美しさの探求
はい、第3回ということで、今回も村松歩実さんにお越しいただいてます。よろしくお願いします。
お願いします。
前回の話の最後の流れで、今回はですね、美しさ、美について、ちょっと話していこうかなと思うんですけど、
テーマとしては、姉ちゃんがね、美について話したいっていうことなんで。
え、そうなの?俺か。言ってたじゃん。
まあね。
言ってたよ。
何を美しいと感じるのかとかって、人の個性も出るでしょうけど、なんとなく文化的な背景に押されてる部分もあるのかなというのは、よく感じるんですよね。
で、今現役でアートをされてる方に、どんな時に美しいなと思うのか、逆に自分で書いてみて、これはちょっと違うなとかってあるじゃないですか。
その感覚をうまく原画化できたらいいなっていう感じですね。何か思うところありますか。
美しいなと思う瞬間は、2つ大きく分けて、なんかちょっと違うのがあって、多分ね、その書道的なもので言うと、その1個目。
まあこれほんとよく言われてるんですけど、書道は余白の美。
だから作品を書く、紙に始まりと終わりがあって、その空間にいい感じで黒が収まったら美しい。
でもね、これはたぶんね、本当に稼働とか料理でも同じで、もう盛り付けとかとね、たぶん一緒なんですけど、
さっきね、ちょっと休憩しながらお話聞いて、器の高さとかね、そういうのがあるじゃないですか。
書道もそれを平面なので、でもね、通ずるなって思ったのは、墨の濃淡。
だからね、こうドーンと墨がのってるところは、深い。奥行きがね、深い。
で、かすれてるところって、こう前に出てきてるようなイメージ。高さがあるようなイメージ。
だからそれはね、ただただ黒と白の配分だけじゃなくて、その器の高さとか、料理のね、高さとか、そういうところに書道は、
塊と活筆、かすれ、そういうところが使えてるんじゃないかなと思ったんですよね。
かすれ。すげー。すげー。
でもね、2つ目はたぶんね、お食事もそうかもしれないんですけど、誰かが喜んでくれた笑顔を見たとき、
なんかその食材もスーパーで売ってるじゃん、それを簡単に食べることはできるけど、
料理人さんがじゃあ、誰かを思ってとか、何か志があって作ったもの、それを誰かに渡ったときの、なんだろうな、そのストーリーが美しいみたいな感じ。
その2つは書道しててね、思います。
器と作品の奥行き
なるほどね。今ちょっと思いついたのは、よく建築とかアパレルの世界で言われるのが、建築だと神前美とか、アパレルなんかだと、なんだっけな、木のデザイン物語とかね、
そういう3つを並べて話をしてて、今の話だと木のデザイン物語だったら、デザインの話と物語の話みたいな、両軸の話ですよね。
今はじめのデザインのところの平面だと思った書に奥行きがあるっていうのは、そう言われてみればっていうのはね、ちょっと感動的だな。
嬉しい。気づいちゃった。
奥行き。
奥行き。あの版紙に奥行きがあるっていう感覚を今言われて、言われてみればそうだねって感じするんですよ。
ただ今まではそういう意識で見てないので、なんとなく直感的に。
確かにね。でも奥行きがなかったら水墨画は成立しないわけだよね。
水墨画の場合って薄墨を使うじゃないですか。
そうなん、そうなん。
けど書の場合って墨の濃さは一定ですよね。
そうなんですよ。
それでも奥行き作るんだ。
だからね、墨の濃さが一定だから、さっきの草書とかもあるけど、太い細いでどこに体重がかかってるかっていうのを筆圧、想像しながら見るとすごい奥行きを感じる。
これはね、あれだけど呼吸まで想像するような世界。それが伝わった時に物語が生まれて、美しいなぁみたいな、人間でよかったみたいな。
確かにある。
そうなると普通に文字を書いてもそれはアートと呼べるってことだよね。
そうはね。
単純に文字を書いたとしても、それも重心とかそういうところで見ていくと、一種のアートだよねって思う。
なんか表現が入ってればこうしたいとかね。
その辺が筆ならではなのかもわかんないですね。
そうでしょうね。
これは例えばボルペンで書いたらその濃淡っていうのはほとんど出ないし、かすりも出にくいじゃないですか。
iPadとかで筆文字の筆ペンっていうのがあってそれ書けるんだけど、あの濃淡とかは出せないんですよ。
確かに。
強弱とか、いや、機能はついてるんだけど、なんか違う感。
違うね。
かすれないもんね、そもそも。
かすれの調整ができないね、なかなかね。
そうだよね。
でもなんか引くとこは引かないといけないっていうところがね、日本だとよく感じるかなって。
ちょっと偶然性もあるような気がしてて、筆圧が下がってかすれていく様って、あれって自分でコントロールしてるようでいて、なんとなく筆先が勝手になってる部分もあるじゃないですか。
なんかそういうのも関係あるんですかね。
そうですね、あれってでもね、筆と友達、友達ってなんかもうサッカーみたいになってるんだけど、サッカーみたいになってるんだけど。
なんかね、筆と墨と道具をよく理解してると、筆圧を低くしようと思ってね、腕をグッてじゃあちょっと筆を浮かせたとしても、筆にたっぷり墨が入ってたらかすれない。
日本料理の美
どれぐらいつけて、どれぐらいの速さで、どれぐらいの圧で書いたらここはかすれるのかっていうのをよく聞いてあげながら書くと、一体になって思ったように扱わせてもらえるんだけど、一体にならないと、かすれたかったのにかすれなかったみたいな。
ごめんねってそう。
かすれさせるね。
かすれさせるの。
難しい。確かに要素多すぎるよね。
多すぎる。
組み合わせ無限だもんね。ってなるとあれだね、AIとかには再現できないよね、一生。
AIにはね、やっぱね、かすれは難しいと思う。
理解できてないもんね、人間も。感覚だからね。
そうそうそう。
なんか今お話を聞いててね、すごく理解してるのと同時に、はって思ったのがね、かすれさせるっていう表現はするんだけど、それって自分の腕が未熟とかっていう話だと思うんだよ。
人間中心で考えれば。でも今あゆみさんの表現はちゃんと声を聞いてあげないと、かすれてくれないっていう感じ。
かすれさせてくれない。
させてくれない。
それってなんか筆に主体性があって、墨にも主体性があって、墨と筆と紙と私の関係性みたいなのがすごく興味深い発言ですよね。
確かに。
確かにインスタでも筆、めでてたもんね。
この間ね。
筆がかわいくて。
筆をね、影干しして、筋肉を吊るしてね、インスタの通り上がってたのよ一昨日かな。上がってて、筆がかわいい。
一生めでてられる。
一生めでてられるって書いてあった。
聞いちゃった?
いや、まあわからんでもないんだけど、すごいなと思って、そこまであるんだと思って。
ごめんね、あんだけ書かせてくれてありがとう。毛先も結構擦れちゃったよね、みたいな感じで。
なんかね、ちょっとわかるんですよ。包丁、僕らよく使うので、特に僕は刺身をメインでやったりするんで、
包丁を研がないっていうのは職人として道具の手入れがおろそかっていうふうにも言えるし、一方で包丁を大事にしてあげないと包丁がかわいそうとかね。
この子が頑張れるための土壌は僕がちゃんとやらなきゃいけないんだっていう感覚もやっぱあるんですよね。
何言ってんだってちょっと思うタイプですか?そんなことない?
割と僕そっち側なので。
よかった。
じゃあそっちだね。
でもやっぱ俺は割とその辺はちょっと適当っちゃ適当なんだけど。
ただでもやっぱ錆がちょっとでも入ったり、シミが残っちゃったりすると、申し訳ない使い方したなと思う。
それで身をさらに削らなきゃいけないから。
そうだよね。
そういったところでは、かわいそうと思ってる時点で多分、擬人化してるよね。人として見てるよね。
物っていうか生命の一つとしては見てるよねって思う。
やっぱ筆はその動物の毛だから、なんかそのやっぱ命にありがとうと、それこそ永遠じゃないから削れていくものにそれを分かりながらやらないと、1ヶ月前の線と同じ条件でやってもね、そうすると全然多分違ってくるから。
確かにね。
共感できるかわかんないですけど、手入れが自分がうまくできてないとか、自分の腕が足りないことによってうまくいかなかった時に、本来この子はもっとスペックあるのに、俺の腕が足りんせいでできんくてごめんねっていう気持ちになるんですけど。
めっちゃわかる。
超仲間。
そう思うもん。
この子はもっとできる子なのに俺のせいで。
道具が悪いんじゃないとか。
道具の能力を活かしきれてない僕が悪いと思う。
めっちゃわかる。
そういう時はでもどうしてます?
練習するとかしかないんじゃないですかね。
練習する、実験する。
実験する、繰り返す。この子のスペックをちゃんと伸ばせるために頑張るみたいな。
愛。
愛か。
そういう道具に対してさ、擬人化ではないけど使い切れてないとか、それは錆びさせたりしたら申し訳ないとかっていうのは、やっぱりこの辺は日本っぽいなとは思う。
どこにでも神様いる的な感じで、ここにも生命があるよっていう感覚って、多分他の国どうなんだろう。わかんないけど大事に使うのは使うんだろうけど。
やっぱりそこを例えとして、本当に人間と同じような感覚で対峙するっていうのは、この辺はちょっと日本っぽいなっていう。
特に食とね。うちは日本料理だし、書道だし、もう純日本なので。
純って言うとまた時代間の語弊がある。あんまり言い切れないんだけど。どこで区切るか。
純っていう言葉が今出てきたからですね。純っていう言葉を引き継ぐと、僕ら食材に対して、例えば5ぐらいの味が混ざっているんだけど、その中のコアになる純たる味があって、それを引き出すために手を加えていく。
余分なものを取り除くとか、ちょっと補助してあげることで、一番良い部分を長所慎重させてあげるっていう感覚があるんですよ。
日本料理は多分それこそ伝統なんだと思うんですよね。生前説的なね。生まれた時に輝くものがあって、ついちゃったものを取り払うと、みそぎできれいになる。
仏教もキリスト教も含めて、あれ性悪説なんで。悪いものだから修行して成長していくんだけど、日本の神様って逆だから、そういうのがどうも日本の美に関わってくるのかな。
そうだね、日本食って感動しちゃった。
そうですか。
なんかね、人の手によって足していく、足していくようなイメージだったけど、引き出してあげるためですもんね。取り除いてあげる。
だって根本的にそのまま食べて美味しければ。
そうなんだよね。
加工しなくて良くなっちゃうじゃん。究極な話だけど。
加工したら、より美味しくなるから調理をするわけであって、逆になんかまずくなるんだったら、それは何のための行為だってなっちゃうね。
英語だよね。
よく足し算の料理と引き算の料理みたいな言い方をすると、日本料理は基本的に引き算。
僕らの世界観だと、これはね、昔から言われてる言葉があって、清浄。
清浄。
清いとか、浄の字を使って表されることが多くて、これは思想の世界にあるんだと思うんだけど、とにかく清らかであること。
いいな、清らか。
そういうのがね、なんか、書道も日本の水木画みたいなものとか、和歌の世界とかもなんとなくね、共通してるのは気がしていて。
気がしているんだけど、さあそれを原稿化してくださいって言われると、ちょっと難しくてよくわかってないっていう気がしてますね、僕は。その美については。
美について。
日本的な美って意味ですけどね。
確かにね。
でも清らかであることって結構ピンときますね。
ピンとくる。
濁ってない、透明的な。
ちょっとどこで読んだのか聞いたのか、出典忘れちゃったんですけど、黒って清らかな象徴でもあるんですよね。
そうなんですか。
日本においては。なんとなく白が清らかで、黒って汚れの象徴みたいなイメージあると思うんですよ。
陰と陽的なね。
陰と陽で、結婚式は白で、葬式は黒みたいな。
だけど、実は日本における黒って奥行きのある透明なものっていうイメージがあるんですって。
そうなんだ。
だから湖とか川って黒黒とした川とか黒黒とした池っていうのは、透明度が高すぎて奥まで透き通ってるから黒いみたいな。
そういう意味ね。確かに白い白不思議みたいな言い方はしないよね。
白って逆に水だと濁ったことになっちゃうので。
白濁とか言うよね。
その辺が水墨画や書って黒じゃんって今思ったの。
確かに。黒で染めていくもの。
墨の美しさ
さっきもその黒の重心があるところが奥行きがあるっていうのとなんかに通じるかもしれないですね。
確かにね。日本の黒って綺麗だよね。
綺麗だよね。
墨の黒とかってね、印刷物だと墨の黒とかっていう表現があるじゃないですか。値もちゃんと決まってるし。
墨もね、茶色っぽい黒と青い黒と墨の種類があるんですよ。
知らなかった。面白い。
それでいろんな粒子の大きさもあったりして、青木って青い墨って書いて、青木に先にね、羊の毛を浸してから真っ黒いインク、インクじゃないよ、真っ黒い墨につける。
そうすると内側は青木で染みて、真っ黒いやつって結局やっぱ粒子が大きかったり、筆の毛に入りきらないとかね、そういうのがあって、
そういう順番もあるんでしょ。だから内側には違う黒がいるっていうこともある。
その加減でこれが、今日のこの字のこの部分はこの黒が美しいみたいな。
そう。今日はこの墨でいこうとかあります。和牧と東牧って日本と中国の墨もあるから、あれね、結構表情が変わる。
変わるの。
面白い。
それは知らなかった。
お互いにいいとこがあって、自分がどう表現したいかでチョイスするから、調味料、調味料とは違うかな。あるよね。
黒の中の違いっていうのは知らなかったし。
初めて聞いた。
僕らっていうのはあれかな、塩の中でも種類があるぐらいの差なのかな。でもここまでいくと違うんだよね。
白と黒のバランス
何にも例えがきかない気がするな。
独特だよね。
塩もみしてから何かする的な。
なんていうかな。
黒って言葉にしちゃうと一単語なんだけど、黒の解像度がめちゃくちゃ高いので、そこがグラデーションでいっぱい見えてる人っていう感じで。
日本でいう青か、緑が途中でできたんだっけか。だから信号機は青色っていうね。
昔の緑。
緑も青だけど青染めがしなきゃいけなくなって、表現を変えるために青っていう、できたってこの間ちょうど言うのだけど、そういうのがあるのかな。
どうなんだろうね。解像度がまた違うのかな。
言葉で区切るのだと結構難しいかもしれない。言語学やってないからね、俺は。
よく聞くのは、昔々の日本語では色の解像度が、言葉による表現が浅かったってのをよく聞くんだよね。
よく見分け方が、色の後にひらがなのイをつけて通じるものが古くあるよっていう言われ方をすることがあって。
黄色イは言えるけど色って言葉ついちゃってるよねとか、色とかって言っちゃってるよねみたいな。
何とか色。
黒い、白い、青い、赤いは根幹的みたいな表現を聞いたことがある。
緑もそれに近いのかな。ただ今の緑よりも、緑髪っていうより黒に近いことを緑って表現するみたいなのは聞いたことありますね。
黒に近いんだ。
だって人間の髪の毛のほど緑って言ってんだよ。変じゃね。
緑髪っていうのは、現代時の感覚だと真っ黒い髪の綺麗な人っていうことらしいんですよ。
よく知らないんだけど。
日本酒の勉強してる時に歴史上でね、面白いのが、昔平安時代とか朝廷の中でお酒を作ってた時代があって、
そこにいろんな名前がついてて、何とか酒何とか酒みたいな感じであるんですよ。
その中に白木、黒木っていうお酒が出てくるのね。
で、その色の関連を知らないでいると、白木が透明で黒木が濁り酒みたいないうふうに錯覚しがちなんだけど、
実は真逆で、透明なものの方のことを黒木っていうらしいんですよね。
白木は白酒なんでっていう。
すなわち黒は透明を指してますみたいな。さっきの水の話ですよね。
白イコール濁ってる。
濁ってる。でも純白は美しいっていうのももちろんあって、
だからなんかどっちが陰と陽だけどどっちも美しい。で、黒はすごく奥行きがあるみたいな。
僕の直感でいくと、黒は深さ、白は平面の広さみたいなイメージがあるかもしれないですね。
白イコールもないと思ったら黒があるになるから、やっぱり奥行きになるのかな。
そうなのか。そうかもしれないですね。
描いてるんだけど、実は白の空間に穴を開けてるとも言えるかもしれないみたいなね。
まあ確かにトンネル表現象と思ったらそうなるよね。
トンネルの穴の中は黒い。ある意味奥だよね。でも外側は白だからさ。
でもこれさ、話長くなっちゃうかもしれないですけど、私はその終字やってた時にね、
絶対みんな黒を追って描いてたじゃないですか。
私はもうそこに正解はないと思って、白を追って描いてたわけ。
白の部分をいかに表現するかっていうので終字を描いてて。
白の部分をいかに表現するか。
白から黒を使って白を削っていくみたいなイメージですか?そうじゃなくて。
そう、黒を使って白を引き出す。
綺麗な白が残れば綺麗な字になるみたいな感じかな。
そう、黒を見るよりも白を見た方が答えがわかりやすいなと思ったんだよね。
塗り絵文字がそうだっけね。
塗り絵文字がそれをね、どうこれを子供たちに伝えるかと思って。
でも一般的にはあるが黒だから、白がないだからね、終字だと。
黒を見なきゃいけない、黒を描かなきゃいけないと思う。
だから私結構ズルしてるっていう感覚で白を表現してて。
でもね、子供たちに教室とかする中で、これは絶対伝えたいと思って、
塗り絵文字の重要性
白い部分にちょっと色を塗るようなドリルを作ったんですけど、
だから見方と感覚と全部ね、正解不正解はないんだけど、
白イコールない、黒イコールあるの固定概念にとらわれたくないなって思った。
YouTubeでね、塗り絵文字、ちょっと前から見てたことがあるんだけど、あれめっちゃ面白くて。
本当に白の部分を見ていくって、ある意味そのなんだっけ、右脳作能の切り替えみたいなのあるじゃん。
ちょっと見てない方のために、リスナーさんのためにも、ちょっと塗り絵文字の解説も含めながら話してもらっていいですか。
俺が塗り絵文字の解説をするの?
塗り絵文字はですね、簡単に言うと文字の中に存在する白い空間。
ふむ。
ふむ。
を認識していくため。
白だからないと思っているところに、塗り絵でね、色をつけていくと、見えなかったものが見えてくるんですよ。
いって書いたら、いの中に空間があるじゃないですか。
左と右の間にね。
左と右の間にね。
そこを塗り絵すると、こんな形してるんだ、二等辺三角形みたいな図形が真ん中にあるんだ、みたいな。
なるほど。
で、私はその中の図形をいかに忠実に黒で表すか、みたいな感じだったんでしょうね。
なるほどね。
そう。
空間を文字の線で縁取ってるくらいの感じですか。
ふむふむ。
なるほどね。
そう。で、そうすると、C、空間認知能力って言うんですけど、サッカーもね、世界の本田圭介選手が空間認知能力だって言って、
うまい選手、料理もね、たぶんそうなんだけど、包丁入れるときの体の動きを四角で空間認知してるんでしょ。
ふむふむ。
体がこれぐらいの向きで、腕がこれぐらいの角度で、ここにどんぐらいの空間が空いてるみたいな。
あー。
それがね、その塗り絵文字は、体は使わないので四角だけでね、やってて。
ふむ。
でもこういう目方をすると、ちょっと書道が見えてくるみたいな。
ふむふむ。
黒だけ見てて何て書いてあるんだろうっていうよりかは、あ、ここの空間が丸いから美しいんだとか、ちょっとした気づきになれるかなと思って。
ふむふむ。
子供たちにもね、そんな感覚を、また単純に本当にデジタル化が進んで、手先のね、筋力が弱まってるので、それを塗り絵とかでね、ちょっとね、上げて欲しいなと思って。
なるほどね。やっとちょっと見えてきた。
画像で見ちゃうとすぐわかるんですけど、ぜひ気になった方は塗り絵文字でググったら出てくるかな。
ちょっと音で伝えるためにと思ったんですけどね。
僕この塗り絵文字の話を前の打ち合わせの時に聞いて、ちょっと見たんですけど、そういえば、僕が小学校1年生か2年生の頃に通ってた書道教室で、
例えばひらがなののを書くと、左側のちょっと三角形のところと、右側のこう空いてる空間のところ、あそこにね、赤筆で丸のサイズを書かれた記憶が。
書かれるよね。
で、先生がたまにのの左側のところ三角形っぽく書くんだけど、あれね、内側なぞってた。
内側。
内側の空間を書いていたっていうのを思い出しましたよ。
確かに丸とかね、ここが潰れててここが均等じゃないとか、そういったのは確かに教えられたね。
顔を書いたら左と右の間の空間にこのぐらいの丸が書かれるね。
確かにそれを丸だけだとやっぱりその空間の白い部分っていうのを形で捉えるって難しいから、
やっぱ小さい子供とかは特に塗ったら一番色でわかりやすいよね。
塗ったらそう現れるから。
浮き上がるよね。
黒の方に目が行きがちだから。
行きがち。それでね、本当当たり前なんだけど、黒って言っても全体が見えないじゃん。
こういう見方するとね、フラストレーションなく書けるようになるんじゃないかなと思って。
確かに。これちょっといいな。マジでいいな。
大人もいいですよ。本当に。
こうやって見るとね、なんかバランスが取れないと思っても空間を見ていくと意外とバランス取りやすかったりするしね。
そうなの。絶対正解があるんだよね。
で、ここからアレンジして自分が心地いい字になればいいから、
本当に文字は本当に人の個性だし、全員がそれでいいから、なんか綺麗汚い関係なくね。
確かに。料理は結局最後は空間を見ていくもんね。
ちょっと今、ふと思いついちゃった。
前回の配信の中で、好きなひらがなって何?みたいな話したじゃないですか。
僕その時言わなかったんですけど、
確かに。
2だと思ってました。
僕ね、ちょっと複数になっちゃって申し訳ないんだけど、
あとかかとかすとか好きなんですよ。
かとかは俺は分かるかもしれない。
かが結構好きなんだけど、横にあとすが出てくると、いやどっちも好きやで。
みんな捨てがたいみたいな気持ちになっていて。
で、今その塗り絵文字の話を聞いてたら、全部三角やね。
そういうね。
多分俺三角好きなのかも。
そうだね。
すなんか全体が逆三角形な上に、あの丸も三角やんとか。
めっちゃおしゃれやんみたいな。
かも三角やんみたいな。
しかも空間まで三角やん。
俺三角好きだって今気づいた。
字がさ、割としっかり拡張った字を書くじゃない?きちっと。
そうね。表見せる時は特に会社に寄せるね。
だからやっぱ三角形みたいな、ああいう感じのやつが好きなのかな。
四角よりは三角かもしらん。
そうだよね。四角の書き方ではないように、なんかこうすごい感覚的な話をしてるからさ。
四角の字じゃなくて三角の字なのよ、兄ちゃんの字って。すぐわかるから、見たら。
ひらがなでありがとうって書くの好きなんですよ。
三角がいろんな三角出てくるのだからかもしれないですね。
文字と文字の間もね、また出てきますもんね。
わざとくっつけたり話したりとかね。
とがちょっとちっちゃくしてみたりとか、うを流してみたりとかそういうの好きですね。
字見てみたい。
字?あれなんか動かない。
でも台本の字は結構見せるように書いてますよ。
見ますか?そんなに見せられるような字ではあるんですが。
あ、字がうまい。
そうなんです。
字がうまい。
皆さんね、リサの方も台本を見るとめちゃくちゃ字きれいじゃんって言われる。
めちゃめちゃ字がきれい。
そして始まりから終わりまで字が崩れない。
あー確かに、それはそうかもね。
大体そう始まりはみんなきれいで、終わり頃ちょっとバランス崩しがちなんだけど。
ただ台本の右下結構ウニャウニャって書くときありますよね。
こういうところね。
もう詰まってきちゃってまあいいやみたいな。
めちゃくちゃ字が上手。
あくまでiPadの上で書いてるので。
でも普段もこんな感じよ。
これiPadですか?
今僕手元にiPadありますけどこれで書いてます。
iPad難しいのに。
ただ今このトークのために時々メモしたりしてるのはもうそんな感じ。
これよりはもっと雑にシャクシャって書いてます。
でもさすがですよね。文字と文字の間の空間全部一定だし。
書道の美しさと性格
漢字は大きくひらがなは小さくとかっていうバランスが。
いい言ってめちゃくちゃ気持ちいい。
本当に褒められるって。
確かにプロだからね。
文字って本当に性格が出るんですけど、すっごいバランス取れてる。
ありがとうございます。
ちょっとリサさん聞いてます?
読められちゃいました。
すごい。
めちゃめちゃ褒められてる。
貴重面な。
貴重面だね、確かに。
でもね、やっぱ一定だからすごいな。
貴重面なのかな。
こんな風に書けないじゃん。
まとめたりするときはすごい貴重面さを発揮するよね。
こだわりとかがあるわけでもなく、別にこうしようとか思ってるわけでもないんですけど。
でもね、好奇心と興味が多分ね、すごくありますか?
好奇心は強いです。
常にいろんなこと取り入れたいなって思ってますか?
何でも勉強したいし、何でも自分のスキルにできるので、何でもできる限りやってみたいと思いますね。
これね、四角い部分の左上全部空いてるじゃないですか。
日本のにとか、料理のりのあずことか。
本当だ。
ここ空いてる人ってね、やっぱりいろんなもの取り入れよう取り入れようって思えてたり、吸収力があるんですよね。
日本の左上ってどれ?
食と書のバランス
この一本目と二角目の間が離れている。
そう、四角いものの左上?
ああ、はいはいはい。確かにこっちも空いてるね、ほら。
すごい。
こっちも空いてる。
本当だ、全く無意識だけど。
ここも空いてる。
そう。
全部空いてる。
料理のりの右上の里も口が空いてる。
これみんな空いてる。
ちゃんといろんな余白隙間がね。
異文化のいも空いてる。
天界の貝のあそこも空いてるでしょ。
ああ、本当だ。本当だ。
本当だ。
どうなのよ、すごい重いな。
聞いちゃったから余計意識しちゃうかもしれないけど。
逆に違和感が出てしまう。
そう、なかなかね、見ないけどすごく見ちゃいます。
そうなんだ、面白い。
色感もすごいね、めっちゃ綺麗だよね。
ありのまま。
ひらがな。
ひらがなのままですか。
めっちゃ上手。
めっちゃ上手。
上手って。
めっちゃごめんなさい。
ごめんなさい、そう。
いやいや、もうプロですから。
いやいやいや、なかなか私はもう描けないですよ。
恥ずかしい限りですが。
やっぱ一個一個がちゃんとすごく完成の図形があるんですよね。
ちょっと台本は丁寧に目に描いてますよ。
もちろん見る人がいるので。
すごいな、見習わなければ。
いやいやいや、どうぞ見習ってください。
大きいとこだな。
相当でも言わなくて恥ずかしくなってきた。
恥ずかしくなってきた、ここまで字をまじまじと。
こんなに褒められたらすごい恥ずかしい。
すごい。
縦書きが出てきましたね、ちょうどね。
縦書きめちゃくちゃ上手。
そうですか。
縦の方が好きは好きですけどね。書きやすい。
心苦しけれどところとかも。
苦しけれど、足を流してね。
縦書きで縦重心ずっと取れるって書像やってないと意外と難しいんですか。
俺縦書き苦手なんだよな。真ん中が絶対ずれていくから斜めっていく。
でしょ、そうそうそう。
斜める。
斜めの文字で折ってたもん、最初。ずっと折ってる結局。
折るよね。
ちょっと。
このサとかもめっちゃ好き。
サ。
サ。三角です。
サもね、わりとひらがなとしては好きな字の部類ですね。
ここ食のここ開けるのよく見たらすごいよね。
ここ開けないもんね。食という字の上の三角形の右の払いの頂点というか。
そこ離すんだっていう感じ。
タローさんはずっときっとBなんですよね。文字はすごいよ。
僕、自分の話にちょっと語っちゃうんですけど、料理人、特に日本料理をやってると、茶道とお花やりなさいってよく言われるんですよ。
そうだね、確かに。
本当はお花やる気満々でいたんですけど、私の方が行きたいっていうから妹に代わりに行って、兄弟で同じ教室にいるのもやだなと思って僕行ってないんですけど。
じゃあ、花をやらずに料理の盛り付けで何を参考にしてるかっていうと、僕、庭と書なんですよ。
お寺の庭を思い浮かべながらと、あとここに、例えば心という字だったらここに点が来るけど、もうちょっと離したところに重めの点を打った方がバランスがいいなっていうところに器を持ってくるみたいな感じで考えていて。
じゃあ、その指針がないとバランス取れないんですよ、僕に盛り付けの中で。
故障と美の関係
もう空間を制してるんですね。
まあ、そうすると塗り絵文字とか共通する部分が出てくるんだろうね。
そうなんですね。いや、なんかすげえ恥ずかしい感じになってきて、もう第3回いいんじゃないですか。ちょっとすげえ怖くなってきた。居心地悪くなってきた。
ぜひ皆さんにサポーターになっていただければこの台本しっかり見れますね。食べ物ラジオの方ね。
そうね、食べ物ラジオ。これの回を聞いたサポーターさん絶対見るじゃん。
見る。
拡大して見始めるじゃん。
めちゃ美味しい。
いやー。
めちゃめちゃ上手。
やっぱその、例えば日の字の左上が空いてるとかっていうのは、なんかその心理テスト的なものなんですか?それも傾向でそういうのがあるんですか?
でも傾向で、やっぱ傾向してたり、いろんな方の字を見てて傾向もあるし、でもその、なんて言うんだったか忘れちゃったんですけど、心理学、筆跡鑑定って多分あるじゃないですか。
警察とかでもね。そういうので、エビデンスがあってやってるのもあると思います。そこまでね、勉強してないんですけど、怖いじゃないですか。勉強したらこれだけで人を判断してしまいそうで。
逆にね。
だからね、仕事じゃないしね、プロはプロでいてもらってね。
僕あれ縦線苦手なんですよ。
縦線きれいですよ。
書道とか、ちょっとノートを使って大きく書くと、まあそこそこまっすぐなんですけど、あのね、普段台本とか書いてると左に傾くんですよ、よく。
字が。
字が、字がっていうかね、縦線だけ、ちょっと傾きがちな時があって。
上が左にくる?
上が左にくるそうですね、ことがある。
じゃあちょっと巻き気味で。
巻き気味です。
大中小の中の字で縦線払うと、気持ちはまっすぐしたいんだけど、なぜか払いのところが左にキュって曲がったりとか。
こっちか。
行ってしまう。
ひらがなのりの右側みたいな形になりがち。
なるほど。
傾いてるのか曲がっているのか。
で、それが気になった時は手を上げる、なんていうんですか、えっとよく鉛筆書く時って手を置くじゃないですか、ノートの上に。
これを離して筆のように持つとまっすぐになるんですけど。
これ肉とかそうか。
ちょっと傾く縦線がね。
これもなんかあるんですかね。
癖、ただの癖。
そうそう、手を置いて単純にね、こう物を書くって言ったら左に傾くのがあって、書道は絶対つけないで。
浮かして書くっていうのは真ん中のため。
置いたら必然右利きだったら、こう向きになるじゃないですか。
左に開いた形になる。
支点がね、できちゃうから。
手この原理じゃない、なんていうんだ。
ここ付いたところかの。
コンパスだからね。
手首からの放物線で左に流れる。
だから書道は絶対つけないで、どこにもつけないで、まっすぐ。
確かに書道ってつけないよね、絶対ダメって言われるけど。
筆で支点持ったら、筆の毛先の動き半端ないことになりそうだもんね。
半端ないね。
そんな描く無理ですみたいな。
弁体を使ってビヨーンみたいな。
背筋も伸ばしてね、上から見てね、みたいなのって。
まっすぐ書くためと全部見るためなのかな。
ある意味書道ってそうだよね。
綺麗っていうのはGの完成だけではなくて、姿勢が綺麗じゃないと綺麗にならないよね、みたいなところからあるよね。
よく言われるね、確かに。
すごいしっかり手出してたもんね、背筋伸ばしてっていう。
筆を扱うのがね、手とか姿勢から癖が出る。
癖が字に出るってね、体の癖もやっぱあるよね。
骨格もあるしね、筋肉のつき方もあるしね。
だからあれか、字の美しさとか癖っていうのを見ているようでいて、実は書いている姿を透かしてみて、その姿を美しいと感じているのかもしれない。
ちょっと思い出したのはさ、打ち合わせの時にこんな話が出たんだけど、
字が晩年になっていくと、字が汚い人が出てくるっていう話があったじゃない。
あれは本当に完全に筋力の低下で、思ったように体もそうだし、鉛筆?ボールペン?思ったような筆圧と動きがやっぱ緻密な動きになってくるから、書けなくなってくるんだよね。
筋力か。
有名な人でもね、晩年書いたやつはすんごい斜めって汚い字だったりとかっていう話を聞いて、
それが体の状況とかその人の置かれている状態をすべて文字に反映されちゃうのがある意味書道だよ。筆だから。
しかも筋肉っていうと動く、胴を支えるようなイメージがあるんだけど、書道に関しては性を作るための筋力みたいなイメージ。
そうですね、一定のための筋力みたいな。
ぶれないため。
整うため。
整うため。
そうだね、晩年やっぱ体も傾いて思うように動かなくなってね、寝てて書いたらさ、絶対上手に書けないし。
病気とかね、病に伏せてるとかね、それでも書くものは筆しかありませんから。
書くものにおへさが向かなくなるんだよね。
ああ、はいはいはい。
確かに。
だから料理も絶対に横向きじゃ捌けない。
確かに。
やっぱ、緻密な包丁仕事をしているときは、一回ブレてきたなと思ったら一回包丁を置いてストレッチして、構えをもう一回作ってからやるとかやりますよ。
確かに刻むとかね、打つとか言うけど。
それこそテスタだとか刃物、骨切り、ミリ単位の仕事をするときなんか一回姿勢整えますね。
でもそう思うと大変なことやってますよね、我々。
本当そうですね。
本当に知らないと気づけないレベルのところもあって、その一つ一つの積み上げでその美というものを作り上げてるから、その裏側を知ってる人は本当に今わずかだよね。
なんか今ふと思い浮かんできた映像が柩道、弓。
あれも銅じゃなくて精のための筋力みたいな、ないですか?
確かに。
一回精を作らないといけないからね、しっかりとした。
精のための筋力間違いない。
銅は一瞬だからね。
銅は一瞬。
本当の数ミリ秒だから。
これあれじゃないですか、次書道のパフォーマンスをするときに精を一回作ったらいいんじゃないですか。
そうだね。
15分の持ち時間のうち5分以上を精に費やすみたいな。
なんかね、一番最初のパフォーマンスのときにどうやって書くところに自分が持っていくかみたいなところを表現したくて、目の前で墨するところから始めたんでしょ。
墨するところから精神統一っていうか手がね始まってこれがって書くんですみたいなことを伝えたくてやったことがあって準備運動になるんですかね多分ね。
あれ墨すってすぐ手がスッと動く感じなんですか。
墨すらないといきなり書けって言われてももう歳とってくると圧わかんなくなるんですよね。
圧がわからなくなる。
圧わかんなくなる。
割と僕のイメージ素人なんであるんですけどこの墨吸ってると割と力使う気がするんですけどそうでもないですか。
力をね入れないように吸ってます。
そこかそこら辺か。
いや僕ねその厨房の後とか今やってないですけど昔墨をするときに早くやりたいからゴリゴリゴリゴリやるんですよ。
いやそうですよね。
そうすると腕の力使っちゃうのでいざ筆持ったときにプルプルプルプルプルするんですよね。
全然文字が落ち着かなくて。
私大根おろし大好きなんで大根おろしを本当に早く擦りたいんですけど全然できない。
疲れちゃって。
しかも力入れると辛くなってくしね。
そうなんですね。
やっぱ全然違うね。
墨も力入れちゃうと粒子が荒くなっちゃうから。
同じだ。一緒だよ。
そこ一緒だよ。
食と書道の美について
まあ確かに擦ると言うことは一緒だもんね。
確かに。
原理は変わらないからね。
石のすずりがあって水があってそこでいかに気持ちよく出てもらうかみたいな。
大根おろしもだからね。強くやったら辛くなっちゃうんだ。
荒くなる。
荒くなるんでやっぱり。
荒くなる。
早くやるときは軽い力で早くやるのか。
今はないですけど、僕が若いときに修行してたお店では大根おろしはパートの洗い場のおばちゃんによくお願いしてました。
急いでないので、おばちゃんというかおばあちゃんに近い方なのでゆっくり丁寧にやってくるんですよ。
いいやつでね。
いいやつでやってくるんですよ。美味しいんです。
その甘えがいいんですよ。
若い人にやらせると辛い。
そっか。そこで味が変わるんですね。
そうなんですよね。
大根のせいじゃなかったんだ。
辛いのもあります。時期柄、季節柄あるけど、やっぱり荒いやつがいいときは、ちょっと辛めがいいときは荒くすったりするし、ぐりぐりとやる方法もあるしね。
その辺はやっぱり加減が違うよね。
面白い。
すごいとこに行ったな。
美とは何かなんだけど、行き着く先がどんどん心と体に行くのが面白いね。
そうそうそう。
美しいと感じるものは人それぞれだしね。
やっぱそこには人がいるっていうのがあるんですよね、きっとね。
確かにね。
心と体と現れるもの。
調和。
その話したらなんかすごいことになりそうだけど、でもちょっと聞いてみたい気もするな。
この辺はちょっと深そうだけど、道の話みたいなね。
この辺は動作含めてとか、作法が全部決まってるじゃない。
やっぱそれ一つ一つに意味があるのは、最終的に自分の美しさを極めるために積み上げていくみたいな。
僕ね、収録のタイミングでもし聞けたら聞きたいなと思ったので、もしよかったら次回その話を聞いてみたいなと思うんですが、
僕らの世界観、いわゆる職人とか書道やってる方も、家道やってる方もみんな同じだと思うんですが、
シュハリっていう概念あるじゃないですか。
このシュからハに流れていくときに何が起きてるのかとか、
意図的に言ってるようで言って、意図的に言うときって意外とハに行けなかったりとかするじゃないですか。
その辺の話をね、ちょっと深掘りして聞いてみたいなと思ってるんですけど、どうでしょうか。
私も聞いてみたい。
肩から外れていくときみたいな。
肩から外れるとき。
じゃあ次回はそれでいきますか。
ということで第3回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。