Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのスタートポッツ稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は、at FOREST株式会社代表取締役 小池友紀さんにお越しいただきました。
at FORESTさんは、人と自然に優しい循環葬、Return to Natureを運営提供されているスタートアップでして、
2024年5月シードラウンドの資金調達を発表されました。小池さん、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。at FORESTの代表の小池です。
よろしくお願いいたします。今回ご登壇のオファーさせていただいたのは、私稲荷田になりまして、
もともとat FORESTさんは、2023年のIBS Launchpad SEEDに登壇されていたのを拝見をしておりまして、
ある意味でスタートアップらしくないビジネスモデルなのかなと当時は思っていましたんですけれども、
その思想だったり世界観めちゃくちゃ素敵だなってことを思っておりまして、
そして気づいたら資金調達もされていらっしゃったということで、
どんな意思決定だったのかなとか、ないしは今後の展望をどんな感じに進んでいくのかということがすごく気になっておりまして、
もともと別のイベントでCOOの野崎さんとも接点をいただいた経緯もありまして、
小池さんにぜひご登壇いただけないですかねっていうお話をさせていただいた次第でございました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。前編では小池さんのおいたちだったり創業のプロセスを、
後編ではアットフォレストさんの経営や事業についてお伺いしますので、ぜひ合わせてお聞きいただければと思います。
ここでスタートアップNOWを応援いただいている番組スポンサーからのお知らせです。
この番組はOPSRの提供でお送りします。デザインでビジネスを前進させるなら、
OPSR、UI、UX、コミュニケーションデザイン。どんな依頼でも、
OPSRなら製作実績をもとに経験豊富なデザイナーとマッチング。
共同創業者の田子さんとは大学が同じで、諸石さんとはスタートアップNOWのイベントで出会いました。
デザインの力に対する熱い思いに刺激をいただいています。
デザインにお困りのスタートアップは、ぜひOPSRと検索してみてください。
それでは小池さん、まずはご経歴などを含めた自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、よろしくお願いします。アットフォレストの代表の小池です。
私は今、循環層という新しい埋葬の形を提案しています。
まだ拠点は大阪の一つだけなんですけれども、今後全国展開を目指しているというところでございます。
私はもともと、今はそここそ埋葬、お墓というところに携わっていますけれども、
その業界にずっとどっぷりいたわけではなくて、広告のクリエイティブ業界にずっといました。
広告制作の会社に入って、無謀にも3年ですぐフリーランスになって、
そこからずっとフリーランスでいろんな企業さんのココレートブランディングであったりとか、
広告というところを手掛けさせていただくということをしていました。
コロナの時に、私は住んでいるところは結構里山地域、里山が近い地域なので、
都会に出ることが少なくなって、森でそれこそ仕事をするように、森でマーク開いてみたいな感じが多くなって、
その時にやっぱり、改めて自然って本当に美しいし、面白いし、本当に多様だし、
いつも同じじゃないっていうので、よっぽど都会にいる時より自然の中にいる時のものすごく面白いし、
感覚が研ぎ澄まされるなっていうのがあって、そこでもやっぱり向かい自然回帰みたいなところに自分が、
もとから小里山とか近かったので、自然ハイキングとかしたんですけど、
もう一歩、深入りしていったっていうのがコロナの時でした。
で、その後に、ちょっとお墓とかエンディングに関する疑問が何個か重なりまして、
もやもやすることが重なって、で、そのエンディングの問題と自分が好きな自然を守るっていうところが、
マッチングすることができたので、今のこの循環相をしているというような感じでございます。
小池さん 一緒です。
一緒です。
何かに打ち込むとかじゃなくて、ただひたすら若さを楽しむということだけをしていました。
それもそれですごく気になる話ですが、一旦そこは。
そうですね、例えば学生企業だとか、結構早々に企業されたというよりかは、本当に強い減退権が途中であって企業されたからそういったところなのかなと勝手に思ったりするんですけれども、
ただこれ新卒で行くと、これアパレルに入ってるんですか?
小池さん そうなんです。一番初めそれこそ電通発行道を受けたんですけど、その2社だけ受けて。
へえ、攻めてますね。
小池さん 落ちまして、もうやめようとかちょっとプラプラしていて、その時に海外のアパレルでバイトをしてたんです。
小池さん その時にこのアパレルよりもちょっとラグジュアルなブランドが募集をしていたから、ギュッと応募したら受かってしまったという感じで、そこで1年ぐらいしかいなかったんですけど。
いわゆる店舗で働かれてたとはまた違う職種だったりするんですか?
小池さん 100カ店、どんずば100カ店で働いてました。
へえ、そうなんですね。そこはじゃあ1年でやめられて?
小池さん そうですね。やっぱり広告業界に憧れがあって。
そこの憧れ、特にやっぱり電泊だけ受けるっていうのはかなり攻めてる気もするんですけど、その背景は?
あるいはその1年後、結局そこで広告クリエイティブに行ったっていうのはどんな背景だったんですか?
小池さん やっぱりそういうところに行きたかった。高校生の時から思ってたので。
高校生。
小池さん 諦めきれなかったというところがありますかね。
高校生から思いが出ていて諦められなかった背景をもう1段深くいただいてもいいですか?
あのですね、うちの父がバリバリのサラリーマンで、エリートサラリーマンみたいな感じなんですよね。
でも仕事が楽しそうじゃなかった。
で、周りにでも起業してるお父さんとか結構周りにいて、人工住宅街やってて。
その時にやっぱりこの起業してるパパ、その時はやっぱり女性少なかったですね。
パパたちはすごいもう本当にエネルギッシュで、話も面白いし、子供たちから人気のパパたちですよね。
で、うちの父は逆にここまでちゃんとサラリーマンとしてやりきったところは素晴らしいんだけど、なんか苦痛代みたいな感じで自分でも言ってあった。
お金はいいんだけどもそれは苦痛代だみたいな感じで言ってて、なんかそれ私はずっと子供の頃から納得がいってなくて、
自分はそうじゃなりたくないなと。
で、母はもともと看護婦で専門職やって、でも結婚して辞めたんですけど、本当に母が結構自分で何でもしちゃうタイプの人で、
いろんなことにトライする人やってて、主婦しながらも。
で、なんかこう自分で普通のサラリーマン、起業に勤めるよりはなんか自分が楽しめるような自分が好きな仕事っていうのに就きたいなっていうのはずっと思っている。
だからやっぱり広告に憧れて業界で働いてみたいなっていうのが諦めきれなかったって感じですね。
クリエイティブの仕事は今の仕事を抜いても15年以上、合計する18年とかになるんですかね、やられたと思うんですけど、
この仕事実際にやられてみていかがでしたか?
めちゃくちゃ楽しかったですし、やっぱりプライベートさんがどんどん変わっていくので、課題が毎回変わっていきますよね。
で、いちからヒアリングして、いちから学んで、いちからその業界のことをリサーチして、いろんなヒアリングをしてっていうのは本当に楽しかったですね。
一番一社目のところの先輩がすごい良い方で、何でもこう自分でやってみって言ってくれる方やったので、
なんか本当にこう1年目からいろんなことをトライさせてもらってって感じだったので、本当に恵まれてました。いろんな仕事をさせていただきました。
コピーライターって言ったらどっかのジャンルに強いとか言う人もいるんだけど、私はいろんな本当にそれこそアパレルからコスメからメーカーさんから病院から子供園から社会人までいろんなところをやらせてもらったので、本当に楽しかったです。
めちゃめちゃ楽しそうですし、なんか生き生きされてるのが感じ取れられたので、これはもう今の授業でやってなかったらずっとやってたかもしれない。
そうですね、それこそ今アットフォレストの代表ですけど、立ち上げたばっかりの時はまだやっぱり仕事があったので、後輩とか知り合いに受け継がなければいけないんですけど、
自分がやりたいという気持ちはあったりして、なかなか手放せなかったのもあります。今はもう全部手放しましたけど、まだやりたい。始めだしたら楽しいから、やりたいって気持ちはありましたけど、後ろ髪引かれながら渡していた。
そんな思いもありながらも一歩踏み出したところだと思いまして、現代圏のところはいくつか拝見していると、ご両親が所有されていらっしゃるお墓の改装、お墓の引っ越しですね。
それがきっかけって話があったんですけれども、これちょっと今は事業的な捉えまえている課題とかあると思うんですけど、まず当事者として当時どんな感覚があったのかとか、どんな課題を感じたのかみたいなところがあったらいただきたいです。
30代半ばぐらいから、やっぱり周りで亡くなる方とかが出だしたんですよね。私が東京でお世話になって、デザイン事務所の社長さんが休止されて、みんな知らなくてびっくりしたんだけど、亡くなった時にその社長さんからお葬式の案内じゃなくてパーティーの案内が来たんです。
お別れパーティーみたいな感じで来てくださいと。お葬式会場とかじゃもちろんなくて、平福子で来てください。お香伝もお花もなし。いつもの私に合うように来てくださいって書いてある。
めちゃくちゃ素敵で、なんてかっこいいんだろうって。こんな死に方、自分らしさを最後まで貫く死に方、いないよねって。そんな人なかなかいないだろうって。
その時に、あれ?今のお葬式とかお墓の形って、みんなやりたくてやってるのかな?っていうのはちょっともやもやしていた。その時に、うちの母と父の階層があったのと、私結婚してたことがあるんですけど、結婚してた時に夫のお父さんが亡くなった時に、私嫁という立場でした。長男の嫁だったんですけど、
親戚に、あなたもここに入るのよ、みたいな感じですごいあったんですね。その時に、あれ?ちょっと待って、私洗濯してないし一言も何も言ってないけど、これエスカレーター式でこういう風になってるんだって思って。
私泣いて、これ洗濯師女性なかったんよっていうのにすごい違和感を感じていた。父と母の階層があって、田舎からみんなが住んでる都市部の方に引っ越しするっていう時に、いろいろお墓を見たんですけど、そこでも結構高額じゃないですか、お墓って100万とか200万するじゃないですか。
こんなに払うのに、みんなこれ喜んで買ってるんやろうと。母とかに言ってみたら、樹木層とか見に行っても、樹木層っていう名前だから、私は本当に今の循環層みたいな森に帰れるものだと思ったんですけど、宝石があるんですよね。
あって、下に軽音っていう石の箱みたいなのがある。そこに土を入れるっていう感じが多くてですね、あれ、これ全然私が思ってた樹木層と違う。で、母にもそれを言ったら、そう、私もそんなこと思ってなかった。でも、そんなもんなんじゃないの?みたいな。もう仕方ないじゃない。
それはみんな私だって自然に気がかれるように死んだ方がいいと私は思うけどねって言ったんです。諦めてる感じ。これしかないからみんなこれにしてるみたいな感じあって。で、その時に、母の友達とかシニアの方にいろいろ聞いた時に、結構みんなそんな感じだった。女性に関しては、夫のお墓入りたくないわよ、私。
みたいな感じだったとか、パラパラあったりとか、私は自分でちゃんと選びたいという人いたりとか。で、ずっとお墓を探してる、偽装のことがなくて探してるって方もいたりしたので、なんでLINEやろうというところから探り始めてっていう感じですかね。
添付して。で、またありがとうございましたって言ったんだけども、もう一度行きました。
そしたら、あ、すみません、ちゃんと見てなかったです。みたいな感じになって、
で、面談していただくことになって、2時間くらいめちゃくちゃお話ししてくれました。
本当に素晴らしい方で、2時間くらいお話ししてくださって、
そういう森と組み合わせる、森林保全と組み合わせるっていう思いがあるんだったら、
森だったらこの人しかいないと思う。って言って、
のせみょうけんさんの副住所をご紹介いただきました。
実際話されてからはどうでしたか?
一番初め、それこそやっぱりのせみょうけんさんは結構大きなお寺さんですし、
大阪の福瀬地域っていうところでは有名なんですね。
皆さん、学校でハイキングで小学生が行くとかいうぐらいな、
みょうけんさんって呼ばれるぐらい、愛称で呼ばれるぐらい愛されてる山田氏お寺さんだったんで、
結構ハードル高いなと思ったんですね。
で、お会いした時に、やっぱり向こうの、私が誰かもわからないし、何者かわからないような人らが来て、
結構向こうを構えていらっしゃったんですけど、
じゅんかわさんのアイディアをお話ししていけばいくほど、僕もそういうことを考えてました。
実は森林保全団体、立ち上げられてるんですけど、副長職が、そこのボランティアさんが、いつか僕ここに参ってって何人かに言われた。
へーすごい。ニーズがあったわけですね。
そうなんです。だけど、どうしたらいいかわからないし、自分だけ、お寺さんも今すごい人員不足で、
自分だけでやるのがすごい大変で、ずっとあたりの中にもやったけれども、何もすることができてなかった。
ということで、1回目の面談の時の最後に、ちょっとじゃあ進めてみましょうかって言われて、
もうまさきとその時はもう帰り道は、本当に全身鳥肌でした。
やっぱり始まる、始まるみたいな感じで。リアルに始まるぞって感じで、本当にこう震えながら運転しながら帰ったんです。
最後もう1個だけ聞いてみたいのは、まさきさんはもともとは社会福祉士さんとかやられてらっしゃったと思うんですけど、
これはパートナーとして選ばれた理由というか、何が一緒になった理由なのかみたいな。
これもですね、報告の仕事で実はまさきさんがやってる、障害福祉の法人とのつながりの大きな法人さんのパンフレットを私がディレクションすることになって、
そこでお会いして、その時にまさきさんのお母さんが15年ぐらい前に亡くなられてるんですけど、
お母さんがお父さんのお墓に入りたくないって言ってた。亡くなる前に息子さんに。
しかも大好きなワンちゃんがいたので、ワンちゃんと一緒に私は眠りたいって言ってたらしい。
だけど、お父さんにそれを言ったら、何言ってんねんみたいな。こんなん無理に決まってるやろみたいな感じになって、結局そこの本家のお墓に入ってるんだけど、
まさきとしてはずっとそれが心残りだった。言われたけどできなかった。
で、うちの母もそういうふうに、みんなそんなもんよっていうふうに言ってたって話になって、これを意気投稿して、
これみんな実は思ってるんじゃない?っていうふうになって企画書に私が仕上げて行ったって言ったんです。
めちゃめちゃいい重なり方をしてるんですね。ありがとうございます。
しましたら前編はこんなところで一旦終わらせていただきまして、後編にて小池さんが展開されてらっしゃる授業を深掘りしながら、今後の展望なんかも伺っていきたいなというふうに思っております。