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2023-11-23 16:08

#12 自由な学びを求めて | TanaRadio黎明期

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TanaRadio黎明期では,TanaRadioの公開配信が始まった2024年2月以前に,ある大学教員のコミュニティ(MOSTコミュニティ)内限定で配信していた時期のTanaRadioのエピソードを(一部)編集して公開します。日付は,実際に限定公開した日付をつけています。

内容:
・(冒頭部分省略)
・自由な学びを求めて
参考:
孫泰蔵『冒険の書——AI時代のアンラーニング』日経BP,2023(引用はpp. 13-14, 20, 66-67, 81)

#TanaRadio黎明期 #孫泰蔵 #冒険の書

サマリー

このエピソードでは、自由な学びの重要性と、学校教育における強制の問題について考えています。特に孫泰蔵の『冒険の書』を参考にしながら、年齢に関係なく学べる環境の必要性について議論が行われています。また、学びの自由についての重要性と、従来の教育システムの制限についても語られています。専門家からの学びの価値や、遊びを通じた学びの方法が紹介されています。

自由な学びの概念
TanaRadio第12回始めたいと思います。
今回はですね、テーマを「自由な学びを求めて」ということで、少しお話したいと思うんですけれども。
前回はですね、学びというものが実現するためには、何らかの強制が必要なのではないかという、そういう話に対して、
いや、強制ではなくて、もっと別のもの、例えば好奇心とか楽しさとかですね、
そういったものでもって学びを継続させる、そういうことができるのではないかという話をしました。
これは、これまでの学校に生徒、学生を集めて行う教育ですと、
学びを強制するということが制度的に作られていますので、あまり考えずにですね、教育を行うことができましたが、
オープンエディケーションというものが生まれてきますと、この学校の強制というものがない中で進めることになりますので、
どうすれば学びを継続できるようになるのかということが問題になってくるという話がありまして、
今のところオープンエディケーションを進めている人たちは、そのことについて十分な回答を用意していないように思うんですね。
そこで私は今回ですね、学びというものを強制なしに進めるにはどうしたらいいのかということについて少し考えてみたいと思うんです。
その時にですね、とても参考になる本があるんです。
それは私が比較的最近、今年の7月に読んだんですけれども、
孫泰蔵さんという方が書いた『冒険の書』というタイトルの本で、日経BPから今年の2月に刊行されています。
ちなみにこの著者の孫泰蔵さんという方は、私この本に出会うまで全く知らなかったんですけれども、
孫正義さん、ソフトバンクの孫さんの弟さんということで、やはりご自身ビジネスの方で活躍されてきている方ですが、
教育にも関心をお持ちで、既存の学校とはちょっと違う学びの場を作りまして、
そういうご自身の考え方に合うような学びの場の提供というものもされているようです。
そのことについても私はあまりよく知らないんですが、ちょっと調べてみて、またTanaRadioで取り上げることができればと思っているんですが、
今日はこの本の内容を紹介することで、ちょっと私の考えていることをお話してみたいと思うんです。
では、今までの学校教育とは違うような、教制によって学びを続けるのとは違う学びの場というものがどういうものであり得るだろうかということを、
具体的にはいろんな形があると思うんですけれども、ここではその条件のようなものを、孫さんの本から引用しながら考えてみたいと思うんです。
まず、自由でやりたいことをやるという、それを基本とするような学びというのはどういうものであるかということについて、
この本の初めの方に、「父からの手紙」という、自分の子どもにあてて書いたという、そういう想定の手紙が載っているんですけれども、その中でこのように書いている部分があります。
ちょっと読んでみますと、
「もし僕が今、君のように生徒だったら、学校にはいかないだろうということ。そのかわり、自分が今好きでやりたいことをとことんやるだろうね。
それは、学校がくだらないとか、学校に行く意味がないとか、そういうことではなく、今どうしてもやりたい、今しかない、と思うことに専念するだろうということ。
なぜなら、自分がやりたいと思うことがいつでもできるのと同じように、勉強だってやりたくなった時にいつでもできるからだよ」。
こう書いています。
ここではですね、今やりたいことを我慢して、やりたくない勉強をやる。だから勉強はつまらなくなってしまうんだと。
今やりたいことがあるならば、それを今とことんやるべきだということ。
そして、今学校で学ばなければいけないことはいつ学ぶのかというと、それは自分が学びたくなった時にそれを学べばいいという、そういう考え方です。
これはですね、学びというものを楽しいものとして行うというですね、そういうものの一番基本的な条件ではないかと思うんです。
やりたいことをやるということですね。逆に言うとやりたくないことはやらないという。
これが一番の基本だろうと。これが私が自由と言っているものの本質なんですけれども、これが実現できるかどうかというのはとても大事なことだろうと思います。
ただ今の世の中で、いつでも自分が学びたいことを学べる環境があるかというと、それはどうかなという気もするんですね。
孫さんはですね、そういう世の中を作ろうというふうに多分思っているんだと思うんですけれども、
でも今現在実現しているかというと、それはまだちょっと不十分なところはあるだろうと思います。
ただ、かなりのことができるようになっていますね。
オープンエデュケーションではないですけれども、学ぼうと思えば学べる、そういう教材的なものは本当にインターネットに豊富に存在するようになったと思います。
新しい学びの場の提案
では次に行きたいと思いますが、では具体的にですね、その学びの場というものはどういうものであるだろうかということについてですね。
孫さんが書いているところをまた紹介したいんですけれども、このように書いている部分があります。
「いっそのこと、『子どもたちに基礎を教える学校』とされている『小学校』や『中学校』もやめてしまえばいいと思います。
なぜならそれが最初の大きな『仕切り』だからです。
『小学校や中学校をやめる』とはどういうことか。
もちろん、ただそれらをなくしてしまえばいい、という意味ではありません。
僕が行き着いた新しいアイデア、それは現在の小中学校をやめて、そのかわりに新しく『初心者のための学びの場』を作るというものです。
子どもも大人も関係なく、同じテーマに興味がある『初心者』が誰でも一緒に楽しく学べる場をイメージしています」。
このように書いているんですね。
いつでも自分が学びたいときに学びたいことを学ぶ、それが実現するためには、やはり学びと年齢、学年、そういったものが結びついてはいけないわけですね。
どんな学年、どんな年齢のときにも好きなことが学べなければいけないということを考えると、現在の学年制があるような学校ではダメなんですね。
子どもも大人も一緒に学べるような場が必要だという話になってくるわけです。
それからですね、さらにもっとこのイメージを膨らませていくために、
孫さんの本の中にまたこういう文章があるので、これもぜひ紹介したいんですが、
孫さんがですね、もし何も制約がなかったらどんなふうに学べるのが一番いいかという問いを立てて、その問いに対してこう答えています。
「ひとつの学校に縛られるのではなく、いろんな学校で好きなように学べたらいいんじゃないか。
それも学校単位じゃなくて、あの先生のこのクラス、この内容という細かい単位で選べたほうがいいんじゃないか。
もっと言うなら、学びたいものや人が一番集まっている最前線の『現場』や探求者が一番集まっている『本場』で学べたほうがいいに決まってる。
そう思うのです」と、こう書いているんですね。
学びたいことを学ぶときにですね、余計なことを学ばされるということはよくあるわけですよね。
学びの自由の重要性
このことだけ学べればいいのに、でもこれを学ぶためにはこのコースをたらなければいけない。
このコースはですね、全部で十何回あって、それ全部出席しないといけない、なんていうふうに言われる場合はよくあるわけですけれども。
でもそうじゃなくて、この授業のこの回の内容だけ学びたいんだというようなニーズにですね、答えるようなものというのはなかなか、少なくとも既存の学校の中ではないわけですよね。
でもそうなると、やはり学びたいことを学び、学びたくないことは学ばないという、そういう自由が実現できていないわけでして。
ここで書かれているような、細かい単位で学べるということもとても大事なことだろうと思うんです。
また、学校の先生、必ずしもですね、その分野の専門家とは限らないような、そういう先生、特に小学校なんかはそうだと思うんですけれども、
そういう先生から学ぶよりも、その分野の専門家であるとか、その分野で仕事をしているとか、その分野の最先端の研究をしているとかですね、
そういう現場や本場の人から学べた方がいいだろうというのもまさにその通りですよね。
もちろん、それを実現するためにはなかなか難しい問題があるわけですけれども、
でも、今だったらですね、かなりいろんなことができるだろうと思うんです。
インターネットを駆使してやれば、そういうことが昔よりはずっとやりやすくなっているということは言えるだろうというふうに思います。
そして最後ですね、これを紹介したいんですが、学びというとですね、やはり基礎から順々に積み上げていって体系的に学ぶべきだという考え方が非常に強いと思うんです。
小学校、中学校、高校のカリキュラム、そして大学のカリキュラム、みんなそういうふうになっていると思うんですね。
でもそうしますと、好きなことだけ学ぶということはできないわけですよね。
これを学びたいと言っても、これを学ぶためにはこういう基礎があって、この基礎を学ぶためにはさらにこういう基礎がある。
ずっと遡って最初から学べないと学びたいことが学べないなんていうのはですね、結局学びたいことを学ぶために学びたくないことを学ばされるという非常に不自由な状況になってしまうわけですけれども、
遊びを通じた学び
そういうのをやめるにはどうすればいいかということで、こういう考え方が書かれています。
ちょっと紹介します。
「なにはともあれ、初めは自由に遊んでなれ親しむ。
その後、深く極めたいと思った時に、初めて『自分が基礎だと思うこと』を徹底的にみがく。
この方がよっぽど自然で、その世界に入りやすいと僕は思うのです」
と、こう書かれています。
つまり、基礎からではなくて、言ってみればまず応用をやってしまう。
しかもそれを遊びとして楽しくやる。
もちろん失敗することもあると思うんですけれども、
でも遊びですから失敗しながら楽しくやっていく。
だんだんとそれに馴染んでいく。
そういうことがまず必要なんじゃないかと。
その上で、このことについてもっとちゃんと学びたい。
これをもっとうまくするにはこういうことが必要なんだろうということに気づいたらば、
その時点で基礎に立ち返ったり、あるいはその事柄について体系的に学んでみるとか、
いわゆる今日的な学校的な学びをやっていけばいいのであって、
最初からそういったきちっとしたカリキュラムに則って学んでいくというのはちょっと違うんじゃないかという考え方なんですね。
ということで、他にもこの本の中にはとても考えさせられる内容がたくさんあるんですけれども、
とりあえず私が今、自由な学びということで、この本からインスピレーションをいただいたそういう内容について、
私なりのまとめというか考えをお話ししてきました。
これを具体的に実現するにはどうすればいいかということは、
またもっともっと考えていかなければいけないとは思うんですけれども、
でも私が教育に携わる者として、こういった考え方に基づく自由な学びの場を少しでも実現できれば嬉しいなというふうに今思っているところです。
どのようにできるかはまだわかりませんが、また少しずつ考えて、この他のラジオでお話しできればと思っています。
それではまた。
16:08

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