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近藤淳也
塚田さん、いろいろな顔はお持ちだと思いますけれども、 自己紹介をお願いしますと言ったら、どういうふうに紹介されるんですか。
塚田亮一
大きく2つ活動していまして、1つは東京餃子通信という餃子メディアの編集長をやっていまして、
餃子の食べ歩きをやっているものです。 もう1つはITのお会社、アシアルという会社の
役員をやっていまして、そっちの方ではシステムを作ったり、開発ツールのビジネスをやったりとか、最近はプログラミングの教材とか、
近藤淳也
そんなことをやっているような会社をやっています。 アシアルさんの方も取締役でいらっしゃって、起業されてるんですかね。
塚田亮一
私は起業して10年ぐらいのところで、アシアル自体は20年ぐらいやってる会社なんですけれども、
10年目ぐらいに製品出すっていうタイミングで入ってきたものです。
世の中的には餃子の方っていう。 そうですね。ネット上は餃子の情報ばっかり出てたり、テレビとかにも出てるんで、
一般的には餃子の人間として、一部の領域でITの人間としてようやく認識してもらっている感じです。
近藤淳也
Wikipediaも塚田さんのページがあって、かなりテレビ番組にも今まで出られているということで、
塚田亮一
基本、餃子の詳しい人として声がかかる。 そうですね。餃子マニアとか餃子評論家とか、いろんな呼び方で呼ばれますけど。
今回は京都に、アンノウンに2回目ですかね。 そうですね。泊まらせてもらったのが2回目です。
ご滞在いただいてますけど、どんな滞在なんですか。 今回は京都大学の方の講座を1年間受けてまして、
それの終了式が昨日ありまして、その関係でやってきました。
そうですか。無事終わったんですか。 無事。結構大変なレポートたくさん書くような大変な講座だったんですけど。
近藤淳也
塚田さんが教えるんじゃなくて、勉強する方で通われてたんですね。 そうですか。なるほど。
塚田亮一
それは餃子とは関係ない。 そうですね。これはまたITとも若干、餃子とは全く関係なくてですね。
学校法人とか私立大学とかの経営に関するMBAっぽい講座でして、
ITの仕事の方で大学向けのシステムだったりとか教材とかっていうのをやってる関係で、
ちょっと経営のことも知っといた方がいいかなと思って、1年間勉強してきました。
そういう感じなんですね。本当に真面目な。 真面目な。
別に真面目じゃないとは思うんですけど。 餃子の方も本気にやってる。
近藤淳也
なるほど。しっかりお仕事もご活躍されてるってことで。
はい。じゃあそんな塚田さんですけど、どういう順番で聞いてるのか。
こうすっごい振り返って、老いたちから行くとどんな感じになりますか。
塚田亮一
そうですね。なんか餃子のことよく聞かれるんで、子供の頃とかっていうとですね。
うちの家、餃子好きになったっていうのもそうなんですけど、
うちの家が普通の、親は両方教師やっててっていう。
男兄弟で、僕長男、父男っていうのは家族構成だったんですけど。
どちらの地方ですか。地方はどちらですか。
横浜です。横浜でも田舎のほうだ。当時は山ばっかりみたいなところだったんですけど。
で、結構その家で餃子を作ってくれる家だったんです、母の家から。
餃子を皮とかってきて、たくさん作ってもらって、子供たちで包むと。
で、それをホットプレートでバーっと焼くっていうのを結構な頻度でやってて。
それが本当に食べるのも好きだったし、作るのが楽しかったんですよね。
近藤淳也
包むのが。餃子って小学生、幼稚園生でも全然包めちゃうんで。
塚田亮一
分量はよく間違いますが。
包むだけだったら。
なんでそれが楽しくて、餃子好きになったっていう。そんなような家で。
じゃあ、味とかいうよりも、その家族の思い出みたいな感じなんですかね。
その断乱だったりとか、包む行為自体だったりとかがすごい楽しかったしね。
近藤淳也
なんかいい話ですね。
塚田亮一
子供の頃の幸せな思い出みたいな。
なるほど。じゃあそうやって育って。
あとはもう野山で遊ぶだり、当時少年野球のチームに入ってたり、そんなような感じ。
どっちかっつったら体を動かす方が好きな。
近藤淳也
そんな場所があるんですか、横浜で。
塚田亮一
横浜も、今はもうだいぶ開発されちゃいましたけど、横浜の内陸の方ですね。
横浜の皆さんがイメージする、横浜港未来とかあんなのは、本当に一部だけでですね。
本当に未だに畑が広がってたりとか。
近藤淳也
今でこそ自然公園と呼ばれてますけど、当時はただの山林だったところ。
全部が自然でしたみたいな。
40年前はもう全部山林でしたっていうようなところに、がもう全然遊び放題だった。
塚田亮一
そんな感じでしたね、40年前は。
近藤淳也
横浜って聞くと確かに東海のイメージありますけど、じゃあ山の方で。
塚田亮一
そうですね。
だいたい小学校の時は野球か山入って虫捕りしたりとか。
そんな感じでしたね。
近藤淳也
そっからはどうなったんでしょう。
塚田亮一
で、中学入ってバレーボール始めて、それでもずっとバレーボール中高大学まで部活でやってて。
一応新学校に通ってたんで、大学も受験して入ったっていうような。
普通の感じの。
その頃は餃子要素もIT要素も全然。
近藤淳也
じゃあ一旦餃子を離れてるんですね。
塚田亮一
そうですね。
餃子の食べる比率は高かったとは思いますけどね。
なんですか餃子でなんかやってやろうとかっていうのも思わず。
中学生で餃子でなんかやってやろうと思ったらだいぶ変わってますよね。
飲食を目指すわけでもなく、普通の部活ばっかりやってる中学生、高校生って感じでしたね。
なるほど。
近藤淳也
で、大学を出られてお仕事を始められたのが。
塚田亮一
で、大学入って就職活動する前に、僕97年卒なんですけど、95年の終わりぐらいにWindows95って出たじゃないですか。
近藤淳也
分かります。僕も学生やってました。
塚田亮一
で、あれがもう標準でインターネットにつながるって言うんで、たまたまうちの親父がパソコン、それで話題になってるからって買って。
それまで全然家に、まあワープロはありましたけど、いわゆるネットワークにつながるコンピューターとかっていうのはなかったんで。
で、それで遊び始めたらなんかこれが面白いなっていうふうになって。
僕、当時会計学部だったんです。会計学科。
近藤淳也
会計学科。
塚田亮一
はい。小学部会計学科。
小学部ですね。
ドベンケイの学部にいて、体育会だったんで、そんなに勉強もせずですね。バイトか遠征に行くみたいな。
近藤淳也
じゃあ別に情報系とか、パソコンとかでもないし。
なんならそのコンピューターに触れたのも大学の演習とかでもないって。
塚田亮一
そうですね。大学の演習でもあったんですけども、本当にあれですね。ロータス123の表計算やるとか。
そんなのがあったんですけど、プログラミングとかはなかったですね。
で、インターネット触ったら面白いなと思って。で、なんかもうコンピューター、ネット系の仕事は今後来るだろうみたいな感じで。
なぜかその時に思って。で、ただ、文系で、オービーもそんなところに、部活のオービーもそんなところに就職してるっていうか、そもそもそんな求人がほとんどなかったんで。
で、昔ってこんな分厚い就職雑誌みたいな。
あれで、コンピューターとかインターネットとか言葉出てるところを調べて受けに行って、ような感じで。
で、就職はIT系のまだ上場してない会社に入ったんですよ。
で、それソリトンシステムズっていうですね、ルーターとかハブとかそういうネットワークのインフラやってると。
近藤淳也
すごい、文系の方なかなか行かない感じじゃないですか。
塚田亮一
そうですね。ただ、営業とか企画職みたいな感じで入って。
で、よく素人だったんで、インターネットとかでシステムって言っても、このインフラからアプリケーションからサービス設計までいろいろあるっていうことも知らないんですよね。
近藤淳也
まあレイヤーがいろいろありますけど。
ルーターって言うとだいぶ低レイヤーとかインフラに近いところですね。
塚田亮一
で、入ってみたら思ってたのとだいぶ違うなと。
近藤淳也
入ってから。
塚田亮一
入ってからIPアドレスだ、Macアドレスだとか、ネットワークのTCPIPだ、何だとかっていう。
そういう結構プロトコルベースの話でどれとどれは繋がって、この時にこんなモジュールが必要だからっていうのを見積もりに起こすのが。
ためにいろいろ覚えなくちゃいけないっていうのがあって。
近藤淳也
あれなんかYahooとかああいうの全然ないんだみたいな。
なるほどなるほど。
塚田亮一
感じで。
で、まあ仕事はまあそこそこ面白かったんですけども、これちょっと思ってたインターネットの仕事と違うなと思って。
で、もう一回なんとかならないかなと思って。
で、じゃあ、まあでもこちらまだね素人だし、営業経験始まったばっかりだし、どうしようかなと思って。
まあじゃあなんか専門家になればいいなと思って。
で、慶応のSFCの大学院受験して、もう一回入り直して、で2年間インターネットの。
まあそれもシステムの開発とかそういうのではなくて、
まあ今度はもうちょっとサービスレイヤーとかそっちに近いことがやりたかったんで、
インターネット上のコミュニティだったりとか、どうやってこう人と会わずに信頼関係結ぶんだみたいなことの研究をやってるところに2年間ですね入って。
当時でそんな研究室があったんですか。
ありましたありました。
ネットだけではない、まあ一応ネットワークコミュニティという研究室だったんですけど、
まあそのネットワークって別にインターネットに関わらず、リアルなネットワークとか。
なので昔からあるような村のコミュニティだとかいうのを研究されてる方もいるし、
それをインターネット上に持ってきた、当時で言ったらダウンロード、いろいろ、
ナップスターとか音楽のダウンロードできるような、ちょっと違法なやつとかもあったじゃないですか。
近藤淳也
P2Pというね。
塚田亮一
P2Pのサーバーのホストになる人は別に特に何の利益になるわけでもなく頑張ってそのサーバー立ててあげてるのは何でだとか、
あとはLinuxの開発のカーネルの開発はこういうふうにやってるけど、
この周辺で頑張ってる人たちはどんなモチベーションで頑張ってるかっていうのを研究してたりとか。
近藤淳也
なるほどね。確かにコミュニティですね。
塚田亮一
なのでそういうような研究をやってる研究室に入って2年間やってました。
それどなた先生は?
金子育養先生っていうですね。
本当にボランティアとかコミュニティとかそういうのの当時って、今でもそうだと思うんですけどトップの先生で。
あとは鈴木寛さんっていう。
その方ももともと通産省から来た先生なんですけども。
でも当時学校作りとかもやってたんで教育関係のこともやってるような。
幅広い分やってる。
近藤淳也
今でもリタとか言う言葉で使われてますけど。
ちなみになんでなんですか?
言ったら無償のっていうか。
塚田亮一
結局弱いネットワークだったりとかの繋がりの中で結局フィードバックをたくさんハブになるところっていうのは得られるんで。
実はすごい利益ではないんですけども。
便益がもたらされてるんだっていうような。
近藤淳也
人から賞賛がもらえるとか。
塚田亮一
賞賛もそうですし。
あとは頑張ってるっていうこの人を賞賛をするだったりとか何かの時に助けるだったりとか。
あとは自然発生的にそういうふうにネットワークの構造としてなっちゃうっていうことを結論に出されてる方もいましたし。
要はメッシュ型のネットワークの中でハブになってるところが。
これも単純なシミュレーションでやってて。
1個なくなったら他のところに集約をされててまた新しいハブができるとかですね。
なのでシミュレーション上のあることをやっていくとそういう動きになっていくっていうのもあるし。
近藤淳也
なるほど。
例えばLinuxだったらLinusさんがいるだけじゃなくて、
その周りで協力して関わってる人にも何か人からのフィードバックが来るから便益があるってことなんですか。
近藤淳也
なるほど。寄って行った方が何かもらえるものが多いっていうことですか。
塚田亮一
そうですね。本当に中心の人もそうだけれども、フォロワーって言われるような人たちがやっぱり活躍して、
その方たちも何らかの形、直接的な、金銭的なメリットではないんですけども、
そのまたコミュニティの中での情報的にいろんなものが入ってくるっていう場合もそうですし、
どういうようなモチベーションで成立をしてるっていう。
近藤淳也
実はですね、すいません。何でこんなに深く聞いてるかっていうと、
今、Listenの開発もかなりコミュニティ的にやってまして、
Discordに今、200〜300人ぐらいのユーザーさんがいらっしゃって、
かなりフィードバックいただきながら、それいいですねって言って開発機能追加して、
で、こんなのできましたとか、不具合はしておいていただいたりとか、
あとはもう使い方わかりませんって言ったら、
こちら返す前に他のユーザーさんがこうですよって言ってくださるみたいなことが起きていて、
塚田亮一
今割とそういう状態に近いんですけど、何かヒントがあるかなと思って聞いたんですけど。
あとは一緒に作ってるっていうリーダーがいて、Linuxの場合だったらLinuxさんがいて、
当時だとアンチマイクロソフトみたいな感じで、こっちの方向に行くっていう、
その活動にコミットしたいっていう、何かかね、理念みたいので引っ張られてるっていう場合もあるんじゃないかなと思いますけど。
近藤淳也
はい。すみません。興味があって聞いちゃってましたけど。
じゃあそういうことを、サービスの会社に入るんじゃなくて、
一旦アカデミックっていうかSFC行かれて、
塚田亮一
そうですね。
ご研究をされる生っていうのが2年間。
ただその時ちょうどネットバブルの、99年に僕大学院に戻ったんですね。
で、ちょうど、その前に、僕は大学院の学費分までは入って1年じゃためられなかったんで、
仕事しながら大学院に行こうと思って。
ただ大学院、フルタイムの大学院なんですよね。
なので普通な会社だと雇ってくれないだろうと思って、
インターネット系の、当時少なくともネットで求人してるところにまたメールを送りまくって、
そういう仕事をやりながら、その時雇ってくれたのが、
今なんて名前になったんだっけな。
当時HDっていう会社で、今上場、その後だいぶしてからですけど、
あ、ヘンゲだ。ヘンゲっていう名前になって今上場された会社なんですけど、
そこに入って、2年ぐらいですね。
ただ、その途中にまた周りで会社作ろうみたいなのが出てきたんで、
じゃあ会社作るのをやろうかって。
で、大学院の1年終わり、2年になるときぐらいかなに会社作って、
でもそれはもう早々に失敗したみたいな。
近藤淳也
そうなんですか。ちなみにどんな会社だったんですか。
塚田亮一
それもあれなんですよ。今、早すぎたとかそういう話でもないし、
経営もめちゃめちゃだったんだと思うんですけど、
近藤淳也
ソフトウェアのエンジニアを、フリーのエンジニアをマッチングさせるっていう。
今風じゃないですか。
塚田亮一
今風じゃないですか。今風すぎて。
当時もフリーランスとかのエンジニアっていたんですけれども、
結構交渉力がなくて、本当にITどこかのヒエラルキの一番下のところに
つけられちゃうような感じで、だったんですよね。
そうじゃなくて、特にオープンソースの世界とかだと、
普通に、特に海外だと個人で活躍されてて、
そこで名前を打って仕事をやられてる方とかって、
そのマッチングサイトとかもあったんで、
それ、日本でも行けんじゃないかなと思ってやったんですけれども、
近藤淳也
全然その仕事の依頼を、学生なんでちゃんと取れないですよね。
営業がいりますよね。
塚田亮一
営業がいる。場を作ったらなんとかなるんじゃねえかみたいな、安易な。
近藤淳也
しかも両方行かないといけないですからね。揃えないと。
塚田亮一
で、さらにはマッチングってことは、どんどんどんどんマッチング何回もして、
精度を上げたりとか、お互いの評価とかっていうのをオークションのシステムみたいな感じで、
積み重ねなくちゃいけないと思うんですけど、
1回の案件が1年間かなって。
近藤淳也
評価するのも。
塚田亮一
そうなんですよ。1年後ですし、よかったら同じとこが継続しちゃうしみたいな感じで、
そうすると全然その蓄積が無理だなって。
今みたいな、本当にワンショット20万円、30万円の案件をポンと出すとかっていうのが全然なかったんですよね、個人の方に。
そういうのもいろいろあって、もうこれはもうダメだっていうのは早々に気づいて。
近藤淳也
なるほど。いやでもいい経験されてますね。
それはじゃあ、同じ大学で勉強された方同士で起業したってことですか?
塚田亮一
いや、外の社会人の方でそういうのやりたいっていう人がいて、
で、こっちもオンラインのコミュニティの研究とかやってるし、評価の仕組みとかっていうのも研究でやってるんで、じゃあそれ面白そうだっていう感じで。
近藤淳也
いろいろ繋がりが多そうですね。
海外のサービスの研究されていて、というか見られてて、そういう社外の方ともネットワークが結構あったってことですか?
そうですね、いろいろ。社会人ちょっととはいえやってから大学院入ったんで、その辺を結構アグレッシブに動いてたっていう感じですかね。
なるほど。でもまあ、これはダメだって。
塚田亮一
これはダメだってなって。
近藤淳也
どれぐらいの期間で?
塚田亮一
いや、もう1年経たずぐらいのタイミング。もう僕が修了する大学院2年で終わるちょい前で、これはもうダメだから、もうピボット、今の言葉で言えばピボットですね。
ただ、他に転用するような、そんな資金もなかったんで、コンサルとかいう企画とかそういうことを中心にやるっていうふうになったんで。
まあそれだったら別に僕全然、その業務にあんまり興味なかったんで、じゃあ抜けますっていうような感じで。
近藤淳也
じゃあその会社は残ったんですか?
塚田亮一
会社としては残ったんですけど、結局その最初に始めた方がほぼ個人事業みたいな感じで、残ったような感じで。
ただ間で出資を受けた分もあったんですけど、結構補助金みたいな、出資は受けてたんですけど、ただVCとかじゃなくて個人の出資をその方の関係で受けてはいたんですけれども、
近藤淳也
その最初のシステム作るときに、確かIPAだったかな。IPAかなんかの補助金をドサッともらえたんですよ。
塚田亮一
その企画はうまく通ったんですけど、まあやってみたらダメでしたねっていう結果、結果報告して終わったっていうような感じだったんで。
なんでお金は全然ダメな状態ではなかったんですけど、っていう感じで。
近藤淳也
全然あるあるですし、経験。
塚田亮一
そうですね、経験としては。
近藤淳也
だいたい一個目はうまくいかない。僕もダメでしたよ。全然。
経験としてはいい経験させてもらったなと。
で、大学院。
塚田亮一
で、大学院終わって、なんでそんなギリギリまでそんなやってたんで、就職活動もしてなかったんですよね。
そしたら当時そんな活動してたんで、VCの人とも知り合いになってて、
あるベンチャーキャピタリストの方から、つかだ君大学院出た後どうするのっていうような話を軽く聞かれて、いや実は何も決まってないですよ。
すごい2月か3月ぐらいに。
そしたらじゃあうちでとりあえずいるみたいな感じで、ちょっと事務所に置いてもらって、
で、投資には関わらなかったんですけど、投資した後の会社さんのサポートに入っていくっていうような感じで。
近藤淳也
ベンチャーキャピタルに就職した。
塚田亮一
そうですね、ベンチャーキャピタルに。
なんで当時でそんなベンチャーキャピタルにほぼ新卒で入れるなんてことはなかったと思うんですけど、
たまたま知り合いのキャピタリストの方に拾ってもらって、
近藤淳也
IT関係の投資やってるところのサポートに入っていくっていう。
それはもう少しサービス寄りの方に行きたいって言って、大学院に行かれた結果としては思い通りだったんですか?
塚田亮一
そうですね、ただまあいろんなビジネスに関われるんで、結構これは面白そうだなと思って。
塚田亮一
で、そのファンドが一番当たったやつはDNAなんですけど、DNAに初期投資をしてたファンドで。
で、そこもちょっと手伝わせてもらったりとかっていうのもありましたし、他にも。
ただ深く入らなくちゃいけないのは相当ダメージを受けた会社とか。
近藤淳也
どっちかって言うとそうですね、時間使うのは伸びてない方のものですよね。
塚田亮一
なんでそれはそれで大変は大変なんですけど、まあいろいろないくつかのビジネス深くコミットさせてもらって。
近藤淳也
それはでもVCとしてサポートっておっしゃいますけど、どれぐらいハンズオンというか入っていかれてたんですか?
塚田亮一
いやもう、できることなんでもやってこいモードで。
で、いくつかあるんですけども、担当になってる会社。
で、もうそこの名刺持って、事業開発の担当みたいな感じで。
近藤淳也
そうなんですか?営業してたってことですか?
塚田亮一
営業もやってましたし、パートナー探したりとかってやってましたし。
で、名刺をいくつか持てるんで、まあこれはこれで結構便利です。VCの名刺で。
で、そこの関連ありそうな興味持ちそうな会社に行って、
で、この年先でこんなビジネス考えてるんだけど一緒にやりません?みたいな話で。
じゃあ担当者紹介してくださいってなったら同じ人間がね、いや実は私こっちの役割もありましてみたいな感じで。
近藤淳也
すごいですね。じゃあそこはもう特に取締役で入るとかでもなくて。
塚田亮一
いやもう現場に入ってて。
近藤淳也
自発的にその事業を成長させるために必要なことを。
塚田亮一
そうですそうです。
近藤淳也
こう入っていって、名刺持ってやってたって。
そんな方います?VCで。
塚田亮一
いやどうなんすか他の、あんまり大規模にやってないところだったらかなり入ってやったりとかって何かそうなんですかね。
ちょっと僕もあんまり他のことを知らないんで、それが当たり前とか。
それでいいよって言われてたんで。
近藤淳也
取締役一人入れますとかはよく聞きますっていう。
塚田亮一
取締役会、そこ僕は役員に入らずに基本は現場サイドでいろいろ必要そうなことで、
バックオフィス系の方で問題があったらそういう担当の方がまた入って。
近藤淳也
いいっすね。心強いですね。
塚田亮一
動いてくださるってすごい心強かったんじゃないですか。
かなりあれですね、本当にファンドとしては運命共同体っていう感じで。
どこまでが同じ会社なのかっていう。
近藤淳也
まあ会社が成功してくれれば元が取れるから頑張ろうみたいな。
塚田亮一
投資先同士も結構結びつきは強かったですね。
近藤淳也
結構面白いですねそれは。
塚田亮一
そんなことをやってて、そのいくつかの会社の中の一個がまた合弁会社で新しい会社作るよって言ったときに、
また現場仕切る人間がいないって話になって、
そこの役員で、まだ席はVCにあったんですけど、
近藤淳也
そこの子会社の役員になって。
席残したまま。
塚田亮一
席残したまま出向で子会社の役員として事業開発またやるっていうようなことに、
何年か後になりまして。
近藤淳也
でもその事業開発のご経験というか、経営のご経験とか、特にじゃああったわけじゃないんですよね。
塚田亮一
そうですね。なんで最初失敗した会社で、なんでもう見よう見まねですよね。
VCにいるといろいろね、自分で人を雇用してっていうのはないですけれども、
近藤淳也
事業開発の勘どころみたいのはだいぶ、逆に一つのことをやってる方よりもたくさん失敗できるんで。
塚田亮一
なんでそういう意味では、ある程度経験は短期間で積ませてもらって、
子会社作るっていうんで、そこら辺はもう経営する側として。
なんで不思議な感じです。
僕は子会社の役員として、親会社には、ここの会社では役員会で報告をするんですけども、
逆にこの親会社の役員会に行くと、僕は取締役側で、オブザーバーだったんです。
近藤淳也
オブザーバーとして参加させてもらってっていうような感じで。
塚田亮一
だいぶこう。
なんかいびつな感じ。
そうですね。各レイヤーでご活躍みたいな感じですけど。
そんなことを。
近藤淳也
へー面白い。
塚田亮一
そんな感じで、そっからはもうずっとITの。
で、そうですね。その会社が今度上場準備に入ったんですね。親会社が上場準備。
親会社上場準備に入ると、この親会社、子会社で役員兼務とかが厳しくなるじゃないですか。
で、こっち側の子会社の方の役員で、1000人の役員がいなくなっちゃったんですよ。
で、どうするってなって。わざわざ、そんなまだ大きなビジネスの希望になってなかったんで、何か当てるっていうのもなぁみたいになって。
じゃあまあもうだいぶやってるから、ここの元の席外していいんじゃねえみたいな。
近藤淳也
じゃあ塚田さんが1000人で。
塚田亮一
それは1000人の役員に残るっていうような感じになるっていうので。
近藤淳也
それが今の会社なんですか。
塚田亮一
で、そうですね。その会社が、また親会社が結局上場じゃなくて、
あのMAで外資に買収されたんですけども、まあその後落ち着いたんで、僕もその子会社辞めて。
で、その次に行ったところはその今のアシアルですね。
近藤淳也
ああそうなんですね。
なるほど。じゃあその子会社の方に1000人になって、そこからはそんな長くなかった。
塚田亮一
そうですね。そこからは2年弱ぐらいですかね。
なんで、その後に上場を辞めて買収されて、買収の後のインテグレーションがある程度終わってっていうような感じで、
で、まあ一通り全部回るようになったしっていうので。
近藤淳也
VCさんとしては、そこの出資はMAでちゃんと成功した。
塚田亮一
成功はしましたね。
なんとかプラスのまあそこそこにはなった。
近藤淳也
津軽さんが現場に行って走り回ったのもちゃんと買収はできた。
塚田亮一
VCとしては買収できました。
僕はもう下っ端の方だったんで、普通にお給料もらってただけなんで、特にそういうインセンティブとかないんですけど。
近藤淳也
でもやった甲斐ありましたよね。
塚田亮一
そうですね。なので結果としては、まあこれがあの状態からここまで戻って、
利益もしっかり出て、最終的にはユジットできて、良かったなと思います。
それはやりがいがありますね。
近藤淳也
やって良かったですね。
なるほどなるほど。
で、それでじゃあ小会社に1回入られて、辞められて、で、アシュアルさんから。
なるほど。
それが2012年。
塚田亮一
そうですね、2012年に。
12年前。
そのアシュアルも、うちの代表の田中っていうものが、
2002年にですね、東大の学生の頃に作った会社で、
で、その時に僕、VCのインキュベーションオフィスのマネージャーやってたんですよ。
で、VCのオフィス、インキュベーションオフィスが東大の近くにあったんで、
その田中がフラッと来て、会社作ったんでちょっと住所を貸して欲しいって言って。
近藤淳也
そんなラフな感じでいいですか?
塚田亮一
まあ席と電話だけは用意しますぐらいの感じのインキュベーションオフィスで、
あとはネットワーキングのもろもろはあったんですけど。
近藤淳也
お金を払わず?
塚田亮一
お金はね、月にいくらだったか、すごい格安でやってたんですよ。
いくらかもらってましたけど。
近藤淳也
じゃあ東大生がちょっと会社作って登記したかったら気軽に使えますよみたいなインキュベーションだったんですね。
そういうのいいですね。
塚田亮一
で、やっててね、その時からの付き合いで、
外から会社をずっとその後やってるときもお手伝いはしてたんですけど、
基本的に住宅開発の授業をやってて、
僕が前の会社を辞めたタイミングのちょうどそれぐらいのときに、
住宅もやりつつプロダクト作るっていうような感じで、
マーケティングだったりとか授業開発とかっていうのを、
ほとんどエンジニアしかいない会社だったんで、
で、それを立ち上げるのに人が必要っていう話だったんで、
じゃあ手伝いに入りますっていうね。
外から手伝ってたんで、中の人間も結構知ってたんで、
ちょっと面白いかなと思って入ったのが2012年のタイミングですね。
なるほど。
じゃあそのエンジニアさんとか作る方が多い中に塚田さんが入って、
近藤淳也
自社製品の事業責任者みたいな感じで立ち上げていかれた。
それはいいマッチングな気がしますね。
塚田亮一
で、開発ツールだったんですけど、
スマホのアプリ作るためのいわゆるクロスプラットフォームツールっていうやつの開発ツール作って、
で、それに関連の住宅も取りながらっていうので、
近藤淳也
なんとかビジネスにしてきたっていう感じですね。
塚田亮一
今もその。
今もその授業はやってますけど、
ただやっぱり、住宅ビジネスの方の比率は高いですけどね。
塚田亮一
塚田さんも製品を担当されてるんですか。
製品は今別のものに任せて、
また新しく学校向けのビジネスっていうのを立ち上げの方に、
今、時間の相当数は使っている感じですね。
それも塚田さんが立ち上げられたんですか。
もともと中でそういうのやりたいっていうので、
ちょこちょこともちっちゃくやってたので、
まあ自流的にこれ面白いかもねっていうんで、
近藤淳也
じゃあそこに何人か人つけてやりましょうかっていうような感じで始まってるっていう感じです。
すごいですね。
学生時代のその企業はただ出たというかあれですけど、
その後全部うまくいってません。
塚田亮一
いやうまく、大失敗にはならなかったというか。
近藤淳也
なんか全部ちゃんと続いて。
塚田亮一
まあ続いて。
近藤淳也
事業になってるのばっかり続いてません。
塚田亮一
まあ中にはもう失敗してダメになったやつとかっていうのも、
もちろんあるんですけども、
まあ会社としては何とか成り立ってたりとかっていう感じではあると思うんで。
近藤淳也
ね、やっぱ優秀なんじゃないですか。
塚田亮一
いや、なんかまあとにかくいろいろやるからどれかうまくいっておかないですかね。
近藤淳也
もっと言ってないやつがいろいろある。
塚田亮一
ありますあります。失敗したやつもあります。
近藤淳也
ああそうなんですか。
でもどうです?
塚田亮一
そのちゃんと事業になって利益も出てなっていくものってどうやったら作れるんですか。
結構でもなんか粘りがちみたいなところっていうのはあって、
僕はあんまり大きい資本を投入しないでいけるビジネスは結構選んでる感じではあってですね。
なのでまあ、VCにいた時とは真逆な感じなんですけども、
まあ基本的にはあんまり固定費はかけずにとか、
他の事業とうまく転用できるような感じにしておいて、
で、いいタイミングが来たら、来てから投資するみたいな感じですかね。
近藤淳也
じゃあまあコストを抑えておいて続けられることをまず。
塚田亮一
そうです。最初からちょっとコストを抑えていくつかのものに貼っとくみたいな感じで、
ダメなものはそんなに至れないうちに終わっちゃうしっていう。
近藤淳也
じゃああんまり最初に数字を描いてそれを筆達でみたいな感じではないですか。
塚田亮一
まあ一応描きますけど、そんなにもう本当に調整調整でやっていくような感じですね、僕の場合は。
近藤淳也
なかなか面白いですね。やっぱ現場に入られていかなきゃって。
現場主義というか、まずやってみて様子見ながら考えていこうみたいなところが。
塚田亮一
そうですね。やってみて中に入って、ここはいい波が来てるのかどうなのかっていうのを外からだとわかんないことが多すぎるじゃないですか。
実際にそこでちょっと商売やってみて、ここはこんな感じなんだみたいなのがわかってからもう1回ちゃんと来るっていう感じですかね。
近藤淳也
なんかでも子供の頃に山で走り回ってたのも関係してません?
塚田亮一
まあそうかもしれないですね。
その体で、なんか1回自分で体で入っていかないとよくわからないみたいな。
それはそうかもしれないですね。
近藤淳也
頭だけで考える人いるじゃないですか、その絵は。もうね、数字バーってこう作って、頭だけでいけるいけない判断する方っていらっしゃると思うんですけど、
お聞きしているとこう、そのビジネスを自分がやってみてみないと本当のところがわからないみたいな。
塚田亮一
それはそうかもしれないですね。
なので大概僕がやるとマーケ戦略なんでもうほぼゲリラ戦みたいな感じになる。
近藤淳也
なるほどなるほど。
塚田亮一
とりあえずこの中でのキーマン、誰と誰とこの人たちにどうやって会えるんだろうみたいな。
無理やりここで、この会合のここで待ってたらちょっと会えるんじゃないかみたいな。
近藤淳也
本当に現場で何とかするみたいな。
塚田亮一
金をかけずになんか。
とりあえずその、そうですね、そんな感じで。
近藤淳也
なるほど。いやもうチェック共感しますね、僕もちょっとどっちかっていうかそっちタイプなんで。
身体動かしてみないとなんか分かったって気にならないところがあって。
僕も田舎出身で野山を走り回ってた子供だったんですけど。
そうですか、なるほどね。
なんかこういうのが面白いみたいなのあるんですか?
あの、なんていうかな、伸びるだけじゃなくてやっぱり続くには面白さっていると思うんですけど、
塚田亮一
やり続けるだけのなんか気持ちになれる。
やっぱり、プロダクトとかでも何でもサービスもそうだと思うんですけど、
少ないお客さんでもすごいファンになってくれるんですよね。
そこがこう見つけられるようなものは、少なくともそのお客さんたちとやってても面白いですし、
じゃあこの同じような人をどういうふうに探していけばいいんだろうっていうような感じで、
なんかこう誰かにとってはなくてはならないものみたいな感じのものだったら、
すごい長く続けられるなって感じは、ビジネスに関しては思いますね。
まあ喜んでる顔が見たいみたいな。
近藤淳也
人を喜ばすのが好きみたいなところですかね。
いいですね。
お金はどうですか?
どれくらい執着がありますか?
塚田亮一
お金の執着はそんなないですね。
やっぱり周りで、90年代後半にネットのビジネスとかの界隈にずっといたんで、
周りにはどんどんどんどん大きくなって上場されたりとかっていう方とかもいるんですけれども、
あまり大きなことをやりたいっていう感じはないのかもしれないですね。
今、アシュアルさんは上場はされていない。
もう外の資本も入れてないので。
今後もどこに?
まあ本当にこのビジネスをやるためにどっかのお金を入れなくちゃいけないとかっていうのであれば、
否定はしないですけど、特段は予定はないという感じですかね。
近藤淳也
ああそうなんですね。なるほどなるほど。
そうか。
当面アシュアルさんで今後もお仕事されていくっていうか、もう経営者ですもんね。
塚田亮一
そうですね。もう経営の一員に入ってもう10年以上やってますんで。
近藤淳也
っていう感じですね。なるほどなるほど。
塚田亮一
じゃあお仕事としては今後もアシュアルの成長を目指すみたいな感じですか?
近藤淳也
はい。
そして餃子は?
塚田亮一
いろいろなメディアさんからお声掛けいただいて、テレビ出てくれとか、あとはどっかで執筆してくれとかっていう話につながってたっていう感じです。
近藤淳也
その作られたのが東京餃子通信。で、今は3000点?
塚田亮一
そうですね。店舗回った数は3000点は多分全然超えてて、東京餃子通信の中でももう全部書いてるわけではないんで。
2000数百記事、餃子だけの記事が、お店の紹介記事が出てるって感じですね。
近藤淳也
それは塚田さんが全部書かれてるんですか?
塚田亮一
もう一人ですね、ほぼほぼ9割以上は僕が書いてて、一時期大阪で関西の記事書いてくれるっていう人がいたんで、書いてもらってたことはあるんですけど、9割以上僕は書いてます。
近藤淳也
それはお仕事になってるんですか?
塚田亮一
それ自体は若干のGoogleの広告が入ってくるぐらいの感じですけども、その関係でいろいろメディアの仕事をやらせてもらったりとかするんで、餃子食べて回るぐらいの収入にはなるかなっていう。
いいですね。
そこの自給自足ですよね。
近藤淳也
餃子の話は餃子で回させてるっていう状態になってるんですね。
すごいな。出向とかもあるんですか?出向というか取材してくださいみたいな。
塚田亮一
取材してくださいはあるんですけども、基本的にはあんまり受けてないですね。
近藤淳也
じゃあこっそり行って、ただ食べて帰ってくる?
こういうので書いていいですかって聞く場合も、もうちょっと聞きたいことがあった場合にはこういうもんなんで、どういう感じでやってるんですかとかっていうのもありますけど。
そしてそのテレビに出られたのが、マツコの知らない世界が2015年。いきなりマツコ。
塚田亮一
最初はですね、2010年ぐらいにヒルナンデスっていう。こっちでもやってますか?お昼の番組なんですけど。
近藤淳也
あんまり詳しくないですけど。
塚田亮一
ヒルナンデスっていう、ナンバラさんが司会やってる番組が一番最初ですね。
それも普通にブログの問い合わせから連絡もらって。
僕も昼テレビあんまり見ないんで、どんな番組か知らなかったんで、とりあえずいいですよって言ったら、生放送の番組で。
急に?
急にです。
近藤淳也
初登場で生放送。結構難しそう。
塚田亮一
ものすごい緊張して。
近藤淳也
どうでした?
塚田亮一
リハーサルのときに、基本官邸出しますんでって言われてたんですけど、テレビの現場ってやっぱり大変、超バタバタでやってて。
いろいろ前に打ち合わせとかやって、この餃子をこんな風に紹介しますっていう感じで、台本とかも用意してもらってたんで、大丈夫かなと思ってたんですけど。
朝行ったらまだ台本できてません。
その間に流すこの動画も今編集中ですっていう。
近藤淳也
そんなんでやってるんや。
塚田亮一
朝かなり早い時間に入って、打ち合わせと餃子って何もできてませんっていう風に。
近藤淳也
打ち合わせとは言わない。
塚田亮一
原稿はできてたんです。原稿はできてて。
原稿はできてて、まだ動画ができてないですって言うんで、でも本番までには間に合いますから、にこうみたいな感じ。
全然普通な感じです。
で、原稿見たら、紹介している餃子屋さんなんですけど、紹介文がほぼほぼ僕のブログの記事のコピペみたいな感じのものが載ってて。
で、こんな感じなんだと思って。
こちらもううぶなテレビ初めてだったんで、こんな感じなんだと思って。
で、リハーサルに行って、アナウンサーの方とディレクターの方と、
で、あと何人かスタッフの方がいる前で流しでやるんですけど。
で、ここからここ何秒ってVTRの流れてる餃子が紹介されてる間に喋んなくちゃいけないんですよ。
よく焼いてるところから出てくるまで、今後はこんなお店でっていうのが。
近藤淳也
それに解説を加えるみたいな。
塚田亮一
それに解説を加えてくっていうような感じで喋んなくちゃいけなかったんですけど。
で、それが完ペが出てるんですけど、後から考えてみれば合うわけないんですけど、
完ペは僕のブログのコピペですよね。
近藤淳也
タイミング合わせて読む方が難しいっていうね。
塚田亮一
普通に読んでたらその秒数に絶対収まんないんですよ。
まあ、ちゃんと読める人だったら収まるのかもしれないですけど。
で、もう合わ合わ合わ合わして。
で、もうそっからそれが何本かやんなくちゃいけなかったんですけど。
で、まあリハーサル終わって、これもうダメだなと思って。
で、そっからもう楽屋に戻って。
まあ本番まで2時間ぐらいあったかな。
その間にもう自分で原稿を書き直して。
ここからここ何分って言ってたじゃないですか。
えーすごい。
書き直して。
で、もう楽屋の中で一人で練習して。
近藤淳也
えらい。
塚田亮一
えらいですね。
近藤淳也
そこの踏ん張りがさすがですね。
塚田亮一
まあこれね、なんか生放送でなんかひどいことになったらこれ全部流れるんだよなと思って。
で、やったまあなんとか収まって。
近藤淳也
すごい。
塚田亮一
っていうのがあったんで、そっから先のやつは、
ああまあなんとかなるんだなっていう感じにはなったんで、
だいたいどんなお仕事でも受けられるように。
最初がちょっとハードルが高かったんで。
近藤淳也
まあ良かったですね、逆に最初がそれで。
塚田亮一
なんで、あとはまあ普通の収録だったら、
まずかったら編集してくれるよなとかそういう。
なるほど。
近藤淳也
もうでもそれもね、もう10年ぐらい前ってことはもうそれからたくさん出てきて。
塚田亮一
そうですね、結構出させてもらいましたね。
近藤淳也
え、もう今は業界っていうんですか?
餃子の界。
塚田亮一
餃子の界は。
近藤淳也
業界で一番の詳しい人みたいなポジションなんですか?
塚田亮一
一応そう言ってもらってますけど。
ああそうなんですね。
まあ数は多分僕一番になってるんじゃないですかね。
はい。
食べてる、まあそういうなんか発信してる側。
でも多分もっとマニア的にたくさん食べてる方は。
いる、います?
いるかもしれないですよね。
その発信とかがめんどくさくて、やらないけどただ食べるっていうのは。
近藤淳也
じゃあ発信してる人の中では日本で一番たくさんの餃子を食べ歩いて。
塚田亮一
食べてると思いますね。
知っている方。
はい。
になんか続けてた。
まあ年間その300ぐらいは食べるんで。
近藤淳也
300?
塚田亮一
はい。
近藤淳也
え、365日しかないですよ。
塚田亮一
まあでもその餃子って一日に何食もいけるんですよ。
近藤淳也
ああそういうことか。
え、でもちょっと待ってください。
300?
塚田亮一
300ぐらいは。
近藤淳也
じゃあ朝昼夜とかですか。
塚田亮一
朝昼夜でもいけますし、夜夜夜夜みたいな感じで。
夜集合して3人4人で集まったら、まあ3、4店舗。
はしごは。
近藤淳也
そういうこと日常的にされてるんですか。
塚田亮一
そうですね。
あのちょこちょこやってますね。
なんで、今回も京都来る途中に浜松で途中列車して。
近藤淳也
まじっすか。
塚田亮一
浜松に集合してくれる人と一緒に何軒か回って。
近藤淳也
あ、そういうことをやるんだ。
移動するときに目的地で回るだけじゃなく、途中で一回降りて浜松で回ろう。
え、でそのなんなんすか一緒に回ってくれる人っていうのは。
塚田亮一
いや、どこどこ駅、集合、現地集合、現地解散で集まってくれる人みたいな感じ。
近藤淳也
それは何フォロワーさんとかですか。
塚田亮一
あのそうですね、東京餃子通信のフェイスブックのグループがあって、そこに2、3000人いるんですよ。
近藤淳也
あ、そんなにあるんですか。
なんで。
塚田亮一
まあ餃子ファンが集まってても。
餃子好きな人が。
でそれでまあその中で来てくれる人っていう感じで。
近藤淳也
浜松何人集まってるんですか。
塚田亮一
浜松は一人しか集まんない。
2人でもありましたけど。
近藤淳也
でそれ何個か回って。
塚田亮一
そうですね4店舗もあって。
で現地解散してという感じで。
近藤淳也
あ、そういうことか。
そうやって300稼いでいくんですね。
京都もあるんですかじゃあ。
塚田亮一
京都もそうですね。
なるほど。
近藤淳也
え、なんか今の餃子界のトレンドみたいなのは何かあったりするんですか。
塚田亮一
今はそういう餃子店がいろんな、皮をかえたり、何とかしてやってるってことですか。
そうですね。
今、ここ数年ですけど、
餃子が餃子としてって言い方難しいんですけど、
日本語の餃子、中国だとチャオズ。
同じ餃子って字書いても。
餃子って海外に行って言うと、焼き餃子のことを餃子っていうふうに。
近藤淳也
日本からの逆輸入みたいな感じで。
塚田亮一
通用するように最近なってきたんですよね。
なので、その辺も今、特にオリンピックとかで餃子がちょっと注目されて、
餃子って食べ物がおいしいって言って。
海外からも日本に来るときにお寿司とラーメンと餃子も食べたいみたいな感じでぐらいは、
世界でも認識されるような食べ物になってきました。
近藤淳也
ずっと食べてられますもんね。
塚田亮一
そうですね。
近藤淳也
完全食っておっしゃってますけど、肉も野菜も。
超バランスのいい。
塚田亮一
炭水化物も摂れるし。
近藤淳也
分かります。
大学のときに自転車部だったんですけど、
レースの帰りに餃子の王将行って、餃子だけ食べようって言って。
100人前?とか。
机が全部それで余るぐらい取って、ひたすら餃子を食べるみたいなことをやってたことがあって。
でも何も考えずにずっと食べててもおいしいし。
いけちゃいますね。
栄養も取れるかなっていうんで、無限に餃子食べてたりとか。
いろいろ中華料理って取るのも面白いんですけど、
めんどくさいっていうか、ひたすら食べたいみたいな。
餃子オンリーみたいな。
たまに餃子パーティーみたいなことがあって。
これだけ食べてたらいいっていうのになるのも結構楽しいなって思うんですけど。
そうか。
今、すいません、僕もあんまり知らないですけど、
餃子店っていうのは、あれは何ですか?
餃子だけをご飯として食べる場所なんですか?
塚田亮一
いや、なかなかそれでは成立しないんで。
餃子の王将もそうだと思いますけど。
飲食店としてなかなかそれだけで成立するのは難しいんで、
だいたい餃子をメインにして、
中華だったりとか居酒屋メニューとか出してたりっていうところが、
あとお酒ですよね、出してるところが非常に多いですね。
昔からやってるところで本当に、
うちは餃子屋ですっていうような感じで、
餃子だけを出してるっていう店もなくはないんですけども、
ものすごい少ないですね、それは。
近藤淳也
なるほど。じゃあ、餃子が看板商品の中華料理屋さんみたいなものが、
日本は一番多い感じですか?
多いです。
増えてはいるんですか?
塚田亮一
増えてますね。
なんとか餃子店とかなんとか餃子居酒屋とか、
店名には言えなくても、
餃子を推しだっていうことでPRしてるお店っていうのは相当増えました。
近藤淳也
それはなんで増えたんですか?
塚田亮一
これはですね、この大体10年ぐらいで、
最初その女性ターゲット、
飲食店ってなんでも女性ターゲットに、
メインのものがあったら女性ターゲットの店って出してくるんですけど、
女性ターゲットに餃子のニンニクを抜いて、
別の生姜とかで風味を出して、
それをビールじゃなくてワインだったりとか、
他のビール苦手な方向けの感じで出した店がいくつか出てきて、
それが結構流行ったんですよ。
近藤淳也
本当に女性の方が気持ちを始めたってことですか?
塚田亮一
王床も、おしゃれ王床があるじゃないですか。
近藤淳也
市場にありますね。
塚田亮一
あれも東京にもあるんですよ。
あんな感じのものを出してきたりとかですね。
あとは、これは関西の方まだ増えてないと思うんですけど、
東京の方でダンダダン酒場っていうですね。
近藤淳也
ダンダダン酒場。
塚田亮一
餃子居酒屋がものすごいこれが当たって、
本当に5,6年で100店舗ぐらいになって、上場までされたんですよ。
そんな伸びてる。
伸びたのがあって、そうなると、
他の居酒屋チェーンが餃子行けるらしいと。
近藤淳也
なりますよね。
塚田亮一
なるじゃないですか。
ほぼすべての居酒屋チェーンが、餃子業態を始めてきたりとかいうんで、
結構、街中にも餃子の看板が増えてきて、
そうなると、個店で始める方も餃子来てるらしいから、
ちょっと餃子推しでやってみようみたいな感じで、
いい循環っていうんですかね。
もともと餃子って、餃子が嫌いって方がほぼいない食べ物なんですよ。
確かにそうかも。
大好き、僕みたいに大好きだっていうのもそんなに多くはないかもしれないんですけど、
一方で嫌いがほぼ0%に近いぐらいなんですよ。
近藤淳也
美味しいですもんね。
塚田亮一
なので、他の食べ物、ラーメンとかでも大好きな人はすごい多いけど、
ちょっとラーメン太ったりとか油が苦手なんでとかっていうんで、
ダメな方っていうのも一定数いたりとかするんですけど、
ダメな人がほとんどいないんで。
近藤淳也
確かにそうかも。
塚田亮一
人を誘うときにすごい楽なんですよね。
なるほど。
誰かと行くときに餃子にしようかって言ったら、
反対されることもほとんどないですし、
誰かが嫌な思いをすることもほぼない。
近藤淳也
確かにそうかもですね。
塚田亮一
価格も大体読めるじゃないですか。
近藤淳也
しかもなんか話が盛り上がりそうなイメージがあります。
そうですね。
なぜだろう。
塚田亮一
それは結構、食べ比べとかをシェアしながらできるんですよね、餃子って。
ちっちゃいですからね、いっぱい子はね。
なので、餃子で、何種類か餃子専門店行くと、5、6種類あったとしたら、
とりあえず全部頼んで、食べ比べしてみようとかっていうのが気軽にできるんで、
ラーメンだとそうもいかないじゃないですか。
近藤淳也
そうですね。シェアしないですしね。
塚田亮一
じゃあ全部頼んでシェアしようかとか。
近藤淳也
そうですね。
塚田亮一
あとカウンターだったらそんな長いものできないしって感じもあるんで、
その辺は気軽で、結構場も盛り上がりやすいし。
近藤淳也
ですよね。
塚田亮一
はい。
近藤淳也
なるほど。
確かにそう言われてみれば、逆に今までなんでそんなに流行ってなかったんだろうって思うぐらいいい料理ですけど。
塚田亮一
そうですね。
近藤淳也
ですね。すごいですね。
じゃあ塚田さんの時代が来てる?
塚田亮一
餃子の時代が来ました。
僕はそれに乗っかってるぐらい。
近藤淳也
どう思います?ちょっと餃子来てるっていうのは。
塚田亮一
はい。
近藤淳也
どれぐらい続くんでしょうね。どんどんこれから増え続けるのか。
塚田亮一
いやまあ中身は変わりながら増えてる気はするんじゃないですかね。
近藤淳也
まあ確かにラーメン店とかも別に減りはしないですもんね。
塚田亮一
そうですね。ラーメンほどまだ新しいのが出てきて一方で潰れていくみたいな、
そういうトータルな感じではないんですけど、ある程度どこまで行ったらそうなるかもしれないですけど、
今のところは徐々に増えていってるって感じですかね。
近藤淳也
じゃあまだまだ餃子の波は続くだろうという。
塚田亮一
そうですね。続くと思いますね。
近藤淳也
そうか。面白いな。
なるほどなるほど。
はい。
じゃあまあたっぷり。
そうだ。で、京都でお勧め店ってないですか?
塚田亮一
京都でですね。
置いてくださいって。
僕が好きなのは四条河原町に大蔵さんって店があるんですよ。
そこもともと神戸でお店やられてた方が移住してやってるお店なんですけど、
そこは味噌だれの餃子が食べられるんで、京都の方からしてもちょっと珍しい。
近藤淳也
味噌だれの。なるほど。
塚田亮一
そこはカウンターだけのすごい狭い店ですけど。
近藤淳也
大蔵さんですね。
大蔵さん。
行ってみます。そこが一押しですか?
塚田亮一
最近が京都で一押しです。
近藤淳也
そうですか。分かりました。
じゃあちなみに東京は?
塚田亮一
東京だと赤坂にミンミンっていうお店があって、
大阪にもミンミンたくさんあると思うんですけど。
よくある中華料理屋さんですよね。
でもあれとは別のミンミンがあるんですよ。
近藤淳也
そうなんですか。
塚田亮一
ミンミンが赤坂のちょっと分かりにくいところにあるんですけども、ミンミンっていうお店があって、
そこはこっちでどれくらい流行ってるか分かんないですけど、
お酢と胡椒で餃子を食べるっていうのが結構最近。
胡椒。
醤油入れないんですよ。
お酢に胡椒をバーってふりかけて、それをタレにして食べるっていうのが最近流行ってきてるんです。
それの発祥のお店って言われてるところがあって。
餃子もめちゃめちゃうまいんで。
近藤淳也
ミンミン。
塚田亮一
東京行った時にはミンミンで。
近藤淳也
餃子大蔵。
分かりました。
じゃあ行ってみますし、ぜひ近くの方は行っていただければと思います。
じゃあたっぷり伺いましたけど、何か言い残したこととか。
塚田亮一
いや。
ないですか。