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TanaRadio、今回、第20回目の配信となりました。
最初の配信から1ヶ月以上経ちまして、約2日に1回ぐらいの割合で配信をしてきたことになります。
ここまで続けられてきたのも、リスナーの皆さんの応援があったからだと思います。
本当にありがとうございました。
このTanaRadioが始まったのは、11月6日に行われたMOSTパターン・ランゲージの会のワークショップで、
私がラジオをやりたいということをワークの中でお話しした、そのことがきっかけとなっています。
そのワークショップでは、まなパタ、つまり「大人の学びのパターン・ランゲージ」というものを扱ったんですが、
その中に「とりあえずトライ」というパターンがありました。
導入文としては、「動いてみると、やりたいことのカケラが集まってくる」と書かれています。
私はまず、このラジオをやるということをやってみました。
その結果、このパターンの通り、やりたいことのカケラがたくさん集まってきたように思います。
ということで、TanaRadio、第20回始めたいと思います。
毎回こうやってお話をしていきますと、いろんなことが思いつきまして、
関連していろんな本なども読んでみるということになりました。
そういったことが、さまざまな気づきをもたらしてくれました。
パック旅行の添乗員としての教員
私がこのラジオを始めようと思ったのは、私が日々行っている授業の中で、
何か満足できないものを抱えていて、モヤモヤしている。
そういう状態を何とかしたいということだったわけですけれども、
まず、なぜそういう状態になっているのか、なぜ私が授業で満足できないのか、
ということの理由が一応わかったように思います。
それは、この学校教育というものが、学生たちをある種、無力化してきたということですね。
学校にはカリキュラムというものがあり、それに沿ってクラス単位で授業が行われます。
そこでは自由な学びというものは実現することができません。
そういった学びをずっと続けてきた大学生は、私が自由な学びをしてほしいと願って、
私が行った講義に対して何か質問をしてほしいと言っても、なかなかそれができるという状況にはないわけですね。
なぜそうなのかということを考えてみると、
これは私が読んだ本の中で出てきた例えですが、
授業というのは一種の「パック旅行」のようなものであるということ。
そして教員はその旅行の添乗員のような役割を果たしているということ。
そういうことなんだなというふうに思って納得がいきました。
つまり、パック旅行のように授業というものは、
あらかじめ様々なものを見たり聞いたりする、そういう経験を得られるわけですが、
しかしそれはすべてあらかじめパックされたもの、計画されたものである。
その旅行は添乗員というものがついてきて、
次はどこへ行きますというふうにして案内をし、旅行する人はただそれについていくだけという、
非常に受け身な旅行の仕方ですね。
しかしいろんなところに行けるわけですから、それなりに楽しめるということでもあるわけです。
学校の授業というのもそんなものではないかということで、
そこに何か予定外のハプニングのようなものが起こるというのは、かえって良くないわけですね。
学生の質問というものもおそらく、そういうことでこれまでに排除されてきたんだと思います。
教員は思いもかけない学生の質問を受けると、
当惑して予定どおりに授業が進められなくなってしまいます。
ですので、おそらく子どもたちはそういった質問をしない方がいいのではないかというふうに慣らされていくと思うんですね。
大学生ともなると、もう何も言わないという形になってしまうのではないでしょうか。
そういうふうに考えますと、私の授業というのはバック授業としてよくできたものであり、
また毎回予定どおりに進めることができますので、それはそれなりに悪くはないのではないかなと思います。
私としてはあまり面白みはありませんが、しかしそれが与えられた役割なのであれば、それを忠実に果たすしかないのかなと思います。
それは(大学入試の)共通テストで、シナリオどおりにテストを進めていかなければならない、そういう試験監督官と似たようなものですね。
非常につまらなく、また耐えがたい仕事でもあるんですが、でもそれで給料をもらっているのであれば、それはそれで仕方のないことなのかもしれません。
ただ、私としてはそれで満足することはできないので、何とか自由な学びが実現できるような、そういう学びの場というものを作りたいなというふうに思いまして、さらに考察を進めていきました。
その結果として、私がずいぶん前、私が大学生ぐらいのときでしょうか、に読んだイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』という本にたどり着きました。
もう何回目でしょうか。
時々引っ張り出して読んだりするんですけれども、そこに私が求めていた教育者の役割が書かれていました。
自由な学びを支援する独立した教育者
イリイチの言葉を使えば、「独立した教育家」という職業というふうに書かれていました。
この「独立した」というのは、要するに学校に属していないということですね。
学び手が脱学校化されて、学校とは無関係に自由な学びをするようになってくれば、教師のほうもまた学校から離れて、そういった自由な学びを支援する、そういう立場になっていくということで、イリイチが詳しく本の中で書いているものです。
私はラジオの中で、私塾にあこがれるという話をしたと思うんですが、この私塾の教師はまさにそうした独立した教育家という職業なのかもしれません。
そういう意味で、私がラジオの中で話してきたことは、様々な形でつながっているんだなというふうにも思います。
これからは、このイリイチの本に書かれたことを手がかりに、より具体的にどうすればそうした役割が果たせるようになるのか、これを私の専門に即して考えていきたいなというふうに思います。
ということで、今日はこれで終わりにします。
それではまた。