2024-04-09 34:29

#031 安全をどのように創造するか〜環境犯罪学から考える〜

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【トークテーマ】

・犯罪にあいやすい家とあいにくい家

・社会復帰思想の失敗と厳罰化

・自分でできる犯罪予防あれこれ

・「犯罪者」はどこへいくのか

・「安心安全」と「安全安心」は全く別物

・環境犯罪学は諸刃の剣⁉︎

・お便り紹介


【キーワード】

ローレンス・コーエン、マーカス・フェルソン、被害者学、社会復帰思想、医療モデル、司法モデル、日常活動理論、移転効果、安全安心、リスクマネジメント、ゲイティッド・コミュニティ


【犯罪学の視点から語るエンタメ作品】

『福田村事件』(2023年公開/日本)

・監督:森達也

・出演:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大ほか


<過去のエンタメ一覧>

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#ツミナハナシ

<メッセージフォーム>

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(構成:合同会社黒子サポート)

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サマリー

環境犯罪学についての考え方は、犯罪者がいる場合でも犯罪を防ぐために街づくりや建物の構造を改善することを目指す学問です。環境犯罪学の基本的な考え方がチャプター1で話され、チャプター2では社会復帰モデルからジャスティスモデルへの流れや犯罪被害の数字化に触れられています。環境犯罪学は、環境の整備によって犯罪を防ぐ取り組みの一つであり、被害を生まないようにするために自分たちができることについて考えます。具体的な要件として、動機を持った犯罪者、ちょうどいい標的、役に立つ監視者の不在が犯罪の発生に関係しており、環境の要素を工夫することで犯罪を防ぐことができます。安全安心の違いや安全安心町づくりについて考えるエピソードです。安全と安心の違いについて説明し、安全安心町づくりの課題として人を排除せずに安全を実現する方法を提案しています。また、福田村事件を取り上げて被害者の心情や性犯罪の問題についても議論しています。今回のエピソードでは、安全を創造する際に誤解されがちなポイントについて話しています。

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ところで、みなみぐすさん、これって結果、目的達成してないやんとか、全然違う問題発生してますやんとかっていうことありますか?
ちょっと前の話になるんですけど、私が大学入った頃って結構建物の中でも吸ってたし、すごくタバコ吸ってる人多かったんですよね。
で、これが社会的な流れに伴って、建物内禁煙、敷地内禁煙ってなった後に、確かに学校の中で吸う人は当然いなくなったんですけど、
ご近所から苦情が来たって言って、電車も吸えないし、駅と大学の間とか、大学とお店の間とかで多分タバコ吸う人が増えて、
近所から困ってますってお話が来てて、これ、学内禁煙にしたからって、外でみんな吸ってんやったら、
なんか目的が何やったのかと、むしろあかんやんってなって、で、今度喫煙所作りましょうとか、
タバコのポイ捨てやめましょうとかすごいなって、タバコを吸うなって言ったけど、誰も禁煙してなくて、ただ学内から追い出しただけやって、問題が広がっただけやったみたいな思い出しました。
なるほどね。根本の問題が全然何も変わってないのに、ここだけダメとかって禁止したってことで、結局他に問題が移ってったんじゃないかってことのエピソードですよね。
今日はそういう環境を整えることで犯罪をなくしていこうとしたとか、いろんな取り組みをしていった環境犯罪学っていうような考え方についてお話しします。
丸ちゃん教授の罪な話、市民のための犯罪学。
刑事政策犯罪学を専門とする立証大学教授で、一般社団法人刑事司法未来の丸山康裕です。
同じく刑事司法未来の南口文です。
このトーク番組は、一般社団法人刑事司法未来が送る、これまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学刑事政策の話について、わかりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
環境犯罪学の基本的な考え方
環境を整えることで犯罪をなくすという考え方というと、29回の罪な話で取り上げた、生まれながらの犯罪者がいるのではないかというような考え方とは、
正反対で環境アプローチするみたいな感じになるんですか?
正反対かどうかというと、ちょっと全然違った話なんですね。
環境犯罪学というのは、環境を整えることで学習していくのをどうしていこうという話ではなくて、犯罪者はいる、いないでいる時にどうするかとか、
その人をどう変えていくかというような学問ではなくて、仮に犯罪をする人がいたとしても、街づくりとか、家の構造とか、
もしくは犯罪に入られにくい建物にしようとかっていうことで防ごうという話なので、全く正反対かと言われると、29回の話は、生まれながらの犯罪者か、1か0かとか、100か0かの話じゃないですか。
こっちは100か0を変えていこうというよりは、100であってもどうやって防ぐかという話なので、正反対かどうかというような、そもそも次元がちょっと違うんですけど、そんな話ですね、今日は。
なるほど。むしろ正反対というよりも、あるというものに対してどうアプローチするかということですよね。
そうですね。ある人を減らすとかはできないので、環境犯罪学の考え方ではね。その機会をどうやって与えないようにとか、犯罪が起こらない街にはどうしていくかとかっていうような話ですね。
なるほど。それっていうのは、この丸山さんのいつも話していただいている犯罪学っていう流れの中ではどうやって出てきた考え方なんですか。
これ結構ちょっと話せば長くなるんですけど、ぜひお付き合いいただきたいんですけど、もともと環境犯罪学っていう時には、犯罪被害がどうやってもたらされるかとかっていうところを研究してたようなのが土台になってたりするんですね。
で、例えば犯罪にあいやすい家とか、犯罪被害の多い街並みはどうかとか、例えばですね、南口さんの生活、これまでの幼少期から今までの中で、あの家また空き巣入ったんかとか、こんなにたくさんお家あんのに、あれあそこたしか数年前もあったよね、2回目じゃない、3回目じゃないみたいなことってありません?
駐車場で、駐車場近所にいくつもあるのに、またあそこ車上嵐やられたみたいな、本当にすぐ向かい側にも例えば駐車場あっても、なんかやられんのここやんねっていうのあった気がします。
そうそうそう、そういうので、犯罪被害をもたらす様々な要因とかを分析していって、それの対策を提示するっていうようなものがスタートになっていくんですね。
例えば、オスカー・ニューマンっていう人が70年代にですね、《防犯空間》っていう本出したりとか、レイ・ジェフリーっていう人が、環境デザインによって犯罪を暴動するかとかっていうのが環境犯罪学の話になっていくんですけど、
もっとそもそも論からいくと、被害者学、昔のですよ、昔の被害者学とかっていうような考え方とかって、こういう状況だとこういう犯罪が起きやすいので、こういうふうに回避しましょうみたいな研究が進んでた時に、
囚われ方としてはちょっと歪んだというか違った角度からの批判を受けたんですよ。当初はリスクが高いってこういう道路でこういう時間にこういう格好でとかになってくると、そういう被害のリスクが高まりますよとかって話になってったら、
じゃあ何か、被害者が悪いっていうのかとか、研究者としてはそういう格好だから巻き込まれたんだって言ってるんではなくて、純粋に数字というかデータとしてそういうことに巻き込まれるリスクが高まるから、
じゃあどういうふうに対策を取るかっていう話の学問だったんだけど、明らかに、もちろんそれをやった犯罪者の方が悪いんですよ、もちろん。
だけど、じゃあそういうリスクが高いところにいた時間、格好とか、じゃあ被害者が悪いのかっていう批判が高まってしまって、それでちょっとこの被害者学、被害者そのものを学問するっていうのは一旦ちょっと下火になっていったんですよ。
あの丸山さんがおっしゃってるように、研究なんだっていうのはよくわかるんですけど、だけどやっぱりこの時間帯、すごくシンプルに言うと、夜遅くに短いスカート履いて歩いてたら、地下にあってもしょうがないと言われているような気持ちになっちゃうっていうのは。
なってしまうでしょ。もちろんそういうつもりじゃないんだけど。
そういうつもりじゃないっていうのはよくわかるけれど、受け取った私もその気持ち自体はわかってしまうというか、そんな風に受け取っちゃうって気持ちはわからなくはないなって気がしますね。
社会復帰モデルからジャスティスモデルへの流れ
そうなんです。そういう批判を受けてって、ただ時代的には60年代70年代って刑事政策的にもちょっと大きな変更点があって、ちょうどこの時って社会復帰モデルっていうのが失敗したんじゃないかっていうことが言われるようになってて、
この社会復帰モデルっていうのは、そもそも刑事政策の犯罪者の社会復帰に重点を置くところで、医療モデルっていうのが流行ってた時期があったんですよ。60年代70年代。
で、これはそれまでの劣悪な環境にその人を置いて、で罰を与えてっていうような話をしてた時期があったんだね。昔ね。
ただ、そこでは疫病が流行ったりとか、自殺が多くなったりとか、病気が蔓延したりとか、とんでもなく大変な状況に進んでったので、
より人道化とか科学化をもたらすためにっていうので、もう少し科学をもとにしたっていうのが進んでいくんだけど、その時に医療モデルっていうのが導入されていったと言われてて、
で、この医療モデルっていうのはどういう考えのもとにいくかっていうと、例えば処遇は治療だし、犯罪者は病人なので、
そこで行われるものは非人道的なことをするんじゃなくて、その人その人の個別化に光を当てて、より効果的なものを提供しようっていうのが進んでった時代があったんです。
ただ、これに関してはちょうどさっきも言った通り、時代的には社会復帰モデルってこの人に再犯防止のプログラムをやることで防ごうっていうのを目指した時期なんだけど、
これが保守派とリベラルな人たちで両方から批判されることを招くんですね。
これなんでかっていうと、保守の人たちはそもそも原罰かしろとか、そんなとこにお金をかけるなとかっていうことで、手厚い処遇をとか批判するのはまあまあ予想つくじゃないですか。
そうじゃなくて、リベラルな人たちからも批判を受けたっていうのはちょっと一定の理由があって、そもそもこの犯罪を病気として捉えてっていうと、
じゃあその病気は何かって言ったら再犯とか犯罪することなわけでしょ。そうするとですよ、いつ病気が治ったと誰がどう判断すんねんっていうのって、
僕らのところで言うとね、再犯死因って誰がどうやって判断すんねんっていう問題につながっていくから、結構長期の収容を招いてしまうんですよ。
なるほど、そうなりますよね。
さらにそこでいう治療ってマジョリティが求む行動変容をさせることじゃないですか。
まさにそうですよね。
犯罪被害の数字化
でしょ。ってなっていくので、これがリベラルな人たちから反対されていって、社会復帰思想っていうのがちょっと下辺になってくる頃に、またすごい揺り戻しがあって、原発化モデル、徹底してガイドライン作って、こういう点数、
例えば被害者が何人、武器使った、行為の犯罪だったとかで、何点何点何点、排周神経とか、ガイドラインで数値化しても誰がどうとか裁量が入らないようなふうに触れていくんですね、今度。徹底して原発化というか処遇としてはもう原発化モデルというか、
ジャスティスモデルというのが進んでいくんです。で、その時にちょうどこのぴったりはまってくるのが、さっきちょっと下辺になった被害者額が、今度はちょっともっと保守化が進んでいく中で、もうその犯罪者に対して手厚く何かをするとか改善すること自体は無理なんだったら、
その人がもういようがいまいが、いったとしても前提として、そうじゃなくて、もう全然違ったこの視点から、その人がいたところで、もう少し効率よく社会を守るような学問として展開できないかっていうふうに進んだ。それを環境を整えることで、その人がいようが、この人をどうしようっていうのは無理だったら、環境どうこうしようっていう流れで出てくるんです。ちょっと長くなりましたけど、結構伝わったんじゃないかと自信があります。
すごく社会の状況といろいろな取り組みが組み合わさって、タイミングで一度下火になってた話がまた復活したっていうことは分かりました。そういう環境を整えることで被害を生まないように自分たちが取り組める犯罪対策みたいにすると受けたんですよ。そうすると自分たちにできる取り組みみたいなことで広がったっていうその考え方の中身を環境犯罪学の。ちょっともうちょっと詳しく聞いていいですか?
環境犯罪学はさっきも言った人たちが70年代から進んでったんですけど、やっぱり有名なところに行くと、例えばローレンス公園とかマーカスヘルソンとかが言ってる日常活動理論っていうのがあって、これもまた日本でも大人気な環境犯罪学の一部なんですけど、
例えば日常活動があって、仕事に行きますとか、学校に行きますとか、家にいますとか、寝ますとか、買い物に行きますとか、一応日常生活の中で犯罪発生のトリガーをどうやって見出して、それをどうやって環境的にその発生を防ぐかみたいなことを検討している説なんですね。
で、その中で彼らが言っているのでいくと3つ大事なことがあって、まず最初は動機を持った犯罪者、その次がちょうどいい標的、最後が役に立つ監視者の不在、これがどうミックスされて要件が満たされるかで犯罪が起きる起きないってことが分かって、さらにそれをどうやって防ぐかってことを言うんですよ。
で、例えばこの一定空間とか一定の時間においてこれがどう関わるかってことを検討することが被害を防げるんだってこと言うんですけど、これがさっき冒頭で南美月さんが以前の性来性犯罪者説と近い話なんですかって言うと、そう近くもないし反対でもないみたいなことを言ってたところなんですけど、
まず最初の動機を持った犯罪者っていうのってこれもいるかいないかなんで、環境によってこれをどうしようっていう話じゃなくて、もしくは学習してもらって機械をどうしようって話ではなくて、いるかいないか、いた場合にどうするかって話なんですね。
なんでこれはもう背景をどうしようとかこの人をどうしようっていう問題ではないから、いた場合、これももちろん動機を持った犯罪者がいなければそこで犯罪は起きないんで、いない場合はもうそのままそれで起きないからいいんだけど、いた場合って日常活動の中で犯罪が起きるのをどう防ぐかって話なんですね。
で、さらに日常活動理論で言ってる主な対象にしてるのって、計画的な殺人犯とかそういう重たい話じゃなくて、窃盗とかアキスとかこういうことをまず対象にしてるんだけど、そうなった時にちょうどいい標的、2番目のやつ、これはもう犯罪の対象として狙うのにちょうどいい都合のいい被害者が存在しているかどうか。
これがさっきの、例えば場所の観点があると被害に遭いやすい場所かどうかとか、もしくはプライバシーを重視するようにどんどんなっていってるんで、昔よりはね、となると完全に壁で追いかぶさってたりとか、植物で全く中が見えないようにしてるっていうと、それは一回そこにもう内側に入ってしまえば外から見られるリスクが完璧なくなるわけですよね。
っていうような近所からも敷地内の様子が全く分かりにくい家が多くなっていくと、それはそれでまた窃盗被害に遭う機会というかリスクも高くなっていくんだと。
で、もっと言っていくと各家族が進んで家に誰もいない状態、共働きで家庭が空いてるとか日中誰もいないとか、そうなっていくとやっぱり窃盗犯というかアキスの人からすればやりやすい環境はどんどん作られていくわけですよね。
で、もっと具体的な話すると、何日もシャッター閉まって窓が閉まってるとか、新聞受けに新聞が溜まってますよとかすると、この家誰もいないんだなっていうのを周りに知らせてるようなもんだし、
これは家で言ったらそうだけど、今度お店で言ったら店員をどういう配置するかとか、どの辺にミラーを置くかとか、どの辺にカメラを置くかとかっていうことにも影響があるっていう話になってくるわけですね。
で、今度被害者の行動の違いによっても、どんな犯罪に巻き込まれやすいかとか、強盗、窃盗とか暴行とかね、どんな犯罪に巻き込まれやすいかっていうことが変わってきて、例えば荒れてる人が多い繁華街に行けば暴力とか、
もしくはね、いろんな夜のお店とか行くとぼったくられたりとか、こういう被害になる危険性も当然高くなるでしょうとかっていう、それぞれの場所とか空間とかでそれぞれあるし、
で、ちょうど意表的にもなってくるよねっていうところで、一番のポイント的には3つ目の役に立つ監視者がいるかどうか。これが結構ポイントになってきて、さっきもちょっと言ったんだけど、各家族が進んでって、おじいちゃんとかおばあちゃんとか家にいないとかね、
日常活動理論と重要な要件
とするとやっぱ姿見られる可能性が低くなってきますよね。で、例えばあとは大型犬がいれば噛みつかれるとか。ちなみに僕前、ほら、動物、アニマルセラピーの時に言ったんですけど、うち保護犬いるんですけど、人むっちゃ怖がるんで、仮にうちに何かが来たとしても、超ビビってどっかの影に隠れようやろうから、あの子は。
全くちょっと番犬としては役立たへんのじゃないかという感じですけど、とりあえずそういう監視者の存在がどんどん減っていくわけですよ。で、これもうちょっと具体的に、じゃあ他の方法でどんなふうに影響が出てくるかというと、例えばですよ、目の前に団地があってとか、マンション建ってて窓?向こうから見える窓。
で、実際そこで中を覗いてる人がいなかったとしても、どっかの部屋から自分が見られてるかもっていうリスク、犯罪者側からいうリスクは高いわけじゃないですか。そこにたくさんの人が見てるかもしれないっていう。
ってなってくると、これはさっきも言ったような監視者というか、実際いるかいないかちょっといなくても見られてるかもっていうことが増えたりするわけですよね。
っていうことはやっぱりそれは窃盗する人からすれば犯罪はやりにくくなってくるし、だってどの窓から見られてるかわからんわけじゃないですか。で、常に歩行者が歩き回ってるところで、さっと家の中入っていく。これやりにくいわけじゃないですか。人通り多いから。
ってなってくると、それは今家でも言ったけど、例えば公園、これもすごいうっそーと茂ってる木に囲まれて奥の方見えへんとか、見にくくなってる場所がむちゃむちゃある公園だと、これ外の通りから中が見にくかったりするわけでしょ。
ってするとやっぱり外から見えやすい公園よりは、見えにくいところがいっぱい四角としてあるところの方が犯罪は起きやすいんじゃないかとか、じゃあそこから改善していくことで、家の作り方とか公園の作り方、どこに木を配置して、通りからも見えやすいんだけど遊ぶ空間をどうやって作っていくかとかっていうのが、自分でできる犯罪予防とかなってきますよね。
これが受けてた。
確かに今伺ってて、要は被害が起きにくい場の作り方、公園の木はどうしましょうとか、例えば人通りどうしましょうとか明るくしようとか、分かりやすい気はするんですよね。
私にもできることがある気がするんですけども、だけどそうしますと先ほど何度かおっしゃってたように、犯罪をしてしまう人にはもう着目しない考え方なわけじゃないですか。
そうですね。
そこに犯罪をする人はいる前提でどうするか、でもそしたらそこにいる犯罪をする人は、そこじゃないとこでまた犯罪をする人として生きていくだけなんじゃないのかなって、
役に立つ監視者の不在と犯罪予防
私どうしても人に着目はしないっていうところがちょっと引っかかるんですけど、その辺はどうなんですか。
いや、さすが南口さんっぽい質問ですよね。
まさに環境犯罪学の当初ですね、提唱された後にやっぱ避難として出てきた、それってこういう場合どうするのよっていうのに出てきた避難としては、避難というか批判としては移転効果っていうのをどう考えるかっていうのがあって、
ある地域で例えば犯罪予防の対策進んで、犯罪者にとってはそこでやりにくいなって機会が減ったとしても別にそれ別の場所に移っていくだけで、
犯罪量そのものを減らすことになってないんじゃないのっていう批判がやっぱり出てくるんですよね、当初。
ですよね。
でもかといって環境犯罪学をやってる人からの当初のその批判に関しては反論として、少なくとも一度犯罪機会を失って、再び同様の機会を見つけ出すにはさらにプラス時間と努力いるでしょうと。
まあそうか。
単純にスライドしてるわけじゃなくて、ちょっとやっぱ減点じゃねということを言ってみるっていう。
でも納得いってないでしょ、たぶん。
なんかちょっとすっきりしない感じがします。
これまあまあ確かに無理があるっちゃありますよね。
当然それイコールじゃないですよ、ここで無理やったら隣入ろとかじゃなくて、計画してずれるでしょうけど、そうなんですよ。
だからこれ元の問題がやっぱり解決してないというか、なので。
そうですよね、例えばですけど監視カメラをつけましたと、でまあこれカメラにどういう効果があるかちょっと去っておきですよ。
そうするとついてないところでしなあかんなってなったら結局それイコールじゃないと思いますけど、ここなんかちょっと引っかかりがありますね。
まあ確かに、まあいろんな意味でそういう移転効果で結局やる人が減ってないなら他に移っていくだけじゃないか、確かにそのちょっとずれたとしても起きるっちゃ起きるだろうっていうのでちょっとしっくりこないっていうのと、
プラス南口さんの疑問点としては、じゃあ仮に監視カメラとかがみんなが見れるような状態でもやる人はやるだろうと。
まあまあそうね。
元の問題が解決してないとね、っていう問題は常に起きますよね。
その点に加えてすごい気になるところがあるんですけど、今言っていただいたようにその犯罪をする人は人としていると、
でその人の事情の問題ではなくて、この場であったり町として安心安全な場作りをしようしていくっていうことっていうのは結局その犯罪をする人になってしまってる
何らか事情のある人とか、そういう人たちを排除していくというか、その人には着目しないわけで、犯罪をする人って設定された人は気にくい町にしましょうみたいな、
それが安心安全な町作りですみたいになりそうな気がするんですけど、その点はどうですか。
相変わらず鋭い質問だと思うんですけど、本質に入る前にちょっと気になった、安心安全っていう言葉なんですけど、実はこれ安全安心なんですよね。
安全安心の意味と違い
安心安全ではなくて安全が先です。安全安心。ちょっと実は違うんです。すごい似てるし、この違いをよく考えずに使ってる場所も結構あるので、
この違いってあんまり意識されない方が多いんじゃないかなと思うんですけど、そもそもこれが最初に出た頃の警察が使ってた安全安心なんですよね。
むしろオフィシャルにっていうか普通に使われてるのは安全安心なんですよ。何が違うかっていうと、安全と安心って実は全然違うものなんですね。
安全ってリスクなんで、マネジメントできるんですけど、安心っていうのはその人の思いだから、これ結構違うところあって、例えばですよ。
今この部屋に誰かが乱入してくるのをリスクとしてマネジメントしようと思ったら四方八方1メートルのコンクリートで包んでしまえば、これもリスクはものすごく減りますよね。
マネジメントできるんです、安全って。だけど、安心はそれでもミサイル打ち込まれたらどうしようとかっていう、その人の心の問題なんで、それはマネジメントしにくいっていうか、ここまで整えてリスクはかなり軽減できるんだけど、その人の思いで安心感って、これはちょっと管理しにくいんですね。
どんだけ整いてもでも不安なんでとかって言われたら、整えて不安だったらもうちょっと説得するしかないというか、説得しても不安だって言われたら、どうしても不安だって言われたらどうしようもないとこなんで、じゃあどっちから頑張るかって言うと、やっぱり町づくりとか、さっき言った警察発表がそうだったみたいなことなんですけど、
まずできることってリスクをマネジメントして、安全な町づくりをするってことが僕らからできる、行政ができる、僕らって僕は別に行政じゃないですけど、町づくりとかでできるリスクの軽減っていうのは町づくりとか環境でできるじゃないですか。こっちから先すべきで、だから安全安心です、順番的には。
大平 なるほど、意味を間違わず使いたいと思います。
皆さんこれ聞いてる人も安全安心ですよ。順番的には安全安心です。で、こうリスクマネジメントをしていきましょうってところで、でもさっきの話にも繋がるんですけど、それでもでもだってとかなってくると、やっぱりこう人を排除する方に結構向かってってしまってて、
例えば海外でも問題っていうか、現実に出てきてるのはゲイティットコミュニティとかって、本当の自分たちの町の知り合いだけで何件かで寄り集まって、その土地の周りにすごいでっかい高い塀を建てるんですよ。
大平 物理的に?
そう。住民以外が入っても、ゲートってだからゲートですよ。そこの敷地内にそもそも入ってこれない住人だけで、完全に塀を建ててエンクロージャーみたいな囲い込み運動みたいになってて、自分とのコミュニティじゃない人は一切出てってくださいとか、入ってこないでくださいみたいな、排除をするっていうような町というかコミュニティも現実的に出てくるし、
こうなっていくと、安全安心町づくりってすごい流行っていくんだけど、今度は日本の話ね。結局実は目の前にいる例えばね、子供を守ってとか住人を守ってっていうので、それはそれで一定の効果があるのって言われてはいますけど、一方で差別とか排除とか、本当に自分のコミュニティの人にも関わらず、自分は知らない人だから、この人怪しい人とか、
こういうふうな分断が生まれていくんですね。で、僕結構仕事から自分にアラートかかって、不審者情報とか全国の方が届いたりするんですけど、やらないですか、三谷由美さん、不審者情報ゲットする。
友達からたまに、ちょっとこんな言い方あれなんですけど、面白おかしい奴が来ると回ってきます。こんな人がいるって、市町村のアラート来たけど、こんなんでいちいち送られた送られた人も気の毒やなみたいな。
そう、まさにそれで結構ね、自分の地元のすごい田舎の方ですけど、不審者情報が僕に来たことあって、あんな近所で何が起こったんかなと思ってみたら、後ろから来た自転車が追い抜く事案が発生したんですよ。
あかんのかな。
そう、いや、追い抜かへんかったら怖いやろっていうね。
むしろね、むしろ怖いよね。
疲れたら怖いやん。でもやっぱそれって結局、自分の知らない人が不審に近寄ってきて、自転車でビャーっていったとかって、結局これって自分の同じ町に住む人なんだけど、知らない人だし不審者だからってなっていくと、
結局同じコミュニティの中の排除とか、知らない人を敵とみなすとか、分断するっていうようなことも起きてっていうことに繋がりかねないので、
やっぱり安全安心町作りっていうのは大事だけど、じゃあそれをどうやって、でも人を排除せずにやっていくかって結構同時に抱えるモロ派の剣というか、大変さがあることですよね。
福田村事件と被害者の心情
さてここで、犯罪学をもっと身近に感じてもらうために、犯罪学の観点からエンタメを見ていきたいと思います。
今日は南口さんがおすすめの福田村事件をご紹介します。
福田村事件は、AやA2、愛、新聞記者ドキュメントなど多くの社会派ドキュメンタリー作品を手掛けてきた森達也さんの初めての劇、映画作品です。
関東大震災直後の混乱の中で実際に起こった虐殺事件、福田村事件を題材とされています。少しだけあらすじをご紹介します。
1923年関東大震災が発生しました。その直後の大混乱の中、香川から関東へやってきた行商団15名が、次の地に向かうために利根川の渡し城に向かいます。
そこで最初は渡森の方とちょっとした口論になるんですね。これをきっかけに、すごく村の人たちまで含めたような大きなトラブルになってしまって、
結果的にはすごく村人たちが興奮して、この行商団を十数人殺してしまうという大虐殺が起きるっていう。この事件自体は後々歴史の中で被られるというか、あまり人に知られないような事件になっていくんですけれども、その過程を描いた作品です。
確かに結構話題になって、しかもこの事件自体もこういうものがあったんだってことで話題になってたんですけど、
今日これをご紹介したかった理由は何かありますか?
最後に丸山さんがゲーテッドコミュニティになっていったりだとか、知らない人を敵とみなして排除するっていうようなところにつながるっていうお話をされてたと思うんですけれど、
まさにその大きな地震が起きて、いろんな噂とか、みんな死んでるんじゃないかとか、ご存知の方も多いと思うんですけど、その朝鮮半島の方たちが日本の人を殺してるっていう、これも全く間違いだった噂が飛び回っているような中で、この香川県から関東に来た人たちって違う言葉喋ってるんですよね。
方言が違うから。それをきっかけに、知らない異物だから排除しようっていう気持ちがワーって盛り上がっていくんですよ。恐怖心もあったとは思うんですけれど、やっぱり自分たちの知らない人が敵になる瞬間だったり、
じゃあその敵に対して、この事件は最悪のパターンで殺してしまうっていう方に行くんですけれども、そういう誰かを敵とみなすような形で排除していくことの怖さみたいなのを描いてるんじゃないかなと思ってご紹介しました。
なるほど。ちょっとまたこれも見るのに自分の心の余裕というかがいるやつですよね。
辛いですね。でもぜひご覧いただきたいなと思います。
はい。
丸山さんに解説してほしいエンタメ作品がありましたら、番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください。
さて、この番組では感想や質問、リクエストなどをお待ちしております。番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
Xではカタカナでハッシュタグ罪な話をつけてポストしてください。
それではここでメッセージをご紹介します。
うどんさんからいただきました。
以前裁判員として裁判に参加する機会があり、性犯罪について議論する機会がありました。
その中で、性犯罪という犯罪を軽く見ている人が何人かいらっしゃってショックを受けました。
犯罪を犯した加害者が絶対的に悪く、被害者の落ち度は全くないのに、被害者側にも非がある。
防御意識が甘い等の意見があって納得できない気持ちでした。
性犯罪につきまとう被害者の落ち度・自己責任論に関してどうお考えでしょうか。
このことです。
はい、メッセージありがとうございます。
もちろんおっしゃる通り、被害者を責めること自体は完全に間違いで、
被害者心を徹底していくというのが大前提で大事だと僕も思っています。
性犯罪に関してというのが、いろんな国の事情と日本特有だろうなって思わされるところが、
家族制度とか、いろいろ断層除皮の延長上にあって、
性がどうっていうところに関連することはもちろんあるんですけど、
そうじゃなくて、自分より立場の弱い人に対して従うべきだとか、
当然お前は俺の言うことを聞くべきだっていうような延長線で起きてるっていうような指摘も性犯とかにもあったりして、
っていうような延長でこういったコメント、被害者の落ち度は全くないのにもかかわらず、
なんかお前も悪いんだろうとかっていうようなのが、
まだ未だに言われてしまうんじゃないかっていうようなことがちょっと危惧されるってところですね。
繰り返しますけど、やっぱ被害者を責めることは全く間違いですし、
被害者支援を大事にするってことはまずこれは大前提ですね。
僕らがやっぱりでもこの番組ではさらに大事にしていきたいって言ってるのは、
ちょっと今日のコメントとかメッセージとはイコールの返事じゃないかもしれないですけど、
加害者の機会を奪うというか、そういうことの徹底して排除っていうことだと根本的な解決には全くなってないので、
排除っていうことではなくて、加害者に向き合うってことをどうするかっていうのが今日のテーマの一つでもあって、
この番組全体で通じても言ってることで、そうしていくことで、
さらなる次の再犯防止でもなっていくんじゃないかっていうようなことも言いたいってところがあるので、
同時に加害者側にもどうしていくのかっていうことを一緒に考えていただけたらありがたいなと思ってます。
そうですね。性犯罪のところって特にこういう言われがちですよね。
そういうことを言うべきでは絶対にないし、ほんのちょっとずつだけれども、
いや、そういう被害者側がどうとか言うのおかしいよっていう声も上げれるように少しずつなってきていると思うんですね。
安全の創造
なので、それは間違ってるっていうのを言い続けるっていうのもすごく大事だよなっていうふうに今思いました。
そうですね。
毎月第3日曜日の夜9時半からXのスペースで、罪な話で裏話を開催しています。
ポッドキャストで話しきれなかった内容や、スペースに参加してくださった皆さんの質問にお答えしています。
こちらのご参加もお待ちしています。
また私が所属する一般社団法人刑事司法未来でも、犯罪学や刑事政策について発信しています。
刑事司法未来で検索してみてください。
ではまたお会いしましょう。お相手は丸山康裕と南口文でした。
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