1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #124 【ハイデッガー雑談】哲..
2023-07-02 51:52

#124 【ハイデッガー雑談】哲学者のすごさって何?/現存在的キャリア相談/次回から中国思想へ

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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サマリー

ハイデッカーシリーズの内容に加え、彼の哲学的なアプローチや影響についても触れられました。ハイデッカーは哲学者であり、本来的な時間で生きることを提案していますが、その価値観は現実の制約と矛盾することが示唆されています。また、未来の自分を想像し現状を比較することの重要性についても話されました。次回からは中国思想について探求する予定です。

ハイデッカーシリーズの難易度と準備
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ハイデッカーシリーズが前回で終了ということでしたけれども、なかなかの難易度でしたね。
お疲れ様でした。ついてきてありがとうございます。途中で説得も一回挟んでしまったけれども。
どうだった?やる、伝える方としてはどうだった?今回の。
それが結構ね、目論みが失敗したっていうか、どうだったみたいなところがあって。
フッサール、ハイデッカーでメロポンティまで行って、原子力学やっていきましょうとかって言ってたんですよ、フッサールの時に。
ハイデッカーは大変だっていうのはなんとなく見えてたんで、前から本を読んで準備とかしてたんですよ。
ああ、そうだったんだ。
これ、よっしゃ、いけるって思って、改めてフッサール回終わったぐらいでハイデッカーの台本作ろうと思って、もう一回読んだんですけど、
あれ、ハイデッカーって原子力学じゃなくね?みたいな。
ああ、そうなんだ。へえ。
原子力学じゃないっていうか、間違いなくフッサールの弟子だし、原子力学的なことを元に考えてるんだけれども、
途中でも話した、フッサールの時って一人称視点でこの立場から見ましょうっていう、ここから世界を作っていきましょうって話と、
ハイデッカーは世界内存在だから、世界もちゃんとあるっていうところから考えましょうみたいな話をしてたじゃない。
うんうん、ゼロではないとかね、全部忘れるわけじゃないみたいな話が途中あって、うんうん、あったあった。
で、あれがハイデッカーの台本を作る時に気づいたのね。
ああ、そうなんだ。
フッサールの時とかに、原子力学の流れでそこまで行っちゃいましょうって言ってる時は、原子力学の土台だと思ってたんだ。
そうそうそうそう。同じような考え方だと思ってたのよ、世界内存在を。
へえ。
でもなんか読んでたら、あれ違うぞってなって、どうしたのみたいな。
はいはいはい。
そっから、世界と関わる自分とか、原存在と自分って何かみたいなところを、なんか不思議になって、またもう一回本とかも全部読み直して。
ハイデッカーの台本作成とハイデッカー理解の困難さ
なるほど。
解釈というかね、ハイデッカーとは何ぞやをハイトの中でちょっと構築しないといけなかったんだね。
そうそうそうそう。結局なんかその本とか3回くらい読んでて、やっぱ読めてないってこういうことなんだなみたいな。
おおおおおお。
まあまあ、読めたかどうかちょっとわかんないですけど、でもそういうのを自分の中でもやってたから、こういう台本作ったのね。
ちょっとやっぱり兄貴に伝わってきてるとか。
うんうんうん。
ちょっと難しいっていうか、面白みが、エンタメ感がない台本になっちゃったかなっていうちょっと反省をね。
それこそ大学の講義みたいなね。
そうそうそうそう。
まあでも難しいよね。自分の中でその新しい解釈というかさ、その情報というか、ハイデッカーが自分の中でアップデートされるわけじゃん。
うんうん。
でもそれってその気づき?これ原子音楽とちょっと違うじゃんっていう気づきって、たぶんハヤトというか気づいた人にとってはすごく発見なんだけど、
そうだね。
それがじゃあ自己消化されたかみたいな話。
たぶん消化される前の段階でアウトプットをもしなきゃみたいな、その難しさがあったのかな、なんか世界から発見した楽しさはあるんだけどみたいなね。
あるし、やっぱなんか自分の中で原子力とか思ってたんですけど、実は違くてみたいな話をしたとしても、なんかあんまりそのハイデッカー理解に役立たないというか。
それってさ、ハイデッカーをフッサルと比較して読んだ上で初めてわかる驚きだから。
うんうんうん。
別にね、そんな風にはならないじゃん、別に兄貴とかもさ聞いてて。
まあまあね、一応フッサルのストーリーだからね、そういう風に説明してもらってもいいかもしれないけども、ちょっとなんかね、なんかハイレベルすぎる気がする。
そうそうそうそう、なんか欠落が出る前提への話になっちゃうからさ。
うんうんうん。
とか思った時に、なんだ、そういう難しさもあるし、あと途中でも言った通りハイデッカー自身が挫折してるとか取り組みがうまくいかなかったとか、
あとやっぱその哲学だけじゃなくて、そういう芸術とか美術はそもそも人間とは何かみたいな、そういうのを考えるのに役立つよねっていうのもあったんだけど、
そっちに寄せすぎちゃうと、なんかハイデッカーが言ってることから離れちゃうみたいな。
あー、なるほどね。
そう。
そっかそっか、その面白さを伝えるためにハイデッカーの基本、ハイデッカー入門みたいなところは抑えておきたいんだけど、
そのハイデッカー入門のレベルがちょっと異常すぎて、そっちにたどり着くのが難しかったみたいな。
そうだね、入門イコールが全てみたいな感じがあるから、一応まさに知ったら自由が知れるんだけどその一応知るのが難しいみたいな。
なるほどね。
多分ね、そういう感じがあったのかなみたいなのを今日は話しながらとか、兄貴のリアクションとか聞きながら思ってたんですけど、
でもなんかすごい楽しかったけどね、話してる方としては。
その難しさも含めてみたいな。
難しさも含めてだし、やっぱりそういう現存在とは何かとか、
世界内存在っていう世界と関係する自分としての在り方みたいなことは何となく伝えられたんじゃないかなと思っているのよ。
そうだね。
だからやっぱりそういう考え方って普段しないよねとか、
やっぱり人が物事を考える、普段とは違う考え方になるよねみたいなところの参画は何となく伝えられたんじゃないかという気がしてて。
はいはい、なるほど。そのエッセンシー部分ね、そのハイテク感ね。
やっぱそれがね、鉄道ラジオをやりたいとかやってる自分のモチベーションでもあるから。
もちろんね、そのハイテクは実際はまた取り上げたいなって思うぐらいもっと深みとか広がりがある制作者ですけど、
マンセに言ってくれたエッセンスみたいな。物はちょっと盛り込めたんじゃないかなみたいな。
そういうちょっと自己満足ですけど。
っていう面白さかな。
はいはいはい。
どうだったその実際、なんかこのハイデッカー6回分ぐらいかな、通して聞いてもらったとかね、いろいろ話してきたけど。
ハイデッカーの存在と影響
そうね、実際やっぱ今ハヤトが言った特にやっぱ現存在とか、そこの面白さはあったんだけど、
今回やっぱり今ハヤトが言ってくれたようにさ、なんかこうハイデッカーの存在が大きすぎてさ、
どっからかじっていいのやら、どっから掘り進めればいいのやらみたいな難しさがすごいあったと思うんだけど、
なんか存在と時間っていう本が未完なのは聞いたことがあるというかなんだけど、
実際ほら、その存在自体の証明に失敗してるみたいな話があって、そもそも。
なのに20世紀最大の哲学者みたいなことを言われちゃってるっていうのは、どこがすごいのか。
例えば一般大衆というかさ、自分みたいな哲学も知らない一般人からしても、
みんなハイデッカーすげーって言われてるのか、それともミュージシャンズミュージシャンみたいなさ、
プロから見るとこの人やべーみたいなさ。
どういう感じで、誰がどうやって最大の哲学者って表してるのかなーみたいなのは。
あと何が功績だったのかっていうとこはね、ちょっとあるのかなって思った。
はいはいはい。それで一個訂正というか、伝え方がよくなかったなと思ったんだけど、
存在っていうものの証明に失敗したってわけじゃないんだよね。
哲学に挫折したっていうのは前回言ったんだけど、証明できなかったとかっていうよりは、
逆にそれをハイデッカーは分かってるし、分かってる人たちが語るんだけど、
それを聞いてる側からすると分からんみたいな状態になっちゃったっていうほうが正しいんだよね。
ほうほうほうほう。
要はその、存在の呼び声みたいな言葉があるんだけど、
要は人間が能動的にそういう存在っていうものを捉えるんじゃなくて、
存在っていうものが誤解を恐れずに言うと、民みたいなものになっちゃって、
それの声を聞く、だからそれを受け取るしかないんだみたいな、人間は。
前回あったよね。そのハイデッカーも後輩になると表現方法が変わってきたみたいな。
そうそうそうそう。何回だったっけ、何言ってるんだみたいな言い回しになったよっていうのも、
それで要は、信じるみたいな要素が入っちゃってるんじゃないかなって僕は感じるよね。
要は存在っていうのがあるっていうのは、信じるしかないというか。
なるほど。だからそこが難しいってことなんだね。
そこを証明するために現存在を作ったんだけど、やっぱりそれだと難しくて、
やっぱ存在ある方から前提にして、伝えた方が伝わりやすいんじゃないかみたいなものを、
ハイデッカーは色々試行錯誤してたとも言えるってことなのかな。
すごい自分の中ではわかってるんだけど。
その世界っていうのをより正しく表せるんじゃないかみたいな。
だから結局、前回言った通り哲学自体も時代とか文化とかっていうのにどうしても規定されちゃうとか、
自分が作った、哲学者一人が作った哲学っていうのも、その世界の中に回収されちゃう、もう一回。
みたいな感じで、哲学っていうのは世界の外側に哲学だけあるっていうふうにはならない?
そういう意味で哲学自体の限界があるよねっていうのは、でもそうなのかなって思ったよね。
哲学だけが特権的な学問で、他の学問とか世界は全部記述できるよみたいなふうに言えない?
そういう意味ではそうか。存在っていうものにはちゃんとアプローチしている。
ハイデッカーは多分そう言っている。これはわかってるぞって言ってるはず。
はいはい、なるほどなるほど。
じゃあその難解さも含めて、哲学者だったりとか、興味ある人たちがやっぱりこの人すげえやっていうふうになってるのは間違いないって話なのか。
やっぱり何を持って今世紀最大とかって言うかって、なかなか難しいんだけど、
例えば後の哲学者に与えた影響、それがサルトルであれ、それこそデリラであれってあると思うんだけど、
やっぱりハイデッカー以降の哲学者はなんだかんだハイデッカーの影響を受けているよねみたいな。
あーなるほど、はいはいはい。
そういうのが一つあるのと、あとやっぱり最初に言った通り美術とか芸術とかっていう文化にもすごく影響を与えてるんだよね。
そういういわゆる世の中的への広がり、
あらかじめマスコミがめちゃめちゃ持ち上げてすごく一般大衆に広がりましたとかではないとは思うんだけど、
そういう価値観をいろんな人に与えて、その人たちがハイデッカーの価値観とか考えの下にいろんなことをしているみたいな。
あーなるほど、そっか。音楽で言うとエルビス・プレズギンみたいな感じなのかな?
ロックの神様みたいな。
名前は聞いたことあるけど。
ハイデッカーの思想の背景と限界
神様って言うと、ここも適なこと言っちゃうと、ガチな音楽ファンからするとちげーだろってなるかもしれないけど、
ロックっていう仕組みを作って、それをテンプレートをもとにいろんなバンドが、もちろんエルビスが最初じゃないかもしれないけどね、
もうちょっと先にそういう人がいて、さらにそれを大きくして、そこへロックってものが生まれて、ビートルズだ、エギリスだ、アメリカだみたいなのがあると思うんだけど、
すごいそういう感じがしたハイデッカー。
それは近いかもね。やっぱりハイデッカーもフッサールっていう人がいたりとか、ブレンターノっていう、やっぱりやってた人の流れの中で、
自分の独創的なというか、もちろん土台をもとに自由な発想をした人だから、音楽とかもそうかもしれないよね。
マック一人が0から1で独創的なものをやるというよりは、いろんな要素とかを学びながら、自分でそれを表現したってことだと思うから、結構似てるかもね。
思想というか、哲学そのものもだし、洋好きというか法好き、テンプレというか、そこがすごかったのか。すごい勝手に納得した。
どのジャンルにもそういう人はいるだろうね。創始者とか中高の層みたいに言われる、盛り上げる人っていると思うんだけど。
それがたぶん20世紀で一番輝かしいというか、印象に残っているのがハイデッカーってことなんじゃないかな。
なるほど。すごい納得した。わかりやすかった。その後の影響力みたいなことを言われると。
難しさもあるけど、機会があったら、ぜひその存在の後編の、信じるしかないのだって言ってるハイデッカーも聞いてみたい気もしたし。
そうね。ぜひぜひそれも取り上げていきたいなと思っております。
今回、支援の先駆とか、未来の可能性というものが先取りしてそこに向かって生きるんだみたいな話をしたときに、
パニキがそれってよしよしじゃないけど、結構いろんな問題がありそうだよねみたいな話をしてたじゃない。
あったと思う。
覚えてる?その辺の感覚とか良かったら話してみたいなと思ってたんだけど。
前回かあれだけど、ハイデッカーがやろうとしたことがさ、
それこそ哲学に挫折したとか、現存在を使っての、これ木田玄さんが言ってたやつだっけか。
そもそも存在と時間というものをやっていこうとしたときの、そもそも現存在を作ってっていうやり方が間違ってたんだみたいな。
あったと思うんだけど、あのときにちょっと思ったことがあって、
そのハイデッカーがやろうとしたさ、現存在で、本来的時間、なんだっけ、何の時間だっけ。
非本来性の時間と本来性の時間の2つだね。
その非本来性の時間でいくと世人になっちゃって、
今、この現在的な時間で生きて、自分の考えも持たずに引っ張ってきた。
世の中にあるいろんなものとか、感覚を引っ張ってきた、ある意味自分の頭で考えない系の現存在になっちゃうよ。
それはダメで、本来性の時間、少し未来を見せてというか、そこにはしごをかけていくような生き方の方が尊いんだみたいな感じ。
多分ハイデッカー自身が持っていただろうみたいなね。
そこに、そうすると当時の人間中心主義というものの乗り越えにはならないんじゃないかみたいな。
それの乗り越えとしてハイデッカーは本来的に時間で生きるべしみたいな、
ちょっとそこはハイデッカーの思想が入っているんだなと思った瞬間だったんだけど、
哲学で何かを冷静に分析するというよりは、
ハイデッカーのモチベーション、もともとのモチベーション自在的な背景から、
何でこんな流されるような人間が多いんだと。
自分の頭で自分の思想、自分の哲学を持てというのがもしかしたらあったのかなと勝手に想像した瞬間があったときに、
何でそれがうまくいかなかったかとか、うまくいかないのだろうかというのを、
ちょっとハッとというか、自分的に面白いなと思ったことがあって、
今前提がすごく長かったんだけど、
という前提の上で思ったのが、
個人と全体の関係性の問題
例えばハイデッカーが言う、全員が本来性の時間で生きるべしと、
みんな感覚で生きるべしとなっちゃうと、
よく言う、例えば人間で言うと、
すごく良さそうじゃん、全員が自分の頭で考えて本来性の時間で、
すごく良い感じ、ユートピアな感じがするんだけれども、
人間で言うと、よくある全員が経営者だったら、
もし全員が経営者だったら、会社って組織って回るんですかねと、
扇動往復して船、丘、登るみたいなさ、あるじゃん。
丘、山?
山だっけか、山登るみたいな感覚にちょっと近いのかなとか、
そういうふうな世界になっちゃうのではないかと。
さらによくある、働き有りとかでもさ、
100いたら20が実はほとんど働いてて、
残りは結構ダラダラしてたりとか、
他の20なんて実際60はサボってて、
20は働いてもいないんだみたいなさ、あるじゃん。
一番の働き有りの20をそれだけより集めて、
一つの集団を作ると、
その中でもさらに上の20が働いて、
60と20がサボり出すみたいな、あるじゃん。
ハイデッカーが言う、
全員が本来その時間で生きるべしっていう理想っていうのは、
本当にすごいことだし、
個人個人、人間一人一人で見れば、
それはその通りだと思うのね、個人的にも。
なんだけれども、
仮にそれが実現されてしまった世界が訪れたとすると、
今のありのようなことが起こるのではないかと、
全体で見るとね。
ここで見たときと全体で見たときの、
ユートピアというか理想と現実って、
違うんじゃないかなみたいな。
そこが、たぶんハイデッカーの良さでもあり、
限界みたいなところにぶつかったというか、
そこが面白いなと感じた。
そこには理想はその通りなんだけど、
実際になったら無理じゃんっていう。
集団崩壊するじゃんみたいな。
だから無理なのかなみたいな。
ハイデッカーの価値観の独善性
その理想の難しさ感じたなと思って。
確かにそうだよね。
その辺っていろんな問題がたぶん含まれてて、
そもそも個人と全体って分けれるんだっけみたいな。
普段は個人の集まりが全体だっていう風に考えると思うんだけど、
でもやっぱり全体も個人の影響を受けてるし、
個人も全体の影響を受けている。
そういうお互いやっぱりきっと切り離さないよねみたいな考え方っていうのも、
やっぱり最近どんどん出て、
最近というか、
21世紀とか哲学でも結構増えてるんだよね。
関係性とかさ、
自分と他者の問題とか、
っていうのもあるし、
例えば、
兄貴さっき例で全員が経営者になったって言ってくれたけど、
経営者になるってことが本当にその人の本来性の在り方かっていうと、
それはそれでまた違うじゃない。
ああ、なるほど。
別に従業員であることが自分の本来性の在り方でもあってもいいわけで、
別に働きたくないっていう人がいたら働きたくないっていうのは、
本来性の在り方だけど、
働かずにでも世の中で生きていくっていうのを、
今の例えば日本社会とか、
21世紀の地球っていう惑星の中でどうやるかっていうのはやっぱり難しいよねとかっていう、
いろんな問題が出てくるから、
やっぱりそういう広がりもあるし、
またやっぱりハイネクターの問題点っていうか、
僕が感じるところで言うと、
ハイネクターが基準を持ってて良い悪いの。
例えば本来性に生きる奴は良くて、
非本来性の奴はダメだみたいなものがあるとしたら、
それはすごく独善的というか、
俺の気に入る奴はいいけどみたいな感じの、
ちょっとそういう強いメッセージになっちゃうと思うんだよね。
まさにハイネクターの価値観とか、
途中でナチスに入党してみたいな話もしたと思うんだけども、
それがやっぱりたまたま時代の流れでそうなったのか、
ハイネクター自身がそういう思ってたのかっていうのが、
結構分かる意味になるのがその辺りらしくて、
やっぱりそういう俺の考えに従えみたいなものがあったから、
自然的にナチスみたいに入ったんじゃないかみたいな、
そういうことを言う人もいるんだよね。
なるほどね。
確かに例で言うと、
確かに全員が経営者とか全員が働き上げみたいな、
それこそ非本来性で生きてる人が良しとしそうな価値観で例えちゃったから、
すごいなるほどなって思ったね。
本来性っていうことは実はもっと多様な意味を含んでいて、
そんな非本来的なところで良しとされているものに向かうこととかじゃなくて、
どっちかというと現象学的なというか、もしくは現存在的な、
自分とは何か、この世界の中における自分とは何かみたいなところを素朴に考えた時に、
どこに自分のベクトルが向くかっていうことに素直になりましょうと。
素直にというか、そこをまず認識しましょうだよね。
そもそも認識してないことが多いからね。
認識せずに経営者になるのが良いとか、働くのが良いみたいな感じになっちゃってるから、
一旦冷静になりましょう、認識しましょうっていう意味で考えると、
そうだね、ハイテッカーの言ったとこも無理じゃない気がしてきたね。
そうね。
あいつ論破された。
論破してしまった。それはさ、やっぱりちょっと僕の年齢差別は価値観で読み取りすぎてるかなっていう感じもするんだけど、
多分ハイテッカーはどっちかというと、人間通信資源を乗り越えなきゃいけないとか、
やっぱりその第一次世界大戦前後とかの時代において、やっぱり人類の歴史っていうのはもっと良くなんなきゃいけないみたいな。
そういうのはやっぱり感覚的にはあっただろうし。
そこはありそうだろうっていうのは、可能性が高そうとかの感じだね、ハイテッカーの。
ハイテッカーが書いてるものとか言ってることを見た時にきっとそういう価値観があったんじゃないかみたいなね。
僕は今どっちかっていうと、人類が別に発展し続けるなんていうのも一個の価値観だし、西洋の、近代西洋のね。
今朝ね、フィンランドってよく幸福度が高い国みたいな話聞いたことある?
社会福祉が充実しててとかね。
国際的な調査でも幸福度ナンバーワンだみたいな。
言わないように言われたりするんだけど、やっぱりフィンランドの人たちはその調査を見てどう受け取ってるかみたいな記事があって、
言っても1000人ぐらいが答えたら調査だしねとか、
別に幸福度は知らんけど満足は知ってるから、満足度の調査って言われたら納得するけどねみたいなことを言ってるらしいのね。
はいはいはい。
ハイデッカーの哲学とキャリア論
だからやっぱりその幸福みたいなものも捉え方が違うしとか、
別に満足して、自分たちの例えば教育費は国が全部負担してくれる、医療費もただだったときに、
子どもが教育を受けて怪我とか事故があっても無事に生きていけるっていう世の中だったら、
そんなに悪跡というか、別に何かめちゃめちゃ富を蓄えるとか、すごいお金を稼いでやるみたいなことって必要ないよねみたいな話だとしたときに、
そういう価値観は価値観でやっぱりいいなと思ったんですよね、僕自身が。
なるほどね。セーフティーネットのどこまで高くするかみたいな話だね。
そうそうそう。
割とそういう考えを持った人間がハイデッカーの先駆とか、未来に出てそこに向かって生きていくとかって言ったときに、
そういう考え方もできるんじゃねって言えちゃうみたいな。
はいはいはいはい。
それちょっと都合よく解釈できちゃう部分も多分あるんだよね。
うんうんうんうん。
まあ逆に言うとね、それだけその根本的なというか、抽象的な部分まで踏み込んでるとも言えるっていう感じかな。
そうそうそう。
そっか、現代のハイデッカーとかいないの?
現代のハイデッカー。
今の時代をハイデッカーに聞いてほしいよね。
でもそれこそやっぱマルクス・ガブリエルとかなんじゃない?21世紀でやっぱり有名っていうと。
そうなんだ、いるんだね、そういう方が。
そういう方がいて。
あのね、ガブリエルさんもどっかで取り上げたいなと思ってるんだけど。
うん。
なんかでね、毎回名前を出した気がする。
世界はなぜ存在しないのかみたいな本を書いて結構有名になり、
なんかその、21世紀の頭脳だみたいな感じで結構ここで流行されることが多い。
でもなんかそう、手作の先生方というかさ、そういう方からすると、
まあまあ普通というか、そこまで最後ほどじゃなくねみたいなことをおっしゃる方もいるらしい。
それはなんか難しいね。
同時代に生きる他の人からのネタミソネミみたいなものにありそうだし、
本当に大したことないのかもしれないしみたいなのは。
難しいね。ハイデッカーもね、当時どんだけ評価されたのかみたいなネタミソネみたいなのあっただろうしね。
意味がわかんないことを言ってるみたいな。
そこは哲学の難しさ面白さな感じするね。
そうそうそう。
言ってもね、やっぱり大学っていう組織の中で動いてるものというのもするからね、哲学って。
確かにね、今生きてる自分たちが今生きてる時代を正確に捉えられるかっていう、どうしてもその限界とか難しさがあって、
それはハイデッカーとかは捉えられてたとすると、でもね、周りの人たちは捉えられてない人が多いと。
ただこれは50年100年経った後々、ある程度捉えられるようになった時に、
やっぱりあの人正しかったんだみたいなの方が多そうだもんね。
これまでの哲学の話とか聞いててもね。
そうだね。
やっぱり偉大な小説であれ絵画であれゴッコとかはそう思うけど、
生きた時にはあんまり評価されなくて、死んだ後にね、名声が高まるとかってあると思うんですけど。
それが本当に優れていたから評価されたのか、逆に口が釣り上がったから評価されたのかっていうのは難しい問題だと思うんだけどね。
なるほどね。
やっぱりそういう意味では、
それこそ第1回とかのスクラテスの時に言いますと思うんだけど、
じゃあなぜは2005、100年前とかそんな昔の人の考えを知って意味があるの?みたいな話ってあると思うんですけど。
それも当時の当然、ギリシのこととか、分かってた方が面白いとかあるけど、
分かんなくても、その言葉を受け取って現代に生かせるっていうのが人間の面白い能力だと思うんだよね。
なるほど。
ある種解釈学っていう言葉もあって、実はそれをハイデッカーが作ったというか始めた部分もあったりするんだけど、
そうなんだ。
あえて解釈から、間違ってるかもしれないけど、
キャリアの相談
そういう風に自分が受け取ったとか理解したとか意味を見出したっていうことには、それこそ意味があるというか。
はいはいはい。
ちょっと現存在的な感じがするね、それは感覚でいうと。
自分にとってどういう意味があるかっていうのは解釈の話だもんね。
うんうんうん。
正読で正しくテキストを読み取るっていう話と、やっぱり解釈するっていうのはちょっと違うけど、
どっちにも価値があるし意味があるよねみたいなことは言えたりする。
なるほどなるほど。意図としてはちょっと違うけどね、と。
そうそうそう。
難しいんだけどね、それもね、分けて考えないと、
それこそさ、これは自分の解釈だから、
式がこれでいいんですみたいになっちゃうとそれは固くなるっていうか、
アプリケーションができなくなっちゃうし。
うんうんうん。
それはなんか非本来性の直で生きてる感じがするね、それはね。
そうね。
前回はやと言ってた雑談の時に、
はやとのキャリアの仕事、キャリアデザイナーとしての感覚とも重ねて話ができるかもみたいな話してたと思うんだけど、
その辺の話ってあるの?
そうだね。
ハイデッカーから。
これは解釈の話になっちゃうんだけど、
ミライフっていう、解釈に今僕はいるんですけど、
ミライフって未来とifをつないでる言葉なんだよね。
はいはいはい。
もしも未来が○○だったらみたいなことを結構社内でも言うんだけど、
これは代表の瀬戸さんっていう人が考えてる社名なんだけど、
今例えば自分が、
例えば彼に営業として働いてますと、
いわゆるサラリーマンの営業として働いてますときに、
じゃあ、5年後でも10年後でもいいんだけど、理想未来はなんだ?みたいなことを考えるんだよね。
はいはいはい。
理想未来が営業として、
例えばめちゃめちゃこの会社の中で成果を出せる人間になるんだったら、
今いる環境っていうのは正しいんだよね、たぶん。
うんうんうんうん。
例えば、実は俺は映画監督になりたくて、
今すぐ本当は映画の勉強をしたいんだって、
10年後映画を作るためになったら、
今サラリーマンとして営業の仕事をやってるのは、
正しくないというか、適切じゃない環境なんだよね。
はいはい、なるほどね。
つまり、そういう未来を知ってたときに、
初めて現在の私とか、
その意味付けっていうのが、やっぱり明らかになるというか変わってくる。
うん、なるほど。
それこそあれだよね、自分にとって人生とは何だろうかっていう、
その意味を考えたときに、
今いる環境、仕事、
営業職というか、そういう仕事をして、
成果を出していって、
自分が勝負する会社に貢献していくことかもしれないし、
自分にとっての人生とは、
映画監督になることかもしれないし、みたいな話。
そうそうそうそう。
今回のハイテク的に言うと。
で、そうなったときにさらに、みたいな話だね。
どう端末を立てていくかっていう話をしてる。
そうそうそうそう。
やっぱりそこはギャップアプローチで、
本当に映画監督になりたいんだったら、
映画の会社に入ってもダメだと。
要は配給とかしなきゃいけなくて、自分で作ることができないから、
じゃあ本当に映画学校とか今から張り直します、
みたいなことが問題になってくるし、
これはその子の話も、
ハイテク監督にも過去が意味を持ってくるみたいな話をしたと思うんですけど、
じゃあ実は大学時代は映画学校にいて、
なんとなく4年間勉強したってことは意味を持つだろうし、
逆に4年間経済学部にいて、
そこでどんだけいい成果を出したとしても、
やっぱりそれは映画監督になるっていう未来には、
あまりプラスにならないよねっていうのが、
初めてそこでプラカンになる。
だから、例えばキャリアの相談とかをさせていただく中で、
やっぱり今やってることって無駄じゃないですかね、
みたいなことをポロッと目の前の人が言ったときに、
それは無駄かどうかは、やっぱり未来をどうしたいかが分かんないと分かんないんだよね、こっちも。
未来の自分との比較
うんうんうん、なるほど。
無駄なことは基本何にもないはずなんだけど、
理想の未来に対して遠いか近いかっていうのが確かにある。
うん、なるほどね。
ポロッとこっちが聞かなくても、
無駄な時間を過ごしてる気がするとか無意な時間を、
みたいな発信があったときに、
そういうファイトたちはそこに引っかかるんだ、センサーに。
あ、ここだ、みたいに。
そうね、そうそうそう。
だから、本当に無駄かどうかっていうことよりも、
なぜその人は今無駄だと思ってしまっているんだろうとか、
それは何を想像したときに無駄だっていう感覚になるんだろうっていう、
やっぱり未来とかその人の理想だったり、
何か足りないものと比較しないと見えてこないと思ってるんだよね。
うんうんうん、想像通りだね。
それは僕の中ではハイデッカーの未来を先取りするとか、
ちょっと選挙するみたいな感覚に近い感じがしてて。
はいはいはいはい。
でも別にハイデッカーのキャリア論とか書いてる人いないから、
これ書いたら自分が一番先に書けるんじゃないかとか思ってるんだけど。
まあ似てるようなことを書いてる人は多いだろうけどね、ちゃんとね。
いるかもしれないけどね。
夢の音を書いてる人も一緒でしょ、ある意味。
寝る前に成功してる姿を想像しなさいとかあるでしょ。
あるある。
いくらでも自己啓発っぽいのはね。
うん。
やっぱそれはハイデッカー哲学と比較して、
紐づけて書いてる人多分そんな多くないから。
ちょっとそれっぽい。
それっぽい自己啓発。
そうね、あるある。
ちょっと敬意がありそうな哲学から考える自己啓発みたいなね。
別にバカにするわけではないんだけど。
なるほど。
でもそこがやっぱりなんとなくそうした方がいいとか、
そういうことは成功者が語る成功する法則みたいになっちゃうんだよね。
多分こういうハイデッカーみたいなものを使わないとね。
ああ、そうねそうね。
私は小さい時に想像してたから慣れました、みたいな。
結構そういう根性論みたいなのが多いっちゃ多いというか。
それも間違ってはいないんだけどね。
間違ってはいないし、それで役立つ人もいると思うんだけど、
存在と時間における現存在分析
俺がこうやってうまくいったからお前もこうやれっていう話もないんだけど。
やっぱり第三者としてあくまでもプロとしてキャリアに向け合うという時にさ、
やっぱり自分の経験談とか、
この特定のケースにしか合わないものだけでやっぱり難しいとか、
そんな人だったらちょっと不安じゃない?話す人も。
うん、そうだね。
どっちかというとやっぱり原理原則として、
うちは未来というのを立てて、
そこに対して今の何ができてないのかとか、
今の足りないのかっていうところから考えていきましょうっていうのを大前提にしてるっていう感じかな。
なるほどね。
これちょっと聞いていいかわかんないというか、
さっきみたいにさ、
自分ちょっと今無駄な時間過ごしてると思ってるんですよっていう人がいたとして、
それで何でですかって聞くでしょ?
そうすると多分その回答もさ、
今回ハイデッカーで言うと多分二通りに分かれると思うんだよ。
その人が非本来性の時間で考えさせられた未来みたいなもので、
あえて未来みたいなものに縛られて、
そこから見て無駄だと思っちゃってる場合と、
ちゃんと本当にその自分の中で監督に本当になりたいと思ってると。
これは本当の実は夢なんだけれども、
諸々の事情で無理なんだけど、
この情熱は本当に足りっているみたいな、
ある意味の本来性の時間っぽい人がいると思うんだけど、
そこっていうのは見分ける?もしくは感じる?
感じるっていうのはさっきの根性論っぽいんだけど、
そこでどういう風なアプローチをしたいとかっていうのもあるの?
そっちは結構過去にやっぱり答えがあるケースが多くて、
言っても僕らって中途の転職の支援だから、
一回働いてはいるとか、
仕事の経験を積んでらっしゃるという方にお会いすることが多いんだよね。
それこそ仕事の中であれ、
例えば大学選びとか、
あるいは別にプライベートでもいいんだけど、
それまでやってきた自分自身の意思決定とか、
そういう価値観があるはずなんだよね。
その価値観っていうのはやっぱりそんなには変わらないよね、人間。
今の例えば情熱、足りっていることが、
これまでの価値観に照らして一貫性があると確からしいんだけど、
例えば全然違うようは、
今まで日本にずっと暮らしてたんだけど、
どうしても僕は将来海外で働きたいです。
英語も何も喋れないけどアメリカでビッグやりたいんですとかって言ったときに、
それって本当?って思うのよね。
なるほど。あなたの考えですかとそれは。
そうそう。本当にそれを思っているとして、
それって本当にアメリカじゃなきゃダメなの?とか、
そもそもアメリカに行くってことで、
何を成し遂げたいと思っているのってことは深掘りができるよね。
そうだね。すごく安い例でありがたいね。
それはツッコミどころしかないね。
ツッコミどころっていうか、いろいろ聞かないと怖いね。
今はすごくわかりやすい例だけど、
そういう人って意外と自分だと気づかなかったりする?
それこそさっきの営業の例で言うと、
自分は営業じゃなくて企画に行きたいとか、
営業よりも営業マネージャーとして自分の力を発揮したいとかって言うと、
別にそれって普通に考えそうなことじゃない?
そうだね。前向きな感じはするよね。
でもじゃあ、なぜマネージャーなのか?
なぜ企画なのか?っていうところを誇っているときに、
その人の価値観がちゃんとあるかどうかっていうのが、
ちゃんと聞かないと見過ごしちゃうよね。
なるほどね。意外とそれが給料の問題だけだったりとか、
もしくは社内での名声というか、地位的な問題だけかもしれないしみたいな。
しかも本人が本当に思っているのか、
一般的なところから思わされているのかも分からないしみたいな。
結構何個か変数があるわけだね。
そういうのがあるから、それこそマネージャーって言っても、
3人のマネージャーと10人のマネージャーと違うよねとか、
企画って言っても、企画っていろんな仕事がありますよねっていうのはもちろんあるわけで、
やっぱりちょっと仕事のトークっぽくなっちゃうからあれだけど、
僕自身も普通に働いてたら、
世の中の企画の仕事がどんな違いがあるかなんて正直分かんないわけよね。
でも今こうやって第三者というかカリアアドバイザーの立ち位置だと、
いろんな会社の企画っていう人たちと出会ったりとか、
こういう会社はこういう求人を出してるっていうのが見えるからこそ、
世の中には逆って言っても、AとBとCがあって、
あなたが言ってる企画ってどれですか?みたいな話ができるわけだよね。
それをやらずに企画って言われたんで企画の求人渡しますねってやっぱりなっちゃうと、
そういったチャンスがなくなっちゃうよねみたいな。
でも仕事的にはそうやってすぐ転職して、
また1年ぐらいで3年以内に辞めてもらって、
転職史上は活性化する気はするけどね。
お金は動いてるかもしれないけど、誰も幸せになってないじゃんそれって。
その人も幸せになってないし、会社も幸せになってないし。
長期的に転職、結局エージェントに相談しても自分は幸せになれないから、
存在と本質存在
エージェントを使うのやめたって多分なると思うんだよね。
ちゃんと自分が幸せになるとか、結果的には短かったかもしれないけど、
その転職が間違ってなかったって思えるかどうかとかはすごく大事だなって思ってるんだよね。
別に転職しなくてもいいって聞こえてて、原職員に残るって決断をしたとしても、
自分はちゃんと叱るべくして原職員に残るって決断をしたんだみたいな。
これって結構大事で、自分が決定したって思わないと人って納得できない。
まあそうはね、やらされてる感が出ちゃうからね。
誰の時に言ったかな、サルトルとかちょっと忘れてたけど、
やっぱり自分で決断するとか意思決定するとか、それを人に委ねないみたいなこと。
やっぱりそういう実存主義的な考え方からしてもすごい大事なんだよね。
そう。だからそれは結構意識的にやってるっていうのがあるかな。
会社としても自分自身としても。
だから面白いよね。
意味について、今興味がありますみたいな話を結構してると思うんですけど、今年に入ってから。
やっぱり意味も、自分が決断したか他人に決断させられたかとか、
自分が未来の明確に描いてるか、それともぼんやりしてるかによっても全然変わっちゃう?
まあそうだね。今回ハイテク会でも自分にとっての意味みたいなのがあった時にさ、
自分で決断してないことって自分にとっての意味があんまない場合が多いというかさ。
そうだね。
自分の性質として人に決めてもらいたいと。
それこそが自分の本質だみたいな人がいれば、そういう人もいるかもしれないけれども。
そこはたまたま合致してればいいけれども、それはそれで少ない気もするしね。
そこで100%力ができる人みたいな。
本当にいないんじゃないかな。1%誰かに委ねたいみたいな人を。
そういう人は逆に100%委ねようと決めたっていうかなり強い意思決定をしてるから。
逆説的にね。
逆説的にね。それはかなり稀な人だと思うんだよね。
確かにね。そうすると今度また見え方も違ってくるもんね。
誰にだったら委ねてもいいかみたいな。多分そういうとこはシビアかもしれないしね、もしかすると。
例えば会社に立てると、それこそナンバー2みたいな感じで、この経営者に俺は一生ついていって、この人の言うことだったら何でもやるぞみたいな。
そう思うとしたら、たぶんそれはすごい人だよね。
だからそこはすごく、個人が生きるっていう話を言うと面白いし。
でもやっぱりケアリティファクトリストは個人だけで生きてるわけじゃない?
そういう人との関係、例えば社会との関係の中で生きていると思うから。
今後そういう話も少し多くなっていくかなとは思うんだけど、それこそマルキン・ブーバーっていう人がいて、
その人が我と何時って書いてるんだけど、結構面白くて。
やっぱり自分とは何かじゃなくて、自分とあなたとか目の前の人っていうところの関係性において何が発生しているのかみたいなことを考えている哲学者がいて、
結構好きな人なんですけど、そういうのも今後ちょっと紹介していきたいなと思ってるんですよね。
なるほど。面白そうだね、それもまた。
やっぱり反逆感のキャリア運動みたいな話はあくまでも存在と時間における現存在分析っていうところから出てくるものだから、
やっぱりその本領は存在とは何かっていう西洋哲学2500年続いた、
彼からすると間違った問い、間違った問いというか、その本質存在っていうその存在、
第2回とかで言ったその随一存在と本質存在って2つある中の本質存在だけがフューチャーされたっていうものを、
ある種の乗り越えるとか逃亡するみたいな、また本来の姿に戻すみたいな、
やっぱり壮大なことをした哲学者っていうのはやっぱりあるから、
そこを掴んだ上で、そもそも人間、そうした世界で考えられる人間ってなんだっけ?みたいな、
また一段下げて考えてみたことが、なんとなくイメージができると間違わないというか、
ハイデーカーがやってきたことがフューチャーしくわかるんじゃないかなとかは、自分自身も改めて思ったって感じですね。
中国思想に向けて
そういう徹底的に言語化してやろう、分析してやろうっていう西洋哲学的な姿勢っていうものが、
次回からまた中国の方、東洋思想あたりとか中国の思想に行こうっていう話をしてるんだけど、
またそういう感じろみたいな、これは完全なイメージですけど、感じろとか身体的な理解でみたいな時の助けにもなるんだろうなと思うしね。
これが何もないゼロの状態で体で感じろって言われると、さっきの根性論みたいな話になっちゃって、
結果は正しいかもしれないけどね、自分ではピンとこないまま、
それを試行錯誤することになりかねないというところもあるから、
今回この話、今あった存在と何か本質的な存在と、奥にある存在そのものみたいな感覚っていうものも、
やっぱりその身体的理解、東洋みたいなものの意味不明さを理解するときの、
何となく自分の中に言語的じゃないイメージみたいなもので理解するときのすごい助けになる気がして、
そこは今回というか、そういった座場を通じてちょっとずつね、もう多分前半忘れてるんだけど、
そういうのがあるのが面白いなというのをまた今回も感じたから。
いやー嬉しいですね。
要はもう早く東洋を聞きたいっていう。
疲れたから早く東洋に行こうっていう話なんだけど。
次回のテーマの迷い
それはね、本当そうだと思います。やっぱフッサルハイデーガーはね、結構重たかったんじゃないかなと思うので、
ちょっとね、次回お便り紹介させていただいて、そこからちょっと地力の方に行って、
その先また西洋の近代に戻るか、どこに行くかっていうのはちょっとまだ今迷ってるんですけど、
そんな感じで引き続きソイテッドラジオは続いていくと思いますので、
ぜひ皆さん楽しみに引き続きしていただけたら嬉しいなと思っております。
はい、了解です。皆さんハイデーガー会お疲れ様でした。ということでまた引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
51:52

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