村上の御時の紹介
吉村ジョナサンの高校古典講義/Jonathan Yoshimura's Classical Literature Lecture at High School
始めて参りましょう。
今回は幕談の創始から第20弾をご紹介いたしましょう。
まずは、お読みいたします。
村上の御時に、千葉伝の娘子と聞こえけるわ。
小市城の左の大人の御娘におわしけると、
誰かは知りたてまつらざらむ。
まだ姫気味と聞こえける時、父弟の教え聞こえたまいけることは、
一には御手を習いたまえ。
次には金の御ことを人よりことに引きまさらんとおぼせ。
さては、古今の歌はたまきをみなうかぶさせたもうを、
御学問にはせさせたまえ。
となん聞こえたまいける。
と聞こしめしをきて、
御物意味なりける日、
古今をもてわたらせたまいて、
御気調を引きへだてさせたまいければ、
女子、礼ならずあやしとおぼしけるに、
草紙をひろげさせたまいて。
その月、何のおり、その人のよみたる歌はいかに。
と問い聞こえさせたもうを、
こうなりけりと心得たもうも、
おかしきものの日が多えもし、
忘れたるところもあらば、
忌みじかるべきことと、
わりのおぼし乱れぬべし。
その方におぼめかしからぬ人、
二人、見たりばかり飯いれて、
御意志して数おかせたもうとて、
し聞こえさせたまいけんほどなど、
いかにめでとうおかしかりけん。
おまえに侍けんひとさえこそ、うらやましけれ。
せめてもうさせたまえば、
さかしゅう、やがて末まではあらねども、
すべてつゆたごうことなかりけり。
いかでなお、
すこし日がこと見つけておやまんと、
ねたきまでにおぼしめしけるに、
とまきにもなりぬ。
さらにふようなりけり。
とて、恩相しに、
きょうさんさして、
おうとのごもりぬるも、
まためでたしかし。
ここの場面ではですね、
まず前提として、
いちじょうてんのうという方がいらっしゃいます。
この方はみかどですね。
いちじょうてんのう。
みかどなんですが、
その奥さんにあたる方が、
ちゅうぐうていしになります。
で、そのちゅうぐうていしに、
おつかえしているのが、
せいしょうなごんなんですね。
で、そのせいしょうなごんが、
かいているのが、
まくらのそうしです。
この場面では、
まずいちじょうてんのうが、
ちゅうぐうていしや、
せいしょうなごんがいらっしゃるところに、
やってくるんですね。
教育の内容
そこで、
なんというか、
わかのクイズをしはじめるんですね。
こきんわかしゅうクイズ、
みたいなのをはじめるんですよ。
で、
しっているわかにどんなものがあるか、
とかね、
そういうことを、
ためそうとするわけですね。
で、
それで、
そんな中なんですが、
せいしょうなごんは、
うまくそこをきりぬけるわけなんです。
で、そのあとに、
今回の場面が出てまいります。
これは、
ちゅうぐうていしさまが、
ここまで、
いちじょうてんのうがやってきて、
それに対して、
まわりのにょうぼうはもちろん、
せいしょうなごんが、
うまくたいしょした、
ということをふまえて、
そういえばむかし、
こんなことがあったようですよ、
ということをしょうかいしはじめるんですね。
ではいったい、
どんなことをしょうかいしはじめるのか、
みてまいりましょう。
むらかみのおうんときに、
むらかみのおうんとき、
おうんときときたら、
そのみかどのごじせんをとき、
ざいきかんちゅう、
ということですね。
なので、ここでのむらかみというのは、
むらかみてんのうのことです。
むかし、
むらかみてんのうのごじせんのときに、
せいようでんのにょうご、
ときこえければ、
せいようでんのにょうご、
といわれたかたがいらっしゃった、
というんですね。
せいようでんというのは、
これはばしょのことですね。
せいようでんにおすまいなっていた、
にょうご。
にょうごというのは、
このみかどのおきさきさまが、
いっぱいいるんですが、
そのおきさきさまには、
なまえというか、
みぶんのようなものがあります。
せいしつ、
めいんのおくさんのことを、
ちゅうぐうというわけですね。
なので、
ちゅうぐうていしゅが、
めいんのちゅうしんとなる、
おくさんなんです。
ちゅうぐうをおつかいしている、
ような人たち、
あとはおきさきさまにあたる、
ような人たちは、
こういとよばれる人たちなんです。
そのこういという人たちの、
なかでもとくに、
またみぶんがたかい人のことを、
にょうごというように、
いうようになるんです。
なので、
ちゅうぐうにょうごこうい、
というようにみぶんがあります。
ここでは、
せいようでんのにょうごとありますから、
それなりにみぶんのわいのかただ、
ということがわかります。
ここでは、
せいようでんのにょうごという方の、
おはなしなんです。
ですから、
むらかみてんのうのにょうごと、
おくさんのひとりである、
せいようでんのにょうごという方が、
いらっしゃった。
この方というのは、
こいちじょうの、
ひだりのおおいとろの、
むすめにおわしける、
たれかはしりたてまつらざらん。
この方というのは、
こいちじょうのひだりのおおいとろ、
ひだりのおおいとろというのは、
さだいじんのことです。
こいちじょうのさだいじんのむすめであった、
というのです。
そのことは、たれかはしりたてまつらざらん。
だれがしらないでしょうか。
みんな知っていますよね。
ごぞんじのとおりですよ。
ということで、
せいようでんのにょうごという方。
この方が、
まだひめぎみときこえけるとき、
まだひめぎみで、
いらっしゃったとき、
ひめぎみは、
まだおさなかったころのことです。
ちちおとどの、
おしえきこえたまいけることは、
おとうさんである、
さだいじんさまが、
おしえ申しあげたこと。
このむすめに対して、
ひととおいこうした、というのです。
いちには、
おんてをならいたまえ。
つぎには、
きんのおんことを。
ひとよりことに、
ひきまさらんとおぼせ。
さては、
こきんのうたはたまきを、
みなうかべさせたもうを、
おんがくもんには、せさせたまえ。
ここでは、
おおきくみっつのアドバイスをしています。
まず、だいちに。
つぎには、おんてをならいたまえ。
てをならいなさい。
てというのは、
ひっせき、
つまり、じです。
もじのかきかたを、
ならいなさい。
まずは、
すてきなもじがかけるようになりなさい。
ということを、
おしえるのです。
つぎには、
きんのおんことを。
きんというのは、こととかいてきんといいます。
きんのおんこと。
両方とも、同じじをあてるのですが、
がっきを、
ひとよりことにひきまさらん。
ひとよりも、
とくべつにひきまさる。
すぐれてひけるようにないなさい。
というのです。
ですから、
にばんめに、
がっきをえんそうできるようにないなさい。
というのです。
そして、
さんばんめに、
しさては、
こきんのうた・はたまきを
みなうかぶさせたもう。
こきんのうた、
これは、
こきんわかしゅうのうたを、
にじっかん・はたまき。
はたというのは、
にじゅうというじをあてています。
二十歳のことを、
はたちといいます。
はたまきで、
にじっかんということです。
にじゅうのまきを。
つまり古今和歌集の二十感を全部覚えなさいと浮かべられるようにしなさい
覚えなさい
でそれをあなたの音楽門にはせさせたまえ
学問としなさい
ということでこの左大陣の教育としては
まずは綺麗ないい素敵な文字が書けるようになりなさい
そして楽器を弾けるようになりなさい
そして和歌を覚えなさい
っていうことを言うわけですね
姫気味の成長
となん聞こえたまいける
というふうにこの姫気味小さい頃から教えを受けていた
でそのことをと聞こしめし起きて
そのことを村上天皇はそのことを分かっていて
って言うんですね
この西洋での女王子というのは
そういう教育を受けてきてるんだ
ということが分かっていた
特にここでは一番最後の古今和歌集
古今和歌集をとにかくちゃんと勉強しなさい
っていうことを言われているっていうことを
村上天皇は知っていたので
って言うんですね
だと自分の奥さんである西洋での女王子が
和歌についてすごく知識のある人だ
っていうことが分かっているんですね
じゃあどうするか
ここで村上天皇は試したくなるんですね
恩物意味なりける日
物意味というのがありました
これは平安時代のブームになった
物の流行になった考え方の一つですね
物意味ということをするわけです
これはその日取りが悪いとかあったりすると
建物から出ないで
お屋敷から出ないで
物意味をするっていうことがあったんですね
建物の中にいると暇ですよね
暇なので村上天皇は
古今をもて渡らせたまいて
古今和歌集を持っていらっしゃったって言うんですよ
古今和歌集を
西洋伝の女王子のところに持ってきてですね
幹帳を引き隔てさせたまいければ
幹帳というのは
移動式のついたてのようなもののことですね
ついたてがあって
ついたてを女王子と自分との間に隔てさせて
そこの仕切りをつけてですね
その様子に女王子
それを見た西洋伝の女王子はこう思うんですね
例ならず妖し
例というのはたとえと書く例ですね
例ならずというのはいつも通りではないと
いつも通りではなく妖し
なんか奇妙だな
なんかあるなと不思議だなと思うわけですね
と妖しけるに
警戒しますよね
なんだろう
普段そんなことしないのに
いきなり古今和歌集を持ってきて
どうしたんだろうと思うわけですね
そこで妖しを広げさせたまいて
妖しというのはこの紙で持ってきた
古今和歌集のことですね
その冊子のことです
その冊子を広げなさって
これ帝がですね
広げなさって帝がこう言います
その月何の折
その人の読みたる歌はいかに
って言うんですね
その月にその何月の月に何の折
何の時にその人
誰それの読みたる歌は
読んだ歌はいかになんだって言うんですね
この月に何というきっかけの時
これだいたい和歌というのは
例えば歌会が開かれたりとか
何かこうイベント行事がある時とかですね
あとは何かこう祝い事があったり
人が亡くなったりとか
何かしらがあった時に
それに合わせて和歌を作ったりするんですよね
で大体そのこの時に読まれた
和歌ですよっていうものも
説明の説明書きがされているものなんですね
でなので両方ともセットになってるんですけど
そのこういうシュエーションで
このような人が読んだ歌はなんだ
っていう風に問題を出すわけですね
村上天皇はさあそれに対してどうするんでしょう
西洋伝の日本語と問い聞こえさせたもう
という風に村上天皇は
問い申し上げなさるんだけれども
こうなりきりそういうことかと
心得たもん西洋伝の日本語は
そういうクイズを出し始めたのね
この方はっていう風に分かったんだけれども
おかしきものの日が覚えもし
忘れたるところもあらば
忌みじかるべきことと割のおぼし乱れる
そこで西洋伝の仁王が思うわけですね
西洋伝の女王子の反応
なんかこう問題を出されたわけですけれども
もちろんねこのことなかなか面白いクイズだな
と思う一方でですよ
まあおかしきもののお菓子っていうのは
いいことに使われますね
大体が素敵なことを考えなさったのねと
なかなか風流なゲームを始めなさったのね
と思うけれども日が覚え
日がっていうのはこれは日が事という言い方をしますが
日が事っていうのは悪口なんていう意味でも使われますが
間違いとか嘘なんかこういうことを言ったりします
ですからここでは日が覚えと言っていますから
間違って覚えちゃっていることがあったりとか
あとは忘れたるところもあれば
忘れてしまっているような和歌もあれば
忌みじかるべきこと大変なことだと
忌みじというのはなんか大変だっていうことを表します
大変素晴らしい時にも忌みじって言うし
いやこれは大変まずいなって時も
忌みじって言ったりするわけですね
ここでは忌みじかるべきことも
大変困ったことだと割のおぼし乱れぬべし
割なしっていうのは非常に困ったことだというわけですね
割のおぼし乱れぬべし
とにかく思いが乱れてしまっているってことですね
ですからもうドキドキしちゃいますよね
いきなりクイズになって
もしこれ間違えたらどうしようとかもいますよね
それで非常にドキドキしてしまったと
さあその場にはですね
他にも召し上がる方がいらっしゃいまして
その方におぼめかしからぬ人
二人みたりばかり召し入れて
ご意思して数をおかせたもって言うんですよ
これちょっとねなんか嫌だなと思うんですけどね
どういうことかっていうと
その方その方その方面って言うんですね
その方面におぼめかしからぬ
おぼめかしっていうのはですね
なんかぼんやりしているっていうことですね
おぼつかないって感じ
ぼんやりしてからぬですか
おぼめかしからぬですから
ぼんやりしていない人
その方面にぼんやりしていない人
つまりこれは和歌の方面に詳しい人ってことですね
古今和歌集などの和歌の方面に
詳しい人を二人みたり
二人はいいですね
二人に二人ですね
二人の人がいるの二人です
みたりっていうのは三人のことですね
地図だからすると三人って書きますが
みたりって言ってますね
二人みたりとだから二三人ってことですね
二三人その和歌に詳しい人をそこに呼んできて
語彙詞これは意語をするときの語彙詞ですね
語彙詞でを使って数をかせたも
これなんかたぶんそのその語彙詞で
なんかあってるあってないとかを
記録させたんでしょうね
いやですよね
なんかねはい今の間違いましたとかね
これはちょっと違いますとか
これはあってましたっていうのを
検査されるわけですね
テストされていくわけですよ
で語彙詞がどんどんね
増えていったりするわけなんでしょうね
いやですね
でもちろんね
こういう状況っていうのは
まあその奥さんにとってはですね
チャンスというか素敵なことなんですよ
でこの優雅な遊びですよ
遊びとしてもね
まあいいことではあるんですけどね
ちょっとなんか緊張感がある場面ではありますよね
でそこのことを
中古天使様はこういうわけですね
まあこんなことを指定して
お前に侍犬人さえこそ羨ましけれ
飛ばしましたかね
今ねすいません飛ばしましたね
し聞こえさせたまいけんほどなど
いかにめでとうがしかりけんと
でこれし聞こえさせ
しって申し上げなさると
要するに何かこう無理にですね
西洋伝の仁王語に強いて
無理やりに言わせるわけですね
でそういうことなんていうことは
まあ非常に素晴らしいことですね
とこういうことをやるのはね
でお前に侍犬人さえこそ羨ましけれ
その前に控えている方々
その場に居合わせた人たちも
素敵なことですね
いいなと中宮弟子様言ってるわけですね
ご自身だったらね
ちょっとなんかあれかもしれないけれども
村上天皇の頃に
そういうことがあったのねと
あったんですよと
いや私もその場にいたかったわ
みたいな感じですがね
村上天皇の影響
素晴らしいことですね
っていうわけですよ
でそこでこれもちろんこれ同じようなこと
今一乗天皇がやってることなんですよ
じゃあ同じようなこと
一乗天皇やってらっしゃるんですけれども
まあ村上天皇時にも
そんな同じようなことがあったってことなんですね
でそのそのような場にいた方々
村上天皇時無駄やましいわね
ってことを言うわけですね
ですから今一乗天皇がやってらっしゃったことも
また肯定しているわけなんでしょうね
さて続きです
せめて申させたまえば
さかしゅやがて末まではあらねども
すべてつゆたごうことなかりけり
でそこでそのまま西洋伝の仁後に
言わせ続けていたら
いたんですけれど
その仁後はですね
さかしゅ
さかしっていうのは
なんか非常に利口な様子
賢い賢いと書いてね
さかしと言ったりしますけど
さかしってことですね
ただなんかこう
現代語でもこさかしいって言い方をしますよね
なんかこうさかしっていうのは
少しネガティブなニュアンスを
持っていたりするんですよね
まあいろんな場合がございますけれどね
これもちょっとどうとるか
難しいところですけれども
なんかこうちょっとわかりますよ
私みたいな感じで最後までやがて末までは
あれどもそのすべて
そのまま末までって
和歌と村上天皇
たぶん和歌の最後までってことなんでしょうね
57577あるすべての和歌の最後まででは
ないんだけれども
すべてつゆたごうことなかりけり
すべて全くたごうこと
たがえることがなかった
つまり間違うことがなかったと
おそらく村上天皇が言ったことに対して
その問題に対してこの和歌ですよね
ある程度言ったんでしょうね
ただ57571全部を答えるわけではないってところが
なんかそこでね
その和歌でしたら
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
まで言っちゃうとちょっとこうさかしいってか
こうねなんかこさかしい感じが出ちゃう
なんかちょっとね
こうなんでしょう私わかるわよみたいな感じが出ちゃうから
ちょっと遠慮がちに最後まで言わなかったのかもしれませんね
そんな様子でとにかくでもいずれにせよ
この和歌ですねってことはわかったわけです
この和歌ですねってことはちゃんと言えたわけですね
でもそうなるとですね
この村上天皇の方もちょっとどうしようかなと思うわけですよ
全部当ててくるじゃん
西洋伝の日本語って言うわけですね
でどうしたかって言うといいかでなお
少し日がこと見つけてやを見つけておやまんって言うんですよ
何とかして少しでも日がこと
つまり間違いをね
見つけて終わりたいって言うんですね
だから全部ちゃんと当てちゃうから
1箇所2箇所くらいね
1個か2個くらいは間違わせたいって思うんですね
そういうことをこう村上天皇は思うわけですよ
で寝たきまでにおぼしめしけるに
ムキになっちゃってるわけですね
この野郎とか持っているうちに
戸巻にもないの戸巻ですから
これ実感もう実感にもなっちゃった
20巻中実感にもなっちゃったって言うんですね
だからもうあっという間にものすごい量の和歌を
西洋での日本語は繰り出してしまったって言うんですよ
もうそこまできたら村上天皇こういうわけです
さらに不要なりけりもうこれ以上は不要だって言うんですよ
もうこれ以上はもういらないいらない
もうわかったわかったもう素晴らしいっていう風に言って
古今和歌集の影響
御葬詩に経参さして
でそのまま古今和歌手の冊子に経参というのは
これはまあクリップみたいなもので
これをその冊子に挟み込むことで
しおりのように使ったようなんですね
で経参をさしてしおりをでね
この目印をつけたここまでは全部正解みたいにつけて
おうとのごもりぬるとこれはお休みになる
まあその日はねもうお休みになったって言うんですよ
まためでたしかしそれも非常に素晴らしいことだ
なんていう風にね要するにもうそこまで
この西洋での日本語には力があったってことなんでしょうね
今回のテキストはここまでにするんですが
実はこのあたりまたでこの後にですね
また起きるんですよ
でもう1回今度はわざわざの照明をつけてまでして
夜中中この古今和歌手クイズをずっと続けていくんですね
まあそれでも西洋での日本語は間違わなかったっていうね
その頃お父さんもそのねこの教えをしていた
左大臣ですねこのお父さんがずっと祈っていたって言うんですね
ある種のこれではある種の政治的な動きもあったのかもしれません
何かしらね背景があったのかもしれませんけれども
まあ非常にねこの大事な一時の時に
まさにこのお父さんの教えである古今和歌手の教えが
そもそもそれがなければこんなことを試されなかったかもしれませんけれども
その難題を西洋での日本語はクリアしたという部分でございます
まあこのエピソードを中宮天使様が引用して
こんなこともあったよね
あったらしいわよってことを話して
いやこんな風にね古今和歌手で遊ぶっていうのも
すごい素敵なことよね
なんていうふうになるわけですね
またちょっとねこの入れ子型の構造というか
表向きはこのマクラウン宗師の話の中では
一条天皇が中宮天使のところに訪れて古今和歌手クイズをする
でその後に今度は中宮天使が村上天皇のことを思い出して
村上天皇が西洋での日本のところを訪れて
同じように古今和歌手のクイズをしたことがあったよ
っていうお話をし始めるという場面でございました
では最後にもう一度全体を読んでおきましょう
村上の御時に西洋伝の日本語と聞こえけるわ
小市城の左の大人の御娘におわしけると誰かは知りたてまつらざらん
まだ姫々と聞こえるとき父大人の教え聞こえたまいけることは
一には御手を習いたまえ
次には金の御ことを人よりことに引きまさらんとおぼせ
さては古今の歌はたまきをみなうかべさせたもを
御学問にはせさせたまえと聞こえたまいける
と聞こしめしをきて御物意味なりけるひ
古今をもてわたらせたまいて
幹頂ひきひらてさせたまいければ
女子礼ならず林とおぼしけるに
草子をひどげさせたまいて
その月何のおりその人の読みたる歌はいかにと
と聞こえさせたもをこうなりけりと心得たもも
おかしきものの日がおぼえももし忘れたるところもあらば
忌みじかるべきこととわりのおぼし乱れぬべし
その方におぼめかしからぬ人
二人三たりばかり召し入れて
御意志して数をおかせたもとて
し聞こえさせたまいけんほどなど
いかにめでとうおかしかりけん
お前に侍けん人さえこそうだやましけれ
せめてもうさせたまえば
坂しゅうやがて末まではあらねども
すべてつゆたごうことなかりけり
いかでなお少し日がこと見つけておやまむ
と寝たきまでにおぼしめしけるに
とまきにもなりぬ
さらに不要なりけりとて
御相志に共産さして
大人ごもりぬるもまためでたしかし
今回も枕野相志からお送りしました
出典は門川ソフィア文庫
ビギナーズクラシックス
日本の古典からお送りしました
今回もお聞きいただいてありがとうございました