勉強と直感の関係
ちえラジChat、木曜日始まりました。今回はですね、フリートークということで、勉強するってなんだろうっていう話をしようと思います。
ちょっとくらい昨日の話ともつながりますが、ツールとかサービスとかそういうものを使うって、その使い方を学ぶっていうことをもうしないくなっちゃった、言わなくなっちゃったんじゃないかなっていうふうに思うんです。
未だに、Adobe Photoshopとかそういう複雑な使い方をしなければならないソフトについては学ぶって言いますけれども、
ただこれも正直、学ぶことかなんていうふうに思ったりして、パワーポイントとかExcelとかも学ぶって言われますけども、あれ学ぶもんじゃないよねっていうふうにも思うんですよ。
ちゃんと見て画面を探す、ふとその使い方を忘れたんだったらポップアップのヘルプを読めばいい。
それでもまあ教科書っていうのもありますから、やっぱそういうのを読んで勉強しようっていうのもあるのかもしれませんが、ただそれも次のバージョンになったらどうせ操作感変わって意味なくなっちゃうよねみたいな。
じゃなくて、例えば機能がどこ行ったかわかんないんだったら、普通に検索バーから探せばいいし、なんか語感で多分こうやって使うんだなーみたいな使い方をすればいい。
そうすれば、それってなんか学ぶっていうふうにはならないんだけど、なんか普通に使えてるよねっていうふうになるんじゃないかなって思うんです。
まあとはいっても、全ての物事に共通の理解っていうのはあると思います。
例えばコンピューターの用語とかね、そういうのは覚えておかないと、多分マニュアルすら読めなくなるので詰みますよね。
ただそれ以外のことって学ぶのかなーっていうふうに正直思うんですよ。
例えばトイレの洗面台、蛇口に自動で水が出るやつとかありますよね。
あれを出っ放しにするには大抵蛇口上部とか周辺にあるボタンを押せば水出っ放しモードになりますよとか、そういうのがあるんですけども、あれってわざわざ学ばないじゃないですか。
だいたい直感で触れるようになってる。
最近のソフトとかサービスでそういうふうに作られてるんですよね。
触ったことがなくても、なんとなくこういうふうに触ればいいんじゃないのかなって想像がつくようになっている。
もちろんその文脈が自分たちの頭の中に入ってないケースっていうのはあるので、それは学ばなきゃいけないんですけれども、
ただその感覚を身につければ、基本どんなソフトでもある程度いきなり使えるようになるんじゃないかなって思うんですよね。
だから本当この文脈を身につけるとか、そういうような用語を身につけるとかいうところは確かに学ぶって言えるんですけども、
そこから先って学びじゃないよね。むしろ慣れって言うかな。そんな感覚かなって思うんです。
慣れの重要性
だからとにかく、基礎の基礎を勉強した後はまあ慣れてってほしいなって思うんですよね。
特にデジタルなものってその傾向が強いのかなと思うんです。
慣れることによってこういう風に使えばいいんだな、そういうのって慣れないと見えてこない。
自分の場合なんかAIがそれかもしれません。毎日画像を出力してみたり、
些細なこと、ちょっとコードを忘れしたとかをAIに聞いてみるとか、
そういう日常で異論なものにAIを使うことによってやはりなんか自分に合う使い方が見えてくるみたいな。
そうなることが今のデジタルツール活用においては重要なことなんじゃないかなっていうのも思うんですよ。
だから知識があろうがなかろうが、とにかく慣れるためにそういうのを使ってほしいんですよね。
そうやってバンバンベタベタいろんなツールを使えばそのうち慣れてきて、
そんな使い方、合った使い方ができるようになるみたいな。
いろんな人が当たり前にツールに慣れてきて、
そしたら多分もっと効率のいい使い方とか自分に合った使い方ができるようになると思う。
やっぱそれが真のIT利活用になるんじゃないかな。
だからこそそういう世界が来るために自分たちはいろいろ後押しをしていく。
そんな行動をしなければいけないのかなっていうふうに思ったりしています。
というところで今日のお話はこれくらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は金曜日週替わりで地域についてお話ができればと思います。
ではでは。