00:03
はい、では前回からの続きです。で、今回は
はい、もう一通り豆腐の話はだいたい完結してきたので
そろそろ海外の豆腐に目を向けてみようかなと
海外の豆腐?
そうですね、日本の中でずっと暮らしていると
豆腐は中国から来て日本くらいだよね、みたいな錯覚に陥ってしまうんですが
当然中華文化圏
このエリアでは当たり前のように豆腐が食べられているわけですよ
そこら辺の豆腐をちょっと覗いてみようかなという感じですね
やっぱ中華とか、近いところはアジア圏か
アジア圏ですね
やっぱ多いんだね
中国の秦のあたりだとね、秦の皇帝を中心にして文化圏が形成されていて
当然お隣の韓国とかね、インドシネシア、フィリピン、ベトナム、あのあたりまで
大体貿易関係にあるので、当たり前のように豆腐の文化が広がっていると
そういう感じなんですね
まず一旦、中国本家からいきましょうか
中国本家なんだ
本家、本元中国ですね
中国は相変わらず固めの豆腐が中心みたいですね
固めのままなんだね
大体肉として使われているような感じですね
日本人がよく知っている中華料理で豆腐を使っているものといえば
麻婆豆腐かな
麻婆豆腐
一番有名なのは
有名だね
他にはいろいろ豆腐とかも出てきましたけど
今日本の家庭で一番食べられている中華料理で豆腐といえば麻婆豆腐かな
これ歴史あんまないんですよ
歴史あんまない?
そんなに長くない
豆腐の長い歴史を考えればだけどね
軸がおかしい
150年くらいかな
そこそこあるね
料理としては
150年いかないか
1800年代の終わり頃
新王朝の後半かな
麻婆って麻という字におばあさんの馬という字が書くじゃないですか
確かに
麻というおばあさんが作った豆腐ではないんですけど
違うんだ
麻ラーメンの麻とかの辛い意味の麻と全く関係ないので
関係ないの?
関係ない
もう俺そっち系かと思ってたよ
全然違うらしいですよ
違うんだ
どうでもいい話ですけど
四川省のどっかの町の外れにね
料理屋さんがあったんですって
そこのおかみさんが顔にアバターがあってね
アバター?
アバターなんかブツブツがあるとかそんな感じだと思ってください
馬はおばさんって意味です
おばさん?
おばあさんじゃなくておばさんくらいの感じ
そうなんだ
陳柳さんっていう女性らしいんですけど
顔に少しアバターがあったみたいで
03:02
生きてる間はご存命の間はそんな麻婆とかって呼ばれてないですよね
だって名前がねアバターのあるおばさんって意味だからさ
アバターのあるおばさん
の豆腐料理で麻婆豆腐らしくて
亡くなった後にニックネームあだ名的な感じで
麻婆が作ったみたいな
次から聞いたらおばさんの顔出てきそうだよね
おばさんの顔がメインの豆腐の料理みたいな
めっちゃ流行ってたらしくて
そうなの?
旦那さんがねもともと
菜種油の精油工場で働いてて
その周りで同じ工場で働く肉体労働の人とか
油を運ぶ肉さんたち
労働者ですよ運ぶ人たち
肉体労働なんだけど
低賃金で働くような工場なんで
お金ないから
豆腐が肉の代わりとしてすごく人気が高くて
安くて肉の代わりになって
これ面白いのが書いてある本によって違ったんだけど
平等なりがね豆腐屋と肉屋さんだったらしくてね
豆腐屋と肉屋さん?
片方が豆腐屋さん
片方が羊の肉を売ってるお店
その真ん中に陳流さんのお店があって
間にね
羊の肉をミンチにしたのと豆腐を合わせて
肉のかさ増しっすよ
チャーハンライスみたいな
このぐらいの時代になってくると
だいたい肉ではあるんだけど
肉を完全に置き換えるっていうよりは
肉と豆腐を合わせてちょっとかさ増しして
旨味を進めるみたいな感じで
へえそうなんだ
なんで中国の方もだいたい肉なんだけど
このぐらいの時代になると豆腐は豆腐という
別ジャンルで独立してるよってことがちょっと見えてくるかな
はあ
ただねあれ中国で豆腐絶対食わない地域なんですよ
ええそうなの?
ガシャッタ
モンゴル
モンゴルか
確かに中国と言えば中国だけど
中国文化とはちょっと違うイメージだね
説としてもともとモンゴル系の人たちが食べていた乳腐
それが豆腐になったんじゃないかって説もあったぐらいなので
モンゴル系民族でも定住した人たち
今の定住社会に馴染んだ人たちは豆腐食べるんだけど
当然今でも遊牧生活してる人もたくさんいるわけですから
今もいるよね確かにね
そうするとあの人たちは羊を飼って生きてるでしょ
羊の肉はあるし羊の乳はあるし
豆腐定住してないから作るのめんどくせーしみたいな
ああそうか
そもそも大豆だから
確かにね
定住してないと農業には不向きですからね
そんなところがあるのかなってちょっと考え深いものがありますよね
そうね
じゃあちょっと中国離れて次行きますよ
お隣朝鮮半島韓国ですね
韓国
韓国も比較的固い豆腐の歴史が長いですね
06:02
ああそうなんだ
まあ一緒です基本的には
ただですね1990年代になってからだんだんと柔らかくなってきたみたいな
めっちゃ最近だね
そう僕が読んだ本の中でも著者の方が
初めて韓国の豆腐調査に行ったのが1970年代
その頃はまな板の上に固い豆腐が重ねて置いてあるみたいなのが当たり前だったらしいんだけど
そこから10年経ってから行ったらねもう水にぷかぷか浮いてたらしいのよ
めちゃくちゃ変わったね
もう柔らかくなってる
水につけてないといけないくらいの柔らかさになってるし
なんならそのすぐ後ですね
僕ら日本人がよく見るプラスチックパックに入ってるやつですよ
あれがもう普通に夜おはんとかね
そこで並んでるんで
もう今ほとんど日本と変わらないぐらいの感じらしいですよ
そんだけ変わったんだね
だいぶ柔らかくなったみたいですね
実は韓国の豆腐と日本は割と深い繋がりのある地域があってですね
ほら1590年代頃に豊臣秀吉が朝鮮出兵したじゃない
これ細かくやらないですけど
その朝鮮に渡った武将の中に張曽歌部元近という人がいるんですよ
ああそうなんだ
水軍が強いと言われてる張曽歌部氏ですよね
国で言ったら土佐の国
その張曽歌部ね
現在の高知県ね
この張曽歌部元近が朝鮮に渡ってそこで知り合った
僕後陣さんっていうのかな現地の方ですよね
その方が張曽歌部元近に従って日本にやってくるんですよ
1593年から1607年だから14年ぐらい土佐で住んでたらしいんです
この人が豆腐作ってたらしいのよ
へえそうなんだ
ご本人は帰っちゃうんだけど
その親族の一部が土佐の国に残ってですね
日本風の苗字になって秋月
秋月
苗字を秋月さんって言うんですけどね
秋月氏となってこの人たちが豆腐座というのを構成していくわけなんですよ
豆腐座
座っていうのは座ると意地を書く楽市楽座の座ですね
商業組合みたいな形です
ああそういう座ね
その座を土佐藩の中で形成して江戸幕府がなくなるまでの間
土佐にはずっと豆腐座があると
でこの豆腐座でメインで作っていたのが片豆腐
片豆腐
はいだいぶ硬いです
ああ土佐でも片豆腐だったんだ
はいで現在でも土佐名物片豆腐だ
へえ全然住んでたけど知らんわ初めて聞いた
地域違うかもね
09:01
土佐確かに土佐ってちょっと俺の住んでたところからずれてるんだよね
高地でかいしね
でかいね
俺も行ったことないから分かんないけど
でもそういうの文化があるらしくて
今でもねネット通販のサイトでググったら
結構ね名物片豆腐って出てきて
幕末まで続いてたらしいので
結構長いね
はいでこれちょっと今回の台本から外れちゃうんですけど
我々の父も若い頃料理人なので
若い頃よく硬い豆腐使ってたよって言ってたんでね
へえそうなんだ
あの普通に紙みたいなので包んだりとか
紐で縛って持ってくるみたいな
はあ
そういうの普通にあったらしいですよ
そうなの本当に最近まであったのね
そうそうもともと江戸時代に絹ごしが出てから
だんだんと柔らかくなったのは事実なんだけど
この柔らかい豆腐ばっかりになったのは
本当ここ近年の話
半世紀ぐらいの話ですね
へえ
みたいですよ
その割にはもう覚えてない人の方が多いよね
日常的に
そうですね父の世代でももう
父はレアケースですから
ああそうなんだ
子供の頃はとかそういう世界なんで
はあはあはあ
もうその当時の中心世代の方々の半分以上は
違う世界にね旅立ってらっしゃるでしょうから
まあそれはそうだよね
お父さんだってもう70ね越えてるからね
今の90代以上の方だったら
ああそうだねって言うかも分からないですけど
あと地域差があるんで分かんないですけど
それはそうだね
はいじゃあこんなもんにして
あとその他の国
雑だけど
急にくくりが雑になったね
これ一個一個やってると長いんだよ
もうそうねこのまま全部いくのかと思った
うんしんどいんでザクっていきますよ
えー台湾
台湾
まあもう中華文化圏ですよね
台湾はあの多分ね中国本土よりも
豆腐文化が広がってる感覚が僕にはありますね
ああそうなんだ
はいあの台湾スーシーって聞いたことないですか
台湾スーシー?
スーシーってあの祖食って書くんですね
疾走の祖に食べる
はあ
要はね精進の思想を元にしたベジタリアンですよ
ああそうなんだ
これはもともと仏教とか道教に端を走ってるので歴史的にはすごく古い
それこそあの朱器の時代
うーん
あの唐とか宗の時代からあるんで
待って今のところ朱器がよくわからなかった
朱器朱子朱子学の朱子
朱子学
はい出てきましたよね
あああったね
何話か前ですけど
僕らあの収録一話ごとにまとめて撮ってないんで忘れてたんですよね
もうだいぶ経ってるしイベント越しちゃってるからね
そうだそうだ
その朱器の時代からあるあるんですけどその文化が色濃く台湾の方が出てるらしくてですね
豆腐がすごく多様なんです
で発音もタオフとか言ってまあまあそのままなんですけど
柔らかいところだといわゆるすくい豆腐みたいなのもある
ああそういうのもあるんだ
あら豆の花って書いてあるこれ何ていうものかわからないですけど
そういうすくい豆腐みたいなふわふわのもあれば
12:02
あと豆腐館
豆腐館
これね結構レアなんですけど日本にもあるはあるんですよ
漢字で書くと豆腐ホスっていう字豆腐にホスという字ですね
で豆腐館またはホスじゃなくて乾くという字を書く場合もありますけど
こういう豆腐館っていうのがあるんです
これの活用がすごく上手
へえそうなんだ
豆腐館ってかなり圧縮したももめん豆腐よりももっとずーっと圧縮した豆腐で
それホスですよ
ホスの
だからビーフ焼きみたいになっちゃう
へえ名前のまんまだね
でこれを使っていろんな精進料理を作ったりとか
あと特徴的なのは五香豆腐館
五香ってわかりますかね五つの香り
五つの香りの豆腐のホス
そう豆腐館にね五つのスパイスを混ぜた
まあミックスドスパイスを使って味をつけてある豆腐館
へえもうなんか別物だね
別物だと思う
料理だね
料理料理そうですね
よく台湾料理とかだとすごく香りの強烈な料理ってあるじゃないですか
日本人だとちょっとうってなる人もいるかもしれないですけど
それってだいたいスパイスが使われていて
一回一回混ぜるの面倒なんで
五香って言って五つの香りをあらかじめ混ぜたものがあるんですね
それを用いた味付けの豆腐館とかもあって
へえそんなのあるんだ
でこれ炒め物したりとか煮物作ったりとか揚げ物にしたりとか
もう多種多様ほとんど肉として使われる
へえすげえねもうだいたい肉もいいとこじゃん
あのね精進料理のレパートリーは下手すると日本よりも多いかな
ああそうなんだ台湾が
台湾の方が
へえ
その現代でもね宗教的な意味よりも健康志向の意味で
台湾寿司ってのは割と人気なんですよ
おおそうなんだね
興味あったら見てもらいたいんですけど
台湾の地図見るとレストランマークのとこに万字のマークのレストランがあるんですね
おお万字
はいこれはもう全部台湾寿司の店
ああそうなの
はい台湾の街中見てると結構いっぱいありますよ
へえあのあれでしょちょっと前に流行った万字って万字万字の
そうあの万字の字が書いてある
元々あれ寺院のマークなんでね
ああそうか確かにそうだね
だから精進料理の店って意味で万字が使われて
ああそういう意味のね
そうですどうぞ
ああそのままそういうか寺院の意味で
あの精進料理と結びつけてマークをつけたんだ
はいそういうことらしいですよ
ああそうなんだ
あの香りの強いニンニクとかニラとか
ああいうのもタブーですしね
ああそれもダメ
はい何年か前もうたく忘れてるかもしれないけど
5、6年前に台湾からの旅行で来た方々がやっぱり台湾寿司が多かったので
うちらの一生懸命精進料理だけで作りましたもんね
ああ作った作った
あれですあれです
ああそういうことね
はいそれが結構盛んな国という感じですね
ちょっと長いなこれ
あと特徴的なのが臭豆腐ね
15:01
臭い豆腐ね
臭豆腐
臭豆腐とか臭豆腐とか言いますけど
腐った豆腐ではない
腐ってはない
腐っては食べられない
そうね料理名にはならない
あの発酵液の中に豆腐つけこんどくんですね
ああそっちか
はい野菜と魚を塩漬けにして発酵液作って
ああ
その中に豆腐半年くらい寝かしておく
ああ臭屋の駅につけるみたいな
そんな感じなのかな
まあそこまで強烈かどうか分かんないけど
そんなイメージでいいのかな
僕食べたことないんだけど
口コミ見てたら真っ二つ
臭って言ってる人と
俺意外と美味えぞって言ってる人と真っ二つでしょ
ああもうまんま臭屋じゃん
かもしんない
臭屋もそうでしょ
ああらしいよね
臭いダメな人はどうにもならんけど
そうそう
旨味すごいじゃん
美味しいんだよね
臭いから一回食べたら癖になるんだけど
そんな感じじゃない
へえじゃあ魚の臭屋の
魚使ってるから似てるのか
どうなんだろうね
ちょっと食べたことないんで
今度買ってみようか
売ってるのかな
あのね多分あれだよ
ネットショッピングで買えるはず
ああじゃあちょっと試してみたいね
台湾が一番バレーション多いかな
この中で見ると
あとはもうちょっとザクッといきますね
インドネシアだと豆腐の発音が
ターファーってカタカナで書いてありましたね
豆腐だね
豆腐料理はもう一般家庭でも
普通に食べられてますと
で一番人気というかもうポピュラーなのが
屋台で豆腐売っててね
屋台で豆腐
そう
屋台で売ってる豆腐で人気なのが
豆腐をサイコロ状にね四角く切って
で衣をまぶして
その小麦粉の衣なんだけど
その衣にもあらかじめ塩味つけてあって
で揚げる
ああすごいシンプルな
唐揚げみたいなやつね
そうすると外はカリッと
中からジュワーみたいな
ああ
でちょっと固めなんでやっぱ豆腐自体が
もうスナック感覚で食べる人が多いらしいですよ
スナック感覚
そういう感じの使い方もあるし
あとは隣のフィリピン
フィリピンなんかは
タホって書いてあったかな
タホ
面白いのがね
すごく柔らかい豆腐がやっぱりあって
その豆腐温めて
柔らかくて温かいプリンみたいな感じにしてね
そこにトッピングでタピオカを乗せて
タピオカね
急に来たね
黒蜜かける
ああもうデザートだね
デザート
これねあんまり知られてないんだけど
日本料理のデザートとか
そういう本の中にあるのよ
これおやつが
きな粉と黒蜜かけたのが
ああはいはいはい
同じような感覚でしょうね
そういうことか
普通のもあるよっていう
もちろん普通のもあるよという感じ
で同じような感じのが
だいたい全部端折りますけど
マレーシアとかね
タイとかベトナムとかでも広がってますっていう
のがアジア圏で
似てるけどそれぞれの国とか
18:00
気候に合わせてバリエーションがちょっとずつ違ってく
みたいな感じですね
ちょっと違うのが
中華文化圏ではないんだけど
微妙に歴史がある豆腐エリアがあってですね
微妙に
微妙にこれね旧ソ連
旧ソ連
もう今ロシアじゃなくなって
崩壊する前の旧ソ連のエリアの中で
現在の国名で言ったらチェコとかね
ああチェコ
ウズベキスタンとか
はいはいはい
これ何が影響してるかっていうと
1800年代の後半
前半か
くらいにソ連が
一時大戦の後出てきますよね
ソベト連邦が作られます
でスターリンがトップに立ちます
でこのスターリンが農業開発を進めるために
異国民を強制移住させちゃうという時代があるんですよ
異国民を?
はい主にね多いのは朝鮮半島の人たち
言葉悪いですけどちょっとラチってきて
働かせるみたいなことをやるんですね
ああそういうことね
なんで移住させられた人たち
朝鮮半島の方々は
故郷の味を再現するということをやるわけですよ
農業開発してるんで農民ですから
やろうと思えば豆腐は作れますしね
後の時代の中国の方もそうだし日本人もそうだけど
移住した先で
自国文化のものを生産始めるっていうのは
世界的に見られるんですよね
ビールとかそうだったね
ドイツがアメリカ行って
行った先々で
中国の人たちが海外に行って
家境として
商売人をやってるところで
やっぱり豆腐が定着していくとか
そういったことは世界中で見られてるみたいですね
やっぱりそうなんだね
この文化圏を文字で表して
すごくわかりやすいのが
中国文化から
発祥して影響を受けて
豆腐が定着していったエリアっていうのは
音がやっぱ豆腐っぽいですよ
豆腐っぽいんだ
タオフとかタファとかタホとか
豆腐だよねって日本人が聞いても
なんとなく想像つくような
そういう音
音で連想しやすいレベルで
それ以外の地域
例えば昔の前のアメリカとか
ヨーロッパとか行くと
やっぱソイビンカード
ソイビンカード?
カードってのはCURDって書いて
これはね
何だろう
凝固したものっていうような単語なのかな
凝固するとか
僕のイメージだと
牛乳ちょっと古くなると凝固するじゃん
はいはい
牛乳のCURDって
その前にソイビンが付いてるから
大豆ですよね
大豆のCURDだよっていう
そういう表現をされるエリアの方がやっぱ
西欧圏では多いですよね
ああそうなんだ
当然アメリカも始めはソイビンカード
ああそうか
豆腐の漢字をそのまま直訳したやろな
そうそうそんな感じですね
でもちゃんとあれなんだね
21:00
豆腐のフの意味をちゃんと
この固まる何かって
表してたね豆の固まる何かでしょ
なのかな
偶然かもしれんけど
偶然だと思うけどね
見た感じそれっぽいんじゃない
この間あったじゃん
フの字が
牛フがCURDで
豆乳フがソイビンカードかもしれない
だからちゃんと豆腐のフは
固めるって意味を
誰かが伝えたのかな
どうだろうね
知らんけど
知らんけど
じゃあそのアメリカ行きましょうか
アメリカ人にとっての豆腐
今は結構みんな食べてますよ
今はね
今はねけどこれ衝撃的なのが
1987年
全国紙である
USA TODAYという
新聞があるんですね
そこの一面にアメリカ人の
嫌いな食べ物ランキングが掲載されたんですって
暇な新聞だね
そんなもん一面に出すんだね
知らんけど
この国も好きだよね
そのワーストワンが豆腐
ワーストワン?
ワーストワンなんです
ワーストワンなのもっと他にあったでしょ
いやもうぶっちぎりらしくて
もうあれは人間の食べるものではないと
あんなもん食ってる奴らは
ちょっと野蛮じゃねえのっていうぐらいの感覚があったみたい
その原因の一つには
さっき言った
今言ったねカードが
牛乳の酸化して
固まったやつって語源を持ってるだけですよ
こう勘としてね
えそれ食うの?みたいな
ちょっと気持ち悪くない?つって
それは名付けた人に聞いてくれると思うけど
そういう印象も
あったらしいですよ
これちょっとね
アメリカにとっての大豆の歴史を
サクッといきますね
アメリカの大豆の始まりは
1850年代です
1853年に
ペリーさんが
黒船に乗って日本にやってくるわけですよね
853年
開国してくださいよ
プラッシュ倉庫や
古いやつ出てきた
難しいけど
やっぱ面白かったけど
開国のペリーさんが
来てですね
何しに来たかって覚えてますか?
何しに来たか
日本の資源が欲しかった
日本の資源が欲しかった
半分正解かな
日本を半分
植民地化じゃないけど統治化に置いて
自分の支配権に置いてってのもあるんですけど
一番大きいのは
捕鯨船が
夜港が欲しいんです
捕鯨船が夜港
捕鯨船って太平洋
ずっとこっちまで渡ってくるわけですよ
日本海よりもちょっと北の方
とかね日本よりも少し北の
何海っていうの
アラスカのもうちょっと西寄りとか
あの辺で創業してたらしいんですよ
えっというか
アメリカ捕鯨してたの?
めちゃくちゃしてますよ
ヨーロッパめちゃくちゃしてますよ
24:00
だから鯨がいなくなって
捕鯨禁止条約ができてるんで
あんなに今うるさいのに
日本の比じゃないですから
アジア圏の捕鯨が
1としたら
当時の欧米圏だったら100とか
そういう世界でめちゃくちゃ捕鯨してますからね
マジか
何の目的かっていうと油なんです
油か
食用じゃないんだ
肉捨てちゃってますからね
ほとんど
だから大量に油が欲しくて
肉消費しないでガンガンやるから
量が減っちゃったっていう
何使ってるかっていうと
ランプ
明かりを灯したりとか
あと芸油を使ってろうそく作ったりとか
あろうそくもそう
ちょうどほらこの時代で
産業革命以降の産業没効時代なんで
工場で使う
機械の潤滑油とか
うわめちゃくちゃ使うじゃん
電気もまだまだ全部インフラ整ってないんで
工場やるって言ったらもうランプだらけですからね
ひどいね
めちゃくちゃ需要があるんでそれで取りに来たんだけど
アメリカとしても
それ取ってヨーロッパに売れば利益出ますから
でも立ち寄る港がないと困るじゃない
で日本に
港開けてちょうだいよっていう話で
そういうことね
だからイギリスがやってくるのはちょっと
わけが違くて
それで開港してください
いう話になるわけですよ
そんなライトじゃないな
もっと重い話だ
で日本に来たら
あれ大豆の油あるじゃんこいつら
何で油取ってんの
でごま油とかさ
あとしらしめ油とかさ
菜種とかね 菜種とか
ああいうの使ってるじゃん
これジャパニーズ何から油取っとんの
あれ大豆豆絞ったら
油取れんのこれいいねこの植物
この植物いいですねください
って言って持って帰るわけ
そうなんだ油求めてきてるから
同じようなものがあれば
クオリティ良いよね植物の方が
切り替えは良かったよね
うん
どういう経緯があったか細かいとか調べてないんだけど
結果的にですね
アメリカで大豆の生産をするようになって
でもう
ほげいいんじゃねみたいになってくるんですよだんだん
うーん
何が決まってるかっていうと
大豆の生産量世界ナンバーワンが
アメリカ合衆国です
そうだよね
10万7000トンぐらい
基準がわかんない
もうよくわかんないね
ちなみに第2位がブラジルでだいたい10万トンぐらい
いい勝負してますよね
でアルゼンチンが5万9000トンでグンと下がるんですよ
それが3位か
これで3位なんです
1位と2位でかなりの量占めてるね
この後に中国が来てそれがだいたい1万トンくらい
そうそう
ちょっと3年4年前の統計が出たんですけどね
そのぐらいアメリカとか
ブラジルって大豆作ってるにも
関わらず
基本的にこの人たちは油取ることしか
考えてないんですよ
食べない
そもそも油が取れる豆として
持ってきてるから
27:00
クジラと同じ道を通ってる
まさに
絞った後カス出るじゃん
タンパク栄養素たっぷりの油以外の
物が全部入ってるやつ
これは全部飼料
牛さんに食べていただきます
ああそういうことか
だから大豆製品
大豆を混ぜた飼料
多いんだ
だからそんなに安いんだね
この時点でアメリカ人にとっての
大豆のイメージも固まりましたよね
もうカードだし
しかも
大豆ってあれでしょ油取ったやつ
牛とか豚が食べるやつでしょ
人間が食うの嘘でしょみたいな
そういう扱いか
そうそう
そんな感じなんですよ
ここに追い打ちかけたのが
じわっと入ってきた豆腐が一応あるんですよ
これは
アメリカ自体がもともと移民国家じゃないですか
そうだね
19世紀から20世紀にかけて
当然アジア人もたくさん移住していくわけですね
で
今たくさんあちこちにあるような
チャイナタウン
ハリウッド近辺のチャイナタウンがめちゃくちゃ有名ですけど
行くと分かるんですけど
あの界隈半径100キロ以内に
もっと10倍くらい
10倍くらい
たくさんあちこちにちょっとずつあるんですよ
チャイナタウンが
あっちにもあるこっちにもあるみたいな感じで
ああ一箇所じゃないんだ
一箇所じゃないですよ
街の名前としてチャイナタウンって地図に載ってるのは一箇所ですけど
中国人街は
あちこちにいっぱいあります
ああそうなんだ
シティカレッジ
正しい名称パサデナ市の
シティカレッジだから
私立短期大学なんですけど
初めて名前聞いた気がするちゃんと
あれPCCって略しててね
地元民はあまりも中国人が多いんで
パサデナチャイニーズカレッジって
やゆされてましたから
市一街ね
そういうくらいあちこちにね
中国人街があって
当然中国人街ができると中華料理を出す店もできる
で
日本タウンができれば同じこともあるし
ジャパニーズタウンができれば同じことが
起きるわけですね
そこの移民たちが
自分たちの手で同じ移民の
ための豆腐を作り始める
これさっき言ったんですよね
チェコとかウズベキスタンと
全く同じような理由で
アメリカの国内にもできます
そうこうしてるうちに
1970年代前後にちょっとした
エスニックブームが来るんですよ
エスニック
アジアの食べ物はエキゾチックでいいね
みたいな
あいつらの食べてる中華料理ちょっと
まっそうじゃない?食べてみたら結構うまいなみたいな
エスニックってどういう国なの?
これって
エスニックは民族的って意味なんだけど
ああそうなんだ
なんかよくアメリカとか海外行くと
エスニック料理とかさ
そんな名前を聞くんだけどさ
アフリカ中南米アジアなど
その民族風であること
民族的とかそういう意味なんですよ
エスニックって
30:00
確かにそんなイメージはある
そうだからね
アメリカ人がエスニックって言ってもどうかと
思うんだけど
日本人の感覚に直すと
もっとポジティブな表現としては
郷土料理みたいな
イメージでどこそこの国の
郷土料理うまそうだよね
でブームになった時代がやっぱ来るんですね
ちょうどアメリカが
強くなってきた時代
ナンバーワンの時代がやってくるんで
1970年代って僕が生まれたくらいの
前後の半世紀くらい前の
時代ですね
まだ300円のやつが解消してないのか
してるしてる
したぐらいか
でもまだまだすげえ高かった頃で
1ドルが
でね中にやっぱり豆腐工場を建てる
人が出てくるんですよ
それなりニコニーズが出てくる
でチャイナタウンじゃなくても
チャイニーズレストランが出てくると
その需要ができるじゃないですか
アメリカ人もそのレストランに行って食べるくらいのことはする
それが豆腐か何かわからないけど
とりあえず料理に入ってると
ということでね
初めのうちはテキサスだったかな
に豆腐工場ができて
そこから全国に流通すると
へえそうなんだ
形式は今のプラスチックパックで
水が入ってて豆腐が入っててっていう
もういきなりそこからなんだ
そこまで一気にいっちゃうもん
話だいぶ飛んでるんでね
20年代だもんね
一気に100年近く飛んでますけど
割と最近の話だもんね
そうそう
それ出てくるんだけど
一個残念なことがあってですね
当時のアメリカ人がイメージしてる豆腐は
豆腐ってカッテージチーズみたいなやつでしょ
って思ってるの
カッテージチーズ
つまりちょっと酸味があってさ
ちょっと固めでさ
ああいうやつだよねって思ってるんだよね
ああなんかちょっと違うんだね
これ原因があって
まずテキサス州って南部だから
気温高いじゃない
豆腐ってもともとね
賞味期限二日とか三日なんで
短いもんね
だけどテキサス州の摂氏で言ったら
40度くらいの気温の工場で
作ってですね
当時まだ冷蔵で運ぶような
いわゆるコールドチェーン完成してませんから
効率めで送るとか
これ冷やす歴史のシリーズやりましたけど
あの時代なんですよ
まだ
脱却はし始めてるけどそこまで発展してないぐらい
まあまだ民間が
簡単に使えるような
次元ではなかったもんね
しかも豆腐のニーズ限定的なんで
ああはいはい
国土は日本の25倍ほどあるわけですよ
まあ確かに広いもんね
豆腐が酸っぱいってことはどういうことか
分かります?もう想像つきますよね
単純にね
腐敗してると
若干傷んでるんですよ
僕たちはどう思ってるかっていうと
カッテージーズみたいだよねってのは
やっぱりカードだよね
牛乳が凝固したやつだよね
で酸味が効いてるって
本人たちはそれが豆腐だと思ってるんで
ああそうか知らないからね
知らないからでも日本人から見たら
33:00
えこれ酸化してんじゃんって
うまいうまずい当然割れますよね
でなおかつ原料がイメージの悪い大豆ですよ
食うわけないんだ
単純に
本当に腐ったもん食わされてるだけだからね
悲しいわけがないよね
結果1987年USA today全国史
嫌いな食べ物ワーストランキング
堂々の
ナンバーワン
衛生管理の概念どこいったんだろうね
でかつ
やっぱまだね
当時のアメリカっていうのは
これちょっと言うと語弊あるかもしれないですけど
労働者階層が多いんですよ
なんで
これが別にアメリカ側とかじゃなくて
日本の江戸時代初期もそうじゃないですか
ああいう人たちが
中心の社会形成をすると
味って濃くなりやすいんですよね
はっきりした味が
好まれるようになってくる
これが段々と時代が経ってくると
今東京ではそうでもなくなってきてるし
京都なんかもっと古からだし
中国でも他の国でも
みんな同じような動きをしていて
アメリカはたまたまこの100年くらい
独立戦争から
100年150年間くらい
そこをやっと脱出するくらいの
感じなんですね
時代観的にはしょうがないよね
独立がだいぶ最近だからね
建国200年が
この間終わったとこだから
それなのにあんだけ街を作ってるからね
そうそう急成長してきてるような
街なのでやっぱり味がね
割とはっきり分かりやすい
味の方が好まれていた時期
今ちょうどそこから抜けてくる
大豆の味にも慣れてないし
淡白すぎてるし大豆臭いとか言ってるし
大豆臭いっていうね
ちょっとうちらにはよく分かんないけど
分かんないですよね
これはたぶん世代を超えた慣れとか
馴染みっていうものが必要なのかなと思うんですけど
そういった要因がさまざま重なりあって
嫌いな食べ物としても
不動の位置を
築いてしまうわけですよ
ここに
なぜか日本企業が
豆腐販売戦略仕掛けにいくんですよ
このタイミングで
そう嘘でしょって思うじゃない
これ面白いのが
今でもアメリカの豆腐企業の
最大手というのは
森永乳業と
ハウス食品なんですよ
そうなの?
どっちも豆腐のイメージないよね
森永乳業とハウス食品
長すぎたので次回に続く