
多分一生悩んでいく問題ではあるのかもしれない。私にとって。だって体調が悪くなると一気に思考がネガティブになってしまうので、
自分もやっぱまだまだだなって思うし、自分もどうやってこれから自分のことを認めてあげようかっていうのはすごく悩んでいることの一つではある。
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一個聞いてみたかったのがさぁ、
例えばなんだけど、
自分のことを今の状態でいいよって認めてあげることが自己肯定感の高さだってするならば、果たしてそのダイエットとかさ、美容とかさ、筋トレとかさ、
そのより理想の自分に近づこうとする努力ってあるじゃん。あれって、
なんか考え方によるのかもしれないんだけど、私にとっては今の自分を否定してより良い自分になろうとするっていう努力だと思うの。
だから鏡見るたびにああああみたいなここに脂肪が溜まってるとか、ああ肌荒れしてるとか、なんかそんな風に思っていちいち落ち込んじゃうし、
目標とかやっぱ設定してるから焦りも生まれるし、だからなんか、
まあある意味で裏を返すと今の自分を否定するっていう行為だと思うんだよね。
だから、そうやってなんか自分のことを認めてあげながら、理想の自分に近づく努力をするにはどうしたらいいと思う?
なんかそれは仏教の話で言うと二の矢を打つなっていう話だし、アドラシン理学で言うとダンスをし続けるって話も近いと思うんだけど、
結局その、何て言うんだろうな、どこまで行っても何か理想の状態とかを設定した時点で現時点との差分が見えてくるわけだよね。
それが自分に矢として襲いかかってくると。
それを仏教では二の矢って言ったりするみたいなんだけど、
なんかそのアドラシン理学の話の中で言うと、やりたいものがある。それをやる。
それだけじゃないかっていう話なんだよね、結局本当は。例えばダイエットもする。ダイエットしたいっていうのは痩せたいから。
でも痩せたいからっていうのは別に今の自分が醜いとかじゃなくて、現状からこう痩せる方向へ進んでいきたいっていうそのベクトルの話でしかないんだよね。
で、それをただやり続ける。そのベクトルの方に進んでいく。結果的に痩せるっていう考え方にシフトをすることで人生ってもっと楽に生きられるよねっていうのは例えばアドラシン理学とかで言っているよね。
僕はこれすごいそうだなと思っていて、目標を立てるのすごい大事だと思うんだけど、僕あんまり立てることがないんだよね。
どっちかっていうと毎日これをやるとか毎日これしか食べないっていうルールを設ける方が僕は多くて、日々の生活の中でね、僕自身も。
それで実際それでどうなるかわからないけど、やってみると体重が落ちた嬉しいとか、毎週筋トレに行ってみる。
毎週行ってみると筋肉がついてちょっと体がでかくなる嬉しいっていう僕はやっぱりそういう感覚の素朴な生き方をやっている気がしていて、
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なんかそのなんて言うんだろうね、そもそも目標を設定するっていうことをやってしまっている時点でやっぱり自分自身を肯定できてないっていう可能性もあるなって思う。
ああ、なるほどね。
例えば僕今年マッチングアプリで会ったけど、マッチングアプリを始めた理由は、なんか今年なんか始めたいなって思った時に、
まあ恋人は今いない。で、何かアクションをそこに取ることができる。だからやってみようか。
まあそれをやってみたところで彼女ができるかどうかはわかんないけど、とりあえずやってみようと思って始めて、ミュウに出会って実際付き合って今一緒に住んでたりするわけだけどさ。
結構僕はなんかそういう感じの生き方をしていることが多いな。あんまり目標設定していることがないかもしれない。
特に最近は。
うん、じゃあってことはまあ、
統括すると結局なんだろう、自己肯定感ってなんか過去も見ず未来も見ず他人も見ず今にフォーカスするみたいな私の中で印象があるのね。
もっと言うと本当に究極形今の自分に向き合うっていうことをやり続けるってこと自体が、
要は自己を肯定するっていうか自分に真摯に向き合うってことなのかなっていう気がする。だから自分もその肯定できない。
でそれによってこう病んじゃうとかご飯が食べられないっていうのは今の自分自身をないがろしろにしている状態っていう言い方もできると思っていて。
結果的にそれで体調が悪くなるとかコンディションが悪くなっていくっていうのはもちろんなんかいろんなそれぞれ事情はあると思うけどその
今の自分自身をとにかくいい状態メンテナンスし続けるっていうこと自体が自己を肯定するないし自分を真摯に
こう扱うというか自分に自分を丁寧に扱うっていうことなのかなっていう気はしてる。
それによって未来がどうなるかわかんないし、それをやったとて急に交通事故で死んじゃったり
不幸がいろいろ起こることはあるかもしれないけど、少なくとも今の自分はそれでいい状態は継続的にその瞬間、瞬間でいい自分っていうのを保ち続けることができるのかもなって思ったりするね。
なるほどね。
という感じで。
今日は一旦このあたりで締めてみましょうか。
うん。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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