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こんにちは、こんばんは。
瞑想20分間の後に、10分間お話しする瞑想マイクということで、スピーカー黒沢隆明がお送りいたします。お付き合いください。
まず今日は、瞑想20分と言ったんですけど、これは欲なのかな。欲を欠いて、もう10分延長して30分やりました。
まず始める前に、私は先週、金曜日と土曜日にお店を休みいただいていました。
それは体調が悪くなってということだったんですけれども、あくまでそのけじめとしてといったらあれですが、
これはどうにか対策や改善というか形を、決意の意味も込めてやっていきたいなと思います。
これをしないと、これからのことに向かっていけないかなというフィードバックをしないとという意味もあったので、今回まずお話ししておきたいと思います。
次から次へと思考が巡ったり、瞑想っていろんなことが起こるんですけれども、
一方で、すっと世界が明るくなっている瞬間があったりします。
そういったものの中にすごく囚われている感情からの離脱だったりとか、執着からの解放だったりとか、
逆に言えば今回みたいに20分やってみて、ちょっともうちょっとやってみたくなって欲をかいてもう10分追加したとかっていうことが、
僕の場合今回は欲として見えたなっていうのがあったんですけれども、
何だろう、欲。
無から有が生まれて、有から無が生まれるというか、すごく面白いなと思っていて、
陰陽のような形をした図ですよね。
マガタマみたいなのが2つ組み合わさっている図なんですけど、
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何だろう、例えば意味のあるものを求め続けていくものに真の意味は宿らないとか、
逆にすごいマジョリティを生んでいくような流れの中にそのマジョリティが一転する何かの要素が含まれていたり、
いろんなことがあると思うんですけれど、
抽象的に考えるのが好きだからこういうふうに思うのかなとも思うんだけれども、
具体一つ一つってすごくストーリー性があって面白いと同時に、
一つ一つのストーリーそのものは自分のものではないわけなんですよね。
そこに共感性という言葉も混じってくるわけだし、
じゃあそこに興味がないかというと、
ストーリーを帯びたものにすごく惹かれるというものも自分の中にはあるし、
一方で自分の価値観に照らし合わせると、
そのストーリーには乗れないなって思う部分があったりとかってあると思うんですけど、
なんかこの2つの性質って面白いなと思いました。
ストーリーテリング、物語性というものにすごく人間は惹かれるということと、
あと構造理解というものを好きな人間だったりとか、
そういう頭の使い方、癖の使い方、あ、違うな、
人間としての性質があるということですね。
勉強してて思ったんですけど、
名前をつけるということは、
名前をつけたそのものとそれ以外を分けるという行為になるんですよね。
自分なのか自分以外なのか、
世界とはどういう概念なのかとか、
それは人によって違うと思うんですけれども、
例えば和紙という鳥は和紙であって鷹は和紙ではないわけですよね。
同時に和紙は鷹ではないわけなんですけど、
そのものとそれ以外と分けるというものがあったときに、
身の回りのものというのはやっぱり結局認識をされ続けるので、
その認識という中ですごく分別する作業というのが日常的に起きていくんだけれども、
分別をしない領域の話というものが急に現れたときに、
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そのものそれ自体を分別して名前をつけてそれとそれ以外に分けるのか、
それともそのストーリーというものを吸収して文脈の中でそれを理解するのかということが起こると思うんですよね。
もしくは同時に起こると思うんですけれども、
なんかその両輪っていうのがすごく大事であると同時に、
世の中で例えば日本酒というものに対してこだわりを持って発信していく人たちというのは、
もうその日本酒に対してこだわっていく力を発揮していくという状態で発揮するからこそ、
より日本酒に対して力を発揮していくというものなんですけど、
それは日本酒というものがそうじゃないものと分けられるものであってという概念がその人の中で走っていて、
そこに対してストーリーも同時に帯びていくということだと思うんですよね。
なんかよくわかんなくなってきたけれど、
なんかこう違うものに触れると、
人間じゃない限りはそこにストーリーはないわけですよね。
ああそうかそうかそういうことか。
人間が司っているもの、人間そのものなどにストーリー、もしくは動物でもいいですよね。
感情がちょっとでも移入するような存在に対して、文化歴史そういったものの積み上げに対して何か進めていくと、
その専門性がどんどん進んでいって、
一方全く無知なものが存在するとしたら、
全く無知なものに対して初めて出会ったところに、
そこにストーリーは存在しないわけだから、
そこにストーリー性ではなくて、
そのものそれ自身とそれ以外とを分けるという行為が始めるということだと思うんですけど、
なんかこう深さと広さみたいなものの、
知識とか経験に対する広がり方の違いというものを感じました。
構造理解とかそのもののストーリーもそうか、
初めてのものに対して味わうときって一つずつしかやっていかないんだけれども、
自分がその性質を持ってその事柄を進めていくときには、
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もうストーリーも帯びているし構造も認識としてしているという違いがあるんだなと思いました。
ちょっとこれはすごく抽象的な表現であれだったんですけど、
なんか瞑想した後らしい、30分した後らしい挙動だったので、
僕個人としては面白く思っています。
いや古典ラジオの竜面白かったな。
古典ラジオっていう好きなラジオがあって、
それ竜についてだったんですよね。
ぜひ詳しい、気になる人は聞いてみてください。
YouTubeでも聞けますよ。
それでは。ありがとうございました。お付き合いいただきありがとうございました。