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はい、前回からの続きです。今回は
機械が発明されて、品種が発明されたんですが、ソフトウェア、つまり人間の部分ですね。この人たち、現場がちゃんと運用ができないとどうにもならないわけです。
ここを頑張った人たちがたくさんいるんですよ。この話をしたい。
たくさんいる?
人の名前は全部は出さないです。煩雑なので。流れを言っていきますね。まずちょっと時代遡りますけど、アメリカ、オランダ、イギリスがどんどんお茶買ってくれるようになりましたよね。
そうすると生産が間に合わないんですよ。また機械が出る、ちょっと前の話ですよ。でも作りさえすればどんどん売れるということが起きますよね。
そうすると、農民の人たちはどうするかというと、とにかく頑張って作るんですが量さえ出せば買ってくれるものだから。
粗悪茶、不正茶、こういうものを作るんですね。何かというと、ダメなやつです。普通にダメなやつ。聞いたらわかりますけど、ざっと言いますね。異物混入とかね。
いきなり異物混入。かさ増しするために柳の葉っぱとか桑の葉っぱとか、ひどいやつになると土砂とか砂土ですよね。混ぜてかさ増しするんですよ。
いや食べれんもん入ってるやないかい。
こういうことをやっちゃうんです。あとね、正茶の仕方。日乾茶っていうのが出てくるんですけど、昔々の長谷草園の前の時代に日乾番茶ってありましたね。
油がいて天日に干すだけ。ほとんどこれなんですよ。蒸して干すだけ。これが横行するんですけど、何かっていうとね、通常の乾燥、正茶の正しい乾燥の仕方をすると、ホイロという板の上、捨てられた板の上で手で揉みながらバサバサやりながら乾燥させるという工程があるんですね。
これをやるには人手もかかるだけじゃなくて、燃料がいるんですよ。石炭。
それの燃料費にお金かかりますよね。人件費かかる上に燃料費がかかる。時間もかかる。だからザルの上にバサッとあげて天日干しするんですよ。劣悪なお茶をどんどん出しちゃえみたいなことをやり始めるんですね。
そうするとね、いいお茶と悪いお茶が2種類できますよね。場所によってはちゃんとやる。場所によっては天日干しちゃうみたいな。
これ正茶するときにバラバラのもの混ざっちゃうわけですよ。分けりゃいいのに。色が違うのがバレますよね。着色するんです。
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着色まですんの?
そうなんですよ。着色してみんな同じ色にして、これ普通のお茶ですよって言って。
いや無理あるでしょ。
めちゃくちゃやるんですね。なんでこんなことが起こるかっていうと、まず一つは輸出が増加してどんどん買ってくれるものだから、どんどん出せば儲かるっていう仕組みができちゃいましたよね。
ここに人がついてこれてないんですよ。つい数十年前までこの人たち私農交渉という身分制度で、とにかく農業さえやっときゃいいよお前ら金のこと考えるなっていう世界で生きてきたわけですね。
ところが急に農地を開放してもらって自分たちでビジネスできるようになると。そうするとビジネススキルとかビジネスマナーモラルといったものが欠如した状態でいきなりビジネス界に放り込まれるという状況が起きてるわけですよ。
人が全くついてこれてない。
なんか中国みたいだね。ちょっと前の。
そう。まさになんですね。日本でも同じことが実は起こってたということですね。これによって何が起きるかというと買ってもらえなくなっちゃうんです。当たり前です。
アメリカに着きました。サンフランシスコの港で開封して検品します。なんじゃこりゃって。
そりゃそうだよね。クワノハとかならまだしてもどうしたわね。
まずいですよ。もともと一番最初アメリカがサンプルを送ってもらったときはちゃんとした煎茶を送ってもらってるんでこれいいぞっていうことで買ってるわけですよね。
サンフランシスコの商売やってる人たちもそのつもりでお茶をお分けにして売るわけですよ。そしたら一般の人たちがガンガンクレーム来るんだよね。
なんだこれ。日本のこれ作ったやつ誰だって。なって日本から買いたくないっていう状況が起きてしまう。
日本も人のこと言えないね。
そうなんですよ。かなりひどいことをやってるんですね。ちなみにこのお茶の染料ってどうやって着色するんだろうっていうので調べてみたらうどん粉にはいずみを混ぜたものを購入すると。
はいずみ入れちゃう。
これできれいな色になるのかな。わかんないんだけど。もともと出荷する前に横浜の港の近くでお茶を精茶して梱包して輸出できる状態にして船に乗せるっていう工程があったんですって。
その横浜のところで着色の技術を持ってる人がいてそれをやり始めると。じゃあ誰がその着色の技術を持ってたかっていうと中国の人みたい。
そうなんだ。
多分イギリスやオランダに出荷する時点からいろいろ開発されてたんでしょうね。船旅で色が劣化しないようにとかやってたんでしょうね。その人たちが横浜中華街の元になるようなところに中国人がビジネスしてたのでそこで着色技術というのが始まって、どうやら後々摘発されますけど横浜に染料を専門に販売する業者までいたみたい。
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一大産業だね。 もう一大産業ですよ。これが後々国際問題になっていく。
国際問題になるんだ。
こんなものを起こしちゃうともうやばいですよ。
品質管理も何もないもんね。
アメリカめっちゃ怒るんですね。っていうのも明治の初期には輸出のほとんど約90%がアメリカ行きなんですよ。その中が粗悪品だらけなんですよ。めちゃ切れます。
まず1872年アメリカに怒られ始める前の段階で静岡県茶業組合みたいなのが前身があるんですね。県ですね。今の県庁がなんだこれっていうのをちょっと気づくんですよ。異物購入すんなよっていうので法令まではいかないけど茶荷物の取り扱いを認可制にするんですね。
認可制にするんだ。
特に輸出の産出量が最も多い茶葉の産出量が最も多い静岡県だからこれやれば静岡県が先陣切ってやれば大体のものは治まると。そもそも葉っぱがたくさん取れるので異物購入してかさ増しする必要ないんですよ。
破棄ってあるじゃないですか。捨ててましたよね。 捨てるくらいあるのに異物購入ってね。 なので県外の茶葉を静岡に持ってきた時に異物購入をしてしまってるものがあるということが多かったのでそもそも県内の異物購入をやめて茶商も買う時に適当に金儲けに走らないように茶商になるための認可が必要だよという。
いいやつしか茶商になっちゃいけないよというふうに1回決めます。その5年後日韓粗悪茶、さっき言った手抜き茶ですね。これは県内でも結構たくさん作っていたのでこれダメだと。この製法が良くないんだ。この製法があるせいで着色しなきゃいけないんだ。日韓茶ダメだよっていうのを県の条例で決めます。
今まで決めてないんだね。 自由か。 県の決まりだので他県では日韓茶がオッケー。でも静岡はダメよって。なかなか撲滅できないんだよ。韓国とかシドウという論国って言うんですけどもうダメよって通達するだけなんですね。
そこからさらに5年経った頃にもうじっとも言うこと聞かないから罰則作ろうって。今の富士市の方かな。あっちの方で罰則を設ける地域が出てくるんですね。日韓茶作ったら1日5円取るよって。1円っていうのは現在で言うとだいたい2万円から3万円くらいなんで1日10万円くらいの罰金払えよって。
へえ結構だね。 結構ですね。こういうことを始めてだんだんと県内に波及していくと。こういうことをやっているんですけどその翌年1883年アメリカ議会がついに切れます。
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そんな大規模な話? そう。州がとか市民がとかじゃないアメリカ議会が動いちゃう。へえよっぽどだったんだね。
偽茶禁止条例というのがアメリカの政府として可決されます。アメリカ政府として不正茶は買いません。買っちゃダメよっていう条例ですね。これで一気に日本茶の信頼がどん底まで落ちますね。
まあそうだよね。 やばいですよ。一気に輸出量も減っていくということになりますね。この影響を受けてさらに県の人たち静岡県の人たち焦るんです。1884年この県の当時の県議会議員と当時の国の衆議院じゃないな貴族議員かなの人たちが協力をしあって国に働きかけをします。
その結果生まれたのが茶業組合遵則という法律になるのかなこれ条例かなを発布してもらうんですね。これ何かっていうと茶業者が組合に所属しないとダメだよと。全員単独で勝手なことをすんなよ。茶業組合の中でルールを作ってそれを遵守しなさいよということを法制化します。
その中に偽茶粗悪茶の取締りを組合で行いなさいよということを法律で定めるということをします。この法律ができたおかげで日本全国に茶業組合が設立されます。 条例だったんだね。 そうですね。日本全国でバラバラに各地域ごとに組合作りますよね。これ連携しないと統一化できないのでということでその年の末には中央茶業組合本部というのが東京に設立されますね。
丸尾文禄という人が静岡県人でこれを提唱して頑張るんですけどこの人は牧野原の茶園開墾に尽力した実業家で後に静岡県議会議員も務めてますね。この人が働きかけをしたおかげでここまでいってますね。
茶業組合と静岡県の方針としてここからさらに検査員という人を設置することにします。 検査員ね。 悪いことしてねえかなっていうのをチェックする人ですね。ただ多税に無税なんですよ。不正茶作ってる人日刊茶作ってる人めっちゃ多いんですよこの頃まだ。
だから行くと普通に反発されて帰れ帰れって何やってんだお前ってうざいんなって追いかけられるんですよ。 なんかヤクザみたいなのがね。 もの投げられたりとかね。なので一部のところでは警察官同行の上で検査員が行くみたいな。
すげえ危ないとこ行くみたいじゃん。 これやばいぞって言って検査員の人数増やしていくんですね。毎年5人とか10人とかどんどん増やしていってスタートが5人ぐらいで始まるんですけど県内全域5人ですよ。初めがね。これが最終的に50人とかまで増えていくんですね。
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50人。 で翌年の1886年には不正者検査法という法律ができて組合からの提言によって法律になってこれは法律の権力を持った上で検査員は取り締まりができるよと。警察みたいなことができるようになるんですよ。
うーん。 反発してもお前違反だって言ったら普通に刑事罰として3円以上25円以下の罰金。これを課すことができるという法律が決まりますね。さっきの換算でいくと6万円から50万円くらいかな。
すごい金額。 買えない買えないとお前ら違反じゃーって言った瞬間に切符切られてはい50万円みたいな。そういうところまで。もうとにかく力技で抑えていかないと全然収まんないんですよ。それは農家さん生産者の方も生活かかってるから。
確かにね。 これ税に儲かんなかったら生きていけないんで。だし機械化したいけど機械買えないじゃないですか。だからお金欲しいんですよ。でもやめろって言われるんですね。つまりこの時の構図は不正者イコール儲かる。正直な商売儲からないっていう図式だという認識をしてるわけですね。
そういうことになるのか。 これを検査員の人たちは一方的に不正者やめろという状態です。ちょっと歪な感じしますね。そんなコーナーしていたちごっこを繰り返してる間にもニューヨーク市場では荒れまくってるんですよ。
1889年3年後ですねニューヨーク市場で茶葉の価格が大下落します。アメリカ政府が改めてニューヨークで出回ってるお茶を調べたら粗悪茶が多いということが分かりましたと。これをニュースで発表するんですね。市場価格が大暴落。
買いたくはなくなるよね。そんなニュース見たらね。 そうなんですよ。これをニュースで聞いて県組合検査員の人たちはもっと細かいところに手を入れていくんですよ。
例えば乾燥させるときにホイールがありましたね。鉄製だと良くなかったらしいんですよ。なので紙製。和紙を上に貼ったものにするとかね。品質が良くならばこっちにしなきゃダメだよみたいなホイール作るんですけど。
鉄製のホイールの方が圧倒的に生産性が高くて。今でもそうですけど機械って一回導入すると変えるのすごいコストかかるじゃないですか。品質は良くなるかもしれんけどそんな生産性悪いものに金かけてやるの負担多すぎるわっていい加減にしろって。ずっとこんないたちごっこまだ始まるんですよね。
これで揉めて揉めているところでそこからさらに8年後1897年ついにあいつが来る。高林敷十年記が出てくる。
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ここで今まで人のコストがかかるとか時間かかってしょうがないっていうのが高林敷のおかげで一気に解消していくんですよ。この前のいたちごっこがあったからこそこの高林十年記が活躍できるんですよね。もう土台があったっていうことですよね。
これで一気に非近代術で解決できるわということで今までの鉄製のホイールだとか紙製のホイールだとかっていう話が消えてなくなるんですよ。もういらないんだホイールが。
もう機械化しちゃえばね。しかもそれ専用に作られたわけだからね。 はい。しかも品質いいわけですよ今までより。いいよねっていうことで。もうこっちに一気に切り替えをしていきます。ただ全部はいかないんだよね。
全部はいかないんだ。 お金問題があるから。 儲かってたところはいいけどお金なくてギリギリのところは買えないのか。 そう。そういう問題をはらみつつも静岡県の方では着々と品質管理を体制化していきますね。
1908年標準茶制度というのを静岡は導入します。標準茶制度。 標準茶。この年の標準茶はこれですと。これより下のものは全部ダメなやつ。そういう基準なんだ。
標準茶という名前をつけていますけど使っていいやつダメなやつを分けるもの。一級品とそれ以外っていうふうに。 ああそういうことね。 なんでもう機械を使ってるかどうかに関係なくて標準茶という基準を定めてこれ以下は絶対ダメ。これ輸出に使ったらダメよ。ただ年によって茶葉の状態が変わるものだから毎年設定するようにすると。
でも分かりやすいよね。ものがあった方が。 そうですそうです。これが定まって安定はしてくるんだけど一個問題があってですね。静岡県産とそれ以外の県のものでは元々取り締まりの制度が違いますよね。だって県外にまだ県産いないですから。
そういう取り締まりの仕組みが全く整ってない状態なのでもっと緩いんですよあっても。それを静岡県の標準茶制度に当てはめてしまうとほぼほぼ全滅すると。だから県内向けと県外向けに2つの標準茶を設定する。
そこまでやったんだ。 仕上げ茶を作るための粗茶としてはいいけど異物購入とか話にならないから標準茶はいいかねっていう扱いをするんですね。これで何が起こるかっていうと当然のことながら質の低い茶葉を静岡県から完全締め出しをするんです。
この頃に他県から粗茶が集まってきたんだけどね。それの精査というか分別ができるようになります。ここからですよ。ここからさらに手を止めずに頑張るんですよ。まだ行くって。ここで精茶監督員というのが設置されます。
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精茶監督員。 監督員。指導員を束ねて監督する人なんですね。この人たち何をやるかというとより厳しい違反者の摘発を始めていきます。ゴリゴリで締め付けするんですね。
県知事から茶業監督員と共に警察にも協力要請の命令が出るんですね。監督員に警察も協力せよと。何か違反者が出た場合に監督員からの通報があったら警察は動くようにと。
ずいぶん権力が増えたね。 特に取り締まったのは日刊茶と着色茶。すごいよ。着色茶を全滅させるために県が取った行動。市場で見つかった着色茶。県の予算で全量買い取り。そして即廃棄。
買い取るんだ。 もうこんなもん戻せないから全部買っちゃえって。で全部燃やせみたいな。この見せしめ的な行為がわりと響いたっぽいですね。
なんでもうとにかく品質を担保するために異物混入だとか着色だとか、あと使っちゃいけない機械を使うだとかいうことも取り締まるし、あと一方で技術指導的な監督もしてきますね。すごいなと思ったのが今まで本当にダメダメダメだったじゃないですか。やっぱり今回もダメって言うんですけど細かいんですよ。
これ乾燥が不十分だからこのまま行くとカビ入っちゃうからちゃんとやってねとか。乾燥不十分とかあと梱包不十分。梱包が雑だからこうやってゴミ入っちゃうからちゃんと梱包し直しなさいとか。
商売で流通させるときにちゃんとした正規の荷札つけないと流通の人たちが困るから決められた荷札をちゃんとつけなさいとかいう取り締まりもやっていくんですね。本当に細かいところまできめ細やかにルール化して運用を固めていくっていう感じ。ここまでザーッときましたけど結構ね現場サイト大混乱。
変化の幅がすごいね。今までその辺で下手したら外で作ってるような勢いの正茶から急に向上化というか本当に加工場としての基準がどんどん設けられていったよね。
そういう感じですね。実はこの正茶監督員とか指導員の人たちもしくは県の動きっていうのは県には多少資料が残っててこんなことやったんだよって記録にあったんですけど、じゃあ現場で実際何が起こっていてどんな会話がなされてたかっていうのが長いことわかってなかったんですね。
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記録があんまり残ってない。で、この正茶監督員が県内に5人うちの1人川村総兵という人がいるんですけど、この人の資料が何年か前に見つかってですね。
これ川村総兵先生って僕ら呼んでますけど、総兵先生のお孫さん?暇子さんが僕らの恩師ですね。川村先生ですね。あの方が土塀を直すときに土壁の内側から監督員時代の総兵さんの記録がペロペロって出てきたと。
めっちゃ古い家か あそこ十分指定ですからね。あそこの中から出てきて、で、塾長が一枚一枚見てたら、おやっとこれ監督員の現場の記録じゃないかと。これによってどんな仕事をしてたかというのが明らかになった。
へーそんなん出てきてたんだ。すごいな。 実はこの川村総兵という男はなかなかにすごい人ですってね。検査員一家やるんですけど、この検査員になるのが監督員が設定される前年なんですよ。
あーそうなんだ 1911年に検査員の増員の一人として入っていくだけなんですね。翌年にそれを束ねる人を設置しようぜってなった時にいきなり罰的なんですね。これがなぜ起こるかっていうといくつか理由があるんですけど、実はこの人牧野原の開墾にも携わってるんですよ。
あー前々回ぐらいにあった牧野原開墾 あの中条陰明が何があっても山は下りぬって言ってやってた、あそこにいるんですよ。あそこに携わってるんですね。そしてあの剣術の達人の中条陰明本人から直接剣の指導を受けている。
弟子? 弟子。なんなら中条流剣術の面場が河村家にある。だからもうガチで付き合い深いんですね。なので何が起きたかというと、中条陰明の茶業に欠ける情熱を丸ごと引き継いだ男でもあるんですね。ここ結構ロマンスよね。
すごいね。 さらにこの河村家という家自体も代々大井川流域にある家で結構古い家なんですね。独画幕府のために切り出して使う木材。幕府専用の木材を切り出すための林があるんですけど、その林を守るための役職を持った家柄なんです。
知能高所で行くと確か農に当たるんですけど、お林の森という役職をもらっているから、台頭が許されている。要は刀持っててもいいみたいな。そういう家柄でもあるので、やっぱり資産が高いんですよ。旧爆心の一人なのでやっぱり。国のためにとかそういう意気込みも持っている。
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それがね、本人も家柄的にもそうだし、中条影明という獣神にも直接会っているし、徳川、江戸の旧爆心たちが国のためにっていうのがここにちゃんと辿り着くんですね。 ああ、そこでね。 ロマン。
すごいね。 河村総兵さんのすごいところが、ちょっと近しいからつい三次元になっちゃうけど、総兵のすごいところがね、一人の監督員でありながらも、ちゃんと茶業界にすごい提案するんですよ。このまんま茶業界がどんどんどんどん拡大化していって、高林のおかげで機械がどんどん進んでいくと、必然的に生産者さんと生茶業者さんが自然分離していくと。
ただ今までの流れを見ていくと不成茶みたいな流れありましたよね。これなぜ起こってるかっていうと、お金が儲かるからっていう理由で構造をどんどん変えていくっていうのを双方でやり始めてしまう。そうすると生産者も異物購入とかそういったことを、新茶の段階でひどいことをするし、仕上げ茶とか新茶工場の方も儲かるためにという生茶の仕方をやりかねないと。
ここを今の段階でちゃんと整備しとかないとまずいぞっていうことを提案し始めるんですね。
すごいね。もうだって分離するっていうのを想定していくってことでしょ。 そうなんですよ。これを県に提案するんですね。ただ、県のトップ、組合のトップにまで話はもちろん上がるんですけど、その場では可決されない。
ただこれが後々ボディブロのように効くんですよ。新茶を作るところまでは生産者が携わる方がいいよね。だからこういう仕組みがいいよねって言って、総兵が提案してできたのが今の新茶工場ですね。
これ静岡県民じゃないとわかりづらいかもしれないですけど、お茶農家さん、例えば20件とかが集まって共同で茶工場を持ってるんですね。なのでお茶農家さんは一事業主でありつつも茶業共同組合、生茶工場の社員でもあるという二重構造を作るんですけど、これを提案してるんですね。
これ提案した人なんだ。 ここで生産者さんが新茶を作るところまでを一貫して見ていて、これを茶商に売り渡すという仕組みを提案して、それが後々茶業組合の中で咀嚼して問んで、こういうふうにした方がいいっていうのがあって、これが実現していくと。
これ一元管理をしてることによって何がいいかというと、過度な利益追求にもなりきらずに、そして品質が下げることがないようにしてちゃんとビジネスに成り立たせましょうよという、これが一つですね。もう一つ、個人で買うには高林式充電器って高すぎたんですよ。だから一件一件導入なんてとても無理だったんです。
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機械だもんね。生茶の機械農家ごとに買ったらえらい金額だよね。 あれ見るとわかりますけど普通にケットラー一台分ぐらいのサイズありますしね。あんなの無屋に置いとけないじゃないですか。なかなか揃えられないんですよ。何種類も。なのでそれの巨大なやつを松下工場で作ってもらって、共同茶工場に導入するという。
効率化なんですよ。みんなでお金出し合えば買えるじゃないですか。ここ会社化しているので、ここに投資をしてもらうこともできますよね。お金を貸してくれと。ここで活躍するのがあの渋沢栄一が設立した商法会社なんです。
あそこが減収を投下してくるんですよ。資金投下を。 会社が会社に投資をする。 はい。お茶農家さんっていうのは基本的に販売時期が当時春から夏にかけての一回きりですよね。なので持ち資金っていうのは秋冬っていうのはないわけですよ。
その時点で何か資本投資しようと思ってもお金がないと。そのタイミングでこの商法会社からお金を借りてきて、成茶をして売った売り上げから返すっていうこういう仕組みができるんですね。なので8ヶ月で一気に何倍もの売り上げ立てた商法会社っていうのは冬に貸して秋には回収してるからなんですね。めちゃ早い。
早いねサイコロが。 ここでリンクするんですよ。すごくねこの仕組み。 その仕組み作った渋沢栄一はすごいしね。
この共同茶工場を提案して実現していく河村総兵と茶業組合ね。これが現場の運用を組み立てるってことですね。
それからか今掛川とかねお茶作ってる場所はみんな荒茶工場を地域で持ってるよね。普通のお茶屋さんって成茶する会社の方が圧倒的に数は少ないもんね。
そうですね荒茶を買って仕上げ茶をして出荷をする。 仕上げ茶はやっぱ会社だもんね。荒茶工場だからあんなに多いんだ。すごいそこら中にあるもんね。
もうこの掛川辺りは特にそこら中にありますね。 しかも普段シャッター閉まってるもんね。お茶の時期以外は。なんか倉庫みたいな山の片隅にある。
そういうことですね。お茶の時期があるとホイールを上げって言ってみんなで一杯やって一旦おしまいねって。この仕組みをこの時点で初期の時点で構想してますね。
だからあるんだ今。すごいすごい。 すごいことですよこれ。この共同茶工場ができる前までは取り締まりばっかり追求してきてたわけですよね。ダメだダメだダメだ。
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この時点でグッともう一歩先まで足を踏み入れてますよね。ダメだダメだじゃなくてより良くするためにはこうした方がいいよねっていう。だからそこにみんなが良くなるための仕組み作りに踏み込んで産業構造を変えていくっていう。
さらにですよ、県はもう一歩やるんですよ。 まだもう一歩あるんだ。 まだもう一歩あるんですよ。この機械式の生茶技術っていうのは地域ごとにばらつきが出るわけですよね。当然ですけど。
これノウハウで一番いいやり方探そうぜっていうのをずっとやってるんです。影で。監督員はその情報を現場から吸い上げて県の方に報告をするという業務をずっと行ってたようですね。そして明治38年式生茶法。なんて安直な名前。
監督員から吸い上げたノウハウを明治38年生茶法という塊にしてこれが一番良さそうだっていうのを県で制定するんですよ。これをまた監督員が受け取って指導員を通して現場に落としていくんですよ。さらに総兵はこれにまだ回力を加えるんですよね。
まだ加えるんだ。 翌年明治39年式生茶法というのを確立させます。何のためのこの生茶技術かっていうと今までほら宇治の煎茶なんかはより品質を良くするとか新しい新発明みたいな感じだったじゃないですか。
ところがこの明治38年式39年式の生茶法っていうのは高い品質を保ったままで短時間で大量生産ができる。ここに特化してるんですよ。新しいものを生み出すとか発明したとかではないんですね。もうとにかく磨き上げるためにはこれがベストみたいなのをやり続ける。
はーい。一流品を当たり前のように作れるようになるまで頑張るって感じか。 そうですね。これをなぜ彼らがやったかというと監督員は現場毎日歩き回ってますよね。彼らが豊かになるために。彼らの生活を成り立たせればお金がちゃんと回るようになれば悪さしなくなる。
成功法で商売してちゃんと儲かるよっていうのを道筋付けてあげたんですよね。ここは現代のビジネスマンももう一度学び直したいなところ。 本当だね。やっぱり仕組み化するっていうのはそういうことを言うんだろうね。
えーですね。さらにもう一歩行くんですよ。 まだ行きます? えっとね、製茶練習所という場所を開設します。製茶の技術を教える学校ですよ。平田学園と。これを牧野原、廃原地区っていう地域に作ります。これによって広く茶業界に近代的な製茶技術を伝えるということを行ってますね。
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総兵はこの時、練習所の教師総代を務めてます。総代っていうのはトップですよね。普通の学校では校長先生ですよ。代表を務めて練習所を運営してますね。
すごい重要な場所。 ね。どうやらここで学んだ人たちが県内で散らばっていくこともあったし、県外から勉強に来る人もいたらしいですね。
これは本当に感動的。 そうなんだ。県外からも来てたんだね。
これで静岡県の茶業が機械の発明、矢吹田という品種、現場の運用すべてが揃うことになるんですよ。結果、爆発的に静岡茶が海外に出てくるんですね。
高品質で低価格を守れるからね。大量生産ができるということは。 そうなんですよ。これがあったおかげで静岡がどんどん海外に出荷するんですけど、ある瞬間海外からの注文が止まっちゃうんですよ。
激減します。これ日本が何かをしたということではなくて、残念ながら世界が第一次世界大戦に突入するわけですね。 戦争ね。
当たってる場合じゃないですよ向こうが。じゃあこの作ってこんだけいいものを作ってる静岡のお茶どうするってなりますよね。ずっと海の外を向いたんだけど、パッと後ろを振り返ったら日本国内でもお茶が欲しがってる人がいっぱいいるわけですよ。ここにボンって出す。国内需要向けに。
それまで全然向いてなかったんだ。 出してたんですけど、なんせ生産の60%海外持ってってましたから。それを日本にバッと振り向いた瞬間にライバルいなかったんですよ。 そうか全国で統一してるから。
もう静岡はうわぁ外外外って言っていきましたよね。振って振り返ったら国内ナンバーワンになってました。この瞬間にお茶といえば静岡という認識がほんの1年2年で全国に広まりますね。
輸出してた頃ってそんな認知度はなかったのか。 そこまでじゃなかったっぽいですけど。 だけどまあ外に向いたら60%分がいきなり国内に向いたら相当なシェア率だよね。
しかも安定して安いし品質いいし量いいし。で、流通インフラ持ってるし。この流通インフラの話ちょっと続きおまけなんですけどいいですか。これで結構やばいですよ。
そうなの? 流通インフラ結構頑張って作るんですね。もともと開国した時って外国船の行き来ができる港が3つしかないんですよ。一番最初2つなんですけど横浜と長崎ね。
はい。 で途中からすぐに神戸が加わってこの3港。ここなら外国貿易いいよって言って外国の省にもその3港にしかいないと。
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だけど静岡県には清水港と八重洲港という大きな港があるわけですよ。ここ何とかしたいと。で、とりあえず静岡市から清水港を使って横浜港に運ぶと。
そういう流れなんだ。 こういうことをやってたわけですね。横浜が都合が良かったのがサンフランシスコと横浜を結ぶ航路が確立されてたのでアメリカと直通だったんですよね。
で清水の港にお茶を運んで横浜に持って行って横浜で仕上げをして検品をして梱包して売買をしてアメリカ船に乗せると。こういう作業をずっとやってたわけですね。
それまでは当然だけど馬とか人足で陸路でやったんだけどね。それが牧野原の開墾だったりとかさっきの総兵たちの努力によって量が多くなってきた結果これ陸路無理だわっつって。で清水港から船で運ぶようになるんですね。
でこれすごい効率がいいのが帰りに海外から持ってきた石油石炭とか砂糖とかを積んで清水港に持ってきて清水から静岡県内とか山梨とか長野とかに販売に行くと。
そういうことをやってたらしいですね。ところが1889年東海道線が開通するんですね。東海道線ができちゃうと船じゃなくて線路で横浜にお茶を運ぶようになるんですよ。
まあそうなるか。 だから横浜の駅って比較的港近いですよね。港に物を送るためにわざとあっちに寄せて作ってるんです初めから。 もともとその目的なんだ。
だから輸出品を港に運ぶことを考えて作られてるってことは逆に言うと清水港の出番がなくなると。これ清水港やばいですよね。
急に減るよね。 どうするどうするっていうことになるんですけどここで清水の港の人たちめちゃくちゃ頑張り始めるんですね。
経営状態が悪化した清水の関わってる人たちは国に対して特別輸出港にしてほしいという請願書を提出するんですよ。
特別輸出港っていうのは清水以外にもいくつか認定されたらしいんだけど品目制限があるんですって。
この5つだけいいよっていうので石炭米硫黄麦粉この5つだけだったら何トンまでいいよみたいな量制限付きで一応ちっちゃい輸出港として認めましょうみたいな制度があるんだって。
でこれ賢いなと思ったのが静岡県知事とか県茶業関係者の人たちが請願を出すときにしれっと6つ目を指すんですよ。
お茶入れちゃったんだよ。
そこにお茶入れたんだ。
そこにしれっとお茶入れてこれで特別輸出港認定してくださいっていう提出を出してそれ結構粘るんだよね8年間かけてずっと粘るんだよ。
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8年。
8年間かけてついに1899年清水港は特別輸出港お茶付きで認められる。
チャート付けになっちゃったね。
これが実はすごいキーポイントなの。
そうなの?
だって清水から遅れるんだよ横浜はいらなくなるじゃん。
確かに。
そうするとねお茶が全部清水に集まることになるよね。
はい。
そうすると貿易省にも清水来るでしょう。
で横浜でやっていたお茶の仕上げとか梱包とか再生茶っていうんだけどいう作業を全部静岡でやることになるよね。
でこれが今の静岡県静岡市の茶町という町。
たぶん言ったことあると思うけど茶町って。
茶町?
今でも県の茶業組合の本部があったりすると思うんだけどね。
あーあるあるある。
あそこに全部お茶集めることになるのよ。
で一番のキーポイントになるのは静岡県内だけではなくて県外の荒茶が全部あそこに集まるの。
そうなの?
なんでかっていうとその仕上げ再生茶とか梱包とかパッケージングとかラベル張りとかあんなのそれぞれの地域でしかも茶産業にそこまで近れてない地域の人たちからするとロスなんだよね。
あーまあロスになるよね。
だったら安くてもいいから手数料払ってさやってって言った方が早いわけじゃん。
で別に手数料かかなくても荒茶売ってくれればうちでやるからっていう話になるよね静岡県からすると。
で運ぶのが今まで大変だったけど東海道線あるじゃないだからもう三重とかね。
三重なんか伊勢茶持ってますからもともと。
愛知県とか。
みんな東海道線にボーンって乗っけて静岡市に持ってくるわけですよ。
これで茶町に東海何県かのお茶がギュッと集約される。
そりゃより強くなるわけですね。
元締めになっちゃうんですね。
そうか輸出の起点となる場所を作っちゃったから。
そうなんです。
そりゃ集まるよしかも東海道があるってやっぱ強いんだね。
東海道線強かったね。
これですぐにドーンと航路が整備できるわけではなくて今度は海外と行き来する船がないわけだよ。
そうか船がないのか。
日本船とかもないから。
でまたさっきの県知事とかね県議会議員とかめっちゃ頑張って日本優先。
郵便船の優先ねと契約をして茶業組合と日本優先の間で貿易の契約をして日本優先の船がアメリカに行くと。
これが契約成立が1906年で翌年から清水港からアメリカに直接輸出ができるようになる。
結構早かったね。
頑張った。
そして1910年にはとうとう横浜を凌駕して輸出量が清水の方が高くなっていくね。
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そうなんだ。
もう例えば清水港と。
そして明治の終わり頃には緑車の輸出の半分以上が清水港から出荷されると。
半分以上ですよ。
すごい量になったね。
すごい量になってるんですね。
ここで何がすごいかっていうと茶町から清水港まで線路敷きますね。
もう港のためだけに。
港のためだけに。
走ってお茶のためだよね。
これ今私鉄として今でもありますね。
静岡鉄道はそのために作られた鉄道ですね。
あれは運送用なんだ。
元々。
なのでこれ地元民しか分からないんですけど茶町の近く五差路かな。
広い道が五差路でかかっているところが無駄に広い交差点が一箇所あるんですよ。
そこは今も線路じゃないんですけど当時線路の転換機のあるところでしたね。
そうなんだ。
Uターンできないじゃないですか。SLとかなので。
それをぐるっと回したりとか他の路線と接続するための膨大な広大な交差点になっているらしいですよ。
確かにね。
今川根とかの方もSL走ってるけどあっちの回転台とか見てると周りかなり広くとらないと回らないよね。
だと思いますよ。
だからかそれは流れが五差路か。
これは前にも言ったかな資料を調べている途中で母に聞きました。
私のちっちゃい時はあそこが跡地でまだ原型残ってたよと。
そんなに昔でもないです。100年経ってないですよね。
本当に最近なんだね。
これが全部整備されたところになると静岡県内のあちこちに仕上げ茶用の工場がどんどん整備されるわけですよ。
外商がどんどん移転してきて外国人の商人だけじゃなくて日本人の商人も増えてくる。
お茶以外の荷物もどんどん静岡に集まってくるということで。
明治には清水とか静岡市が街としてどんどん大きくなっていくわけですね。
清水の港広いもんね。今見ても。
今見てもだいぶ大きいですよね。
一時はアジアナンバーワンとまで言われた時ありましたからね。
このインフラ整備もあったから、さっきも言いましたけど、いざ国内を振り向いた時にお茶といえば静岡になっちゃうんですよ。
そうだね。ちょっとやそっとじゃできないような規模感。
お茶の輸出茶の半分以上が清水港から出てくるってことは、それだけお茶が集まる場所ってことですよね。
確かにね。
運送機能持ってますよね。国内へも。
あれ、出荷止まっちゃったったら清水のところで、じゃあここから船で積んで九州持ってこうとか道具持ってこうって容易ですよね。
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東海道線走ってますよね。もう一回乗せればどこにでも行けますよね。
確かに。
で、他の県とか整備されてない地域からすると、じゃあ国内需要向けに最後の再生茶工場作ろうっていうよりも、一回静岡送っちゃえって言った方が早いですよね。
もう設備全部あるところ、システムも全部あるからね。
だったらもう仕上げしないで荒茶を売るっていうことをした方が効率がいいわけですよ。
これによって静岡発のお茶が大量になるんですよね。
ああ、それで静岡茶有名になるんだ。すごいなあ。
いろんなことが重なってるというか、いろんなことをしたんだねそのために。
そうなんです。でね、今回のシリーズで僕が一番言いたかったのは、ここの明治の3話くらいの話なんですよ。
ただこれを理解するためには一回英才善事を知っとかないと意味わかんないんですよ。
まあ確かに流れがね、そもそも静岡にお茶が来た理由とかもね。
で、置いてきた伊勢とか三重県とかそういう流れがあって、そこからも全部静岡に集まるという。
その流れがわかんないと確かに繋がらない。
そうなんですよね。 よく繋がったね。
あとね、類似性もあるなと思っていて、一番最初抹茶の時代ですね。
宇治抹茶。戸賀の漁画して宇治がナンバーワンになった時代がありましたね。室町時代に。
あれも市場に近くて輸出の経路があって。ちょっと類似性ありますね。
市場がどんどん推移していくっていう目で見ていくと、
区芸向けだったのが武士も対象になって、それが庶民になって宇治選茶と川越静岡の三重の戦いになりますよね。
この市場が海外向けに移った瞬間にまた様相がガラッと変わりますね。
それがもう一度国内に向いた時にまた違う様相に変わってくるという。
このマーケットの繊維と技術と人の動き。あれは面白い。
時代で変化に合わせて先を考えたのもすごいね。
あとね、情熱がやばい。 情熱ね。
イギリスなんかでもコーヒーサロンが淘汰されてティーサロンに置き換わっていったとかあったじゃない。
お茶飲みたいけど我慢してアメリカンコーヒー飲むみたいなところもあるじゃない。
ということは緑茶はまだまだポテンシャル持ってるなって感じする。
そういうことだよね。
彼らの明治の人たちのようなああいうパワーを情熱を持ってやるんだ。できるできないじゃなくてやるんだ。
のところに行くと日本茶業界はまだまだいけるっていう希望が持てますよね。
本当にね。売れないかなとかこのまま高齢化を迎えて茶園がどんどんなくなっていくっていうのをちょっと悲観的には見てたけど
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まだ売れるのになんでやめちゃうのっていう。自信は持ってるよねこれでね。
茶業監督員みたいに現場の整理をすることができるようになったらまた現代以降の世の中も変わっていくんじゃないかなっていう気はしますよね。
そうだね。
そして感動する。そしてお茶もっと大事に飲もうって気になる。
そうだね。お茶のおいしさもわかるしそのおいしくなった理由を知ってるからね。
そうですね。
もうちょっと頑張らなあかんね。
もうちょっとどこじゃないここからグイッと静岡茶挽回をしていかないと。
そうですね。じゃあこれで近代茶業まで来ましたのでここでまとめようかと思ったんですけど。
じゃあ我々の世代、現代ですよね。昭和以降どうだったかっていうところはちょっとだけ最後に触れて次回最終回としたいと思います。
じゃあ次回もよろしくお願いします。ありがとうございました。