1. ストーリーとしての思想哲学【思想染色】
  2. #85 続・建神主義 社会主義的..
2024-09-01 05:11

#85 続・建神主義 社会主義的人間

サマリー

このエピソードでは、建神主義についてと、それに関連するマルクス主義の立場を探求します。特に、社会主義的人間がどのように神として認識されるに至ったのか、その背景や理論的根拠が説明されます。

建神主義の概要
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、建神主義の目的についてしゃべりましたので、引き続き、次は内容について触れていきたいと思います。
とはいえ、建神主義は霊人に否定されてしまったので、具体的な宗教教義を定めるところまでは行きませんでした。
なので、内容といってもコンセプトだけなんだけど、宗教という形式を満たすためには、象徴と儀式の2つが必要です。
宗教の最も象徴的なシンボルとは、その宗教における神、キリストやヤハウェ、アンラーなどの神であるわけですが、
ソビエトは科学的社会主義を標榜している以上、スピリチュアルな神を打ち立てるわけにはいきませんでした。
そうすると、論理的な必然性によって、完全な社会主義的人間こそが神なのだという、こういう方向に行かざるを得ないということになります。
もうこの時点でちょっと面白いんだけど、でも同時に、確かに論理的には、そうせざるを得ないよねと、ロジックとしての説得力を感じる部分もあります。
スピリチュアルな神ではないんだけど、何か神的な現実存在としての人間、これは献身主義においては、数百年後に完全な社会主義的人間、
それは死さえも克服した完璧な人間がいずれ現れるとされました。
社会主義が推進する高度な科学技術によって、死ぬということさえも、克服した完璧な人間がいずれ現れるはずだ、そしてそれこそが神なのだと、こういう理屈なわけですね。
ルナチャルスキーはこう言っています。
神は未だ誕生していないが、現に創造されつつある。
では一体誰が創造しただろうか。
我々が現に生きているこの歴史的瞬間に生を営んでいるプロレタリアートであることは論を待たない。
神、それは未来の人間である。
ここから見て取れるのは、マルクス主義によって共産主義社会が到来した結果として、未来に神が誕生することになると言っているわけだから、
だからあくまでマルクス主義の方が上位にあって、神はマルクス主義よりも下にあるんだと、こういう構図になります。
宗教なんだけど、神よりマルクス主義の方が偉いという、結構異例の構図だし、そうすると一番偉いとされるマルクス主義こそが宗教なのではないかと思わせます。
献身主義の撤回
実際そういう面はあると思います。
マルクス主義を一種の宗教とみなし、マルクスを超一流の宗教理論家とみなすという捉え方も全然ありますからね。
実際、少なくともルナチャルスキーなんかはそのような捉え方をしていたのだと推察されます。
しかしながら、ソビエットにおいて霊人は絶対でしたから、霊人の批判を受けてルナチャルスキーは1923年に献身主義を公式に撤回しました。
霊人的な無神論は戦闘的無神論と言って、強硬な態度で宗教を抹殺するというものでした。
だからどのような形態であれ、宗教の復活は断じて許さない。
宗教はその教義、シンボル、そして制度を破壊して、人々の意識の内容に潜む宗教的偏見や宗教感情をも根絶することを目指すという戦闘的な無神論でしたから、
これに屈する形で献身主義は撤回され終わりを告げました。
歴史にもしも意識を求めてもしょうがないんだけど、
もしもソビエト連邦が献身主義を採用していたら、どのような教義になっていたのか、どのような神が作られていたのか、興味深いです。
もしかしたらディストピア小説に出てくるような漢字になっていたのかもしれません。
ジョージ・オウエルの1984年のビッグブラザーとか、
Hack3の素晴らしい新世界の頭を切り落とされた十字架っていう意味でT字架っていうのがあるんだけど、そういう漢字になっていたかもしれません。
はい、というわけで今回はここまでです。
また次回もよろしくお願いします。
05:11

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