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ストーリーとしての思想哲学【思想染色】がお送りします。
今回は、建神主義者ルナチャルスキーについてです。
建神主義は、建築の建に神と書きます。
英語だとGod Building
神像の神を建築しようっていう、ソビエト連邦におけるかなり癖の強い思想です。
建神主義の主要な人物は、アナトリー・ルナチャルスキーという人で、ソ連において霊人から文部大臣まで任せられた、いわゆるソ連の大物です。
ソ連の思想なわけだから、マルクス主義の一種ではあるんだけど、マルクス主義の異端という扱いを公式には受けてます。
でも、異端思想って非常に面白いですから、紹介してみたいと思います。
前提として、もう名前からわかるとは思うんだけど、建神主義は無神論から出発しています。
建神、神を建築するという発想がもう前提として、神なんてものはいないから、ソ連当局にとって都合のいい宗教を作り上げて、民衆に崇拝させようというふうに言っているわけです。
わかりやすいように時系列を整理すると、建神主義が出てきたのは、ロシア革命が起こる時、革命前夜の時代です。
まさにドストエフスキーが小説の舞台として描いていた、正規末と呼ばれていた時代ですね。
革命前夜の時代、やはり正規末って呼ばれていただきあって、北斗の拳みたいなヒャッハーな雰囲気だったわけ。
こういう正規末には本当いろんな思想が出てきて、建神主義みたいな人造の神を作るとかいうクソ強い思想も出てきて、めちゃくちゃ面白いです。
ただ、真面目に建神主義に当たってみると、結構妥当性があることはわかります。
レーニンは建神主義を否定したけど、理論的には割と説得力のある説明がなされています。
建神主義者にはゴーリキー、マクシム・ゴーリキーというロシアの有名な文学者もいました。
ゴーリキーはドストエフスキーよりも少し後の人ですね。
このゴーリキーの母という小説の一節が建神主義を端的に表していますので、引用してみます。
聖なる場所は空っぽにしておくべきではない。神が生きている場所は心の痛む場所でもあるのだ。
ソビエト連邦は宗教を唯物論によって否定しています。
でもそもそもなぜ人々が宗教を信仰していたかって話なわけですよ。
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現代よりも苦しみとか、死が身近な時代、身内がなくなった時とか、人生の意味などを考えこまざるを得ない時、心の奥底の聖なる場所を空っぽにしておくことはできない。
唯物論だからソビエト連邦的にはそんなものは物理的には存在しないんだから考える方がおかしいんだけど、でもそういう世界観はちょっと無理があるでしょうって言ってるわけ。
まあそうだよねと思います。
でもソビエトはあくまでマルクス主義だから宗教を認めるわけにはいかないわけです。
したがってキリスト教をはじめとする宗教を認めるわけにはいかないが、民衆の心の奥底の聖なる場所を空っぽにしておくこともできないという対立するテーゼとアンチテーゼが同時に存在するということになります。
そうすると論理的には、じゃあ科学的社会主義をベースにした人造の宗教を作って代替させようという発想になるのは、論理的にはごく自然であるように思えます。
人間にはファクトとして宗教感情というものがあるが、科学と矛盾しない新しい宗教を作ることで、心の聖なる場所から発される感情を発散させようというのが、これが献身主義の目的であるという話でした。
では次回に続きます。