00:08
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、スポーツ哲学というジャンルがあるんですよという話をします。
スポーツと哲学とじゃ、全然関係がないように思えるかもしれませんけど、
これは哲学の手法を用いて、スポーツとは何かっていうのを定義しようとする動きです。
哲学といえば、世界とは何かとか、心とは何かみたいな、そういうことを考えるっていうイメージが強いと思うんですけど、
そのノウハウを使ってスポーツとは何かを考えている人たちがいます。
このスポーツ哲学って、何気に思想や哲学といった分野における最前線に位置していると思います。
特に、eスポーツとかは極めて現代的なテーマですよね。
じゃあ、スポーツっていろいろあるけど、スポーツをスポーツたらしめているものって何でしょうか?
サッカーと野球とゴルフに何か共通しているものがあるとしたら、それは何でしょう?
一応、今スポーツをなす3要素っていうのがありまして、
まず1つ目、ルールのある競争であること。
2つ目、身体的な活動であること。
3つ目、制度化されていること。
というふうに類型されていて、この3つの条件を満たすならスポーツであるということができると考えられています。
まあ、1つ目はかなりわかりやすいですよね。
ルールのある競争。
ルールがなかったらスポーツじゃありませんから。
スポーツ哲学的には、ルールっていうのは現実の世界においては特に意味のない縛りっていうのをわざと、わざと設けるという意味です。
サッカーならボールを手で持ってはいけないとか、
そういう現実の世界においては無意味な縛りをわざわざ設けているわけですし、
ゴルフだったらボールをクラブで穴に入れるっていう、こういうルールをわざわざ設けているわけですが、
このわざと現実世界では無意味なことをやるっていうのが大事で、
つまり意味がないということに意味があるというわけ。
これは本質的には遊びとは何かっていうテーマとも関連していまして、
03:00
遊ぶということがどういうことなのかっていうのはまた別の回でやりたいなぁとは思ってるんですけど、
スポーツにはこのような無意味さ、つまり遊びの要素があるからあんなに楽しいわけです。
次に2つ目、
身体的な活動であること。
これもとてもわかりやすいから説明不要な気もしますけど、
スポーツとは体を動かすからこそスポーツたり得ているのだっていうのは、
これは当たり前でしょうっていう感じですね。
ただ難しいのは、どこからどこまでを身体的活動と定義できるのだろうっていう点です。
例えば先ほどのeスポーツはスポーツなんでしょうか。
というか、わざわざeスポーツっていう名前をつけて、
普通のスポーツと区別している時点で、
我々はスポーツと似てるけどちょっと違うものっていう風に多分認識してるんですよね。
ではeスポーツは身体性を伴わないのでしょうか。
eスポーツってすごいハイレベルな反射神経とか指先の細やかで正確な動きっていうのは伴うんですけど、
プレイヤー自身が走ったりジャンプしたりはしません。
でも一方でeスポーツの選手は走ったりはしないんですけど、
画面の中のキャラクターはすごい身体的活動をしているんです。
格闘ゲームとかレースゲームとか現実以上のダイナミックさで、
仮想現実世界のアバターが身体性を伴う大きな動きをしています。
だから仮想の世界のスポーツ、仮想スポーツという意味でeスポーツと呼ばれているわけ。
じゃあやっぱり仮想スポーツではない普通のスポーツとは一線を隠しているのかっていうと、
これはちょっと別の論点が入ってくるわけです。
今、スポーツとデジタルってすごい融合しつつあるんですよ。
フェンシングなんかすごいわかりやすいと思うんですけど、
フェンシングって細い剣でお互いに付き合うやつですけど、
あの剣先、細いレイピアの剣先に剣先表示システムっていうのがあって、
フェンシングの剣の先っぽが光って、どのような軌道を描いているかっていうのが光で表示されます。
これを観客が観戦すると、まるでスターウォーズのライトセイバーで戦っているかのように、
フェンシングの試合を観戦することができます。
こういったスポーツのデジタル化っていうのがもっと進んでいけば、
今はスポーツとイースポーツとは一線を隠しているかもしれないけど、
06:01
近い将来はこれらの垣根っていうのはより一層曖昧なものになっていくんじゃないかなと思います。
それで、今はその過渡期なのだと思いますけど、
過渡期だからこそスポーツとは何かっていうのをきっちりと考えるスポーツ哲学を考えている人たちが出現しているというわけですね。
最後に3つ目、制度化されていること。
これは運営団体があるとか、コーチや監督がいるといった意味です。
これはそもそもスポーツとは観客がいるものであるっていうのが前提としてあって、
観客がいて収益事業として成り立つ余地があるからこそ、制度化されていくということになります。
逆に言えば、観客がいない、子供がやるような鬼ごっこはスポーツではないということになります。
でも大人が本気でやるエクストリーム鬼ごっこだったら、これは十分スポーツになり得る余地があるとも言えます。
はい、今言った話はすべてスポーツ哲学の最も基本的な土台の部分です。
ここからスポーツにまつわる様々な論点が議論されていく必要があります。
例えばさっきの三類型には出てこなかったですけど、スポーツマンシップっていうのがあって、これも重要な要素ですよね。
スポーツ選手っていうのは大人や子供たちのヒーローですから、選手には道徳的な振る舞いが求められることになります。
これは観客がヒーローに対して、ヒーローにはふさわしい振る舞いがあるっていうふうに求めていて、
この観客の求めに選手は応じなければならないということになっています。
ヒーローにはふさわしい品格っていうものがあって、観客は無意識にそれをスポーツマンシップという形で選手に求めています。
これはまさにeスポーツが今直面している課題なので、スポーツ哲学を用いた議論がなされている途中です。
簡単に言うと、eスポーツの競技者が単なるゲームの上手い兄ちゃんからスポーツマンシップを持つ選手にならないといけないわけで、
なおかつその運営団体も相応の品格を持たないと、社会に受け入れられて市場として大きく成長していくことができないだろうっていう課題ですね。
これらスポーツビジネスとかスポーツマネジメントっていうのは、ここ最近の成長分野ですから、
興味がある人はスポーツ哲学の方も調べてみると面白いと思います。
09:02
ということで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。