近藤淳也
っていうお名前で。
Googleマップで検索すると、なかなかの高評価の値が。
大野晋
そこは僕はあんまり気にせずに。
近藤淳也
そうですか。
名物は何ですかね、唐揚げですか。
大野晋
唐揚げですね。
やっぱりもう昼はもちろん定食で唐揚げ食べれますし、
夜は夜で単品で、名前がちょっと違って、
一応イタリアンのお店っていうふうにやってるんで、
ポロフリットっていうちょっとイタリア語にして。
物自体は全く一緒なんですけど。
ポロフリットっていうのはイタリア語で唐揚げなんですか。
ポロっていうのが鶏肉、
で、フリットっていうのが揚げ物みたいな感じなので。
僕もちょっと不確かなまま使ってたんですけど、
これもイタリア人のお客様が来てくれあったときに、
合ってるって聞いたら、合ってるって言ったので。
大丈夫でした。
一応こう聞いたんで。
聞けば聞けば。
あ、そうなんすね。
それで全然いけると言われたので。
近藤淳也
まあね、唐揚げのいろいろメニューがありますし、
他も定食も結構ね、割とボリュームがあって。
大野晋
そうですね。
やっぱりお腹いっぱいになってもらって、
あまり時間がかからずに提供できるっていうのがベストかなと思うので。
値段に関してはね、最近も物価の高騰もあって、
なかなかすごく抑えて提供するっていうのは難しくなってきてるかなとは思うんですけど、
それでも変わらずに来ていただけるお客様が多いので、
喜んでいただいてるのかなとは思いますね。
近藤淳也
そうですね。全然リーズナフルだと思いますし。
そうですか。
まあね、800円、900円とかで割としっかりした定食食べれて、
すごく重宝させてもらってますし。
だいたいね、唐揚げ以外のメニューもおいしいんで、いつも迷うんですけど。
個人的にはもう職場の横においしい定食屋さんがあるっていうのは、
かなり何も迷わずに扉を開けて、ちょっととにかく食べようかみたいになるんですけど、いつも。
大野晋
そうですね。周りにもあんまり競争相手というか、
フラッと入れるお昼食べれるとこっていうのがないのかなっていうのもありますし、
どうしても茶色いメニュー、揚げ物とかが多くはなるんですけど、
そういうのが好まれるのかなと思いますし。
大野晋
茶色いメニューっていうのにな。
メニュー、写真載せてるんですけど、
お世辞にもすごいカラフルやなとは言えるような感じではないんですけど。
確かに茶色系多いか。
揚げ物やったり。
揚げ物とかカレーもあるし。
カレーとかハンバーグとか。
色取り豊かとはとてもじゃないけど言えない。
近藤淳也
茶色系か。
なるほど、色で考えたことなかった。
大野晋
でもお客さんに聞いてると、
やっぱりお昼はそういう揚げ物系とかがっつりしたのを気にせず食べれるって言ってくれたよね。
夜ちょっと抑えたはる人とかでも、
その分お昼ちょっと揚げ物どうしても食べたいとかいう人が多いので、
まあまあいいのかなと思うんですね。
近藤淳也
僕も個人的には唐揚げ系とか、あとはルーローハンとかね。
大野晋
そうですね。
カレーとか、その辺のヘビーローテーションとか。
何でも作りはんなってイメージです。
牛島悠紀
ジャンルが幅広いっていうか。
近藤淳也
ここでなんかあれですよね、近所で建築現場とかが始まると、
大野晋
そういう人しか来てません。
近藤淳也
やっぱそれがっつり系食べたいみたいな感じですかね。
大野晋
そうですね、ご飯もおかずも両方お盛りにしてくれて。
お盛りは無料なんでしたっけ?
お盛りは、昔はご飯はお盛り無料やったんですけど、
先ほども言ったように、物価がちょっと、
仕入れ材料費がちょっと加算できてるので、
ご飯のお盛りもちょっとプラス50円とか、
おかずのお盛りも200円、物によってはプラス300円っていう風にさせてもらってて、
その辺だけちょっと。
ただまあ、でも大盛りにしなくてもお腹いっぱいになるんじゃないかなとは思うので。
牛島悠紀
結構ご飯があるから。
近藤淳也
結構女性の方はね、ちょっとご飯少なめで。
大野晋
そうですね、女性はご飯少なめって言われる人が多い。
近藤淳也
最近パーセンテージ指定する人結構多い。
大野晋
慣れてきて、60パーでとか。
ご飯7割とか言われる。
牛島悠紀
刻むなーみたいな。
感覚が色々。
近藤淳也
そして夜はイタリアンですけど、
イタリアンの方の名物というかおすすめは何か?
大野晋
そうですね、やっぱりパスタを食べていただけたら嬉しいなっていうのがあって、
作るのも僕自身楽しいですし、
おいしいもの作れるっていう自信がある程度あるので、
そうですね、パスタ。
メニューも一番パスタが種類多いんじゃないですかね。
十何種類とかちょっとあるので、
ベーシックなカルゴナーラとか、ペペロンチーノとか、ハラビアタとか、
ある程度誰もが知ってるようなメニューから、
ちょっと独自でやってるちょっと変わったメニューも色々とあるので、
あとは、慣れてこられたらトマトソースって書いてあるけど、クリームソースにしてほしいとか。
慣れてこられたら。
そういうのも言っていただけたら対応できるときはするので、
近藤淳也
やることが限られてる中で工夫、
パッと工夫するやつのほうが、
大野晋
意外と面白いみたいなのがあるんかなっていうのは、
近藤淳也
似てるかもしれないですけど。
大野晋
そうですね。
そうですね、食材持ち込まれて、
これで何かしてって言われてる人は似てるかもしれない。
そうですよね。
牛島悠紀
確かに。
すごいな。
大野晋
なるほどな。
近藤淳也
え、なんかどんなお客さんが嬉しいですか?
どんなお客さんが嬉しい?
大野晋
最近楽しくなりました?
最近…
そうですね、でもやっぱり常連さんと、
なんかワイワイ喋りながらやってるのが、
いい意味で仕事をしてるっていう感覚を忘れちゃうので、
すごい楽しくその時間を過ごしてるかなって思いますね。
近藤淳也
なるほど、なるほど。
じゃあカウンターとかに座って、
大野晋
ちょっと喋りながら食べてくれる常連さんとかが、
近藤淳也
やっぱり大野さん的にはこう…
大野晋
そうですね、はい。
でもこれもわがままなんですけど、
それが1日に何組もおられると、
ちょっとこうあっち行ってることやってなきゃいけないので。
牛島悠紀
そうですね。
大野晋
それはそれで、はい。
牛島悠紀
まあね、一応レストランだからね。
大野晋
そうですね、はい。
バーッとかで楽しいみたいな。
近藤淳也
まあ確かに料理作り続けないといけないから。
大野晋
ずーっと喋り続けてるみたいな。
そうですね、はい。
近藤淳也
そうですね。
そうか。
じゃあ適度に喋り合いてみたいな。
大野晋
そうですね。
近藤淳也
人がいてくれると心の支えになるみたいな感じなんですか?
大野晋
僕は喋るの好きで、
どうしてもこう時間が経つとのめり込んで熱中しちゃうので、
他のお客さんをこう置きっぱなしにしちゃうって感じになるときもあるので、
そこがちょっとこう自分のコントロールですね。
喋りたい。
この人ともうちょっと喋って楽しみたいっていうのと、
やっぱこう他のお客さんも何本料理か全部出て、出終わって、
あとゆっくりしてやるときにやったとしても、
近藤淳也
やっぱちょっと気にかけたほうがダメですし。
大野晋
僕が気ぃついたら集中しすぎてたっていうのはあります。
近藤淳也
全然そんなね、ちゃんとっていうか、
そんなずっと喋って何もしてないみたいな、
あんま見たことないですけどね、大野さんの様子みたいな。
牛島悠紀
だから適度にお話しされて、
基本はずっとこうね、集中して喋るイメージ。
大野晋
そうですね。
オーダーがあるとやっぱりそっちをどうしても優先、
どうしてもというか、もちろん優先にしますし、
何もなくて、
近藤淳也
ジョーレンさんが育ったら、やっぱ喋りますし。
やっぱでもそうなんや。
そういう喋りたいっていうのがやっぱあるんですね。
大野晋
ありません。やっぱしかも今どうしても一人なんで、
喋る人もいないので、
やっぱジョーレンさん喋れるお客様が来てくれると、
話したくなりますね。
なるほど、なるほど。
近藤淳也
これいいこと聞いた。
大野晋
これ聞いた人はかぶらないようにしつつ、
近藤淳也
大野さんにたまに喋りかけて、
たまにこの肉ちょっと料理してくれる。
牛島悠紀
それは肉持ち込むの早いと思うんですよ。
困るかもしれない。
大野晋
僕自身もね、癖が強いんで、タイミングがこうね、あると思うんですね。
牛島悠紀
そうかなと思って、持ち込んだらあかんかなって思っちゃいます。
大野晋
今日機嫌よさそうやなって思ったら。
近藤淳也
じゃあちょっと大野さんの料理人人生を聞いていきましょうか。
どんなふうに始まったんですか?
大野晋
そうですね、料理人を始めた、
まずそもそも小さい時に、
母親が台所に立ってる、
母親が台所で一緒に立ってるっていうのがなんか好きで、
なんかやりたい、なんかやりたいって言って、
何をしたかは覚えてないですけど、
なんかそういうことをしてたなっていうのは記憶にあって。
何歳ぐらいですか?
何歳ぐらいですかね、本当にそれこそ、
顔がやっと台所から出るぐらいのときじゃないですかね。
小学生とか、軽学年とか。
近藤淳也
そうですね。
やっぱり興味あったんですね。
大野晋
何ですかね、今思えばそういえばそんなことしてたなって思いますね。
手伝ったりとか。
そうですね、今思えばようやらせてくれたなと思いますし、
そんなにね、小さい子に触らすとか、もしや包丁を待たすとかっていうのは、
そっからなんかこうちょっと興味があったのかなって今思えば思うんですけど、
一番のそのきっかけっていうのは、
二つありますね、要素っていうのは。
一つは中学校のときにすごい仲のいい友達に出会えて、
その彼のお父さんがイタリアンのオーナーシェフをされてるっていうのを聞いて、
中学2年生のときにその友達が、急に2週間ぐらいですかね、
学校休もって言い出して、しかもテスト前やったんですよ。
なんで?って聞いたら、いや、ちょっとイタリア行ってくる。
大野晋
衛生面とか、いろんなも学んで調理師免許をもらえるっていう学校があったんですけど、
免許はいるのかなとかっていう疑問やったり、
和食は特にしたいと今は思わないしなっていうのがあって、
その学校説明会っていうのにすぐ申し込んで行って、
思ったこと全部言ったら、でもイタリアンやりたいって言うんやったら、
イタリアンとフレンチだけしかやらないコースがありますよっていうのを聞いて、
で、その調理師免許っていうのは持ってても損しないけど、
将来自分で店をするときに免許がないとダメっていうルールはないから、なくても大丈夫。
お店やりたいんだったら、保健所行って講習1日受けて合格したら、
お店できる権利というかっていうのはもらえるから、免許なくても大丈夫っていうのを聞いて、
もうそれでその日に決断ですよね。
もうここに行くって決めて。
で、家帰って親にこうこうこうやったし、ここ行きたいって言って、
で、親も今思えばすごいありがたいですね。
買ったって言って、もう何も聞かずにOK出してくれて。
近藤淳也
すごい。結構早い時期にもうじゃあ割と一直線の感じですよね。
大野晋
そうですね。
近藤淳也
ちなみにそのサッカーの前に食べてたパスタはおいしくなったんですか?
大野晋
おいしくならなかったです。
近藤淳也
ならなかったんですか?
大野晋
ならなかったですね。
カルボナーラとアラビアータをやったんですけど、
カルボナーラは数回しましたね。
で、アラビアータやった時に、
なんでかわかんないですけど、
にんにくと唐辛子炒めてトマトホールをぶち込んだんですよ、フライパンに。
その時にすごいその熱気と多分唐辛子の辛味要素っていうんですかね、
ふわっと上がってきたのを思いっきり吸い込んだんですよね。
で、喉と鼻がやられたのか、
翌日すごい風邪っぽくなって、めちゃくちゃ熱出たんですよ。
多分関係ないと思うんですけど、
僕の中で当時はそのせいやっていうのがあって、
なんかそっからちょっとトラウマになって、
なんかあんまり作らなくなったって思いますね。
近藤淳也
そうなんですか。
じゃあ特にサッカーのパフォーマンスが。
上がったところで。
大野晋
それで一気に上がったりとか。
近藤淳也
そうなんですか。
大野晋
そうですね。
近藤淳也
でも本買ってやろうっていうのが、なんかやっぱ向き合い方がね、ちょっとやっぱり。
なんか親にやり方聞いてちゃちゃっと作ってみたいな。
大野晋
なんか親がパスタを作ってたっていうのがあんまりなかったので、
当時インターネットとかもそんなもん調べるのもなかったですし、
周りに料理してる人なんかいないですし、
なんか本屋があったし、本屋行ってっていう感じでしたね。
近藤淳也
なるほど。
じゃあその料理学校に行くって言って、
大野晋
ご両親はどうぞって感じだったんですか。
分かったって言ってくれましたね。
どうやったら入学できるのかっていうのを今度調べて、
簡単に言うと早いもん勝ちみたいな感じだったんですよ。
で、学校の先生からその推薦書みたいなのだけ書いてもらって、
受付開始の日に出したらほぼ間違いなく入学できるって言われて、
近藤淳也
で、出したら内定みたいなのが届いてっていう流れでそのまま行きましたね。
大野晋
なるほど。
学校の先生はめっちゃ反対されましたよね。
そうですか、高校の先生に。
高校のサッカー部の顧問と他のいろんな教科を教えていただいた先生方。
担任の先生だけはすごい僕の味方じゃないですけど、
立場に考えてくれて、
最後手紙くれたんですけど、
自分の信じた道を進めなさいって目指せ一流シェフって書いてくれました。
牛島悠紀
いい担任の先生や。
近藤淳也
そういう信じてくれた人は嬉しいですね。
大野晋
そうですね。
近藤淳也
じゃあ、あんまりその料理学校に住むっていうのが高校でもいなかったところですか、他には。
大野晋
そうですね、他も後で聞けば一人いたらしいんですけど、
これ自分で言うのもあれなんですけど、僕結構成績良い方やったんですよ。
そして推薦とかで大学行けるっていうのがあって、
当時その和世田とか明治で関関道立も一人ずつ行けたんで、
そんだけ取ってるんやったらどこでも行けるし、大学行ったらって言われて。
牛島悠紀
それで反対されたっていう。
大野晋
で、サッカー部の顧問の先生がうちに電話かけてきて、うちの母親に大学教に説得していいですかって言ったらしいんですけど、
母親はいいですけど、たぶん聞かない数字残ってる。
近藤淳也
そこまで信頼してくれたんですね、でも。
その親がどうっていうよりは、本人が決めるってことですよね、その言い方はね。
大野晋
ただやっぱり親ももしかしたらもったいないなって思ったり、大学行ってくれたなって思ってたかもしれないですけど、
そこは本人がそれやりたいって言ってるからやらせてくれたのかなっていうのは、
当時はそんな何もね、子供なんで分かってないですけど、今思えば、
まあ親が思い描いた通りには僕、行ってないやろうなと思うんで。
今ですか?
いやいや、いろんな大きな決断の時に、
こいつどういう決断すんねんっていう感じの子供やったらなと思いますけど、
それを何も言わずに、「そうか、分かった。頑張るや。」って言ってくれた親っていうのは、
僕は今になってむちゃくちゃ感謝してますね。
牛島悠紀
すごい。
大野晋
いい話やな。
で、その専門学校も1年間、1年間だけやったんですけど、
本当にフレンチとイタリアン、フレンチ7割、イタリアン3割ぐらいだったんですかね。
牛島悠紀
フレンチの方が7割。
大野晋
そうですね。フランス料理が結構メインでやってるとかやったんで、
それにどうせやったら西洋料理なんで、イタリアンも今人気やし、一緒に学びましょうみたいなんで。
そんな感じやったんですね。
本当に専門学校と違くて、実技的な時間がほんまり8割9割の学校で、
先生が作ってんの見て、要点やったり注意点とかをメモって、
次自分たちで同じようなものを作るとか、
なんかそんなばっかりやってたので、それで1年ですね。
でも僕はその時に就職先っていうのは、その友達の親父のお店っていうのをもう決めてたので、
決めたんですかね。
で、もう進路指導室行って、求人来てないか探すんですけど、やっぱ来てなくて、
そこはもう友人がいるっていう強いそのコネがあるので、
ちょっと親父に求人出してって言ってって言って、
それでかわかんないですけど、その年初めて僕が就職したかったところから求人が来て、
で、僕は友達に言ってたんで、ここに行きたいねって言って、
そしたらその友達が教室バーって走ってきて、
大野君どこどこから求人来てるよって教えてくれて、
で、そのままその日の放課後に指導室行って、求人見て、
で、いろいろ調べて、で、電話して、
会社訪問の予定つけて、っていう流れでもうぼーっと行きました。
近藤淳也
え、そうやってやっぱ学校通したほうがいいんですか?
大野晋
そうですね、一応形式上通したほうがいいのかなとは思いますね。
近藤淳也
でも大野さんが言ったから求人が来たかどうかわからないんですか?
大野晋
それはわかんないです、わかんないです。
近藤淳也
今でも?
大野晋
聞いてないです。
近藤淳也
あ、そうなんですか。
でもそのお友達のお父さんがされてる、
イタレ料理屋さんに就職されてた。
大野晋
そうですね、はい。
会社訪問行った日に、
大野晋
なんで合わせなあかんねんって思ってた時もありますけど、
やっぱりそう今は流れを読んで、
若い子にはそういうふうな接し方をしないとあかんのかなっていうのをやっぱり感じてきてますし。
牛島悠紀
なんかこうね、ちょっと若い時って、
怒られるっていうのもあるけど、ちょっと観光的にもなったりしません?なんとなく。
近藤淳也
しますします。夜2時になったりとかね。
全然なんもできない。
牛島悠紀
今思うと、もうすげえダサいなとか思うけど、
やっぱりそういうコミュニケーションってすごいあったのかなと思うんですよ。
年上の人にすんごい怒られるし、
それはもうなんか、やっぱり今になったらあの時怒られといてよかったっていうのもあるし、
その時に顔を出せた自分もいるしみたいなんで、
なんかやっぱりこう、そのコミュニケーションで自分が成長していけるのかなみたいな。
それ今なんかやりにくい時代なのかなみたいな。
怒られたらやめちゃうとか、なんか怒ったらあかんのかなとか。
大野晋
そう、なんか怒るってのがあかんみたいですね。
牛島悠紀
もう今後なんか言ってこーへんとか、そういう感じの時代なのかな。
大野晋
店自体、会社自体が怒るとかっていうのをするなって言ってるところもあるって最近聞いたんですよ。
例えば何か昨日の夜にやりっぱなしで帰ったスタッフが行ったら、
次の日来た時に、お前昨日これやりっぱなしで最後までちゃんとやらんと帰ったやろって言ったら、
あーもうめんどくさい、もういい、もういい、もういい、みたいな言う人がいて、
いやちょっと待てよって、お前それはあかんやろって言ってたら上の人が来て、
お前もう言うなって言われる。
近藤淳也
言うこと自体がダメです。
大野晋
それを見たやつが、ほなもうやったらいいやんってなるみたいですよ。
その、ちょっと待って。
どうなってんの?
近藤淳也
言い方として、たとえばその感情的に強めに怒るとかしない方がいいっていうのはまだわかるんですけど、
その事実として、ちゃんと片付けしてから帰りましょうねっていうのは、なんか言った方がいいじゃないですか。
大野晋
それはどうしたらいいんですか?
わかんない、そこは。
牛島悠紀
やり遂げるっていう。
大野晋
それは、いや別に怒らなくてもなんていうのかな、そのやり方は教えたいですよね。
それができるようになってほしい。
聞いたんですけど、厳しく言ったんじゃないのって言ったら、
いやいや、普通に昨日出てたし、それは片付けて帰らなあかんで、みたいな感じで言ったら、
言われた方が、いやもうめんどくさいめんどくさい、もういい。
言われるのがいいやんって。
牛島悠紀
めんどくさいっていうのを言っちゃうっていうか態度に出しちゃうんですね。
大野晋
そうです、はい。
わー。
僕若いときそんなもう、何も言えないぐらい叩きのめされてますから。
牛島悠紀
言い返す。
大野晋
みんなこう通ってきてる道なんで、こう言ったらこう言い返すっていうのがわかってるんですよね。
だからそれが言えないぐらい言われるんですよ、さっき。
牛島悠紀
あ、なるほどなるほど、もう言ってくれやろうなって思うところも、
大野晋
もうすいませんしかない。
牛島悠紀
認められる。
大野晋
認めざるを得ない環境。
近藤淳也
なるほど。
どっちもどっちっていうか、なんか、なんだろうな、
まあ伝えるべきことを伝えるプロトコルは欲しいですけどね、
なんかまずい、怒らなくてもいいけど、
近藤淳也
昔から興味があったんですか?
大野晋
いや、昔はなかったですね。やっぱり料理人になって、
いろんな先輩にご飯を買って連れて行ってもらったりとか、
昨日ここ行ってきましたって言ったら、どんなやつだった?
他にこんなん使ってたとか、どういうふうなやり方してあったとか、
先輩がグイグイ聞いてきてるんで、そういうところを見るんやと思って。
近藤淳也
どんどん人のやり方を吸収しようとする人とかがいるんですね。
大野晋
せっかく食べに行くんやから、勉強してこなあかんでって言われて、そうなんやって思って。
近藤淳也
なんかその、僕全然すいません、料理しないんで、ほんとに素人質問なんですけど、
料理の作り方っていうのは、なんていうんですかね、全然まとまってるものじゃないんですか?
ありとある作り方があるっていうか、言ったらおいしくないのも含めたらどんだけでもあるじゃないですか、作り方なんて。
そのうち、まあまあ、それなりに味になるようなものの作り方っていうのは、
どっかに本とかで体系だって納められてるのか、
いや、そんなのはほんとに代表例だけで、ほとんどレストランとかで出てるレシピは、
大野晋
全部違って、どこにも調べても出てこないみたいなものがほとんどなんですか?
いや、今、たぶんレストランとかでやってるのは、専門書とか見たらたぶん出てると思うんですけど、
いろんなことやってると、なんとなく共通してることとかは出てくると思いますし、
あとは細かいところは、自分次第でやったり、やってる人がちょっとずつアレンジしてるとかっていうのがあるんで、
どう言いたいんですかね、
作り方がこれしかないっていうのはないと思ってて、
これとこれとこれを入れないと、この料理名は歌えないですよっていうのがあっても、
いろんな作り方があると思ってて、
で、その中でじゃあどうするねって言ったら、こういうふうな作り方したら、
違う状態のものが出来上がるとかっていうのはダメだと思うんですけど、
作り方ってほんとに人それぞれなので、ある程度ベースがあった上で、
大野晋
そうですね、だから決まった作り方っていうのは、
近藤淳也
デザートはあると思うんですけど、
大野晋
そうなんですか、どうして?
多分、デザート作りってほんとに分量数1グラム違うと違うものが出来るとか言われると思うんですけど、
僕はそれ以上に、手順とコツさえちゃんとしてたらそれなりのものが作れるって思ってて、
ただそこを間違えると、ほんとに別のものが出来ちゃう。
デザートに関しては、2パターンある作り方もあったり、
大野晋
物によってはこういう作り方も出来るし、こういう作り方も出来るっていうのはあると思うんですけど、
だいたいもうほぼほぼみんな決まってるっていうのはベースのもの。
例えばスポンジケーキっていうのはこういう風に作るとか、
っていうのはあるんじゃない?僕も詳しく学んでないので、
ある程度あるんじゃないかなと思います。料理よりは。
牛島悠紀
確かにそう、そんな気がします。
近藤淳也
それに比べて、じゃあ料理は割ともっと自由っていうか、
大野晋
そうですね。
近藤淳也
いろいろアレンジが効きやすいっていう。
大野晋
途中に修正も出来るんで、料理は。
近藤淳也
なるほどな。
大野晋
その人、だからすごいいろんなポイントを作ってくれた。
近藤淳也
ほんとですね。
で、もうじゃあ独立しようってなったんですか。
大野晋
そうですね、それで偶然家も近かったですし、面白そうやなっていうのもあって。
近藤淳也
それまでは自分のお店持つこととかは検討されたりとか動いたりとかは?
大野晋
一応思ってましたけど、全く具体的に動いたり物件探したりっていうのはしてなかったので、急ですね、でも。
近藤淳也
なんかお店を持つのってだいたいされるんですか?皆さんってその料理される方っていうのは。
大野晋
そうですね、僕が働いてた環境で仲良くなった人らはやっぱ自分でやるっていうのを目指してる人が多かったですね。
結構あの、個人店、いわゆる個人店ですよね、ホテルとか大手のその企業で何店舗も出してるとかっていうところで働いてる人はあんまり僕知り合いなかったので、
個人のお店に入って修行してる身っていう人だと一緒じゃないですか、境遇というか。
なので、だいたいみんな自分で道でやるのをイメージしてやってる人が多かったので。
そうなんですね。すごいな。
近藤淳也
タイミング的には、だいたいそのオンさんぐらいの年齢で。
大野晋
結構バラバラですよ、もっと早い人もいますし、年齢もっと遅い人もいますし。
近藤淳也
何歳から何歳ぐらいなんですか?
大野晋
いや、でも若かったら25、6とかの人とかもいるんじゃないですかね。
40、回ってからの人とかも多分いると思うし。
大野さんは?
僕は3…
僕いくつですかね、3年前。
38とかですか。
37、8ですね。
近藤淳也
なるほど。じゃあまあそんなめっちゃ早いわけじゃないですかね。
大野晋
そうですね。そんなもんかなっていう感じじゃないですかね。
なるほど。
昔は若い時は早く出したい、早いほうがいいみたいな。
何でかわかんないですけど思ってたんですけど。
年いくにつれて焦ってもしゃあないしな。
早かったらいいっていう理由も見当たらないし。
誰かと競争してるわけでもないし。
自分がやりたい時に自分がやりたいようにできるのが勝ちやろって思ったんで。
まあ急がなくてもいいかなと思って。
近藤淳也
でも38でそういういよいよっていうのが来たんですね。
大野晋
そうですね。
近藤淳也
大丈夫でした?何か後悔してません?
大野晋
全く。やる始めたけど不思議と何の不安もなく。
そうなんですね。
近づくにつれて大丈夫かな、大丈夫かなって思うやろうなって思ったんですけど、
一切なくテンション高いままいけましたね。
すごい、そうなんですね。
そうですか。なるほど。
牛島悠紀
すごい、めっちゃ不安に駆られそうなイメージでしたもん。
大野晋
なんか全然なかったですね、それは。
牛島悠紀
すごいな。
近藤淳也
で、まあ会議をたとうじに審査ができたわけですけど、どうですか?
今3年半ぐらい経ってきてますけど。
大野晋
そうですね、まあ何かによって楽しいやってるかなと思いますね。
武器沈みはやっぱりもちろんありますし。
近藤淳也
まあね、結構開業直後からコロナですからね。
そうですね。
これもあんな風に全体で済むなんですけど。
なかなかなタイミングでしたよね。
大野晋
そうですね。
まあまあでも、やはりですけど協力金とかもあったので、
それまで本当に結構厳しい環境で休みがそんなにないっていう状況で働いてきてたので、
僕はすんなり今までの分のバカンスをドカッともらえたっていう覚でとらえて、
特に気が狂うこともなくはいけたかなと思いますね。
別に従業員を抱えてたわけでもないですし。
そうですね。
今までね、休みなくというかも。
牛島悠紀
なんか急に誰かが笑われて、やらへんかとか。
大野晋
そうですね。ゆったりとリフレッシュできましたね。
近藤淳也
だいたいこう、なんですか?
自分のお店を持つってイメージした通りに住んでるんですか?
なんか違うこととかありますか?
大野晋
それはまた違うところもありますし、
全部が全部思い通り行くとは思ってないので、
まあまあこういうことも起こるかとか、こんな感じになるんやなとか。
その時その時っていう感じですかね。
近藤淳也
なんか違ったところってどういうところですか?