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ストーリーとしての思想哲学
【思想染色】がお送りします。前回からのお続きです。
前回話したような理由によって、人間の狼に対するヘイトが臨界点に達して
人間社会というものが狼を駆逐する方法に突き進んでいきました。
こうなるともう止まりません。狼は悪魔化されていくことになります。
悪魔化っていうのは、まるで狼が悪魔であるかのように、過度に悪く描かれるようになるっていうことです。
1800年代にグリム童話が書かれてますけど、赤ずきんとか狼と7匹の小やぎとか
この時代も狼は完全に悪者にされていることからも、狼に向けられている憎悪が伺えます。
また狩猟隊っていう狼を狩るための組織が作られて、狼を狩ることに対して賞金がかけられます。
これらの制度自体は元からあったんですけど、これまでとは本気度が違って
1880年代の賞金の額がですね、妊娠したメス狼が1等150フラン、オス狼が1等100フラン
この時の下級公務員の月給が70フランですから、かなり本気で駆除しに行ってるのがわかります。
今でも鹿とかイノシシを駆除すると奨励金が出ることがありますけど、こんなには出ませんよね。
1等狩ると公務員の2人分の月給が出るなんてことはなかなか考えづらいですから。
で、このように狼を駆除することに強いインセンティブが与えられたことの他に
人間側の装備が整ったっていうのもあります。
狼を駆除するのに必要なのが、まず訓練された犬、その次に獣科器です。
これらの装備が普及しだしてきました。
以上のような条件が揃ったことによって、狼はすごい勢いで駆除されていくことになりました。
狼は絶滅するんじゃないかっていう勢いで滅ぼされて、森の奥深くに追いやられて、そして今に至るというわけです。
だから逆に、今はむしろ狼は保護しようみたいになってますよね。
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エコロジーとか生物多様性の観点から、狼っていうのは恐れる対象から保護対象になりました。
これは今話したような経過をたどった後の結果であり、まとめるとこういうことです。
人間は狼をいつでも滅ぼせるくらい強くなって、実際滅ぼしてきました。
人間は狼をいつでも絶滅させられるから、だから狼は怖くなくなりました。
狼が怖くなくなったから保護対象にするっていう、ある意味で究極的な支配・非支配の関係性が成立しています。
はい、というふうに狼というものを生物としてではなくて概念として捉えると、歴史を俯瞰する良い補助戦になるので面白いですという話でした。
余談ですけど、何らかのものを概念として捉えるって、隠雄とか勧雄、いわゆるメタファーとかメトニミーっていう比喩表現を使うと良いです。
狼だったら、人喰いとか、童貌さの象徴として狼っていう言葉を使ったりとか、
そういうふうに隠雄とか勧雄みたいな比喩表現を使いながら、概念を補助戦として、アナロジーとして物事を捉えようとするっていう思考方法のことをアナロジーシンキングって言うらしいです。
というわけで、狼については終わりです。
次回もよろしくお願いします。