市民と科学の関係
「科学と技術の社会史」第15週の特別講義、「市民と科学」の補足のポッドキャストです。
この講義では、以前行いました私の講義の録画、ビデオを見てもらうことになっています。
そこでは、市民と科学というものの関係を、高度経済成長時代、1960年代から福島の原発事故が起こった2010年代くらいまでカバーしまして、
最初は人々にとって素晴らしいものであった科学、自分たちの生活を豊かにしてくれる、そういう輝く未来を用意してくれる、そういうキラキラしたものであった科学が、
1960年代末から70年代にかけて、特に公害問題ですね、これによって非常にイメージがダウンしまして、科学に対する批判というものも強くなりました。
科学というのは必ずしも良いものではない、メリット・デメリットあるという見方が一般的になってきています。
この見方は基本的に今日まで続いていると思いますが、ただその見方が強くなるか、そうでもないかということは、その時代時代の、特に経済状態などによって変化するような気がします。
経済がとても良い時、例えば日本でいうと1980年代の後半のバブル経済の時期などは、そんなに科学批判というのは強くなかったと思います。
それに対して、1990年代バブル崩壊後、企業もいろいろと不祥事などを起こしたんですけれども、そういうこともありまして、科学や技術に対する世間の目が非常に厳しくなっていった。
それはおそらく今日まで続いているんじゃないかと思うんですね。
そのように、市民と科学ということの関係は、市民に良いことをもたらしてくれるもの、あるいは逆に悪いことをもたらすもの、そういうような形で来ています。
これは今日も基本的に変わらないと思いますが、しかし少し変わってきたのは、福島の原発事故を受けまして、人々がもう科学者には頼っていられない、科学者というか政府、行政と言ったほうがいいかもしれません。
要するに政府の専門家はそんなに信用ならない。
自分たちで、例えば放射能の測定をしようと、自分たちが住んでいる地域、あるいは自分たちが食べている食べ物、これの安全性あるいは危険性を自分たちの目で確かめたいという、そういう思いが強くなり、実際に行動し始めた市民がいました。
この自分たちである種の科学的な活動をやっていくというものですね。市民による科学と言っていいかもしれません。
こういうものは今日でもいろいろな場面で続いているようです。
私はあまりよく知らないのですけれども、最近、シティズンサイエンス、市民の科学、あるいは市民科学と呼ばれているものがあるそうで、市民が科学的な研究活動に参加していく、そういうものを指すようですね。
こういうものは、私の知る限り結構昔からある場合があります。
例えば私、かつて干潟の保護運動に関わったことがあるんですが、そこでは普通の主婦などが鳥の数を数えるということをやっていました。
市民の科学活動と科学のスポンサー
ある地域に渡り鳥がどれくらいいるかということは、専門家が調べるにはなかなか大変なんですね。
地域も広いですし、カウントする時期も年に一度というわけにはいかず、頻繁にやらなければいけないでしょうし、
そうなると、そこに住んでいて、その地域の自然に関心のある人が、例えば鳥の数を数えるというのはそんなに難しいことではないので、数を報告する。
そのデータが全国的な渡り鳥の数の調査の中に組み込まれる。
そういうことは何十年も前から行われていて、それも一種の市民科学だと思うんですけれども、そういうものが今結構広まりつつあるという話を聞いたことがあります。
それからもう一つ最近目新しい現象としては、市民が科学を支える、市民が科学のスポンサーになるという側面です。
科学にはお金がかかり、常にスポンサーを求めていました。
ルネサンス時代には王侯貴族、あるいは富裕な市民、商人ですね、そういった人たち。
王侯貴族はその後もずっと続くんですけれども、その後になっていきますと、やはり王侯貴族からつながっていく国家ですね。
国家が科学のスポンサーになるというのは今日でもそうですけれども。
近代においてはずっと続いてきているものです。
それから、これ、科学が技術にかかわり、それが産業の発展を支えるということがわかってきますと、産業界が科学を支えるということも出てきますね。
産業界が科学者に資金を提供するということもありますが、産業界自体が科学者を雇って研究をさせるということも出てきた。
この話は事業でしました。
そしてとうとうですね、科学のスポンサーに市民が登場し、市民といってもそんなにお金持ちばかりではないので、
そんなに大きなお金は出せないにしても、数が集まればかなりの額になる。
一人一人はそんなに多くない寄付の額であっても、その数が千・万という単位で集まれば、相当大きなお金になるわけですね。
最近ニュースになったことで、皆さんも覚えている人いると思いますが、国立科学博物館というところがクラウドファンディングをやって、見事目標を達成したというのがニュースになりました。
これは国立の博物館なのに国がちゃんとお金を出していないのかということで批判もありましたけれども、
でもやはり市民がお金を出し、市民のための博物館となるということは、これ自体悪いことではないと思うんですね。
ですのでこれからの科学者、研究をしていこうという人は、自分の研究を支える人として、政府、それから産業界と並んで市民というものも考えていい時代になってきたのかもしれません。
そんなことが最近の話題として付け加えられるかなと思いまして、ここでお話ししました。
それではこれで終わります。