1. 内向ゲイと左右と上下(#ヨコタテラジオ)
  2. #053 「この人といる時の自分..
2023-02-13 24:02

#053 「この人といる時の自分が好き」が恋かも×寛容に生きる手段としての分人×…

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Host

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んで
・MAGIシステムと分人の違い
・分人で考える「趣味似てた方がいい」問題
・結局すべては脳みそが見せる神話じゃん
とかとかそんな話。

#ヨコタテラジオ 053

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00:06
この番組は、いろんな意味でマイノリティ30代代行人間の 仕事や研究の感動、モヤモヤを発信していきます。
そんな古事句、縦事句、様々な広がりから、聞いてくださった方々の脳みそに 奥行きを開放させていけたら嬉しい、そんなユーダウナーコンテンツです。
はい、というわけで、日曜日に…土日に更新ができなくてすみません。
えっと、なんか、いろいろ…家にいる時間がそうそう少なくて。
で、夜帰ってきてやろうと思ったら寝落ちしちゃって、お得意の。
で、結構今日も残業していたので、こんな時間になってしまいました。
また明日もね、IT系のカンファレンスみたいなのがあって、それに行くので。
はぁ…後々ですが。
でもレポートがね、あと1個。
えっと、じゃあ1個、結構重めのものがこの前の週末で終えられて、 あとは軽めのが3つあるっていう感じで、それを1週間以内に出せば、
えーっと、進級できる。
てか、まぁ進級はできるんだけど、それでプラス卒業研究に取り掛かれる。
もう来年は卒業なんですよね。
はい、ということで、卒業というか、まぁ終了ですかね。
はい、で、あと引越しも、えーと、来週の、えー、まぁ来週の今頃は多分だから新しい家で、えーと、違いますね。
来週の今頃は、えーっと、まだ引越し準備をしているところかな、レポートを書いているところかな。
はい、でもなんか友達と会食の予定があったりするので、えーと、なんやかんや忙しい時間を過ごさせていただけそうです。
はい、ということで今回はですね、えっとちょっと読んだ本があって、えーと、文人についてですね。
はい、で、まぁ文人とは何かみたいな話も話すんですが、えー、まずですね、えーと、前回の、えー、投稿で、えーと、読ませていただいたテツさんから、えーと、ご反応をですね、リアクションをいただけましたので、えー、そちらを読ませていただきたいと思います。
えー、テツさん、まず2つあるんですけど、1つが、えー、何気なく聞いたらタイトルに自分の名前があってびっくり、ツイート触れていただいてありがとうございます。
横たてラジオは、森部さんのひとり語りが何より魅力なので、それを邪魔したくないリスナーが多く、お手紙を出さずにいるような気も個人的にはしています。
ひとり配信社会、あったらいきます。ということで、ありがとうございます。
えーと、そうですね、テツさんの読ませていただいたのと、あと、まぁなんか反応、まぁいただけなくてもそれは、あの別に、なんだろう、やめたりはしないんだけど、
まぁあんまりお手紙、お便り、来ない、正直来ないなぁみたいな話をちょっと呟いたら、まぁそんなフォローのね、言葉をいただいて、ひとり語りが何より魅力なので、みたいなね。
うーん、そんな、てかまぁ、そうね、なんか送りづらいっていうのもあるのかもしれないですけど、なんか僕結構思うのが、あのー、結構他のポッドキャストさんって、インスタっぽい感じだと思うんですよね。
03:13
なんか、オシャレだし、なんかいいねって言いやすいし、なんか共有したいとかしやすいけど、自分は、なんかどっちかっていうとツイッターみたいな、なんか、やっぱ内省を、聞く内省を謳っているので、
うーん、まぁでも僕もどっちかっていうとそのツイッターの人なんですよね。だからツイッター風なポッドキャストになっちゃうのは仕方ないかもしれないんですけど、なんか、なんだろうね。
大バズりは、そもそもしづらい体質なのかなと思いつつ、まぁでも、ひとり語りが魅力だというふうにおっしゃっていただいて、はい、嬉しい限りですが。
まぁ確かにね、僕も他のラジオとか聞いてるときに、うーん、まぁひとり語りでも二人語りでも、まぁその人のメインパーソナリティが聞きたくて聞いてるのに、ゲストが、ゲストの方になんかフォーカスしちゃうとっていうときは確かになくはないかも。
まぁそれもそれで化学反応がね、面白くなるときもあるんだけど、まぁ自分が求めてるのはそのメインの方のだからみたいな気持ちは確かにわかんなくはないんですが、はい、まぁそれはね、それでまぁよく解釈しておきましょうって感じかな。はい、ということで、テツさんありがとうございました。
えーとね、そういうとテツさんはゲストがすごい来られるものを、ポッドキャスト撮られてて、それでなんか安定的に、すごいなと思います。はい、そうですね、えーと、もうひとつですね、テツさんからいただいて、僕はそうそうそうそう、最後の最後にほんとにちらっと、
えーと、二十歳の息子っていうゲイの方が二十歳の男性を養子にとった、養子にとるっていうのかな、養子にした話を、まぁ興味があって、僕も今度友達と見に行こうと思ってますみたいな話をしたら、なんとですね、この公開日にテツさんが行かれたらしくて、公開からなんかね、最初の1週間ぐらいは何回かその監督と出演者、ドキュメンタリーなんで、
あの実際に出演された方が、舞台挨拶されてるっていう、そこの回に行かれたらしくて、気になったので見てきましたということで、はい、まぁなんかね、また感想とかをどこかで、あ、てか感想もその後つぶやかれてるんですが、はい、えーと、あ、はい、そこはそこで、えーと、映画へのね感想なので、もし興味がある方はテツさんのツイートを見てみてください。
僕もね、あの、見てないから、見てみたら感想とか言いたいなと思うし、ちょっとやっぱりね、えーと、それに関して思うところとか、なんか関連っていうか、まぁ自分が読んでる本とかもちょっと近いかもな、みたいな思ってるものとかもあって、はい、ちょっと触れたいなと思っているので、はい、どこかであげたら、ただと思います。はい、ということで以上、ハッシュタグ、えー、紹介の、ハッシュタグ投稿の紹介の、えー、はい、回、回でした。
06:26
はい、ありがとうございました、テツさん。はい、ということでですね、えーと、今回は、えーと、もう急に、えーと、本題に入っちゃうんですけど、時間が長くなりそうだから、なぜならね、えーと、平野圭一郎さんの、私とは何か、個人から文人へっていうのを読んでっていう話ですね。
で、えーと、まぁ、個人っていう概念に対して、えーと、文人っていう概念を、えーと、提唱っていうか、あの、言われてて、で、えーとね、まぁちょっとこれ説明が難しいというか、まぁ基本的にこれ、全部、この方の全部、この本を読んで、僕が思ったことなんで、あの、平野さんの考えたちょっと解釈してるところとか、まぁ、そもそも全部が全部理解できたりとか納得できてるわけじゃないから、
あの、まぁ、でもそれを、うーんと、起点として、トリガーとして考えたことみたいなことを話せたらなと思います。で、えーと、まぁちょっとこの文人主義っていうサイトがあるんで、そこのね、えーと、WATTS文人主義っていうところをちょっと読みますね。
えーと、本当の自分は一つじゃない。個人から文人へ。えー、文人、インディビジュアル、英語でディビジュアルとは、個人、インディビジュアルに変わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
文人は、分割することのできない一人の人間であり、その中心には、たった一つの本当の自分が存在し、様々な仮面、過去、ペルソナを使い分けて、えー、社会、生活を営むものと考えられています。
自分っていうのがいて、いろんな仮面を使い分けると。これに対して文人は、対人関係ごとに、対人関係ごと、環境ごとに分化した異なる人格のことです。
えー、中心に一つだけの本当の自分を認めるのではなく、それが複数の人格すべてを本当の自分だと捉えます。この考え方を文人主義と呼びます。文人主義とは、私とは何かを考えてみましょう。
それが文人ですという話で、もう一回言うと、文人というのは対人関係ごと、環境ごとに分化した異なる人格だから、一つの人の中に複数の人格が共存してて、それが円グラフとかで表現されることが多いんですけど、いろんな構成比をもって、その人の中に存在している。
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で、文人の考え方では、その構成比が個性だって話なんですけど、例えばですけど、僕だったらね、会社にいる時の自分とか、あとは学生としての自分とか、あとは高校の時の友達の自分と大学の時の友達の自分と、それ以降の芸の友達との自分みたいな、結構全部違う人なんですね。
逆に言うと、高校の時の友達と大学の時の友達と一緒に会ったら、ごっちゃになっちゃうっていうか、多分高校の時の友達から大学の友達に、こういう人だったんだよって言ったら、えーっていうところもあるし、逆もまたしっかりだと思うんですね。
で、他なんかちょっと言いづらくなっちゃう感じになると思うんですけど、私はどこどうしたらいいのみたいな。
それは、その人たちに対して、えーと、違った文人を使い分けてたというか、まあ自然となっていたのかな、そういうことになってたっていう話だと思うんですけど。
で、えーとね、まあでも別にそれ普通じゃんって僕は思ってたんですね。
で、なんでこれがわざわざ取り出されて、なんか新しい考えのように言われてるんだろうって思ったんですけど。
読んで、よくよく読んで、一番僕が新しい収穫だと思ったのは、えーと、この文人の考え方では本当の自分っていう人格はそもそもないっていう考え方なんですね。
いろんな文人を持った私っていうのはあるけど、別にどれが本当の自分とかじゃなくて、いる時間が長い文人。
この文人でいる時間長いなーとか、この文人は使う時間短いなーとかはあるけど、別にどれが本当とかじゃなくて。
家帰った時も、会社から帰った直後は会社としての文人引きずってるかもしれないけど、その後友達と会って、また友達と会った後に帰ってきたら、
友達と会った時用の文人みたいなのがあるというか、になるみたいなので、一人いる時の自分も、ただの一つの自分じゃないよねーみたいな話ですね。
本当の自分がないっていうところが新しい点かなと思いました。
元々なんかさ、アゲシステムって分かります?
赤木立子さんの母が作ったコンピューターで、脳みそがたぶん3つあって、母としてのコンピューターと女としてのコンピューターと科学者としてのコンピューターみたいなのがあって、
12:03
何か決断をする時はその3人の多数決で決めるみたいな感じなんですね。
それもなんかあるよね、文人みたいな。
というか、母としての文人と女としての文人と科学者としての文人って違ったっていう考え方なんかなーとかね。
あと心理学的に、自分の知ってる自分と他人の知ってる自分と、その二軸の掛け算で2×2でジョハリーの窓とかあったと思うんですけど、
それとかは近かったのかなとも思いつつ、この文人っていうのはたぶん全部自分で自覚できるものなのかな。
あとは事前に用意しとけるものとかでもないのかもしれないけど、そこら辺がギシステムとかジョハリーの窓とかとはまた違うのかもしれませんが、
だからなんか知らなかったわけじゃないけど、新しいなっていう感じですね。
この考えで結構腹落ちすることが多いなって思ったのは、
その構成比っていうのが個性で、自分もそうだけど相手も文人の集合体だっていうふうに思うと、
自分が見てるこの人と、また別の人が見るその人っていうのは食い違いがあるなって思うけど、
それはそういうもんなんだっていうふうに納得できたりとかね。
それで理解しやすくなるというか、
これはこれでこの文人の考え方が出はまるかもみたいなものがある気がしますね。
あと一つこれで盛り当たったのが、本でも触れ合ってたんですけど、
例えば趣味用の文人みたいなのと恋人向けの文人みたいなのがあって、
恋人がいたとして、相手は私への文人みたいなのをすごく多く持っててほしい。
構成比で言うと割合を多くしてほしいって思ってるけど、
でも趣味に対しての構成比も同じぐらい持たれてたりとかしたら、
それはそれで不満が生まれるとかがあるかもしれなくて、
パートナーになる人はもしかしたら構成比が似てる人がいいかもしれないみたいな話をしてて、
別にこれは引き続きだと思うんですけど、
別に僕は似てなくてもいいかなっていう派なんですけど、
趣味に似てた方がいいか問題ってあるじゃないですか。
それにもちょっと通じるところがあるのかなみたいな。
趣味用の文人っていうのもある意味その文人として考えられるみたいな感じですね。
あとは僕はなるべく会社にいるときの自分っていうのを持っていたいなというふうに思うんですけど、
15:01
それも自分が好きでいられる状態の文人で仕事してたいっていう感じかな。
だから前はあんまりそうじゃなかったんですよね。
仕事用の文人みたいなのを別に用意しなきゃいけなくて、
それはそれでみんなそうだと思うんですけど、あんまりその自分が好きじゃなかった。
今は割とそこをあまり切り替えている自覚がないんですよね。
全く同じではないけど、そんなにコストがかかんないなっていう感じ。
それが結構仕事を決める上での大きな指標になってるんだなみたいなことを思いました。
あと恋愛関係みたいなのもあるけど、
その本の中で触れ合いしたのは、その人と一緒にいるときの自分の文人が好きっていうのが恋だっていう話ですね。
なんか僕、前心理学の本を読んだときに、
なんか条件付け?なんだっけな。動機付け?
常動的条…なんだっけな。古典的条件付けかな。
パブロフの犬ってあるじゃないですか。
パブロフの犬って、ベルを鳴らしたら餌が出る。
餌が来るときにはベルが鳴っててっていうのを繰り返してると、
餌を出さなくてもベルが鳴っただけでヨダレが出るみたいな話があって、
それってベルが鳴ることと自分の中に嬉しい気持ちが芽生えるっていうことが条件付けされて、
ベルが鳴ることに対しても好きになっちゃったみたいな話なんですけど、
自分と一緒にいるときの自分の文人の感覚が好きだから、
それを繰り返していくと、相手を見ただけでもそれを思い出すみたいなのに近いのかなと思って、
でもやっぱり楽しい自分でいられるほうがいいと思うんですね。
それが僕の前の考え方だと、ありのままな自分でいられるみたいな考え方に近かったんですけど、
そうじゃなかったなっていう。
またそれありのままっていうか、単純に自分が好きな自分に近づける、
より近づける文人みたいなのが答えっていうか、
この文人の考え方に沿うとね、だったんかなって感じですね。
逆に言うと、別れっていうのはその人といるときの自分、
自分というか文人としての自分を失うっていうことだっていう感じですね。
あとはこれを逆転っていうか悪用しちゃうと、
本の中で言ってたけど、ある人に恋をしつつ、別の人を恋するというか、
別の誰かを愛するみたいなこともあり得るみたいな感じで、
それは自分の文人が好きっていうふうに考えると、
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その相手といるときのね。
別に複数のことだって起こり得るし、
それが起こるのは今のパートナーを愛さなくなったからではないっていうこと。
ちょっとここは感情的に全く切ないところもあると思うんですけど、
そういうことも起こるよっていう考え方らしいですね。
文の中に天使と悪魔みたいなのがあるっていう。
結局文人っていうのは別に見た目は変わんないんですよね。
だけど振る舞いが変わって、
その振る舞いっていうのは目の前にいる相手によって変わるものだっていう感じですね。
僕も会社でいるときとか、
結構僕ね、一人でいるときは自分向けの文人っていうのがある気がしてる。
あんまり本で触れられてなかったけど、
僕は割と自分っていうのは一番身近な他人だっていう意識があるんで、
自分向けの文人っていうのも一つあってもいいかなっていう感じですね。
ちょっと絵図にしづらいけど。
あとは会社向けと、あと学校向けね。
あとは友達とか、
友達でも集団とかグループと個人で全然違うと思うし、
このラジオを語ってるときの文人は何っていうテーマですね。
になりますね。別に相手がいるわけじゃないから。
でも誰かに向けて話してるのはあるんだよなって感じですね。
ただ振る舞いだから、
一人の人の前で全部を出せないから、
結局見られる私っていうのはトリミングに切り抜きにならざるを得ない。
それぞれに同じ自分っていうのを想定されてると、
その人から見たときの僕とかは辻褄が合わなくなる。
相手もそういう考えがあったりすると、
理解できるのが。
そこを統合していかなきゃいけないとか、
そういう話でもない気もしますね。
その時々によって一番、
一番コストがかからない文人になるというか、
コントロールできるとしてって話ね。
だからロックマンとかって、
相手のボスによって変えるじゃないですか。
あれはめちゃくちゃ見た目が変わってるから、
ペルソナ的なあれなのかもしれないですけど。
ロックマンみたいな感じですね。カービィでもいいですけど。
だから結局最終的に理解できないとか、
納得できない点はあるんですけど、
これをどう活用するかっていうのは、
自分との対話とか、あとは対人関係とかもね、
考える上で有用なんじゃないかなっていうところに、
一旦今日落ち着かせようかなと思います。
21:00
一番身近な他人としての自分が、
どういう構成比であるのが、
どういう文人でいるのが、いる時間が長いのが、
心地いいのかねとかね。
文人を組み合わせた構成比が自分だってこととしたら、
どの構成比が望ましいのかみたいなのは、
考えてみる切り口の一つかなと思います。
あとは、誰かを許すっていうことも、
しやすくなるかなっていうのはちょっと思いました。
やっぱり誰かを嫌いになったりとかするのって、
結構精神的にエネルギーがかかることだと思うんですけど、
なんであの人は本当に理解できない、
というか理解してくれないんだとかあるけど、
それは単純に自分に見せてる一面がただそのものだけであって、
多分その人の別の文人を好きな人っていうのも、
この世にいるはずなんですよね。
言いたいかもしれないけど、
全員に嫌われてる人が可能性としてはいますけど、
そういうところに思いを馳せることによって、
人間か、お前も人間だよな、みたいなことに
思えたりしないかなっていうね。
そういう生きやすくなるツールの一つとして、
活用できればいいんじゃないかなっていう感じに思いました。
し、自分が誰かの文人を生み出せたりとか、
関われたりとかしたから、
ちょっと怖さもありますよね。
自分が関わることによって相手の中に文人が生まれてしまうかも、
みたいなのもあるかもしれないけど、
それが好きな文人じゃなかったらどうしようみたいなのもあるけど、
そういうものがどんどん考えていくと、
そういうよりは相手の欲求に対する
独立的な欲求があったりするかどうかっていうのもあるんじゃないかなと、
思いました。
まず1つ
は、
経済的に経済的な欲求をしているのではないかというのを
脳みそで 脳みそがこう考えてるっていうのは 脳みそがこう認知してるって話なだけであって
どう認知するか みたいな話だと思うんですよね
だから別に社会がこうだ みたいなことって別にないし
で こう考え方で生きやすく生きれる方がいたら いいかなって思います
これを神話としてね 信じれば文人神話として 信じればいいんじゃないでしょうか
はい ちょっとなんか神話とか言い始めて 危うくなりそうだったので
ちょっと今日はこの辺で終わりたいと思います
はい ということで ここまでお聞きいただきまして ありがとうございました
バイバーイ
24:02

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