辞泉三種 一種目について
こんばんは、短歌のセカイの歩き方です。
このポッドキャストは、毎週一つの短歌を取り上げて、短歌のセカイの楽しみ方をお話ししています。
今日は久しぶりの配信です。
そしてお正月スペシャルということで、素敵なゲストをお迎えしております。
千葉直樹さんです。よろしくお願いします。
こんばんは、にゃおこと千葉直樹です。
ポッドキャストは、にゃおのリテアシーを考えるラジオというのをやっています。
結構ね、最近毎日7時の予約配信なんですけど、配信していて。
朝7時ですよね。
そうですね、朝の7時。
やっと1年ちょっと経ったかなというところですね。
すごい、毎日配信で1年ちょっと。
もう400回超えてますよね。
そうですね、40回程度。
はい、よろしくお願いいたします。
はい、というわけでですね、すごい久しぶりの配信で、たぶん1年ぶりぐらいかもしれないというぐらい久しぶりの配信です。
そんなに空いてたっけ?
空いてたんですよ、もう全然やらなくなっちゃって。
以前は1人でタンカを1種取り上げて、このタンカってどういう世界を表しているのかなっていうのを、私が1人でベラベラとお話ししたんですけど、
今回はですね、取り上げるタンカを、私、北爪インタールが作った実作のタンカを3つ選びました。
はい。
実践3種を選びましたので、そのタンカについて、におさんがどういうふうに感じたかっていうところと、私がどんな思いで作ったかっていうところをお話しできたらなと思っております。
はーい。
におさん、タンカはどれぐらい馴染みがありますか?
馴染み、自分で何かやるってことはあんまりなかったですね。
ただ、世代なのかな、父がタンカ作ってたみたいです。少しね。
へー。
なので、なんか僕の名前の四文字入れた歌とか作ってましたね。そういうのもらってます。
子供的にはすごい素敵な贈り物というかプレゼントですよね。
そうですね。やっぱり嬉しいですね、そういうのね。
ちゃんと考えたんだなーとか、名前にどんな意味があるんだろうとか、そういうことがね、わかりやすいので。
えー、ちなみにそのタンカって覚えてますか?
ほんとね、最初から言うとこんな感じです。
ちとせまで、葉を青にして砂を成る、大樹と育て、いとしわが来よって言うんです。
へー、ちとせってのは、あれか、ちおにやちおにっていう、ちとせまでって。
そこにちが入ってますよね。で、葉を青にして。
葉を青ね、ちばですね。
で、砂を成る、のなおで。
で、なおで、大樹の。
ということで。
お父さん、素敵なタンカを作りましたね。
ちょっと嬉しいですよね、こういうのね。
そんなのの、そういう影響を受けたというか、聞いたことがあるので、
石川たかぼくとかは読んでますよね、割とね。
北海道に縁があるので、石川たかぼくは。
っていうぐらいですね、自分で作ることはほとんどないですね。
まあ、詩集とかを読んだことはあるけど、自分で作ったことはない。
そうですね、それはあまりないですね。
だから、タンカっていうのとか、いろんな歌って種類あるじゃないですか。
ハイクとか。
ハイクもそうですけど、そういう形式の方には興味があって調べたこととかはありますよね。
ドドイツみたいなやつとかね。
面白いじゃないですか。
チョウカってなんだろうな、みたいなやつとか。
チョウカとかね。
そこには興味があるので、調べてみたりとかしてますね。
だからって。
でも、お話を伺ってると、割と私と同世代とか、それよりももっと下の人よりかは、やっぱり世代的なものもあって、タンカは親しんできた方なんじゃないかなっていう印象を受けました。
そうなんですかね。
たぶんこれは父の影響はあるんだと思います。
そういう、なんか、やっぱり卓国みたいなものをね、読んだりとかっていうのは、きっかけがないとなかなかないと思うんですよ。
そうですね。
父の影響だった気がしますけどね。
ちなみに余談ですけど、私も母が俳句をやってたりとか、シイカが好きっていう母なんで、私の本名っていうのは100人一種の和歌から取ってるんですよ、実は。
名前を。
そういう縁もあって、私もだから、親の影響っていうのは多少あるかなっていう気はしてます。
そうですよね。なかなか学校とかで出会うってこともないですもんね。教科書でもちろん載ってるんだけど、でもなんかそこで終わりますよね、大抵の人はね。
そうですね。ふーんって言ってね、終わりっていう感じですね。
はい。
じゃあ早速、辞泉三種をですね、一種ずつ一種ずつご紹介していきたいと思います。
まずは一種目です。
これ読みますけど、2回読み上げますね。
はい。
なんか単価って2回読み上げるらしいんですよ。
ですね。そういえばあれですよね、お正月なので、ね、疑い始めとかもありますよね。
ね、こう去年ね。
大体2回ですよね。
2回ですよね。なんでかは知らないんですけど、2回なので2回読み上げます。
はい。
まず一種目です。
ある晴れた、朝はあまりに何もなく。
ありかもしくはごまになりたい。
ある晴れた、朝はあまりに何もなく。
ありかもしくはごまになりたい。
これにゃんさんどう思いましたか?
辞泉三種 二種目について
これね、こういう感覚になったことあるんだろうかっていうのをちょっと考えたりとかしたんですけど、
なんか直感的に浮かんだものが一つあって、
はい。
これがね、なんか変なものを思い浮かんだんですよ、これ。
え、何でしょう。
鮎治がポカトントンっていうのを書いてます。
ポカトントン。
うん、ポカトントンっていう小説っていうか、短いんですけどね。
はい。
こういう形で書かれてるものなんですけど、これがね、なんかポカッと浮かんできたんですよ。
うーん。
全然関係ない感じがする。
え、なんでだろう。
いや、いいですよ。
なんで?
直感、そこに結びついた仮定っていうのが気になります。
まずね、たぶん朝、晴れた朝っていうところがね、何か繋がってるんだと思うんですね。
うん。
晴れた朝のポカッと抜けた感じ
あとはその後ろの方の、なんかこう、ありかごまになりたいみたいな感覚っていうのは、
どういう感じなんだろうって思った時に、
ちょっとなんかこう、どっかに消えていたいみたいなところがある感じがしたんです。
この、読んだ時にはそんな感じがしたんですよ。
端っこにいようみたいな感じだったりする。
うーん、はいはい。
なんかちっちゃな存在って感じですかね。
そうそうそう。
で、でもね、それとこの、なんかこう、晴れた朝のイメージってあんまり結びつかんなという感じが最初はしたんですよ。
あー、うん。
僕の感覚ではそういうところだったんだけど、
なんかね、この、トカトントンっていう小説の中では、
ちょっとね、変な、変なっていうかこういうことあるかもしれないなっていう描写があるんですよ。
これトカトントンって、そういう音が聞こえてきたっていう話なんですよね。
えー、はい。
なんかね、どっか家を直すようなね、大工さんが何かを叩いてるような感じなんですけど。
うん。
これが、戦後の焼け跡のところでそれが聞こえてきた時に、
すごい言いようのない虚しさみたいなものを感じてしまって、
呆然としてしまったっていう話なんです。
あー。
焼け野原ってことですよね。戦後の何もない、さらちになっちゃったみたいな情景ですかね。
しかも負けたわけですね。
うーん。
そういうところで、その音、それまである程度緊張してるものの中で、
その音を聞いた瞬間に、なんかこう抜け落ちてしまったみたいな。
あー。
っていう、まあそういうことが書かれてる話なんですよ。
ポカッと何かが抜けてしまったみたいな感じなんです。
なんかそれすごい情景が思い浮かびます。
なんか、もう何とも言いようのない立ち尽くしてる感じですよね。
ね。
そういうちょっとね、朝のなんか晴れているところと、
なんかちょっとそういうちょっと抜けた感じ、ポカッと抜けてしまった感じっていうのを感じたのが、
僕の印象だったんです。だからこれ浮かんできたんだと思うんですけど。
あー。
そこがね、結構ちょっと無力な感じだったりとか、なんかこう、
張り合いの無さみたいなものがあるような感じとか、
晴れた朝っていうのは割と明るさな感じっていうのがあるような気がしていて、
明るさっていうのね。
なんか夕方とかとは全然違いますよね。
あ、そうですね。
で、そういうものの中にちょっとこうね、
小さいものっていうのは対比性出てきてるんで、
小さいものと対比される存在
なんかそういう、心理的にはそんな感じがするなという印象を僕は持ちました。
あー、なるほど。
ありがとうございます。
はい。
はい。
まあタンカって正解がないので、どの読み方が正しいみたいなことはないので、
ネオンさんおっしゃっていただいたのも一つの読み方っていうふうに思ってるんですけど、
でもなんか私もだいたい似たような気持ちで作りました。
だからその阿貢治のトカトントンの気持ちですね。
なんか無力感というか、こう、ぽっかり穴が開いちゃうみたいな感じ。
はい、抜け落ちちゃったみたいな。
これどういう場面で思いついたかっていうと、
朝起きて空を見た時に、特に冬の空なんですけど、朝の。
雲がなくて、曇りのない快晴というか、
パーッと抜けるような青空が広がってるじゃないですか。
関東のイメージですね。
あ、関東は?北海道は何ですか?
地域によって晴れ方多分違ってると思います。
冬の晴れ方は違ってると思います。
あ、そっか。
でも関東のイメージも僕はできるので、そういう感じだと思います。
はい、関東はですね。
日本列島は長いからな。
そうそう、だいぶ違って見えるんですよね。
それによって季節感とかも変わってきたりとかするので。
地域性か、それは面白いですね。
面白いですね、テーマとしましょう。
北海道の人が読む歌と沖縄の人が読む歌も全然違う可能性大ですよね。
ですね。
はい、関東の設定でいきますね。
イメージができます、本当にそういう意味。
で、なんかまあそれってすごく気持ちのいい朝なんですけど、
なんか同時に何もないことのちょっと怖さというか、
あまりにも何もなくて、なさすぎて怖いっていう感覚があったんですね、その時。
で、多分なんか一個そこに対して抵抗したいんだけど、
何もなさに対して自分として何か抵抗したいんだけど、
でも大きな青空に比べて自分ってすごく対比すると小さなものですよね。
それさっきねあおさんも大きいものと小さいものの対比っておっしゃってましたけど、
なんかだからその青空にもし自分が足掻いて抵抗したとしても、
もうありかごまぐらいの威力しかないっていう。
どっちかというとそっちの感じなんですね。
そうですね。
対比として小さいものを持ってきた感じなんだけど。
そうですね。
小さくなっていきたい感じではないの?
なっていきたいっていうかもともと小さいものであって、
どう頑張ってもこれ以上大きくなりようがないっていう感じですね。
だから小さくなりたいよりももっとちょっと絶望的かもしれないです。
最後の足掻きの希望
なるほど。
そういうふうにか。
なるほど。
わかりますわかります。
そういうことね。
希望がないんだけど、
それでもそのありかごまとして青空に1点だけ黒い曇りを入れたいっていう、
なんかその自分の照明をちょっとでもいいから残したいっていう、
希望はないけど最後の足掻きみたいな感じですね。
赤がありとかごまになってるんですよね。
なるほどね。
黒いちっちゃな点っていう。
なんか謎が解けた感じがする、そこのところは。
なんで小さい点なんだろうっていうのはちょっとね、
なんか僕があった感覚とは違うところがあったんで。
なるほどね。
そういうことなんですね。
人間の感情と対峙する
良く作りました。
気持ちすごくよくわかりますねこれで。
なんか多分それって空を見た時だけじゃなくて、
空以外の大きなものに対峙した時って、
同じような気持ちになるんじゃないかなって思うんですよね。
なんか例えば職場で自分じゃどうにもならないような大きな問題にぶち当たったとか、
例えばなんか大事な人をなくすとかそういう人生の大きな転機とか、
なんかそういう時ってね、なんかどうにもできないけど、
何かその自分がそこに立ち向かってるというか、
その問題と対峙してるっていう証だけはなんか残しておきたい。
その対峙してること自体は事実としてあるよねっていう。
そういうことですね。
でもそういう意味で言うと、ちゃんと何かを残したいっていう感覚が強くあるということですよね。
どちらかというと。
そうですね。だから絶望してるけど何もしないわけじゃない。
そこの強さをすごく感じるんですよね。
この最後のなりたいのところに多分その強さが込められてるなっていう気がします。
僕どっちかっていうと消えてしまいたい方なので、
もう書けないなって思います。
もう探さないで。
もちろんそういう時もありますけどね。
なるほどね。そうやって読み解いてみると、なるほどっていう感じがします。
すごくやっぱり晴れた朝っていうのってそこにね意味が出てきますよね。
朝じゃないと多分ダメでこれは。
そうですね。なんか夕日とかじゃないですよね。
そうそう昼間でもないですよね。
いいですねこれもね。
はい、という感じで作りました。
あとちょっと何かの技巧的なところで言うと、
あーって始まる言葉が多いですよね。
春、晴れた、朝は、あまりに、な、なもね、母音があですよね。
何もなく、ありかもしくはごまになりたい。
そうか、それで読みやすいんだ。
単歌の歌と言葉
はい、そうなんです。
リズムもあるし。
リズムもあるし。
そうなんです。
頭の音を母音をあで揃えてるっていうところが、
読みやすさにつながってるかなって思います。
なんか歌って感じが本当にしますね。
単歌って言ったら、なんかどっちかっていうと文章並んでる感じがするんだけど、
ちゃんと歌なんだっていうことが今のですごく感じられました。
そうなんですよ。
単歌やっぱり歌なので、
普通のポップスとかの歌詞と同じ要素ってあるんですよね。
口に出した時に気持ちよく言えるとか、
口なじみがいいっていうのも結構重要視されますね。
ああ、そっか、そうだよね。
俳句なんかはもっと強くそういうこと言われますもんね、なんとなくね。
そうですね。
そうだよね、歌だっていうところはね、
なんかわかりますね。
僕はあれなんですよね、結局、
卓木を読んだところから入ってるので、
あれってちょっと形崩れてるじゃないですか。
どうなんだろう、卓木で覚えてるのが、
私は一つか二つぐらいしかないな。
まあ、というかね、産業で書いたりとか、
ちょっとね、癖のある形になってて、
新しいもの作りたかったんだろうなっていうのはあるんですけど、
だから、どっちかっていうと歌という側面よりも、
言葉の方に寄ってるのかなと思うことが多かったんですね。
ああ、なるほど。
そっちから入ってるので、歌の側面はちょっと見逃してるところがあるかもしれないなと思いました。
そういう楽しみ方ができるのであればすごく楽しいと思います。
そうですね、はい。
あとなんか母音の響きによってイメージも変わってくるっていう風に言われてて、
やっぱあっていう音はすごくこう広がりがあって、
こう開けた感じに聞こえますよね。
あっていう口も大きく開けるし、
なのでやっぱあの音が入ってる歌って、
明るいイメージとかちょっと大きなイメージ、広がるイメージとか、
なんかそういう印象になるっていう、
その母音によっても歌の印象を変えられるっていうところはあります。
だから広さ感じるんですね、この歌はね。
うん、と思いますね。
母音がすごい広く感じるので。
そうですね、ある晴れた朝、全部母音があなので、
空がどんどんどんって大きくなる感じがするかなって思います。
だからあんまりこう暗くなっていかないイメージはやっぱりあったんですよ。
あーはい。
僕聴いちゃいたいって言うんですけど、そういうのじゃない感じはやっぱりあって、
歌はね、そういうところにもちゃんと響きとかにも作られたものがあるってことですね。
そうですね、こういうところが短歌の面白いところなんですね。
暗闇と停電
こういう細かいところ、あ、これってあらから暗くなりすぎないのかなとかって、
それが作るときはね、難しいんですけど、
読むときはもう面白いですね、そういう発見が一つ一つ。
面白いな、面白くなってきたぞ。
よかった、なんかの魅力が伝わってきた。
はい、では2週目にいきたいと思います。
はい、こちらも2回読みますね。
誰しもが心に一冊エロ本を持っているべき停電の夜。
こちら率直な感想を聞かせてください。
えーとね、これ何度も読んで見ていて、結構ね、僕は停電のところにかなりのリアリズムを感じるんですよね。
これは経験から来るものですね。結構大きな停電経験しているので。
本当本格的な停電だったので、すごい暗闇の状況というのを経験したんです。
本当に明かりがどこにもない暗闇になったので。
だから最初に考えたのは、この停電の暗さっていうのがどの程度かってことやっぱり。
そこで、あんまり真っ暗でもないなーって思ってるんですけど。
この歌においてはですよね。
これも経験から来るものなんですけど、この暗さっていうのが物理的な明かりがない暗さっていうのと、もう一つ暗さっていうのを僕は持っていて。
視覚がない暗さなんです。
想像力の世界
それは僕が視覚障害の方とのお付き合いがあってのことなんですけど。
一応そういうガイドをするような研修を受けているので、その時に勉強するんですね。
実際に一緒に歩いてみて、どう感じるんだろうってことをずっと考えてたんですよ。
あー、その視覚がない方の暗闇っていうのが。
暗闇かどうかわからないですね。感じ方わからない。
でも見えないってことってどういうのかなーみたいな。
本当に僕たちは見えちゃってるので、見える判断しかできないところがあって、そこも想像力働かすしかないじゃないですか。
そういう視覚がないっていうところの、想像力の世界っていうのにちょっと思い浮かんだところがあるんですね。
そこですごく、エロ本って言葉が出てきた時に、これがまた面白いんですよね。
ちょっと古めの言葉ですよね。
今の人って何て言うんですかね。
わかんないけど、最近は言うんだけど。
最近は言うけど、本自体がないのかな。
概念化しているところがあると思います。
その類っていう感じですか。
幅も広がってるんだと思うんですよ。昔と比べたら。
昔、エロ本って言ったら普通男の人が見るものだったんだけど、昔はね、今はそんなことないので。
今はね、女性も見たりとかするのがあったりしますもんね。
本屋さんに行ってもね、そういうジャンルってあるじゃないですか。
広くそれなりにあるなっていう時代にもなっていて。
そういう意味では、この言葉の広さとか、そういったものもすごく考えさせられるところがあるなと思ったんですよ。
これを並べて見た時に、どんなことを考えたかというと、
リアルっていうものと、対極にあるものの感覚。
リアルじゃない側って言ったらいい。
どういう言葉が出てくるかちょっとわからないんですけど、リアルじゃない側っていうのをすごく考えたんです。
リアルじゃない側って別に不思議なことでもなんでもなくて、頭の中で考えていることってほぼそうなんですよね。
そうですね。
想像力の世界とか。
そこには触覚みたいなものだったりとか、体感みたいなものだったりとか、実際の皮膚感覚みたいなものもあるし、それとも対極の世界っていうことを感じられるなと思いました。
そこはね、クォリアって言葉があったってんじゃないかと思うんだけど、クォリアみたいなものと違うもの。脳の中にあるものみたいな。
クォリアって何ですか?
クォリアって言葉があるんですよ。これがまた表現が難しくて、頭の中だけで考えているものってあるじゃないですか。
はい。
それと、実際に触れるときの感覚だったりとか、空気の感覚とか、見た目とかもそうなんですけど、ああいう感じられる生々しいものみたいなもの。
みずみずしいものみたいなものとか、そういったものをクォリアという言い方をすることがあるみたいで、うまく説明できないんです。
実際の感覚、感じている感覚、それは視覚だったりいろいろ、触覚だったりするけど。
それと、脳の中で起きていることってあまり区別できないじゃないですか。
人間は脳で物を感じる。
春画鑑賞の面白さ
だけどそれって、純粋に脳の中だけで閉じたものじゃ多分ないはずで。
つながっているはずですね。
そこを全く閉じた状態っていうのを思い浮かべました。
それがクォリアとは反対のもの。
リアルと反対側にあるものみたいなものがイメージとしてはすごくあって。
リアルな停電の話っていうふうに見ることもできるんだけど、
ここには外界との感覚をどう考えるかっていうと、
僕は難しいことを言ってるんだけど。
すごい哲学的なことを。
そこは外界との感覚、他者との感覚みたいなものがあるわけですよね。
それとの距離とか隔絶みたいなことも考えてしまうものがあるなと思ったんです。
エロ本っていうのってある種バーチャルなものですよね。
バーチャルなものっていうのって、実はそこにそういう隔絶っていうのが常にあって。
そういう隔絶した世界みたいなものを思い浮かべるものがあったな。
視覚をとりあえず取り去ってしまったところに何かあるもの、心の中に置いておくものってあって。
それは面白い。
エロ本でも何でもいいんですけど、そういったものがあったほうがいい。
人間の生々しさみたいなものがあるわけですね。そこに込められている言葉としては。
そういうものをいろいろ考えましたね。
結構面白いことを思い浮かぶんです。
僕もこれ結構難しいんですね。表現するのが難しい。
うん、わかりました。
なんだけどね、すごく面白い感覚が1個思い浮かぶことがあって。
これは数年前、エンジン01ってあるじゃないですか。
串野でやった時に僕行ったんですよ。
はいはい、やってましたね。サミット的なやつですね。
その時にすごく面白い経験をしたんですね。
本当に面白い経験なんですけど、春画ってあります?
はい、江戸時代とか昔の。
今春画ってほぼ見られないんですよ、なかなか。
ネット上には載ってこないし。
資料にあたるしかないんだけど、それもやっぱり限られたところしかないので。
なかなか見られるものじゃないんだけど。
春画を話題にしているセッションみたいなのがあったんで、そこを僕見に行ったんですね。
そしたらちゃんと本物の春画を見ることができるようになってたんですよ。
それがね、あからさまにね、笑い絵っていう言い方もするぐらいで、見たら笑っちゃうような絵なんですよ。
うんうん。
なんだけど、そのシチュエーションが面白かった。見るシチュエーションが面白かったんです。
どういうことかというとね、そういう絵じゃないですか。
だって本当にね、なんていうのかな、割と独特しいところもあるような感じの。
はい、ちょっとグロテスクな感じもありますよね、春画ってね。
そういう、でも笑っちゃうようなところがあって、強調されてるから。
そういう絵を見るシチュエーションが面白かったのは、結構ね、若い女性と一緒に見る形になったんです。
停電の夜と人間の根源
これは何ですか、オープンスペースにボンって置いてあるんですか?
教室です、教室。教室の中で講義を聞いて回されるのを見るんですけど。
あー、みんなで見てねーって。
そうそうそう、そういうシチュエーションがあると。
それってちょっと面白いシチュエーションじゃないですか、滅多にないですよね。
まあ確かに、プリントをね、回し読みするとかじゃなくて、春画を回し見してるんですよね。
変な話、エロ本を一緒に見るってないですよね。
ないですね、基本こっそりね。
そうそう、一人でこっそり見るってあるから。
そういう世界の面白さみたいなのもあるんですよね。
ちょっと面白いなと思ったのが、今日もね、この歌を話すっていうのって、そういう場面に近いところがあって。
確かに、オープンに話す、ちょっと特殊ですね。
そういうのがちょっと思い浮かんで、ちょっと面白いなと。
そういう一人の世界みたいなものと、そうじゃない世界の対比みたいなのも出てくるわけで。
そこに定伝みたいなものがあるから、基本はね、心の中で一人の世界のものだよなって思うんだけど、
なんか意外とこうやって表に出してみると面白いぞーみたいなのもあるなと。
なんかそれって定伝っていうキーワードで、定伝ってもちろん大規模なものになるとすごく大変なものですけど、
ちょっとの定伝ってワクワクするところもありますよね。
どうなるんだろうみたいなのってありますよね。
子供の時とか特に、定伝って言うとちょっとワクワクしちゃうみたいな、妊娠だから。
人によってあれなんじゃないですか、僕もあれですよ、大定伝の時って結構ワクワクしました。
ほんとですか。
なんかやれることあるかもしれないみたいな感覚。
それはありましたね。
なんかそういうところが、さっきおっしゃったところにつながってくるんですかね、イメージとして。
それの閉じた世界なんだけど、真っ暗闇なんだけど、外界から閉ざされてる。
なんだけど、なんかちょっと面白さもあるっていうのは。
なんかこのべきはすごく聞いてるなと思っていて、そうだよって思っちゃったもんね。
この通りみたいな感じ。
そうですね。べきは、私はちょっとべきって強い言葉なんですけど、べきを使いたいなっていう。
これは誰が何と言おうが、反論されようがそうなんですっていう。
そう思います。すごくです、これは。
私ね、これ収録する前に、なんでこの歌作ったんだっけなって思って、全然思い出せなくて。
結構ポッと出てきた歌だったんですね。
もうずらずらずらって、このまま丸っこ出てきたっていう感じの歌なんですけど。
なんか停電の夜って、多分停電した後とかだと思うんですけど、
停電の時ってやることないよなって、電気が使えないからテレビも見れないし、
パソコンね、充電してれば動画ぐらい見れるかもしれないですけど、スマホとかね、充電切れたら見れないし。
なんかその時に頼るべきものってなんだろうって、電気がない時に。
だからその停電って、にゃおさん言ったみたいに、メタファーとしての外界から閉ざされた、資格を奪われた世界っていう風にも見れるし、
本当にリアルな停電として素直にそのまま読むこともできると思うんですけど、
なんか私の場合はそのリアルな、実際に起きたこととしての停電っていう意味で、
私たまにあの停電の時に、やることないからなんかちょっとお焼きでもね、お焼きって、
レンジでチンして冷凍のやつ食べようかなって思ったら、そうだレンジが使えないんだとかってなるんですけど、
人って何があれば電気がなくても生きていけるのかな、みたいなところで思い浮かんだのがエロ本っていうキーワードだったんです。
で、これまあそのまま実際に本、リアルな本っていう風に思ってもいいし、
なんかあとくだらないものの例えとして、読んでもいいかなって思ってて、
なんかその実際に役に立つか役に立たないかで言ったら、大した役には立たないんですよね、そんなもの停電の夜持っていたって、
でもなんかそのくだらないものだからこそ、なんか支えてくれるみたいなところってあるよなって思って、
それは停電の夜だけじゃなくて、困った時に、なんか持ってるべきものって、
定伝とは何か
実はすごくくだらないものの方がすごく心強かったりするんじゃないかなっていう、
懐中電灯とかロウソクとかガスバーナーとかなんかそういうものよりも、
実用的なものよりも非実用的なものの方がいいこともあるんじゃないかなっていう、
そういう気持ちで作りました。
なんかそういう感じが、言葉選びとしてはいいですね。
エロ本っていうやつがやっぱり効いてますよね。
他のものもなかなか大体できないですね、これは。
なんかくだらなさみたいのを出したかったですよね。
できっていうほどのものじゃないだろうっていう。
なんかこう人間の根源に触れているものでもあったりするような気がするし、
そういう本当に人間の根源的なところに近いものなので、
心の中にそういうものを持っているっていいじゃないですか。
なんかあったときにね。
そういう流れみたいなものはここにありますよね。
定伝っていうのがいろんなものに置き換えて見れるんでね。
そうですね。
定伝っていうのはさっき言ったみたいな外界との隔たりみたいなところもあるし。
バーチャルと現実
でもにゃあさんの閉じたものっていう、
エロ本っていうのはリアルじゃないっていう完全にバーチャルなもののメタファーとしてのエロ本っていう読み方っていうのも
すごい新鮮でしたね。
なんかその世界って遠い未来の話みたいな感じがしました。
SF的な。
そうか。
実体がなくてバーチャルがみんなの日常になっちゃってみたいな世界って、
そういう閉じた外界からシャットアウトされた感じなのかなってちょっと近未来的な感じがしました。
でも今あれですよね。最近の人って割とそういうところにいるんじゃないですか。
ネットが発達したりなんかしてバーチャルの世界がいっぱいあるので、
バーチャルの世界って概念としてしか存在しないものってあるじゃないですか。
最近今。
そういうところには来てますよね。
実はでもそれって今始まったことじゃなくて昔から割とねやってることで、
そういうものの中に変な話ね、チャンカーみたいなものもあるわけですよね。
頭の中で遊ぶみたいな。
そういうのはね割と得意なものが日本人なんだろうな昔からっていう風に思ったりもすることが多いです。
あーなるほどね。
バーチャルイコールデジタルっていうわけじゃなくて、
脳が生み出すもの全てがバーチャルなもので。
小説とかもねみんなそうですよね。
確かに。
あと私ちょっと危機感を感じているのがそのいつもチャンカーを作るときに思うことなんですけど、
結構その今の人、あの若い世代の感覚っていうのが自分はそこまでアップデートできてないので、
そこのズレがどれだけあるんだろうっていうのはいつも気になりますね。
だからそのエロフォンっていうキーワードもそのネオさん的にはその、
この言い方をするんだろうかっていうところがあるじゃないですか。
そうですね、なんか世代の違いはねどうしても言葉に出てきちゃうんで、
通じるんだろうかっていうのはあるんだけど、まあこれは通じそうな感じはしますよね。
通じてほしい。
やっぱり根源に近いところなんじゃないですか。
根源に近いからみんなこの言葉を知ってるんだよね意外と。
使わないは別にしても意味わかっちゃうねってところがあるんで、
単語の一つなのかなという感じはします。
ただ昔と比べたらその対象が増えてるっていう側面はあって、
その人によって思い浮かべるものが違っているものの一つかもしれないですよね。
そうですね、もう全然浮かぶ絵が違いますよね。
写真って思わない人もいますよね多分文章。
いますよね、はい。
人によっては本当に道端に落ちてるあれを浮かべる人もいれば、
普通にあのスマホの画面を思い浮かべる人もいれば、
コンビニのパナーの人もいればみたいな。
最近えぐい広告とかも出てきますよね。
そうですよね、なんか広告ね。
やめてよーみたいな。
やめてよーっていうあれもあるし。
結構幅が広いところで、思い浮かべるものは増えてきてる感じはしますよね。
でも増えてるってことはやっぱりなんか根っこに近いんですよ。
いや、もう全ての源みたいなね。
閃光花火と夏市に描かれるリアルな情景
そういう感じがありますよね。
面白いですよね、そういう意味で。
なんかね、表だって言えない言葉っていうのは面白いかなという気がします。
はい、という2週目でございました。
それでは最後3週目に行きたいと思います。
ではこちらも2回続けて読みます。
あとがきを残すばかりの夏市を 閉じて閃光花火を手に取る
あとがきを残すばかりの夏市を 閉じて閃光花火を手に取る
夏市っていうのはあれですね、夏休みの課題図書とかで読むような文庫版の小説ですね、シリーズですね。
周永者さんかな、夏市って。
コピーに使われてるやつですね。
コピーに使われてるやつですね。
これはね、まあまあ面白かった。
前の2つの歌と対極的に割とリアルな感じがするっていう。
そうですね、はい。
本当にリアルっていう感じがしていて。
すごくね、情景とかにによってくるようなやつですよね。
夏市って言葉もそうですけど、閃光花火もそうだし。
そういうリアルなイメージが湧いてくるし、感触みたいなものにすごく伝わってくるなと思ってました。
ここですごく面白かったのが、面白いっていうか、やっぱりあれですね、跡書きを残してあるところですよね。
ああ、はい、そこがキモですね。
跡書きを残してあって、とりあえず閉じて閃光花火に行くわけですけど。
そこの流れって、夏もそろそろ終わりな感じがするよね、みたいなところがあったりとか。
そういうね、本当に時間がある程度特定できるんじゃないかっていうぐらいリアルな感じが出てくるんだなという感触を持ちました。
これがもう一つ面白いのは、時間の変化みたいなのはあるんだけど、それがきっちり止まってるんですね、ここで。
それがもう本当に写真のように切り取ったみたいなところがあるんで。
映像として頭に残るというか浮かぶ歌だなっていう感じがすごくしましたね。
本が好きなんだろうなとかね、小説読むのいいよねとか、そういうこともいろんなこと浮かんでくるので。
あとに残る匂いとか味わいみたいなものもあるしね。
それがピタッと止まっていて、ちょっと名残惜しいみたいな感じかなというふうに思いましたね。
ありがとうございます。
これはですね、歌会に提出した歌なんですけれども。
歌会って毎回お題があるので、その時のお題が花火だったかなと思います。
それで作った歌ですね。
本当にニオンさんが言った通り、すごく絵が浮かびやすい、わかりやすい歌歌かなっていうふうに思ってます。
でもまさに夏の終わりの情景ですよね。
小説を夏市の文庫を読んでたんだけど、後書きも読み終わって、あとは残り後書きを残すばかりと。
夏も終わるわっていうところで本として、線香花火でもやろうかなっていう感じの場面なんですけど。
本当におっしゃった通り、映像的な動画的な動きはあるんだけど、
動きがありながら一番面だけをカシャッと撮るみたいなところができたらいいなと思って作りました。
なんか、短歌って焦点を絞ったほうがわかりやすいので、あんまり動きを詰め込みすぎると、
ちょっと歌がどちらかっちゃうというか、なんだかよくわからない感じになっちゃいがちなんですよね。
扱える言葉もね、31文字しかないんで、なかなか動きを表すって難しいんですけど、
ただなんかその小説を読んでいる場面から線香花火に手を伸ばすところまでの動きがあることで、
なんか夏の名残惜しさみたいなのが出るかなと思って、ちょっとそこは気をつけて作りましたね。
短歌を通して伝えられる情景と動きの表現
なんかよく流れができてるし、あとやっぱり後書きを残しているところって、
なんか本って、いい本に出会うとあれじゃないですか、読み終わるのがなんかもったいないとの感覚ってあると思うんですよね。
ありますね、もう終わっちゃうのみたいなね。
そこの感覚が後書きを残しているのかなーなんていうふうに感じられるので、本当に名残惜しい感じっていうのは出ますよね。
そうですね、まあそれが小説も名残惜しいし、夏が終わるのも名残惜しいっていう。
それはすごく感じられるなぁと思って、いいですよね、この線香花火っていうのはね。
最近やらない人、やったことない人も多そうですけどね。
でも線香花火も花火の中では名残惜しさの象徴っていうか、ちょっと寂しいなぁみたいな感じのイメージがあるので、
その辺のイメージも聞いているのかなっていうのと、あとは夏市っていう固有名詞を使ったところなんですけど、
単価に固有名詞を使うって結構意味を持たせたいんですよね、わざわざ固有名詞を使うからには。
そのチョイスっていうのがちょっと気をつけたいなぁとは思っていて、
夏市って本当に夏の夏休みに読む本なので、そこで夏っていうことがわかるし、
課題図書にもなるような夏市を読んでいるからには、この物語、この単価一つが物語だとして、
この物語に出てくる主人公って中学生とか高校生とかなんだろうなっていうイメージもできるかなって思って、
どういう人なんだろうかっていうところに要素を入れることができるか、イメージが膨らむというか、
さっきにおさんおっしゃった通り、この人は小説が好きなんだろうなっていう、
小説が好きな人の用紙ってどんなんだろうとか、なんとなくちょっとイメージが出てくるかなって思うんですけど、
その辺にそのなんか青春感みたいなところが出るかなっていうところで、
夏市っていうこういう名詞を入れてます。
これね結構面白いですね、これもねちょっと世代がいろいろ出てくるのかなという気がするんです。
僕ね、夏市って言葉で、何ていうのかな、なんか思い浮かぶものっていうのがあって、
その思い浮かぶものの中に、例えば電車の釣り広告みたいなものが思い浮かんだりするんですよ。
はい、電車広告出てますよね。
本屋さんのね、なんかこうポスターみたいなものが思い浮かぶんだけど、
それよりも強く思い浮かぶのが電車の釣り広告だったりするんですね。
それは多分僕がある程度の年になってからこのコピーが出てきてるんでね。
なるほど、見るのが電車の中だったって。
そういう印象がすごく強く焼き付いてるところがあるのかなって気がするんですよ。
そうするとまた見え方変わってきますよね。
そうですね。
そこがまた面白いなと思って、夏の情景もね、もちろん夏の終わりの情景も出てくるんだけど、
でもなんとなくこう電車の中の、なんか混んでる感じとか、
僕は割とドアのそばに立ってたよなみたいなことを思い出したりとか。
あー、もう個人的なその夏市の体験が。
そうそう、釣り広告見るのって座ってるとあまり見えないですよ。
はいはい、そうですね。
座ってる時ですよね。
だから座ってる時じゃないんですよね。僕座んないですけどあんまり。
そういうことが浮かんだりとか。結構広がりますよね。
そうですね。だからこういう名詞だからこそなんかその具体的なイメージが出てくるのかもしれないですね。
なんかね、面白いですよね。なんかこう、
具体的にはっきりわかるわけじゃないんだけど、色のイメージとかもなんとなく見えてくるんですね。
あー。
そこも面白いですよね。この夏市って言葉。
このカタカナの言葉を見ただけで、ふわっと浮かんでくるものが結構あるって。
はい。
イライラするのすごいよねって本当に。
本当に。はい。
私はなんか学生の時に広瀬良子さんが確か、
ビジュアルをやってたんじゃないかなって思うんですけど、なんかそのイメージですね。
だから本当にあの時代の清純派の女の子っていうイメージが夏市にはすごくあるんですね。
あー、なるほどね。広瀬いいな。
いいですよね。はい。そのイメージですね。
夏市といえば広瀬ね。
私はね、っていう感じ。はい。
タンカのリズムと響き
というわけで3集見てきて参りました。
なんかあの、寺尾さんは冒頭に自分で作らないけど、
タンカはお父さんの影響もあって、
多少はなじみがあったっていうことですけど、
改めて今日3つタンカをいろいろ話してみていかがでしたか?
そうですね。やっぱり最初の歌なんだって思ったところはね、
結構大きな僕にとっては収穫になったなと思うんですよね。
リズムみたいなものがあるなと思ってたんですけど、
そのリズムの感覚って、なんかあれ、形から入っちゃうじゃないですか。
5、4、5、4、4みたいな。
あー、そうですね。はい。
それだけじゃね、言い表せないリズムみたいなのもあるし、
インゴフムみたいなのもあったし、響きとかもあるので、
そういうところを意識しながら読んでいくと、
もっと楽しいなという感じがしましたね、今日は。
よかったー。面白さが伝わって。
視覚情報と耳で聞く情報の違い
楽しいですね、やっぱり。
僕たちはこういう時代に生きてるから、どうしても文字から入ってくるじゃないですか。
あー、はいはい。響きじゃなくて、音じゃなくて。
音で入ってくるって結構大事なんだろうなと思って。
はい。
最初の、最初じゃない、2つ目のね、やっぱり視覚っていうのを僕はテーマにして考えてたんだけど、
見るんじゃなくて聞いたとしたらどうなんだろうっていう感覚を持ってった方が、
多分なんかはいいんだろうなっていうのをすごく感じますよね。
そうですね。
そうか、確かに最近は視覚情報の方が多いですかね、耳で聞くよりもね。
今、ポッドキャストとか流行り始めてるのって、そういう流れの一つなんだろうなと思っていて。
あー、なるほど。
見る情報の方が多いんですよね、SNSとかもそうだけど。
短歌の魅力と技巧
なんだよね、こんなラジオみたいなのって古いなと思ったんだけど、復活してくるってどういうことかなっていうのは、
視覚情報の対地概念としての聴覚情報みたいなのをしてるんだろうなって思いますね。
そうかもしれない、そうですね。
そういうのに実はなじみがいいですよね、両方いけるんで。
あー確かに、はい、目でも見れるし、耳で聞く。
小説の音読みたいなやつになるとね、ちょっと技巧もいるし大変じゃないですか。
はい、大変ですね。
大変だねってなっちゃうんだけど、高だったら誰でもできるわけじゃないですか。
短いので、音を響きを楽しむんだみたいな楽しみ方もできますよね、きっと。
できます、できます、はい。
響きがいいの、韻律がいいとか、あと言いやすい、言ってて気持ちいいっていうのは相性性があるとか言ったりするんですけど、
本当に歌歌うのと一緒ですよね、歌もなんか聴いててすごくいい歌詞の部分、曲の部分ってあったりして、
あと自分で歌ってて気持ちいい歌ってあると思うんだよね。
それと一緒です。
だけど僕ずっと思ってたんですよ、ここのとこね、20年30年の歌って、多分歌って、歌われてる歌ね、あれずいぶんね、歌詞が詰まってんですよね。
はい、早いですよね。
文字数が多いじゃないですか。
あれって結局ね、文字型、四角型なんですよね。
あーなるほど、耳で聞いてはいるけど、四角型、なるほど。
なんだろうなと思うんですよ、書いてるからだと思うんだよね、もともと。文字として書いちゃうからあえて詰まっちゃうんだと思うんですよ。
それと比べると、あの時代、昔の歌謡曲の時代って意外とそこら辺ってね、昔の商業作家が書いてたところは、響きの方がやっぱり大事にしながら詩を書いてたところがあるんで。
あー。
前はね、そういうのもあったんですよ、それが技巧だったので。
はい。
だから今ね、流行ってんですよね、少しね、あの時代の曲が。
あー、だからみんな、そっか、四角疲れしちゃってるところが、聴覚よりにこっちが懐かしくて、こっちがいいよねって。
ラジオのね、放送としてのラジオはわかんないけど、こうやっていろんな人が話すっていうのがね、たくさん聞かれるっていう時代になったのかなという気がしますよね。
面白い。
うん。
なんかそう考えると、これからもっと聴覚的なメディアっていうのが、なんかどう発展していくのかなっていうのが楽しみですね。
短歌の単価と先生
あれなんですよね、ちょっと単価の話に戻りますとですね、音の響きとか、そういうのも単価の面白いところですし、
動詞がちょっとこういつもの、普段の会話と違うっていうところがなんか、こういう単価とか詩歌の面白いところがあったりするんで、
なんかそういうね、いろんな楽しめるポイントっていっぱいあって、なんかもうちょっとね、またいろいろ他の視点でも単価でお話ししたいなと思いました。
そういうなんかポイントポイントのね、お話聞けるとすごく面白そうだなと思います。
はい、私も全部単価の先生の受け売りでございますけど。
いいと思います。それをどんどん広げるのが使命なので。
はい、っていう感じです。ありがとうございました。
はい、いかがでしたでしょうか。
今回はスペシャル回としてゲストのにゃおさんをお迎えしてお送りいたしました。
また次回お会いしましょう。
それではおやすみなさい。
おやすみなさい。