このお話聞いていただいた後に読んでいただきたいなということも勝てながら思ったりもしております。
今回の自己紹介は大学の卒業ぐらいからいただいたんですけど、その前もぜひ聞いてみたいなということは思っておりまして、まずホリーさんの生まれでいきますと1985年で京都に生まれたというところですね。
ご家族が結構ユニークといいますか、弊社一族だったのかなというふうにお見受けをしておりまして、おじいさまが大正時代から醤油の商売をされていらっしゃったりだとか。
めちゃくちゃ調べていただいてます。
おじいちゃんまで調べましたね。
お父様は保険関係で起業をされていらっしゃるというところは拝見させていただきました。
なので結構幼い頃から起業家になるということはかなり意識されていたみたいな話も伺ってはいるんですけれども、おじいさまだったりお父様から受けた影響だったりだとか、そういったところがありましたらいただいてもいいですか。
ありがとうございます。そんなに小さい時からゼガ費でも起業したいとか、起業家になりたいとかっていうのはあんまり考えていたわけではなくて。
おじいちゃんはちょっとちっちゃい時に死んでしまったので、会社の経営してたところを目の当たりにしたとかはそんなにないんですけど、
基本は父親が働いている姿とかは見て育ったんですけど、あんまりサラリーマンの家庭じゃなかったんで、
基本自分が起きている時間とかには帰ってくるときとかほぼなくて、土日も仕事行ってて、1週間で土曜日の晩だけとか日曜の晩だけみたいな形だったんで、
割と働くのが普通の環境では育ったかなという気がします。
普通の家庭をそこまで詳しく分かってないんですけど、7時にはお父さん帰ってきてみんなでご飯食べるみたいなのとかはあんまりなかったですかね。
その今のエピソードだけでも、人によってはちょっと仕事を忙しそうすぎるとか、子供としては構ってもらえなくて寂しいだとか、
場合によってはネガティブな印象を抱くこともあるんじゃないかなと思うんですけれども、特段そういったことはなく、仕事に対してはポジティブに思われてらっしゃったという感じですか。
そうですね。そんなことは全然思ったことはなかったですね。
結構その仕事を通して結構人生を退院してるんだなっていうのはなんかうっすら子供の頃から感じてたりはしてたので、
あと仕事が好きなんだろうなっていうのは理解はしてたんで、自分も社会人になって働こうとした時に、人生の大半多分その時間に使うなと思ったので、
一生通してやれる仕事がいいなと思いましたし、仕事がもうほぼ趣味になるような形でやりたいなと思ってましたし、
今もそういう形でやれてたりするので、結構働くのは全然苦ではなかったですね。
めちゃめちゃ素敵ですね。あと大学前の話でいきますと、ちなみに高校はテニスで工房高校にいらっしゃったみたいな話も拝見をしたんですけれども、
その話も聞きたいながらも、その前の幼少期とか中学とか、そのあたりというのはいわゆるどんな子だった、どんな性格だったとか、何か印象的なエピソードとか、そういったものとかもしありましたらいただいてもいいですか。
印象的なエピソードか。これがっていうのがちょっとすぐ浮かぶわけじゃないんですけど、双子の話をするのがちょっと分かりやすいかなと思ってて、皆さん一覧性の双子って見たことあると思うんですよ。
多分最初に抱かれる感想は似てるなっていうことだと思うんですよね。おそらく双子の気持ちになられたことってあんまりないと思うんですけど。
双子って生まれた瞬間から隣にクローン人間がいるわけじゃないですか。全く同じ遺伝子を持った人間が隣に幼少期からいて、常に他人の目からはあなたはどう違うのっていうのを聞かれるんですよね。
あなたはどっちって質問は常にされますし、隣にいる方と比較してこの人はどう違うんだろうなっていう目をずっと晒されながら生きていくので、
多分、これ僕の持論ですけど、大学生とか社会人になるぐらいに自己分析した時に、自分のモラトリアムじゃないですけど、自分は何者になりたいのか、何者なのかみたいなものを追求するタイミングってあるかなと思うんですけど、
双子って小学校ぐらいから常にその環境にいるんで、隣にいるこいつと自分はどう違うかをアピールするというか、他人に見せていかないと、
基本的に自分のアイデンティティがなかなか確立できないみたいな結構難しい生き物だなと思ってましたね。
そういう意味では、うちの兄と比較されることは常にあったんで、差別化をどう図るかみたいなところの視点は結構持ちながら、
学生時代も過ごしてたんじゃないかなって気はしますかね。さっき高校時代テニス頑張ったって話、教語校行ったって話も、兄は勉強が少し僕よりもできるタイプだったんで、
それで競っても同じにしかならないから、別の方向で競うべきかなっていうので、そういうふうに意図的に選んだというか、潜在意識的にそういうふうな選択をしていったんじゃないかなって気はしてます。
ありがとうございます。ちょうど高校ぐらいまでいただいたところにもなりまして、そしたら大学のあたりも行きたいと思うんですけれども、
いろいろ記事とか拝見しててよくお見受けしたのは、楽天でインターンされたりだとか、
ないしは人材系のベンチャーでインターンされたり、広告営業されてらっしゃったとか、いろいろお見受けしたんですけれども、
これは大学で行くと何年生ぐらいの話で、ないしはその前、大学入学してすぐインターンとかバリバリされてらっしゃったのか、ないしは他に熱中されたこととかあったのかとか、そのあたりをもう少しお伺いしてもいいですか。
ありがとうございます。インターン始めたのは大学3年生ぐらい。3年生の夏ぐらいからですかね。わりと一般的なちょっと早くインターンやるぐらいのタイミングだったと思いますね。
熱中してたかというとちょっと長いことやってたわけじゃないんですけど、留学はちょっとしたことがあって、ニュージーランドに行ったことがあるんですけど、最初に1年生ぐらいのときに1回行って、
3年生の頭ぐらいにも行ったんですよね。そのときは留学先でもインターンしてたんですよ。そこが結構面白かったのは、留学をあっせんする代理店みたいなところでのインターンだったんで、
日本から来る留学生の受け入れとか、生先の手配とか学校の手配とか、やったりするようなとこだったんですけど、そのとき初めてその代理店がちょうど社内でホームページ作ってて、
その中に載せるコンテンツの取材みたいなものと、あとウェブページ作る仕事があったんですけど、それをちょっとやらせてもらったのがあって、それはインターネット面白いなと思いましたね。
自分が作ったページ、HTMLそんなに書けるわけじゃないですけど、Dreamweaverっていうツールで、それ作ってアップしてみたいなのをやって、
しかも自分が取材してきた取材員のコンテンツみたいなのを載って、目の当たりにしたときに、これ面白いなとは思いましたね。
あとその代表の方が、僕がノートにも書いたんですけど、サイバージョンの藤田さんの本をちょうど読んでて、これめっちゃおもろいからお前も読んだ方がいいみたいなんで見せてもらって、
これ面白いなと思ったのが結構きっかけだったんで、当時からMixiとかめちゃくちゃ流行ってたし、僕もめちゃくちゃやってたんですけど、
世の中に自分が作ったものを公開してフィードバック得るとか、そういうのは学生のとき初めて経験したんで、これは仕事としてやるのも絶対面白いだろうなっていうのも思ったっていうのはいいきっかけだったと思いますね。
まさにサイバーエージェントさん、藤田さんの話もいただきましたけど、これノートであるので詳細読んでいただければというところではあるんですけれども、
当時藤田さんから受けていた影響とか、サイバーエージェントに絶対に入りたいみたいな思いも掲げられらっしゃったというところをお見聞きしたんですけれども、
この辺りというのはどんな背景だったのかというところをもう一段いただいてもいいですか。
今のちょっとエピソードの続きなんですけど、仕事するならインターネットの仕事したいなっていうのはそのときちょっとうっすら思ってて、
ちょうどそのバイブル的に藤田さんの学生時代のエピソードって載ってるんですよね、あの本って。
その本の中で一番面白かったのは、学生時代に社会人のフリしてスーツ着てテレヤポしまくったっていうエピソードが結構序盤に載ってきてて、
僕シンプルにこれやろうと思いましたね。
インターネットの仕事する上で、どこかで自分もこういう事業をやりたいなとはちょっとそのとき思ったりしたんで、
どうやるか分からなかったので、とりあえず真似しようと思ったのは覚えてますかね。
終わったら速攻楽天のインターン申し込みましたね。
そこの楽天も結果的には内定をもらえなかったんですかね。
そうですね。おそらくその普通のインターンとちょっと違って少し長めにあるインターンだったなっていうのはちょっと気を壊してたりするんですけど、
多分熱が空回りしまくってたんじゃないかなって気はしますかね。
今となってはね、なんで取らなかったんだろうという話でしかないですけどね。
その後に結果的に新卒入社を決めたのは、当時ECナビで、その後ボヤージグループであり今からホールディングスである会社さんかなと思うんですけれども、
これは出会いだとかそこに決めた理由っていうところをいただいてもいいですか。
そうですね。当時私関西の大学生だったんで、実は東京って行ったことほとんどなくて、
インターネットの会社に就職しようと思うと、当時新卒採用をやってるインターネットの会社ってほとんど東京だったっていうのもありますし、
東京にもほとんどなかったんですよね、それで言うと。
調べた限り楽天かサイバージェントか、あとヤフーか、あとGMOさんとか、ああいうどっちかとインフラっぽいところで、
僕は結構メディアの授業をやってる会社に入りたいなと思ってたんですけど、
その候補は関西だとやってるとこほとんどなくて、ハテナさんギリやってたみたいな感じかもしれないですけど、
当時もやってなかったかもしれない。ミクシーとかも新卒入とか全然やってない時代だったんで。
その時に初めて地方の採用を結構サイバージェントとか、あとは新卒のことだったらECナビがやってたんで、関西で応募をしましたね。
関西で説明会をやって関西で選考を受けました。
当時、東京に行って面接を受けてみたいなのはすごくやってなかったので、
関西でインターネットの会社でちょうど選考会をやってくれてたっていうのが結構大きかったですね。
今から振り返ると、結果的にはボヤージグループさんでは4,5年ぐらいいらっしゃったんですかね。
そうですね。
そこで新規事業の立ち上げと子会社の代表取締役までやられていらっしゃって、
出る時に26とか7とかそれぐらいの年齢だと思うんですけど、
そう思うとその年代でもう代表取締役までやってるって本当に輝かしい実績に見えてしまうんですけれども、
実際にはかなりお苦労もされたってところもノートとかで拝見しておりまして、
どんな感じで動かれていらっしゃったのかというところを少しいただいてもいいですか。
ありがとうございます。これちょっと簡潔に話すのがちょっと難しいんですけど、
基本はその新卒で入った後、僕は結構普通の配属というよりは新規事業をとにかくやりたいみたいなちょっと決起盛んな新卒だったんで、
既存の部署に配属されるというよりは新しいことをやる部署に回してもらうケースが結構多かったですね。
新卒で入った時も新規事業の部署に配属してもらったんですけど、
その部署がもう入った後、配属が決まって2ヶ月後ぐらいに解散になってしまって、
ただやってた事業は元々残ってたんで、それを1人だけ持って、
組っ子じゃないですけど、別の事業部にそのまま吸収されるような形で1人だけその事業をやってるみたいな感じなのが1年目でしたし、
2年目もその事業はもうちょっと見切りをつけて、次の新規事業やるからお前手伝えみたいな形で呼んでいただいて始めたっていう感じですかね。
3年目からさすがに自分のやつやらせてほしいっていうお願いをしたら、やってみればっていうので提案した事業をやらせてもらって、
実はそれが結構うまくいって、最終的に子会社化されるみたいな感じでしたね。
あんまり何かもう事業として成立してる部署にそのまま入って手伝いするみたいな感じっていうよりは、
ゼロからあるものを作っていくみたいなチャレンジさせてもらったっていうのが全然多かったです。
そして、その終盤のタイミングでお兄様のゆうたさんだったり、竹淳さん、共同創業者の方ですかね、
とかと一緒に事業をやる模索っていうのをされ始めて、
これ面白かったのが、これだけ今の実績とか見てると最初からバンバン当ててそうだなってことは思いつつも、
いくつかのサービスはかなり空振りをされたってところも拝見しておりまして、
例えばガラケーとTwitterとチックイン機能を組み合わせた、海外で流行っていたサービスがあって、
それを持って帰ってきてやろうとしたら空振りをしたみたいな話だとか。
その上で結果的にはフリルにつながるような形でマーケットプレイスの事業を立ち上げされたと。
その背景としてもミクシーだったりブログだったりメルマガだったり、
そこで女子高生とか女子大生の方々がお洋服を売り始めている、
なんでこんな非合理なのにこんなにやられてらっしゃるのかというところで立ち上げたというところは拝見したんですけれども、
これは他にもおそらくマーケットプレイス以外にも見られた事業とかあったのかなと思ったけど、
やっぱりこのマーケットプレイスに一点集中された理由とか、
やっぱりそのN1が圧倒的に信じられたみたいなところっていうのはどういう背景だったのかというところをもう少しいただいてもいいですか。
はい。ちょっと直接な回答になってないところも含めてなんですけど、
はい、ぜひぜひ。
さっき最初からバンバン当ててたというよりは2つぐらい外してたみたいなところも含めてなんですけど、
結構そのボヤージュで4年間勤めてて、最初の2つの事業はそんなにうまくスケールしなくて、
自分が立ち上げた後半の事業は結構うまくいったんですよね。
どういう違いがあったのかなって思った時に、やっぱりその事業を張ったタイミングが良かったなってなったんですよね。
前半の2つはそんなにそのタイミングが良くなくて、後半は結構すごい端的に述べると、
ガラ系の事業をやってたんですけど、ガラ系の検索連動型広告の事業を始めて、
その後はスマートフォンのアドネットワークとかリワードの事業を立ち上げて、うまくいったみたいな形だったんですよね。
結果的に後半の2つはちょうど当時スマホなかったんで、そのガラ系にGoogleがちょうど検索窓口で入って、
もともとクリック型の広告しかなかったのが検索ユーザーもするようになったタイミングだったりとか、
あとみんなその後スマートフォン持ち出してみたいな感じだったんで、結構その前半と後半で何か波が来た時にうまくはったんで、
なんかすごい頑張ったというよりは、めっちゃ頑張りはしたんですけど、
同じような頑張りでもやっぱり事業に伸びてくるスピードだったりとか、あと数字みたいなものも全然違ったなって感じましたね。
なので、今ちょっとおっしゃっていただいたこのマーケットプレイスで行くとか、