自己表現と関係性
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表 働き方エヴァンゼリストの田中健士郎です。
このラジオは、誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、 そんな世界を目指す仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
みなさん、自己表現していますか?
なので、そう考えると、私も自分って何者かって言われると、 非常によくわからないんですけれども、
例えば、いわゆるプロジェクトをよくやっている 経営学部の大学教員っていう面で、
私と声を持ってくださってる方と、 私、農協議員の農協議員を見るのが好きなので、
仕事と言っていいのか、国立農学堂っていう東京にあるんですけど、 そこの解説パンフレットも書かせてもらったりもしてるんで。
なので、農学堂とかに行くと、 そこでいろんな方がそうお話しするわけではないですけど、
私には自覚がなくてもなんとなく面が割れてる可能性があるというか、
そっちで知られてるってなると、 そっちの関係性もまた存在すると。
もちろん家族とか、そういうプライベートなところになると、 また別の関係性もあったりする。
そのトータルっていうのが、結果として事故になっていく。 自分という存在ですよね。
なので、自分という存在、事故っていうのも変わっちゃうと思ってるんですよ。
変わるっていうか、本質っていうのかな。 本質って言葉あんまり使いたくないんですけど。
軸の部分がそう変わるわけではないし、 急激に大変動するっていうのは少ないと思うんですけど、
実は何年か経ってみると変わってる。
まさに私プロジェクトやるなんて少なくとも、 20年前の自分は考えもしてなかったことなので。
なので、そういう関係性の中で自分って、
実は思ってる以上にいろんな形で現れていく。
なので、さっきの自己表現っていうときに、 実は私自身がこうしたいっていうのはもちろんあるんですけど、
他の、まさに向き合ってるというか、 たまたまそこで今向き合ってる人との関わり合いの中で、
実は表現って、自分がしたいことと相手の関係性の中で 出来上がってきちゃうというか。
意図してない表現っていうのが すごくありそうな気もするんですよね。
いやーそうですね。めっちゃわかります。
なので、問いに対して全然答えになってないことを 言っちゃうんですけれども、
その場その場で、自分が何をしてるかが 結果的に表現になっちゃってるのかなと。
特に年を取ってきたからかもしれないんですけど、
自分はこうあるべきだという、 ないわけではないですけれども、
なんかこう、薄くなってきちゃったのかもっていう、 ポジティブな意味でもなんか、
ただでも、接してる方との中で、 相手にとってもですし、自分にとっても、
あるいはその関係性自体がっていうことも あるかなと思うんですけど、
それが良いものになるように、 っていうとこかなと。
関係性の深化
すごいごめんなさい、中途半端というか、 抽象的すぎて残っちゃってる話になるんですけども。
すごい。いや、分かります。 人間性の束って、本当に布みたいな感じで、
そこに織られてる糸は、他者との関係性の中で 作られていくみたいな。
ちょっとこう、かしみ屋が入ってきたりすると また風合い変わっていくみたいな、
そういうのが、確かに。
働き方ラジオをやって、僕は割と人生変わった っていう話をしてて。
ううん。
これ、なんで去年、ちょうど3年続けたときに、
自己表現をするように情熱を持って働く、 世界を作る仲間づくりをしているポッドキャストですっていう、
仲間づくりのためのポッドキャスト っていうふうに考えたんですけど、
それがまさに、このラジオは、 もちろん聴いていただきたいっていうのもあるし、
聴いていただく方が仲間になってくれる っていうところと、
あとはさらに、今日みたいにゲストで 来ていただく方と、
割と深い、まさに今みたいな、何て言うんでしょうね、 価値観レベルの対話をするので、
なんかすごく深い関係性が、なんでしょうね、 ちょっとイベントで名刺交換したぐらいではないような関係性はやっぱりできる感覚はあって、
で、すごいそこで共鳴が起きて、みたいなところで 関係性が作られていくので、
なんか、僕最近、みんなポッドキャストやったら いいんじゃないかぐらい、なんか特有不特有あるので、
あれってことはないんですけども、 それぐらい本当に関係性をここで作ってきて、
まさにリサさんがそういう人つなぎっていうか、 どんどん会いたい人に会いに行く天才なので、
その力も借りながら、本当に関係性の束が どんどん新しくできていて、
その結果表現をしているというか、 その話はすごい今納得しました。
よかったです。
でも、まさに自分自身っていうのを あんまり意識しなくなったって言いながらも、
出てるんだと思うんです。 好き嫌いも含めて。
ただ、そこのところも無自覚っていうのかな。 無自覚のうちに好き嫌いとかそういうのも、
多分出ちゃってるんだろうな、というとこだけ 意識しとこうかなっていう。
コントロールしようがないとこもあるので。 そうですね。
結果的に、その関係性の束も何かの共通点があるとか、 ちょっと近い価値観の人がつながっていきますよね。
そうですよね。 それはすごく思います。
そうですよね。確かに。 すごいなんか、今自己表現について、僕が考えるきっかけになったの。
自分の会社の名前がセッションクルー っていう名前なんですけど、
何ですかね、人と人が音楽を演奏して、 ジャムセッションをするような感じで、
人と人が出会って共鳴して、何かが生まれて、 表現が生まれていくみたいなことを、
割と感覚的につけたんですよね。 リサと一緒に年末か何かに急にセッションの気がするみたいな。
でも今の話とも関係性の束みたいなところも、 すごくセッションみたいなふうにも言えるような気がするので、
セッションとか混ざるとか織りなすとか、 そういうことと表現っていうのは、
人脈の意義
逆に切っても切り離せないというか、 むしろそこがつながっているもんなんだなって今すごく思いました。
そうですよね。まさに今、けんしろうさんおっしゃった、 共鳴する。
あの、一時、共感っていう言葉が若干流行った感がありましたけど。
共感というよりも私はどっちかというと、 共鳴のほうが、実は好き。
これも言葉の好みの問題ではあるんですけど。
共感っていうのも、あれは本当はエンパシーなんで、 相手がどう感じてるかっていうところに、
ある種、他人であることを前提にして入り込んでいく。 っていう意味合いだと思うんですね、エンパシーって。
それはそれでなんていうか、 日本って共感って言うと同感と同じようになっちゃうんで。
なんでしょう、これは私の性格の問題かもしれないですけど、 ちょっと重く感じることもあるんですよね。
なるほど。
もちろんするんですけど、共感もするし同感もするんだけれども、 それをずっと言われちゃうと、しんどいなっていうのがあって。
あなたは私に共感してますよねっていう、なんか。
そうなんです。してるけどさ、みたいな感じになっちゃうんで。
なので共鳴って言ったときって、それぞれが何らかの形で音というか、 もっと言うと空気振動みたいなのを発してるのが、
たまたままさに2人なり3人なりが合わさったときに音になるというか、 っていう感覚なんで。
一人一人の存在っていうのが、共鳴のほうが、それぞれの人がそこにいるっていうのが、 これはもう感覚的なものでしかないんですけど。
なんかねそういうのがあって、私もどちらかというと共感。 共感って言葉を使うべき文脈というか、それはもちろんあると思うんで。
はい、あります。
そのときはもちろん共感って使うんですけども、それぞれの個人がまさに自分というか、
ある種の関係性の中からできるんだけど、自分という存在を保ちながら一緒にやっていくっていうときは、
どちらかというと共鳴っていう言葉のほうが、 よりイメージというか、合いやすい表現かなっていうふうには思ってますね。
めっちゃくちゃわかります。共鳴なんですよ。 あとは僕の周りだとグルーヴっていう言葉を使う人もいますね。
より感覚派の音楽好きな人とか、共鳴とかグルーヴ、出てるよね、みたいな。
それぞれの表現がたまたま同じ周波数で重なっていくみたいな共鳴っていうのは、僕もそっちの方が好きって感じですね。
最初の意味のイノベーションの話とかにちょっと戻ると、
人によって物の見方とかが全然違うんですけれども、結構その意味を感じるとか、
そこに割と近い意味付けに、それこそ共感とか共鳴する仲間が共鳴したりグルーヴしていく感覚とかは結構ありますね。
そこが近い人同士が仲間になって一緒にやることになったりとかするし、
そういう商品の場合によっては購入者になったりとかもするし、
そういう意味のイノベーションとかにも繋がるのかなと今思ったりしました。
そうですよね。本当に音楽、私は音楽全然やらないんですけれども、
ノリって言うじゃないですか。ノリって実は能で使う言葉なんですよね。
なので、ノリがあるとか、あるいはノルっていう状態はまさにリズムがある状態とかっていう言葉で使われてるんですけれども、
まさに本当に今でいうノリと一緒なんですけども。
そうなんですね。
はい。脳のやつは大ノリとか中ノリとかそんな言葉がノリの場合で言葉があるんですけども。
ほー。
なのでそういう意味で、楽器も何種類かも決まってますけれどもあって、
そのテンポであるとか歌うペースであったりとかっていう時に、それがうまくハマってるというのかな。
合致してる時にいい舞台になるケースってやっぱり多いかなと思うんで。
なるほど。
そういうのって、脳なんか指揮者がいないので、まさに日頃の稽古とか、あるいは捉え方とかっていうので、
その時の体っていうんですかね、などで出来上がっていく部分っていうのがすごく大きいだろうな。
実はそういうノリの感覚であるとか、さっきおっしゃってたグルーヴであるとかっていうのも、
意外と企業もそうですし、組織っていう形で複数の人が何かを一緒にやっていくときで、
うまくいってる感じが得られるときっていうのは、そういった感覚っていうのと重なり合ってくるとこは少なからずあるんじゃないかなっていう気がしますよね。
そうですよね。確かに。
最近すごく人脈とかを考えることがよくあって、人脈って何なんだろうなとか、名刺をたくさん持って私人脈ありますみたいな話は、
そうじゃないんだよなとか、別にビジネスイベントにたくさん行けばいいってことじゃないんだけど、
でも働き方ラジオをやり始めて作ってきた人間の関係性の輪みたいなものは、すごく他には買いがたいものだなって、
今年ちょうどジャムセッションのジャムっていう名前をつけたイベントをやったときにすごい感じた。
それがやっぱり、ただ人が名前を知ってる名刺交換をしたっていうんじゃなくて、
なんかその共鳴とか共振できる仲間がどれぐらいいるかみたいなことが人脈とかだとしたら、
すごく人生が豊かになる人脈なのかなとか、すごく思いましたね。今の話を聞いて改めて。
そのまさに人脈っていうのかな、それを選び取るっていうのかな、別に誰かを排除するとかっていうことではなくて、
そのときに今この人と縁を強くしておきたいっていうのか、濃くしておきたいっていうときのまさに軸になるのが意味なのかなって思うとこがあります。
本当に。
そう、意味なんですよね。そこの意味が、人によってはピンとこないこともあるし、別にそれが悪いことじゃないんだけど、
この意味を言ったときに、まさに働く方ラジオは働くの意味に自己表現ってあってもいいんじゃないですかって言って、
意味のイノベーションの重要性
その意味付けを、ああーって言う方もいれば、まさに表現だよねみたいな、やっぱセッションだよねとかグルーヴが大事だよねとか、
やっぱりそこでブワーって触れる人とはすごくつながっていく感覚があるので、
なんか本当に意味のイノベーションの、意味っていうものは、確かに人をつなぐ、つながりのもとになるみたいな、いうふうに捉えられますね、確かに。
そうですよね。ずっと同じ意味ばっかりだったりすると、自分も飽きちゃうので。
そうですね。
ここでやっぱり、新たにするっていう点でのイノベーションっていうのも、やっぱり必要になってくると。
だからそういう意味で、今までと違うものの見方であるとか、あるいは今まで接することがなかった人たちとの縁の中で、
今まではどちらかというと、そうおもんじてもいなかった意味というかっていうものの、また別の見え方が出てきたときに、
まさに意味のイノベーションって言えるような状態が生まれてくるのかなというふうに思ったりもしますね。
あー、めっちゃわかります。なんか、もしかしたら、世の中の7割8割の人が、働くの意味って自己表現だよねって言い出した日には、僕はそれに飽きてそうな気がしてて。
なんか、多分僕は結構変わり者でいたいというか、ちょっと僕の周りなんか天の弱って自分のことを言ってる人多くて、
なんか最近気づいたんですけど、僕は天の弱なんでとか言って、なんかすごいわかりますとか言って。
意味のイノベーション、特に好きな人は結構、ちょっと別の見方を、一般的な見方とはちょっと違う見方を探して、
そこに自分が表明するかっていうのを楽しんでいるみたいなところもあるのかなとか。
そうですよね。なので、今はまだそこまで言ってないんで大丈夫ですけど、意味のイノベーションっていう言葉をみんながあまりにも当たり前に言うようになった時にはもう使わなくなっている可能性はあるだろうなって思います。
そうですね。いやでも本当そうだと思います。
シーマン考えれば考えるほど、頭で考えるものでもないっていうか、頭で考えないと最初は概念として入ってこないんですけど、
一度入り始めると、何でしょう、世の中の節理というか、そういうものに。
まさに言えば多分いろんな言い方できるんだけど、こんなことを研究者が言ったらダメなんですけど、
いろいろ言ったところでみたいなところがどっかにあって、とりあえずちょっと体を動かしてみましょうかっていう話になりかねないところが、ちょっとある気はしてます。
確かに。リサとも言ってて、意味のイノベーションを本当にやりたいんだったらいっぱい散歩したらいいんじゃないかっていう話を最近してて。
ちょっと公共交通機関使わずにちょっと歩いてみるとか。
そうですよね。それとか別に国内であろうが、国外であろうが、違う地方のものを食べると、景色とか見え方が、特に地元の人が食べてるようなものをいただいたりすると、
なんかよくわからないけども、あ、なるほどなーとかって勝手に思ってる自分がいたりするんで。
そうですよね。確かに。最近僕も地域の発酵食品とかになんか興味がありますね。どうやら地域の。
一応同じこと今想像してましたんで。
本当ですか。
はい。
やばいですね。共鳴しまくってますね。
いやーすごい興味。まだそんなに知らないんですけど、どうやら各地域の家の中にあるらしいっていう。家の中で代々つながっているっていう。そんなん知りたいなーみたいな。
そうですね。あと海外、僕も海外やっぱり行くのは好きなのはやっぱり多分そういうところはあるのかもしれないですね。
違う視点を得るのが。なんで海外行っても、これは安西さんもよく言ってますけど、一つの都市に少なくとも3日とか、できれば3週間とか。
未だに海外行くと僕3週間ぐらい家族で行くんですけど、仕事をだいぶ調整するんですけど。
ゴールデンウィークとかにうまく重ねて、リモートワークとかちょっと入れながらやったりするんですけど、それぐらい長く行って、どっちかっていうと観光地を見るっていうよりも、その地域の人たちが暮らしている、それを体験しに行くみたいな。
なるほどーとか思って。そうですよね。そこでなんか言語化できるときもあるけどできないときもあるんですけど、それでいいというか、なるほどねーみたいな。そういうのが好きですね。
自己表現と人脈の探求
ありがとうございます。ちょっといろいろ聞かせていただいたんですけど、すごく自己表現ということの意味のイノベーションと人脈みたいな、最近僕の今探求したいテーマの解像度がですね、また上がって、すごく楽しかったです。
そう言ってもらえると嬉しいです。すごい取り留めのない話ばっかりしてたし、経営の話はほぼほぼしてないっていうのが、これを私の中では自分らしいんでいいんですけど。
自分らしい。確かに。山形さんの自己表現とはって言われたら何かありますか?結構このラジオでこれも聞いてるんですけど、さっきの人の束みたいな話もあったんであれですけど、最近のとか。
おおですね。何なんでしょうね。ただ、もっとすごい、先ほどもちらっと申し上げましたけど、私なんかより経営学ですごい人、素晴らしい研究者はほぼ皆さんそうなんで、あんまり経営学者って言ってもなっていうところがあって。
ただ何だろう、経営っていうのを一つの手がかりにしながら喋ってる人みたいな、そんな感じの人間かなって思うことが最近すごく増えてきたので、喋る切り口が経営であることが多いっていう。
これを研究者とか学者って読んでいいのかどうか自分でもよくわかんなくなってくるんですけど、もう50も見えてきたんで嫌って思ってるとこあります。
あー、なるほど。経営を切り口に喋ってる人。そうですね。僕は働くを切り口に喋ってる人で、僕も別に代表取締役なのかとか、代表とか肩書にはそんなにこだわりがないというか、そういうことじゃないなとか思いながら、僕もすごい近い感覚はあるかもしれないですね。
なんて言うんでしょうね。いいですね。喋るのは割と好きというか、常に。そうですね。いろんな形で話をさせてもらうのは結構好きですよね。
めちゃくちゃわかります。ずっと喋ってるんで、僕も。ぜひこんな感じでまた定期的に収録ありなし含めていろいろとおしゃべりできたら嬉しいなと思いまして、今日僕もいろんな見え方がまた変わったので、本当にいい時間でした。
ありがとうございます。ぜひまた続けて。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、今日は近畿大学の山形先生にお越しいただきました。山形さん今日はありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
今回もお聞きいただきありがとうございました。
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ありがとうございました。