1. やまむらじお
  2. やまむらじお2025年2月-1 ゲ..
2025-02-12 1:24:54

やまむらじお2025年2月-1 ゲスト:タツさん

spotify

今回はゲストにタツさんをお迎えしてお話しております。

タツさん

Xアカウント

タツさんのポッドキャスト番組

奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST

タツさんのnote 「わたしの祖母が一番きれいだったとき

00:20
やまむらじお 竹田さん、2月になりまして、早くもゲストに来ていただくことになりまして。
竹田さん 連発だよ、連発。ありがたいことで。
やまむらじお ちょっと超有名というか、一流の方すぎて、たぶん3分ぐらいしか抑えれないんですよ。
竹田さん そうだね、俺らにもちょっと資金力があればね。
やまむらじお 3分抑えれたのでも奇跡的だと思うんですけど、ちょっともう、そろそろいい時間ですね。
3分間フルに使って、ちょっと数字を上げたいと思いますんで。
竹田さん そうだね、やろう。
やまむらじお では来ていただきましょう。今回のゲストはですね、3分間限定で福山雅春さんです。よろしくお願いします。
福山雅春 どうも福山雅春です。
やまむらじお 福山さん、3分間限定ということで、すみません、ぜひちょっとさらっとでもお話を伺えたらと思うんですけども。
福山雅春 タツヤ。
やまむらじお ありがとうございます。
福山雅春 竹木さん、もっと早く呼んでよ。
やまむらじお そんな呼べるほどの、どちらかというとそちらのスケジュールの方が。
福山雅春 いつでも行くって言っただろ。
やまむらじお どっちのスケジュールの方がタイトだったんですけど。
福山雅春 こっち?こっちだった?
やまむらじお マネージャーさんにちょっと、もうこの3分しかないよって言われて、もうそこでっつって、今回お願いさせてもらった次第です。
やまむらじお ああ。
やまむらじお で、ちょっともうこの3分、もう一つだけ。
福山雅春 僕でよかった、僕で。
やまむらじお いやめちゃくちゃ、もうぜひぜひ。
福山雅春 ぜひぜひ。
福山雅春 あっちの人じゃないの?本当のあっちの人じゃなくて。僕ね。
やまむらじお まずこの3分は福山さんぜひお願いします。
福山雅春 ああ。
やまむらじお で、もう一回この3分をちょっと有意義に使えたらっていうところで考えまして、福山さん長崎のご出身ということで。
福山雅春 長崎な。
やまむらじお 毎年ね、里帰りライブとかされてると思うんですけども、一つちょっと本当にご質問させていただきたいのが、長崎県のですね、ちょっと好きなそうめん屋さんだけちょっと教えてもらえたらと思うんですけど、いかがですかね。
福山雅春 去年ちょうど長崎スタジアムの小キャラ落としで行ったんだけど、スタジアムで8万人の人たちと一緒に食べたそうめん、めちゃくちゃうまかったですよ。なんか、ホンダ兄弟紹介なんとかとか言ってましたね。
ああ、ホンダ兄弟紹介そんなとこまで言ってたんですね。
03:06
あ、やばいもうちょっと3分ちょっと来てしまうので、福山さん本当に今回わざわざ出演ありがとうございました。
福山雅春 ありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで竹田さん、何万再生いきますかねこれ。
竹田 3分超えてるからさ。当初10再生を目標にしたけど、たぶん5千はいるだろ、5千は。
福山 そうですよね。このままちょっと聞いてる方はね、ぜひちょっと騙されたと思ってブロス会員になっていただきまして、ぜひちょっとそのまま騙されておいてください。
おだしょー クオリティすごい。
福山 ちょっともう一人のゲストの方到着されたみたいなんで、ちょっとお呼びしたいと思います。
おだしょー 竹田さん。
竹田 ありがとうございます。誰か来てました今もしかして。
おだしょー ごめんなさいちょっとダブルヘッダーで、もう一方がですね、もうマジで3分しか時間が取れないということで、ごめんなさいちょっとそっちに合わさせてもらいました。
福山 これ何だか分かんないけど、はいはいはい。政晴さん来てたんですね、政晴さんが。
おだしょー ちょっと見てましたよトークで。
おだしょー すいません、マジでトークですよね。
福山 マジでトーク。
おだしょー マジでトークでちょっとご覧いただきまして、これから福山さんのバトンタッチ、ぜひ福山さんバリの大活躍をしていただきたいと思っております。
福山 何を振ってるんだよ。
おだしょー じゃあ改めてご紹介させていただきます。今回のゲストはかなでる細胞の達さんです。よろしくお願いします。
福山 よろしくお願いします。もう本当に達さん、竹久さん、初めましてですね達です。よろしくお願いします。
おだしょー よろしくお願いします。やりにくいですよこれめちゃくちゃ。どういうことですか。
福山 それは山達が悪いです。山達の方が。
おだしょー 毎回ゲストさん来ていただくときに、ゲストさんとどういうことをしゃべろうかなっていうのはまずもちろん考えるんですけど、たまたま達さん最近某愛がある番組にたくさんご出演されて。
福山 いや言っていいと思いますよ。愛があるのが当たり前は決してその悪い番組じゃないと思うんで言っていいと思いますよ。
おだしょー 私もたまに編集しております。愛があるのが当たり前に。
福山 そうですよね。ありがとうございます。
おだしょー いえいえ。
福山 的な編集はいつも素晴らしいし、2人が忙しい中でそこで。あれですよねボランティアやってるんですよね。ボランティアスタッフ。
06:07
おだしょー そうですね。ただ1回は。
福山 愛があるのは山村さんじゃないですか。どっちかというと山室さんじゃないですか。
おだしょー どちらかというと時間があるですね。
福山 時間があるのが当たり前山室ですって感じですか。
おだしょー そうですね。
福山 いいな。はい。
おだしょー 時間に融通が効くのが当たり前ですね。GAです。山室です。
福山 かっこいい。
おだしょー で、そこでも福山さんのね。
福山 はい。
おだしょー 育児塾の福山マサルといえばとか。
おだしょー いや怒られてるんですよ。あれで本当に。
おだしょー だって世界にね。世界に10億人いますからね。福山マサルファンが。
おだしょー そこで福山マサルを名乗ることの危険性っていうのをね。非常に怒られてます。僕は。
おだしょー でも福山さんが言ったんですよ。僕に。いいよとポッドキャストでどんどんやっていいよって。僕に言ったんで。そしたらやりますよね。
おだしょー 優しい。
福山 福山さんが夢に出てきて僕の中に出てきて立つポッドキャストやってんのか。どんどんやってけって。俺の真似か。いくらでもやれって。僕じゃないです。福山さんが言ったんで。だからやってるんですよ。
おだしょー これやっぱあれですかね。その10億人ってことは今7人に1人ぐらいの感じじゃないですか。
福山 そうですね。8人に1人かもしれないですけどね。
おだしょー ってことはやっぱりムスリムの方のね、割合もかなり高くなってきてると思うんですけど。やっぱりそういった中で、予言を受けるっていうのは、やっぱり一定の得が。得がもう積まれているっていう状態。
福山 ありがとうございます。
おだしょー な感じがね、もう受けますけども。もたつさん呼びしたいなというところで、ぜひ素敵な声で、オンダ兄弟紹介っていうのね。
福山 はい。テイク2撮っときますか。あれが悪かった時のためにもう一回撮っときますか。
おだしょー 差し込みますか。
福山 オンダ兄弟紹介とか。どうなんですかね。どれが正解なんですかね。
おだしょー 多分ね、朝日スーパードライの感じで。
福山 朝日スーパードライ。あれか。そうか。トーキングFM。あれですね。スーパードライ。スーパードライの方がいいですね。
福山 オンダ兄弟紹介とかの方がいいですね。
おだしょー ありがとうございます。
福山 いいですね。
おだしょー じゃあもう少しから全てのオンダ兄弟紹介が今の声に差し掛かってられてるかもしれません。
おだしょー そこを時間自由の人が使うパターンじゃないんじゃないのか。
福山 もうね、そんなことばっかりですよ。最近何かわかんない。最近ね、編集室でもそんなことばっかりです。
09:01
おだしょー うれしいです。この番組に出れて。
福山 ありがとうございます。
おだしょー ラマブラジオのことはいつもギチの完全人間ランドの中でね、聞いてまして。そしてそこからよく飛んでたんで。
おだしょー ありがとうございます。
福山 ありがとうございます。
おだしょー なぜたさんを声掛けさせていただいたのかっていうところをめちゃくちゃ端的にご説明をさせていただきますと、
おだしょー 年末たけしさんとね、どんな人ゲストに来年呼びましょうかっていうのを2025年どうしようかって話をしたときに、
おだしょー ざっくりですけど、我々がすげえと思う人を呼ぼうっていう。
福山 聞いてましたよ、でもラジオ。いろいろ呼ぶし、他にも出たいっておっしゃってましたよね。
おだしょー ありがとうございます。
福山 すごいアクティブな年にしたいですね、お二人さんは。
おだしょー いや、俺引っ張られてる感じですね。
おだしょー 引っ張られてる三岡さん。
福山 そうそうそう。
おだしょー 突っ走ってる田田さん。いいですね。いい感じですね。
福山 で、1月、先月ですね、2025年の1月に私も科学系ポードキャストの日で、子どもっていうテーマで話をさせてもらったときに、田田さんと少しね、
やり取りをさせていただく中で、もう素晴らしい人いたわみたいな。
田田 ね、目の前にいたわ。
おだしょー いやいやいや。
福山 割と近くいたわみたいなところで、お声掛けをさせていただいた感じですね。
田田 ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえるなんて、ありがとうございます。
福山 ありがとうございます。
おだしょー しかも田田さん、事前にNGとか何かありますかって伺ったところ、ないですということで。
田田 ないです。僕はNGなしで、そして喋ったことは全部、編集とかのときもお任せで、どこをどんなふうに使っていただいても構わないって言ってます。
福山 すごい。
田田 どこでもそれでやってます。
おだしょー 今の言葉、冒頭に持ってきましょうか。
田田 いえいえ、ここで大事ですよ。
福山 ここで大事ですよ。
福山 ここで大事ですよ、本当に。
福山 どんなエフェクトをかけていただいても、真ん中切り取ってすげえ変な言葉にしていただいても、何でも僕はOKなんで。
福山 喜んでいただけるのであれば何でもOKなんで。
おだしょー ということで、早速いろいろなお話を伺っていこうかなと思うんですけど、そもそも達さん、今どちらから?
福山 そうですね、僕はタツと言います、今カナデル細胞っていうのをやってるんですけど、住んでるのがインディアナ州ですね。
福山 僕はもともと人生を振り返させていただくと、1分ぐらいで振り返させていただくと、アメリカ生まれで3歳から日本で暮らして、そして高校のときにはオーストラリアに住んでいまして、
12:04
福山 その後また日本で大学で博士生まで取りまして、その後アメリカに行って、アメリカで今年17年目、インディアナ州っていう中西部の、わからない人も多いんですけど、シカゴとかゴダイコがあるところのちょっと南ですね、そのあたりに住んでいます。
福山 アメリカ人です。よろしくお願いします。
そして私たちというのが、私と竹瀬さんは夜10時半ですね。もうすぐ11時になろうかというところなんですけども、竹瀬さんは朝でございます。
竹瀬 そうですね、朝。気持ちのいい朝を迎えております。マイナス10度ぐらいですね。
マジ?
めちゃくちゃ軽そうですけど大丈夫ですか?
竹瀬 大丈夫です。家の中は暖かいんで。
やばいですね。そんな環境の違いの中でもZoomでお話できてしまう現代社会めちゃくちゃ最高ですね。
福山 そうですね。今大事なこと言い忘れました。僕、樋口塾で樋口清則さんを師匠と思ってました。なおかつ樋口塾生の皆さんは仲間だと思っているという感じで。
あと、ギチの完全人間ランドのヘビーリスナーで、人間の皆さまを仲間と思っているのが竹瀬です。よろしくお願いします。
竹瀬 ありがとうございます。
福山 お願いします。
嬉しい。樋口塾入ってよかった。
私と竹瀬さんも一応樋口塾生ですね。
そして、すっかり完全人間ランドの人間として、竹瀬さんはもう軽く運営の領域に入ってきている。
入ってないよ。
明寛さんもそうなんですね。
本当に一部分だけ、ちょこっとだけお手伝いできることないかな、をちょっといろいろ格索はしてるところなんですけど、まだ情報回帰になってない状況なんで、詳しくはしゃべれないんですけど。
もう素晴らしい。
いいじゃないですか。
来週あたり、お会いするんですけど。そんな状況です。
いいですね。
で、もうぜひちょっと竹瀬さんにいろいろお話がかかっていきたいなと思ってるんですけども。
私の中のカナンデル細胞が、ようやくカルロスさんが卒業したところらへんなんですよ。
今、リフォームの話をされている。
聞いていく、はい。
今ね、ざっと聞き始めました。
リフォーム入りましたね。
はい。
名作でした、それは。
実は。
実は全体の中の。
15:00
カナンデル細胞自体はね、ちょっとずつ、実はちょっと聞いたんですけど、なかなか掴めないというか、ところがあって。
ああ、いたと思います。
ちょっとずつになってたんです。
はい。
で、今思うと、あやたにゲストで出演されたのが結構大きな、自分の中で転機になってまして。
はい。
っていうのも、カナンデル細胞って、今聞いてる段階ですけど、自分は。
はい。
リーズンスに入ったぐらいまでなんですけど、めっちゃ詰めてますよね。
詰めてます、めちゃくちゃ。
死ぬほど詰めてると思うんですけど。
はい。
それでね、達さんがどんな人かがね、1年分聞いてもいまいち分からなかったんですよ。
ああ。
1年分というか。
ありがとうございます。
当時はちょっとずつちょっとずつというか。
初心者すぎて、僕ね、その分析もうちょっと聞きたいです。僕下手くそだったんですよ、本当に編集が。
で、その今日は達さんのお話しされてる内容はもちろん分かるんですけど、どんなふうにお話しされるかのイメージがまるで分からなかったんです。
ああ、そうなんですね。
で、あやたのお二人とバナナさんのマグさんとの話を聞いてて、達さんってこんな感じで喋る人なんだっていうのが分かったんです。
ああ、ありがとうございます。
で、そっからすすりとどんどんどんどん達さんのお話とか海に入るようになってきて、聞き進めるスピードがかなり速くなったっていうのがありまして。
へえ、はい。
なんで、それで改めて聞いていると、例えば最初の質問的にさせてもらうと、達さん科学教室の先生というのはね、スポンサーの中でも話されたりとかあると思うんですけど、
一方でアカデミアの中で、例えばね、それこそ最近のあやたで研究こういうことしてますみたいな話もされたと思うんですけど、それでどんな仕事なんっていう。
科学教室の先生をしながら研究をしているっていうのは、ダブルワーク的なことなのか、なんかどういうことなのか。
はい。
まあ、普段達さんでどんなお仕事されているんですかっていう単純な質問ですね。
ああ、そこから行きますか。
はい。
ありがとうございます。僕は最初のパートナーであるカルロスさん、指揮者じゃないですか。
アメリカで活躍する指揮者としていろいろやったんですけど、大きく挫折しまして、音楽のキャリアを立たれているけれども、細々とバイトみたいなのをしながら、
18:01
音楽家として心は絶対音楽家の心を捨てずに、いつでも舞台が来たら戻ろうと思って指揮を振っているっていう指揮者のカルロスさんと番組をやってました。
その時に僕は研究者として、大学で一応準教授なんですけど、その準教授っていう立場を表に出すと、
彼もあんまりいい気分がしないっていうのもあったし、リスナーの人たちも準教授って聞くとちょっと凝り固まった考えがあって、
こちら構えちゃうみたいなね。
そういう人たちが構えちゃうっていうことだったんで、
じゃあ科学教室の先生、子どもたちに科学教室をするっていうのを1ヶ月に1回ぐらいずつやってたり、
いろんな小学生、中学生、高校生をうちの研究室に来ていただいて体験してもらうみたいなこともやってるんで、
じゃあ僕は科学教室の先生として行こうと思ってまして、
それはもう学生時代からやってたんで、僕は先生って呼ばれなくてもよかったんです。
そこでもたくさんたくさんでよくて、自分があんまり先生って呼ばれて差を持つのが好きじゃなかったんで、
じゃあ科学教室の先生で行こうっていうふうにしてたんですけど、
やっぱり実際はもう博士もとってずっと研究やってきてるんで、
自分の一番力を入れてやってることを話すと、糖尿病の研究、そして細胞のリズムの研究などの本質に行くんですね。
そこがやっぱり自分が一番気持ちを入れて語れるところであるし、
子どもたちに教えるときも自分の体っていうのは想像するよりもいろんな仕組みがあってすごく価値があるので、
自分を大事にしてほしいと同時に隣にいる子どもたち、友達を大事にしてほしい。
決して傷つけてはいけないよみたいなことを言う言葉の大元にあるのは、
命のすごい不思議なメカニズム、病気になるときの難しさ、バランスがちょっと崩れると病気になったり、
それを薬で治していくときに、ここを治すと治るけど、治しすぎると逆に壊れるとかそういうのもいっぱい見てるんで、
そういうところに力が入るんで、だんだん本性というか深い話をしていくと、
結局自分が本来やってる研究者っていう形が前に出てくるっていう感じですね。
カルロスやってるときには特に自分の研究面を抑えるというか、そういう形にしようかなと思ってたところです。
科学教室の先生っていうのは、おっしゃられた感じでいくと、いわゆるボランティア的なとこでやられたってことですか、それとも
21:01
実はうちの妻がスタートしたんですけど、2015年からスタートしてて、今10年目なんですけど、
3年目ぐらいのときに子どもたちがすごい増えすぎて事故とかが起きる可能性があったので、
会社としてファイルしまして、だからうちの妻は一応ユリカさんって言ってますけど、
2018年かな、起業しまして、起業家で一応社長はユリカになってます。
なので、それもわざわざ言うと、なんか狙ってるみたいになるんで、僕らとしてはあんまり言わずに科学教室の先生として。
妻も大学で日本語を教えてるので、その大学の先生ではあるんですけど、ユリカさんは先生でいいんじゃないかと。
いろんな番組、日本の科学の番組、YouTubeとかテレビとか見ると、男の人の方が偉い先生で、女の人はよくわからないアシスタントみたいな絵があって、
そういうのって気持ち悪いよねっていう話を少ししてて、だからユリカさんが先生で、僕が教えてもらうくらいの方がいいんじゃないみたいな感じになって。
だから僕らもともとそういう関係性というか、すごいフラットな夫婦なんで、そういう感じでやりたいねって言ってやってます。
じゃあ、いわゆるダブルワーク的な形とすると形。
ダブルワークっていうか、そうですね、ユリカさんとのことを語ると長くなるんですけど、いつかユリカさんと出会ったのは大学2年生の時に、
ユリカさんが新入生として入ってきてみたいな、僕らバレーボールサークルで一緒なんですけど。
だからもう26年くらい付き合いになるんですけど、生きてる中でユリカさんと暮らしてる方が長いんですけど、大学院生の時にみんな就職していくくらいの時に、
僕はユリカさんと結婚したいと思って、お父さんに挨拶しに行こうとするんですけど、お父さんから断られるんですね。
ユリカさんのお父さんすごい偉い教授なんですけど、めちゃくちゃ偉い教授なんですけど、
天皇陛下に和歌の質問されるぐらいの先生なんですけど、そのお父さんのところに行きたくても断られるっていうのは続いて、
うちの父親と相談したところ、これは結婚を決めてからじゃないと会ってくれないタイプだって言われて、
じゃあ結婚しようということで、結婚の申し込みに父と一緒に今度は実家に伺うんですけど、
そしたらその日を唯野とするって言われて、大学院生の時に唯野を交わし、博士の時に結婚しまして、博士課程の途中で赤ちゃんが生まれるんですね。
僕が先に一年先輩なんで一足先に博士を取りまして、その間、学生ですよ。
24:06
学生で給料がない中で子育てをしながらっていう、同じ研究室で机を並べながら研究して交代交代に家に帰って赤ちゃんお風呂に入れたりとか、
妻も博士課程を僕の一年半後ですね、ちょっと育休を取ったので博士課程が普通の人よりも半年ぐらい伸びまして、
妻も博士を取らないと、僕より優秀なんでいけないということで、僕は結構子育て頑張りながら妻ができるだけ研究できるようにっていうのをやりつつ、
自分も博士を取った後のアーリーキャリアって結構厳しいんですけど、
でも妻が博士を取ることを優秀しなきゃと思って、
だから取ったのが息子の2歳の誕生日が彼女の博士論文の発表日っていうのが、審査日っていうのがあって、
2歳の子供と一緒に博士を取って、その1ヶ月後に家族3人でアメリカに渡ってるっていう状況ですね。
そのアメリカの就職は決まっていたので、アメリカの就職も僕が一人で働いてたんじゃなくて、僕は僕の研究を、
ゆりかさんはゆりかさんの研究でまたポジションを取って、2人とも博士研究員としてアメリカで研究をして、5年ですね。
その生活を続けました。アメリカで。
質問の答えになっているかどうかわからないですけど。
いやいや、そんな感じでした。
一応私と竹下さんもインマではね、修士マでは。雰囲気だけは分かる。
雰囲気だけは、触る部分ぐらいは分かる。触りの部分。
分かります。研究室に夫婦で子育てしながら博士を取っている方なんていらっしゃらなかったと思うんですけど。
そもそも、在学中に結婚する人もそんなにいなかった。
いなかったですね。
かなりレアケースというか、自分たちの中ではですね。
っていうような印象はあるんですけど、やっぱりもう一つ気になるのが、なんでアメリカに行かれたのかっていう。
それはもう博士を取ったら僕はアメリカに行くって決めてまして。
本当は大学院からアメリカに行こうかなって。
大学生の4年生ぐらいの時にはもうちょっと研究室に行って研究させてもらってるような形で。
普通の研究室配属より僕1年前ぐらいに志願してさせてもらったりしてるんですけど。
先生とか博士の先輩とかに、アメリカで博士を取るってどうですかみたいなことを相談したり。
27:04
自分の父もアメリカで10年研究してたんで、だから僕がアメリカに生まれたんですけど。
そこ相談してて、アメリカに行きたいぞっていうのがずっと決まってて。
そしたら、日本で博士は取ってから行った方がいいって言われてたんで。
じゃあ日本で博士はまず取って、それからアメリカに行こうっていうふうに決心して。
だから博士を取ったらすぐアメリカに行こうと思ってたんですけど。
子供が生まれたこと、ユリカさんに出会ったこととユリカさんと結婚したことで。
3人でアメリカに行くっていう夢に変わりまして。
ユリカさんの博士を取ったら3人で行けるようにいろんな準備をするっていうのが僕のその時の頑張ってたことですね。
なぜアメリカに行きたかったかっていうと、高校生の時にオーストラリアに1年間行ってたんですけど。
その時に高校1年生でありながら最初入って、黒板の文字とか読めなかったり喋れないっていうところ。
意外と学校で習ってる英語と高校1年生ぐらいの授業でやってる本番の英語って結構格段な開きがあって。
でもなんとか勉強頑張ってたら、2学年飛び級できて、高校3年に入って。
そしたら大学受験ができるぞって言われて、17歳で大学生になれるかもしれないってことで、
大学受験もアメリカのオーストラリアのアデレードの大学を受験しようと思って。
すごい頑張ってたんですけど、そこ失敗してしまって。
せっかく飛び級して、日本だと受験選手とかエリート意識みたいなの持ちすぎてて、成績が取れればすごい人だみたいな印象で、
とにかく勉強の虫みたいなガリベンみたいな男だったんですよ。
その分心も別に豊かではなくて。
そして日本に失敗して帰ってきたら、今度日本では成績がオーストラリアでも認められずに1学年下に入れられたんですね。
せっかくオーストラリアで飛び級して、自分より1歳上2歳上ぐらいの人たちと同じクラスにいたのに、
日本帰ってきたら全部認められずにみんなの1学年下に入れられるっていう状況になりまして。
それで結構挫折感っていうか海外に行ったのに成功を得られなかったみたいな気持ちがあって。
でも生まれた国はアメリカなんで、いつかアメリカでもう1回挑戦したいなって。
これはちょっとリベンジじゃないですけど、自分の世界を広げきれなかったっていうイメージで。
アメリカ行くぞって決めてて、博士で取ったらアメリカ行くっていうのはもう僕の中で決まってて。
30:04
ユリカさんにもずっと言ってたんですよ。
ずっと言ってたんですけど、あの人の性格の素晴らしいところって言ってるなぐらいでしか思ってなかったらしくて。
本当にチケット取って行くぞって言ったら、え、本当に行くの?ってびっくりされちゃって。
私もそこすごい気になってて、ユリカさんとご家族の同意と言いますか、お考えどうだったのかなと思ったんですけど、
じゃあ直前まで本気にされてなかったってことなのかな?
そう、全然本気にしてなくて。
家族の方々も、ああ行くんだみたいな、夢がある素敵な人ねみたいな感じで言ってたんですけど、
いざ行くってなったら、やっぱり行くんだみたいになってて。
2年ぐらいで帰ってくるんだろうみたいな話で言われてたんですけど、17年になっているっていうのが今の現状です。
ネタどこででも喋ってるんですよ。うちの旦那についていくって言って、2年って言われてついてきたら、息子が大学に入ってるんだけどみたいな。
面白い、すごい。
今お伺いしてると、今やっている研究内容とかそういうことではなくて、アメリカへの憧れ的なものとか、
なんかその執着的なもの、ちょっと言い方が悪くなっちゃうんで申し訳ないですけど、
周年みたいなのをすごい感じるんですけど、
例えば海外みたいなものに対する周年を感じるんですけど、やっぱりそのお生まれになった、例えば3歳って。
話し言葉が非常に固くなってるんで、中学校時代の友達ぐらいの感じで喋っていただいていいですか。
お生まれになったとか言われちゃうと、ひぐち塾なんだからちょっとって思っちゃうんで、
ああいうあたりぐらいの、モグタムがここに今聞いてるから、モグタムがちょっと硬いよって、硬いよって言ってくれてるぐらいの気持ちで喋ってもらっていいですかね。
全く意識してなかったところにつかまりましたね。
めちゃくちゃ普段通りなんですけど、なるべく噛み砕いて言うと、3歳ってもう覚えてるか覚えてないかぐらいの感じじゃないですか。
そうですね。
だけどそこがすげえフックになってるんだっていうことに、ちょっと面白みというか、
海外に行っていたということがそんな強く残るんだみたいな、新鮮さというか不思議な感じを自分は持ったんですね、今の話を伺って。
他さんにとっての海外とか、海外で例えば成功するっていう言い方がいいかわからないですけど、
33:03
チャレンジするんだみたいな、そこって自分からすると異様に、そのそこ3歳までいたからとかだけでそんなに行くんだみたいな感じ。
ありがとうございます。ちょっと待ってくださいね。
ちょっとごめんなさい。収録は止めないんですけど若干娘の声がするので、ちょっと見て下さい。
いいですよ、いいですよ。
じゃあごめんなさいって。
ちょっと待って、今僕準備してたのどこ行ったんだろう。
ちょっとごめんなさい。収録は止めないですけど、若干娘の声がするのでちょっと見てもいいですか。
いいですよ。
せっかくたつやさんのために準備してたのがあったんだけど、それが消えてて。
ちょっと待ってくださいね。
はーい。
今お持ちになったのは本ですか?
これね、寄りかからず茨城のりこさんっていう方の詩なんですけど。
多分僕がアメリカにこだわった理由っていうのは、僕がこの本のことをお話しすればわかるかなと思って。
へー、なるほど。
大丈夫でした?
はい、ありがとうございます。
これ見てほしいんですけど、僕が持ってきた寄りかからずっていう茨城のりこさんの詩なんですね。
僕の人生を語る上で、多分この寄りかからずっていう詩が、どんな時も僕を支えてくれた詩です。
茨城のりこさんって教科書とかで、私が一番綺麗だった時っていう詩を書いてる方なんですけど、ご存知ですか?
いや、そもそも私…
私が一番綺麗だった時に、私の国は戦争で負けたっていう詩を書いてる方です。
誰もその優しい手を差し伸べてはくれなかったっていう。
そしてみんなロボットのように敬礼して戦場に旅立っていったと。
そしてみんなが悲しんでて、戦争で負けて悲しんでて、私のハイフルの靴の音だけが街中に冷たく響いたみたいな詩を書いてる方なんですけど。
36:04
僕、小さい時からこの方の詩が好きで、結構思春期に僕は詩人というか詩を書く人だったんですね。
すごいね。
その中で、ある時出会ったこの「寄りかからず」っていう詩ですね。茨城さんの中でも後の方の詩なんですけど、この詩に僕はすごく感動して、ちょっと読ませていただいてもいいですか?
私が一番綺麗だったときっていう詩を本当は読んでほしいんですけど、これは子供のときに習う教科書に出てるんで、世界中で評価されてるすごい詩なんですね。
寄りかからず、ちょっと読ませていただきますね。
もはや出来合いの思想には寄りかかりたくない。もはや出来合いの宗教には寄りかかりたくない。もはや出来合いの学問には寄りかかりたくない。
もはやいかなる権威にも寄りかかりたくない。長く生きて深息を学んだのはそれぐらい。自分の自目、自分の二本の足のみで立っていて、何の何不都合のことやある。寄りかかるとすれば、それは椅子の背もたれだけ。っていう詩なんです。
で、僕のおばあちゃんが実は茨城さんとほぼ同じ年なんですけど、僕のおばあちゃんっていうのが、NTTに16歳で高校卒業してすぐ勤めて、16、17、18ぐらいで勤めるのかな。
そこから引退する60歳までずっと勤めた、女性で最も長く勤めた記録を持ってるんですけど、同じ会社にずっと勤めきって、実はその後もアドバイザーみたいな感じで65歳ぐらいまでずっと通ってたんですけど。
おばあちゃんがうちの父親をアメリカに勉強したいっていう父親を10年間留学させたというか、おばあちゃんの財力のおかげでうちの父親は留学したんですよ。
おばあちゃんの強さの中に、自分は頭が良くて自分は大学にも行きたかったけど自分は行けなかったと。自分は9人兄弟の一番上で下の8人を養わなきゃいけなかった。自分の弟妹を大学に入れたのは自分で自分のお金で兄弟たちを大学に行かせたっていうのがありまして。
39:05
父親に関してもアメリカで研究させてアメリカで学位を取らせたっていうのがあって、すごい強いおばあちゃんなんですよ。
いつも笑顔だし、すごい美人で有名だったおばあちゃんなんですけど、隠されてる悲しみとか辛さとか悔しい思いっていうのをたくさん感じて、その中で自分は勉強できなかった。
お金すごいこんなに稼いでるのに何が不満なのかなと思うと自分はもっと勉強したかったと。
こんだけいろいろいろんな人をサポートしてみんなから認められてって思う人が悔しい気持ちが勉強できなかったってところだったんですよね。
僕はお金を追っかけていってもそんな後悔が残るんだったら、僕は勉強し続けようっていうのを結構小さい時からそれはおばあちゃんを見て感じてたところもあるし、
うちの父親は父親ですごい研究はできるんですけど、この地位とか名誉とかっていうところではそんなに追っかけてない人なんで、あれなんですけど、時に悔しい思いをそれですることもあって。
なんかお前はうまくやれみたいなことを言ってたんですけど、僕はそういうのを見てきて結構ちょっと昔の人たちの言葉って大事だなっていうのがあって、
この寄りかからずっていうのはその中で自分はあんまり誰かにすがっていきようとか誰かの指示に従っていきようとか早めに切った方がいいなと思って、
じゃあ自分の中に残るものは何だろうっていうのをいろいろそぎ落とした時に自分が生きたいように生きるっていうのがあって、そしたらまず1回日本を切り離そうと思って、
オーストラリアを知ってアメリカを知ってオーストラリアとアメリカと日本っていうのを三角形ぐらい別々の国なんですけど、
多分アメリカに行くまでは日本とオーストラリアを比べるとアメリカはオーストラリアに近いんだと思ってたんですよ。
でも行ってみたらオーストラリアと日本の方がめちゃくちゃ近くて、アメリカって全然別の国だったんですね。
その辺の感覚とかもやっぱり知らないというか、日本と外国っていうものをもうちょっとやっぱりレゾリューション高く見るっていうのは、
実はオーストラリアに暮らしたしマレーシアにちょっと滞在したこともあって長期滞在したんですけど、そこも全然違う国だったし、
42:00
学会とかでヨーロッパとか行ったり、研究仲間でヨーロッパに行った人たちを訪ねてヨーロッパの話を聞くと、やっぱヨーロッパの隣り合う国々全然違うんですよね。
だから、とにかく行って暮らしてみて、外国っていうのをちゃんと知りたいなっていうのがあった。
自分の中で、だから日本に帰らないっていう気持ちで実は出てます。
でもうちの妻とかは帰っていいよって言ってて、堅くなに妻だけを帰国させて、妻と子供だけを帰国させて、僕はずっと日本に帰らないっていう時期が多分5年ぐらいありましたね。3年ぐらいかな。
なんかこう、ご研究の内容は本当になんか手段というか、今のお話だけでいくと、海外というものに対する意識が何だろうな、
そこがあって、今やっている生物というか、細胞の研究というか、それはなんか手段的なように思えるお話に聞こえたんですけど、
何を感じたんですか、その海外に行かれて生活をされてみて、で、日本を切り離すというか、例えば日本でできないなと思ったみたいなことだと思うんですよ。
多分。だからそのアメリカを選んだみたいなこともあると思いますし、その海外の魅力っていうのは何だったんですか。
海外に目を向ける、特にアメリカを選ばれたわけじゃないですか。アメリカの魅力、ここだからアメリカがいいんだみたいなところ。
だからアメリカがいいんだ。えっとですね、そっか、それは何から喋ったらいいですかね。
例えばなんですけど。
タツヤさんが興味を持っているというか、例えば、もやっとしていることでもいいんですけど、何かありますか、例えばというか。そうするとそこに関してのアメリカの情報っていうのは言えるかもしれないですね。
今ね、全然ないんですよね。
外国の方々とすごく仲良く友達がいっぱいいてみたいなことってあります。
いや、海外に目を向けるということを、今38になりましたけど、ほぼしてこなかったんですよ。
45:05
興味がなかったってことですか。
そうです。興味の対象にならなかった、例えば高校の時とか洋楽を聞いたりみたいな友達ももちろんいたわけで、そういうところからっていうのも多いと思うんですけど、でも自分は別にそこに行かなかったし、
例えばこのエンターテインメントでいくと映画とかコミックとか、そういうのもそんなに惹かれなかったし、もうどんどん自分の中ではドメスティックなもの、日本のもので満足している状態ですね。
わざわざだから開発しに行かなかったみたいなところがあって、そこにめちゃくちゃ自分とタッチさんの違いというかを感じてるんですね、今。
なるほど。息苦しさを感じる瞬間はなかったですか。日本の文化の中で、例えば大学でも建て社会、エレベーター、エスカレーターみたいなのがある感じの、なんか自分の生き方っていうものに道が敷かれていて、例えば会社とかに入っても会社の中で出生の道が敷かれていて、それに従わない人たちは外れ者になっていくみたいなところに息苦しさみたいなのを感じたことはなかったですか。
感じたから辞めちゃったんですよ。
辞めて、農業の道っていうのも僕はすごく農学部なんで、好きなんですよ、僕土いじりが好きだし農業も好きなんですけど、そういう生き方の中で、農業のラジオで僕好きな、好きっていうか聞いててすごく面白かったやつがあったんですけど、
農業を始めてみて、最初そういう社会から外れてやろうと思ったら、いざ自分の商品を売り出そうとしたら、結局ちっちゃな会社みたいなのを作って売るために一生懸命宣伝して、去年より今年をもうちょっと売り上げを上げていこう。
そしたらコストを削減して、コネクションを広げて広げていこうと思ったら、会社と一緒で自分を追い込んで追い込んで、結局会社の時と似たような息苦しさの中にまた入ってしまって、それから抜けるために農業に来たのにそう入っちゃった。だからその後出家したって方がいらっしゃったんですけど。
農と仏教を語るみたいなラジオだったかな。そういうのを聞いて、あるなと思ったんですけど、意外とやっぱ海外にパンって出るって、そういうのから抜けれるっていうか別の視点を得れて、そんなに狭く息苦しく暮らさなくてよかったんだなみたいな開放感みたいなのはもしかしたらあるかもしれないです。
僕コテンラジオがポッドキャストの入り口なんですけど、コテンラジオさんがやられてたことが、そういうメタ認知っていうか多角的な視点を持つ日本の凝り固まった社会っていうのは作られた歴史があって、特に戦争時代とかに国を強めるためにやったものが永遠に変わらないまま残ってるんで、
48:18
戦争のためにとにかく国の力を一生懸命最大限やるために一人一人が1.5倍頑張り2倍頑張ったやつがうまくトップに集約されて集まってくる形を作ろうとしてるっていうものに入れる形をずっとやってるんで、今の現代社会そんなことやる必要ないよね。
機械とか便利なものがいっぱいできてるから、もっとみんな自由に自分らしく暮らせるはずなのに、その凝り固まったものに追っかけられてるみたいなのあるじゃないですか。そうそうそうって僕ただ思ってて、本当に海外からそれ聞いても。でもあれが日本でヒットしたじゃないですか。
あれがコテンラジオが日本で受け入れられる。この時代来たんだって結構嬉しかったんですよ。中学生ぐらいからずっと嫌だなと思ってて海外出て、実は高校の時にオーストラリアに帰ってきた時にめちゃめちゃ高校楽しくなったんですよ。
一学年入れられて下になって勉強的には嫌だったんですけど、自分の人間的な幅みたいのがすごい広がったおかげで、いろんな友達が増えて、一学年下のみんなに先輩扱いしないで、タメゴで呼んでって言って、その人たちとすごい仲良くなって、みんなで楽しくやっていこうぜみたいなのをしてたんで、タツークルンダンって呼ばれたんですよ。
なんでお前そんなに人集まってるのみたいな。そういうわけじゃなくて仲良くしようって言ってただけなんだけどって言ってたんだけど、そういうところから実は海外で1年苦労したんですよ。
その時のことから僕国際交流センターみたいなところでボランティア始めて、日本に来てる留学生のタイ人の方とか中国人の方とか韓国人の方とかあとドイツ人の方とかの履修届とか、
学校の事務員との履修の手続証明書のやつとかそういうやつを手伝うのをやり始めてたら、どんどん一人手伝って、芋づるしきに人が集まってきて、僕でもずっと手伝ってたんですよ、それを。
なので学生の時に僕赤ちゃん生まれたって言ったんですけど、赤ちゃん生まれた時に留学生が病室に列作っておむつ持ってきて、おむつの山で来たんですよ。
いつもお世話になってますタツさんみたいな感じで赤ちゃんおめでとうみたいな。
51:01
日本人の方は僕に子育て大変よとか大学生の時に子育てしながら博士とかってきついよねみたいに言ってる中に留学生の人たちの方が実はもう子供がいて海外に来て日本に来て研究してるような人たちがタツさん子育てつらいことなんか一つもないよ幸せなだけだよって言ってくれるのが留学生の方々で
困ったらいつでも助けるからね、いつも助けてくれてるからやるからっていう風に言ってくださった留学生の友達とかがいっぱいいて、もちろん大学で仲間もいっぱいいるんですけど、そういう留学生の仲間がたくさんいるっていう状況もあって
自分もアメリカに行くってことはみんなに言ってたんで、タツさんアメリカ行くんだよねっていう感じでみんなが応援してくれるっていうのもあって、だから別に挑戦するっていうか自分の中では決まってたその自然な流れで
僕の行ってた大学の先生になる先生の人たちも大体海外経験してるんで当たり前のように受け入れてくれたというか、僕は海外志向強かったって言えば強いのかもしれないですけど
海外の自由さというか、逆にその日本に対してがんじがらめみたいな印象だとか、閉塞感みたいな印象ないし、そういうご経験と海外を1回経験した時のフリーさというか
バリアフリーというか、閉塞感がないみたいな感じ?大リーフ養成技術を常につけてる日本と外しまえよみたいな海外みたいな
そうですね、例えば大学でも会社でも例えば外国人の方がいたとするじゃないですか、外国人の職員が1人2人いたとするじゃないですか、その時に大事な仕事があったり
日本の中でちょっと例が挙げられないんですけど、野球チームみたいなやつで言ったら監督とかコーチとか後はベンチが終わった後の片付けとか、そういうところに外国人を配置しないっていうイメージがあるんですよ
そこは日本人がやるところだろうみたいな、その暗黙の了解ってどこでできてるんだろうなみたいなのがあって、アメリカじゃなくてオーストラリアだとすごい似てるのは同じ感じなんですよ、大事なところ
54:03
あとは名前のない仕事みたいな片付けするとか綺麗に保っておくとかそういうところも実はオーストラリアの中心の人たちがやるみたいなのがあって、なかなかよそ者がそこに入り込むのはいいからいいから君はそんなことしなくていいからっていう感じで、ちょうどいいまあまあな仕事ぐらいをやってなさいみたいな感じがあって
なんかそういうのがあったんですけどオーストラリアって、オーストラリアも移民の国なんですけどもっとアメリカってあの移民がすごく多いんで、やりたいって言えばチャンスを与えられるって感じですね、じゃあやってみるみたいな
そうちょっとそこの仕事、お前これやりたいの?みたいなのがあって、やってみたいって言って俺やるよって言ってやってくともういつもそこは達がやってる仕事みたいになってて、だから管理者みたいになるときもあるし、雑用じゃないんですけど
ここのトラブルシュートっていうかそこの問題解決は結構中心の人たちがやるっていう汚い仕事だったりするんですけど、そこに外国人とか来たばっかりの人が意外と組み込まれやすい、そんなのは感じますね
なんか、なんだろうな、各国同行っていうよりは、冒頭じゃねえけど、茨城英和さんの詩をご紹介いただきましたけど、そのインディペンデンスなスピリットというか、がなんか日本じゃ向かなかったんだろうな、みたいな
あるかもしれないですね
シンプルにそのスピリットがはまるのがアメリカだったんだろうな、みたいな感じはちょっと受けますね
そうかもしれないですね、僕を怖がってる上の人はいたような気がします
だし、なんか、例えば年功序列的な会社とか存在学みたいなところでいくと、ある意味でその、なんだろうな、なんだろうな、なるべく言葉を選ばずに言うと依存しないといけないわけじゃないですか、例えば会社とか組織に
で、それが多分他さんは苦手だったんだろうなというか、そういう考えをするということが苦手だったんだろうな、みたいなことを
おばさまからの、ないし、その死からの影響っていうのを持って、そうじゃない、自分は自分でやることをやるんだっていうのをめちゃくちゃ早い段階で形成された結果、やりたくないことをやらないといけない日本社会マジックみたいなことを結構早めに感じられたのかなっていう
57:13
なるほど、それで言うと僕、詩を書いてるんですけど、実はおばあちゃんのことを茨城のりくさんの詩をオマージュして書いてもらったことがあるんですけど、うちのおばあちゃんは戦争中に国のために一生懸命働いた人なんですよ、めちゃくちゃ。
戦後のある時まで同じように働いたのに、ある時に全部利益は男たちが持っていったらしいんですよ。
全部持っていったと。会社とかの立場とかも利益とかも。あんなに戦争で困った時に、男も女もなく思いっきり働いたのに、いいところ全部男持っていったって言うんですよ。
おじいちゃんとおばあちゃん、2人ともすごい働いた人なんですけど、家事は確かにばあちゃんが全部やってたし、もう4時ぐらいから起きて子どもたちの弁当を作って、お父さんの分も作りっていうことをやってたんですよ。
うちの母見ても、父と母見ても、家事は100パー、99パー、育児も含めて99対1ぐらいで母がやってたんですね。おかしいなっていうのはばあちゃんの時からずっと思ってて、何年このおかしいのやってんのと思って。
家事のやる割合って先進国の中で父親がやる家事育児の割合と母親がやる家事育児の割合って圧倒的に日本が1位なの知ってます?アンバランスが。
先進国のフィンランドとかだと、それでも半分いかないですよ。1.5倍とか2倍とか、男のやる家事育児の女性のやる家事育児の割合が1.5倍とか1.7倍とか、本当にいわゆる男女平等が進んでるって言われてる先進国の中でもそういう国っていうのはそうなんですけど、
韓国でも4倍ぐらい男の人に比べて女の人が仕事するって言ってるのに、それよりも日本って悪いんですよ。それはおかしいなと思って、僕は実践しようと思って、例えば週末とかに、
日本にいたときは僕も全く一緒で、多分1級でやってたと思います。家事。妻のユリカさんが同じ博士家庭で同じような立場で研究してるけど、家事育児の割合は9割がユリカさんで1割が僕で、1割やってても僕は周りの男性人から比べたらその人たちよりは100倍ぐらいやってるっていう。
1:00:09
そうですね。
僕はこれ1対1だろうみたいなことを妻に言ってたんですけど、これで1対1って冷静になってちゃんと計算できるって言われて、ちゃんと計算してはいすいませんでしたってなる状況だったんですよ。
それこそ何もなき家事って言われてる隠れてるところとかをすごいやってるのが妻なんで。僕はアメリカに来てから結構一番変わったことは、周りの人たちが、お旦那さんたちが幼稚園とか保育園の送り迎えとかもするし、家事育児しっかりやるんで、それが身についたっていうか、僕が家事育児やってることに対して、何家事育児やってんの?
何?っていうキーの目があったんですよ、日本だと。
保育園に連れて行ったの、僕とあともう一人ぐらいの自衛具用の方ぐらいで、朝と夕方に迎えに来るのは男の人は僕ともう一人ぐらいで、あと9割キューブっすよ、女性の方だったりしてたんですけど、今5割5割ぐらいのところにいるんで、そうすると自分の特別感みたいなのがなくて、すごいそういうのは無意識なところですごい楽です。
アメリカに来てから、とも終わっただけなんで僕らは、できるだけ平等にしようと思って、一回自分を9割にしてみるっていうこと、10割にしてみる、自分がワンオペをするっていうことを経験してからやっと50%のラインがまともに分かるんですよね。
それも1ヶ月ぐらいやんないといけないと思うんですよ。僕が3人目が生まれてからやってることは、金曜日の夜ご飯から月曜日の朝ご飯まで8食連続で自分が準備するっていう8食チャレンジをしてるんですけど、それをやると8食連続でご飯を準備するっていうことができると、
例えばウィークデーの間、月曜から金曜の間も普通にご飯準備しようっていう意識が自然に湧くんですね。そういうのをやったりするんですけど、そこら辺の感覚っていうのが自然に、日本でやってると逆風ばっかり感じると思うんですけど、
いいじゃんいいじゃんどんどんやれみたいな雰囲気がアメリカだと感じれるというか、ある意味みんな好きに生きていいよっていう国なんで。そういうのがよく分かりますね。
タツヤさん、ちゃんと家事やってる?
いや、たぶんね3、7ぐらい。自分が3ぐらい。
1:03:02
でも、たぶんタツさんの感じの通り、3でも多いというか、普通にサラリーマンで働いてる方よりはやってるぐらいの感じだと思うんですけど。
俺ね、今お話聞いて目から鱗だなと思ったのが、やっぱり10ゼロを1回しないとフィフティフィフティできないっていうのは本当そうだなと思って。
結構俺もやってる方かなと思ったけど、絶対抜き落ちてるなと思うし、俺絶対正規を設けちゃって、そこはノータッチにしよって、あえて目つぶってるところとかもあったから、確かにそうだなと思ったなっていうのと。
うちちょっと特殊だからね。家事と会社経営がバランスが、水と油の状況で、家事が増えれば会社が減るし、会社が増えれば会社が減るしみたいな、そういうところで夫婦のバランスがいるんで。
うちの場合はちょっと特殊かなと思ったりもするんですけど、でもちょっとやってみたいなと思う。
日本にいながらも、でも田さんのお話聞いててなんかできることあるかもしれないなってちょっと今お話を思ったのと、ちょっとやってみて俺もかっこいいなと思ったんですよ。今の話聞いて。
1週間妻がね、学会に行くってなった時に、子供を2人と僕とで、1週間過ごさなきゃいけないっていう時が来るじゃないですか。
家出る前に妻がね、ご飯を冷凍庫に入れててくれたり、あえてバッティングする日に関してゆりかさんの友達の人が迎えに来てくれるようにしてくれてたり、
土日は友達の誕生日パーティーに行けるのを組んでたりとかして、レクリエーションまで準備してくれてるんですよ。その時にあれ、僕10じゃないなってそこでまた思っちゃう。
だからじゃあ僕が1週間出張に行く前に子供のためのご飯を作って冷凍庫に入れてたことありますか。子供が学校が終わった後に行くレクリエーションの場所とか習い事の場所とかのセッティングをしてそこに行けるようにしてたり、
僕が迎えに行く時間を妻以外の誰かに手伝ってもらうようにセッティングしたりとか、万が一のために連絡先ここのこことか、僕の友達がそこにサポートしに行くってことをしたことがありますかって言われた時に、もうそこ違うじゃないですか。
1:06:05
いやいや、グーの音も出ないってなりそうな気がしますね。
でもそこって、そこなんですよ。そこもう決まってんすよ。無言のうちに女性がやることだっていう風になってることが結構いろんなとこにあるんですよ。
その分ね、男性の方にも男だからこれしなきゃいけないとか、女性の無言のプレッシャーでやってる仕事が男の人たち何かっていうと、実は会社のためにこれをしなきゃいけないとか、社会のためにあれをしなきゃいけないとか、
それに子供とか家族を言い訳にしてはいけないとか、飲み会に出なきゃいけないとか、実は男の人もそれ縛られてて、これ解けば実は本当に助かるのって、自分の家族だったり自分だったりするのに決められたものにね。
やっぱり今テレビとかも問題になってますけど、テレビとかの中枢で情報操作してる人たちのすごい重い責任があるなとは思ってます。僕はあれから解放されたのはおっきかったかなと思って。
何が正しいのかっていうところの次元までいくかなと思うし、メタ認知っていうところでいろんなところを見ることによって自分の立ち位置が明確になってくるみたいな考え方からすると、
今たくさん言われたようなことっていうのは、本当に自分自身がちょうど中心というか、フィフティフィフティというか、そのところに偏ってない位置になるべくいたいなっていうふうに思ってる人がたぶん出てくると思うんですよね。
メタ認知すればするほどというか。だからそのやり方も含め、すごいこういう考え方があるんだなと思ってずっと聞き入っちゃってますけど。
もう一つちょっと一パンチを入れさせていただくと、スウェーデンの愛の形なんですけど、僕最近科学系ポートキャストの中でこんな愛の男って呼ばれてて。
たくさんあの愛の男入りましたよねとか言ってて、僕は愛の男っていうニックネームがついて面白いなと思ってるんですけど、スウェーデンの愛の形っていうかスウェーデンって世界幸せランキングみたいなやつやると1位の国なんですよ。
社会保障とかがすごいいい国の裏側みたいな映画がありまして、スウェーディッシュセオリーオブラブ、愛の理論ってことなんですけど、結構面白いドキュメンタリー映画だったんですけど、スウェーデンってその幸せの国。
1:09:21
デンマークは2位で、スウェーデンとかデンマーク、北欧が幸せな理由は何だろうかみたいな、最近日本でも特集とかされてるんですけど、学生がこちらに来てたり、実際ズームとかでスウェーデンの方とお話しさせていただいて、実際そうでもないよっていうところがあって、
その中の出てた制作で面白かったのが、社会保障をして女性が1人でも子どもを育てられるような社会福祉を作りました。
例えば日本でも考えてください。シングルマザーが何の心配もなく子どもが育てられるぐらい、子どもの学費もただ、子どもの生活費もただ、そして1人で育てるお母さんが必ず会社に入ることができて、
しかも正社員として入れて、年金とかもしっかり受けれて、1年間子どもを産む休暇の間もお金が出て、そして復帰した後も必ず就職できて、必ず同じ立場以上のキャリアが与えられて、安心して暮らせる国になるとするじゃないですか。
何が流行ったと思います?びっくりしますよ。選択的シングルマザーっていう人たちが増えたんです。
精子バンクに行き、自分好みの精子を探し、イケメンで学歴が高くて医学部の学生で、みたいな精子を選んで、そして子どもを産むわけですね。産んで、そして育てていく方がいるんですよ。
お父さん欲しくないですか?みたいなインタビューに対して、私は男の人に恐怖心があるとか、家政婦みたいに使われている友達を見て幸せには思えないし、自分のお母さんがそうだったからそれが見えないとか言って、だったらでも子どもは欲しいし、子どもは幸せだし、
国として首相みたいな方が喋ってるのも不思議なんですけど、人が足りなくなってくる。少子化の未来は見えてると。そこに外国人の方に来てもらってスウェーデンっていう国を支えてもらうか、
シングルでもお母さんが育ててもらって、ちゃんとスウェーデン人、歴史としたスウェーデン人を育ててもらって人口を支えてもらうか、どっちがいいかで、僕たちはこっちに家族を切りましたって言ってて、結構強い人種差別があるからこそできる。
1:12:05
そうか、そういうことか。
わかります。スウェーデンの志向性みたいなやつを調べたデータだと、スウェーデンって北欧の中でもそういう社会的な責任みたいなやつと人種差別っていうか自分たちの人種を守るみたいな意識高いんですよ。
日本にそっくりで日本もその似たようなデータがあって、日本人だからとか、これが日本人だみたいなこだわり強いんですよ。
で、例えば老後には日本人の人にヘルパーさんになってほしいとかね。
子供産まなかったんだから、少子化対策しなかったんだから、解決させなかったんだから、外国人の家庭に背負わされる未来が来ても当たり前じゃないですか、受け入れなきゃいけないと思うのに、いやそれは嫌だみたいなことを言ってたりするんですよ。
それに似てて、でも僕が思ったのが男の人いらないよっていうその女の人たちの意見が、もし日本にその社会制度やったら熟年離婚の方とかいらしてますよね。
その旦那さんがチャブ大ひっくり返すとかっていう時代もあったと思うんですけど、結構理不尽なこと言ってる人にお金稼いでるからしょうがないからそばにいたとか我慢してたっていうのがあって、
スウェーデンみたいな社会福祉があったら本当にシングルで育てたいっていう人たち増えるんじゃないかなって、ふと思ったんですよ僕は。
愛があるのが当たり前の2人にも聞いてみたいんですけど、どう思いますか、そういう時に私はそれでもあなたといたいって言われる旦那であり父親でありたくないですか。
ありたい。ありたいですね。あるように勤めてきてるつもりですけれども、どこまでたいてるかどうかわからないですが、一緒にいるというか。
うちちょっと特殊なので、勤め先一緒ですし、ずっといるんでね、当たり前のような感じはしてるところにアグラを描きたくないな感はありまして。
すごいよね。
だからどこまでできるかな。
どこまで彼女に対してサポートはできてるかなと思うところもあるんですけど、たとえばなんですけど、うち娘が一人おりまして、娘のことはたぶん何でもできるつもりではいるんですよ。
1:15:06
今9歳なんですけど、今の現在の段階だったら困ったことがあった学校の準備から、朝の行くときの身近から全部できるつもりではいる。
だけども、そこに注力しながらなんですけど、バランス?なんて言えばいいんだろう。
一生懸命やることはできるんだけど、そこに対しての満足度が果たして彼女にとっては高いのかどうかは、正直あったりする。
けど自分自身の慰めのところがあるような感じがして、娘のことだったら何しようも問題ないぞと、これだけは声を大にしているぞみたいな感じのところで、心の担保というか保険をかけてて。
だから大丈夫なんじゃないの?みたいなことを言い訳がましく言ってる感があるかな?なんてこの頃思ったりもしたりしますね。ちゃんと今の話聞いてちょっと背筋がゾクゾクとなりましたね。
いやいや、ミオパパさんはラジオとかで聞いてる感じで、すごいいい関係性作ってるし、いい父親になろうっていう意識が高い方だと思うんですよ。頑張ってらっしゃると思うし、それって幸せとして自分に帰ってくるから、そういう幸せ感も僕感じるんで、いいと思うんですけど。
そしたら社会を全部を変えるんだったら、日本も思い切って、女性が一人でも暮らしていけるような社会福祉っていうものを高めていけばいいと思うんですよ。一方で、年をとった男の人たちが牛耳ってる社会って、自分をチヤフヤされなくなる社会が怖いんですよ。
女性に立場を上げたら、真っ先に自分を批判してくるだろうと。だから日本っていつまでも女性に対する社会福祉が高まっていかないし、いつまでたっても派遣社員で扱われる女性が多いし、
性的サービスみたいなものの女性のものも、すごく力が強いっていうか、大きなマーケットをいつまでも維持してる。なんかね、なんか歪んでるなっていうのはすごく感じます。
海外でいるから、うささんがそこから見てるからこそ見えるところがそういうところがあるんだなっていうのが今お話聞いてもわかる感じがしますね。俺ら多分普通に生活しててもそこまで気づきづらい環境にいるなと思いました、今。
1:18:05
17年目なんで息子が18歳。今年19歳になるんですけど、娘が14歳なんですね。一番下は8歳なんですけど。18歳の息子が日本に行きたいって言ったら、僕はどうぞ行けと。日本語も十分喋れるし、英語はもうすごい喋れるわけですから、日本で絶対活躍できるし、大学生として行っても社会人として行ってもみんな大事にしてくれるよと。
こんなに綺麗に敬語を使えて英語も使える人が日本だったらすごい役に立つと思うし。ただ、社会が違うっていうのは知ってて惜しいし、アメリカで女性を扱うように日本で扱えば女性の人たちはすごく驚くだろうと。こんなに大事にしてくれるのかと。
でも、そういうふうに育った息子なんで、全然喜んで行ってくれるって感じなんですよ。ただ、うちの娘が行きたいって言った時には、ちょっと待てと。
本当に男女平等の感覚で日本に行ったら、せっかくこんなに真っ直ぐ、男女平等で人に対して真っ直ぐな気持ちで向き合える、上下関係とかパワーホラーとかにもビクビクしないで、ここまでのびのびと育ってくれた娘が傷つく場面が至るところにあるなと思うので、日本で働くのは僕は勧めないよということを僕は言っちゃうと思います。
日本のニュースを見るだけでもものすごく傷つくことが、特に女性の立場としてこんな国だったの、こんな国だったのかっていうところがいっぱいあると思うので、そうすると娘には日本で暮らすっていうのはやめたほうがいいんじゃないのって僕は今ね、父親として本当に娘の将来考えると考えちゃいますね。
そうです。今実は日本からカナダへの移民っていうのはめちゃくちゃ過去最大に増えてるんですよ。
へー。
はい。で、カナダは優秀な人しか取らないので、結構高学歴な人とか高収入の人がカナダに来てたり、アメリカでももちろんそういうふうになるんですけど、優秀な女性がどんどん去っていく国になっちゃうかなーって思ってます。
ちょっとずつ、ちょっとずつでも変えていこうっていう流れにはなってきてるのかな。まあそのスピードは遅いでしょうけど、たぶん今から20年前、30年前よりとはまた違う世界には今なってるのかな。
世界標準までもちろんいかないけれども、ちょっとずつだけどマシになってるかな。いざドメスティックにじゃないけれども、パッと変わる感じにもなかなかなりづらいところではあるんですかね。
1:21:16
そもそもでもこういうシステムになってるのも、さっきおっしゃったけど戦争があって、国民全員が乗ってかかっていかなきゃいけないよっていう時代のシステムがそのまま残っているという状況になって、それを劇的に変えるような社会的ショックみたいなことが起きない限り変わんないのかなと思ったりもしますね。
それかもう日本国人がいなくなるからぐらいですよね。外国人だらけになって。世界からそうやって見えてるんだって思うとすごいショッキングな話でもあるんだけれども、でも逆に改善点もあると思いながら、日々生きることも大事なことかなと思ったりもしたりして。
でも僕は古典ラジオっていうのは一つの光っていうか何か変えていくものなのかなって思いました。あれが支持されて多くの人が聴いてて、っていうのは何か大きく変わるものになっていくといいなと思って。あれが全てじゃないんですけど、その一つとして僕はファンなんですけど。
私もすごいいててと思いますね。
しざを高くできたような気がします。
もっと聞きたかったら、さらに低いしざのままにいたような気がしました。
最初のたずやさんの話の振り方から言うと、
あ、そっか。はいはい、了解。
今ね、もういろいろね、やっぱり長女がちょっと熱出したかなってね。
4歳、今度5歳なのかな。
ああ、かわいい時だ。大変な時だそうです。
ちょうどね、小学校上がる直前なんでね、やっぱりそうですよね、体力的にも。
竹下さんはみおちゃんだけ、一人ですか?
一人です、一人です。
なので、ようやく今度、今9歳で今度、今3年生なので、今度の4月で4年生の学年ですね。
まあでも、ようやくいろいろわかってきたのかどうかわかんないですけど。
僕も今8歳って言ってたこと。
ね、そうそう、8歳っておっしゃったから。
昨日も親友っていう字とか、漢字テストがあるつって教えてましたね。
そのくらいの漢字を勉強するようになったかなと思いながら。
いやー、本当に好きあらば、竹下さんそんなことないかもしれないけど、足元すくわれるような宿題が出てこなきゃいいなと思ってね。
1:24:01
お父さん大学院出たんじゃないの?みたいなこと言われるとちょっとやだなと思うんで。
どんな大学院だったんですか?
私は専門は、工学部の土木系です。
そうなんですか?土木工学。
うちの父親も土木工学で、ウォーターハンマーって言って、気液混送量の研究をしてました。
いや、私も思いっきり流体力学なんですけど。
流体力学なんですね。
そうですか。
いやー、本当に私今の職が水道管の設計なんですよ。
管破壊で、ユタ州で僕は生まれてるんですけど、その原因が、うちの父親が、ユタ州ってダムの建設とかのステージ。
01:24:54

コメント

スクロール