クラシック音楽の流れの変化
こんばんは。今日はですね、あの夕方ぐらいに他の方のポッドキャストに出演しまして、3時間ぐらい録音をしたんですけれども、やっぱりあれですね、一人で喋るよりも誰か話を振ってくれる人がいるとすごく話しやすいなと思いました。
で、こちらはまあ相変わらず自分のペースで好きなことを喋るっていう感じなんですけれども、今日はですね、クラシック音楽についての話をしてみたいかなと思うんですけれど、
皆さん、クラシック音楽というと、まあ大体いつも毎回同じような曲ばっかりやっているというイメージがあるんじゃないでしょうか。
例えばピアノのコンサートですと、まあ、ベートーベンであるとかショパンであるとか、まあそういった定番どころをいつも演奏しているというイメージがあると思うんですけれども、
90年代以降に変わってきた流れというものがありまして、これどういうことかというと、まあ私の解釈ですと、クラシック音楽のサブカル化と言いますか、
今ってサブカルという言葉はどちらかというとオタクのサブクラスみたいな感じになっているんですけれども、確かに近いところはあるんですけれども、
もともとはクラシック音楽というのはすごいメジャーな芸術だったわけですよね。
あの50年代とか、SPからLPに変わった時期というのは、レコード産業というのはもうイコールクラシック産業みたいな感じだったんですよね。
クラシックこそが偉大な芸術であって、クラシックの録音を中心に回っているみたいな、そんな感じの時代だったんですけれども、
これは私の独自の意見になるんですけれども、そうやって録音物としてクラシック音楽が聴かれるようになったせいで、かえってプログラムの定着化が起こったというふうに考えています。
つまり歌舞伎なんかと一緒で、歌舞伎ってもう皆さん筋をわかっていて、それがどうやって演じられるかというのを見に行くというそういう芸術ですよね。
同じようにクラシックとかでもレコードで予習をしておいて、その曲がどういうふうに演奏されるか、
指揮者やオーケストラによってどのように演奏の違いが出るかを楽しむという、そういう芸術になってきたのが録音芸術が普及してから以降のクラシックの流れだったと思うんですよ。
そこにちょっとした変化が起きるのがだいたい90年代からだと思っています。
具体的にどういうことが起きたかと言いますと、相変わらず定番プログラムは定番プログラムとして演奏されることは変わらないんですが、
そこにピアニストの個性を付加するプログラムを入れるというようなことがだんだん出てきた時期が90年代だと思っています。
具体的に言うと、それまであまりみんなが演奏しなかったような曲、編曲ものであるとか、難しすぎて誰もまだ弾いたことがなかった、コンサートで弾いたことがなかったような曲、録音がない曲、
そういったものを演奏するようになった時期が90年代だと思っています。
どういったピアニストたちがそういった曲を演奏していたかと言いますと、
今年来日するマルク・アンドレ・アムランであるとか、イギリスのサー・スティーブンハフとか、
そういった人たちが昔の巨匠が弾いていたけれども、レコーディングが一般的になってからはあまり録音がないような曲とか、
あるいは自分の編曲というものを演奏するようになりました。
レパートリーの変化とプログラミングの個性
それから約20年くらい経った2010年代くらいから、若い世代たちの間では自分の編曲や自分の作品を弾くということがかなり当たり前になってきましたね。
例えばフランスの人気ピアニストのアレクサンドル・タローなどは自分の編曲を楽譜出版までしていて、結構録音とかも出しています。
私の考えではこれは結構CDが売れなくなった時期と被る話かなと思っているんですが、
CDが売れなくなったことでライブでお金儲けをするということがミュージシャン、クラシック以外も含めて流れとして起こってきた時に、
従来の定番プログラムだけではなく、自分の個性を出すために自分の編曲を演奏するということが一般的になってきた。
それが2010年代くらいの流れだと思っています。
今、例えば日本の若手ピアニストなどを見ても、自分の編曲を1曲ぐらい演奏するというのが結構当たり前になってきているんですよね。
うちの会社から楽譜を出している福間洸太朗さんや務川慧悟さん、角野隼斗さん、その他にも金子三勇士さんとか藤田真央さんなども自分の編曲を演奏していたりしますね。
20歳でロンティボーで優勝した亀井真也さんも自分の編曲を演奏していますね。
こういった流れがどこまで続くかというのは個人的には興味深いところなんですが、定番を押さえつつあまり弾かれることのない曲で自分の個性を出す、プログラミングの個性を出すという流れはこれから先もあまり変わらないんじゃないかなと思っています。
ただこういった流れって実はピアニストとか小編成だから成り立つという部分もありまして、例えばオーケストラが珍しいピアノコンチェルトを弾くとかなると楽譜をどこかから見つけてきたり借りていかなければならない。
場合によっては著作権料を払わなければいけない。一生懸命練習しても一回演奏してそのままで終わってしまう。ちょっとコストパフォーマンス悪いなと思われてしまうとかそういったこともあったりして。
聴く方もその曲聞いたことないけれどどうしようかなチケット買おうかなと思ってしまうみたいなところがやっぱりあるみたいなんですよね。
ただそれでも例えば久石譲さんとか…久石譲さんは最近映画音楽を軸ではなく、指揮者と作曲家として現代作曲家としての活動をメインに移しまして、大阪の日本センチュリー交響楽団の主席客演指揮者。
ちょっと言いにくづらいですね。主席客演指揮者としていろいろプログラムを立てて指揮をやってたりするんですけれど、もともと久石さんってミニマルミュージックと呼ばれる現代音楽の作曲家だったんですけれど、そういった日本であまり演奏のないミニマルミュージックの作品を取り上げたりしていたりするようです。
このように変化に乏しいと思われているクラシック音楽業界ですが、実は少しずつレパートリーの流行りしたりみたいなのがある、そういう話でした。
それでは今日はこの辺で。