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この番組は、いろんな意味でマイノリティ、30代内向人間の仕事や勉強の感動、もやもやを、重大無尽に発信していきます。
そんな横軸、縦軸の広がりから、聞いてくださった方の脳みそに奥行きを開放させていけたら嬉しい、そんなゆるダウナーコンテンツです。
というわけで、今回は木曜日の放送ですが、放送なのかな。
お便りっていうか、反応みたいなのが2通ぐらい来てたんですけど、ちょっと木曜日って毎回長くなっちゃうんで、次回に撮らせていただこうと思います。
木曜日は宇多田ヒカル、2番で語る宇多田ヒカルっていうシリーズと、僕の堀上の追い立ちの話をしていくっていう感じでやってるんですが、
そもそもなんでかっていうと、この番組が10代とか20代前半の方がまだ聞いてくれていなくて、そこのシェアを取っていきたいというか、そんな野心的な言ってしまうとあれだけど、
でも、そこら辺の人が一番、自分がそれぐらいの年齢の時が一番いけづらかったんだよな。何やってもうまくいかないなっていう時期だったんですよね。
だった気がするんだよな。何やってもうまくいかないなっていうとちょっと大げさだけど、自分でコントロールできるものとかって少ないじゃないですか、子供のうちって。
それがだんだんなくなってきて、自由になってきたなっていう気持ちはすごくあって、それで今に至ってるんですけど、やっぱりそれを制御できないものの比率が高かったなと思って、そこら辺の人たちに、
でもその先楽しいことあるよっていう感じの話をできたらいいなと思ってやってるっていう感じですね。
今回は前まで幼稚園の話とかしたんですけど、時系列順にやっていくとどんどん今に至るまでが長くなっちゃうんで、
実はフリーターだった時期があって、4年生の大学を出てその後就職してるんですけど、
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多分ストレートに行った人より3年ぐらい僕は出遅れてて、その空白の3年間何をしてたのっていう、え、3年?
そうそうそうそう、3年出遅れてて、そのうち1年は卒業した大学とは別の大学に通っていたというか席を置いていたのが1年あって、その後2年間フリーターだったんですよ。
で、その時も自由気ままに生きてたんだけど、でもなんていうか、もやもやしてるところはやっぱりありましたよね。
でもやっぱりその時があったからこそ今があると思うんで、知られざるってこともないんだけど、スタンドFMとかで普通に話してるんだけど、
そのフリーターだった時期の話とかをしようかなと思っています。
そもそもどういう経緯でフリーターになったかというと、高校3年間通いましたと。
で、大学に行くつもりで受験勉強というか受験をして、受験勉強はやっぱり大してしなかったというか、
僕の努力って20歳ぐらいまで全部一夜漬けだったんですね。
だからそれになって大学受験も全部一夜漬けで受けたら、さすがに高校の定期試験は一夜漬けで多分大丈夫だったんですけど、
やっぱり範囲がさすがに広すぎて、受験になってから気づいたんですよね。
これ一夜漬け無理だと思って。
でもなんかもう無理だから、もう一年やりたいなと思ったけど、普通には無理だから一旦大学に行って、そこで奨学金を得ながら、
家も出たかったんですよね、すごくいろんな事情から。
関東は関東だったんですけど、家族が多くて一人の部屋が欲しいなと思って、家も出たくて。
だから家を出る資金として奨学金を得れば、とりあえず引越し費用になるかなっていうのと、
アルバイトは高校の時からしてたんで、アルバイトはするつもりでしたけど、それから就職するまでずっと何かしらアルバイトしてましたけど、
それは最初に不本意だったんだけど、全然第一志望とかじゃなかったんだけど、
その大学に入学して、その時の入学費用はおじいちゃんおばあちゃんに頭を下げて手紙を書いて、手書きでね。
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その後電話して出してもらいましたね。
家には出してもらえなかったというか、気持ちとして出さないっていうんじゃなくて、単純に金銭的に出せなかったと思うんで、そもそも頼まなかったんです。
で、学校の先生に相談して、じゃあ祖父母に相談したらって言われて、
どっちかっていうと母方のおじいちゃんおばあちゃんのほうが仲良くは良かったんで、
お願いしたらしね、そもそも教育に携わってた人なんで、言ったらノーとは言わないだろうということで、お願いしましたね。
それはね、親とかにも何も言わないで手紙を書いたね、今思うと。
素直だったから本当に学校の先生に言われて書いて出したんだよな。
そうしたら出してくれたんで、良かったって感じでとりあえず通われたんですね。
でもそれも二学期した時点から、そこを4年間通って卒業しようというつもりはなかったんだよな。
そうだけど、家は出たかったし、という感じで出たと。
俗に言う仮面ローニーみたいなのをしようと思ってたのかな。
でもね、学校自体も多分夏ぐらいまでしか通ってなくて、他の人に迷惑をかけたくなかったから、最初に入ってすぐにゼミがあったんですよ、1年生から。
そこでゼミ発表みたいなのがあって、そこの発表だけ終えて、その後は一度も行かなかったですね、授業は。
で、何をしてたかというと、一応受験勉強という体でZ階とかをやってたかな。
予備校とかはね、あまり僕、塾とかはあまり合わなくて、価格に見合ってないとずっと思ってたから、
具学で基本的にはやってたんですけど、でもZ階ちょっとやりたいと思ってやってみたけど、
なんかね、ミエホハってすごい高いレベルのやつをやってたから、全然今思うとミニになってなかったんですけど。
そうだな、で、Z階とかをしつつ、近くのファミリーマートでアルバイトをしながら、奨学金を切り崩して生活していたかな。
今できるかわかんないけど、奨学金の金額を変更するのって、なんか自分で勝手にできたんですよね。
しかもその入学時特別増額金みたいな感じで、30万とかいってやってて、だから本当にもらえるだけもらってたんだよな、奨学金。
有利子のものと無利子のものがあったんですけど、無利子のものは金額固定だけど、
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それプラス有利子のものになってたから、アルバイトして、奨学金もあったから、家賃払って、それプラス生活費っていう感じでできてたんですよね。
で、プラス学費もそこから払ったかな。
だから、半期ごとに学費払うんですけど、
とりあえず半期の何十万っていうのを払って、入学金、最初のお金はおじいちゃんおばあちゃんに払ってもらって、
その後は奨学金の中で切り崩して払ったけど、家計は自分で管理してたんで、
その後期の分の学費を払っても奨学金のプラスの方が大きいと思ったから、1年間は通ったんですよね。
でもその時点でもう2年目は絶対通わないって決めてたと思いますね。
だからそれはとりあえず1年分の奨学金は振るにもらったっていう感じですね。
で、結局受けたんですけど、全然志望校をどこにするとかもそんなに決めてなかったかな。
でもとりあえずその時に全力を、今まで本気を出したことがなかったから、
ちゃんと本気を出した上での自分の実力の学校に行きたいみたいな気持ちが多分あったのかな。
そうだけどやっぱり本気を出す。東京に出てきて修理学士して、パソコンもその時初めて買って、
いろんな動画サイトとかも見つけて、そっちに時間を追われるから勉強とか全然しなかったですよね。
してたっちゃしてたけど、アルバイトして図書館も行ったりとかして、
本当に自由気ままに生きてたんだよな、あの時。
あそこ本当にフリーターっていうかニートだった時期もありましたね。
受験直前とかはバイトも受験したいんで辞めますって言って辞めて、
でも結局ずっとゲームやったりとかしてたんだけど、あそこが本当に完全にニートでしたね。
でもニートだった時期があるんだよっていうのは自分としてもいい経験だと思ってますね。
みんなができることじゃないから。
でもやっぱりそのまま受けたら不本意の結果になりますよ、また2年目も。
何個か3、4個受けたけど、全部受けたとか落ちたし、受けなかったとこもあったんだよね。
もう実力に見合わないと思って、そもそもその日の朝起きなかった時もありましたね。
もう無理と思って。
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でも別にゲイとして遊んでたとかは全然なくて、
普通に一人で自分遊びをしてたっていう感じなんですけど、近所でね。
東京で歩いたりとかはもういなかったかな。
その次の年に、逆にそのまま卒業しようかなとかも思ったけど、やっぱり後悔が強かったんで、
なら一生やめてしまおうと思って、別に勉強だったら一人でもできるし、
そんなに何百万というお金を払ってまで大学の卒業の資格を得たくないと思ってやめちゃって、
自分で募金の勉強とかしてた。
ただ一応放送学みたいなのに一応席は置いたのかな。
結局それも別に勉強はしなかったけどね。
受験勉強できない人が通信性の、しかも単独のグループワークでもない、
個人ワークの勉強できるはずじゃないので、それもだからとりあえずやったかな。
アルバイトまた別のアルバイトしようと思ったんだけど、
なんか事務作業のバイトをしてみたいなと思って探してたら、
ちょうど神保町のとある観光庁?観光庁っていうの?
お役所のアルバイトがあって、非常勤職員っていう役職名目だったけど、
それに応募したいなと思って、電話してみたら、
今日来てくださいって言われて、その日に行ったんですよね。
昨日も行きのまま受験に行って、その時19歳だったんですけど、
19歳なんですねって書いて、学校は行かれてるんですかみたいな感じで、
通信性なんですよみたいな感じで、通信性っていうのはどういう学校なんですかみたいな感じで、
入学試験とかあるんですかみたいな。
入学試験は小論文っていうか、僕は何だっけ、
サオダケアはなぜもわかるのかだっけ、
あの本の読書感想文みたいなのを書いて取ったんですけど、
でも結局そこには採用されて、そこで結局2年間働くことになるんですけど、
フリーターだった2年間。
そうですね。だからそこでいろいろ挫折を味わったんですよね。
その後2年間は楽しい。2年間も結局その後1年復帰して、
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大学受験もう一回しようと思って、
それはやっぱり一人で勉強できると思ったものの、
やっぱり仲間の存在みたいなのが欲しいなっていう、
切磋琢磨する環境を求めて大学に行こうってちゃんと思えたんですね。
その目的を持って。
それは2年後に受けることになるんですけど、
でもその時はそんなこと考えないで、とりあえずフリーターになって、
その時の観光庁のお役所と、あとDVDのレンタルのアルバイトですね。
その2つを掛け持ちして、朝から夕方まではジムの方やって、
その後夕方からアルバイトするみたいな感じ。
結構働きもんだったと思いますね。
そんな生活をしていたかな。
大学届を出したんですよ。
大学届を出すことって人生であんまりないでしょう、皆さん。
僕は大学届を出した日のことを覚えてますね。
普段入らない裏門から入って受付、ジムのとこに行って、
これはみんな誰もしない経験をしてるなーみたいな感じで。
親にも言わないでもね、僕辞めたんで。
別に相談して気が変わるとは思わなかったし、
でもこの日のことを多分一生忘れないだろうなとか思ってましたね。
そんな感じで、その後も不具合だったっていうか、
しかも結局2年連続で聞く受験に失敗してるから、
人としては落ち込むよね。
ダメなやつだとか思わなかったけど、
頑張れないって、頑張れない?
このままずっと頑張れないのかな、自分っていうことに対して、
不安感とかを抱いていた気がしますね。
その先の不安とかじゃなくて、今に対しての不安みたいなのだったかな。
あまりその先に大学卒業できなかったらどうしようとかね、
就職に困ったりしないかなとか、そういうことまでは考えなかった。
むしろ30歳ぐらいまでフラフラしててもいいかもなーとか思ってたかもしれない。
結局30歳まではフラフラしなかったですけど、
周りは総計とか行ってたりとか、マーチ行ってたりとかする中で、
自分は何もないっていうのもあったし、
辛かったって辛かったとも言いますね、今思うと。
ちなみにツイッター始めたのもその時で、
宇多田ヒカルにリプライをもらいたくてやってたんですけど、
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でもその時全然遊んだりとかしてなかったから、
こっちの友達とかも全然いなかったし、東京に出てきたけど、
全然ゲイ遊びをしようとかって思うことは全然なかったですね。
その時に友達だった人は一人もいないと思う、今の友達って。
でも皆さんもあの時期にもね、あの時に生まれてない人はさすがにいないだろうから、
何かしら別の作業されてたんだと思うんですけど、
そう思うと面白いですね。
あの時何してたのかな。
それこそ2010年とかそこら辺かな、2009年、2010年だったと思います。
結局あの時の奨学金は今でも返し続けてますけどね。
でも自分の、その時の自分にお仕送りしてるみたいな感覚かな。
あの時払ってくれてたの自分、この自分だったんですけど、
あの時払ってくれてたの自分、この自分になったんだみたいな感じですね。
タイムマシン的な感じで。
ということで堀辺のフリーターキーの話でした。
もう一個のコーナー、やっぱりこれ長くなっちゃうな。
ちょっと短めですね。
その時に聴いてた曲もあるのかな。
聴いてた曲でもあるんですけど、
ダイフィカルのハートステーションっていうアルバムが多分2009年くらいに出てて、
その中の曲ですね。
ファイト・ザ・ブルースって一番最初の曲ですね。
名前にある通り応援歌っていうか、自分に対しての応援歌っていう感じかな。
誰かを応援してるっていうよりかは、自分を鼓舞するみたいな感じの曲ですね。
結構、ドラムみたいな、ドラムビートみたいな感じ。
打楽器系の音で始まるんですけど。
で、1曲目で。
ファイト・ザ・ブルースって、
1個前のアルバムがウルトラブルーっていうアルバムだったんですけど、
それ結構なんかね、変わり種みたいな曲が結構入ってて。
ファイト・ザ・ブルースは、
ブルーをちょっとぶっ壊すみたいな意味もあったらしいですね。
なんかその時の、
なんかのね、僕本当にその時ウルトラシカルの一時1個を漏らさないように色々集めてたんですけど、
なんかね、ネットのね、なんかのインタビューかな。
かで言ってた気がします。
はい。
で、この曲の2番ですね。
1番も知らない人もいるかもしれませんが、
これはシングルじゃなくてアルバム曲なんで。
はい。
でも、当時は結構ね、この曲のリードシングル、リードナンバーみたいな感じで流れてた気がします。
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はい。
じゃあ、2番がこんな歌詞ですね。
金じゃ買えない、目には見えない、答えはメンタルタフネス。
って感じです。
急になんか謎々が出て、謎々されてたの?っていう感じですね。
金じゃ買えなくて、目には見えないものなんだっていう感じですよね。
そんなもんで色々あると思うけど、答えはメンタルタフネスですね。
だから、タフに行こうよみたいな曲だからね。
本当に多分これはね、誰の歌なんだろうね。
でも多分ウルトラシカルのその時の、やっぱりなんかね、この2年ぐらい後に人間活動やりますみたいな感じで休むんですけど、
ちょっとなんか参ってたかもしれないですね。
参ってたっていうか、なんかアドレナリン出てた時期だったかもしれないですね。
逆に。
残業すごい日とかに逆に頑張っちゃうみたいな感じ。
もう今日はやってやるぞみたいなテンション上がってくる感じの気持ちかもしれないですね。
ウルトラシカルは残業とかないと思うんですけど。
その後は期待をされてプレッシャーすごい。
それでもやるしかないんです。
ここもう残業ですよね。
ウルトラシカルは残業してないんだけど。
その時はこの曲は違うけど、なんかジョナサンとかのドリンクバー飲みながら作詞してるんですよねとか言ってたんだよな。
この曲もしかしたらジョナサン。
その時言ってたのはPrisoner of Loveのこと言ってたんだけど、この曲もしかしたらジョナサンかもしれないですね。
期待をされてプレッシャーすごい。
これは本当に本心かもしれないですね。
それでもやるしかないんです。
でもこれも受験の時とかに聞いてて、
僕は別に期待も何もされてないけど、自分に対して期待してたかどっちかっていうと。
やればできるのにみたいな感じのところがあったんだよな。
今まで一夜漬けではなんとかできてたんだから、それを続ければなんとかなるはずなのになぜやれないんだろうみたいな感じの気持ちがあったんで。
そういう意味で、やるしかないんですって聞いて、やるしかないよなと思って。
でも結局やれてなかったんだけどね。
ここでAメロBメロですね。
次最後はサビですね。
We fight the blues 調子の悪い時は深呼吸 堪えた涙は僕の一部
特に深い意味は多分ないですよね。
We fight the blues っていうことはやっぱりみんなで頑張ろうぜみたいな感じなのかな。
調子の悪い時は深呼吸。
焦ったら仕方ないよって感じなのかな。
堪えた涙は僕の一部。
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一年生僕だけどやっぱりちょっと悲劇のヒロインっぽい感じのニュアンスがありますよね。
堪えた涙は僕の一部。
勝ち気な勝ち気です。
I hate the blues.
I hate the lose.
I hate to lose.
I hate to lose.
泣かぬなら泣かせてみようホトトギス。
今宵もホワイトのゴングが鳴る。
ちょっとごめんなさい。
ちょっとここら辺はあんまりよくわかんないですね。
そんなに思い入れもないけど、
ファイトのゴングとか結構そういう強めなアッパーな単語が入ってくるっていう感じですね。
この曲はね、あんまりこの2番で語るコーナーはメロディとかとは切り離して語りたいんですけど、
聴いてみたら結構そのコブされる感じっていうのはわかってくれるかなと思います。
気合い入れたい時とか、僕は受験の時とかに、結局ね、叶わなかったけど、
でもその時に聴いてた思い出はあるんで、
いろいろともがこっとしてた自分が聴いてたなっていう感じで、思い出になってます。
皆さんもウルトラヒカルハートセッションからファイト・ザ・ブルース聴いてみてください。
ということで、残業ソングとか言っちゃいましたけど、どうだろうね。
ウルトラヒカル残業したことないだろうけど、
でも想像してできたりするのかな。
わかりませんが。
あとね、これ今更なんですけど、僕ちょっと今回実験的に全裸でこれを撮ってみてるんですけど、
っていうのは暑くて、洗濯機を今回してるんですけど、
その間に何か着るのもめんどくさいっていうか、また汗かいちゃうし、
このままお風呂に入ろうと思ってたんですけど、
ちょっとなんかグタグタしちゃって、
とりあえず撮ろうと思って撮って、今全裸で撮ってるんですが、
何か普段と違いがありますでしょうか。
そんなことはないと思いますが。
もうちょっとそろそろ30分になりそうなので、一旦ここで終わりたいと思います。
それでは本日もありがとうございました。
ばいばい。