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皆さん、おはようございます。野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で17年間世界を飛び回っていた企業選手香川本文美が、
40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
はい、おはようございます。
今日は昨日に引き続き、石家卓郎さんのインタビューをお伝えしようと思いますが、
久々に農業にのめり込む、変態チックなメロンという作物にのめり込む石家さんのインタビュー、
昨日から聞いておりますが、今日も引き続き、石家さんのインタビューをお送りしようと思いますので、楽しみに聞いてください。
それではどうぞ。
はい、皆さんおはようございます。
今日は昨日に引き続き、石家卓郎さんのお話、インタビューを聞いていこうと思います。
昨日まではね、学校を卒業されて、そして滋賀県の方に行って、滝石病の方で、専門学校から滝石病で働くところまでのお話を聞きましたが、
その中でメロンという作物に出会って、メロンの魅力に取り憑かれて、こちら栃木県に戻ってくるという、そういうところのお話まで聞きましたが、
今日2日目は、その辺のこちらに戻ってきてから、メロンの栽培を実際に始めていく、その辺の具体的な経緯なんかを聞いていこうと思います。
石家さん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
昨日、メロンとの出会いを聞きましたが、
23歳の時にこちらに戻って来られる。
その時に、改めて聞きたいのが、滝石病で働いていて、23歳の時に実際にこちらに戻って来いよと決意される時があったわけじゃないですか。
それは何かきっかけがあったんですか。
もともと滝石病には3年ぐらいで辞めておこうと最初からそういう計画だったのか、
23歳の時にこのタイミングで戻ろうとか、何かがあったのか。
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それは何でそのタイミングで戻ってきたんですかね。
そうですね。まず専門学校に行ってから、専門学校を卒業したら、行く前は実家に帰ることを一応視野に入れてたんですよね。
専門学校を出たら帰ろうかなと思ったってことですか。
そうですね。専門学校に入学する前は、まず専門学校を卒業した後は実家に一応帰ろうかなっていう考えではありません。
ただ、在学する中でお誘いがあったっていうのもあるんですけれども、
滝石病か。
うちの方で一緒にやらないかっていう話もあったんですけれど、実家が農業だったのでそっちの方でずっと働くという選択肢はなかったので、
メロンの栽培をちゃんと理解するまでの間っていうような決め事を一つして、
それを何年間って決めないってなるとだらけてしまうっていうのもあったので、
3年間っていうような期間を設けて、その3年間はしっかりメロンを勉強して、
3年後には一人でメロン作れるだけの知識をちゃんとつけて、その後に実家に帰ろうっていうような考えだったんですよね。
なので、卒業する段階、専門学校を卒業する時には3年間っていうような決め事をしてました。
なるほどね。それがその23年とかですね。
もうその時に完全に働いている頃から3年後にはメロンの知識をとりあえず多菌種類で得て、それを持って実家に帰るというつもりで働いていたってことですね。
なるほどね。
ただ、専門学校卒業してすぐに実家に帰るってなったら、もう他を見ないで実家に帰ることになってしまうんで、
それは視野が狭くなってしまうなと思ったので、どこか勤めるっていう経験が必要だなと思ったので、
それ、多菌種類じゃなくてもよかったんですけど、一回社会人としての多菌種類で勤めるっていうのを経て実家に帰るってことになったって感じですね。
それはね、視野を広げる意味ではいいですよね。
確かにね。
それはもうその判断はすごい良かったなって結果的にすごい思いましたね。
そうですよね。
やっぱり一回会社員を経験してるっていうのはね、ずっと農家でいるのとまた違う視点が絶対あると思うんで、
それはね、視野を広げるっていう意味ではとても良い経験だとは確かにね、私自身も会社員から戻って農家をやっている身なんで、それは本当に思いますね。
そうすると、一応ね、もともとそういうつもりでということでしたが、3年間仕事を経てこちらに戻ってきて、計画通りというか、戻ってきて栃木県の方でメロンを始めようと。
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ただご実家は米博で、基本米と麦とかやっていて、今までメロンなんかは作ったこともないし、そういう設備もどうかみたいなね、
もともとご実家だから、そこが使えるかなっていう目の見はあったんだと思いますが、とはいっても初めての実家の土地でやるから色々とご苦労があったんだと思いますが、
最初こちらに戻ってきて、メロンを実際に始めようとする時に一番苦労したことってなんだったんですかね。
一番苦労したのはやっぱり、人間関係、家族関係ですかね。
あ、そっちですか。面白いですね。いいですね。
俺はちょっと設備がという話が来るのかと思ったら、あ、そっちなんですね。
そもそも米博がメインでやってきているという中で、そこでも結構人手がどうしても欲しいという中で、
自分が新規でメロンを始めようとしたらそっちにも人手が取られるわけじゃないです。
ってなった時にどうやってうまく回すんだとか、今までのやり方だったら間違いなくうまくできないだとか、
あとは今までの実家の農業のやり方だったら間違いなく間に合わないなとか、
喧嘩も多くなってしまったりとかもしますし、
父親がメインでやってるんですけど、父親のやり方がある。
でもそのやり方に固執じゃない、固執って言ったら言い方悪いですけど、
そのやり方だけでやってたら周りがついていけないだったりとか、
っていうのがあったんで、そこをどう調整するかみたいな、
どう柔軟になってもらうかみたいなところが結構大変でしたね。
戻ってくる時はその前から、俺はメロンをやるよとかって、
ご実家には宣言して戻ってきたことなんですか?
それに関してはすごい両親が理解を示してくれたというか、理解してくれてたんですよね。
それはそれでいいよと、自分のやりたいことをやるみたいな。
自分のやりたいことはやった方がいいよと理解してくれてたんで、
そこは本当にありがたいなと思って。
他の家庭の農業の事情を聞いたりすると、やっぱりそんなに柔軟じゃなかったりするんですよね。
そこに関してはすごい理解を示してくれたんで、そこはすぐにやりやすかったですね。
ただ実際に帰ってきてみたら、あれ?みたいなところがあった。
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ちょっとさっきほどお話聞いたけど、基本戻ってくるベースでお米とかの面積も広げてたみたいな。
完全にマンパワー当てにされてたみたいな。
そういうのもあって、実際にメロンをやっていいよっていう理解はあったけど、
そんな中でも、じゃあ誰がどっちどうやるみたいな。
そんな余裕ないぞみたいな。
実際にメロンやってみたら、めっちゃ忙しいみたいな。そんな余裕ないと。
そこをどう調整していくかみたいな取り組みを頑張ってやってはいるんですよね。
実際作業するのに行き詰まったら、いろいろ調べてやればいいじゃないですか。
ただ人間関係でそうもいかないじゃないですか。
そこがその人とどう理解し合うかみたいな。
そういうところですよね。
今言ってるその人とっていうのは、それはご両親だもんね。
今までのやり方を変えようとしたときに、やっぱり会社員に勤めてるんで、
会社に近しいやり方に持っていきたいけど、そういうやり方でずっとやってきてないから。
ご両親はね。
例えば予定を決めるのに、天気次第だからって言われてしまったら、何も予定立たないといけない。
予定はいつまでにこれをやるって言ってくれないと、自分もそれに向けた行動ができないよっていうので、
石毛さん自身はお米の方も何か手伝うにしても、
その米がここでこういう作業をするって予定立ててもらえれば、
それに向けてメロンの管理だったり、栽培の方の計画を立てられるのに、
そっちをスケジューリングしてくれなかったら、いきなり手伝って言われてもできないでしょって言うことなんですよ。
今まで会社だったら、いつまでにこれやらなきゃいけないから、ここまでにこれやるよねみたいな。
全部スケジューリングされてたんですよ。
自分もスケジュール担当みたいなことをやってたんで、どうしても決めたかったんですよ。
それを決めるだけの情報をくれないんですよ。
雨が降ったら、雨が降るのはわかってるけど、いつまでにどうしたい?はあるでしょ?ってなかなか出てこなかった気がするんですよ。
頭の中に入ってるんですよね。
この季節のこの頃はあれやらなきゃなーっていうのはわかってるんだけど、
それを見えるかできないんですよね。
聞いても臨機応変で。
確かに計画してて、雨降っちゃったらできないとかなるのはわかるけど、仮にでも計画しようよみたいな。
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そういうところを積み重ねてプライベートも一緒にしてるじゃないですか。家族なんで。
そういうところでもちょっとした歪みが日常生活もそうだし、仕事上でもまたそれを引っ張るじゃないですか。
っていうのがどうしてもやりづらくて、っていうのが改善したくて。
それが一番大変だったかもしれないですね。
最初ね、始めた頃は。
それはね、今は何となくそれぞれの分担ができてみたいな感じになってきてる。
それを改善するためにこういう風にスケジュールを。
これはペイバックの。
なるほどなるほど。
こっちがメロンの。
なるほどなるほど。
で、全体の動きっていうのがもうこう、作業場の方にホワイトボードの方に全部書いてる。
あー本当ですか。えーすごい。
そういうそのミーティングみたいな、全体で会議する時間を週1回必ず設けようっていう話もしたりだとかして。
あーすごい。
っていうので徐々にこう改善されていったっていうような形ですね。
じゃあご家族で集まって、今週がやるんだっていうそういうミーティングをやるんですか?
とりあえず一週間の大体の、もう大体でいいから、ただ予定には書いてもらうみたいな。
えーすごい。
っていうのをして、それでもやっぱなんか揉めたりするんですよね。
だからもう毎朝もう朝礼みたいな形で、朝来たらみんなでこう集まって。
えーすごい。
で、今日の予定だったり段取りだったりを、その人の段取りをこう話して、
じゃあ誰が誰がどっちに行ったほうがいいよねみたいなのを朝毎朝やってるんですよね。
えーすごい。
みたいな感じで、少しでも揉めないようにスケジュールをちゃんと詰めていくみたいな感じ。
お家族の間でもそこまでやってるんですね。
そこまでの過程も結構長いんですよねやっぱ。
あーそうなんですか。
結局お互いのスケジュールが理解しなかったので、それぞれで行動して、
ほんとはここ手欲しいのに、でもそこ別に予定入れちゃったから手入れられないみたいな感じじゃないですか。
で、ちょっと揉めるっていうのも、それをスケジュールしとけば、
じゃあそこ開けとくねみたいなのできるじゃないですか。
休み欲しかったらそこもう休みますみたいな感じで言っとけば休める。
でもその日にならないとやっぱ結局動きって臨機応変だから変わってくるじゃないですか。
っていうので結局毎朝話さないと、それもまた揉めの原因だよねみたいな感じになって、
今となっては毎朝朝礼やることになったんですよ。
えーすごい!なるほど!
朝礼も結構否定が多かったんですよずっと。
あんなに必要ない。
朝の貴重な時間を朝礼なんかにやっていけないよみたいな。
まあ分かる気はするよ。
いやでもお互い必要な時間があって、そこを調整絶対しなきゃいけないのがそれが必要ですからね。
っていうので本当にうまく噛み合わせるために、今そういうような取り組みをしているみたいな感じです。
いやーすごい!なかなかでもご家族で朝礼とか改めて顔を合わせて朝礼としてやるって。
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かなり珍しいと思う。
気恥かしくないですか?
それはずっと当たり前だったんで。
会社員だと絶対それはありますけど。
俺は本当に全然最初の方はだめだったんですけど、親同士結構思いっきり揉めたときがあって。
親同士で?
それはもういろんな人で揉めるじゃないですか。
親同士で揉めたときにやっぱりあらかじめその日の朝のうちにどこにいてほしいって言っておけばなんなかったよねって話を言ってて。
もともと朝礼はやった方がいいって言ったけど受け入れられなかったけどここだって時にやっぱり朝礼するべきだよねって。
いいですね。朝礼するようになって。
そうなんですか。
いいですね。
私なんかもね、ぶっちゃけ会社員の頃はやっぱり現場で仕事してたりすると絶対朝のミーティングみたいなのがあるじゃないですか。
短い時間でもね。
それはそれで出て必要だと思ってたんですけど。
でもこっちに戻ってきたらやってないですね。家族の中では。
すごいですよね。
なんとなくなーなーで済ましちゃってますけど。うちはそんなに愚痴っていうか揉め事にも派遣しない方なんで。
なーなーでなんとなくお互いサポートできるときはできるみたいな感じで。できないときはもうしてもらえないから自力で頑張る。
なんとなくやってますけど。
なんか各々主体を持ってしまってるがゆえに。
うちなんかは結構私のナスがメインで両親なんかも野菜を作ってるけど、とは言ってもそれで別に事業っていうかでっかくやってるわけでもないから。
結構臨機応変にサポート入ってもらえるんで問題ないですけど。
お互いどんどんとやる柱をお互いが持っちゃってると多分そこ噛み合わせないと大変ですよね。
僕のことは父親しか分かんないし、アスパラのことは母親しか分かんないし、メロンのことは自分しか分かんないしってなったらもう擦り合わせがきつくなってきちゃうんですよね。
ていうのでそこがやっぱ苦労した部分ですかね。メロンを新規で始めようという。
そうかそういうスケジューリング、人間関係っていうかね。そっちの方が一番大変だったっていうのは確かに分かる気がする。
そういうスケジュールの擦り合わせとかも段々と2,3年かけながらなんとなくうまく調整とかもやりながら改良してきたところではあるんですが。
それと一方で栽培っていうところで結構苦労あるんじゃないかなと思ったのは
要はこの周りでというかあんまりメロンを作ってらっしゃる方って昔に比べたらそんなにいないんですよね。
ましてやちょっとさっき言いましたけど、あれは何栽培っていうのかわからないけどメロンが吊るされてるんですよね。
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立体栽培。
あれ立体栽培って言うんですかね。
なるほど。
普通メロンでね、私が知っているのは地肺というか土の上にツルが横に伸びていってそのツルのところにメロンがポンポンと下に置かれているようなメロンですけど
それは夏の間はその栽培方法でやってるんですか。
そうですね。
春か。春メロンは。
春に関しては地面に這わせて地肺栽培っていうのをやってそれが終わって夏から冬にかけて作るのはさっき見ていただいた立体栽培なんですね。
知ってました皆さん。
皆さんが普通食べてるメロンは春から夏前に出るそちらのメロンですからね。
でも秋にもメロン作れるんですよ。私知らなかったですけど。
そうなんですよ。今日見せてもらったのは秋から冬にかけて、冬といっても収穫が11月ぐらいとかでしたっけ。
11月に収穫されるようなメロンの方を見たんですが、立体栽培といってツル1本が上に伸びてそれを紐でつるす形にして栽培されているメロンの形なんですね。
見たことないでしょうから。ここのサムネに写真貼っておきますから。立体栽培の。見た目ね、完全にキュウリですよ。
見た目はキュウリです。そこに丸いメロンがぶら下がる形になるみたいなんですね。
とは言っても、なかなかあの栽培方法をやってらっしゃるのはこの近辺では何人ぐらいじゃないですか。
個人で作ってる方になるんで、数件ぐらいしかいないんじゃないですかね。
そもそもメロン作ってる方が少ないんで、知ってる限りは3件ぐらいしかないんですね。
地配の方は部会に入ってる方は12人ぐらい。
地配は12人ぐらい。立体栽培やってるのは3人ぐらいかと。
3人ぐらいじゃないですかね。詳しいことわかんないんですけど。
もともとメロンを作ろうと思って始めた時には立体栽培やりたいっていうそういうのあったんですか。
その時は地配など立体栽培あんま考えてなくてメロンっていう感じだったんですか。
そっちに関してはもうメロンを作りたいっていう気持ちだったんで。
本来は立体栽培っていう方を作りたかったんですけど。
もともとあの形で何かやりたいなと思ったんですね。
けどそれで部会の方に所属してて農協さんの方に出荷するってなったら1個の単価の割合が合わなくなってしまうんですよね。
なるほど。
なので量より質っていうものが立体栽培だとしたら質より量みたいな感じなのが地配栽培になるんで。
とにかく量を出すのに農協さんたちの方は地配栽培を作り始めたっていうような経緯ですね。
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じゃあどっちかと言えば農協に出すために春夏は地配でやってるって感じなんですか。
でももともと自分のやりたかったのは一つのものをこだわりたいっていう気持ちだったんで。
そこに原点回帰するってなるとやっぱり立体栽培で作りたいっていう。
なるほどね。
じゃあ春夏の地配でやってる方は基本全部全量農協出しでやるんですか。
そうなんだ。
なるほどね。
でこの秋冬というか今やっている地配が本当に自分のやりたいこだわりのやつで。
でちょっとさっき話を伺ったらこの立体栽培で作ってるメロンはもう農協じゃなくて今別の販路を探してるということで。
なるほど。
これ作り始めた時はお試しでちょっとの面積から作り始めたんだと思うんですけど
その頃から農協以外の販路っていうのは自分で色々と模索してた感じなんですか。
そうですね。本当にずっと探してて結局やっぱりなかなか簡単には見つからない。
難しいですよね。
なので結果結構自分で販売するっていう直販するっていうような形で今まで作ったものに関してはさばいてたんですよね。
それ直販っていうのはネット上に何かオープンしたりとかしてるんですか。
ネット上にも出してたりとかしますしちょうどいいタイミングに話が来てたりとかしたんですけど
やっぱり数はネット販売だとなかなか一気に出ないんで
一気に面積を作るっていうほどの量を作ったところでさばききらなかったんで
ECサイトだけだと量出ないですからね。
国道沿いとか県道沿いにテントを建てて
実際にもう路面で直売場を作って
そういうスタンスでやってたりとか
別の農産物直売場とかに持って行ってさばいたりとかしたんですけど
でも作る量が製品されてしまうのでさばききれるだけの量
ずっと取引先を探してたんです。
取引先が見つかればもっと面積作ってできると思ってたので
ずっと探したら今年円あってちょうど見つかったので
本格的に広げてやってみようという形で
なるほど。それはどういう経緯で見つけられたんですか?
新しい販売経路っていうのは
それに関しては自分がちょうど高校時代
宇都宮博洋高校の時に同級生だった人が
イチゴの方で新規で始めてて
そちらの方の方が農業以外のところにずっと出してて
今年の作から海外輸出の方にしてるっていう話を聞いてて
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そこの話を聞いてそこをつなげてもらったっていう形ですね
なるほど。高校の頃の同級生が輸出っていう
ちなみにその高校の同級生がなんで輸出というか
そっち始めたというかやったんですか?
心持ちは自分と似てる部分があって
本当にいいイチゴをとにかくこだわって作りたいというような思いを
その思いがすごい強かったっていうところで
農薬を使わないだったりとかそういうのを取り組んでたんですよね
そしたら実際本当に農薬を使わずに作れたってなって
取れるようになったと
その時にちょうど海外輸出の話がチラッともらったみたいで
話が入ってきたんですね
それで実際に話を聞いてみたら
実際輸出できるってなって輸出して
そこからパイプができたみたいで
高校の同級生のつながりでそっちに便乗してというか
そっちでメロンも流せるかということになって
今年一層が広げているということですね
じゃあ今のところ新しく作っている面積のメロンは
全部その輸出への販売ルートでやるかなと
そうですね一応輸出を予定はしてるんですけど
全量輸出しても輸出先が
それを全部さばききれるかという話にはなっているので
国内にも回すみたいな話がされてるんですけど
それでも農薬を使わないというような形では取り組もうと思ってた
実際本当は販路探して難しくて
一番苦労するのは
農協に出してやるのが一番お金を得るには楽ですけど
やっぱり農協だとどうしても市場価格じゃないけど
あれがあっちゃうから別のところを探したいんだけど
そうすると自分でその販路探しをするのが大変で
そういうのって本当どうやって見つけてくるのが一番
どういうのがいいのかなと思うんですけど今のお話みたいな
人との繋がりというのが一番見つけるきっかけになるかなという気は確かにしてますが
今回はこのメロンを作って
新しい販路まで道筋が見えたってところですが
次回は実際のメロン栽培にこだわっているポイント
そして石池さんの今後の夢みたいなそういうところも聞ければと思うので
また次回もよろしくお願いします
今日はありがとうございました