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2012-02-28 10:45

vol.7-1「精神科医とアートの出会い」

斎藤環氏がアートに興味を持つきっかけとなったのは、1993年「パラレル・ヴィジョン」展(世田谷美術館)で見たヘンリ―・ダーガー(1892-1973)の作品でした。今やアウトサイダー・アートの旗手として取り上げられる彼の作品に、斎藤氏は何を見出したのでしょうか。後半は、同氏の考えるアートの定義についてうかがいます。











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こんばんは。今日は寒い中、ご視聴下さいましてありがとうございました。美術館の方からもご紹介いただきました、この横浜美術館のラジオ美術館というウェブ番組をやっております、インタビュアーを務めています、早川陽平といいます。
ということでですね、実際これからご紹介、斉藤先生する前にですね、まず簡単に斉藤先生のプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。
斉藤玉樹さん、精神科医、1961年岩手県生まれ、90年、筑波大学医学専門学軍環境生態学卒業。
医学博士、現在、総風会佐々木病院精神科診療部長を務めていらっしゃいます。
また、青少年健康センターで実践的引きこもり講座、並びに引きこもり家族会を主催されています。
専門は、思春期、青年期の精神病理及び病跡学、著書に文脈病、先頭美少女の精神分析、アーティストは境界線上で踊るなどがあります。
ということで、お待たせいたしました。精神科医の斉藤玉樹先生をお迎えします。斉藤先生よろしくお願いします。みなさん拍手でお迎え下さい。
斉藤先生、今日はお忙しいながらありがとうございます。
斉藤先生、今日はお忙しいながらありがとうございます。
斉藤先生、今日のテーマは痛み・病とアートということで、すごく大きなテーマなんですけども、そこに入る前に、最初に私もぜひ先生にお聞きしたいと思うんですけども、
先生、実際現役のお医者さんで精神科医でいらっしゃいながら、今回の美術手帳もそうですけど、批評家という言い方はどうなのかなというのもあると思うんですけども、
かなり実際、アーティストの方にインタビューされたり、いろいろ文章も書かれてますけども、そもそも先生とのアートとの出会いというのは、いつごろどんなきっかけで?
そうですね、こういう仕事につながる出会いとしては、93年に東京世田谷美術館というところでパラレルビジョン展というのがあったんですね。
パラレルビジョン展というのは何かというと、今結構皆さん知っていると思うんですけど、アウトサイダー、アールブリッドとかいろいろ言い方がありますけれども、たぶん日本で最初の最も大規模な展覧会があったわけです。
そして日本描石学会という会に入ってまして、これは天才の創造のメカニズムを精神学の側から解き明かそうという大切な学問なんですけれども。
天才の創造クリエーション?
天才的なクリエーション、なぜ可能かというね。それを精神学的に見るとどうかということを知るために塗装したかなり趣味的な学問なんですけれども、この学会に入っていたおかげで招待状が来たわけですよ。
しばらく美術館も行っていないし、面白い本文にちょっと行ってみようと。行きましたら、ものすごいボリュームでドイツにプリンツホルムコレクションという精神科がいるんですけれども、彼がヨーロッパ中の病院を回って集めた精神疾患を患った人の描いた絵があるわけですけれども、そのコレクションを中心として世界中のアウトサイダーが展示されていると。
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もう今は有名になっちゃいましたけど、当時ヘンリーダーがあってね、今みなさん知ってると思いますけれども、当時ほとんど知る人いなかった。この人の絵が女の子が臓物を晒して横たわっているようなですね、そういう陽気的とも言えるような絵をたくさん描いた人で、この人の作品が非常に強烈なインパクト。
おそらく絵を見て一番影響を受けたのはたぶんヘンリーダーがですね。正統のアーツに属していない人の作品が一番絵による感動をもたらしたっていうのは、いかに私は正統派じゃないかって分かると思うんですけども。
まあでも、正統派に属する沢木紀さんなんかも批評家のね、ヘンリーダーがあんのに衝撃がすごかったとおっしゃってるので、まんざら検討外れでもないかなと思ってますけど。で、そこですごい強烈な印象を受けて、たぶん私が商業紙に書いた一番最初のエッセイがヘンリーダーのエッセイなんですよ。
で、そこから正統社の今本という雑誌で依頼を受けて文章を書くようになったりとかですね。結局だからアートと出会ったことが、まあ批評家と言っていいか分かりませんけれども、そういった本業以外の本業で文章を書くようなきっかけになったというふうに言ってもいいわけで、そういった意味ではかなり重要な出会いはその93年にあったと。
ほぼ20年近く前ってことですね。そうですね。なかなか言葉で言い表すのは、まあアートって多分感性でっていうことなので難しいと思いますけど、あえてそのままヘンリーダーさんの衝撃を受けたのはどういうところにっていうか。
えっとですね、これも松井さんと絡んでくるんですけど、わかってもらえるか難しいんですけども、ある種のすごくナルシシズム感じたわけです。キーワード。ナルシシズムですね。精神分析的に言うと視覚表現というのは大体ナルシシズムの表現なんですよ。そうなんですね。そうなんです。映画にしても絵にしても。大体これは人間のナルシシズムの表現ということになるわけですけれども。
特にダーガーの作品は、アールブリッドの人はそうですけども閉じてるわけですよ完全に。外部の人の感傷の目とかあんまり意識してない。なぜかというと彼はその作品を完全に自分のためだけに描いたからですね。自分が見るために描いた。自分が楽しむために描いた。少女に対するロリコン的な思考もあったかもしれない。何にしてもすごくプリミティブなナルシシズムでそれを描いたと。
そうすると彼は小さい頃に施設に入っていたということもあってですね。知能は成長だったらしいんですけども今で言えば発達障害的な問題を抱えていた可能性もあると。そうなんですね。
となるとひょっとしたら彼は性別とかセックスのことを知らなかったかもしれないということもあってですね。彼の描く少女の絵にはみんなピニスがついてるわけです。
それが一番衝撃的な部分ですね。女の子の絵はまともなんです。なぜまともかというと彼は人物が描けないと思っていたのでコマーシャルとか漫画とかそういった少女キャラクターをトレースしているわけです。
今トレースしたら大問題ですけど当時はそういう技術がなかったわけです。パソコンがないわけですからその代わりフィルムと印刷師を使って欲しい絵のサイズを拡大コピーする技術を自ら編み出したりしてるんですよね。
それを貼り付けてトレースして絵の中に取り込んでご丁寧にピニスをつけて完成形にすると。この過程を全部一人で自分だけのためにやってきたかと思うと泣けますね。
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すごいなるシステムです。痛ましいなるシステムと私は思いましたけどね。
刺さったって言い方よく言いますけど。
彼の場合は本当に閉じていたので誰のことも当て先がない表現をしていたわけですけどね。
完全に当て先がない表現だったにも関わらず非常に人気がある。すごく人気がある。
多分日本で一番有名なアウトサイドアーティストはヘンリーダーが日本人では山下清志とかいますからちょっとまた別ですけれども。
海外のアウトサイドアーティストはアロイズとかいろいろいますけれども多分ヘンリーダーが一番で展覧会をやるたびに人が増えるという状況があってですね。
この間ラフォーレ原宿で行ったときは立室の余地がないくらい若者が集まって大変なことになってましたけどね。
ここでですねいよいよ本題の今日の痛みやまいとアートに少し入っていきたいと思うんですけども。
この痛みやまいとアート僕もこのお題が出てきてですね松井彦さんのところでフォーカスしてますけども今回とてもある意味広いのでいろんなところ話せると思うので
アート痛みやまいってそれぞれ定義っていうとちょっと幅広すぎますけど先生なりに考えるそのアートっていうのの定義というかその辺っていうのはどうお考えですか?
アートは広いですね。本当に広いと思います。
アートでもちょっと触れますけれども特にコンテンポラリーアートに関して言えばほとんど言語ゲームというかですねアートと言っちゃったものがアートみたいな。
もう自己循環的な定義が成り立ってしまっているのでもう私はそういう感じでいいんじゃないかと思ってます。
自己表現ですらないレベルで成立してしまっているものが今のアート状況だと思いますので宣言したもの勝ちという感じじゃないでしょうか。
それは全然いい悪いってことじゃなくてむしろ別にいいんじゃないかっていう。
ある種の必然的な成り行きでアートの佇まいを突き詰めて長所化していくともうそういう自己言及的なものになっていくのは仕方がないんじゃないかなと思ってます。
必然的っていうのはもう少し詳しく言っていただくとどういう感じなんでしょうか。
アートは絵もそうでしたけども絵が描かれるとそれに対する偽法論が、絵がどうやって成立するかとかですね。
なぜ絵が素晴らしいかとか批評理論ができますよね。
そこから批評理論に基づいてまたアートが作られたりしますよね。
こうやって循環を繰り返すうちにどんどん中小化が進んでいって最後にただの平面が絵になってしまったりするということが起こるわけですよ。
同じようなことがいろんなジャンルで起こっていてそういった意味でアートそのものに関してももともとは具体的で幅広かった定義がですね。
どんどん野菜細っていくと誤解があるけれども言語化していく中でだんだん中小化されていくと。
すごい風に落ちました。
ありがとうございます。
今日は先生精神科医の立場っていうところと数多くのアートをいろいろ触れてきてっていう両方の立場からちょっとお聞きしたいんですけども。
今回のこのメインの痛みとアートの関係がよくわかるその具体例エピソード等あれば何かわかりやすいものをあげていただけると。
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痛みとアートというのはなかなか難しくて小谷本彦さん。
この本の例で言うとですね一番痛みとアートの関係性が出ているのはまさにこの表紙に掲載されているこの小谷本彦さんというですね。
彫刻家さんの作品ですけれどもこの方の作品は触覚、手触りといいますかね。
それからあの出来物を潰した感じとかですね。
そういう感覚をいかに彫刻的に表現するかみたいな。
出来物を潰した感じを彫刻で。
潰してなんか嫌なもの、変なもの出てくるじゃない。
あの気持ち悪い感じを彫刻にどうやったら置き換えられるかみたいな。
そういった意味でもその感覚的なものに位置を知った表現だとご本人がおっしゃってましたですね。
そういった形での直接的な結びつきということがまずあるだろうと。
ただこの痛みはどう解釈するかずいぶん違うわけで。
痛みというものを心の痛みというふうに読み換えるならばこれはもうもっと広い表現になりますよね。
ドラマ的な表現になって。
一番有名なのはやはり松井さんに絡めて言うと松井さんにとってのフェミニズムヒーロー。
上野千鶴子さんというフェミニストいますよね。
最近はお一人様長者になりましたけれども昔は先導的なフェミニストで。
それであの上野さんはニキド・サンファルというですねアーティストに注目してるわけですよね。
この人は性暴力の被害を受けていてそれを表現に紹介していくと。
だからすごく男性に対して攻撃的な表現が目立つわけです。
男性を縦断でボロボロにするみたいな表現とかですね。
過激なものが結構あってやっぱり男性に対する怒りみたいなものが表現衝動の根本にあったりする。
これは男性という存在を一つの媒介にしてますけれども
ある種の痛みの表現としてすごくやや直接的ですけれどもそういう言い方ができるんじゃないかなと思いますね。
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